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ジェームス・ブラウン『ネクスト・ステップ』
cover
ジェームス・ブラウン
『ネクスト・ステップ』

ポニーキャニオン
PCCY−01563
2,427円

2002年2月20日発売
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  今度あなたのCDライブラリーに加わることになった一枚のCD
(アルバム)をご紹介します。

  ジェームス・ブラウンの『ネクスト・ステップ』

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去る者、加わる者、そして、戻る者
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  大きなファミリーになると、新しくそこに入る者もいれば、静か
にそこを去る者もでてくる。その理由やきっかけは様々だ。ジェー
ムス・ブラウンというひとりのビッグボスを頂点とするそのファミ
リーにも多くのシンガーやアーティストやスタッフが参加し、ある
者は短期間在籍しただけで去り、あるものは30年以上も共に旅を
する。

  1952年暮頃。ボビー・バードは、自らのゴスペル・グループ
に、刑務所から出所してきたジェームス・ブラウンを誘った。ブラ
ウンは、その中で徐々にバードに代わりリーダーシップを発揮して
いく。ブラウンは、まもなくジェームス・ブラウンとして独立し、
ライヴ活動を始め、レコードを発表。56年、「プリーズ・プリー
ズ・プリーズ」で初ヒットを記録。以来、多数のヒットとともに「
ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」へとかけのぼっていく。

  そして、ボビー・バードはジェームス・ブラウン・ファミリーの
中で、バック・コーラスの重要人物となる。合いの手が必要なとき
、バードは必ずブラウンの傍(かたわら)にいた。

  ブラウンが「ゲッタップ」と言えば、バードが間髪をいれず「ゲ
ットオンアップ」と答える。

  だが、バードは72年、ジェームス・ブラウンの元を離れ、ソロ
・シンガーとして独立する。

  ファミリーから去る者、ひとり。

                    **********

  1998年2月8日、ジェームス・ブラウンの元に、彼のバック
コーラス・グループ、ビタースイートのメンバーに紹介されひとり
の女性シンガーがやってきた。白人の背の高いトミー・レイ・ハイ
ニー。トミーは、ビタースイートへ加入するためのオーディション
にやってきたのだ。

  子供の頃からレコードを聴いてきたあこがれのジェームス・ブラ
ウンに会えるだけで、彼女は緊張した。ブラウンは言った。

  「何か歌ってくれるかね」

  楽器はなかった。彼女は、実はオーディションで歌うために、ジ
ェームス・ブラウンのレパートリーを何曲か覚えてきたのだが、な
ぜか突然ア・カペラでジャニス・ジョプリンの作品「メルセデス・
ベンツ」を歌った。彼女はかつて『ジャニス・ジョプリン・トリビ
ュート』というイヴェントで歌っていたことがあった。

  ジャニスは、初期のレコーディング集『ジャニス』(発売は75
年)に収録されているヴァージョンでは、「テープは回ってるの?
  一回で録音しちゃうからね」と言って、ア・カペラで歌う。

  トニーの声は、低く、太い。ブラウンは、すぐに印象づけられて
一言言った。

  「もう充分だ」

  トニーは、オーディションに合格。しかし、彼女の声はバック・
コーラスのビタースイートにはあまり適さないということで、ソロ
・シンガーとしてフィーチャーすることになった。

  ファミリーに新たに加わる者、ひとり。

                    **********          

  こうして彼女は98年11月発表のアルバム『アイム・バック』
にフィーチャーされ、ジャニス・ジョプリンの「トライ」をカヴァ
ー、さらに、「ホワット・イット・テイクス」をブラウンとデュエ
ットした。

  そして、同年12月にジェームス・ブラウンのショウで初来日。
すでに彼女はこの時点でブラウンのガールフレンドになっていた。

  時は進み、2001年6月11日。ふたりの間に男の子が誕生。
名前は、ジェームス・ジョセフ・ブラウン2世。妻の年令は明かさ
れていないが、父ジェームス・ブラウンは、なんと68歳である。
おそらく、自分の孫より年下の息子ができたことになる。将来、「
うん、このお兄ちゃんはぼくのお父さんの孫なの」ということにな
る。甥が叔父より年上という非常に珍しい例だ。ジェームス・ブラ
ウン様恐るべし、そして、おめでとう。  

  その時点で結婚していなかったふたりは、2001年12月14
日、ビーチアイランドの自宅で結婚式をあげた。この式は、ごく一
部の親しい関係者だけで執り行われたという。

