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アル・マッケイ・オールスターズ
ライヴ・アット・マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル2002
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アル・マッケイ・オールスターズ
『ライヴ・アット・マウント・フ ジ・ジャズ・フェスティバル2002』

ビデオアーツ・ミュージック
VACM 1229
2003年 7月23日発売
2854円
原題 : Live At Mt. Fuji Jazzfestival 2002
原盤番号
原盤発売
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  今度あなたのCDライブラリーに加わることになった一枚のCD
(アルバム)をご紹介します。

  アル・マッケイ・オールスターズの『ライヴ・アット・マウント
・フジ・ジャズ・フェスティバル2002』

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アル・マッケイはなぜアースを辞めたのか
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  ロード人生。

  人気R&Bデュオのリーダーの自宅でそのバンドがリハーサルを
していた。ちょうどリリースされたばかりのテンプテーションズの
大ヒット「アイ・ノウ・アイム・ルージング・ユー」を練習してい
た。高校を出たばかりでミュージシャンの卵として第一歩を踏み出
していた18歳の男は、  友人に連れられてそこに遊びに来ていた
が、そのバンドが弾いているギターを聴いてバンドマスターに言っ
た。

  「レコードではギターの音が二つあるんですよ」

  「そうか、じゃあ、お前、もうひとつのパート、やってみろ」

  「いや、僕は左利きだからできません」

  「そんなこと言わずに、とにかくやってみろ」

  若者は、少し練習してその曲を弾いてみせた。

  バンドマスターが言った。「よし、お前を雇った」

  時に66年暮、そのバンドマスターはアイク・ターナー、18歳
の若者はアル・マッケイだった。こうしてアルは、アイク&ティナ
・ターナーのバックバンドの一員となった。これが初めてのプロと
しての仕事、彼のロードの人生が、アイク&ティナと共に始まった
瞬間だった。

  アルはその後、ワッツ・ハンドレッドサード・ストリート・バン
ド、サミー・デイヴィス・ジュニア、アイザック・ヘイズなどのバ
ンドを経て、  72年1人の男から彼のグループへの加入を誘われ
る。それがモーリス・ホワイトのグループ、アース・ウインド&フ
ァイアーだった。一大転機だった。

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  理由。

  アル・マッケイは、70年代を席巻した大型グループ、アース・
ウインド&ファイアーのギタリストとして  大いに人気を集めた。
72年9月頃から80年暮頃まで在籍、ちょうどアースが一番輝い
ていた時期にいたギタリストだ。1948年2月2日、ルイジアナ
州ニューオーリンズ生まれ。5人兄弟の長男。アースに入ったとき
彼は24歳だった。

  参加したアルバムは、3枚目の『ラスト・デイズ・アンド・タイ
ム(地球最後の日)』から、12枚目の『フェイセス』まで『ベス
ト』を1枚含みちょうど10枚である。おそらく、ブラック・グル
ープとしてアメリカ音楽史上最大の成功を収めたと言っても過言で
はないアースというグループを彼は約8年で辞めた。当時そのニュ
ースはアース・ファンに衝撃を与えた。ギタリストとしてもっとも
いい地位をなぜ捨てたのか。

  「なぜ、アースを辞めたのですか」  僕はアルにずばり尋ねた。
彼は一息ついて話しだした。

  「あの頃は、ものすごくグループ内に緊張した空気があってね。
僕がグループを辞めると決めたときは、もう二度と絶対に戻らない
と思いつめたほどなんだ。たしかメキシコに行くツアーがあって、
僕はそれに行かなかった。他のメンバーは、僕がメキシコに行かな
かったので『これは大変なことになっている』と思っただろうね。
(笑)モーリスと僕との間に問題があったんでね。(さらに一息。
言葉を選ぶようにして)    あの頃は僕も短気だったしね。そうだ
な、音楽的、クリエイティヴな面で、彼の方向性と僕のそれが違っ
ていたということだろうね。そうしたことが徐々に衝突するように
なった。おそらく、それは個人の性格に起因すると思う。彼も自分
の意見をいう強いタイプの人間だし、僕もそうだから、衝突し続け
たね。彼は僕とだけでなく、バンドの他の何人かのメンバーともぶ
つかっていた。ただ、彼とぶつかることにおいては、僕が最大のも
のだったろうね。2人が違う意見を持っている。そして、それがぶ
つかる、というわけだ」

