ENT>MUSIC>LINERNOTES>SOLO
ソロ『ソロ』
ソロ <== Go to Amazon.co.jp
ソロ
『ソロ』
ポリドール
POCM-1148
2427 円
1995年12月10日発売

原題 SOLO
オリジナル原盤 PERSPECTIVE/A&M 31454-9017-2. 1995年09月発売
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   今度あなたのCDライブラリーに加わることになった一枚のCD
(アルバム)をご紹介します。

   ソロの『ソロ』

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ソーホーのストリートから始まったもう一つの夢
______________________________


   それにしても、ドラマティックスの名曲「イン・ザ・レイン」を
こんな形でサンプリングするとは。これにはおそれ入った。このC
Dの6曲目に収録されている「エクストラ」という曲である。この
ところ、アイズレイ・ブラザースの作品をスロー系の作品でサンプ
リングしている若手アーティストが非常に多いが、このドラマティ
ックスあたりも、その次に狙える70年代ソウルという感じがする。

   まったくの新人ながら、かなり力を感じさせるヴォーカル・グル
ープの登場である。このところボーイズ・トゥ・メンを皮切りに、
実に数多くの男性ヴォーカル・グループがシーンに現れた。そうし
た多くの若手のグループは「軽い」印象を与えるのに対し、なぜか
このソロと名乗るグループは、あまり「軽さ」を感じさせない。真
面目で、硬派で、しかも、どこかに「重厚さ」を感じさせる。一体
それが、どこから来るものか、筆者もまだその謎が探れないでいる
が、特に注目したいグループである。

   重厚さの理由の一つは、間違いなく、プロデューサー・チーム、
ジミー・ジャムとテリー・ルイスの制作で、彼らのレコード会社、
パースペクティヴから発売されているという事実だろう。さらに、
5曲にも及ぶソウル、R&Bクラシックのカヴァーが、彼らと単な
る若手グループとの間の一線を画している。特に18曲目の「ア・
チェンジ・イズ・ゴナ・カム」におけるリード・シンガーは、近来
まれにみる実力派だ。彼の存在こそが、将来のソロというグループ
の命運を握っているような気にさえなってくる。彼らは、たとえフ
ァッション的には90年代であっても、紛れもなく、オールド・ス
クールのヴォーカル・グループである。

   では、彼らのこれまでの道のりを簡単に紹介しよう。その始まり
は、まさかこんな夢のような話があるか、という感じのドラマ仕立
てである。

   最近、夢のつく話が多いような気がする。ドジャースにはいった
野茂のアメリカン・ドリーム。引退した原選手の「僕には夢の続き
がある」という夢。モータウンに賭けたベリー・ゴーディーの夢。
夢の素晴らしいところは、その夢が次の世代にも受け継がれるとこ
ろだ。そして、ここに同じ様に歌に夢を託した4人の若者がいる。


                          +++++

   カリフォルニア州、ロス・アンジェルス。観光客も多く訪れるハ
リウッド。1990年。

   ユーニック・マック(24=ニューヨーク出身)とダーネル・ス
トークス(24=カリフォルニア州オ−クランド出身)、そしてジ
ェームス・スミス(インディアナ州出身)の3人は明日のスターを
夢見て、ハリウッドのストリートで道行く人のために歌っていた。

   彼らはシンガーになるという夢を漠然と持っていたが、どうすれ
ば、プロのシンガーになれるかはわからなかった。そこで、とりあ
えずストリートで歌い始めた。3人でア・カペラで歌うぶんには、
楽器も要らない。身軽で、いつでも始められ、ポリースが来てもい
つでも終えることが出来た。彼らは暇があれば、ハリウッドのスト
リートに出て、道行く人に歌を聴いてもらい小遣いを稼いでいた。

   だが、カリフォルニアは何といっても車の社会。街を歩くという
習慣がほとんどない。しかもハリウッドのサンセット・ブルヴァー
ドの歩道は、観光客ばかりで、エンタテイメントの業界人などまず
歩いていない。そのような業界人は皆、車で移動するために、スト
リートのミュージシャンに出会うこともない。

   そして、彼らにはもう一つ夢があった。それが「いつかニューヨ
ークのアポロ・シアターで歌いたい」という夢だった。歌を歌う者
にとって、ブラック・ミュージック、ソウル、R&Bの殿堂、アポ
ロ・シアターは、大変なあこがれの的だった。そうしたことをいろ
いろ考えると、彼らはストリート・ミュージシャンをやるならば、
ハリウッドではなく、ニューヨークのような大都会だという結論に
達したのである。

