Only The Strong Survive: The Soul Movie

必見。

映画が始まるといきなり、ルーファス・トーマスがメンフィスのDJとともにラジオ局でしゃべっている。そして、かかる曲がジェームス・カーの「ザ・ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」。これをルーファス・トーマスが鼻歌交じりで歌う。これだけでソウル・ファンはノックダウンさせられるだろう。60年代に一世を風靡(ふうび)したソウル・シンガーの何人かにスポットを当てたドキュメンタリー映画。インタヴューとライヴ映像、さらに、過去のフーテージ(資料映像)も交えての101分。この日記では一足先に「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(邦題、永遠のモータウン)」を紹介したが、本作はそれより後、2003年5月全米で公開された作品。ミラマックスが資金をだし、制作された。

https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030429.html
https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031024.html

登場するアーティストは、ルーファス・トーマス、シャイ・ライツ、カーラ・トーマス、サム・ムーア、ジェリー・バトラー、メリー・ウィルソン、アン・ピーブルス&ドン・ブライアント夫妻、アイザック・ヘイズ、ウィルソン・ピケットなど。彼らがちょっとした昔話をし、ライヴを見せる。個人的には、このライヴ部分が非常に楽しめた。上記のアーティストたちの現在の動く姿はなかなか見られないので、それだけでも貴重だからだ。なお、ルーファス・トーマスは2001年12月に死去している。

タイトルの「オンリー・ザ・ストロング・サーヴァイヴ」は、ジェリー・バトラーの69年の大ヒット曲。フィラデルフィアのギャンブル&ハフが書いた作品である。

スタックス・レコードがあった場所。この撮影時には更地になっている。現在はスタックス・ミュージアムができている。ロイヤル・スタジオ。メンフィスのラジオ局。サイン会。いろいろな場所にカメラは出向きソウルスターたちの後を追う。

ドキュメンタリー作品としては、かなり注文をつけたいところがあるが、上記アーティストになじみのあるソウル・ファンには必見だと言える。サム・ムーアのキャラクターやその奥さんの強い部分、あるいは、ウィルソン・ピケットの強烈なキャラクターなどが見られるだけで、資料的価値は充分にある。アン・ピーブルスが歌う「ブレイキング・アップ・サムバディーズ・ホーム」のライヴ映像など、これだけでも嬉しい映像だ。

関連ウェッブは、ここ。
http://movies.go.com/movies/O/onlythestrongsurvive_2003/index.html

この映画は秋に日本でも公開されます。

++++++

以後の感想は、映画の製作についてのもの。ソウルファンにはあまり関係ないと思うので、飛ばしていただいてもいい。映像作品としての製作者への注文である。

まず、ライヴ映像が多数でてくるが、その出所をその場その場ではっきり明示してもらいたい。一番最後にクレジット・ロールで一挙にでるのだが、これだとわからない。多くのライヴ映像は1999年とあるが、これはこの映画のために行われたライヴなのだろうか。ライヴも3箇所くらいで行われたようだが、はっきりしない。まだ紙資料とかがないので、よくわからない。歌われる曲名は字幕がでるが、アーティスト名も日本では絶対に字幕を出さないとわからないだろう。もはや、ウィルソン・ピケットの顔と名前は一致しない。登場するアーティストの名前字幕は必須だと思う。

カメラワークと編集。手持ちカメラを多用するせいか、けっこう映像がぶれて、僕など映像酔いしてしまいそう。もう少し固定カメラでしっかりとってほしい。この撮影チームはテレビ映像を作っていたチームではないか。あまり映画ではこういうアップはみない。異様なほど、アーティストのアップを映す。もっと引いて撮影してほしい。これだと全体像が見られない。このアップの多用にはまいった。このカメラワークはだめ。

ライヴ映像の基本はセンターから、全体像を撮るというもの。しかし、この映画にはそれがない。みな、ステージ下からアップ気味に撮るから、なかなかライヴ自体を堪能できない。いいドキュメンタリーで、ステージセンターから撮影した映像を中心に構成すると、そのライヴ会場にいるような感じになり、あたかもライヴを見ているように入り込める。しかし、この映像ではそうはならない。これは多分、あまりステージとかライヴを撮ったことがない撮影チームなのだろう。編集も、よくわからない。

