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デイヴィッド・リッツ インタヴュー
デイヴィッド・リッツ、インタヴュー  『両肩に刻まれた入れ墨』

デイヴィッド・リッツ、インタヴュー
『両肩に刻まれた入れ墨』
【1994年5月9日・記】


   1984年4月1日。その日は、音楽ファンにとって悪夢のエイ
プリル・フールとなった。その前年、「セクシュアル・ヒーリング
」で見事なカンバックを見せたマーヴィン・ゲイが実の父親の銃弾
に倒れるという事件が起こったのである。「ホワッツ・ゴーイン・
オン」、「レッツ・ゲット・イット・オン」など様々なヒット曲で
一世をふうびしたシンガーであり、非常にセンシティヴで、芸術家
肌だったマーヴィン・ゲイ。その伝記を書いた人物がいる。デイヴ
ィッド・リッツという作家である。本の題名は、『ディヴァイデッ
ド・ソウル』(引き裂かれたソウル=日本未発)、マーヴィンとの
何十時間ものインタヴューをはじめ、彼を知る関係者30人以上の
取材からマーヴィン・ゲイの一生を克明かつ冷静につづる。一体マ
ーヴィンとはどのような性格の持ち主だったか、そのキャラクター
が見事に浮かびあがる一大バイオグラフィーである。
   著者のデイヴィッド・リッツが来日し様々な話をしてくれた。


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『両肩に刻まれた入れ墨』


   点字。

   六本木のスモーキーなソウル・バー「ジョージ」。100枚のソ
ウル、R&Bのシングルが収まっているジューク・ボックスからオ
ーティス・レディング、テンプテーションズをはじめいつもの定番
ソウルが流れてくる。すっかりおなじみの1曲マーヴィン・ゲイの
「セクシュアル・ヒーリング」が流れてきたとき、彼は「この曲、
僕が書いたんだよ」と一言漏らした。彼とは、作家でありバイオグ
ラファー(伝記作家)でもあるデイヴィッド・リッツである。

                           〜〜〜

   デイヴィッドは1943年12月2日ニューヨークに3人兄弟の
真ん中に生まれた。十代の頃、彼はまずジャズに傾注し、しばらく
してブルーズ、そしてR&Bを聴くようになった。もっとも、この
頃彼は将来は野球の選手になりたいと思っていた。ニューヨーク生
まれで、当然のように大のドジャース・ファンだったからだ。(ド
ジャースは現在はロスアンジェルスが本拠だが、当時はニューヨー
クがフランチャイズだった)  70年代まで、彼は広告業界でコピ
ーライターの仕事をする一方、常に何かを書きたいと思っていた。
そんなとき、彼はとあるブルーズ・ミュージシャンについて書かれ
た1冊の本に出会う。音楽、特にブルーズ好きの彼にとってこの本
は衝撃だった。それまで、誰もこのミュージシャンについて、これ
ほど詳しく書いたことなどなかったからだ。そこで、彼は自分が好
きなミュージシャンのことを書こうと思い、彼にとってのヒーロは
誰かを考えた。彼にとってのヒーローであり、もっとも好きなミュ
ージシャンはレイ・チャールズだった。

   デイヴィッドは、レイに直談判に行くことを決めた。彼のスタジ
オに行くとマネージャーらしき人物が出てきて応対するが、全く相
手にされなかった。来る日も来る日もそこに行ってはドアを閉めら
れ、「メッセージを伝えてくれ」と言っても決して折返しの電話は
こなかった。そこで、彼は一計を案じた。電報局に出向き、点字で
電報を送ることにしたのである。彼は、自分が考えていること、伝
記を書きたいことなどを18ページにも渡って書き、点字で送った
のだ。

