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深山亭 『静寂と活気のはざまに』
『深山亭』
(蕎麦)
(浜松町)
『静寂と活気のはざまに』


【2002年6月17日月曜・東京発】  

  ついに行ってきました。幻の蕎麦店、浜松町の深山亭。今週一杯
でロンヴァケに入ってしまうというので、月曜、開店一番で蕎麦好
きの友人森下さんと乗り込みました。果たしてそこでふたりが見た
ものは?  行った!  食った!  そして、聞いた!  渾身の深山亭
レポート!


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  静寂。

  店の看板はない。のれんに店名がかいてあるだけだ。したがって
、休業日には、そこが蕎麦屋だということがわからない。
  ガラガラっと戸を引く。みけんにしわを寄せた主人と、もうひと
りの女性(推定50代か60代前半)がチラっとこちらを見る。だ
が、何も言わない。
  「いらっしゃいませ」の声もなければ、「こちらへどうぞ」の案
内もない。白木のカウンター6席(補助席2)だけの店内は静寂に
包まれていた。
  月曜午前11時半。店が始まってまもない浜松町の『深山亭(み
やまてい)』。中に客は誰もいなかった。森下さんとどの席に座ろ
うか一瞬迷う。一番奥の二つに座ろうかと思い、その女性に「ここ
に座っていいですか?」と尋ねた。だが、こっちを見ていたのか、
見ていなかったのか、聞いたことが聞き取れなかったのか、何も返
事はなかった。重苦しい空気が漂う。カウンターにメニューを探す
ものの何もない。ふと後ろを振り返ると、和紙にしっかりとした筆
致で書かれた「もり壱枚  参百円、かけ壱杯  五百円・・・。日本
酒  参百円」などのメニューが貼られている。
  「たしか、もり1枚が少ないんだよな。だいたい、3枚程度は楽
に食べられるらしいから」と、東京レストランガイドで読んだ感想
文を、心の中で復唱する。
  「じゃあ、もりをそれぞれ3枚づつお願いします」
  「もり3枚ね、はい」
  手持ちぶさたそうだった主人が動きだす。奥の木箱のようなもの
から蕎麦をわしづかみにして、計りに載せる。正確に重さを計って
いるようだ。
  メニューの「蕎麦がき  五百円」にふたりとも惹かれ、これを追
加注文。

                          *****

  この日、僕は本島さんが教えてくれた深山亭の電話番号に、電話
をかけた。
  「あの、深山亭さんですか。今日は営業なさっていますか?」
  「はい、しております。11時半からです」
  森下さんに電話すると、彼も既に確認の電話をいれていた。
  「11時半からみたいですよ」
  「じゃあ、11時半に現地で待ち合わせましょう」
  店の人は、確認の電話が2本も入って、驚いたかもしれない。
  果たして、ここまでの道のりは、ある人々には長かった。森下さ
んはここに何度足を運んでも、シャッターは冷たく降りたまま。先
週の土曜日に店の前まで来た時に「来る6月22日から9月一杯休
業させていただきます」の張紙を見つけて唖然、呆然とした。本島
さんは、昼下がりに行き、その時、店は開店していたが「4時半以
降の夜に来てくれ」と言われ、夜に行くともうシャッターが閉まっ
ていて、途方にくれた。
  水曜、土・日、祝日と、7月から3か月間休みの店、深山亭。(
年間労働日数は150日以下だ)
  気分で閉めてしまう、開かずの深山亭。
  疲れるとやめてしまう、幻の深山亭。
  本当にやっているのか、深山亭。
  そんな積年の思いを胸に、ついに深山亭に足を運び入れた森下さ
ん。初めての訪問で、店に来られた幸運者の吉岡。そして、秋まで
、この蕎麦を味わうことができずに、レポートだけをひたすら待ち
受けるしか術がない本島さん。三者三様の想いが交錯する浜松町1
丁目。
                    