  新たなるファミリー・メンバーの誕生、ひとり。

                    **********          

  2001年4月、東京ブルーノート。自ら「98パーセントのフ
ァンクと2パーセントのジャズ」と呼ぶメイシオ・パーカーのステ
ージ。

  ステージ上のメンバーの顔を見ると、な、な、なんと、バックに
あのマーサ・ハイとスイート・チャールズの顔が。

  3曲目のイントロでもったいぶった「ホエア・イズ・ラヴ」(ロ
バータ・フラックのヒット)のインストを演奏すると、そのマーサ
・ハイが後ろから前にでてくる。すると曲が突然変わり、リン・コ
リンズの大ヒット曲「シンク」を歌い始めた。マーサのソウルフル
なヴォーカルも健在だ。たしか2000年夏には、来日していなか
ったようだが、その前の98年のジェームス・ブラウンの来日には
ついてきていたことを思いだす。

  1時間40分近くのライヴが終わった後、メンバーの何人かが楽
屋から出てきた。さっそく、マーサ・ハイのところに行くと、驚い
たように「ワオ、久し振りねえ」とあいさつしてくれた。

  「いやあ、こっちが驚いたよ。ステージを見たら、マーサ・ハイ
とスイート・チャールズがいるんだもの。いつからメイシオと一緒
にやってるの?」

  「2000年の1月からよ。ミスター・ブラウンのところは、そ
のときに辞めたの。ミスター・ブラウンのところには32年もいた
のよ!  32ロング・イヤーズ!  いまは、とってもハッピー」

  「ってことは、ミスター・ブラウンのところにいたときは、ハッ
ピーではなかった、と?」

  「いやいや、別にそうじゃないわ。(苦笑)  ただとても大変だ
った、ということ。ははは」

  「ミスター・ブラウンは、あなたメイシオのところに来てなにか
言ってる?」

  「いや、別に。ただ電話してきて、『はやくウチ(ホーム)に戻
ってこい』って言うの」

  「今後のメイシオのレコードで歌うことになるのかな」

  「もちろん、彼が望めば、いつでも歌うわ」

  メイシオも、年に250本くらいのライヴをこなす、という。マ
ーサは、それにほとんどすべて同行する。ということは、ミスター
・ブラウンのもとを辞めても、相変らずの「ライフ・オン・ザ・ロ
ード(ロードの人生)」ということだ。

  僕が新しい名刺を渡すと、彼女が紙に住所とEメールのアドレス
を書き記してくれた。それは「hiomrod@...」というものだった。意
味がわからなかったので、何か特別の意味があるのか尋ねた。する
と、彼女は説明してくれた。

  「「hi」は、自分のハイ(high)の2文字、「om」、「rod」は、それ
ぞれ私の亡くなった二人の息子、オマーとロドニーの頭文字なの」
と。

  二人とも95年に他界したという。きっと若かったに違いない。
「それは、お気の毒に、しかし、なんでまた」と訊くと、ちょっと
言葉につまり、「銃に撃たれて」と答えた。それ以上はつらそうだ
ったので、「その話はやめよう。アイム・ソーリー」とお悔やみを
言った。

  メール・アドレスひとつにも、それぞれの思いや、物語があると
いうことがはからずもわかったやり取りだった。

  ファミリーから去った者、ひとり。

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  そして、2001年秋。ブラウンがひとりの旧友に声をかけた。
BBことボビー・バードだ。

  「一緒に一曲歌わないか」。

  正式にファミリーを脱退してから28年の年月が経過していた。
しかし、その間も、なにかあれば、いつもでふたりは会うことがで
きた。96年1月、ブラウンの愛妻が死去したときの葬儀にもボビ
ー・バードは、妻であるヴィッキー・アンダーソンとともに参列し
ている。

  ボビーが参加した曲が、このアルバムからの最新シングルとなっ
た「キリング・イズ・アウト、スクール・イズ・イン」だ。ボビー
は、同曲を歌うだけでなく、他の曲も共作するなどしている。

  ファミリーに戻った者、ひとり。

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  ジェームス・ブラウンが、シンガーとして初ヒットを出してから
46年。その間に、ファミリーに入った者、去った者は数え切れな
い。去る者もいれば、戻る者もいる。歴史の鎖は、常につながって
いく。

