★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著  第24回~第27回

★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第24回~第27回
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
『プラネットC(癌惑星)を歩いて』(ナイル・ロジャーズ癌闘病記) ナイル・ロジャーズ著
闘病記。
ナイル・ロジャーズの癌闘病記、2011年2月8日から11日までの4日分、写真・キャプション、訳注付き。
(写真に関しては、ソウル・サーチンのメインサイト http://ameblo.jp/soulsearchin/ をごらんください)
(このブログは、ナイル本人の了承を得て、日本語に翻訳し、写真なども同じものを掲載しています)
【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第24回 贈り物を探して
#24 Look for the Gift 
Written on Tuesday, 08 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 08 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/249-walking-on-planet-c-look-for-the-gift
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左・スカーフなしでウォーキングへ 右・マドンナの部屋
記録的な寒波が去った今日は晴れたり曇ったりの天気だったが、華氏40度(摂氏4.4度)とさわやかだったので、いつものスカーフで顔を覆うことなくウォーキングにでかけた。
術後の症状も良かったり悪かったりで、昨夜は2日前ほどは良くなかった。そこで、「マドンナの部屋」で寝ることにした。
そう名づけたのは、マドンナがコネチカットのこの家に遊びに来ると、いつもそこを寝室として選んでいたからだ。
1階のこの部屋には、家中でもっとも心地よいベッドがある。その部屋からの、裏庭の小さな池の眺めもとてもいい。この池はロング・アイランド湾につながっていて、ボートを係留しておくには完璧な場所だ。
ウォーキングを始める前、凍りついた冬景色を眺めながら、僕はここでやった星の数ほどの夏のパーティーに思いを馳せていた。スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」を口ずさむ。
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左・ミラクルズの「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」 右・キスのジーン・シモンズ
僕が1980年代に催したシーフード・パーティーはもはや伝説だ。アイリーン・キャラ、ブロンディーのデビー・ハリーとクリス・ステイン、マドンナとジェリービーン・ベニーテス、キスのジーン・シモンズ、80年代のポップやアート・シーンの人たちが大勢僕の自宅にやってきた。それはまるで文化人のコミューン(共同体)のようだった。彼らはパーティーの喧騒とカオスを一日味わった後、それぞれの自宅に戻っていった。
若き日のサマンサとチャーロット・ロンソン(註1)が、ケータリング(仕出し屋)のスタッフにロブスターを二つも持っていったと咎められていたことを思い出す。スタッフは、彼女たちが双子だったことを知らなかっただけなのだ。
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左・マドンナとジェリービーン。当時はカップルだった 右・シャーロットかサマンサ・ロンソン 下シャーロットとサマンサがそれぞれ狙っていたロブスター
僕は、船上でのパーティーを思い出しながら、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」(註2)を歌い始めた。
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ディープ・パープル
裏庭にプライヴェートのドック(個人所有の船の係留地)をもってからというもの、何隻ものボートを所有したり、借りたりしていた。問題は、一度、ボートにのめりこんでしまうと、どんどん大きなボートが欲しくなってしまうということだった。
最初は、シガレット・オーシャン・レーサーで、次にその仲間としてホーヴァークラフトを手に入れた。これは水陸両用だ。
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左・最初のボート Classic Cigarette Deep V ocean racer 右・ジョージ・ワシントン
僕のドラッグ禍がひどくなり、押さえが利かなくなるのと同じように、より大きな船へ大きな船へと興味が行くようになってしまった。
