The Beauty Of Redundancy: Utazawa Live At Shinkiraku

冗長。

土曜日昼下がり。築地。「ほお、ここがほんの1週間ほど前に、芥川賞、直木賞を決めたところなのかあ…」 築地の有名料亭「新喜楽」。一見さんははいれないという、非常に敷居の高いところ。毎年、芥川賞、直木賞の選考委員会が開かれるところ。新大橋通り沿い、築地の市場の前にある古めかしい和風の建物だ。

ソウルメイトMのお三味線の発表会がここであり、この日は「普通の人」(笑)も入れるというので、築地の未開ゾーンを探索することができた。この三味線の発表会については、昨年も書いた。(2003年1月11日、12日、26日付け日記=https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200301.html)

入口を入っていくと、番頭さんが靴を預かってくれた。会場は二階なので、階段を上がっていく。どうもあちこちに部屋があるようだ。歌の発表会があるところは、5-60畳はあるような大広間。天井が高い。部屋の前方のほうがステージ然と仕切られ、幕が人の手によって開け閉めされる。とはいうものの、ステージは高くなってはいない。客席側と同じレヴェルだ。ステージから見て、縦に2列テーブルが並べられ、その両側にすでに人がいっぱい座っていた。

お三味線を弾く人と、歌を歌う人がペアで登場する。歌われる演目と歌う人などの式次第があるので、それを見ていくと、今なんという曲が歌われているかがわかる。さらに、各曲の歌詞だけが印刷された小冊子があり、演目を歌詞カードを見ながら聴くこともできる。この歌詞カード集が、便利。何を歌っているか、聴いていても皆目わからないが、これを見るととりあえず、何を歌っているかわかる。もっともその意味がわかるかどうかは次のレヴェルの問題。雰囲気がわかる歌もあれば、言葉の意味がわからないものも多数ある。そのあたりをイマジネーションを最大限使いながら聴いていると、けっこうおもしろい。

三味線の歌は、色もの、恋話(こいばな)が多い。そして、状況を描く表現に、侘び寂び(わびさび)がにじみでてて、なかなかに味わい深い。ちょっと女々しい歌詞(歌詞とは、三味線の世界では言わないらしいが、ここではまあ、わかりやすく・・・)なんかがあると、ソウルの世界では、一体誰に近いだろう、などと考えて聴いてしまう。

例えば、「玉川」という作品はこんな歌詞。

「玉川の水にさらせし雪の肌、つもる口舌そのうちに、とけし島田のもつれ髪、思い出さずに忘れずに、また来る春とまつぞへ」

口舌(くぜつ)=いい争い。特に、恋のうらみ言や痴話(ちわ)げんか。
島田=島田髷(まげ)。芸者が結う髷の一種。

「玉川の水にさらされた雪のように白い肌。二人は、いろいろなことで言い争いもするけれど、お前の髪の毛がほどけるように、言い争いも解けていく。それを思い出さずに、でも、忘れるということもなく春がやってくるのを待っている…」といった状況描写。(解釈はあまり自信ありません。間違いがありましたら、お知らせください。あるいはもっと深い解釈があるのかも) つもる口舌と積もっている雪。髪がほどけるのと雪が解けるがかかっている。ルーサーあたりか、ブライアン・マクナイトあたりか。さっと読めば20秒程度のものを3-4分かけて歌う。情緒あります。そして、見事なまでに冗長の美学。

一番最後のパートは、師匠の歌と演奏。さらに、芸者さんがその歌にあわせて舞を踊る。優雅でゆったりとした時間が流れる。昔の人は、食事をしながら、こいうエンタテインメントを楽しんでいたんですね。ま、今もか。太古の時代からこのリズムだと、リズム感はアフリカン・アメリカンにはかなわない、などとも思ったりするわけだが…。(笑) しかし、これは日本の文化だ。

外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。あちこちの寿司屋のネオンが我々を呼んでいた。

(2004年1月24日・土曜日・哥沢新年会・築地新喜楽)

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