Pat Martino Live At Blue Note: He's A Jazz Survivor

生存者。

32歳、天才ギタリストとして油の乗っている時期。突然彼は謎の頭痛に悩まされる。診断結果、脳の動脈瘤。手術が行われるが、ギターの弾き方から、さまざまな記憶まですべてを失った。76年のことだった。天才ギタリストの名を欲しいままにしていた彼はただの人になった。それから11年かけて、彼はリハビリをし、ギターの弾き方を懸命に学び、練習し続けた。自身の古いレコードに耳を澄まし、その音を再現するように努力、ついに87年復活した。その時のアルバムタイトルは『リターン(復活)』。見事な奇跡の復活だった。

ところがまもなく両親が病に倒れ、その看病などで、以後7年間、再び音楽活動から身を退けた。94年、再度の復活。以後はコンスタントに音楽活動を続け、何度かの来日を経て、2004年10月、再びブルーノートの舞台に立った。パット・マルティーノだ。1944年8月25日ペンシルヴェニア州生まれ。現在60歳。

ベース、ドラムス、ピアノ、サックスにパットのギターという5人編成。いずれのミュージシャンも名うての連中、プロ中のプロだ。彼を見るのは初めてだったが、なんども「なるほど、なるほど」とうならされた。ただし、このジャズは白人のジャズだ。

一見して、60年代のモッズのような渋いかっこよさを漂わせるパット。ニューヨーク・ヴィレッジのジャズ・カフェあたりで、むずかしいジャズを聴いているモッズの仲間が、自分たちもジャズをやり始めた、といった趣を感じさせる。ブルーノートのような綺麗でおしゃれで広い場所というより、もっと小さく狭く、汚く、タバコの煙が充満しているようなジャズ・バーでやるのが似合いそうなアグレシヴで、ちょっととんがったサウンドだ。

パットの指の動きは速く、一方めがねをかけたそのルックスは学校の教授のよう。最後の曲、「アースリングス」は、実にドライヴ感あふれるギター、ベース、ドラムなどで圧巻だった。

一度、引っ込みアンコールの拍手にうながされて彼らが出てくると、どこからともなく、「サニー」、「サニー」という声がかかった。僕は一瞬ミュージシャンの誰かの名前かニックネームが「サニー」というのかと思った。すると、彼らが演奏を始めたのが、あの楽曲の「サニー」だったのだ。実にかっこいい、ジャジーな「サニー」だった。これは、印象に残る。僕はちょうど同じ日、昼間に別番組の収録でボニーMの「サニー」を聴いていたので、その違いに妙に感心した。

パットの「サニー」は72年の彼のアルバム『ヘッド&ハート』に収録されている。ここでも10分近くやっているようだが、ライヴでも10分におよぶ熱のこもったパフォーマンスを見せてくれた。観客席で「サニー!」と声をかけた人たちは、30年以上前のこの作品を知っていたのだ。

重病から復活し、記憶喪失にも負けずギターを二度学んだ男、パット・マルティーノ。彼こそ、ジャズ・サヴァイヴァーだ。

楽曲「サニー」についての素晴らしい物語はここに。
https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030816.html

パット・マルティーノ、ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20041012.html

(2004年10月14日木曜、東京ブルーノート=パット・マルティーノ・ライヴ)

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