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『ジョワ・ドゥ・ヴィーヴルな人々』
『ジョワ・ドゥ・ヴィーヴルな人々』
〜モントリオールの人々のライフスタイル〜

『ジョワ・ドゥ・ヴィーヴルな人々』      
〜モントリオールの人々のライフスタイル〜

(2001年3月・記)

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【リード】

  カナダ・ケベック州は、当初フランスの植民地となり、その後イ
ギリスの植民地になったことから、両国の文化が微妙に混ざりあい
独特の雰囲気を醸し出す。さらに、ケベック州にはヨーロッパだけ
でなく中米からの移民も含め、80を越える人種が集まる。そのた
めこの地の人々は、他のカナダの人たちと一味違う個性を持ってい
る。
  ケベック州モントリオールの東と西を分ける大きな道がセント・
ローレンス通り。この通りは、単にモントリオールを東西に分ける
だけではない。この道より東側は、いわゆるフランス語圏、西側は
英語圏になっている。つまり、この通りはある意味で、モントリオ
ールの英語文化とフランス語文化の国境となっているのだ。そして
そんなモントリオールの人々の生活信条とは・・・。

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  「人生の喜び」。

  ジノ・ヴァネリが歌う「アイ・ジャスト・ウォナ・ストップ」が
モントリオールのホテルのFMから聴こえてくる。途中のむせびな
くサックスも印象的な78年のヒット曲は、モントリオール出身の
ヴァネリが歌うことから、この街のテーマ曲さながらだ。

  ラテン的な明るいその個性を地元の人々は、フランス語の「ジョ
ワ・ドゥ・ヴィーヴル」という言葉で表現する。英語では「ジョイ
・オブ・ライフ」、すなわち「人生の楽しみ、喜び」といった意味
だ。ケベック州の人々は、人生を思いきり謳歌し楽しむ。仕事はさ
っさと切り上げ、自分の時間をもっとも大切にし、趣味のためや友
人たちと過ごすために使う。

  そんな生き方を実践しているひとりが、モントリオール市立植物
園・日本庭園館長のモニック・ローゾンさんだ。

  「そうですね。『ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル』は、もともとヨー
ロッパの人々から来てるんです。仕事が終わったら、友人とレスト
ランに食事に行ったり。音楽や演劇を楽しんだり、クラブなどに踊
りに行ったり。どんなに仕事が忙しくても楽しむことを忘れない、
っていうこと。で、私も絶対そういう人!(笑)  ケベックの80
パーセントは、そんな『ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル』の人です。そ
して、それを実践するには友達がいないとだめですよね。だって、
音楽とか映画に行ってその楽しみをシェアできないとつまらないで
しょう。ヴァケーションは大体年間に4週間くらい。一度に取る人
もいれば、冬と夏に分けて取る人もいます。私の趣味は旅行です。
中にはヴォランティアをする人もいます」            

  モニックさんは、12歳の頃カンフー映画で見たブルース・リー
にあこがれ、日本の文化に興味を持ち、カラテをやってみたいと思
った。ブルース・リーと日本、カンフーとカラテ。それらの違いを
12歳のカナダの女の子は知る由もなかった。そして、ブルース・
リーになれるようにと地元のカラテ道場に週2−3回通うようにな
る。その後、モントリオール大学に進学、日本語を2年ほどみっち
り学び、日本への興味は深まるばかりだった。

  モニックさんはかつてカナダの道場でカラテを教えてくれた先生
が静岡に戻ったためその先生を頼りについに憧れの日本に向かう。
90年から1年ほどのことだった。

  流暢な日本語を操るモニックさんが言う。「でも、最初の一年間
は厳しくて、辛かったですよ。静岡の藤枝市でアパートを借りて、
毎日道場に通ったんです。そこは小さな街だったから、外国語がで
きる人がほとんどいなかったんですね。2年間も日本語を勉強した
のに、みんな機関銃のようにしゃべるでしょう。全然わからないん
ですよ」  しかし、彼女はもうすぐ黒帯がもらえそうなところで、
不運にも怪我をしてしまい、失意のうちにカナダに戻る。日本滞在
は1年ほどだった。  

