ENT>MUSIC>LINERNOTES>GAYE, MARVIN
マーヴィン・ゲイ 『ビハインド・ザ・レジェンド』
cover
マーヴィン・ゲイ
『ビハインド・ザ・レジェンド』

ビデオアーツ
DVD VABS-0002
2003年 7月19日発売
4700円(税抜き)

原題 : Behind The Legend
アーティスト : Marvin Gaye
原盤番号 : Eaglevision 30038
原盤発売 : 2003年 3月25日
______________________________
  今度あなたのDVDライブラリーに加わることになった一枚のD
VDをご紹介します。

  マーヴィン・ゲイの
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■「ホワッツ・ゴーイング・オン」に隠された秘密
______________________________

  不滅。

  マーヴィン・ゲイの人気は衰えることを知らない。死後まもなく
20年になるが、その間、彼の評価は高まることはあれ、忘れ去れ
ることなどまったくない状況だ。彼の人気は永遠に不滅だ。

  そして、そんなマーヴィン・ゲイのドキュメンタリー映像作品が
登場した。2002年に制作されたもので、マーヴィンの人となり
を彼を知る人々が証言する。途中にはライヴ映像なども挿入され、
マーヴィンの魅力の一旦がかいま見られる。マーヴィン・ファン必
見の作品である。

  さて内容は本編をじっくり見ていただくとして、本稿ではマーヴ
ィンの代表作である「ホワッツ・ゴーイング・オン」に焦点を絞っ
て書いてみようと思う。今年3月アメリカがイラクに対して戦争を
開始した時、反戦を象徴する作品として、いくつもの曲が海外のラ
ジオなどでかけられたが、マーヴィンの「ホワッツ・ゴーイング・
オン」もそんな一曲だった。しかし、この「ホワッツ・ゴーイング
・オン」には単なる反戦歌以上の意味が隠されていた。果たして、
マーヴィンにとってその意味とは・・・。

                          〜〜〜〜〜

  確執。
  
  マーヴィンは、生まれた時から、父親と確執があった。母親によ
れば、マーヴィンは父から望まれた子供ではなかった、という。父
はマーヴィンが自分の子ではないのではないかと疑っていた。  母
は、そんなことはありえないと言い、実際父の子なのだ。そして父
も心の底ではマーヴィンが自分の子であることを知っていた。母に
も父が息子を嫌う理由はわからなかった。だが母はこう証言する。
「父はマーヴィンを愛していなかった。さらに悪いことに、私にも
マーヴィンを愛さないようにさせた。マーヴィン(・ジュニア)は
若い時にそのことを知ってしまったのよ」(『ディヴァイデッド・
ソウル』デイヴィッド・リッツ著・日本未発)

  ここに父と息子の悲劇の物語の幕が開いた。

  父は幼いマーヴィンに体罰を与えた。それもかなり厳しく。マー
ヴィンが寝小便をしたとき、父はこれでもかというほどの体罰を与
え続けた。母親たちが止めてくれといっても、父親は息子をたたく
手をとめなかった。弟のフランキーは、父親とうまくやっていて、
上手に体罰を逃れた。しかし、マーヴィンは父親に反抗した。反抗
するがゆえに、父はさらに厳しくした。いつのまにか、もはや誰も
が止められない憎しみの連鎖が始まっていた。

  マーヴィンは、18歳の頃、当時人気R&Bグループだったムー
ングロウズのリーダー、ハーヴィー・フークワについて、  家を出
る。父親はそれを許そうとしなかったが、母親は許した。この家出
はマーヴィンにとって、自立であると同時に父からの逃亡という意
味を持っていた。

  マーヴィンはこの旅立ちについて「あの悲しく、最悪の思い出に
決して戻らないことを願いつつ、そこを去ることは幸せだった」と
ふり返る。(同上)。

  1970年6月から7月にかけて、マーヴィンは、それまでの作
風とまったく違う作品を録音する。少しハイヴォイスで、シャウト
するのではなく押さえ気味で歌う作品、しかも、歌の内容はそれま
でのラヴ・ソングではなく社会的なメッセージを持った歌だった。
それこそ、「ホワッツ・ゴーイング・オン」である。