何年もの間、僕は大きなヨットを何度も借りては若い女の子を集めてパーティーをやっていた。そしてふと気がつくと、大西洋のど真ん中でアメリカ海軍の航空母艦ジョージ・ワシントンのファースト・クラスにいたこともあった。もちろん、僕がジョージ・ワシントンを買ったり、借りたりしたわけではない。ただ、ロックン・ロールの世界に身を置くと、それくらいできる友達と知り合えるというだけだ。
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若い女の子たち
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左・アイリーン・キャラ 右・デビー・ハリーとクリス・ステイン
僕に起こった最高の出来事は、壮大な悲劇から始まった。
あるとき、僕はマドンナのマイアミ・ビーチにある自宅のバースデイ・パーティーで泥酔し、前後不覚になっていた。僕はそのときコカイン中毒にかかっていて、それが膝にきた。結局、8ヶ月ほどコネチカットのリハビリ・センターに入院することになったのだ。
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コネチカットのリハビリセンター
入院初日、いわゆる中毒者ミーティングに一人の女性が来てこう言った。「自分は末期癌なのでここに入院した。だがたとえどんな最悪のニュース(末期癌)の渦中にあっても『(神からの)贈り物』はあるはずで、自分はそれを探し当てなければならない」と。そして、彼女はまったく面識のない僕の部屋に、その「贈り物」を探しにやってきたのだ。
僕はその女性のこと、そして彼女が授けてくれた教訓を決して忘れることはない。
癌になった瞬間から、僕はその癌という病気の中にあるはずの「贈り物」を探し始めている。それは、まったく面識のない多くの読者のみなさんから受け取っているものだ。このみなさんからの「贈り物」は、僕に生ある限り、決して忘れることはないと断言しよう。
video
註1、サマンサとシャーロット・ロンソン。1977年生まれの双子の姉妹。サマンサは現在DJ、シャロットはファッション・デザイナーとして自身のブランドを展開。また1975年生まれの兄のマーク・ロンソンは、音楽プロデューサーとして、メイシー・グレイ、エイミー・ワインハウスなど多くをてがけヒットしている。もちろん、ナイルのパーティーに顔を出していた頃は10歳以下の子供。ロンソン一家は不動産業なども営む裕福な家庭で、おそらくコネチカットにも豪邸があったのだろう。
註2、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、ディープ・パープルがレコーディングする予定だったスイス・レマン湖のほとりにあるカジノが火事になり、メンバーが滞在していた向かい側にあったホテルから湖面に映る煙を見て、これをヒントに書いた作品。
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【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第25回 日の出
#25 Sunrise
Written on Wednesday, 09 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 09 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/250-walking-on-planet-c-sunrise
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左・毎朝の日の出に感謝 右・武道館のバーナード
今日、朝の太陽の光がベッドルームの窓から差し込んでくると、僕に新たな自信を授けてくれた。毎朝、僕はその日の出に感謝している。新たな日の訪れにいつも感謝しているからだ。
僕の元パートナー、バーナード・エドワーズの逝去から15周年を記念して、僕はワーナー・ジャパンから新しいレコードを出す。
今日のモーニング・ウォークは短めにして、朝のレコーディング・セッションに備えた。僕の作曲家としての心意気は決して沈黙することはない。ソーガタック島への橋に差し掛かる頃、僕の心のターンテーブルは、クール&ザ・ギャングの「オープン・セサミ」をかけていた。
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ソーガタック島への橋。「オープン・セサミ」が脳内に鳴り響く
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クール&ザ・ギャング
この日録音する新曲は、シックとクール&ザ・ギャングのコラボレーションになる。僕の母方のファミリー・ネームはミケンズという。最近亡くなったスパイク・ミケンズ(註1)は、クール&ザ・ギャングのオリジナル・メンバーの一人だ。いとこのスパイクは、ジャズ・ファンク・R&Bトランペッターで、僕に大きな影響を与えた。この二つのバンドは、僕が突然癌を宣告されたとき、すでに一緒にレコーディングを始めていた。
