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サウンド・オブ・サルソウル〜ザ・ベスト・オブ・ザ・サルソウル・オーケストラ
cover
サルソウル・オーケストラ
『サウンド・オブ・サルソウル〜ザ・ベスト・オブ・ザ・サルソウ ル・オーケストラ』
東芝EMI
TOCP−64312−3 (2枚組CD)
定価 3150円(税込み)
2003年2月26日発売

原題 : "Sound Of Salsoul" The Best Of The Salsoul Orchestra
原盤番号 : 日本編集
アーティスト : Salsoul Orchestra
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   今度あなたのCDライブラリーに加わることになった一枚のCD
(アルバム)をご紹介します。

   ザ・サルソウル・オーケストラの『サウンド・オブ・サルソウル
〜ザ・ベスト・オブ・ザ・サルソウル・オーケストラ』

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ヴィンス・モンタナ&サルソウル・オーケストラ・ストーリー
______________________________


   階段。

   「やれやれ」  ヴィンス・モンタナは、その階段を重いヴァイブ
(鉄琴)を持って上がっていた。その日も、いつものスタジオ・セ
ッションの仕事が入っていた。プロデューサーのギャングル&ハフ
や、ボビー・マーティン、ロン・カーシー、ノーマン・ハリスら、
レコードをここで作る連中はみなヴァイブ奏者としてヴィンスを指
定してきた。

   古いビルにあるシグマ・サウンド・スタジオは、エレヴェーター
がなかったので、スタジオのある2階まで、誰もが楽器を運び上げ
なければならなかった。ギターやベース奏者はよかったが、ドラマ
ーやパーカッション奏者、ヴィンスのようなヴァイブ奏者は、毎回
一苦労だった。

   ヴィンスが振り返る。「シグマは、古いビルでとても天井が高か
った。だから、2階まで行くのもけっこう大変だったよ」

   ヴィンスが、このシグマに出入りするようになったのは60年代
後期のこと。それ以来、今日まで、何千回この階段を上り降りした
だろうか。

   ヴィンス・モンタナ、フィラデルフィアの音楽シーンでもっとも
売れっ子となったヴァイブ奏者、アレンジャー、プロデューサーで
ある。このアルバム、サルソウル・オーケストラの生みの親でもあ
る。

                       〜〜〜〜〜

   セッション。

   ヴィンス・モンタナ・ジュニアは、1928年2月12日、アメ
リカ・ペンシルヴェニア州フィラデルフィアで生まれた。両親は、
1900年イタリアからフィラデルフィアに移住してきた。言って
みれば、もうひとつの「レジェンド・オブ・1900」(映画「海
の上のピアニスト」の原題)というわけである。姉ふたりの下、彼
は幼少の頃から音楽に目覚め、16歳になるまでに地元のダンス・
クラブで演奏するようになっていた。

   最初はドラムだったが、まもなく、ヴァイヴ(鉄琴)とパーカッ
ション(打楽器)をプレイするようになった。50年代初期には、
ジャズ・クラブなどでチャーリー・パーカー、サラ・ヴォーン、ス
タン・ゲッツ、クリフォード・ブラウン、レッド・ガーランドなど
そうそうたるジャズ・ミュージシャンと共演するようになる。フィ
ラデルフィアだけにとどまらず、ラスヴェガスなどにも進出、数年
を過ごした。

   ラスヴェガスからフィラデルフィアに戻った彼は自分のバンドを
結成。ほぼ時期を同じくして、フィラデルフィアのインディ・レー
ベル、キャメオ/パークウェイ・レーベルのスタジオ・ミュージシ
ャンとしての仕事も始めるようになった。