   しかしニューヨークは遠い。飛行機代などとても持っていない。
そこで彼らは意を決して、ヒッチ・ハイクでニューヨークに向かう
ことにしたのである。

   西海岸から東海岸までは、3000マイル(4800キロ)以上
もある。一日十数時間運転しても、3−4日はかかる距離だ。あて
どのないヒッチハイクでゆっくり行けば何日かかるかわからない。

   かつて、開拓時代には、人々は「成功と夢」を求めて、西に向か
った。「ゴー・ウエスト」である。だが、今では、東に住む者が、
西に夢を求めに行くこともあれば、西に住む者が、夢を追って東に
行くこともある。「ゴー・イースト」だ。彼らの場合は、まさに、
その「ゴー・イースト」だった。

   途中小遣いがなくなると、行く先々の街のストリートで歌を歌っ
ては、帽子やダン・ボールの切れ端に入れられるドル紙幣をかき集
めては、その日の食いぶちにし、安ホテルで雨をしのいだ。フェニ
ックス、テキサス、ルイジアナ、フィラデルフィア、彼らが立ち止
って歌を歌った街は数え切れない。そして、彼ら自身さえ、次に停
車地となる街の名前はわからないのだ。そんな流浪の旅すがら、彼
らが信じて疑わなかったことは二つだった。

   自分達の最終目的地は、ニューヨーク、さらにアポロ・シアター
であること。そして3人組の彼らは、歌でキャリアを築いていくと
いう確信である。

   彼ら3人は、このヒッチハイクの旅の間に、自分達の運命的な結
び付きを感じた、という。ある時、2人と1人が食事をした後はぐ
れてしまった。1人はフリーウエイをひたすら東に向かって歩き、
2人は運良くトラック・ドライヴァーを見つけ車中の人になった。
すると、そのドライヴァーが何十マイルも前で、その1人を見かけ
た、というのだ。そのドライヴァーは好意で、来た道を何十マイル
か戻り、彼ら3人は再会を果たしたのである。もし、そのまま生き
別れになっていたら、このグループは、こうしてレコードを出して
いなかっただろう、とメンバーのダニエルは言う。

                       +++++

   彼らのクロス・カントリーの旅は、なんと、一月半かかった。

   やっとの思いでニューヨークにやって来て彼らは、共通の友人で
あるダニエル・ストークス(21=イリノイ州出身)と再会する。
彼は大学生だったが、彼もまた歌手となる夢を持っており、自分の
歌を聴いてもらった。4人は、意気投合。ダニエルのテナー・ヴォ
イスを含めて、彼らは4人組ヴォーカル・グループとして再出発す
ることにした。もちろん楽器などは使わず、4人の声だけ、つまり
ア・カペラで歌った。彼らはニューヨークのストリートや、地下鉄
の駅などで歌い始める。1990年の事だった。

   ハリウッドのストリートと違い、ニューヨークは人々がたくさん
歩いており、歩道で歌えば、誰かしら立ち止まる。マンハッタンに
は、こうしたストリート・ミュージシャンが、アップ・タウン、ダ
ウン・タウンを問わず実に多い。音楽ジャンルも様々だ。そして、
彼らのパフォーマンスがうまく、人通りの多いスポットを確保すれ
ば、かなりの稼ぎになることもある。

   彼ら4人がいつものようにストリートで歌っていると、そこに1
人の男が通りかかった。彼も、成功を求めてニューヨークで必死に
なっていたジャズ・ミュージシャンで、彼はジャズ・クラブ「ブル
ー・ノート」でのちょっとした仕事をしにライヴ・ハウスに向かう
途中だった。それが、ロバート・アンダーソン(34=ニューヨー
ク出身)だった。ロバートは、彼らのことが気に入った。ロバート
は、彼らにア・カペラのコーラスに自分のアップライト・ベースを
加えたらどうかと提案。彼らもそれを了承し、4人のヴォーカルに
ベース奏者というユニークな形態の5人組となった。

   5人とも、決まった仕事もなかったため、毎日のように、ストリ
ートに出ては、道行く人々に向かって歌い続けた。彼らが歌ってい
た曲は、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」、サム・ク
ックの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」や  「キューピッ
ド」、ドリフターズの「アンダー・ザ・ボードウォーク」、あるい
はテンプテーションズ、ジャッキー・ウイルソンの作品など、文字
どおり、ソウル、R&Bのクラシックと呼ばれる作品だった。