僕は幸せな気分で、ビル・ウィザースの「ラヴリー・デイ」を大声で歌いながら、田舎道を歩いた。カーヴに差し掛かると、太陽の光が僕の顔を直撃してきた。そこで、ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」を引っ張り出した。ただし僕が出してきたのはニーナ・シモンのヴァージョンだ。ここから、ニーナ・シモンの「シナー・マン」のフェリックス・ダ・ハウスキャット・リミックスも思い出した。
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左・フェリックス・ダ・ハウス 中・ビル・ウィザース 右・Nina Simon “Sinnerman”, Felix Da Housecat Remix
今日、僕は遂にスタジオに戻る予定で、僕の手にファンクが戻ってくることを願っている。癌は、様々なストレス関連の障害をもたらす。もちろん、長時間プレイできるほど強くなっていないことはわかっている。だが、あと何回か日の出を見ればきっと…。
僕のサックス奏者、ビル・ホロマンが最終的なホーン・アレンジをプレイしにやってきた。曲のアイデアをまとめ、その曲を作り上げ、コラボレーションし、しかし、突然癌になり、すべてに急ブレーキがかかり、根治手術を受け、泣きながら助けを求め、そのことをブログに書き、自分自身と他の人たちの心の平和を願う。レコーディングが始まり、そんなことすべてが走馬灯のように僕の脳裏を駆け巡った瞬間、それは素晴らしい夢のような旅となっていた。
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ビル・ホロマン
今夜すべてがうまく行けば、ファイナル・ミックス(完成した最終ミックス)は翌朝日の出前までには終わるはずだ。
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左・ナイルとクール 右・リッチ・ヒルトン
註1、ロバート・スパイク・ミケンズ。1964年、ロバート・ベルらとニュージャージー州でクール&ザ・ギャングを結成。2010年11月2日、ニューヨークのフォー・ロッカウェイ・ナーシング・ホームで死去。59歳。
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【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第26回 どん底
#26 Low Tide
Written on Thursday, 10 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 10 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/251-walking-on-planet-c-low-tide
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夜明け
僕がブログをアップする朝5時、体感温度は華氏3度(摂氏マイナス16度)にも下がる。しばらく寝ようと思ったが、ワーナー・ジャパンからEメールがきた。日本は夜7時だ。僕が先に送ったラフ・ミックスについて話をし、彼らがとても気に入ってくれたことで、僕もとてもハッピーになった。
その時点で僕はもう完全に起きてしまった。そこで、ツイッターとフェイスブックでEラヴ(電子メールでのラヴ)を交わすことにした。みな、今やファースト・ネームで呼び合う仲だ。僕には世界で最大級のもっともクールなEファミリー(電子家族)がいる。
太陽がしっかりと顔を出し始めたので、朝のウォーキングに出ることにした。いつも僕は音楽プレイヤーを持っていかない。音楽を空気のように吸い、音楽で息をしているからだ。そして、僕の心のDJは決して飽きることを知らない。
裏口から出て、ジミ・ヘンドリックスの「ヴードゥー・チャイルド」を歌い始めた。(歌詞)”Well I stand up next to a mountain, and I chop it down – with the edge of my hand,”(僕は次の山に向かっていく、僕の手でその山を切り崩していく) この曲を歌ったのは、裏庭に8フィート(2メートル40センチ)も積もった雪を掻き分けながら進まなければならなかったからだ。僕は、一瞬、自分が前立腺癌の根治手術を受け、現在長い復活療養期間の真っ只中にいることを忘れていた。
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左・ジミ・ヘンドリックス 右・8フィートの雪に埋もれる「泳ぐ人」の彫刻。スコット・テイラー作品。
ミュージシャンというものは、決して大人にならないものだ。しかし、僕には徐々に「常識」が身につき、心変わりした。もっとも、それに気づいたのは、自分が人生のどん底を味わってからだ。
僕は水辺に住んでいるので、凍ったボート係留地のあたりを歩いてみようと考えた。慎重に氷の上に足を踏み入れながら、僕はポール・サイモンの「スリップ・スライディング・アウェイ」を歌い始めた。
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ポール・サイモン
この家を1979年から持っているが、冬にこの桟橋の下に足を踏み入れたことは一度もなかった。僕は一体何を考えていたのだろうか?