   彼がレコーディングに参加した作品でもっとも古い作品は195
9年のフランキー・アヴァロンのヒット「ヴィーナス」である。そ
の後、彼が参加したアーティストには、チャビー・チェッカー、ボ
ビー・ライデル、フランキー・アヴァロンなど多数いる。ヒット曲
も、ソウル・サヴァイヴァーズの「エキスプレスウエイ・トゥ・ユ
ア・ハート」(67年のヒット、ソウルで3位、ポップで4位)、
クリフ・ノーブルズの「ザ・ホース」(68年のヒット、ソウル、
ポップ共に2位)、デルフォニックスの「ララ・ミーンズ・アイ・
ラヴ・ユー」(68年のヒット、ソウル2位、ポップ4位)など多
数。もちろん、当時はレコーディング・セッションに参加しても、
アルバムのジャケットにミュージシャン名がクレジットされること
はなかった。60年代のことである。

   1968年8月、フィラデルフィアにシグマ・サウンド・スタジ
オがオープン。当地のプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオ
ン・ハフ、トム・ベルなどがこぞってこのスタジオを使うようにな
り、ヴィンスも彼らのセッションにひんぱんに呼ばれるようになっ
た。

                       〜〜〜〜〜

   「なあ、ヴィンス」  シグマのオウナーであるジョー・タルシア
が尋ねた。「誰か大工仕事ができる奴は知らんかね」

   「大工仕事?  それなら、オレができるよ。やってやるよ」

   大工仕事が好きだったヴィンスは、空いた時間にシグマ・スタジ
オのいろいろな内装の大工仕事を手伝った。当時ジョーは資金を、
スタジオの機材に全面的に投入していたために、内装などができな
かったのである。

   そして、内装の大工仕事が終わってヴィンスは冗談ぽく訊いた。
「じゃあ、どうやって支払ってもろうか」

   するとジョーは顔色一つ変えずにこう言い放った。「スタジオ代
でいいかな。選んでくれよ。  24チャンネルのスタジオを1時間
か、モノラル・スタジオを24時間。さあ、どっちがいい?」  ふ
たりは爆笑した。ヴィンスは振り返る。「ジョーは、人物だよ、ま
さしく(笑)」

                           〜〜〜〜〜

   ブーム。

   70年代に入ると、フィラデルフィア・サウンドが世界的なブー
ムになりだす。フィラデルフィアから登場したデルフォニックス、
スタイリスティックス、ブルー・マジック、ハロルド・メルヴィン
&ブルー・ノーツ、MFSBあるいは当地で録音したスピナーズ、
エディー・ケンドリックスなどが次々とヒットを放ち、ヴィンスも
多忙をきわめるようになった。

   ヴィンスが振り返る。「ウィルソン・ピケットのセッションはす
ごかった。彼の声、動きすべてだ。彼が『エンジン、エンジン、ナ
ンバー・ナイン!』って歌う時、ドスンドスンと足をものすごい勢
いで踏み鳴らすんだ。だから、その振動が階下まで伝わってくるん
だよ。あの頃、ジョーは、全部のフロアを防音用に加工していなか
ったからね」

   こうしたセッションの中で、MFSBとは、フィラデルフィアの
スタジオ・ミュージシャンが集合したオーケストラで、もちろん、
ヴィンスもヴァイブを演奏するという点でオーケストラ内で重要な
ポジションにいた。

   ヴィンスが参加したアルバムの中からゴールド・ディスクになっ
たものも、軽く50枚は数えた。


   サルソウル。

   1974年、友人のジョー・バターンが、彼が所属する新興のレ
ーベル、サルソウル・レコードを始めたキャリー兄弟を紹介してく
れる。ヴィンスは、このときに、キャリー兄弟に、フル・オーケス
トラによるディスコ・アルバムの企画を提案する。キャリー兄弟は
この提案にのり、ヴィンスに一枚の小切手を手渡し、まずは3曲ほ
どレコーディングしてくるように指示する。

   ヴィンスが自宅に戻って封筒に入っていた小切手を取り出して見
ると、そこには「1万ドル」と書かれていてヴィンスを驚かせた。
彼はそれまでに、そんな大金を一度も見たことがなかったのだ。

   ヴィンスは、この資金を元手に3曲をレコーディング。それが、
「サルソウル・ハッスル」、「ナイス・ヴァイブス」、そして、「
ダンス・ア・リトル・クローサー」であった。(「ナイス・・・」
は発表されず、「ダンス・・・」はチャロの歌でレコーディングさ
れる)