                        *****

  待つこと数分。20センチ、10センチ程度の小さなせいろのよ
うなものにひと盛りされた蕎麦が3段。それに申し訳程度の小さな
つゆ入れとつゆ。ほんのひとにぎりのネギとワサビと大根おろし。
カウンター越しに手渡されつつ、薬味がこれで足りるかとの不安が
胸をよぎる。
  少し太目の蕎麦。まずワサビだけをつけて、そのまま口に運ぶ。
しっかりとした腰、歯応えがある。蕎麦の香りはそれほど強烈では
ないが、なかなかいい。蕎麦を噛むと、さきほどより蕎麦の味がし
てくる。
  3枚目を食べるあたりで、蕎麦がきが渡される。両手で包めるか
どうかという大きさ。なかなかのヴォリュームだ。
  女性に、「7月からはずっとお休みになってしまうんですか」と
声をかける。
  すると、帰ってきたのは「はい」の一言だけ。(さむっ)  話が
進まない。次の質問も思い浮かばない。
  主人は一仕事終えて、我々の斜め向かいの椅子に腰かけた。相変
わらずの重苦しい雰囲気は続く。
  森下さんがひそひそ声でささやいた。「吉岡さん、話聞かないん
ですか?」
  「いやあ、重苦しいしねえ。きっかけつかめないですよ」  
  蕎麦は、少なめのつゆと薬味をなんとかうまく工面して、食べ終
えた。
  森下さん。「今までにあんまり食べたことがない蕎麦ですねえ。
う〜〜ん、これはもう一度、今週中に来ないといけませんねえ」
  「そうですねえ。10月まで食べられないんですもんね」
  主人は、ひまそうにしている。思い切って、もう一度声をかける
ことにした。  
  「7月から、ずっとお休みになっちゃんですか」
  主人があいそよく答え始めた。「え〜、暑いのが嫌いでねえ。夏
がだめなんですよ。夏の間は、寒いところに旅行なんか行っちゃう
んですよ。北海道とか東北ですねえ」  
  意外とよくしゃべる。しかも、先程までのしかめっ面とは打って
変わっての、笑顔での応対だ。笑うと口元が開き、上の前歯が2本
か3本ないところが愛敬だ。
  「まあ、旅行といってもね、そんな高い旅館に泊まるわけじゃな
いですからね。一泊二食ついて1万円もしないですから。この前な
んか二食付きで6000円なんてのがありましたから。食べる物は
、質素ですしね。蕎麦好きの仲間が7−8人いて、その連中と行く
んですよ。今年も、また北海道に連れてかれそうになっちゃってて
ね。(旅行行くと)二食、旅館の料理を食べ、昼は蕎麦。そんなの
が続くんですよ」
  「へえ、じゃあ、お仲間と行かれると楽しいでしょう」と森下さ
んが合いの手をいれる。
  「まあ、でもねえ、辛い時もありますよ、ハハハ」
  仲間と一緒にいると、つい飲み過ぎてしまう、と言う。もっとも
ひとりでいても、飲み過ぎることもあるんだが、と笑った。主人は
、日本酒がかなり好きと告白した。
  話題を変えてみる。「やっぱり、今時のお蕎麦は、あんまりおい
しくないんですか」
  「そうだねえ。もう(蕎麦自体が)古いからね。今は、春蕎麦と
か夏蕎麦(春時期、夏時期に取れる蕎麦。普通は秋になってから取
れる蕎麦が大半。今でている蕎麦は、去年の秋にとれた蕎麦)があ
ることはあるけどね。うちは、そういうのやってないからねえ。ど
うしても、今の時期は古くなっちゃうね。うちは、秋口になると、
北海道から(蕎麦を)とってね、それから、信州のだね」
  「自分で、蕎麦は育てたりはしないんですか?」
  「やんないよ〜。ハハハ」  前歯のない口元が笑う。
  「そういうのは、ほら、プロの人に任せるのがいいね。昔はやっ
たんだけどね。大変だよ。うちなんか、やったって、時々畑行って
、ちょこっとやるだけなもんでしょう。なかなかいいのはできない
よ。プロの連中は、毎日そればっかりやってるんだからね。そうい
うのは、プロの人に任せるのが一番だよ。それにね、春蕎麦とか夏
蕎麦はね、すずめなんかにやられちゃうんだよ。畑は、すずめがつ
っついた後、食べかすが散らかってるよ。だから、むずかしいんだ
」
  「へえ、すずめに食べられちゃうんですか」
  「そうなんだよ。すずめもね、春夏は蕎麦だけど、秋になると、
米をつっつくようになるんだね」
  「すずめも、グルメですか(笑い)」
  「すずめも米の方が蕎麦よりうまいってのを知ってるんだなあ」
  「知恵があるんですねえ」
  「知恵っていうかねえ、なんだかねえ」
  「からすはどうですか」
  「からすは大丈夫だね。からすはもっと肉っぽいものを食べるん
だね。残飯なんかあさったりしてね」
  話は意外と弾む。店に一歩足を踏み入れた時の、あの何とも言え
ぬ重苦しい空気はいつのまにか消えていた。
  