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左・桟橋の下 右・ムール貝
ほとんどすべてが凍りつく気温の中で、水に生息するあらゆる生物を見たとき僕は不思議に思った。「このムール貝はまだすべて生きているのだろうか」と。僕はカントリー・ジョー&ザ・フィッシュの「フィクシン・トゥ・ダイ・ラグ」をハミングし始め、何百というムール貝を写真に収め、ストリートに戻った。
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カントリー・ジョー&フィッシュ
僕は、癌事件のために数ヶ月遅れを取っていた新曲に一晩中かかりきりになっていた。シックとクール&ザ・ギャングのコラボレーションだ。僕は歩き出し、癌手術後の症状の問題をファンクのグルーヴでかなたに追いやった。
(ナイルとロバート・クール・ベルのセッションの模様の動画。ここに貼り付けられないので、上記に掲載されているオリジナルコンテンツのアドレスに行き、そこで動画をごらんください。)
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【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】
第27回 モーニング・ニューズ
#27 Morning News
Written on Friday, 11 February 2011 05:00 by Nile Rodgers
(Japan Standard Time, 11 February 2011 19:00)
http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/252-walking-on-planet-c-morning-news
吉岡正晴のソウル・サーチン-wopc-26_1gluedtothetv.jpg ニューズに釘付け
エジプト情勢を報じる朝のニュースで目を覚ました。僕の目はテレビに釘付けになった。エジプトの大河(ナイル川)が僕の名を冠していることはさておき、かの国にもたくさんの友人がいるからだ。
僕の父方の家族はみな聖書から名前を取っている。父はナイル、おじはデメトリオス、おばはナオミ、彼らはみな若くして亡くなっている。
僕はいつもエジプトとなにかつながりがあるように感じている。いくつも理由があるのだが、僕の(マンハッタンの)アパートもエジプトをテーマにした建物なのだ。
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エジプトのテーマをもったアパート
結局、僕の自伝の出版社スピーゲル&グロー、ランダム・ハウス社のスタッフと会わなければならなかったので、泣く泣くテレビを切った。この自伝の原稿は僕が癌と診断された日に提出していた。
僕のチームが電撃的な癌告知を知って以来、今日、初めて全員がミーティングに参加してくれた。彼らとは、癌が発見されたときから情報を共有していたので、みな前立腺癌の状態の重大さを知っている。
お互い久々に顔を会わせ、みな嬉しかった。僕はシンプルなことへの感謝の気持ちが大きくなっていた。会議が始まると、あたかも自分がタイタニックを発見したかのように「今日、術後初めて車を自分で運転してきた」と思わず口を滑らせてしまった。彼らは僕の言葉を本質的に理解してくれた。過去にレコード会社の会議室で新曲をプレゼンテーションしたときとは違い、彼らはその部屋に僕が入った瞬間から、僕の物語を知っていた。彼らはみな自伝の草稿を読んでいたからだ。
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左・シンディー・スピーゲル 右・ジュリー・グロー (どちらも編集者)
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左・ナイル・ロジャーズ・精鋭チーム 右・クリストファー・ジャクソン
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アンドリュー・エセックス(編集者)とデイヴィッド・クーン(書籍のエージェント)
僕は自身の人生についての本を3年間にわたって書いてきた。彼らがこの自伝を読んで知っている主人公は、何度も死の淵まで旅をしている。彼らはそのことを知っているからこそ、今、こうしてその主人公が生きていることが単なる喜び以上の喜びなのだ。僕はドラッグに手を出し、酒浸りになり、享楽的な人生を急ぎ足で歩いた。だが、癌が僕に白羽の矢を立てた。死は死に変わりはないが、なぜかこの(死の)執行猶予は死に対して違った気持ちを抱かせる。
家路に就く車中で僕はクール&ザ・ギャングと一緒にやった曲の最終ミックスを聴いていた。これを聴いていると、音楽が僕にさらなる「生きること」への執着と希望を与えてくれる。
Walking On Planet C>#24 – #27

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