# シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」

# シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」
【Story Behind ”Rapper’s Delight”】
秘話。
女帝シルヴィア・ロビンソンが29日に死去したことを受け、日曜日(10月2日)の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」でも、シルヴィア逝去とそれにともないシルヴィアが世に送り出したシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」についてご紹介した。
2011年10月01日(土)
シルヴィア・ロビンソン死去~シュガーヒル・ギャング生みの親
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20111001.html
上記ブログで触れられてない話もしたのでここでもう少し書き加えておきたい。
このアメリカ音楽業界で「世界で初めてのラップ・レコード(の一枚)」とされるシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」は、シルヴィアのちょっとしたセンスが見事に光った作品となった。
誕生までには、いくつかの説があるが、大筋ではつぎのような話だ。
彼女がクラブ(ディスコ)のようなところで、DJが「グッド・タイムス」のブレイク部分をかけながら、MCがそれに載せてひたすらいろいろしゃべっているのを聴いたところから、息子に「これをレコードにしたらヒットする」と直感して、レコーディングを手配する。1979年6月くらいのことだったとされる。シックの「グッド・タイムス」がリリースされたのは、1979年6月なので、リリース後まもなくのことだ。
ラップはすでにニューヨークのクラブ・シーン、ストリートなどのアンダーグラウンドなところでは大きな現象となり始めていたが、あくまでアンダーグラウンドな世界での出来事でまだまだ一般の人は何も知らなかった。僕たち日本人が知るのも、この「ラッパーズ・デライト」からだ。
そこで、シルヴィアは息子のジョーイにラップができる若者をスタジオに連れて来いと指示するが、その当時ラップをリアルに本気でやっている連中は、ラップなどは録音するものではない、ライヴでその場のノリでやるもの、という意識が強く、誰もレコーディングを拒否した。
シルヴィアはメンバーを一人ずつ集めることになる。まず見出したのが、ヘンリー・ビッグ・マイク・ハンク・ジャクソンだった。ニュージャージーの「クリスピー・ピッツァ」店で働いていた380ポンド(170キロ)の巨漢を、息子の車に呼び出し、後部座席に乗らせ、カーステレオから「グッド・タイムス」をならし、ラップをさせたところ、なかなかいけたので合格。さらに、残る二人を集めて3人組を作った。彼らはスタジオに来てレコーディング。それがワンダー・マイクをはじめとする3人、シュガーヒル・ギャングになる。シルヴィアはこの曲を750ドル(当時1ドル220円のレートとして16万5000円)で作ったという。
「グッド・タイムス」のバーナード・エドワーズによるベース・リフは、フリースタイルのラップを載せるには最高のもので、多くのブラックの子供たちがこれにあわせてラップをするようになっていた。ファブ・ファイヴ・フレディーなどもラップをしていたり、「ラッパーズ・デライト」のレコードでビッグ・バンク・ハンクがMCをする部分はグランド・マスター・キャズが考案したリリックだという。きっと、いろいろなヴァージョンがあちこちでフリースタイルで披露されていたのだろう。
それに先立ち、ミュージシャンのチップ・シェアリンが友人のつてで、「グッド・タイムス」のベースラインを15分延々と繰り返しプレイするよう言われ、それをレコーディング。今でこそ、サンプリングやループという手法で、ちょっとだけ録音すれば何度でも繰り返しコピーできるが、当時は15分のトラックを作るためには15分ミュージシャンが演奏し続けた。ドラマーもベースのチップも最後は大汗をかくことになったという。それでもノーミスでレコーディングをしあげ、チップはギャラとしては70ドルほどもらった。1979年、1時間程度のセッションとしては、まあそこそこの金額かもしれない。ギターはブライアン・モーガンだそうだ。
そして、3人のMCも、ラップの部分をワンテイクで録音。すぐに12インチシングルとしてリリースされた。1979年9月のことだ。その後は歴史となった。チャート入りした時点では7インチ・シングルはなく、12インチのみでトップ40入りした唯一のシングルとなった。
まさにシルヴィアの「これは売れる」と思った直感が歴史を動かしたことになる。その後現在に至るまでラップという現象が大きくなっているだけに、なおさらこのひらめきが素晴らしかった。
当初は、シュガーヒル・ギャングはリアルなラッパーたちからは、尊敬されない(ディスされる)存在だった。ふだん、クラブなどでラップ道を邁進していたわけではないからだ。当初リアルなラッパーたちはレコーディングに興味を示さなかったが、この「ラッパーズ・デライト」の大ヒットを受け、次々とレコーディングをするようになり、シュガーヒルからレコードを出していく。グランドマスター・フラッシュ、ファンキー・フォー・プラス・ワン、クラッシュ・クリュー、トリエチャラス・スリー、また、他のレーベルからもメリー・メルなどが登場。ラップは一大ブームになるのだ。これを作り出したシルヴィアの功績は称えられるもの。
また、「ラッパーズ・デライト」が「グッド・タイムス」のリフを借用したことから、後にレコードそのままを「サンプリング」する手法の原点でもあった。
この冒頭、“I said a hip hop, the hippie, the hippie to the hip hip hop and you don’t stop the rocking till the bang bang boogie, say up jump the boogie to the rhythm of the boogity beat.”のセリフは、当時、アメリカのブラックは誰もが紙に書いて覚えていた、と、DJマーヴィン・デンジャーフィールドは言った。

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2 Responses to # シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」

  1. Betty says:

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    なるほど!
    興味深く、そして、楽しく読ませて頂きました。
    Nileの歌うこの曲を
    QUATTROで聴いて間もないので、
    感慨深いです。

  2. Barry says:

    SECRET: 0
    PASS:
    はじめまして。Barryと申します。
    いつもPlanet Cの日本語訳拝見しています。
    私はGrandmasterFlashを聞いて、Good Timesを
    知ったという変わり者ですが、GrangmasterFlashの
    曲は、CHICのレコード音源を使っていると
    ずっと思ってました。
    またいろんな話を聞かせてください。
    よろしくお願いします。