                        *****

  12時を過ぎても、客はあいかわらず、僕と森下さんだけ。これ
幸いとばかりに、好奇心がどんどんでてくる。
  「こちらは、できて、どれくらい経つんですか」
  「今年で6年目だ」
  「え〜、ということは、97年オープンですか、平成でいうと・
・・」
  「何年かはわかんないけど、6年目だねえ」
  年の頃、60代もしくは70代前半と見受けられるご主人。ここ
で6年という答えは非常に意外だった。これだけの蕎麦をだすのだ
から、その前にどこかでやっていたはずとふんだ僕は次の質問をた
たみかけた。
  「ここの前はどこかでやられてたんですか」
  「浦和っていう、わかります?  埼玉県でね、長い間やってたん
だ」
  「ほおお。それが何でまた、この浜松町に?」
  「妹が手伝ってくれてるんだけど、妹が川崎に住んでるんでね、
それでこっちに」
  「あああ、なるほど」
  さきほどの女性は、妹さんだったのだ。しかし、あんまり似てな
い。
  「ここで、蕎麦は打つんですか」
  「ええ、臼をひくのは、大宮に住んでるんで、そこでね。自宅に
毎週金曜日に帰ってそこで、一週間分、ひいてね。今は宅急便って
便利なもんがあるんで、それで、こっち(浜松町)に送るんですよ
。日曜日には届いててね。宅急便の配達所がすぐそこにできてね。
月曜日には届けてくれるんだ」
  「一週間分ってどれくらいになるんですか」
  「22キロだね」  主人は即座に答えた。
  「22キロって言われても、見当つきませんね。一日、どれくら
い使うんですか」
  「4キロかそこらかねえ」
  「これ(もり)、一枚何グラムなんですか」
  「60グラムだよ。まあ、普通の店は80グラムくらいあるとこ
ろもあるみたいだけどね。うちは60グラム」
  ということは、もり3枚で、僕たちは180グラム蕎麦を食べた
計算になる。けっこうな量だ。パスタだって、レストランで食べれ
ば、80から100グラムだから、かなりの量だ。もっともパスタ
は、他にも具があるから一概には比較できないが。
  「板わさとかやっこは、どうするんですか」
  「ああ、それは買ってくるんだよ。豆腐は、そこの豆腐屋さんで
、板わさは(築地の)河岸でね」
  「かけはどうします」と森下さんが聞いてきた。
  「行きましょう」と僕。
  「じゃあ、すいません、かけ2杯、お願いします」
  「はい」と言って主人が立ち上がった。
  さっきと同じように、蕎麦を取り出し、はかりに載せた。そして
、その蕎麦をゆでる瞬間には、つい今までの笑顔がいつのまにか厳
しい目付きをした蕎麦職人のそれに変わっていた。

                          *****

  「今日はどうしたんだろ。客が来ないな」  主人は、僕たちにか
けを出し、また椅子に座り込むとぽつりと言った。時計の針は12
時20分を回っていた。いつもだったらおそらく昼の混雑時に突入
している頃だ。
  もりは一枚、二枚と勘定し、かけは一杯、二杯と数えるのか。確
かにそうだ。シンプルなお椀につゆが3−4センチほど入れられ、
蕎麦がはいっていた。プ〜〜ンといい香りが鼻を刺激する。もりと
はまた一味違った一品だ。
  ガラガラっと戸が開いた。年の頃40代後半、もしくは50代の
紳士がひとりで入って来た。
  「いらっしゃいませ」  妹さんが言う。
  「いらっしゃい」  ご主人が声を出す。
  あれ、さっきは、その挨拶なかったぞ?  なんなんだ?
  その紳士が僕のとなりのとなりの席に座った。
  「もりを〜〜〜」  しばし間があく。
  「3枚!」  
  「はい、もり3枚ですね」
  主人が、また立ち上がり、蕎麦を計りだした。すると、その客が
言った。「すいません、もり4枚にしてください!」
  迷ったのだろう。3枚か、4枚で。その気持ちが痛いほどわかっ
たので、笑いを堪えるのに必死だった。3枚か4枚は、非常に微妙
なところである。ちょっと食べる気になれば4枚はいける。しかし
、4枚目をかけにするのであれば、もりの枚数が変わる。もっとも
悩むポイントである。
  店内にも、今週末から休む旨の張紙がしてある。その客が、それ
を見ながら手帳を取り出した。
  「22日から休みかあ。最後(21日)は金曜か。来れるかなあ
」
  店の中の時の流れはゆったりとしている。騒音やざわめきもない
。無駄口をたたく者も僕たち以外にはいない。
  また、戸が開いた。30代とおぼしき若い男性が入ってきた。入
口近くの席に座るなり言った。
  「もり、3枚!」

  活気。

  店が少しだけ活気を帯びて来た。
  
                        *****

  勘定を済ませ店を出ると、入れ替わるように比較的若い女性が一
人で店に吸い込まれていった。彼女も今週一杯で店が長い休みに入
ることを知っているのだろうか。女性ひとりでこの店に来るとは一
見さんではあるまい。やはり、もり3枚を注文するのだろうか。ふ
と見ると、何軒か隣の立ち食い蕎麦チェーン店「小諸そば」には、
ランチを求める人々の行列ができていた。
  小諸そばは来週も来月も開き、その前には行列の喧騒が続く。
  深山亭は来週からずっとシャッターを降ろす。あたかも存在を消
すかのように、のれんをしまう。再び、その店の前には、長い静寂
が訪れる。

                        *****
    
MASAHARU YOSHIOKA
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