ENT>MUSIC>INT>DOKY, CHRIS MINH
クリス・ミン・ドーキー、インタヴュー
クリス・ミン・ドーキー、インタヴュー
『音楽に降伏』
【2002年8月10日】

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   アップライト・ベース。

   85年の夏、デンマーク生まれ、16歳のクリスは親友から聴か
されたマイルス・デイヴィスの『マイ・ファニー・ヴァレンタイン
』に衝撃を受けた。それまでにも、エレキ・ベースを演奏していた
が、そこで聴かれたアコースティック・ベースは、過去聴いたベー
スとはまったくちがっていた。ロン・カーターのベースだった。ク
リスは、父親に大きなアップライト・ベースをねだった。ねだって
ねだって、ねだり続けて、結局、彼は17歳の誕生日(2月7日)
に念願のアップライト・ベースをもらう。その日から、彼は学校か
ら帰ると、夕食を食べる間も惜しんで、夜中まで『マイ・ファンニ
ー・ヴァレンタイン』のアルバムを聴き、真似しようとした。来る
日も来る日もプレイし指からは血が吹き出した。ワンフレーズずつ
どのようにロンが弾いているかを真剣に聴きコピーした。

   約2週間経って、クリスは、だいたいレコードと同じように弾け
るようになった。これを機に彼は徐々に母国のジャズ・シーンで知
られるようになる。

   それでも学生だった彼はプロのミュージシャンになるつもりはな
かった。父親と同じく医師になろうと考えていた。一足先にミュー
ジシャンになっていた兄がいたこともあり、彼もまた「医者の道を
諦め、ミュージシャンになりたいんだ」と父親に告白する。父は困
惑するが、ひとつだけ条件をつけて了承した。それは「やる以上、
ベストを尽くせ」という言葉だった。

   マイルスを聴いてからちょうど3年の歳月が流れた88年8月。
クリスは単身ニューヨークに渡る。まったく無名の新人ベース奏者
として、一歩を踏み出した。着いた日にハーレムの安アパートに居
を決めたが、まもなく強盗にあい持金を盗まれたこともあった。そ
れでも徐々にニューヨークのシーンで、名声を得、14年経った今
ではトップ・ベース奏者の名をほしいままにする。

   「あの頃、音楽はこうで、ああで、こんなコードをこうプレイし
て、なんていくらでも能書きを言えた。でも、今は言えないんだ。
例えば、新作ではトリオで録音しているが、優れたミュージシャン
にはあれこれ指示しない。彼らがやりたいようにやってもらう。自
分がこうして欲しい、ああして欲しいというんだったら、才能ある
ミュージシャンを起用する意味はないんだ。音楽を作ろうとしては
だめなんだ。自然に音楽に作らせるようにしないと。作ろうとして
作った音楽は、心に到達しない。でも、どうやったら心に到達する
音楽を作れるのかは、やればやるほどわからなくなる。だから、今
は音楽に『降伏』している感じなんだ」。

                                                   吉岡正晴

(毎日新聞2002年8月10日付け夕刊、楽庫に掲載)
    
MASAHARU YOSHIOKA
|Return|