  そのメッセージは普遍的なものだ。この曲はヴェトナム戦争に行
った弟フランキーから聞いた戦争の悲惨さに胸を打たれ、マーヴィ
ンが書きあげた作品で、文字通り反戦歌である。一般的にはそう捉
えられている。アルバム内で続く「ホワッツ・ハプニング・ブラザ
ー」と対になって反戦を訴えかける歌だ。


  叫び。

  「ホワッツ・ゴーイング・オン」の歌詞は、冒頭で「母よ」と歌
い、次に「兄弟よ」ときて、3番目に「父よ」と呼びかける。歌詞
は実によく構成されている。  ところがこれを繰り返し聞いている
と、3番目の「父よ、父よ」というラインが妙に気になってくる。
歌詞はこうだ。

  「母よ、母たちよ、あまりに多くの母たちが涙にくれている。
  兄弟よ、同胞たちよ、あまりに多くの仲間たちが死んでいく。
  だから、僕たちは愛を導く方法を何か探さなくてはならない。

  父よ、父よ、僕たち(の戦いを)エスカレートさせる必要はない
んだ。わかっているでしょう。戦いでは答えにならない。唯一愛だ
けがこの憎しみを征服できるんだ。

  だから、僕たちは愛を導く方法を何か探さなくてはならない。

  デモ隊のピケライン、スローガンを掲げるプラカード。僕に体罰
を与えるのはやめてくれ。

  僕に(心を開いて)話しあってくれ、そうすればあなたにもわか
るはずだ。

  今いったい(僕とあなたの間に)何が起こっているかが」

  こうして改めて読んでみると、母と兄弟だけは普遍的な言葉で語
りかけるが、この父だけあたかも自分の父親を指すかのように受け
取れるのだ。つまり、この「ホワッツ・ゴーイング・オン」は普遍
的な反戦歌である同時に、マーヴィンは実の父親への隠れたメッセ
ージをここに秘めたのである。「父よ」以降の部分を普遍的な父と
してではなく、彼個人の「実父」と置き換えて歌詞を聴くと、マー
ヴィン自身の30年近くにおよぶパーソナルな悲痛な叫びが見事に
浮かび上がるではないか。

  「Don't punish me with brutality(僕に体罰を与えないでくれ
」  この一行だけで実父への強烈な叫びだということがわかる。さ
らに、息子と対話をしない父に「Talk to me, so you can see
what's going on(話しかけてよ、そうすればふたりの間にある深い
溝が少しは理解できるのではないか)」と呼びかけているのだ。

  「ホワッツ・ゴーイング・オン」には、反戦を歌いながら、実の
父へのこんなメッセ−ジが隠されていたのである。つまり曲自体が
ダブルミーニングを持っていたということになる。

  マーヴィンは翌72年にも「ピース・オブ・クレイ」(4枚組ボ
ックスセットに収録)という父へのメッセージを託した歌を録音す
る。この冒頭のマーヴィンの叫びはもっと直接的だ。

  「父よ、自分の息子をけなすのはやめてくれ」  

  マーヴィンはこの『ホワッツ・ゴーイング・オン』のアルバムを
してこう言明した。「戦いがいつ終わるか、僕自身が知りたいくら
いだ。その戦いとは、自分のソウル(魂)の中の戦いだ」

  彼にとっては反戦ではなく、自分自身との戦いの歌だったのだ。

  果たしてこれを聴いた父、マーヴィン・サーは何を感じたのだろ
うか。その隠されたメッセージを父は理解しただろうか。しかし残
念ながら恐らく、その意味は伝わらなかっただろう。息子が発した
兆候を父は受け取らなかった。そしてそれが84年のエイプリル・
フールの悲劇へのなんらかの引き金になったのかもしれない。

