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キース・スウェット『ディドゥント・シー・ミー・カミング』
cover
キース・スウェット
『ディドゥント・シー・ミー・カミング』
ワーナーミュージック・ジャパン
AMCY-7164
2000年11月22日発売

原題 『Didn't See Me Coming』
オリジナル原盤 Elektra 62515。 2000 年11月発売。
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   今度あなたのCDライブラリーに加わることになった一枚のCD
(アルバム)をご紹介します。

   キース・スウェットの『ディドゥント・シー・ミー・カミング』

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キース・スウェットのプライド
______________________________

   87年12月、晴れ渡ったロス・アンジェルス。片道5車線もあ
るフリーウエイを走る車中で、ハンドルを握っていた友人のドン・
トレイシーは、カーラジオから流れてきたごきげんな曲を解説して
くれた。
   「これ、今流行っている新人のニュー・ディスクで、キース・ス
ウェットの『アイ・ウォント・ハー』という曲なんだよ」
   ドンは、ロスのKDAYというブラック・ステーション(当時)
のDJでもあり、日本でも当時FENで毎日放送されていた『ドン
・トレイシー・ショウ』というソウル・プログラムのDJだ。彼の
ホンダでハリウッドに向かうときのことだった。
   ちょうどそのとき僕が「最近流行っていて注目のアーティストは
何?」と質問したときに、タイミングよく「アイ・ウォント・ハー
」がかかって、彼が冒頭の言葉のように紹介してくれたのだ。
   ベースラインののりのよさと、踊りだしくたくなるようなグルー
ヴ感を持ったこの曲を僕は一回聴いただけで覚えてしまった。
   「KDAYでもひんぱんにかかるの?」
   「かかるよ、ヘヴィー・ローテーションでかけている」とドンは
言った。
   そして、彼の言葉通り、そのときのロス滞在中、カーラジオから
は本当に1時間に1度くらいの割りで、KDAYに限らずあちこち
のブラック・ステーションからこの曲は流れてきた。
   アメリカのラジオ局は、だいたい40曲くらいを選んで、それら
の曲を繰り返し繰り返しかける。したがって、ヒットしだすと、の
べつまくなしでその曲がかかり、本当によくかかるなあ、という感
じで曲がこちらがわの体内に自然のうちに刷り込まれてしまう。
   KDAYは、今はブラック・ステーションではなくなってしまっ
たが、当時人気のAMのブラック局だった。AMながらステレオ(
そのためのチュ−ナ−が必要ではあるが)というのが売りで、ブラ
ック・ミュージックのなかでも積極的にラップ、ヒップ・ホップを
かけていたステーションだった。

   それから一カ月も経たない翌88年1月27日、東京。僕はその
キース・スウェットの「アイ・ウォント・ハー」の入ったデビュー
・アルバム『メイク・イット・ラスト・フォーエヴァー』のライナ
ーを書きあげた。
   「アイ・ウォント・ハー」はちょうど1月30日付けビルボード
・ブラック・シングル・チャートで堂々1位になり、キースはアメ
リカでは瞬く間にスターになっていた。
   この時点ではまだその独特のグルーヴ感を持ったリズムに名称は
なかった。解説文はこうだった。
   「このキースのアルバム全体を聞くとおわかりになると思うが、
そのベースにあるのは70年代のファンクだ。  ジェームス・ブラウ
ン、さらにパーラメント/ファンカデリックを思わせるようなファ
ンクに80年代風の洗練された都会的な切り口を付け加えている。彼
自身『アイ・ウォント・ハー』について『70年代中頃のソウルの
雰囲気をダンス・ミュージックのなかにスパークさせたかった』と
語る。そして、この曲は彼と共同制作者のテディー・ライリーの2
人がファンカデリッックの大ヒット『ニー・ディープ』(1979年)
のようなグルーヴを持った曲を今のサウンド・スタイルで作ろうと
して生まれた。(中略)
   テディーによれば、この『アイ・ウォント・ハー』は“ストリー
ト・ファンク”であり、彼はこうしたサウンドがブラック界におけ
る次のトレンドになるだろう、と見ている。ライリーは『70年代の
グループのファンク・スタイルをアップデイトにし、ラップのパー
カッシヴなスタイルと今風のストリート風のアレンジをうまく組み
合わせたようなものが次の大きなトレンドになるだろう』と語る」
   そして、このトレンドにはまもなく「ニュー・ジャック・スウィ
ング」という名が付けられ一世をふうびすることになる。さらに、
R&Bとヒップ・ホップの融合は、それから4年後の92年夏、ア
ンドレ・ハレル率いるアップ・タウン・レコード所属のメアリー・
J・ブライジの衝撃的な登場で、一躍メインストリームになってい
く。

