Queen Of Soul: Aretha Franklin, Truly A Lady Soul

女王。

まさしく女王の名にふさわしいシンガーといえば、アレサ・フランクリンです。『レディー・ソウル』というアルバムは、1968年2月に発売されたアトランティック・レコードからの3枚目の作品です。傑作アルバムの一枚と言えるでしょう。タイトルもいい。

この中からは4曲のヒットが生まれました。「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」、「チェイン・オブ・フールス」、「スイート・スイート・ベイビー・シンス・ユーヴ・ビーン・ゴーン」、そして「エイント・ノー・ウエイ」です。どの曲もみなすばらしい。

「ユー・メイク・ミー・・・」は、キャロル・キングとジェリー・ゴーフィンのコンビが書いた作品。これは、アレサのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーがキャロルたちにこういうコンセプト、タイトルでアレサ用に一曲書いてくれと注文して書いてもらった作品です。言ってみればアレサ用の特注曲、カスタムメイドの作品なのです。そして、アレサで見事にヒットして、後にキャロル・キングが自分のアルバムを作るときに自ら歌ったヴァージョンを録音し、それに収録したわけです。そのアルバムこそ71年に発表され、現在まで売れ続けている傑作『タペストリー(つづれおり)』です。

ですから、誰がオリジナルか、という問題はむずかしいのですが、書いたオリジナルはキャロル・キングたち、一番最初に歌ってヒットさせたオリジナルはアレサ、みたいなことになるのでしょう。キャロル・キングたちがこの曲をアレサに提供したとき、まさか将来的にキャロル本人がこれを録音するであろうなどということはまったく夢にも思わなかったはずです。60年代は、ソングライターとシンガーの仕事は、まったく別物でしたから。いわゆるシンガー・ソングライターという存在が注目されるのは70年代に入ってからです。

このアルバムには、「グッド・トゥ・ミー・アズ・アイ・アム・トゥ・ユー」という曲が収録されています。プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは、相棒のプロデューサー、アーメット・エルテガンから一人のギタリストを紹介されます。当時ヤードバーズというグループにいたエリック・クラプトンという人物です。この曲でクラプトンはギターを弾いています。レコーディング初日、クラプトンはうまく弾けませんでした。しかし、翌日スタジオに現れた彼は、見事にそのギターパートを弾きこなしたということです。

ここには、別のギタリストがいます。その彼はすでにスターになっていたR&Bシンガー、ウィルソン・ピケットに「アイム・イン・ラヴ」(67年12月からヒット)を提供していた人物でもあります。その名はボビー・ウーマック。

そして、もうひとり、「チェイン・オブ・フールズ」でブルージーなギターを弾くのはやはり南部で活躍するミュージシャン、ジョー・サウス。後に自ら「ゲームス・ピープル・プレイ」(スピナーズの同名曲とは違います)の大ヒットを放つ人。

また彼女はこのアルバムでジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、そして、カーティス・メイフィールドの作品もカヴァーしています。

中でもカーティスの傑作曲「ピープル・ゲット・レディー」のアレサによる解釈は、圧巻です。このインプレッションズのヒット曲でさえ、アレサが歌うと、アレサのためのカスタムメイドの作品かと思ってしまうほどです。

ここから大ヒットした「チェイン・オブ・フールズ」は、グラミー賞女性R&B部門を獲得します。アルバムはソウル・アルバム・チャートで16週にわたってナンバー・ワンを独走。

このアルバムのアレンジを担当していたのは、当時、プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーの下でみようみまねで仕事をしていたアリフ・マーディンです。アリフは、その後自らプロデューサーとして、アレサ、シャカ・カーン、ビージーズ、アヴェレージ・ホワイト・バンド、ラスカルズ、ホール&オーツなど数々のアーティストをてがけスーパープロデューサーとなる人物です。今話題のノラ・ジョーンズの作品をプロデュースしたのもこのアリフです。

というわけで、この『レディー・ソウル』のアルバムにかかわった人たちの何人かは、その後、大出世することにもなるわけです。

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