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B.B.キング 『ルシールの伝説』
B.B.キング  『ルシールの伝説』
(1992年12月15日・記)

[リード]

   長い人生の中には、落ち込むこともあれば、悲しみに打ちひしが
れることもある。寂しさ、苦しさ、悲痛、そうした人間のむき出し
の感情をあらわに歌うのが、ブルーズだ。アフリカから奴隷として
アメリカに連れてこられた黒人たちは、ずっと虐げられてきた。そ
んな彼らの悲しみ、苦悩を歌ったブルーズ。だが、ブルーズも時代
と共に移り変わる。悲しみだけでなく、希望、喜びや普通の生活を
歌うものも出てくる。田舎の泥臭いものから、徐々に都会的に洗練
されたもの、様々なタイプのブルーズが出てくる。そんなモダン・
ブルーズの王者がBBキングだ。彼が40年以上使い続けている愛
器が「ルシール」と名付けられたギター。なぜ、そのギターは「ル
シール」と名付けられたのか。長いキャリアの中で彼が犯した最大
の過ちは何か。彼が学んだ人生の哲学とは。本人の口から語られる
・・・。

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ACT  1  『誰にも弾かせないギター』

   BB。

   このBBは、ブルーズ・ボーイの頭文字の略。BBキングは、文
字どおり、ブルーズ・ボーイ・キング。1925年9月16日にミ
シシッピー州インディアノーラという街に生まれた。本名は、ライ
リー・B・キングという。そして、彼はいわゆるモダン・ブルーズ
のパイオニアとして位置付けられている。彼の影響を受けたロック
・ギタリストは多い。現在ロック・ギタリストとして活躍している
連中で、BBの影響を受けていない人はいないのではないか、とも
言えるほど、ギター仲間の間では神様的存在の人物である。影響を
受けたギタリストの中で、エリック・クラプトンあたりはその代表
格だ。
   BBは今度の来日で、テレビ番組『笑っていいとも』に出演、御
覧になられた方も多いだろう。司会のタモリらと並ぶとさすがに巨
体がインパクトを与える。BBキングが、自分のギターを手に持ち
ほんの少しだが、弾き語りを聴かせる。独特の表情をみせ観客から
喝采を受けると、今度はそのギターをタモリに手渡して「弾いてみ
ろ」という。タモリがギターを肩にかけると、それまで小さく見え
ていたそのギターがいきなり大きく見えた。あのBBの巨体だから
こそ、そのギターは小さく見えたのだ。タモリが、BBの出っ張っ
たおなかあたりを見て「ご立派なお体ですね」というと、「これぐ
らい大きくないと、このギターを持てないからね」と切り返し笑い
を誘った。
   BBは、自分のギターを普段は決してだれにも弾かせない、とい
う。そのギターこそ、彼の『ルシール』という名の付いた愛用のギ
ターである。