   90年10月3日、横浜文化市体育館。前日の代々木体育館に続
いての日本公演。「アイ・ウォント・ハ−」の大ヒットでシーンに
登場しただけに、「ニュー・ジャック・スウィング」系の作品中心
になるかと思いきや、重心はソウル・バラードの方においていた。
お世辞にも客入りはよいとは言えない。収容人数8000人弱のと
ころに半分も入っていないだろう。だが、キースのセンシュアルな
R&Bシンガーとしての魅力は、存分に感じられた。別にキースは
マイケル・ジャクソンやボビー・ブラウンのように踊ったりはしな
かったが、その歌声で次々とバラードを歌い、観客を魅了していっ
た。僕はそのとき彼に対して、80年代を駆け抜けたルーサー・ヴ
ァンドロスの90年代版のような印象を持った。ルーサーより、も
う少し、マーヴィン・ゲイやテディ−・ペンダーグラス寄りのシン
ガーという位置付けだ。
   この時点で、彼は2枚のアルバムを出しており、アメリカではそ
のセカンド・アルバム『アイル・ギヴ・オール・マイ・ラヴ・トゥ
・ユー』も大ヒットさせていた。

   92年夏、東京。91年11月に3作目『キープ・イット・カミ
ン』を出したキースが、マリオ・ヴァン・ピーブルズ監督、ウエス
リー・スナイプス主演の映画『ニュー・ジャック・シティー』に出
演。アメリカでは同年3月に公開され興行収入4700万ドルをあ
げたヒット映画だ。その映画が日本でも公開された。  ウエスリー
・スナイプス演じるドラッグ・ディーラーのボスと警察官の戦いだ
が、キース・スウェットは、結婚式のシンガーとして登場し「(ゼ
ア・ユー・ゴー)テリン・ミー・ノー・アゲイン」を歌った。この
映画の共同プロデューサーのひとりは、ジョージ・ジャクソン。後
にモータウン・レコードの社長となるも、40代で急死する人物で
ある。

   94年9月26日、ニューヨーク・マンハッタン。そのジョージ
・ジャクソンがダグ・マクヘンリーらとともに制作した映画『ジェ
イソンズ・リリック』の劇場試写。試写会には、多数のエンタテイ
ンメント関係者がつめかけた。ドラッグ禍が蔓延する中で、まっと
うに働く男ジェイソンとドラッグ中毒の兄、そして、ジェイソンの
恋人リリックを軸に展開する物語だ。この映画のテーマ曲「ユー・
ウイル・ノウ」は、ブライアン・マクナイト、ディアンジェロらが
プロデューサーとなり、20組以上のブラック・アーティストが一
堂に会してレコーディングしたオール・スター・プロジェクトとな
り、もちろん、キースもその中のひとりとなった。映画のエンディ
ングでオリータ・アダムスが歌う「メニー・リヴァース・トゥ・ク
ロース」(オリジナルは、ジミー・クリフ)が流れると、場内から
は一世に拍手が巻き起こった。いい映画だった。

   96年6月、東京。アイズレイ・ブラザースの新作『ミッション
・トゥ・プリーズ』を聴く。センシュアルなロナルド・アイズレイ
のヴォーカルを、キース・スウェットがプロデュースし、しかも、
ヴォーカルで参加までしている。新旧セクシー・シンガーの夢の競
演だ。

   97年11月。LSG、衝撃のアルバム『リヴァート、スウェッ
ト、ギル』を発表。ジェラルド・リヴァート、ジョニー・ギル、キ
ースが三位一体となったもうひとつの夢の競演アルバムだ。これで
売れぬわけがない。