                      〜〜〜〜〜      

■本作品紹介

  本作は、イーグルロック・プロダクションが配給したもの。  約
60分のドキュメンタリーと20分のライヴ映像で組み合わされて
いる。前者の部分は、  マーヴィンを知る人々のインタヴュ−を軸
に、彼の数少ないライヴ映像をはさみこむ構成。このライヴの出典
は、1978年にオランダで録画されたという映像である。元々ラ
イヴ・ヴィデオとして一度発売されたことがあるもの。

  ドキュメンタリーの制作はBBCテレビ、TASCリプレゼンテ
ーション、アーツ&エンタテインメント・ネットワーク。プロデュ
ース、監督はマーティン・ベイカー。DVDの原盤番号は、イーグ
ルヴィジョン  30038。2003年3月25日発売。

■口を開いた2人の妻

  このドキュメンタリーでもっとも注目すべきは、マーヴィンの2
人の元妻がインタヴューに答えている点。まず最初の妻、アンナ・
ゴーディー。アンナは、モータウン・レコード社長ベリー・ゴーデ
ィーの姉(これまでにマーヴィンに関する記事などで妹と書かれて
いるのはまちがい)で、マーヴィンよりも17歳ほど年上である。
そして、もうひとりが2番目の妻、ジャニスである。驚くなかれ、
この2番目の妻は今度は彼よりも17歳年下なのである。

  マーヴィンの自伝を書いたデイヴィッド・リッツが、自伝を書く
にあたって何としてもインタヴューしたかったが、できなかった人
物が2人いると言った。それは、マーヴィンの2人の妻であった。
デイヴィッドは言う。「どうしても彼らから話を聞きたがったが、
2人とも何も話したがらなかった」。

  それがこのドキュメンタリーでは、2人とも話しているのだ。マ
ーヴィンの死後約20年の月日を経て、彼女たちも歴史の証人とし
て、やっと重い口を開くことができる時期になったのだろう。  

  マーヴィンとアンナが初めて会ったのはモータウンで、1960
年初め頃。マーヴィンが20歳、アンナは37歳だった。63年に
結婚するが、その後彼らはマーヴィン・ゲイ3世を養子にする。

  そして、マーヴィンとジャンが初めて会ったのは、73年3月2
2日と思われる。というのは、彼らが初めて会った日は、マーヴィ
ンが「レッツ・ゲット・イット・オン」のヴォーカルを録音した日
だったからだ。録音日が3月22日なのである。

  スタッフは、マーヴィンの歌い方がいつもとまったく違っていた
ことに驚いた。それはジャンのことを意識したためと思われた。ジ
ャンは、そのときまだ16歳、マーヴィンは33歳。今度は17歳
年下だった。

  ジャンの母親がそのレコーディング・セッションに参加していた
ミュージシャンの知り合いで、娘を連れてスタジオに遊びに来てい
た。ジャンの父親はスリム・ゲイラードというジャズ・ヴォーカリ
ストとして有名な人物。1930年代にスリム&スリムとして活躍
した黒人エンタテイナーで、母親は白人のバーバラ。よってジャン
はハーフだった。

  マーヴィンは、一目見るなり、彼女のとりこになった。マーヴィ
ンは彼らがスタジオを去った後、スタッフにこう言った。「(ジャ
ンは)今まで見た中で最高の女性だ」  しかし、現実もみていた。
「だが最大の問題は、彼女の年令だ。  彼女の16歳はあまりに若
い。そして、僕は33歳の男で50歳の女性と結婚しているんだ」

  ここにジャンをめぐって、マーヴィンの苦悩が始まる。ジャン自
身もマーヴィンとの初対面についてこの本編で語っている。  

  その後、マーヴィンはジャンと一緒に住むようになり、最終的に
アンナと離婚。ジャンとの間には2人子供が生まれた。1人が74
年9月に生まれたノーナ・ゲイ(のちに歌手としてデビュー)、そ
して75年11月に誕生したフランキー(バビー)ゲイである。(
マーヴィンの実弟フランキーから名前をとった)  2人ともこのド
キュメンタリーで証言している。

  ジャンは、常にアンナの存在が気になっていた。彼女は自分より
も30歳以上年上であり、すべてを持っていた。マーヴィンの資金
も握っていたし、レコード契約などのビジネスもコントロールして
いた。