   キャリー兄弟はその出来をすっかり気に入り、アルバム制作にゴ
ーサインを出し、フルアルバムの制作にはいった。こうして完成し
たのが、サルソウル・オーケストラのデビュー・アルバムだった。

   アルバムにさきがけて、サルソウル・オーケストラとしての7イ
ンチのシングル第一弾「サルソウル・ハッスル」は、75年8月サ
ルソウル・レコードから発売された。またたくまに、ニューヨーク
をはじめとするディスコでブレイク。ディスコはもとより、ソウル
・ラジオでもブレイクし、ソウル・チャートで最高位44位、ポッ
プで76位を記録した。

   さらに、当時、ディスコ・ミュージック業界では、古いスタンダ
ードをディスコのリズムで録音することが流行り始めていたが、ヴ
ィンスもそうしたスタンダードを録音することにした。それが、「
タンジェリン」という曲である。これは、1942年、映画『フリ
ーツ・イン』に使われ、ジミー・ドーシーでポップ・チャートで1
位になった曲。このスタンダード曲を、ヴィンスは、完璧なフィラ
デルフィア・ディスコに変身させた。

   以後、彼はコンスタントにサルソウル・オーケストラとしてのア
ルバムを発表。ダンサブルなオーケストラとしてトップの座を獲得
する。

                         〜〜〜〜〜

   サルソウル・オーケストラとしてのアルバムは次の通り。

SALSOUL LABEL

01  5501  SALSOUL ORCHESTRA (75/11)
02  5502  NICE 'N' NAASTY  (76/09)
03  5507  CHRISTMAS JOLLIES (76/10)
04  5515  MAGIC JOURNEY (77/05)
05  5519  CUCHI-CUCHI (CHARO & SALSOUL ORCHESTRA)(77/11)
06  8500  UP THE YELLOW BRICK ROAD  (78/03)
07  8505  SATURDAY NIGHT DISCO PARTY    (78/6)
08  8506  HOW DEEP IS YOUR LOVE (As SALSOUL STRINGS) (78/7)
09  8508  GREATEST DISCO HITS(78/7)
10  8516  STREET SENCE (79/04)
11  8528  HOW HIGH      (79/10)
12  8547  CHRISTMAS JOLLIES II(81/9)
13  8552  HEAT IT UP(82/6)

   サルソウル・オーケストラとしてのアルバムは上記11枚(5と
8は除く)。5はチャロ名義、8の名義はサルソウル・ストリング
スとなっているが、共に実質的にはサルソウル・オーケストラと考
えて差し支えない。

   12インチ・シングルは次の通り。最初の2枚はプロモーション
用のみで発表された。3枚目の「ナイスン・ナスティー」以降の1
2インチは一般発売されるようになった。また、プロモ用と一般発
売されたもののカップリングが違うこともある。