   2000年10月12日早朝、ニューヨーク  東京。受話器の向
こうから普段はアトランタ在住だが、プロモーションのためニュー
ヨークに滞在しているキース・スウェットが声をだしてきた。
   「ハロー」  ものすごく低い声だった。
   「あなたは、87年のデビュー以来発表したアルバム6枚すべて
をプラチナム・ディスク(100万枚以上のセールス)にしていま
すね。その人気の長続きする秘訣はなんですか?」
   彼は、一言こう言った。「People like me(人々が僕のことを気
に入ってくれているんだ)」。そして、ちょっと笑って続けた。「
さあ、ほんとにわからないな。僕が人々が気に入るような曲を書い
ているってことなんだろうね。確かに、レコードを買ってくれる人
のことは考えるね。そうしなければならない。彼らが気に入るよう
な音は意識するよ」
   「リスナーからEメールや手紙などでフィードバックは来ますか
?」
   「なにより、レコードが、レコード店で売れているということが
最高のフィードバックだろう」
   「今度の新作『ディドント・シー・ミー・カミング』のコンセプ
トは何ですか?」
   「いやあ、コンセプトはないんだ。僕はどんどんと曲を書いて、
気に入った曲をアルバムにいれるというわけだ。だから、僕がレコ
ーディングしているときは、どの曲がシングルになってヒットする
かなんてわからない。僕は自分で気に入った曲を録音するだけ」
   「レコーディングは、大変だよ。毎日朝の3時過ぎまでレコーデ
ィングが続く。ほんとに仕事だ。今作は、完成までにだいたい8カ
月くらいかかった」
   キースは、このインタヴューの中で「今は何よりもこの新作のプ
ロモーションに力を集中し、その後、LSGをやるつもりだ」と明
言した。LSGの2作目は、2001年以降のことになる。プロジ
ェクトとしては、充分起こり得るもののようだ。

   最新CD『ディドント・シー・ミー・カミング』をCDプレイヤ
ーにかけた。いきなりラジオをチューニングするノイズが聞こえ、
そして、一瞬「アイ・ウォント・ハー」が流れ出し、「サムシング
・ジャスト・エイント・ライト」、「メイク・イット・ラスト・フ
ォーエヴァー」などがかかる。どこにチューニグを合わせても、キ
ース・スウェットの曲ばかりだ。あたかもキースがFM局をジャッ
クしているかのようだ。デビューから13年。その恐るべきロンジ
ェヴィティ(継続性、長期性)には驚かされるばかりである。この
アルバムがリリースされれば、キースの作品が全米のFM各局を本
当にジャックする日も遠くない。キースの快進撃は、21世紀も続
く。

■ミニ・バイオ

   キース・スウェットは、1961年7月22日ニューヨーク・ハ
ーレム生まれ。5人兄弟の3番目。14歳の頃から歌いだし、バン
ド活動を開始。ニューヨークのローカル・バンド、ジャミルなどを
経て、ソロに転じ、昼間はニューヨーク証券取引所で仕事をしなが
ら、週末などにクラブで歌ったり、スートラ・レコードのスタジオ
でエンジニア、雑役等の仕事を始め、そこでスタジオの空き時間を
利用してデモ・テープを作り出すようになった。
   そんな中の1曲がキースが86年にニューヨークのローカル・レ
ーベルにレコーディングした「マイ・マインド・イズ・メイド・ア
ップ」という曲。これはヨーロッパを中心にちょっとしたヒットに
なり、その後プロデューサーとしてもロバート・ギリアムの「オー
ル・アイ・ウォント・イズ・マイ・ベイビー」をプロデュース、こ
れはスートラから発売された。こうした地道な活動を続けてきた彼
はヴィンセント・デイヴィスという人物と出会い、彼のヴィンタテ
イメント社と契約。
   同社がエレクトラと配給契約を結び、87年11月、シングル「
アイ・ウォント・ハー」で全米メジャー・デビュー。これが大ヒッ
トとなり、以後出すシングルのすべてをR&Bチャート、さらにい
くつかはポップ・チャートでもヒットさせている。99年までにR
&Bチャートに26曲をいれ、内6曲がナンバー・ワン。(ちなみ
に、6曲の首位獲得曲は「アイ・ウォント・ハー」=88年、「メ
イク・ユー・スウェット」=90年、「アイル・ギヴ・オール・マ
イ・ラヴ・トゥ・ユー」=91年、「キープ・イット・カミン」=
91年、「トゥイステッド」、「ノーバディー」=ともに96年)

   87年12月デビュー作『メイク・イット・ラスト・フォーエヴ
ァー』(米ELEKTRA 60763)、そして90年6月発表の『アイル・ギ
ヴ・オール・マイ・ラヴ・トゥ・ユー』 (ELEKTRA 60861)をはじめ
、通算計6枚のアルバム、すなわちすべてのアルバムをいずれもプ
ラチナム・ディスクにしている。
   デビュー当初の「ニュー・ジャック・スウィング」の作品から、
徐々にスローのヒットをだすようになり、バラード・シンガーとし
ての地位をも確立している。また、プロデュース活動も積極的に行
ない、シルク、カットルーズなどのグループをプロデュースし、ヒ
ットさせている。さらに、アイズレイ・ブラザースらとの共同作業
なども行なっている。
   さらに、97年には友人で、また、キースの2枚目に参加したジ
ェラルド・リヴァート、若手実力派シンガー、ジョニー・ギルとワ
ンショット的に3人組「LSG」を結成。  そのアルバムを発表し
た。多忙を極める39歳。