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ACT  2  『ルシール』の伝説

   ルシール。

   ミュージシャンには、だれでも愛用の楽器がある。だが、その楽
器に名前をつけ、40年以上も愛着を持って使っている人はなかな
かいない。「ルシール」の歴史は、1949年に始まる。
   BBキングがゆっくりと話し始める。
   「この『ルシール』は、第16代目にあたる。初めて自分のギタ
ーを手にしたのが、1949年(昭和24年)のことだった。それ
以来今日まで、ずっとギターを弾き続けている。最新版の16代目
は、前の15代目よりも少しチューン・アップされているんだ」
   その名前の由来について、彼はこう説明してくれた。
   「私は、かつてアーカンソー州の小さなトゥイストという街でよ
くプレイしていた。テネシー州メンフィスからそれほど遠くなく、
精々45マイルくらいのところにある街だ。私はよくその街に行き
ある店でプレイしていた。その街は、とても寒いので、みんなが店
の真ん中に大きなドラム缶のようなものを置き、そこでいろいろな
ものを燃やして暖をとっていたんだ。みんなは、その火の周りに集
まって、歌ったり、踊ったりしていた。ある夜、2人の男が喧嘩を
始めた。1人が相手を殴り倒し、その相手は床に転げ回った。そし
て、その缶が倒れ床に火が付いんだ。そこにいた客は、私を含めて
皆出口のほうに殺到した。外に出ると、私はふと気が付いた。自分
のギターを置き忘れてきた、と。私は何も考えずに、その店にとっ
て返りギターを抱えて出てきたんだ。火の手は予想以上に速くまわ
り、その建物は今にも落ちそうな勢いだった。言ってみれば、私は
自分の命を賭けて、このギターを救ったということだった。翌朝に
なって、2人の男は、1人の女のことで喧嘩をしていたということ
がわかった。私は、その女には会ったことはなかったが、その女の
名前が『ルシール』といったんだ。そこで、私はこのギターに『ル
シール』と名付け、あんな危ないことは2度としないようにと誓っ
たんだ」
   その『ルシール』も現在では16代目。一体、彼はその内の何本
くらいをキープしているのだろうか。
   「そうだね。2本くらい人にあげたと思う。何本かは、だれかに
貸して返ってこなかったな。それに私はこれまで16回近く交通事
故にあっているんだが、その内の何回かギターが壊れたこともあっ
た。車がひっくり返ったときにギターが僕の代わりに壊れてくれた
こともあった。そういうことが2度あったよ」
   一呼吸おいて、彼はしみじみと続ける。
   「『ルシール』第1号は今はもう持っていないんだ。あれがあれ
ばなあ、と思うよ。それは盗まれたんだ。誰かが私の車のトランク
をこじあけて盗んでいった。」
   もちろん、盗んでいった者は、そのギターがかのBBキングの『
ルシール』だとは知らなかったにちがいない。
   BBは、かつてこの『ルシール』を持って旅をするときに、『ル
シール』用に座席を一つ用意していた。特に飛行機の場合、バゲー
ジ・チェックをせずに、機内持ち込みにし、もう1枚『ルシール』
だけのためにエア・チケットを買ったのである。もっとも、70年
代に入ってハイジャックが頻繁に起こりだすようになってからは、
機内持ち込みが許されなくなってしまった。彼は『ルシール』をチ
ェック・インするときにはいつもナーヴァスになるよ、と語る。
   そして、その『ルシール』から様々なヒット曲が生まれた。『ル
シール』は、代は変われど、常にBBキングの歴史とともに生き続
けている。
   BBキングがタモリにギターを担がせたとき、彼は「このギター
は僕のガールフレンドみたいなものだから、ほかの男には抱かせな
いんだよ」と言った。ジョーク半分としても、40年の歴史の真実
の重みがある言葉だ。

