● ヘヴィーD、ジョー・フレイジャー、ノーマン・ダーラムら死去

● ヘヴィーD、ジョー・フレイジャー、ノーマン・ダーラムら死去
訃報。
ラッパー、俳優としても活躍していたヘヴィーDが、2011年11月8日、ロスアンジェルスのシーダス・サイナイ病院で肺炎のため急死した。ビヴァリーヒルズの自宅で息苦しくなり、午前11時半(日本時間9日午前4時半)頃救急車が呼ばれ病院に搬送されたが、まもなく死去が確認された。44歳。
ヘヴィーDは、本名ドワイト・アーリントン・マイヤーズ。1967年5月24日ジャマイカ生まれ。幼少の頃、家族でニューヨークのマウント・ヴァーノンに引越し、そこで育った。Gウィズ、Tロイ、エディーFらとともに、ヘヴィーD&ザ・ボーイズを結成。1986年に黒人起業家アンドレ・ハレルが設立したアップタウン・レコードと契約。同レーベルの成功とともに、彼らもビッグになった。1986年12月から「ミスター・ビッグ・スタッフ」(ジーン・ナイトのヒットのカヴァー)がヒット。さらに1987年、デビュー・アルバム『リヴィング・ラージ』(でっかく生きる。スケール大きく生きることと、彼自身の体が大きいことをかけている)がヒット。
さらに、1989年の2作目『ビッグ・タイム』はR&Bアルバムチャートで1位。しかし、その後1990年7月15日、インディアナポリスでボーイズのメンバー、Tロイが22歳で事故死。3作目『ピースフル・ジャーニー』をTロイへのトリビュート作品にした。同アルバムのトップを飾る「ナウ・ザット・ウィ・ファウンド・ラヴ」(オージェイズのヒットを「ニュー・ジャック・スウィング」のサウンドでカヴァー。リードはアーロン・ホール)ブラック・チャートで5位を記録、ゴールド・ディスクになり、大ブレイク。一足先に、同じMCAから登場したガイのテディー・ライリーが開発した「ニュー・ジャック・スウィング」で大ヒットさせ、メロディーのあるラップ作品を作り支持を集めた。
ラップ、ヒップ・ホップとメロディーのあるR&Bを融合することに成功、この流れは同じアップタウンでメアリーJブライジに受け継がれる。また、アップタウンからは、ショーン・パフィー・コムスが登場し、一大勢力となった。パフィーは、ヘヴィーDのおかげで音楽業界入りできたと語る。彼の口利きでアップタウン・レコードでインターンとして働き始めたのだ。
http://youtu.be/NNEgUPKxk7A

ヘヴィーDはテレビ番組『イン・リヴィング・カラー』のテーマ曲を担当、出演したり、映画にも出るようになった。また巨漢ながらそのキャラクターが大変印象的で愛され、多くのアーティストからもプロモ・ビデオへのラップ出演が舞い込み、ジャネット・ジャクソンの「オールライト」、マイケル・ジャクソンの「ジャム」などに客演。
1996年、クインシー・ジョーンズに呼ばれ彼の最新作でブランディーとともにマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」をカヴァー。
2011年10月20日、BETヒップ・ホップ・アワードに登場、パフォーマンスは15年ぶりだったが、その後2011年10月8日、イギリス・カーディフで行われた「マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ」に出演、マイケルの姉ラトーヤと「ジャム」を歌った。
また、ヘヴィーDは約17万人のフォロワーがいる自身のツイートで2011年11月7日21時19分(現地時間)に「スモーキン・ジョー・フレイジャーRIP」とツイート。次のツイート(現地7日22時29分=日本時間11月8日15時29分)で、「BE INSPIRED!」と書いている。「元気をくれ!」「インスパイアーされなさい(元気を得なさい、刺激を受けなさい)」「息をさせてくれ」といった意味。これが最後のツイートとなったが、ある意味大変予言的なツイートになった。前夜から息苦しかったのだろうか。
ヘヴィーDのツイッター・アカウントは、@heavyd 。
■ ヘヴィーD&ザ・ボーイズ

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■ News Sources
http://moviesblog.mtv.com/2011/11/08/heavy-d-dead-movies/
http://www.seattlepi.com/entertainment/article/Heavy-D-dies-at-44-after-collapsing-outside-home-2258891.php
http://www.soultracks.com/story-heavy-d-dies
http://www.tmz.com/2011/11/08/heavy-d-dead/#.Trny7_SF-31
OBITUARY> Myers, Dwight Arrington (May 24, 1967 – November 8, 2011, 44 year old),
● ジョー・フレイジャー死去~モハメド・アリを倒したヒーロー
【Joe Fraizer Dies At 67】
肝臓癌。
1970年代に当時無敵だったボクサー、モハメド・アリを初めて倒してヒーローになったジョー・フレイジャーが、2011年11月7日死去した。肝臓癌だった。67歳。「スモーキン・ジョー」のニックネームで知られていた。
1964年東京オリンピックでアマチュアとして金メダル獲得、1965年プロに転向。1970年ヘヴィー級チャンピョン。37戦32勝(ノックアウト勝ち27)4敗1分。
OBITUARY>Fraizer, Joe (January 12, 1944 – November 7, 2011, 67 year old)
● クリアーのベース奏者、ノーマン・ダーラム59歳で死去
【Norman Durham, Kleeer Member, Dies At 59】
一酸化炭素中毒。
70年代に活躍したファンク、ディスコ・グループ、クリアー(Kleeer)のベース奏者、ノーマン・ダーラムが2011年11月2日、ニューヨーク郊外チェスナット・リッジの自宅で死去した。59歳。このところの寒波で、自家発電で暖房をしていたが、その自家発電機による一酸化炭素中毒で死去した模様。この地域は、前の週末から嵐で停電していた。
クリアーは元々1972年に結成された「ザ・ジャム・バンド」と名乗るファンク・5人組グループが前身。その後、1975年に「パイプライン」となり、このグループではロックを演奏、コロンビアからシングル1枚を出した。その後、1976年に、ディスコ・バンド「ジ・ユニヴァーサル・ロボット・バンド」となり、パトリック・アダムス、グレッグ・カーマイケルのプロデュースで1977年、「ダンス・アンド・シェイク・ユア・タンバリン」のディスコ・ヒットを生み出す。ここには、プロデューサーのパトリック・アダムスつながりでリロイ・バージェスもゲスト・ヴォーカルではいっていた。そして、1978年、グループ名をクリアーに変更。1979年アトランティックと契約、その後7枚のアルバムと12曲のソウル・ヒットを放った。1981年の「ゲット・タフ」が最大のヒット。
その後、ヒップ・ホップのラッパーたちが、さかんにクリアーの音をサンプリング。2パック、スヌープ・ドッグ、DJクイック、リル・ジョンらがサンプリングで使用している。
■ クリアー、ベスト

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メンバーのウーディー・カニンガム(ドラムス)も2010年1月9日、死去している。Woody Cunningham: born 8th July 1948, Baltimore, Maryland, U.S.A. died 9th January 2010, Bowie, Maryland, U.S.A.
OBITUARY> Durham, Norman (Born circa 1952 – November 2, 2011, 59 year old)
OBITUARY>Fraizer, Joe (January 12, 1944 – November 7, 2011, 67 year old)
OBITUARY> Myers, Dwight Arrington (May 24, 1967 – November 8, 2011, 44 year old),

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