12 inch singles

SALSOUL

12D 2002  SALSOUL HUSTLE (1975/8)
12D 2004  TANGERINE / CHICAGO BUS STOP(1975/12)
12D 2011  NICE 'N NAASTY / SALSOUL 3001 (1976/7)
           NICE 'N NAASTY / YOU AIN'T GOT NO MONEY (1976/7)
12D 2015  LITTLE DRUMMER BOY  (1976)
12D 2016  IT DON'T HAVE TO BE FUNKY (TO BE A GROOVE)
            / MY LOVE IS FREE (DOUBLE EXPOSURE)(1976)
12D 2017  SALSOUL 3001 / STANDING AND WAITING ON LOVE (1976)
12D 2018  RITZY MAMBO / SALSOUL 3001(1976)
12D 2028  MAGIC BIRD OF FIRE / GETAWAY
12D 2028  MAGIC BIRD OF FIRE / STRANGER       (1977/4)
12D 2037  SHORT SHORTS / IT'S A NEW DAY (1977)
12D 2045  RUNAWAY (LOLEATTA HOLLOWAY & SALSOUL ORCH)(1977)
12D 2048  DANCE A LITTLE BIT CLOSER/CUCHI-CUCHI
            (CHARO & THE SALSOUL ORCH)(1977)
12D 2052  MERRY CHRISTMAS ALL (1977)
12D 2053  CHRISTMAS MEDLEY/EYE CONTACT PART 2 (1977/10)
12D 2061  WESTSIDE STORY (MEDLEY) / ALL OF MY LOVIN' (INST)
           (1978/02)
12D 2064  WESTSIDE ENCOUNTER/EVERGREEN 1978)
SG 214    SOMEBODY TO LOVE / JINGO BREAKDOWN (1979/3)
SG 305    HOW HIGH/MY NUMBERS UP
           (SALSOUL ORCH FEATURING COGNAC)(1979/8)
SG 326    WESTSIDE STORY (MEDLEY)/DO IT TIL YOU'RE SATISFIED
           (1980/4)
SG 358    DECK THE HALLS / SHOW ME THE WAY (1981)
SG 368    TAKE SOME TIME OUT (FOR LOVE) / NOT GUILTY
           (BY REASON OF...)(1982/5)
SG 372    TAKE SOME TIME OUT (FOR LOVE)(REMIX) /
           JUST BECAUSE YOU'LL BE...(1982/6)
SG 376    SECONDS (SALSOUL ORCH FEATURING LOLEATTA HOLLOWAY)
           (1982/8)
SG 384    CHRISTMAS MEDLEY / THE HUNTER (VOCAL; SCRATCH)
           (1982/11)
SG 391    OOH, I LOVE IT (LOVE BREAK)/LOVE SENSATION
           (ACAPPELLA)(1983/1)

                       〜〜〜〜〜

   移籍。

   ときによって編成が若干変わることもあるが、サルソウル・オー
ケストラは18人のヴァイオリン奏者、4本のチェロ、さらにホー
ンセクションにリズム隊。  総勢40人を越す大オーケストラであ
る。76年以降、サルソウル・オーケストラとしては、10回程度
のライヴを行なった、とヴィンスは言う。

   サルソウル・オーケストラは、ディスコを狙ったダンス・ビート
と華麗なオーケストラで、当時のディスコでかなりのヘヴィー・プ
レイを獲得した。ビルボード誌主催のディスコ・フォーラムにおけ
るフル・オーケストラのパフォーマンスなども見せた。彼のオーケ
ストラは、ビルボード誌選出の「トップ・ディスコ・オーケストラ
・オブ・ジ・イヤー」賞を1975年から77年まで3年連続で獲
得。

   そして、この人気に注目したメジャーのアトランティック・レコ
ードは、  ヴィンスとプロデューサーおよびアーティスト契約を結
ぶ。1978年のことである。

   ヴィンスは、アトランティックで、モンタナとしてアルバム『ダ
ンス・ファンタジー』、さらに『アイ・ラヴ・ミュージック』、グ
ッディー・グッディー名義で『グッディー・グッディー』の3枚の
アルバムを発表。ヒットは続く。グッディー・グッディーのアルバ
ムからは、「ナンバー・ワン・DJ」が大ヒット。この曲でリード
を歌っているのは、ヴィンスの娘であるデニース・モンタナだ。

   一方、アトランティックに移籍したことによってサルソウル・オ
ーケストラのリーダーがいなくなり、変わって、既にサルソウルで
多数の作品をリミックスしてきたトム・モウルトンがプロデュース
することになった。

   こうしてでき上がったのが、通算8作目の『ストリート・センス
』である。それまでのヴィンスが作りあげたサルソウル・オーケス
トラのサウンドから一味違ったサウンドになった。サルソウル・オ
ーケストラの名前は、サルソウル社が持っていたので、ヴィンスは
その名前を使うことはできなかった。そこで、アトランティックに
移籍してからは、「モンタナ」名義、あるいは、グッディー・グッ
ディー名義でアルバムを発表することになったのである。