   彼らが何曲か歌い始めると、通りすがりのニューヨーカー達も足
を止めて、しばし彼らの歌声に耳を傾け、しばらくすると、何ドル
かの小銭が投げ入れられた。一日に何回か歌い、その稼ぎだけで結
構な額になったので、彼らはこれが言ってみれば「本職」になり、
それだけでなんとか生活が出来るようになった。なんと、最高に稼
ぎがいい日には、メンバーそれぞれが200ドルも持って帰ること
が出来た、という。

   グループ名も、SOLO(ソロ)と決めた。この名前は元々、ダ
ニエルとユーニックが決めた名前で、その頃彼らはそれぞれソロ・
シンガーとして活動していきたい、と思っていたので、これを名前
にしたという。彼らはアパートを借り、食事もして、生活も出来る
ようになった。しかも、彼らは自分達が好きなことをして、稼ぐこ
とが出来たのである。

   ニューヨーク、マンハッタンの南部。ソーホー地区。アーティス
トなどが多く住むことで知られる地域である。そのプリンス・スト
リートとウエスト・ブロードウエイのコーナーが、彼らがお気に入
りの場所だった。

   ある日、ロバートの大きなベースにあわせて、4人がア・カペラ
で歌っていると、1人の男がタクシーで通りかかり、信号待ちの間
にしばしその歌声を聴いた。それから、しばらくして、一組の夫婦
が近くの店に入ってショッピングをしているのが、彼らが歌ってい
るスポットから見えた。

   ダーネルがその2人を目聡く(めざとく)  見つけて仲間に言っ
た。「おい、あれは、テリー・ルイスだぜ。まちがいないぞ」

   ユーニックが言った。「彼らが出てきたら、最高のやつをやろう
じゃないか」

   彼らは、自分達がもっとも得意としている作品群をメドレーにし
て歌い始めた。店から出てきた、テリーとワイフのキャリン・ホワ
イトは、彼らの歌声に耳を奪われ立ち止った。メンバーは、全精力
を傾け、ドゥ・ワップやR&Bのクラシック、オールディーズを歌
った。

   ダニエル・ストークスの滑らかなテナー。ユーニック・マックの
ハスキーな声。ダーネル・チャーヴィスの故デイヴィッド・ラッフ
ィンを思わせる生々しく、荒々しい声。それに、ロバート・アンダ
ーソンのソウルフルなアコースティック・ベースが、控え目にバッ
クを付けた。テリーとキャリンの他にも人垣ができた。結局、彼ら
は45分も、その場に立って彼らの歌声に耳を傾けたのである。

   彼らのパフォーマンスが一段落すると一斉に拍手が巻き起こり、
テリーが、彼らの足下に置かれた薄汚れた帽子の中に、20ドル札
を投げ入れた。それに続いてキャリンも15ドルをいれた。それだ
けではなかった。テリーは彼らにこう声をかけたのである。

   「レコード契約はもうあるのかな。もし、なかったら、君たちは
(契約に)興味があるかい?」

   テリーは彼らに名刺を渡して言った。「月曜日に電話をくれ」

   彼らが喜び勇んだのは言うまでもない。この日は土曜日で、彼ら
は月曜日が待ち切れなかった。

   テリー達が、ホテルに帰ってパートナーのジミー・ジャムと話を
していると、ジミーもその日ソーホーで見かけたストリート・ミュ
ージシャンの話をした。彼も、テリー達が見たそのソーホーの同じ
グループに注目していたのである。

   週が開けて月曜日になると、彼らはなんと朝の6時から、テリー
らのオフィースに電話をした、という。どれだけ、彼らの心がはや
っていたかがよくわかる。

   彼らがデモ・テープを送ると、2週間後、ミネアポリスまでの飛
行機チケットが送られてきた。

   この瞬間彼らの果てしない夢の第一歩が記されることになった。
1993年5月のことだった。

			    +++++


   ミネソタ州ミネアポリス。ソーホーでの衝撃的な出会いからまも
なく、彼らはスーパー・プロデューサー、ジャム・アンド・ルイス
のスタジオにやって来て、デモ・テープを録音していた。そして、
その出来がよく、彼らはジャム・アンド・ルイスの持つパースペク
ティヴ・レコードと契約することになり、デビュー・アルバムを制
作することになった。

   だが、そんな話が進み始めた94年9月。彼らにまったく予期せ
ぬ悲劇が訪れる。ジェームス・スミスが、ちょっとした事で殺され
てしまったのだ。レコード契約をものにしながら、メンバーの1人
を失った彼らの失意の大きさははかりしれなかった。

