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スタイリスティックス 『スタイリスティックス登場』
cover
スタイリスティックス
『スタイリスティックス登場』
原題 『Stylistics』
ビクターエンタテインメント
VICP-61565
1995円

2001年10月24日発売
(オリジナル原盤、71年8月全米発売)
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  今度あなたのCDライブラリーに加わることになった一枚のCD
(アルバム)をご紹介します。

  スタイリスティックスの『スタイリスティックス登場』

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「シティー・オブ・ブラザリー・ラヴ(兄弟愛の街)」から登場し
たスタイリスティックス
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  1971年7月。FEN(アメリカ軍の極東放送局。現在のAF
RTS)のソウル番組で「ストップ・ルック・リッスン」がかかっ
ていた。ちょっと地味ながら、流れるようなメロディーと美しいフ
ァルセットが心地よいいい曲だった。グループ名は、スタイリステ
ィックス。初めて聞く名前だった。

  音楽業界誌やFENのラジオ放送以外ほとんど情報は入ってこな
かっただけに、FENのソウル番組というのは音が聴ける貴重な情
報源だった。

  彼らのアルバムはまだ発売されていなかった。その頃は、まずシ
ングル盤で何枚かヒットを出してから、やっとアルバムがリリース
されるというパターンが一般的だった。とはいうものの、一般の人
間にとってソウルの輸入シングル盤はアルバム以上にもっと入手困
難だったので、僕などはラジオで聴くか、それをせいぜいテープに
録音して聴く位しか楽しむ術がなかった。

  そして、71年8月。スタイリスティックスの待望のデビュー・
アルバムが発売された。シングル2曲を含むアルバムだ。

  それまでに、正確に言うと、シングルのA面2曲とB面2曲を聴
くことができていたが、なぜか最初のシングル「ユー・アー・ビッ
グ・ガール・ナウ」のB面「レット・ザ・ジャンキー・バスト・ザ
・プッシャー」はアルバムに収録されていなかった。ゆえに、アル
バム全9曲中6曲を初めて聴くことになった。

  ここにとろけるようなスイートソウルの作品が収録されていた。
特に、3曲目の「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」、そして、ア
ナログ・アルバムでB面のトップを飾っていた「ユー・アー・エヴ
リシング」などにはノックアウトさせられた。

  これをプロデュースしたのが、トム・ベルという人物で、それま
でに同じくフィラデルフィア出身のデルフォニックスをてがけてい
たことを知る。「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」や「ディ
ドント・アイ・ブロウ・ユア・マインド」でおなじみのデルフォニ
ックスと、そう言われれば、雰囲気が似ている。何よりも、そのヴ
ォーカルがいわゆる裏声(ファルセット)というところがそっくり
だ。

  アルバム発売から2か月後の10月、「ユー・アー・エヴリシン
グ」がシングル・カットされ、ヒット・チャートをかけのぼる。ソ
ウル・チャートで10位を記録するだけでなく、ポップ・チャート
でも9位を記録。彼らにとっては初めてのゴールド・ディスクに輝
く。スタイリスティックスの快進撃が始まった。

  さらにアルバムから「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」が72
年2月にシングル・カットされ、瞬く間に大ヒット。再びポップ部
門でベスト10入り、3位を記録。彼らのソウル・ヴォーカル・グ
ループとしての人気を決定付けた。FENでも頻繁に彼らの曲が流
れるようになった。

  72年5月。六本木のソウル・バー、「ジョージ」。ソウルのシ
ングル盤ばかり80枚が収められているここの名物ジュークボック
スに「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」のシングルは既に入って
いた。確か、あの頃は100円で3−4曲プレイできた。ドラマテ
ィックスの「イン・ザ・レイン」や、マーヴィン・ゲイの「ホワッ
ツ・ゴーイン・オン」などと一緒によくプレイされていた。