■「トラブル・マン」
  
  マーヴィン・ゲイは、繊細で、神経質で、弱く、自分に自信のな
い男だった。だが歌手としては、まさに不世出の天才だった。

  マーヴィン・ゲイは常に戦ってきた。父と。レコード会社社長ベ
リー・ゴーディーと。アメリカという国と。妻アンナと。ドラッグ
の誘惑と。ライヴへの恐怖心と。

  マーヴィン・ゲイの人生には様々な矛盾と葛藤が渦巻いていた。
税金問題、ドラッグ問題、女性問題、レコード会社との契約問題・
・・。マーヴィンは、そうしたトラブルを常に抱えていた。「トラ
ブル・マン」とは、まさにマーヴィンのためにあるような言葉だっ
た。そして、そのトラブルは、生涯の幕を下ろす瞬間まで、続いた
のである。

  このドキュメンタリーではそうしたマーヴィンの苦悩の一部が浮
かび上がっている。

  ドキュメンタリーの最後で、ゲイ・ファミリーが皆でてくる。マ
ーヴィンの弟フランキー・ゲイ。最初の妻アンナと養子にとったマ
ーヴィン・ゲイ3世。彼は血のつながりはないことになる。  そし
て、2番目の妻ジャンとその一家。娘のノーナ、その息子ノーラン
・ペンツ・ゲイ、ジャンの息子でノーナの弟フランク・バビー・ゲ
イ。皆それぞれに天才シンガー、マーヴィン・ゲイへの想いを秘め
ていることだろう。

  また、ライヴのシーンで「セクシュアル・ヒーリング」を歌う部
分がるが、これは、1983年のマーヴィンのいわゆる「ファイナ
ル・ツアー」の1日と思われる。この映像を見ていて、僕は83年
8月にロスのグリークシアターで見た彼のショウを思いだした。確
かに、マーヴィンはここで見られるように、ガウンを脱ぎ、パンツ
を脱ごうとして、観客の喝采を浴びていた。あのときの興奮がよみ
がえる。

  ロスでも、デュエット・メドレーを歌いそれらは、このDVDに
は収録されていないが、多くの「ファイナル・ツアー」のCDなど
に収録されている。ここでマーヴィンの歌の相手をする女性シンガ
ーは、ポーレット・マクウィリアムスという女性シンガーである。
ファンタジーから1枚アルバムも出している。デュエットがうまい
ので非常に印象づけられ、楽屋かどこかで誰かに彼女の名前を聴い
たことを覚えている。

  この映像があるということは、83年のツアーの全編の映像もあ
るのだろうか。いずれそのあたりも日の目をみることがあればファ
ンとしてはうれしい限りだ。マーヴィン本人はどう思っているかは
わからないが。

  なお、ドキュメンタリーとしては他に1994年の『トラブル・
マン〜ラスト・イヤーズ・オブ・マーヴィン・ゲイ』(日本未発)
がある。また『サーチング・ソウル』という30分弱のものあるが
、これは前者を短くしたもののようだ。ファンの方は探されてもい
いかもしれない。

                        〜〜〜〜〜
                    
  マーヴィン・ゲイとは一体何者なのか。奇しくも、ドラマーのダ
ニー・ヘイガンがこのインタヴューでずばり答えた。

  「この世にベートーヴェンは1人しかいない、カウント・ベイシ
ーも、デューク・エリントンも1人しかいない。マーヴィン・ゲイ
も、彼1人しかいないのだ」

  これでこのマーヴィン・ゲイの『ビハインド・ザ・レジェンド』
のアルバムはもうおしまい。いかがでしたか。このCDがあなたの
CDライブラリーにおいて愛聴盤となることを願って・・・
                    
[June 09, 2003: MASAHARU YOSHIOKA]
"AN EARLY BIRD NOTE"          
"LINERNOTES SINCE 1975"       
http://www.soulsearchin.com 


(2003年7月15日アップ)
    
Masaharu Yoshioka
|Return|