⊿ディー・ディー・ワーウィック死去

⊿【ディー・ディー・ワーウィック死去】
訃報。
ソウル・シンガーでディオンヌ・ワーウィックの妹であるディー・ディー・ワーウィックが2008年10月18日(土)、ニュージャージー州エセックス・カウンティの老人ホームで死去した。63歳だった。姉のディオンヌらが看取った。シシー・ヒューストンの姪にあたり、ホイットニー・ヒューストンの従姉妹にあたる。ディー・ディーはここ数ヶ月、体調を崩していた。
姉のディオンヌは、「今朝(10月18日)10時、私の愛する妹は旅立ちました。静かな平和なもので、その点はよかったと思っています。彼女に祈りを捧げてくれたすべての人に御礼を申し上げます」とコメントを寄せた。
ディー・ディー・ワーウィックは1945年(昭和20年)9月25日、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。本名、デリア・メイ・ワーリック(Delia Mae Warrick)。姉のディオンヌが発音の問題で、ワーリックをワーウィックにしたのに伴い。ディー・ディーもワーウィックと芸名を変更。
幼少の頃から地元の教会でゴスペルを歌い、まもなく、一足先にポップ音楽を歌い始めていた姉のディオンヌ・ワーウィックのコーラスなどを担当するようになる。1960年代初めのこと。1963年、ジュビリー・レコードで録音した「ユー・アー・ノー・グッド」はヒットこそしなかったが、後にリンダ・ロンシュタットによってカヴァーされている。その後1965年、ブルー・ロックから出した「ウイ・アー・ドゥーイング・ファイン」が初ヒット。1966年にはフィラデルフィアのギャンブル&ハフが書いた「アイム・ゴナ・メイク・ユー・ラヴ・ミー」がソウル・チャートで13位を記録。これはのちにダイアナ・ロス&シュプリームス&テンプテーションズでヒット。翌年マーキュリーに移籍、ここで「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」がソウル・チャートで9位を記録するヒットになった。その後も小ヒットをいくつか放った。
ディー・ディーは昨年から今年にかけて、姉ディオンヌのワン・ウーマン・ライヴ、「マイ・ミュージック&ミー」で一緒に歌っていた。また、2008年にリリースされたディオンヌ・ワーウィックのゴスペル・アルバムの中で「ホワイ・ウィ・シング」を歌っている。
ENT>OBITUARY>Warwick, Dee Dee (9/25/1945 – 10/182008 =63 years old)
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