  60年代のアーシーなR&Bサウンドと少し違った都会的に洗練
された新しいソウル・ミュージックの足音がカウンターだけのジョ
ージにも響いていた。

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  「やっぱり、ファーストでしょう。ファーストが抜群にいい」
  「いや、僕はセカンドもいいけど。3枚目は、ぎりぎりかねえ」
  「いや、ファースト以外は、だめだよ」

  ソウル・ミュージックのヴォーカル・グループ好きが集まってス
タイリスティックスのアルバムについて話しだすときに、必ずなさ
れる会話がこれだ。スタイリスティックスのアルバムでどれがいい
かといった話になったときに、4枚目以降の作品が話題になること
はほとんどない。これにはいろいろ理由がある。

  スタイリスティックスのファーストとは、この1枚目である。原
題は『スタイリスティックス』というもの。
  実はトム・ベルがプロデュースしているのが、1枚目から3枚目
まで。4枚目以降は、ヒューゴ&ルイージ、ヴァン・マッコイなど
がプロデュースする。そして、4枚目以降は、それまで以上にポッ
プな方向性に進み、いわゆる「ソウルっぽさ」がどんどんと失われ
ていった。ところが、一般的な人気はそれ以降のほうが大きくなっ
ていったのだから、皮肉なものだ。特に、ポップ性を増したことに
よって、イギリスやヨーロッパ、日本でアメリカ以上に人気が沸騰
する。

  ソウル・ファンからすると、1枚目、そしてせいぜいさらに一歩
洗練された感のある2枚目、3枚目までが「許せるアルバム」とい
うことになる。そこで、冒頭のような会話になるのだ。
  音楽ファンなんて勝手なもの。一般的人気と、音楽的評価は別物
だと言ってはばからない。

  僕個人も、スタイリスティックスの全アルバムの中で、やはり、
この1枚目がベスト・アルバムという考えだ。なぜなら、スタイリ
スティックスのソウル・グループとしての魅力のすべてがここに集
約されていると思うからだ。
  「多くのアーティストにとってファースト・アルバムがベスト・
アルバム」という独自の理論は、ここでも証明されている。

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  フィラデルフィアは、アメリカ東部にある一都市である。ニュー
ヨークからフリーウエイを飛ばせば約2時間のところにある。ニッ
クネームを「シティー・オブ・ブラザリー・ラヴ」、つまり「兄弟
愛の街」という。

  アフリカン・アメリカンが多く住む地域に足を踏み入れれば、明
日のスターを夢見る子供たちが、ストリートで踊ったり、歌を歌っ
たり、最近ではラップをしている。

  スタイリスティックスは、そんなフィラデルフィアに生まれた長
い歴史を持つソウル・ヴォーカル・グループである。

  彼らの物語はその前身のモナークスとパーカッションズという二
つのグループから始まる。この両グループは、1965年、それぞ
れ別々に結成され、約3年程地元のクラブなどで活動をしていたが
大きな成功もなく自然解散。お互い、クラブなどで顔を会わせたり
して何とはなく知り合いだったことから、それぞれのグループが集
まり一つのグループを結成することになった。

  モナークスからラッセル・トンプキンス・ジュニア(1951年
3月21日生まれ)、エアリオン・ラヴ(1949年10月8日生
まれ)、ジェームス・スミス(1950年6月16日生まれ)の3
人が、また、パーカッションズからハーブ・マレル(1949年4
月27日生まれ)、ジェームス・ダン(1950年2月4日生まれ
)の2人の計5人が集まり、新しいグループを結成した。そして、
これにスタイリスティックスという名前をつけたのである。

  彼らはこの5人組として歌い始め、バックにスリム・アンド・ザ
・ボーイズというグループを雇い入れ、フィラデルフィア一帯で活
動を始めた。1969年末、バックバンドのメンバー、ロバート・
ダグラスとグループのマネージャー、マーティー・ブライアントが
作った「ユー・アー・ア・ビッグ・ガール」という曲を地元のイン
ディ・レーベル、セブリングでレコーディング。スタリスティック
スとしてレコード・デビューする。もちろん、有名なプロデューサ
ーなどを起用することはできず、自分たちでプロデュースした。こ
れが地元フィラデルフィアでちょっとしたヒットになり、注目した
アヴコ・エンバシー・レコードが全米での発売権を取り70年11
月全米で発売。これは結局、ソウル・チャートで7位まで行くヒッ
トとなり、幸先のよいスタートを切る。