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ACT  3  『人生の哲学』

   ファミリー。

   BBは、十代の頃には綿を摘んで生活費を稼いでいた。1940
年代初めのことである。100ポンド(約45キロ)摘んで、わず
か35セントにしかならなかった、という。間もなく、ギターを覚
えるが、本格的な音楽業界の仕事は、ラジオ局のDJからだった。
メンフィスのビール・ストリートという通りにあった当時としては
珍しい黒人専門の小さな放送局WDIAで、週6日DJを始めたの
である。彼は当時の黒人に人気が高かったブルーズをよくかけてい
た。間もなく、彼には「ビール・ストリートのブルーズ・ボーイ」
というニック・ネームが付く。そして、これが後に単に「ブルーズ
・ボーイ」となり、そして「BB」となる。
   昔話に花が咲く。
   「当時は、今の様にカセットやCDなんか何もなかった。オープ
ン・リール(のテープ)や、レコードも78回転のやつだった。そ
れから、45回転のシングルが出てきた。プログラム・ディレクタ
ーはいたが、選曲はほとんど自分でやっていた。5年ほどDJをや
って、結構人気があったんだよ」
   そうしたDJのキャリアは、ミュージシャンとしてのキャリアに
プラスになっただろうか。
   「もちろん、とてもなったね。あの頃まず、音楽には実に多くの
種類があることを学んだ。たとえ、同じブルーズでも、ミュージシ
ャンが違えば、皆違った。3人のミュージシャンが似たような音楽
を作ったとしても、それは皆違うんだ。そして、音楽は大きなファ
ミリーのようなものだということを学んだ。人間と同じようにね。
人間も、あるものは背が高く、あるものは小さいように皆違う。だ
が、皆同じ人間だ。自分が気に入らない音楽もあるだろう。自分が
理解出来ない音楽もあるだろう。なぜ、人がその音楽に耳を傾ける
のかわからないような音楽もあるだろう。だが、必ず、どんな音楽
にでもオーディエンスはいるんだ。誰かが、あらゆる音楽のどれか
を好きになるんだね。多くの場合、人間と言うのは理解できないも
のを嫌ってしまうものだ。だが、私は自分が理解出来ないものがよ
くないものだ、と考えることは誤っているということを学んだ。そ
して、そのときには、その理解できないものを、もっと勉強しなけ
ればならないのだということを悟った。こうした認識は、私のキャ
リアに実に大きな意味を持ったよ。そして、そうした気持ちは今日
でも変わらない。今でも、学んでいるよ。すべてを知ることなんて
出来ないんだよ」
   BBキングという人物は音楽という一つの道を極めることによっ
て、人生の哲学をも会得していく男だ。彼のこうした謙虚な気持ち
と、フレキシブル(柔軟)な姿勢が、40年以上も現役のモダン・
ブルーズ・マンとして音楽界に君臨できる秘密の一つだろう。
   その長いキャリアを振り返って、BBキングが犯した最大の過ち
は何だったかを尋ねてみた。
   「ウーン、そうだね。(しばらく間があって)  ギターを弾くこ
とを学んだことかな。(笑)  まあ、これが初めての大きな過ちだ
ったろうな。(笑)  でも、真面目に答えれば、そうだな、初めて
の大きな過ちは、自分であまり一生懸命練習しなかったことかな。
充分にうまいという点に達するまで練習しなかったことだ。私は、
もっと一生懸命、激しく練習すべきだった。もっとよりよくプレイ
するために練習すべきだった。」
   では、いつごろから、そういう罪悪感を持ち始めたか。
   「私が有名になればなるほど、そういう気持ちが強くなったよ。
こうして年をとり、今では、何かを学ぶことがとてもつらくなる。
私が有名になればなるほど、自分は何も知らないんだと感じるよう
になる。25年位前かな。自分よりもうまいギター・プレイヤーが
いることを悟り、自分はもっともっとハードに練習しなければなら
ない、と思うようになった。だが、一方で年をとれば、より多くの
責任を持たなければならなくなる。こうして君が私の考えに興味を
持ち、私が君に話しをする。これも私の責任のひとつだ。君をここ
に放っておいて、部屋に戻って練習しているわけには行かないだろ
う。(笑)」

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ACT  4  『アメリカン・ドリーム』

   ルーツ。

   彼はみずからのブルーズで「ネガティヴ・サイド(暗く、否定的
な面)」だけでなく、「ポジティヴ・サイド(明るく、希望がある
ような面)」も描き出したいという。彼のブルーズが、広く一般に
も受け入れられるゆえんだ。
   BBキングはかつてビール・ストリートのWDIAでラジオのD
Jとしてスタートした。彼のキャリアの出発点は、そのビール・ス
トリートにある。そこは、言ってみればBBのルーツである。
   91年5月2日。
   彼はそのビール・ストリートに「BBキングのメンフィス・ブル
ーズ・クラブ」という店をオープンした。約350席の中規模の店
だ。もちろん、ライヴのブルーズや、無名の新人R&Bアーティス
トなどのショウを聴かせる。
   1949年に彼が同じビール・ストリートでWDIAのDJを始
めてから、42年目のことだった。これもまた、もう一つの「アメ
リカン・ドリーム」である。


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吉岡正晴

(92年12月・記、雑誌ヴィジオモノ93年2月号に掲載)

(2002年10月25日アップ)
    
MASAHARU YOSHIOKA
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