NO.530
2004/02/01 (Sun)
The Soul Of The Piano Man (Woman): Fukamachi Jun Live At Art Cafe
凝縮。

ピアノライヴ3デイズ、3日目は即興演奏のマスター、深町純さんの毎月の定例会。何度もこの日記では書いています。

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030427.html  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030629.html  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030724.html  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031130.html

先月がスティーヴィーのライヴと重なり見ることが出来ず、今回は2ヶ月ぶりということになります。2ヶ月ぶりだとずいぶん間があいたなあ、という感じ。一月(ひとつき)だと、「お、もう一月経ったのか」っていう感じなんですが。7時頃行ったら、ほとんど席が埋まっていて焦りました。毎回ほんとにいろいろな人がやってきます。しかも、おもしろいのが毎回半分以上が「初めて」やってきた人たちなんです。初めて来た人が3-40人いて、その人たち全員が毎月来るようになったら、アートカフェ、パンクしちゃうんですけどねえ。でも、そうはならないところが、自然の摂理(せつり)なんでしょうか。(笑)

さて、仮にサヤをジャズ系(あるいはサンフランシスコ系)、妹尾さんをポップス系(あるいは銀座系)と呼ぶならば(半分ジョークですよ=笑=)、深町ピアノは、オルタナティヴ系という感じです。なんと言っても、すべてが事前の予定なしの即興演奏というところが非常に特殊。今回で37回目を数えるこのライヴで、一体何曲くらい弾かれたのでしょう。一日10曲としても370曲以上の作品が弾かれたわけですが、その中に同じ曲は一曲たりともありません。

今日の場合、1月31日午後8時頃の気分の曲があり、それとはまったく別に9時15分頃の感情の曲があり、それらはその瞬間ですべて変わってきます。

目をつぶって深町ピアノに身を委ねると見えてくるものは何か・・・。例えば、「激」、「美」、「力」、「瞬間」、「恋」、「怒」、「無」・・・などなど。そうした人間生活の中で排出されたり感じたりするものすべてが、グランドピアノから発信されます。

後半、パーカッションのマサさん(massA: masaharu sato)が登場。11月に続いて2度目です。ジャンベイという手持ちもできる中位の太鼓を中心に様々なパーカッションを体中にまとって音をだします。ピアノは88の鍵盤ですが、彼の場合、楽器自体が無限ですね。足元にも鈴をつけて、足を踏み動かすと、文字通り鈴が踏み鳴らされるのです。パーカッションのアイデアが実にユニークです。深町ピアノとのコラボレーションがなかなかおもしろかった。

佐藤正治さんホームページ
http://ok-massa.com/index.html

彼が弾いた後、残った深町さんはおしゃべりをせず(快挙=(笑))、一挙にピアノ演奏をヒートアップ。最後にいつのまにか「春よ、こい」を実にファンキーにプレイしました。ときどきでてくるリチャード・ティー風なフレーズが、ファンキーさを高め、どこかゴスペル調のリズムを刻みます。いつのまにか、観客から手拍子が始まりました。こののりだったら、手拍子もでます。

以前から僕は、ピアノに限らず楽器というものの演奏には必ずそのプレイヤーの人生が如実に反映すると思っていました。それはここ数年特に強く感じるんですね。20代の頃なんかそんなこと夢にも思いませんでした。その人物が何を考え、どのようなものを美しいと感じ、何をもってかっこいいと思うのか。どのような人生を生きてきたか。苦労はあったのか、恵まれた環境で周囲の愛を充分に受けて育ったのか。どの感情がより多く、表にでてくるか。怒りか、愛か、喜びか、憎しみか、嫉妬か、嬉しさか。

音楽を聴く人の中には、その音楽とミュージシャンの関連付けを嫌う人がいることも理解できます。音楽が自分の人生なんか反映してたまるか、というアーティストもいるでしょう。しかしながら、僕は、音楽と言うものは感情がある人間が演奏したり歌うものである以上、そのミュージシャンの生きてきた道と絶対的に関係性があると考えます。これまでにこの日記でも繰り返し、音楽はそのミュージシャンの人間性を如実に反映すると書いてきました。それはそのミュージシャンのバックグラウンドを知らずとも、音を聴けば何かを感じるのです。そしてバックグラウンドを知ったとき、さらに納得できるわけです。

この3日間で、ピアノプレイヤーのプレイにはどれくらいその人の人生が反映するだろうか、ということをひとつのテーマとして見てきたのですが、やはり、相当な部分反映しているだろうなと改めて確信をもちました。ピアノの音色を聴きながら、このプレイヤーはどのようにして今日この地点まで到達することができたのだろうか、などと思いを巡らせていました。ピアノから少なくとも、そのプレイヤーの性格というかキャラクター、個性は充分にでています。

ライヴ後、深町さんに尋ねてみました。「ピアノの演奏は、そのプレイヤーの人生を反映すると思いますか?」 「それはもちろん、するね。特にレヴェルがある一定以上上のミュージシャンになればなるほど、そうだろうね」 なるほど! そうか、そうか。確かに。あるレヴェル以上ならなおさら。さすが。「ということは、深町さんの演奏にも、これまでの深町さんの人生がでてるんですね。怒りとか、美しいものを見て美しいと思うこととか」 「そうだろうね、自然ににじみでてくるんじゃないかな」

この言葉を受けて、今一度深町ピアノを聴いて感じる言葉を反芻(はんすう)してみました。ということは逆説的に言えば、そのミュージシャンの人生なりキャリアを正確に詳細に追っていけば、そのアーティストの音楽を理解する上で、非常に大きな手助けになるということになります。

音楽自体を文字に書き表すことは絶対にできません。しいてできることは、その音楽を比喩(ひゆ)することです。しかしそれも限界があります。しかし、そのミュージシャンのことを詳細に書くことは、取材さえできれば可能です。そしてその人の歩みを知ることによって、その音楽を深く知ることができるのです。

実はこの3日間ピアノ漬けになって、ものすごく刺激を受けました。たくさんのものを受け取った感じがしています。そして、いくつかアイデアが浮かびました。まだ漠然としていて、ここに書けるものではないのですが、これはいつか形にしたいと思っています。3人のピアニストへ、改めて感謝を。ありがとうございます。Thanks for great musicians, thanks for great music and thanks for great moments!

妙なまとめをするのもなんですが、でも、一言こんなことを言っておきたい気分です。

「ピアノは誰の元にも、平等にピアノです。しかし、そのピアノにソウル(魂)を込めるのは、それぞれのピアノ・マン、ピアノ・ウーマンです。そしてそのソウルには、それぞれのピアノ・マン、ピアノ・ウーマンたちのすべてが凝縮されているのです」


(2004年1月31日・土曜=恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Jun, Fukamachi


Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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