■アルバム紹介

  本作は、ジェームス・ブラウンのスタジオ録音による新作。全米
では、2002年3月発売予定。新録による新作としては、98年
11月発表の『アイム・バック』以来3年3か月ぶりの新譜となる
。前作は、プライヴェート・アイ・レコードからの発売だったが、
今作はFOMEレコードという会社からの発売。おそらく、全米に
配給網を持つニューヨークのインディ・レーベルと思われる。ジェ
ームス・ブラウン自身のレーベル、ジョージア・ライナ・レーベル
のロゴ入りでの発売。原盤番号は、FOME  FO183262。

  プロデューサーは、ジェームス・ブラウン、共同プロデューサー
に前作『アイム・バック』にもかかわっていたデリク・モンクの名
前がある。

  アルバムにさきがけてシングル「キリング・イズ・アウト、スク
ール・イズ・イン」が2001年11月にリリースされていた。こ
の曲の話題は、なんといっても、長年のパートナー、ボビー・バー
ドとの共演だろう。

  ずっとジェームス・ブラウン・ファミリーから離れていたボビー
が久し振りに戻ってきて、この「スクール・イズ・アウト」で、デ
ュエットを聴かせる。

  ブラウンとバードの共演は、ジェームス・ブラウンのファンサイ
ト『エスケープイズム』を運営されている佐藤氏の認識では、80
年にTKレコードから発売されたアルバム『ソウル・シンドローム
』内に収録された「マシュ・ポテト」以来ではないか、とのこと。
およそ22年ぶりということになる。

  また、ジェームス・ブラウンのガールフレンドから妻になったト
ミー・レイが再びフィーチャーされている。

  タイトルの『ネクスト・ステップ』は文字どおり、次のステップ
、という意味。このジャケット写真が素晴らしい。ジェームス・ブ
ラウンの足下は、それだけで芸術だ。あの足裁きは、だれにも真似
ができない。

  「この写真は、特別な写真だ。ミスター・チャールズ・バビット
が私の家の壁にかかっていたこの写真を見たとき、私は彼に言った
。『私の次のアルバムは、ネクスト・ステップだ』と。そして、ふ
たりでこの写真こそ、アルバム・カヴァーにもっともふさわしいと
意見が一致したのだ」とブラウンは言う。

曲目紹介

  2曲目「センド・ハー・バック・トゥ・ミー」は、ブラウンの「
マンズ・マンズ・ワールド」フレイヴァーなバラード。

  「キリング・イズ・アウト」は、ブラウンが、ここ何年かでアメ
リカの高校で生徒が生徒を銃で撃ち殺す事件が起きたことへの懸念
を表明して作った作品。タイトルは、いくつかの意味が込められて
いるが、「殺人は終わった、学校に行こう」、「殺人は流行後れだ
、学校へ行くのがおしゃれだぜ」と言ったところか。ブラウンは、
古くから子供たちの教育の重要性をことあるごとに口にしている。
それは、ひとえに自分がまともな教育を受けられなかったために苦
労してきたからだ。日本盤には、別ミックスがヴォーナストラック
で収録。

  全10曲中9曲はオリジナルだが、1曲だけカヴァーが収録され
ている。それが6曲目の「ベイビー・ユーヴ・ガット・ホワット・
イット・テイクス」である。これは、50年代から60年代にかけ
て多数のヒットを放ったシンガー、ブルック・ベントンとベイビー
・ワシントンのデュエットで60年1月からヒット。R&Bで10
週間1位、ポップでも5位を記録した作品。ここでは、オリジナル
のデュエットにあわせ、トミー・レイとデュエットを聴かせるが、
サウンドはかなりジェームス・ブラウン調になっている。また、こ
の曲は前作『アイム・バック』の4曲目に単に「ホワット・イット
・テイクス」のタイトルで、同じくトミーとのデュエットで録音さ
れていた。もちろん本作のヴァージョンは、新録である。だが、同
じ曲を2作連続で入れるあたり、よほどこの曲に思い入れがあるの
だろう。(前作ライナーでは、バック・コーラス・グループのビタ
ースイートのメンバーのひとりかと推察したが、正しくはそうでは
なく、トミー・レイとのデュエットだった。訂正します)

  そして、それに続く7曲目「イッツ・タイム」は、トミー・レイ
がソロで歌う。

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  これでこのジェームス・ブラウンの『ザ・ネクスト・ステップ』
のアルバムはもうおしまい。いかがでしたか。このCDがあなたの
CDライブラリーにおいて愛聴盤となることを願って・・・  

[January 16, 2002: MASAHARU YOSHIOKA] 
"AN EARLY BIRD NOTE"          
"LINERNOTES SINCE 1975"       
http://www.soulsearchin.com
    
[January 16, 2002: MASAHARU YOSHIOKA]
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