   4人組となってしまった彼らは、ジェームスを失った悲しみを乗
り越え、その気持ちをレコーディングにぶつけた。

   ジャム・アンド・ルイスのジャネットやマイケル・ジャクソンな
どのプロジェクトの合間をぬって、彼らはニューヨークからミネア
ポリスに通い、曲作りやレコーディングをした。オリジナル曲を、
ジャム・アンド・ルイス達と作り、オールディーズをカヴァーした
りして、やっと出来上がったのがこのデビュー・アルバムである。

   ジミー・ジャムが言う。「これは、僕たちがレーベルを設立して
最初のプロジェクト、サウンズ・オブ・ブラックネスを手がけて以
来(1991年)、もっとも直接手をかけ、力を入れたプロジェク
トだ。彼らの音楽を市場に出すためには、多くのことをしなければ
ならないことはわかっているが、いわゆるくちコミが彼らをブレイ
クさせるカギになるだろう、と思っている」

   彼らの音楽的コンセプトは、彼らのキャッチ・フレーズ、そのも
のずばりである。つまり「ニュー・クラシック・ソウル」、すなわ
ち新しいクラシック・ソウルだ。60年代から70年代にかけての
ソウルの全盛時を思わせる作品群である。各々が個性ある違ったタ
イプの声質を持ち、しっかりとしたヴォーカル・ハーモニーを作り
だす。

   テリー・ルイスが付け加える。  「ソロは、音楽的にとても重要
だ。というのは、彼らは忘れられていた時代の音楽をよみがえらせ
ているからだ。僕たちはいつもR&Bやブラック・ミュージック、
ヒップ・ホップ、ラップなんかの話をしている。だが、僕は自分達
がブラック・ピープルを代表する音楽として、一つだけ忘れている
ものがあるのではないかと感じるんだ。それがソウルだ。2000
年に向かって、僕たちはますますソウルが必要になると思う」

   グループ、ソロが持つ「重厚さ」。それは、テリーが言う「ソウ
ル」を、彼らメンバーが表面的にではなく体で実感して知っている
からかもしれない。

   彼らはこのアルバムを、その成功を見ることなくこの世を去った
ジェームス・スミスに捧げている。そして、大きな感謝を彼らを西
海岸から東海岸まで乗せてくれた多くのトラック・ドライヴァーに
も記している。

                          +++++

   ソーホーで歌っていた数年間、彼らにはちょっとしたファンも付
いていた。レコード契約が取れても、彼らはしばらく、いつものス
ポットで道行くニューヨーカー相手に歌っていた。そんな彼らは、
ソロがレコード契約を結んだことが、信じられないといった表情を
見せる。ジャム・アンド・ルイスとの出会いから1年程して、彼ら
はベイビーフェイスとも会う。彼もストリートで歌っていた彼らを
見かけ、声をかけてきた。彼らが既にジャム・アンド・ルイスと契
約した、というと、「それはいいところと契約した」と言ってくれ
た。

   ストークスが言う。「1人ジャスティンという子供がいてね。彼
は毎週末、母親に連れられて、オレ達を見に来ていた。彼は、ロバ
ートのベースに夢中だったんだ。正確に言えば、ベースを見に来て
いたようなものだ」

   果たして20年後、1人のミュージシャンがシーンに登場して、
インタヴューに答えて、こんな事を言っているかもしれない。

   「僕が子供の頃、母親に連れられて毎週末ソーホーのストリート
・ミュージシャンを見に行っていた。そのベース奏者がすごくかっこ
よくて、あこがれていた。彼のようになりたくて、僕はベースを弾
くようになったんだ」

   ミュージシャンもまた、夢を与える仕事だ。ストリート・ミュー
ジシャンのロバートも、その少年に夢を与えた。だが、ソロの夢は
まだまだ果てしなく続く。全米ナンバー・ワン・ヒット、ミリオン
・セラー、グラミー賞。ハリウッドを旅立つ時の夢だったアポロの
ステージは、既にプロモーションのためのショウケースで立つこと
ができた。レコーディング契約を取り、シングルがヒットし、夢の
続きが、少しずつ実現していく。

