●(続報)「ソウル・トレイン」創始者、ドン・コーネリアス死去の衝撃

●(続報)「ソウル・トレイン」創始者、ドン・コーネリアス死去の衝撃
【Shock Of Don Cornelius’s Death】
衝撃。
テレビ番組『ソウル・トレイン』創始者、ドン・コーネリアス死去のニュースは、世界中に大きな衝撃を与えている。特に、ブラック・ミュージック、ソウル・ミュージック関係者からは、追悼の言葉が絶えない。ジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソンらの死去と同様のショックと受け止められている。
2012年2月2日(木)02時30分00秒
(速報)ドン・コーネリアス死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11152771763.html
スティーヴィー・ワンダー。「大変な衝撃を受けています。初めて『ソウル・トレイン』でやったのは、『スーパースティション』でした。彼は、僕のキャリアの上でも大変な貢献を果たしています。もちろん、僕だけでなく、音楽とダンスを世に広めたという点で大変な貢献を果たしました。僕は『アメリカン・バンドスタンド』も、『ソウル・トレイン』も「見て」きたので、ドンの死は心が引き裂かれる思いです。多くの音楽番組が、これらを元にして作ってきているのを知っています。僕は、彼がとても優しい人物だと思っています。もちろん彼と毎日いるわけではないので、すべてを知っているわけではありませんが。メモリアルで何を歌いたいかは、家族に任せます。彼らが歌って欲しいという曲を歌います」
日本でラジオ番組『ソウル・トレイン』、さらにお台場に「ソウル・トレイン・カフェ」(ともに1999年)を持ってきたときのプロデューサーで、1960年代からソウル・ミュージック、黒人文化に詳しく自らもダンサーとしても活動してきた江守アイさんと話した。
江守さんは、ドンと2回ロスアンジェルスで、1回はドンが来日したとき、東京でついていた。東京で「ソウル・トレイン・カフェ」を始めるとき、ミーティングでロスで会ったが、最初に会ったときは、あこがれの人で、怖い人という印象だったが、徐々にいろいろな話をして打ち解けてくると、「店で必要なものだったら、なんでも持っていっていい」とまで言ってもらえるようになった。「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」のトロフィーのレプリカ、ビデオ、レコード、ゴールド・レコードなどいろいろな小物などを持ってきて、店内に飾った。
江守さんは言う。「彼と『ソウル・トレイン』が果たしたものは、間違いなく黒人社会の『ランドマーク』ですよ」
また、2001年の「ソウル・トレイン・レディー・アワード」では、ドンが江守氏を招待してくれ、ものすごくいい席を用意してくれた、という。
来日したときは、つきっきりでドンのケアをしたそうだが、そのときに一緒に奥さんと来ていて、それがしばらく前に離婚の話が進んでいた奥さんだったらしい。かなり若い奥さんだったそうだ。
黒人活動家、アル・シャープトン。「彼はソウル・ミュージックとダンスを、それまでになかったような方法で、世界に紹介した。彼はグローバルなレベルでの文化を変革した人物だ」
また、『ソウル・トレイン』には、黒人だけでなく、エルトン・ジョン、デイヴィッド・ボウイなどの白人、また、久保田利伸、イエロー・マジック・オーケストラなどの日本人も出演している。
先週、一緒に食事をしたというクラレンス・エイヴォント(元サセックス・レコード、モータウン・レコード・チェアマン)によると、自殺をうかがわせるものなど何もなく、本当に驚いている。ただ最近発作が起こるので、自身で車を運転するのをやめた、と言っていたという。
テレビ『ソウル・トレイン』のもっとも大きなポイントは、毎回ブラック・アーティストが一組出演し、口パクながら、動く姿を見せていた、点。もうひとつが、ソウル・トレイン・ギャングと呼ばれるダンサーたちが曲にあわせてラインダンスをするシーン。ここでダンスが大変うまいダンサーが注目されるようになったり、新しいダンスが披露され、それが全米に広まったりした。
また、1分間でアルファベットの文字がボードにばらばらに貼られていて、それを何かの単語に正しく置きなおす「スクランブル・ボード」のコーナーも受けていた。
多くの人が、『ソウル・トレイン』を見て、新しいステップを覚えた。当時はビデオで録画するということができなかったため、ほとんどの人が、毎週決まった時間に必ずテレビの前に座り、そのステップをリアル・タイムで覚えた。
ドンが番組を締めるときのいつものキャッチフレーズは、こうだ。“love, peace and soul.”(愛と平和とソウルを)
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ソーラー・レコード。
テレビ『ソウル・トレイン』のアーティストのブッキングを担当していたのが、ディック・グリフィーという人物で、ディックとドンで1975年、「ソウル・トレイン・レコード」を設立、これが1977年、ドンが手を引き、ディックが単独オウナーとなったときに、社名を「ソーラー・レコード」に変更。ウィスパーズ、ミッドナイトスター、レイクサイドなど多数のヒットを放った。ベイビーフェイスなどもここから出てきた。
ちなみにディック・グリフィーは2010年9月24日に71歳で死去している。
2010年09月29日(水)
ディック・グリフィー死去~ソーラー・レコードの生みの親
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10661964556.html
■ソウル・トレインDVDボックス



OBITUARY>Cornelius, Don

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One Response to ●(続報)「ソウル・トレイン」創始者、ドン・コーネリアス死去の衝撃

  1. isummer says:

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    1968年生まれの私にはreal timeで夢中になったとは言えないのですが、今現在のブラックミュージック界を考える上で、Soul Trainの果たした偉大さを外すことはできません。
    あまりに悲しい結末・・・
    Rest in peace
    後世に楽しく深い、ブラックミュージックの種をたくさん蒔いてくれてありがとう。