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カーティス・メイフィールド・インタヴュー
カーティス・メイフィールド・インタヴュー
『ベッドからの電話』
【1994年3月29日・記】


   1990年8月の運命的な事故以来、これまでまったく公の場に
姿を現してこなかったもう一人の巨匠、カーティス・メイフィール
ド。下半身不随となった彼が、グラミー賞の会場に車椅子で登場し
た瞬間、場内の観客は総立ちで彼を迎えた。多くのミュージシャン
が彼にトリビュートして多くの彼の作品を手を取り合って歌った。
昨年の秋以降、彼の記事がいくつか出るようになり、ここに来て彼
へ捧げるアルバム『オール・メン・アー・ブラザース』も発売され
た。カーティスは、このアルバムの発売を機に、いくつかのインタ
ヴューに答えるようになった。そこで、筆者も彼に電話で話を訊い
た。

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   現在の彼は、ずっと長く移り住んでいるアトランタで療養中であ
る。事故以来病院か自宅でリハビリに専念している。ベッドの上で
の電話インタヴューが限られた時間だけ許される。電話の向こうの
声は、心なしか、弱々しさを感じるが、来日時に見せたヒューマン
な感じのいい人間という雰囲気は相変わらずだ。

   「ニューヨークにグラミーのために出たのが、事故以来初めて自
宅を出た経験だった。本当に素晴らしかったよ」と彼は、グラミー
のときの感激を語る。

   今度のグラミー出演は、アルバム『オール・メン・・・』発売と
の関連もあるが、そのアルバムは、ロン・ワイズナーという昔から
知り合いの業界人が声をかけて作り上げた。そして、印税が療養中
のカーティスに入るよう取り計らわれたこのアルバムのプロジェク
トの話を聞いたときも、カーティスは大感激した、という。

   カーティスといえば、いろいろな作品が浮かぶが、もっとも勢い
があったのは『スーパーフライ』が登場した頃の70年代初期だ。
いまでこそ、いわゆるブラック・シネマが大きな話題を集めている
が、ごく初期のブラック・シネマにかかわった彼から最近のものは
どのように映るだろうか。

   「もっとも大きな違いは、最近の映画はかつて70年代に私がか
かわった映画ほどポジティヴなテーマを持っていないような気がす
るということだ。『スーパーフライ』では、たった2人しか映画の
中で死なないんだ。(笑)  いまでは、映画が終わるまで30人も
死ぬだろう。かつてのものでは、インスピレーションや前向きな考
え方がよく出ていたように思う。最近のものにはそういうものがな
い。これは、別にブラック映画に限ったことではなく、映画全般に
いえることだけれどね。ただ、スパイク・リーの仕事は気に入って
いるよ。彼の作品は、それほど大きな予算がないにもかかわらず、
彼が描き出すキャラクターがいいね。最近のものは、あまりに現実
をリアルに描き出す結果、ポジティヴなメッセージもそこに埋まっ
てしまうということがある」

   カーティスは、ミュージシャンであり、ソングライターであり、
しかもビジネスマンでもある。十代半ばから歌い始めて今日まで、
彼はR&Bミュージックの生き証人でもある。そんな彼が過去30
年以上のR&Bの変遷をどのように見ているか。

   「これは個人的な見方だが、経済的には、非常にいい方向に向か
っていると思う。多くの(黒人の)エグゼクティヴがレコード会社
の中に存在するようになったし、自分たちがしたいことをかつてよ
りもコントロールできるようになった。この音楽業界という大きな
ビジネスに対する知識もはるかに持つようになった。そして、今や
音楽ビジネスというのは、アメリカの国内ビジネスではなく、イン
ターナショナルなビジネスに広がった。そしてそうした国際的な視
野を持った黒人も多くなった。こんなことは50年代初期、60年
代には起こらなかった」

   歴史のある人物の言葉には、それだけで重みがある。これはその
ほんの一部である。

吉岡正晴

(1994年5月号アドリブ誌に掲載)

(カーティス・メイフィールドは、1999年12月26日、57
歳で逝去されました)

(2002年11月21日アップ)
    
MASAHARU YOSHIOKA
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