●ジミー・キャスター~ファンク・レジェンド~71歳で死去

●ジミー・キャスター~ファンク・レジェンド~71歳で死去
【Funk Legend Jimmy Castor Dies At 68】
訃報。
ファンク・レジェンドの一人、ジミー・キャスターが2012年1月16日午後2時半(西部時間帯=日本時間17日午前7時半)、ラス・ヴェガスの病院で死去した。71歳。(ウィキペディアでは当初1947年生まれと書かれており、それを元に64歳と報じているものが多いが、バイオを精査するとおそらく間違い。ソウルサーチンでは第一報で1943年生まれを取っていたが、今回の死去で、1940年生まれだということがわかった=2012年1月19日午前4時現在・修正) しばらく癌を患っていた。ジミー・キャスターは1940年6月22日ニューヨーク生まれ。最初はドゥーワップ・グループで活動、その後サックスなども吹くようになり、マルチ・ミュージシャンへ。1972年、ファンク曲「トログロダイト」が初のミリオン・セラーになり、一躍メジャーな存在に。同年の「イッツ・ジャスト・ビガン」は、その後ヒップ・ホップ・アーティストにサンプリングされたりして有名になった。
「イッツ・ジャスト・ビガン」は1983年4月公開の映画『フラッシュダンス』内でも使用された。
http://youtu.be/Q3ZNFGE8PZE

Jimmy Castor: It’s Just Begun
http://youtu.be/1P0fpBgzuws

評伝。
ジミー・キャスターは、1940年6月22日ニューヨーク生まれ。当初は、ドゥーワップを歌い始めた。ニューヨークで一足先に人気となっていたフランキー・ライモン(1942年9月30日生まれ~1968年2月27日、ドラッグ・オーヴァードーズのため25歳で死去)&ティーンエイジャーズ(1956年2月から「ホワイ・ドゥ・フールズ・フォーリン・イン・ラヴ」=「恋は曲者」がヒット)らと同郷、ほぼ同年代で、彼らに「アイ・プロミス・トゥ・リメンバー」(1956年)を書いたのが最初のヒット。(もし、1947年生まれだと、これを書いたのが8歳か9歳ということになり、さすがに計算があわない) これはソウル・チャートで10位。彼はまだニューヨークのミュージック・アンド・アーツ・ハイスクールに在学中だった。その後、フランキー・ライモンの急逝後、一時期このティーンエイジャーズにフランキーに代わって参加。
高校卒業後、ニューヨーク・シティー・カレッジに進学、バンド活動も続けた。1966年、スマッシュ・レーベルからリリースした「ヘイ・リロイ、ユア・ママ・イズ・コーリング・ユー」がソウル・チャートで16位を記録。そして1972年、グループ「ジミー・キャスター・バンチ」を結成、メジャーのRCAと契約し大ブレイク。コミカルでファンキーな「トログロダイト」がソウルで4位、ポップで6位を記録、ミリオン・セラーとなる大ヒットになった。
ちょうどこの頃録音した「イッツ・ジャスト・ビガン」はシングル・ヒットこそしなかったが、その後、映画『フラッシュダンス』で使用されたり、多くのヒップ・ホップ・アーティストにサンプリングされたりして、ジミー・キャスターの代名詞となった。「イッツ・ジャスト・ビガン」も「トログロダイト」もそれぞれ10以上のヒップ・ホップ・アーティストがサンプリングで使用している。前者はブレイク・ビーツの代表作。後者は最近では、2006年、クリスティーナ・アギレラが「バック・イン・ザ・デイ」で使用。
ちなみに、この「イッツ・ジャスト・ビガン」が使用されている映画『フラッシュダンス』のシーン(上記ユーチューブ参照)だが、ここですでにストリート・ダンスで「ムーン・ウォーク」的なダンスが見られる。マイケル・ジャクソンが『モータウン25』で初めて「ムーン・ウォーク」(当時はまだ「ムーン・ウォーク」という名前はなく、「バック・スライド」などと呼ばれていた)を披露するのが、1983年3月25日(テレビ放映は1983年5月16日)。映画『フラッシュダンス』の公開は1983年4月15日なので、マイケルはこの『フラッシュダンス』は見ていないと思われる。ちょうどこの頃、うしろにスライドするステップはニューヨーク近辺のティーンたちの間で流行っていたダンスということはご存知の通り。
RCAで3枚のアルバムをリリース後、1975年、アトランティックに移籍。ここで「バーサ・バット・ザ・ブギー」「キング・コング」「Eマン・ブギー」など恐竜、キング・コングなどコミック的キャラクターを全面に押し出しつつ、ファンクを聴かせる独特のサウンドで人気を集めた。
その後もコンスタントにヒットを出し、最後のヒットは1988年「ラヴ・メイクス・ア・ウーマン」。ジョイス・シムズの作品に客演していた。
最近はラスヴェガスに住んでいた。第一報は、ジミーの孫のツイートで流れた。
■ 主なヒット収録のベスト

Everything Man
Everything Man

posted with amazlet at 12.01.17
Jimmy Castor
Rhino / Wea (1995-11-21)
売り上げランキング: 17371

+++++
つながり。
ジミー・キャスターの作品は、1970年代に六本木のエンバシーでDJをしていたときによくかけた。一番かけたのは、「キング・コング」、あるいは、「バーサ・バット・ブギー」「トログロダイト」なども。ポップでファンキーな作品で、全米ではディスコでも人気だった。リズムがシンプルだったので、日本人でも比較的踊りやすく、意外と人気が高かった。だが、ブラザーたちはあんまり「キング・コング」とかに反応しなかったなあ。あの頃だと、Pファンク系のほうが圧倒的に支持されていた。黒人が多いエンバシーという特殊なディスコだったからかもしれない。新宿では「キング・コング」などけっこう人気だったと記憶する。「イッツ・ジャスト・ビガン」は、やはり『フラッシュダンス』の影響が大きかったと思う。これは、アトランティックに来る前のRCA時代の作品で、日本では当時は発売されていなかった。その後、たくさんサンプリングされてきた。
ナイル・ロジャーズがブログで、ナイルがダイアナ・ロスをプロデュースする機会を作ってくれたのが、ジミー・キャスターだったと書いていた。いろいろなところでつながっている。
OBITUARY>Castor, Jimmy (June 22, 1940 – January 16, 2012, 71 year old)
修正:生年、1943年から1940年に修正。2012年1月19日午前4時現在。これを元に上記本文を修正しました。

This entry was posted in 訃報関連. Bookmark the permalink.

Comments are closed.