■アルバム・リスト

   キース・スウェットとしてのアルバムは次のとおり。本作は7作
目。

1. Make It Last Forever
(Vintertainment/Elektra 60763 - 87/12)
2. I'll Give All My Love To You
(Vintertainment/Elektra 60861 - 90/6)
3. Keep It Comin' (Elektra 61216 -  91/11)
4. Get It On It (Elektra 61550 - 94/6)
5. Keith Sweat (Elektra 61707 - 96/6)
6. Still In The Game (Elektra 62262 - 98/9)
7. Didn't See Me Coming (Elektra  62515 - 2000/11)

(1作目から5作目までR&Bアルバム・チャートですべてナンバ
ー・ワン。6作目だけ最高位2位)

As LSG

1. Levert - Sweat - Gill (EastWest  62125 - 97/11)

(LSGもR&Bアルバムで最高位2位)

   この他にプロデュース作品、ゲスト・ヴォーカルで参加している
作品などが多数ある。ここではすべてをリスト・アップすることは
できないが、96年のドゥルー・ヒルのアルバム、98年のジャー
メイン・デュプリのアルバム、98年のオール・スクールのアルバ
ム、98年のスリー・フロム・ダ・ソウルの『ブラック・スーパー
マン』、98年のエクスケイプの『トレイセス・オブ・マイ・リッ
プスティック』、99年のシャンテ・サヴェージの『ディス・タイ
ム』などに参加。

■アルバム紹介

   本作は、彼の通算7作目。全米では2000年11月発売。原盤
番号は、ELEKTRA  62515。基本的には、彼自身の「こ
れまでのリスナーが気に入ってくれた路線を踏襲する」方針で制作
されている。そこに、バスタ・ライムスや、TLCのTボズなどの
豪華ゲストが参加している。7作目にして、惑わずといったところ
で、ふたたびベスト・セラーになりそうだ。
   若干プロデューサーについて。スティーヴ・ストーン・ハフは、
Rケリー・バンドの一員。Rケリーとともにツアーをしたときに知
りあった。ディー・ディーとアンドリュー・レインは、共にアトラ
ンタを本拠とする新人プロデュース。ケヴィン・ジョンソンは、セ
ント・ルイス出身のやはり新進気鋭のプロデューサー。ウォルター
・ムーチョ・スコットは、ブラックストリートと仕事をしてきた若
手。
   最初のシングルは、「アイル・トレイド」の予定。計3ミックス
が収録。それぞれかなり違った雰囲気になっている。同じ曲がスロ
ーにもなり、ミディアム・テンポにもなる。ヒップ・ホップ系のの
りでは、「シングス」、「サティスファイ・ユー」がいい。また、
スローでは、新人のキー・キーをフィーチャーした「ホワッチャ・
ライク」、「キス・ユー」、「ドント・ハヴ・ミー」(デイヴィッ
ド・ホリスターをフィーチャー)、  「トゥナイト」などがいいで
き。

   キースはこう語る。「僕がデモ・テープを作って売り込んでいた
頃、だれも僕の音楽を聴こうとしなかった。というのは、僕の音楽
がそのころラジオでかかっていた(ポップ部門への)クロスオーヴ
ァー狙いの作品ではなかったからだ。皆、僕の音楽は『トゥ・ブラ
ック(黒すぎる)』と言ったものだ。そのときの僕の返事は、『そ
れこそ、僕がやりたいものなんだ』というものだった。僕のそのと
きのゴールは、他の連中とは違っていた。僕の目標は、トラディシ
ョナルなハードコアなR&Bソングをひっさげ、ポップで1位にな
ることではなく、ブラックで1位になることだったんだからね」
   それは、R&Bシンガーとしてのプライドであり、意地だった。
   そして、そのプライドと意地を堅持しつつ獲得した6曲のブラッ
ク・チャートでのナンバー・ワン・ソング。この新作アルバムから
7曲目、あるいは8曲目の誕生も充分ありうるだろう。キースのプ
ライドは、本作でも保持された。

   これでこのキース・スウェットの『ディドント・シー・ミー・カ
ミング』のアルバムはもうおしまい。いかがでしたか。このCDが
あなたのCDライブラリーにおいて愛聴盤となることを願って・・
・

[OCTOBER 17、 2000: MASAHARU YOSHIOKA]
"AN EARLY BIRD NOTE"
"LINERNOTES SINCE 1975"


(2002年10月11日アップ)

    
[OCTOBER 17、 2000: MASAHARU YOSHIOKA]
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