  アヴコで彼らは、フィラデルフィアでめきめき頭角を表し始めた
プロデューサー、トム・ベルの下でアルバムを制作。ラッセルは、
「もちろん、トム・ベルがプロデュースしてくれると聞いて、すご
くうれしかったよ。彼のギャンブル&ハフ・レーベルでの仕事やデ
ルフォニックスのプロデュースぶりを知っていたからね」と言う。
こうして録音されたデビュー作『スタイリスティックス登場』は、
71年8月に全米で発売された。

  ここからは「ユー・アー・ア・ビッグ・ガール・ナウ」に続いて
「ストップ・ルック・アンド・リッスン」(71年5月)、「ユー
・アー・エヴリシング」(71年10月)、「ベッチャ・バイ・ゴ
ーリー・ワウ」(72年3月)、「ピープル・メイク・ザ・ワール
ド・ゴー・ラウンド」(72年6月)と連続5枚のシングル・ヒッ
トが生まれ、スタイリスティックスは一躍ホットなフィラデルフィ
アのグループとして人気を集めるようになった。

  以後は次々とヒットを放つようになった。「ユー・アー・ビッグ
・ガール」から、74年10月の「ヘヴィー・フォール・イン・ラ
ブ」まで、スタイリスティックスのシングルは12曲連続でソウル
・チャートでトップ10入りを果たす。

  この頃、アメリカの音楽業界は、彼らのプロデューサー、トム・
ベルをはじめ、その盟友、ギャンブル&ハフが始めたフィラデルフ
ィア・インターナショナル・レコードが次々とヒットを生みだして
いたこともあり、トム・ベルにもプロデュースの依頼が殺到。そこ
で、4作目のアルバムではトム・ベルが多忙のためプロデュースを
担当することができず、結局、ヒューゴー&ルイージが担当、アレ
ンジにヴァン・マッコイがあたることになった。

  一方日本でも、74年頃からアメリカの影響を受け、いわゆるデ
ィスコティックが大きなブームになりだし、スタイリスティックス
の作品もディスコでプレイされるようになった。スロー・バラード
は、いわゆるチーク・タイムに、そして、ミディアム調の曲は、ダ
ンス・タイムに盛んにプレイされるようになった。

  例えば、73年10月からヒットしたミディアム調の「ロッキン
・ロール・ベイビー」は、踊れるスタイリスティックスの作品のひ
とつだ。

  そして74年、スタイリスティックスの歴史において大きなター
ニング・ポイントとなる作品が発表された。それまでは、スタイリ
スティックスの作品はすべて、ファルセットのリード・シンガー、
ラッセル・トンプキンス・ジュニアが歌っていたが、この曲ではラ
ッセルとエアリオン・ラヴのヴォーカルがデュエットで録音された
のである。それが、「誓い(ユー・メイク・ミー・フィール・ブラ
ン・ニュー)」だった。

  この曲は、74年3月からヒットし、ソウル・チャートで5位、
ポップ・チャートでも2位まで行く大ヒットとなり、新たなスタイ
リスティックスの魅力を生み出したのである。この路線はその後、
75年の「サンキュー・ベイビー」、76年の「ユー・アー・ビュ
ーティフル」などに受け継がれ、スタイリスティックスのもう一つ
のスタイルとして確立していく。

  また、スタイリスティックスは、74年1月の初来日以来、ほぼ
毎年のように来日公演を行ない人気もどんどんと高まっていく。

  特に、75年7月に全米でリリースされた「愛がすべて(キャン
ト・ギヴ・ユー・エニシング)」は、同年秋口から日本でも大ヒッ
トとなり、スタイリスティックス最大のヒットとなった。