                       〜〜〜〜〜

MONTANA ALBUM

   アトランティックに移籍して、ヴィンスが発表したアルバムは次
の通り。

01 ATLANTIC SD 19168   A DANCE FANTASY INSPIRED BY CLOSE EN
             COUNTERS OF THE THIRD KIND (AS MONTANA)(1978/3)
02 ATLANTIC SD 19215   I LOVE MUSIC (AS MONTANA) (1978/10)
03 ATLANTIC SD 19197   GOODY GOODY (AS GOODY GOODY)1978/10)


   その後ヴィンスは、オーケストラ活動を休止、  スタジオ・ミュ
ージシャンとしての仕事やライヴの仕事を中心に活動するようにな
る。

   1981年、ヴィンスは自身でフィリー・サウンド・ワークス・
レコードを設立。自身の作品はここから発売するようになる。ここ
から発表された作品は次の通り。

PHILLY SOUND WORKS  ALBUMS

01  PSW-12481  PHILLY SOCIETY / PHILLY MEDLEY (1981)
02  PSW-10482  MONTANA SEXTET / HEAVY VIBES (1982)
     CD 006     VARIOUS / PHILLY EAR KANDY
03  CD 007     VINCE MONTANA JR. / THIS ONE'S FOR YOU
04             MONTANA  ORCHESTRA / HEAVY VIBES
                VARIOUS / PHILLY CLASSICS FEATURING
                DENISE MONTANA

12 INCH SINGLES

PSW-12-777  MONTANA SEXTET / WHO NEEDS ENEMIES WITH FRIENDS
                LIKE YOU? (1983)
PSW-12-782  MONTANA ORCHESTRA / SOUTH SOUL PARTY MIX (1987)
PSW-12-783  MONTANA SEXTET / SOME KIND OF WONDERFUL (1988)
PSW-12-784  DENISE MONTANA / IT LOOKS LIKE LOVE
PSW-12-785  DENISE MONTANA / ESTO PARESE AMOR
PSW-12-778  TRAMMPS / WHAT HAPPENED TO THE MUSIC (1983)
PSW 2001    MONTANA ORCHESTRA FEATURING DENISE MONTANA
             VOCALS  /1. IT LOOKS LIKE LOVE (RADIO EDIT) /2.
             THE LOOK THAT'S LOVE (FEELS GOOD)
             (PROGRESSIVE MIX)  /3. MMM YEAH (DOMINATED DUB)
             /4. IT LOOKS LIKE LOVE (GROOVE LOUNGE HOUSE MIX)
PSW 2002    MONTANA ORCHESTRA / 1. I'M STILL THE BEAT (RADIO
             EDIT VOCAL) / 2. THE BEST VIBES AROUND (VIBE
             SOLO VMJ) / 3.BONNIE'S LOUNGE SAX (SAX SOLO
             FEATURING JOHN BONNIE)/ 4. JERSEY PARTY GRIND
             (1999)

                         〜〜〜〜〜

   化学反応。

   ヴィンス・モンタナは、99年11月、プロモーションのために
来日。そのときに話を聞くことができた。この原稿は、そのインタ
ヴューを元に構成している。

   彼には現在3人の子供がいる。ヴィンセント3世、アイリーン、
そして、デニースである。このデニースは、ヴィンスのアルバムで
も歌っているシンガーである。

   サルソウル・オーケストラ時代の成功を彼はこう分析する。
   「つまり、化学反応が起こった、ということだろうね。タイミン
グよく、ぴったりの場所にみんなが集まった、ということだ。強烈
なリズム・セクション、そして、オーケストラのアレンジ。僕たち
全員がそのケミストリーの一部だったんだろう。チームワークがそ
のときに、完璧だったんだ。何か一つが欠けてもだめなんだろうね
」

