There’s A Dream After Fade-out: Willie Mitchell Revealed His Secrets Of Hi Sound

夢。

「メンフィスのロイヤルスタジオのドラムブースのところね、皮系は持ち込み禁止なのね。つまりドラムの上の皮の部分とか、そのあたりを外部の人間は変えちゃいけないんですよ。それで、あらゆるマイクが釘で打ち付けられてがっちり固定されてるんですよ。そうやって、マイクの位置が動かないようにして、いつでも同じ音を出せるようにしてるってことなのね」

いきなり、こんな濃い話。日本のライヴ・ステージの音響エンジニアをされている末永さんのメンフィス話だ。しかも、これが75年のことだというから、それもまたすごい。マーチンさんに末永さんを紹介され、やにわに「メンフィスのロイヤルスタジオで録音したことがあるんですよ」という話が始まったのだ。

末永さんは、72年頃アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を聴いて、メンフィスサウンドに打ちのめされ、それ以来メンフィスのしかも、ハイ・サウンドに一直線に走った人である。ハイ・サウンドとは、メンフィスの音楽界のドンとも言えるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの持つ「ハイ・レコード」から出た作品の数々のことを指す。ここに所属するアーティストはいずれも、同じようなサウンドで作られ、それが非常に個性的だったため、「ハイ・サウンド」などと呼ばれるようになった。アーティストで言えば、アル・グリーン、OVライト、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、クワイエット・エレガンス、ドン・ブライアントなどで、彼らの作品はいずれも強烈な個性をもつ「ハイ・サウンド」でできている。

末永さんは大阪出身で、70年代初期、加川良というシンガーのレコード制作にディレクターとして携わっていた。そして、自分がメンフィスがとても好きということもあって、どうしても一度メンフィスに行ってここでレコーディングしてみたい、と考えた。最初ロスに行き、交渉をしていたが、ものすごく高いことを言われ、らちがあかないので、直接メンフィスに単身乗り込んだ。アポなしで、ロイヤル・スタジオのドアをノックしたのだ。そして、ちょうど彼が求めるミュージシャンたちのスケジュールがあい、加川良のレコーディングがメンフィスで行われることになったのである。このアルバムは、76年の『南行きハイウェイ』という作品になる。

当時既に他のスタジオでは16チャンネルのマルチトラックが使えていたが、ウィリー・ミッチェルらはそれでも8チャンネルを使っていた、という。それは、ウィリーが16チャンネルの音に満足せず、8チャンネルの音のほうが気に入っていたからだという。チャンネル数が足りなくなると、いわゆる「ピンポン」という作業をして、チャンネル数をかせいでいた。(「ピンポン」とは、8チャンネルのうち例えば6チャンネルを使って録音したものを、バランスを整えて、残る2チャンネルにトラックダウンして、またその6チャンネルのところに新たに音を録音していくという方法。チャンネル数が限られていたときは、よく使われていた手法)

「それでね、8チャンネルしかないからか、フェーダー(音量を上げ下げするスイッチ)が、縦型の上下に上げるやつじゃなくて、丸く回転するヴォリームつまみなんですよ。その8チャンネルへのこだわりは、ウィリーならではのものでしたね」

末永さんがグラス片手に話す。「ハイ・レコードの作品、つまりウィリー・ミッチェルの作品って、あることに気がついたんですけど、どれも全部フェードアウトで終るんですよ。一曲もカットアウトで終る曲がない。ライヴでは別ですけどね。で、前から不思議に思ってて、メンフィスに行ったときに、ウィリー・ミッチェルに訊いたんです。そうしたら、彼は『よく気付いたな』って言いながらこうこう答えた。『その後(フェードアウトの後)は、聴く者が想像すればいいだろう。フェードアウトのほうが、その先に夢があるだろ』」

な~~るほど。うまいことを言うもんだ。フェードアウトの先には、夢がある・・・か。いい話だ。

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