NO702
2004/07/08 (Thu)
Syreeta Wright, Ex-wife Of Stevie Wonder, Died At 58
不遇。

モータウン・レコード所属のシンガー・ソングライターであり、一時期スティーヴィー・ワンダーの妻でもあったシリータ・ライトが去る7月5日、ロスアンジェルスで死去した。58歳だった。この2年ほど骨のガンをわずらっていた。

シリータ・ライトは、本名リタ・ライト、1946年2月28日ペンシルヴェニア州ピッツバーグに生まれた。4歳の時からゴスペルを歌い始めた。父は朝鮮戦争で戦死、彼女は11歳の時に家族でデトロイトに移住、母と祖母に育てられた。子供の頃の夢は、バレーダンサーになることだったが、それをまかなえるだけの経済的余裕がなかったために、断念。徐々に作詞作曲などをするようになる。

60年代になってデトロイトのモータウン・レコードで秘書としての仕事を得、まもなく、モータウンのプロデューサー・トリオ、ホランド・ドジャー・ホランドのうちのひとりブライン・ホランドに注目され、当初は彼らのセッションのバックコーラスなどを始めた。独特の声と歌唱がベリー・ゴーディー・モータウン社長にも認められ、ソロシンガーとして契約。ブライアンとアシュフォード&シンプソンが元々はダイアナ・ロスのために書いた作品「アイ・キャント・ギヴ・バック・ザ・ラヴ・アイ・フィール・フォー・ユー」(リタ・ライト名義)を録音。67年頃、一部で評判になった。

その後レーベルメイトでもあるスティーヴィー・ワンダーと知り合い、急接近。作詞作曲を一緒に始めるようになり、その仕事関係は、パーソナルなものにもなり、70年9月14日に結婚。この結婚は18ヶ月しか続かなかったが、以後も友人として、また仕事のパートナーとしての関係は続いた。初期のスティーヴィーとシリータの共作には「イッツ・ア・シェイム」(スピナーズ=70年7月からヒット)、「サインド・シールド・デリヴァード・アイム・ユアーズ」(スティーヴィー・ワンダー=70年7月からヒット)、「イフ・ユー・リアリー・ラヴ・ミー」(スティーヴィー・ワンダー=71年8月からヒット)などがある。

スティーヴィーとシリータの結び付きをよく表したのが、71年4月に発売されたスティーヴィーのアルバム『ホエア・アイム・カミング・フロム(青春の軌跡)』。ここでは全曲がスティーヴィーとシリータの共作になっており、二人の蜜月関係が浮き彫りになっている。そして、72年7月、スティーヴィーの全面プロデュースでシリータのデビューアルバム『シリータ』がリリースされる。青い海辺に白のドレスを着たシリータが歩いているというジャケットの作品だ。彼女の作品を聴くと、後のミニー・リパートン、デニース・ウィリアムスなどを思わせる、当時としてはかなり新しいサウンドになっていた。そして、全編にスティーヴィー色があふれている。ただし、この時点で書面上二人は離婚(72年3月)していた。その後、スティーヴィーはシリータの2枚目『スティーヴィー・ワンダー・プレゼンツ・シリータ』をプロデュース、74年6月にリリースする。離婚はシリータにとって大きな痛手となり、彼女は精神的リハビリのために、エチオピアの施設に3ヶ月はいったほどだった。

そして、そうしたことを吹っ切って75年に録音したのが、リオン・ウェアが全面的にプロデュースしたソロとしての3作目『ワン・トゥ・ワン』(77年)だった。この作品はほぼ75年に完成、この時点でスティーヴィーも一曲「ハーモア・ラヴ(愛の鳥)」をプロデュースしていたが、アルバムが発売されたのは77年になってからだった。この作品にリオンとともに共同でプロデュースにあたった人物カーティス・ロバートソン・ジュニアは、シリータの2番目の夫となる。彼はまたカーマ(Karma)というグループのメンバーでもあった。

シリータはコンスタントにアルバムを出すが、79年映画『ファースト・ブレイク』用に提供したビリー・プレストンとのデュエット「ウィズ・ユー・アイム・ボーン・アゲイン」が80年になってポップチャートで4位を記録する大ヒットになり、一躍一般的知名度を獲得した。その後、83年に出したアルバム『スペル』を最後に、音楽界を実質的に引退していた。2人の娘、2人の男子の子育てに専念。しかし、時折レコーディングなどに参加、95年、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』ではメリー・マクダーレン役を演じた。

シリータは、残念ながらほとんどモータウンからサポートを得られなかったが、その理由について、かつてベリー・ゴーディーがダイアナ・ロスが脱退した後、シリータにスプリームスのリードシンガーになって欲しいと願ったが、シリータが拒否したためという臆測もある。シリータの声がダイアナに似ているというのは、モータウン内部ではよく言われていたことだった。ある意味で不遇のシンガー、ソングライターだったといえるかもしれない。また、スティーヴィーにとっては、レイ・チャールズの死去に続く大きなショックとなるだろう。

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Discography

Syreeta(1972)
Stevie Wonder Presents Syreeta (1974)
One To One (1977)
Rich Love Poor Love - With G.C. Cameron(1977)
Syreeta (1980)
Billy Preston & Syreeta (1981)
Set My Love In Motion (1981)
The Spell (1983)

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Syreeta Wright (Feb 28, 1946 - July 5, 2004)

ENT>OBITUARY>Wright, Syreeta

Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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