   そうしたフィラデルフィア・サウンドを作った人々は、今どうし
ているのだろうか。ヴィンスによれば、こうだ。

   ノーマン・ハリス、ロニー・ベイカーは死去。コーラス・グルー
プ「スイートハーツ・オブ・シグマ」のひとり、バーバラ・イング
ラムも数年前に死去、ラリー・ワシントンも1999年に死去。ア
ール・ヤングは、とりあえずがんばっている。チャールズ・コリン
ズは、テキサスで元気。ロン・カーシーは一度心臓発作で倒れたが
持ち直した。ボビー・イーライは、母親と妻を亡くしたが、彼自身
は元気だ。そして、ヴィンスも99年、インタヴュー時に、71歳
であったにもかかわらず、まったく元気はつらつであった。

   ヴィンスは、今でもプロデューサーからの呼びだしがあれば、ヴ
ァイブを持ってシグマ・スタジオに出向く。さすがに、ヴァイブ自
体は、若い者に階上にあげてもらうが、スタジオの中に入ってしま
えば、すべきことは30年以上前と同じだ。そして、オフィースに
シグマのオウナー、ジョー・タルシアがいれば、コーヒーでも飲み
ながら、しばし昔話に花を咲かせる。ヴィンス、ジョー、ギャンブ
ル&ハフ、その他数多くのアンサング・ヒーローたちによって作ら
れたフィラデルフィア・サウンドの歴史。212ノース・トゥエル
ヴス・ストリートにあるシグマ・サウンド・スタジオのビルは、あ
らゆるフィラデルフィア・サウンドの歴史の目撃者となっているの
だ。

                       〜〜〜〜〜


■曲目紹介

   本CDでは、これまで海外のサルソウルのCDには収録されてい
なかったシングル・ヴァージョンを収録している点が大きな特長。
7インチは13ヴァージョンにおよぶ。ラジオ・フレンドリーな編
集と言えるだろう。

01. NICE 'N' NAASTY

   76年8月からヒット。ディスコ・チャートで最高位3位。アル
バムは、上記リスト2から。(以下同じ)

02. HOW HIGH

   79年9月からヒット。ディスコで最高位21位。コニャックと
いうシンガーをリードに起用。イヴリン・シャンペーン・キングの
「シェーム」によく似た曲。この曲自体、スティーヴ・オドンネル
とコリン・ジェニングスというふたりがエレクトリック・レコード
というマイナーで録音していたものをサルソウルが買い上げて発売
した。アルバムは11。

03. MAGIC BIRD OF FIRE

   77年5月からヒット。ディスコで最高位3位。アルバムは4。

04. RUNAWAY

   77年11月からヒット。ソウルで最高位84位。ロリータ・ハ
ロウエイのヴォーカルをフィーチャーした作品。後にニューヨリカ
ン・ソウルがリメイクし97年5月からヒット、  ブラックで77
位。ロリータのクラブ・ヒットとしては、現在までもっとも知られ
る一曲。アルバムは4。

05. TANGERINE

   75年11月からアルバム・オールカットでヒット。11月29
日付けディスコ・チャート(ダウンステア・レコードのセールス)
で1位。シングルとしては、76年1月からヒット、ソウルで36
位、ポップで18位。サルソウル・オーケストラのものとしては最
大のヒット曲。曲自体は1942年ジミー・ドーシーのポップ・ナ
ンバー・ワン・ヒットのカヴァー。アルバムは1。

06. SALSOUL HUSTLE

   サルソウル・オーケストラの記念すべきデビュー・ヒット。75
年8月からヒット。ディスコ・チャート(ダウンステア・レコード
のセールス)では、8月30日付けで1位。9月からソウル・チャ
ート入り。ソウルで44位、ポップでも76位を記録。アルバムは
1。

07. DANCE A LITTLE BIT CLOSER

   ヴィンスが最初に録音したデモ曲のうちの一曲。結局彼がプロデ
ュースをてがけたチャロというシンガーに歌わせて日の目を見るこ
とになった。これは、チャロ&サルソウル・オーケストラとして発
売。77年12月からヒット。ディスコで最高位18位。アルバム
は5。

