Magician Of Minimalism: Ahmad Jamal Speaks Language In The Name Of Music

宝石。

階段を降りて中に入るとふと不思議に思った。「あれ、ピアノの位置がいつもと違う」 まあ、でも、トリオだし。これもありか。日本公演は12年ぶりということで、一度は見ておこうと足を運んだライヴ。名前くらいは知っていて、アルバムも1-2枚持っていて、その中の「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」(ビリー・ジョエルのカヴァー)が気に入っていたくらいの予備知識しかなかった。

ベースのジェームス・カンマック、ドラムスのアイドリス・マハマドがステージにあがって準備をする。向かって左にドラムス、中央にベース、そして、中央やや右にピアノが置かれている。ブルーノートの通常のピアノの位置と違う。普通はピアノの位置は、向かって左だ。例えばジョー・サンプルは、そこからバンド全体を見回して、ミュージシャンにアイコンタクトなどで指示をだす。だが、この日のピアノの位置はなぜか逆だった。彼らが準備万端となり、この夜の主人公が足取り軽くステージにあがる。すでに拍手が巻き起こっている。二人の前を足早に通り、ピアノの前に進む。椅子に座ろうという瞬間、もうすでにその10本の指は鍵盤の上にあった! 彼は立ったまま演奏を始めたのだ。すぐに座ったが、その「いきなりぶり」にまず度肝を抜かれた。「1,2,3・・・」などのカウントさえないのである。鍵盤を叩いた瞬間が、ゲームの開始を告げるゴングだった。ゴングが鳴った瞬間、雷が落ちた。雷を轟かせたその男の名はアーマッド・ジャマル。

演奏が始まっても、ときどき、アーマッドは無意識のうちに瞬間立ち上がったりする。時に左右に、上下に体が動く。ゆったりと動くときもあれば、激しく震えるときもあり、背中が静止しているときもある。その対照的な動と静から、体がジャズを、体が音楽を自然に醸し出している様が読み取れる。普通に話すように音楽を紡ぎだし、普通に歩くようにリズムを生み出す。何度も、アーマッドは後ろを振り返り、ドラムスとベースの二人を見る。なぜ、ピアノを逆サイドに置かないのだろう。鍵盤側を舞台右手に置けば、正面にベースとドラムスが来るので、振り返らずにすむのに。

だがその疑問はすぐに解けた。ドラムスのアイドリスとベースのジェームスが、ものすごく集中してアーマッドの手元を見ていたのだ。だから、ピアノの位置はこの場所、この角度でなければならなかったのだ。僕は残念ながら見ることができなかったのだが、今年のオスカー・ピーターソンがやはりこの位置にピアノを置いていた、という。ブルーノートで舞台右にピアノを置いていたのは彼ら二人だけだ。

アーマッドのピアノを聴いていると、聴く側がものすごく集中していくことに気付く。特にピアノの音が小さくなればなるほど、一音も聴き逃すまいとどんどん集中力が高まりアーマッドの世界に吸い込まれていく。それは、ひとたび足を踏み入れたら決して逃げることができない蟻地獄のようだ。

一体この緊張感は何なのか。それは、ステージ上の3人の間にある目には見えないが、しかし、確実に存在するぴーんと張り詰めた糸ゆえだ。これを緊張の糸という。本当に3人の間に隙がない。この最小限の編成で最大の効果を出すそれは、マジックさながらだ。アーマッドのトリオは、ミニマリズムのマジシャンたち。何度も書いているが、そのエッセンスはless is more. 少ないもののほうがより多くを伝えられる。アーマッドからジェームスへ、アーマッドからアイドリスへ。アイドリスからジェームスへ。張り詰められた糸のトライアングルの中に緊張の極限があった。しかし、それは心地よい。

彼のピアノにはソウルがあった。そして、スウィングがあり、グルーヴがあり、何事にも妥協を許さない厳しさがある。彼のピアノを表現すればスウィング&ソウルだ。メインストリームではなくオルタナティヴ。決して日和らず、媚びず、後ろを振り返らず、この前向きなアグレシヴさ。それも、彼の73歳という年齢を知れば、この前進あるのみの姿勢に感動も倍増だ。ジェームス・ブラウンの70歳にも驚嘆したが、73歳のアーマッドにも驚愕した。