  「そして、それまではメンバー全員がひとつの方向性に一丸とな
って進んでいたが、あの頃(70年代後期)からそれぞれが自分の
方向を見出すようになった。それと、もうひとつ、各人の宗教って
いうことがあったな。(笑)  ある者はこっちの方の宗教、別の者
はあっち、といった具合でね。  これは今だから言えることだけど
ね。(笑)」

  アルは、モーリスとの意見の対立についてさらにこう解説する。

  「バンドのメンバーは、皆それぞれとてもクリエイティヴな才能
を持っている。だが、(アルバム『アイ・アム(黙示録)』の頃か
ら)モーリスは外部のミュージシャンたち、ソングライターたちを
起用するようになった。バンドのメンバーは自分たちが作品を作っ
ていく要(かなめ)だと思っている。だから、そのあたりで若干微
妙な感情はあっただろうね。僕はそのことでモーリスに言ったこと
がある。『バンドにはこれだけ才能がある連中がいるのに、なんで
次々外部の連中を入れるんだ』ってね。段々バンド・メンバーが横
においやられる感じだったんだ。だが、このバンドは、結局は彼の
バンドだし、彼がボスだからね。でも、僕はそれには耐えられなか
った」

  バンド・メンバーの中でモーリスが最長老だが、その次に年長だ
ったのがアル・マッケイだ。モーリスは1941年生まれ、アルは
48年生まれ。7歳違い。他のメンバーはいずれも1951年前後
の生まれで、モーリスと約10歳違い。そこで、モーリス対メンバ
ーとなると、いつもアルが他のメンバーを代表してぶつかるように
なってしまった。

  忘却。

  複数のメンバーのバンドが共に長い間やっていくのは大変なこと
である。何十年もメンバー・チェンジなしに続けているグループが
いるとすれば、そのほうがよほど珍しいのである。

  僕はさらに尋ねた。「『フェイセス』の後、つまり『レイズ(天
空の女神)』以降、アースのサウンドには何かが欠けているような
感じがしますが、どう思いますか」  

  「僕がいないことだよ。(笑)  それは冗談だが、サウンド的に
は、多くの外部のミュージシャンを起用しているところがそれまで
の作品とは違うところだね。それから、モーリスが時代の流れを読
もうとした点も(それまでの作品とは)違うことだろうね。何より
も、サウンド・プロダクションは素晴らしいのだが、楽曲にいいも
のがないと思う」

  『フェイセス』には、「バック・オン・ザ・ロード」という傑作
曲がある。僕は当時この曲がシングル・カットされれば、かなりの
ヒットになっただろうと考えていた。ところがこの曲は結局シング
ル・カットされず、まったく話題にもならなかった。この曲は途中
にギター・ソロが入るのだが、長い間このソロはアル・マッケイだ
と思っていた。

  そのことをアルに言った。  「そうか、それはいい耳を持ってる
ね。(笑)実はあの曲は2枚目のシングルになる話があったんだ。
当時のマネージャーも気に入ってくれてね。ところが、あの曲は僕
が(モーリスと)書いた曲だったんだ。だがモーリスはギターを(
僕のものから)スティーヴ・ルカサーに差し替えた。僕とモーリス
の間の亀裂が決定的になっていたんで、シングルにはならなかった
んだよ。きっと僕の曲をシングルにしたくなかったんだろう」

  あの曲がシングル・カットされなかったことが僕には長い間大き
な疑問だった。個人的にはいまだにあのアルバムのベストカットだ
と思っているほどだ。あの名曲がアルとモーリスの個人的確執の犠
牲になっていたとは知らなかった。

