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タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』
タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』

タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』

【1994年11月28日・青山ラス・チカス】

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   集中。

   音楽は飾り付けを付ければ付けるほど、一見豪華にそしてぜいた
くに見えるようになる。だが、ひょっとすると飾り付けを多くすれ
ばするほど、音楽そのものが持っているパワーというものは失われ
ていくものかもしれない。
   タック&パティーのライヴを見ていると、そんなことを強く感じ
る。つまり、シンプリシティー(シンプルであること、単純さ)こ
そ、音楽のパワーを人々に与える最大の武器だということである。
エレクトロニクスの要素が音楽を形作る中で主流となった現在、た
った1本のアコースティック・ギターとマイク1本で歌う彼らのス
タイルは、ある意味で時代を超越し、だからこそ、いつの時代でも
そのようなスタイルの存在基盤があることを示す。
   彼らの歌と演奏を聴いていると、普段のコンサートではなかなか
出来ない「集中」が出来る。パティーの歌とタックのギターの世界
に本当に自然に吸い込まれ、彼らの世界の一員になってしまう。い
つのまにかステージ上の2人に、目は釘付になり、純粋に彼らの音
楽に集中している自分に気がつく。
   なぜ、彼らの音楽がこれ程までにストレートに聴取者に入り込ん
でくるのか、考えてみた。

   シンプリシティー。

   何と言っても、シンプリシティーと、パティーのヴォーカルだ。
パティーの声が実にいい。落ち着いたしっかりとした声で、声その
ものが素晴らしい。あの声に惹かれるという点は大きい。そして、
それと同時にタックのアコースティックのギターが、時には前面に
時にはパティーの静かなサポーターとしてつまびかれる。ギターの
早業を見せる時、思わず彼の手元に視点が凝縮される。要は、ステ
ージ上に彼ら2人しかいないからこそ、その音楽に集中出来るわけ
だ。
   無駄な音がなく、ギターとヴォーカルという最低限の構成。この
シンプリシティーこそ、素晴らしさの原点だ。
   彼らの音楽を聴いていると、つくづくこのアーティストが、よく
現在のジャンル分けに凝り固まった、そしてコピー・アーティスト
を多数送り出すことに勢力を注いでいるアメリカの音楽業界という
枠組の中で、レコーディング契約が取れたものだと思う。感心する
と同時に、彼らを最初に迎えたウインダムヒル・レーベルの志(こ
ころざし)の高さに大きな拍手を送りたい。その姿勢は、いい仕事
をしている人に、いい仕事場を提供する、という懐の深さを見せて
いて実に気持ちがいい。しかも、今度はそれをメジャーのエピック
が引き継いだという点も驚いた。そういう意味で、アメリカのレコ
ード業界も捨てたものではない、という気にさせられる。彼らのよ
うなアーティストを抱えるということは、その「レコード会社の良
心」を持つということと同義語である。

   リサイクル。

   彼らの歌は、CDで聴いても胸を打たれるが、目の前で2人が実
際に生で歌うのを見ると、また、胸を打たれる。そして、その感動
を胸に秘め、再びCDを聴くと、ステージ上の2人がまぶたの裏に
浮かび上がり、再度感動できる。決して、ステージ上ではげしく動
き回るのでもなく、淡々としている2人だが、その時の映像印象度
は、強烈なミュージック・ヴィデオに勝るとも劣らない。常に感動
がよみがえってくるので、僕は彼らのことを感動のリサイクル・マ
シンと呼ぼう。
   特にタックとパティーが目を見つめあって、曲のタイミングを計
りながら進めるあたりは、息もぴったりなのは当たり前なのだが、
2人の愛がステージ上にもあふれ、その一部が観客席にも降り注ぐ
かのようだ。タックとパティーはライヴに来た人たちに、彼らの愛
の粉を振り撒いているのかもしれない。だからこそ、そのステージ
に触れると、感動して、優しい気持ちになり、なぜかどこか満足し
て家路につくことになるのではないだろうか。2人が一つになる瞬
間、大きなオウラが現れ、それが観客席に降り注ぐ。それは正に、
マジックが訪れる瞬間だ。