   デイヴィッドは言う。「マネージャーはどうせ点字は読めないだ
ろうから、絶対にレイ本人にメッセージが伝わると思ったよ」

   果たして、まもなく彼の元にレイ・チャールズ本人から電話がか
かってきた。そして、彼はレイの伝記を書くことになった。197
6年のことだった。

   この本は『ブラザー・レイ』となって78年に発売され、音楽関
係者から高い評価を得た。その後、彼は1冊小説『グローリー』を
書き、次に興味を持ったのが、マーヴィン・ゲイだった。

   投稿。

   デイヴィッドは、以前からマーヴィンの音楽が好きで、彼に興味
を持っていた。ちょうど、レイ・チャールズの伝記を書き終え、発
売された後の78年暮にマーヴィンがアルバム『ヒア・マイ・ディ
ア(邦題、離婚伝説)』を出し、これに感激していた。ところがこ
のアルバムは批評家たちから酷評された。そこで、彼はロスアンジ
ェルス・タイムス紙にこの『ヒア・マイ・ディア』がなぜ、素晴ら
しいか、どれだけ彼のキャリアの中で重要な意味を持つかを熱心に
書いて投稿したのである。この投稿には一つの狙いがあった。それ
はマーヴィン自身にこの「読者からの投稿」を読んでもらいたい、
というものだった。

   彼の狙い通り、マーヴィンはこの投稿を読み、マネージャーが「
マーヴィンが会いたいと言っている」と連絡してきた。この時点か
らマーヴィンとデイヴィッド・リッツの関係が始まった。

   マーヴィンと会って、伝記を書きたいと申し出ても、最初マーヴ
ィンはあまり乗り気ではなかった。だが、2人ともいつかは本にし
ようというおぼろげな約束ができ、リッツは機会を見てはマーヴィ
ンと話をするようになった。彼らの友人関係は、それ以来約5年程
続く。

   デイヴィッドが語る。「僕が初めて伝記を書いたレイ・チャール
ズと(2冊目の)マーヴィンはまったく対照的な人物だ。レイは、
僕よりも年上だし、何か厳しいおじさんという感じだった。規律が
厳しく、何事もオルガナイズされていた。だが、マーヴィンは『ヘ
イ、どうだい』という感じで、何か兄弟同志という感じだったね。
マーヴィンは、時間があればいつでも話をしてくれたが、レイとの
インタヴューはきっちりと時間が決められた」

   マーヴィンのこの時期は彼の人生の中でも最悪といっていい期間
であった。20年近くも在籍していたモータウン・レコードとトラ
ブルになり、妻と離婚問題でもめていた。彼の妻が、ソウル界の一
大帝国となったモータウン・レコードの創始者兼会長のベリー・ゴ
ーディーの姉であることも問題をより複雑にしていた。

   マーヴィンは、ハワイやロンドン、そしてベルギーまで心の逃避
行の旅に出ていた。デイヴィッドが振り返る。「マーヴィンは世界
中のどこにいても、例えばハワイにいれば『ヘイ、デイヴィッド、
ハワイに来いよ』とかベルギーにいれば『ヘイ、ベルギーに来いよ
』という調子だった。結局、ベルギーにも行ったよ」

   デイヴィッドはマーヴィンとのインタヴューは、ほとんどテープ
に収めており、そのテープは膨大な量になっていた。

   あるとき、デイヴィッドがベルギーにマーヴィンを訪ねたとき、
マーヴィンは1曲のデモ・テープを聴かせた。安いリズム・ボック
スを使って録音されたその曲にはまだタイトルがなかった。ちょう
どそのとき、マーヴィンのアパートに、何冊かのポルノが散らかっ
ていてデイヴィッドは一言彼に言った。