  「バック・オン・ザ・ロード」はこうして忘却の彼方に追いやら
れ、アルはグループを去った。アルのグループの脱退と時を同じく
して、グループの人気が陰りをみせ始めた。それは単なる偶然か、
時代の流れなのか。アルがマジックを持っていたのか。それは神の
みぞ知る。

  彼は長い休みを取り、90年代に入って昔の仲間に声をかけ、L
Aオールスターズを結成。再びロードの生活に戻った。「バック・
オン・ザ・ロード」だ。そして、今度のボスは、アル・マッケイ本
人…。

  アイク・ターナーに認められてから30年余。アル・マッケイは
ギター一筋でやってきた。

  「さあ、ロードに戻る時期がやってきた。いろんな問題を置いて
って、ロードに出よう。僕の真の人生そのもの、ロードに。別れを
言っても泣かないでくれ。  きっといつか君もわかってくれるだろ
う。音楽こそが僕の生き甲斐であり、興奮を与えてくれるものだと
いうことを」(「バック・オン・ザ・ロード」)

  ロード(旅)に戻ったアルが、マウント・フジの元で録音した作
品が本作である。
  
                        〜〜〜〜〜  

■アルバム/曲目紹介

  本作はアル・マッケイ・オールスターズとしての2枚目のアルバ
ム。スタジオ録音の前作『アル・デンテ(邦題、太陽の刻印〜新世
紀伝説』に続くもの。03年7月に日本先行発売。02年8月11
日(土曜日)「マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル」にお
けるライヴ録音。

  曲目と、それらの入ったオリジナル・アルバム、およびヒットチ
ャートでの記録は次の通り。

1、パワー(邦題、全能なる力)

  72年10月発売のアルバム『ラスト・デイズ・アンド・タイム
(邦題、地球最後の日)』に収録。

2、アフリカーノ
3、アフリカーノ・スイート    

  75年2月発売のアルバム『ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワ
ールド(暗黒への挑戦)』に収録。

4、サーパンティン・ファイアー(太陽の戦士)

  77年11月発売の『オール・ン・オール(太陽神)』に収録。
ソウル1位、ポップ13位を記録。

5、プライド

  80年10月発売の『フェイセス』に収録。

6、イン・ザ・ストーン(石の刻印)

  79年6月発売の『アイ・アム(黙示録)』に収録。ソウル23
位、ポップ58位。

7、ファンタジー(宇宙のファンタジー)

  77年11月発売の『オール・ン・オール(太陽神)』に収録。
ソウル12位、ポップ32位。

8、銀河の覇者(ジュピタ−)

  77年11月発売の『オール・ン・オール(太陽神)』に収録。

9、ゲッタウェイ

  76年9月発売の『スピリット』に収録。ソウル1位、ポップ1
2位。

10、マジック・マインド

  77年11月発売の『オール・ン・オール(太陽神)』に収録。

11、天空に捧ぐ(レット・ユア・フィーリング・ショウ)

  79年6月発売の『アイ・アム(黙示録)』に収録。

12、キャント・ハイド・ラヴ

  75年11月発売の  『グラティテュード(灼熱の狂宴)』に収
録。ソウル11位、ポップ39位。

13、暗黒への挑戦

  75年2月発売のアルバム『ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワ
ールド(暗黒への挑戦)』に収録。ソウル5位、ポップ12位。

14、セプテンバー

  78年11月発売の『ベスト・オブ・アース・ウインド&ファイ
アー、ヴォリューム1』に収録。ソウル1位、ポップ8位。

15、レッツ・グルーヴ

  81年10月発売の『レイズ(天空の女神)』に収録。ソウル1
位、ポップ3位。

  これでこのアル・マッケイ・オールスターズの『ライヴ・アット
・マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル2002』のアルバムはもうお
しまい。いかがでしたか。このCDがあなたのCDライブラリーに
おいて愛聴盤となることを願って・・・  

[June 12, 2003: MASAHARU YOSHIOKA]
"AN EARLY BIRD NOTE"          
"LINERNOTES SINCE 1975"       
http://www.soulsearchin.com 


(2003年7月15日アップ)
    
Masaharu Yoshioka
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