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中村義郎、インタヴュー
中村義郎、インタヴュー

中村義郎、インタヴュー
『ボヘミアンの風』
【2001年6月15日・記】


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  風。

  その人物の周囲に吹く風は、それぞれだ。激しい風、暖かい風、
そよ風。白金で会った彼の周りにはゆったりとした穏やかな風が吹
いていた。

  77年初夏。学校を卒業してから就職活動もしていなかった中村
善郎は、かねてからおぼろげに描いていたブラジルに行ってみたい
という思いを実現させた。アンカレッジ、ニューヨーク、サンファ
ンを経てサンパウロに到着したのは日本をでてから優に30時間以
上経過していた。日本は初夏だが、南半球のブラジルはこれから冬
になるという時期だった。

  なぜブラジルなのかという確固たる理由もなく、これをしたいと
いった目的もなかった。「なんとなくブラジル」だったのだ。

  ただ、自分が5歳頃に聴いたハリー・ベラフォンテの4曲入りの
レコードを繰り返し聴いていたことが、ブラジルか、あるいは、南
米かそういった地域への郷愁の原点だったのかもしれないと思うこ
とがある。

  最初は、滞在も3か月くらいのつもりだった。サンパウロの安宿
を本拠に、ブラジル各地、リオやバイヤといった街に旅に出た。金
も余裕がなかったので、いつも移動はバスだった。長い時には20
時間も30時間もバスに揺られた。リオはサンパウロと比べると、
大都会で洗練されていた。バイヤは、アフリカ系の人たちが多く、
黒っぽくてファンキーだった。あてもなく街を訪れ、気に入ればし
ばし滞在する。ボヘミアンのような生活だった。

  あちこちに旅をして、再びサンパウロに戻ってきたある日、彼は
自分が泊まっていた安宿の近くにあるバール(酒場)に足を踏み入
れた。黒光りするような年季の入った木でできたカウンターや店内
は、30人も入れば一杯になる。「セン・ノーメ」(名前がない、
の意味)がその小さな店の名だった。ここにはギターやパーカッシ
ョンが置かれ、誰ともなくそれを弾きだし、そのギターや打楽器に
あわせて、皆が歌を合唱するような店だった。

  彼は、毎夜その店に通うようになった。一週間もしないうちに、
彼もすっかりそのセン・ノーメに溶け込んだ。そこの客らはプロで
もないのに、うまくギターにあわせて誰もが楽しそうに歌う。それ
を見た中村は、彼らが心底音楽を楽しんでいる姿に衝撃を受けた。
それは彼が知っていた日本での音楽の楽しみ方、聴き方とはまった
く違っていた。

  彼もかつてはギターをかじったことがあったので、自分でも弾い
てみたいと思い、ギターを持っている男に尋ねた。

  「『イパネマの娘』を弾きたいんだが、どうすればいいんだろう
か」

  するとギター弾きは、親切に指の押さえ方とコードを教えてくれ
た。それはまさに『イパネマの娘』のイントロのコードだった。言
われるがままに弦を押さえて、弾いてみると、あのレコードで聴き
なじんだイントロの音が流れ出した。その響きに、中村は胸が踊っ
た。最初はたどたどしかったが、何日か練習し「イパネマの娘」を
マスター。以後、彼は次々とボサノヴァの様々な曲を教わっては自
分のものにしていく。

  「もう毎日、そこに行くのが楽しみで。行きたくてしょうがない
んですよ」と中村は振り返る。

  いつしか彼は、ナカジーニョとかナカと呼ばれるようになり、セ
ン・ノーメの顔のひとりになっていた。

  中村の現在のボサノヴァ、ブラジル音楽の第一人者としての原点
は、この頃にある。

  彼のブラジル生活も2年近くになっていた。本当に金がなくなり
「そろそろ潮時かな」と思った彼は日本への帰国を決意する。それ
を知ったセン・ノーメの仲間たちはみんなでポルトガル語の「蛍の
光」を歌ってくれた。

  それから20年余。ナカジーニョは日本のレコード会社と契約し
何枚もの作品を発表し今では「日本のジョアン・ジルベルト」と呼
ばれるまでになった。中村がつまびくシンプルなギターと声は、そ
れが日本人であるとは思わせない。

  彼と話をしていると、彼の周囲の時の流れと空気がゆったりして
いることに気が付く。そこで一体普段どんな生活をしているのだろ
うかふと興味が沸いた。すると、彼のところにはテレビもなく、新
聞もとっていないという。

  そう、ボヘミアンにはテレビも、新聞もいらない。必要なのは、
何人かの友人との語らいと、少しの酒とちょっとしたいい音楽だけ
だ。中村善郎のボヘミアン的人生には、それらがきっちりと存在す
る。だから、そのゆったりとした人生を送る彼の周りには穏やかな
風が吹いていたのかもしれない。そして彼が奏でるボサノヴァも、
ボヘミアン的生活から生まれているのだろう。


  
吉岡正晴

(ミュージック・スタイル誌  VOL.1、2001年8月1日号
に掲載)
    
MASAHARU YOSHIOKA
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