   「君には性的な治癒(セクシュアル・ヒーリング)が必要だな」

   マーヴィンはこの一言にピンときた。そこで、2人でこのまだ無
名の曲に歌詞を書き始めたのだ。こうしてできあがった作品が「セ
クシュアル・ヒーリング」だった。

   新しいレコード会社との契約が結ばれ、アルバムが発売される段
階になったとき、マーヴィンは曲の作者クレジットにデイヴィッド
の名前をいれることを嫌がった。マーヴィンは歌詞は自分が書いた
と主張したのだ。デイヴィッドは訴訟を起こした。結局、デイヴィ
ッドが録音していたテープが、デイヴィッドとの共作であることを
証明した。デイヴィッドの名前がクレジットの中に入ることで和解
が成立したが、しかしながら、デイヴィッドとマーヴィンの個人的
な友人関係は冷え切ってしまった。そこで当然のことながら、本の
完成も宙に浮いた。

   彼はインタヴューのときに録音したテープを必ず自分で起こす。
彼は言う。「確かにアシスタントにテープを起こさせる作家もいる
が、僕はそうしない。その声から僕はアーティストのヴァイブを、
リズムを感じるからだ」

   悪夢。

   82年10月、「セクシュアル・ヒーリング」が発売され、マー
ヴィンは奇跡のカンバックを果たすが、思いもかけぬ出来事が起こ
る。

   悪夢のエイプリル・フールが訪れるのだ。1984年4月1日。
マーヴィンは、父親とささいなことから言い争いとなり、マーヴィ
ンを威嚇した父親の銃弾に倒れ帰らぬ人となる。

   デイヴィッドも大きな衝撃を受けしばらくは何も出来ない日々が
続いた。だが、この死をきっかけに彼は、やはりマーヴィンの本を
完成させなければならない、という強い脅迫観念を持つようになっ
た。

   精力的に関係者に取材を重ね、マーヴィンゆかりの地に足を運ん
だ。

   「重要な人物の中でインタヴューが取れなかったのが2人いる。
彼の2人の妻だ。最初のアンナと現在のジャン。2人とも何も話し
たがらなかった。」  リッツは残念そうに振り返る。

   結局、この本は約1年をかけて書かれ『ディヴァイデッド・ソウ
ル(引き裂かれたソウル)』と題され85年5月に全米で発売され
た。マーヴィンの、それまで知られていなかった生涯、彼のキャラ
クター、父親との確執、ライヴ・パフォーマンスへの恐怖などが実
にクールなタッチで書かれている。

   デイヴィッドは、このマーヴィンの本の後に、スモーキー・ロビ
ンソンの伝記、アトランティック・レコードのプロデューサー、ジ
ェリー・ウエクスラーの伝記を発表、さらにエタ・ジェームスの伝
記も書きあげている。この他に、野球好きのデイヴィッドは、バイ
オグラフィーというノン・フィクションではなく、フィクションの
小説もいくつか書いている。

   「バイオグラフィーを書くこつかい?  何よりも、忍耐だよ。そ
して、そのアーティストに対して決して怒らないこと。インタヴュ
ーが何度流れようと、ひたすら待つということだ。なにしろ、その
彼がしゃべってくれなければ、本ができないんだからね」

   彼の左肩のところには、立派な入れ墨が彫ってある。ロスのジル
・ジョーダンというアーティストのもので、カラフルな彩りで「ジ
ャズ」と書かれている。そして、右肩のところには「リズム&ブル
ーズ」と彫られている。「まず、最初に気に入った音楽がこれで」
といって左肩を指し、「次に大好きになったのが、これと言うわけ
だ」と言って指差したのが、右肩の入れ墨だった。

   「何よりも、そのアーティストの作品を愛して、そして、そのア
ーティストのことも愛さなければ何も出来ないよ」

   リズム&ブルーズへの愛着が、レイ・チャールズ、マーヴィン・
ゲイの本へ結集した。

                           〜〜〜

   「この曲、あなたが書いたの。すごいわね。じゃあ、これ、お土
産!」  ジョージのママが、デイヴィッドに「GEORGE’S」
とプリントされたTシャツをプレゼントしてくれた。

吉岡正晴

(1995年7月号、マリクレール誌に短縮版を掲載)


(ジョージのママは、2001年10月逝去されました)

(2002年11月9日アップ) 
    
MASAHARU YOSHIOKA
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