   夢の素晴らしいところは、夢にも続きがあるということである。


■アルバム紹介

   本作は、ソロのデビュー・アルバム。全米では、95年9月の発
売。原盤番号は、PERSPECTIVE/A&M  31454−
9017−2。
   シングル「ヘヴン」が、一足先に発売され、R&Bチャートで7
位を記録、ポップで44位を記録した。
   CDトラック数は18。5曲程ソウル・クラシックが、短く収録
されている。
   まず、目を引くのが4曲のサム・クックのカヴァー。[1]、[
4]、[9]、[18]がサムの作品。また、[13]はドリフタ
ーズの作品。どれも名曲として、多くの人に親しまれている作品群
である。ちなみに、オリジナルのヒット時期は順に、[1]から、
60年6月からヒット。R&B2位、ポップ12位。[4]が61
年6月、R&B20位、ポップ17位。[9]が63年5月、R&
B1位、ポップ10位、[18]が65年1月、R&B9位、ポッ
プ31位を記録した。また、[13]はドリフターズの64年6月
からのヒット。ポップで4位を記録した大ヒット。また、[6]で
サンプリングしているドラマティックスの「イン・ザ・レイン」は
72年2月からの大ヒット。ソウルで1位、ポップで5位を記録。
この曲のリードをとっているのは、ダニエル・ストークス。この他
にも、「アイ・ゲット・リフテッド」(=KC&サンシャイン・バ
ンド、75年のデビュー作に収録)、「アイ・ノウ・ユー・ガット
・ソウル」(=−ボビー・バ−ド、71年)、「ザ・メイキングス
・オブ・ユー」(=カーティス・メイフィールド、70年のソロ第
1弾『カーティス』に収録)、「ファンキー・サング」(=バーケ
イズ)などがサンプリングされている。
   60年代のカヴァーが多いが、全体的なサウンドは、70年代ソ
ウルの香りが漂う。例えば、[10]はマーヴィン・ゲイの「レッ
ツ・ゲット・イット・オン」、「イン・ベッド」はジャーメイン・
ジャクソンの「ダディーズ・ホーム」(元々は、シェップ・アンド
・ザ・ライムライツのヒットのカヴァー)、最初のシングルとして
ヒット中の[5]「ヘヴン」は、ラスカルズの「グルーヴィン」な
どを思わせる。
   やはり、バラード系が聴かせ[7][8]など次のシングルとし
てヒットしそう。[8]のリードをとっているのは、ダーネル・チ
ャーヴィス。
   ところで、サムの大ヒット[18]だが、この曲が3分47秒あ
たりでフェイド・アウトした後も、CDのタイミングが進む。そし
て、約1分半後、ファンキーな曲が突然始まる。いわゆるシ−クレ
ット・トラックだ。これは、「ソロ・ストラット」というタイトル
の作品。お聴きのがしなく。
   個人的には、[18]が最高に気に入った。この曲のカヴァーの
中では出色の出来だ。このリードは、ユニーク・マックである。
   また、プロデューサーのアレックス・リッチバウは、メアリー・
J・ブライジ、ペブルス、ソウル・フォー・リアルなどをてがけた
プロデューサー。マッキンレイ・ホートンはジャム・アンド・ルイ
スのフライトタイム・プロダクションのスタッフ・ライター。彼と
一緒にプロデュースしているカイリー・アブドゥールは、モータウ
ンのボーイズのメンバー。キャラクターズことトロイ・テイラーと
チャールズ・ファラーは、ボーイズ・トゥ・メン、ブラウンストー
ンなどを手がけたプロデューサー。また、ジョセフ・パウエルは、
ニューヨーク出身の新人のプロデューサーである。


   これでこのソロの『ソロ』のアルバムはもうおしまい。いかがで
したか。このCDがあなたのCDライブラリーにおいて愛聴盤とな
ることを願って・・・

[OCTOBER 11、 1995: MASAHARU YOSHIOKA]
"AN EARLY BIRD NOTE"
"LINERNOTES SINCE 1975"


【SPECIAL THANKS TO DANIEL STOKES FOR INFORMATION 】

---------------------------------------------------------
曲目

1   ワンダフル・ワールド
2   バック・ツー・ザ・ストリート
3   ブローイン・マイ・マインド
4   キューピットよあの娘を狙え
5   ヘブン
6   エクストラ
7   イッツ・ア・シェイム
8   ヒーズ・ノット・グッド・イナフ
9   チャ・チャ・チャはお好き
10   ホエア・ドゥ・ユー・ウォント
11   キープ・イット・ライト・ヒア
12   アイフ・ソーリー
13   渚のボードウォーク
14   イン・ベッド
15   ライク・ネバー・ビフォー
16   プリンス・ストリート
17   ホールディン・オン
18   チェンジ・イズ・ゴナ・カム

発売元: ポリドール
発売日: 1995/12/10
盤種: CDアルバム
レコードNo: POCM-1148
モード: ステレオ
税抜価格: 2427円
アーティスト: ソロ



  (2002年10月24日アップ)
    
[OCTOBER 11、 1995: MASAHARU YOSHIOKA]
|Return|