「スタンディング・イン…」の映画はタイトルとストーリーが一致していたが、この「オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ(強者だけが生き残る)」のタイトルと、全体的なコンセプトがあいまいだ。製作者はあまりここに登場するソウル・アーティストについて詳しくないのではないか。これらのアーティストにちょこっとインタヴューして、ライヴ映像を撮ればそれで一本ドキュメンタリーができるだろう、と思ったのではないだろうか。

もし僕がこのタイトルで、これだけのアーティストにインタヴューできるんだったら、もっともっとつっこんで、彼らがもつ豊潤なストーリーを引き出しておもしろいものを作る。インタヴュー自体が相当甘い。ここに登場するアーティストには皆、それぞれすばらしいストーリーがあるのだ。それを浮き彫りにするだけで、十分おもしろいドキュメンタリーができる。ここに登場するアーティストの共通点であり、そして、最大のポイントは彼らが60年代に一世を風靡しつつも、今はそれほどスポットライトが当たるところにはいない、いうことでもある。その光と影のコントラストを丹念に描けば、もっともっとおもしろくなる。

クリント・イーストウッドが作った『ピアノ・マン』のドキュメンタリーなど同じ1時間半程度なのに、その密度の濃さは雲泥の差だ。監督の力といってしまえばそれまでだが、やはりその音楽を、ミュージシャンをどれくらい理解しているかが大きな要素になると思う。そして、どれだけテーマをしっかり持ち、そこを掘り下げられるかだ。

例えば、サム・ムーアに取材者が「あなたはいかにして、(今日まで)生き延びてきたか」と聞く。この質問はいいと思う。これを全員にしてもおもしろいだろう。そして、彼が「僕はラッキーだった。恵まれていた(bleseed)」と答える。サムは70年代初期に、ドラッグ中毒になりどんぞこの生活をしていた。そこから見事に抜け出したのだが、それを隣に座っている奥さんが「私が救った」ようないい方をしている。それも、もちろんあるのだろうが、演出としては、どうだろうか。奥さんの言葉ではなく、サム・ムーアのコメントで、「オレのワイフのおかげだよ」と言ってもらい、横でワイフがうなづいたほうが、よりリアルに感銘できる。これは単純にドキュメンタリーのテクニックの問題である。

ここに登場した連中は、果たしてサヴァイヴした(生き残った)のか。ということは、彼らはストロング(強者)だったのか。そうではないはずだ。彼らは、例えばサム・ムーアなど弱い人間だったに違いない。だが、生き残っている。あるいは、サヴァイヴしなかったアーティストも、多数いるはずだ。そこに光をあててもおもしろい。もし、ここに登場した連中が強者で生き残ったというのであれば、いかに生き残ったか、その過程をもっと掘り下げないと。インタヴューからでてくるコメントが、表面的なのだ。もちろん、普段着の、下世話な本音トークがあって面白いところも多々あるのだが、それは映像作品としてはあくまで調味料的な存在であり、本筋にはしっかりとしたストーリーラインがなければならない。勝者は生き残ったのか。勝者でなければ生き残れなかったのか。弱者はどうなったのか。テーマの見つめ方、掘り下げ方がたりないので、ドキュメンタリーとしてはどうしても物足りない。ああ、それにしても、これだけの素材があって、実にもったいない。未発表フィルムがあるなら、全部見せてもらって、編集させてもらいたいものだ。(笑) 

ダイアナ・ロスではなく、メリー・ウィルソンがでてくるのはなぜか。その説明が欲しい。もちろん、ダイアナはスーパースターとなったが、メリーはいまだにクラブでダイアナのヒット曲を歌っている、という悲惨さを見せたいのか。どうも、あちこちで詰めが甘い。それぞれのアーティストたちの関連性というか、つながりというものがない。だからどうしても、誰かに感情移入ができない。よって、泣けない。仮にサム・ムーアを軸にストーリーを展開させていけば、それはそれで徐々に感情移入できるだろう。ルーファス・トーマスでもいい。彼の場合、2001年に亡くなるのだから、その葬式部分がはいってもいいはずだ。

おそらく、ヒントは、ジェリー・バトラーのインタヴューや、彼が書いたという自伝『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』あたりにあるのではないか。あるいは、ルーファス・トーマスの物語の中にあるかもしれない。サム・ムーアのストーリーにもすばらしいものはあるはずだ。

いずれにせよ、このような音楽ドキュメンタリーが作られること自体を評価しよう。しかし、あ~、こういう作品を見ると、僕もドキュメンタリー映画が作りたくなってきた。

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