   太陽熱。

   彼らの音楽のパワーの秘密をもう少し探ってみたい。
   昔話に、北風と太陽の話がある。ある旅人がコートを着て道を歩
いている。北風と太陽が話し合って、その旅人のコートを脱がせる
ための競争を始める。まず、北風のほうはどんどんと強い風を吹き
そのコートを吹き飛ばそうとする。しかし、旅人は風が強くなれば
なるほど、そのコートをしっかりと押さえ、コートが飛ばないよう
にした。今度は、太陽の番になり、太陽はどんどん旅人を照らして
暑くさせた。風はなく、暑くなった旅人は、ついにそのコートを脱
いだ、という話である。
   電器楽器とコンピューターによって司(つかさど)られ大音量を
ならす音楽は、この話にあてはめれば、北風のような存在で、一方
タック&パティーのような音楽は、太陽のような存在ではないだろ
うか。アーティストがこれでもか、これでもかとリスナーに音の洪
水を押し付ければ押し付けるほど、リスナー側は固くコートを押え
付ける。ところが、一度シンプルに太陽を照らされると、つまり、
最低限の音楽そのものの力で聴かせると、リスナーもその太陽の暑
さとミュージシャンの熱さによって、かたくなに押さえていたコー
トを脱ぎ捨て、その世界に実を委ねることになるというわけだ。
   タック&パティーの音楽は、リスナーに対して、挑戦したり、こ
れでもかこれでもかと押し付けたりすることが決してない。優しさ
で、リスナーを包み込む。その点が風を送り込む雲と熱で包む太陽
の違いだ。だから、彼らのライヴを聴くと、リスナーは暖かくなる
のである。

   解釈。

   「最初は、何度かやってパティーと一緒に、「これはダメだね」
と言っていた。だけど、少しやさしくしたヴァージョンをやってみ
たら、何とか出来そうだったんでね。それで今度入れてみたんだ。
8時間位練習したよ。」
   こうタックが語るのは、タック&パティーの新作『ラーニング・
ハウ・トゥ・フライ』に収録された「ゲッタアウエイ」についてで
ある。これは、かのアース・ウインド&ファイアーの大ヒット曲の
一つだが、オリジナルはアップ・テンポで大変歯切れがいいリズム
を持った作品で、普通考えると、とてもこんな曲をギター1本で出
来るわけがないというような曲だ。まず、大体こんな曲をギター1
本でやろうと考えること自体、すごい発想だと思ってしまうが、そ
れでも最終的にこうして出来上がってしまうのだから、恐れ入る。
CDに入ったヴァージョンは、彼によれば最初チャレンジしたヴァ
ージョンと比べると随分シンプルにやさしくしたものだと言う。こ
れでも充分に僕にとっては複雑に思えるが。
   なぜ、よりによってこの曲を選んだのか。
   「もともと、アース・ウインド&ファイアーのファンだったから
ね。それに、だれも出来るわけがないと思うような曲をやってみる
というチャレンジをしてみたかったんだ」とタックはこともなげに
言う。
   彼らのアルバムには、いくつもの他のアーティストの作品のカヴ
ァーが入る。そして、その選曲の良さが一々光る。しかも、曲を自
分たちのものにしてしまう解釈力はずばぬ抜けている。どこかで聴
いた曲だが、あるいは他の誰かで既によく知っている曲だが、彼ら
の持ち歌ではなかったか、と錯覚さえしてしまい、何度か彼らのヴ
ァージョンを聴いているうちに、オリジナルを聴くチャンスがある
と、ああ「タックたちが歌っていた曲ね」と思ったりしてしまう。
それだけ、曲を自分のものにしてしまう才能が優れているというこ
との証だ。
   彼らの場合、単なる「カヴァー」という単語はふさわしくない。
彼らが誰か他人のアーティストの作品を歌うときには、彼らの「解
釈による」作品とか、「彼ら独自のインタプリテーション(解釈)
を聴かせる何々」とかという言葉を使わなければならないようであ
る。
   解釈がよく出来るということは、音楽への理解度が抜群に優れて
いるということでもある。


吉岡正晴

【1994年11月28日・青山ラス・チカス=ショーケース】




(2002年10月24日、若干追記)

(2002年10月25日アップ)
    
MASAHARU YOSHIOKA
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