  4作目のアルバム『レッツ・プット・イット・オール・トゥゲザ
ー』からは、前述のようにヒューゴー&ルイージがプロデュースを
担当することになり、音楽的には、よりポピュラーな路線になって
いった。それまでのトム・ベルの作品は、やはり、ブラックのスト
リート・ライフに根付いた作品が多かったが、ヒューゴたちの作品
は、もっとシンプルなラヴ・ソングが多くなっていった。

  しかし、77年頃になると、なかなかヒットも思うようにでなく
なり、78年、彼らは心機一転、レーベルをマーキュリーに移籍す
る。ここではプロデューサーをテディー・ランダッツォーに変え、
サウンド的にも、ポップ路線からソウル路線に方向転換したが、一
時期ほどの大ヒットは生まれなかった。

  この頃、オリジナル・メンバーのジェームス・ダンがスタリステ
ィックスを抜け、グループは4人に、さらにその後の87年、ジェ
ームス・スミスも抜け、現在は3人になっている。

  80年、彼らはさらにフィラデルフィアのギャンブル&ハフの持
つフィラデルフィア・インターナショナル・レコードに移籍、ここ
で、旧友トム・ベルとの再会を果たす。ここで生まれたのが、「ハ
リー・アップ・ウエイ・ディス・アゲイン」のヒットだった。

  その後、ストリート・ワイズ(ニュー・エディションを世に送り
出したモーリス・スターがプロデュース)、アムハーストなどのレ
ーベルを転々とし、現在に至っている。

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  97年12月。東京厚生年金会館。久し振りにスタイリスティッ
クスのライヴを見た。74年の初来日以来彼らのライヴを何度見た
か、もはや勘定はできない。主なヒット曲をメドレーも含め、次々
と披露する。「フィラデルフィア・メドレー」と題して、オージェ
イズやスピナーズのヒットも歌う。

  彼らは、元々5人組としてスタートした。70年代後期からメン
バーが1人減り、2人減りで、現在は3人組になっている。彼らの
初期のコーラスやライヴ・パフォーマンスを知るものとしては、3
人組では迫力にかけると感じる。5人でステージ狭しと踊るのと比
べれば、3人ではどう考えても淋しい。テンプテーションズやスプ
リームスは、メンバーを補充して生き延びてきた。

  彼らにメンバーを補充して再び5人組にする考えはないか、と尋
ねた。

  ラッセルが考えることもなく、きっぱりと答えた。
  「まったくないよ」
  幼なじみばかりで始めたチームに全くの新人が入る余地はないの
だろう。

  そこに四半世紀を共に生き、苦労も喜びも分かちあってきたグル
ープとしての絆を感じた。それは、血のつながった親・兄弟以上の
強く厚い絆だ。

  これこそ、「スタイリスティックスのブラザリー・ラヴ(兄弟愛
)」の証明だ。

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  本作は、スタイリスティックスのデビュー・アルバム。原盤番号
は、Avco  33023。71年8月全米発売された。ゴスペラ
ーズのメンバー、村上氏が選んだ5枚のソウル・アルバムのうちの
1枚として再度リリースされた。
  30年を経ても、いまだに輝きの衰えないクラシックの1枚だ。
そして、彼らの兄弟愛の歴史の原点とも言えるアルバムとなってい
る。

  これでこのスタイリスティックスの『スタイリスティックス登場
』のアルバムはもうおしまい。いかがでしたか。このCDがあなた
のCDライブラリーにおいて愛聴盤となることを願って・・・


[September 16,2001: MASAHARU YOSHIOKA]
"AN EARLY BIRD NOTE"          
"LINERNOTES SINCE 1975"       
http://www.soulsearchin.com 

(注)

  スタイリスティックスは、その後メンバーを変えて、活動中。


(2002年9月25日アップ)
    
[September 16,2001: MASAHARU YOSHIOKA]
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