  その後彼女は日本政府が主催するJET(日本交換教師プログラ
ム)に応募。これは、世界各国から若い人を集め、その国の言葉や
文化を日本の中高生に教えるというもので、モニックさんは今度は
英語を教えるために、96年7月長野県志賀高原に赴く。20年以
上も前に日本の文化にあこがれ、その地に学びに来た彼女は、今度
は逆に英語とカナダの文化を教えるために再び日本の土を踏むこと
になったのである。

  2度にわたり計4年間の日本滞在を経験したモニックさんは、日
本とカナダの文化や国民性の違いをよく理解する。    

  「日本のいいところは、他人をリスペクトすることです。こっち
(カナダ)では、あんまり人にありがとうって言わないんですね。
日本で困ることは、組織の中でプロジェクトを進めるとき、ステッ
プがたくさんありすぎるということです。だから時間がかかる。同
じプロジェクトをやっても、カナダだったらきっと日本の3分の1
の時間でできると思う(笑)」

  彼女にとっては、「カンフーの国、日本」にやってくることも、
そこで自分のしたいことをするという点で、まさに「ジョワ・ドゥ
・ヴィーヴル」の実践だった。

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  ケベック市の音楽祭取材のためにあちこちに連れて行ってくれた
ヴァンのドライヴァー、ドミニクも「ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル」
な青年だった。彼の場合は、大学卒業後に小学校の英語教師になっ
た。だが、昨年およそ3か月半、インドに行き、そこでほとんどヴ
ォラティアーで学校の建設を手伝っていた、という。

  「いやあ、別に深い意味はないんだけど、学校がないところに学
校を作るっていうのがとてもすてきなことに思えて参加したんだ」
と彼はこともなげに言う。

  そして、音楽祭のドライヴァーの仕事についてこうも語った。「
ちょうど、学校が夏休みだから何かしたいなと思ってね。僕の仕事
は、世界各国から来る人たちを駅や飛行場に迎えに行って、ホテル
まで送り届けたり、ホテルからライヴの会場に連れて行ったり、そ
んな仕事だ。この仕事をしていると、いろいろな人に会えるからと
っても楽しいよ。僕が『ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル』をしているか
って?  そうだね、そんなに意識したことはないけど、自分のやり
たいことを楽しんでやる、という意味ではそうかもしれないね」

  ドミニクは実に自然体で自分の人生を楽しんでいるようだった。

  ケベックを旅立つ日の朝に空港で飛行機を待っていると、偶然ド
ミニクがやってきた。手を振ると人懐っこい顔で近寄って来た。

  「またお客さんのピックアップかい?」と尋ねた。
  「そうなんだ。そろそろ着くはずなんだが遅れてるみたいだね。
ここでピックアップして、ホテルまで連れて行くんだよ」

  カナダの夏は日が長い。仕事は本来5時までだが、3時過ぎには
オフィースを出てしまう人々もいる。しかも、日が9時くらいまで
落ちないので、アウトドアでも充分楽しめる。そうしたライフスタ
イルが正に「ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル」だ。        

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  「アイ・ジャスト・ウォナ・ストップ」で「モントリオールのあ
の夜を思うと、君と僕との甘い思い出がよみがえる。君のことを考
えるのはもうやめたいんだ」と失恋を歌ったジノ・ヴァネリは「ジ
ョワ・ドゥ・ヴィーヴル」な人生を送っているだろうか。

(吉岡正晴)
(2001年4月号・ナトラ誌に掲載)
(オリジナル・ヴァージョンに加筆)

(2002年9月25日アップ)
    
MASAHARU YOSHIOKA
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