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『車窓を奏でるメロディー』(16)

illustration by Picaro Taro Manabe
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『ブルックリンでつながるふたつのアメリカン・ドリーム』

曲:      『エキスプレス』
           「Express」
歌:      B.T.エキスプレス
           B.T.EXPRESS
年:      1975年

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『ブルックリンでつながるふたつのアメリカン・ドリーム』


   1974年、ニューヨークではディスコティックという場所が、一躍
メジャーな存在になりつつあった。音楽業界誌に「ディスコ・チャ
ート」が登場したのも、74年10月のことだった。

   そのときにチャート入りしていたのが、B. T. エキスプレスと
名乗るグループの「ドゥ・イット」という曲だ。B.T. は「ブル
ックリン・トラッキング」(ブルックリン列車)の略。「ドゥ・イ
ット」は、ソウル・チャートで首位を記録、  ディスコでも大ヒッ
ト。それに続いて発売されたのがアップ・テンポの「エキスプレス
」という曲だった。

   そして、このグループに一人の男が参加する。マイケル・ジョー
ンズと名乗る人物だ。彼はB.T. でキーボードを担当、曲も書い
たりするようになるが、数年在籍した後に独立し、作曲家プロデュ
ーサーとして活動し始める。

   その第1弾が、イヴリン・キングに提供した「アイム・イン・ラ
ヴ」(81年)という曲だ。独特のうねりのある実にのりのいい作品
で、これまたソウル・チャートで首位を記録。しかしその時、マイ
ケルは名前を変えていた。新しい名前は、カシーフという。彼はマ
イケル・ジョーンズというあまりに平凡な名前に思い入れがない。
実は、彼は両親を知らずに孤児院で育ったからである。

   僕がそのカシーフに初めて会ったのは83年 7月のことだった。彼
が当時住んでいたマンハッタンのトライベッカ地区にあるロフトに
行った。

   カシーフは、キーボード奏者だけあっていろいろな新しい機械に
滅法強く、音を機械に取り込んでそれを再生する方法などを事細か
に説明してくれた。僕が打ち込みについて知ったのは、その時が初
めてだった。現在でこそ、打ち込みであらゆる音が作れるが、その
頃はまだコンピューターを使った音楽などまだまだほんの一部で、
驚かされることばかりだった。

   カシーフは、アーティストとしても、またプロデューサーとして
もホイットニー・ヒューストンなどをてがけ80年代に一世をふうび
する。

   そして84年、  彼はコネチカット州の高級住宅地に豪邸を購入す
る。その豪邸は、かつて黒人として初めて大リーガーになったジャ
ッキー・ロビンソンが住んでいた家だった。二度目に彼に会ったの
は、その元ロビンソン邸だった。引っ越して来たばかりの家のロビ
ーには、ロビンソンの写真や記念ボールなどがまだそのまま置かれ
ていた。

   ブルックリン・エキスプレスから出て来た男は、ブルックリン・
ドジャースで初の黒人大リーガーとなった人物の家を手に入れた。
親を知らぬカシーフにとって、同じように厳しい境遇の中で活躍し
たロビンソンの家を手に入れることは、自身のアイデンティティー
の確認と同時に彼なりの勝利宣言だったのかもしれない。それはブ
ルックリンでつながった二人の男の堂々たるアメリカン・ドリーム
だった。


(2000年7月号L&G誌に掲載)

(2003年2月4日アップ)
    
2000年7月号L&G誌に掲載
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