時に地から足が離れるが如くの浮遊感を与えてくれ、その心地よさに身を委ねた瞬間、アーマッドのソウルが、ジェームスのソウルが、そして、アイドリスのソウルが、僕のソウルに触れた。

ここで、よく知っているスタンダードでもやられた日には泣きそうだ、くらいに感じていたら、彼は僕の気持ちを見透かしたかのように名作「ポインシアーナ」を演奏し始めた。今日の曲目の中で唯一のスタンダードだ。ピアノの神様の声がどこからともなく聞こえてくる。「むずかしい曲は実は簡単なんだ。本当にむずかしいのは、シンプルで簡単な曲なんだよ」 3歳からピアノを弾き、11歳の時にはすでに神童と呼ばれたアーマッドの指先から、慣れ親しんだ「ポインシアーナ」のメロディーが流れてきた瞬間、目頭が熱くなった。別にこの曲に思い入れや、とりたてて思い出など何もないのにもかかわらずだ。

このピアノの音には、彼がピアノを弾き始めて70年という濃厚な歳月が凝縮されているのだろう。実に軽いこのメロディーにその「時の重み」が乗り移った瞬間、メロディーは翼を持ち、空に舞い上がった。その気持ちよさといったら筆舌に尽くし難い。70年の経験を持つ70年目のピアニストが醸し出す音だけができる奇跡だ。

さらに圧巻だったのは、アンコール2曲目の途中のアーマッドとアイドリスとのかけあい、さらに、アーマッドとジェームスのかけあいだ。アーマッドが弾くメロディーをジェームスが追いかける。ジェームスのメロディーをアーマッドがなぞる。そして、「後はおまえがやれ」とでも言った風にジェームスに任せ、彼のソロが続く。アコースティック・ベースで、しかも一音一音が実にクリアだ。舞台左で小休止しながらも、アーマッドはジェームスを暖かいまなざしで見つめる。ミュージシャンシップの暖かさと厳しさがそこに同棲していた。

このトリオが繰り出すリズムは、まるで人が呼吸をしているかのようだ。呼吸するリズム。呼吸する音楽には命が宿る。命が宿った音楽は、そこで生き生きと輝き、華々しく生命力の美しさを放っていた。アーマッドはステージで一言も聴衆に向けてしゃべらなかった。唯一彼がマイクを取ったのは、最後にメンバー紹介をしたときだけだ。しかし、彼らがステージにいた84分間、彼ら3人は、英語でもなければ、日本語でもフランス語でもない言葉ーーー音楽という名の言葉(ランゲージ)をずっとしゃべり続けていたのだ。そしてその言葉のメッセージは強烈に僕たちに届いた。

彼がちょんと鍵盤を叩くと、それがゲーム終了のゴングだ。壮絶な早弾きを見せた2曲目のアンコールが終った瞬間、観客席から思わず声があがった。「Yes, Sir!」 その言葉以外、かける言葉はない。

アーマッドは言う。「私の頭には無数のメロディーがある。だがそれ全部を書き留めるわけではない。私が書き下ろすのは、宝石だけだ。だから、宝石を手にしたら、私はスタジオに入る。宝石はめったに見つからない。深く深く掘っていかないと」(”I have a thousand melodies in my head, but I don’t write them all down. I write down the jewels. So when I have a jewel I go into the studio. Jewels are hard to find–you have to dig.”)

今夜は宝石箱からジュエリーがあふれんばかりにこぼれていた。宝石は見ているだけで楽しく、幸せになる。

(2003年10月28日・火曜・東京ブルーノート・セカンド=アーマッド・ジャマル・ライヴ)

今後のライヴ予定

Oct 27-28 The Blue Note – Tokyo, Japan
Oct 29-30 The Blue Note – Fukuoka, Japan
Oct 31-Nov 1 The Blue Note – Nagoya, Japan
Nov 3-4 The Blue Note – Osaka, Japan

ブルーノート東京のホームページ
http://www.bluenote.co.jp/art/20031027.html

アーマッド・ジャマルのホームページ
http://www.ahmadjamal.info/

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