08. 212 NORTH 12TH

   ヴィンスが離れトム・モウルトンがプロデュースしたアルバムか
ら。ディスコ・チャートにはアルバム・オール・カットで79年4
月から入り、最高位40位を記録。このタイトルは、すでにおわか
りの通りシグマ・スタジオがある住所である。サルソウル・オーケ
ストラの出発点でもある。アルバムは10。
09. GETAWAY

   元々アース・ウインド&ファイアーが76年に放ったソウル・ナ
ンバー・ワン・ヒットのカヴァー。アルバムは4。

10. NIGHT FEVER

   元々ビージーズが78年2月から放ったヒットで全米ナンバー・
ワン。映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の挿入歌のカヴァ
ー。アルバムは7。

11. TAKE SOME TIME OUT (FOR LOVE)

   82年5月にリリースされたシングル。フィーチャーされている
のは、ロリータと並んでクラブなどで人気の高いシンガー、ジョス
リン・ブラウン。82年6月からソウル・チャート入り。最高位5
2位を記録。

12. SECONDS

   82年8月にリリースされたシングル。これはロリータ・ハロウ
エイをフィーチャー。

13. YOU'RE JUST THE RIGHT SIZE

   3枚目のシングルとなった作品。76年5月からヒット。ソウル
で76位、ポップで88位。アルバムは1。

14. RITZY MAMBO

   77年1月発売。アルバムは2。

15. SHORT SHORTS

   77年6月発売。アルバムは4。

16. CHICAGO BUSSTOP

   シングル「ユア・ジャスト・ザ・ライト・サイズ」のB面に収録
された作品。この曲も当時ディスコでひんぱんにプレイされた。ア
ルバムは1。

17. CATCH ME ON THE REBOUND

   1978年にリリースされたロリータ・ハロウエイ名義の作品。
そのウォルター・ギボンズ・ミックス。うれしいCD化。

DISC 2

01. STREET SENCE

   アルバム10のタイトル曲。前述通り、79年4月からアルバム
・オール・カットでヒット。

02. SALSOUL 3001

   76年  月リリース。アルバムは2。

03. SOMEBODY TO LOVE

   78年  月リリース。元々はロック・グループ、ジェファーソン
・エアプレインの67年の大ヒット曲のカヴァー。  アルバムは1
0。

04. YOU SHOULD BE DANCING

   ビージーズの76年の全米ナンバー・ワンのカヴァー。アルバム
は7。

05. STANDING AND WAITING ON LOVE

   アルバム2に収録の一曲。

06. WESTSIDE ENCOUNTER-WEST SIDE STORY (MEDLEY)

   78年3月からヒット。ディスコで最高位13位を記録。ソウル
でも68位を記録。アルバム5からのヒット。

07. WE'VE ONLY JUST BEGUN / FEELINGS

   前者は、カーペンターズの70年の大ヒット。後者はモリス・ア
ルバートの75年の大ヒット。アルバムは2。

08. SALSOUL RAINBOW

   アルバムは1。

09. GET HAPPY

   アルバム1からの一曲。

10. STAYIN' ALIVE

   ビージーズの77年12月からのヒット、全米ナンバー・ワン。
映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』のテーマ曲。アルバムは
7。

11. TALES OF THREE CITIES

   アルバム1に収録。

12. OOH I LOVE IT (LOVE BREAK)

   83年1月にリリースされたシングル。

13. NICE AND NAASTY
14. HOW HIGH
15. DANCE A LITTLE BIT CLOSER
16. TAKE SOME TIME OUT (FOR LOVE)

   以上4曲はそれぞれ12インチ用のミックス。

   これでこのザ・サルソウル・オーケストラの『サウンド・オブ・
サルソウル〜ザ・ベスト・オブ・ザ・サルソウル・オーケストラ』
のアルバムはもうおしまい。いかがでしたか。このCDがあなたの
CDライブラリーにおいて愛聴盤となることを願って・・・

[JANUARY 21, 2003: MASAHARU YOSHIOKA]
"AN EARLY BIRD NOTE"
"LINERNOTES SINCE 1975"
http://www.soulsearchin.com
(2003年2月26日アップ)
    
Masaharu Yoshioka
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