●ラリー・ハンコック死去~元S.O.U.L.、トゥルース

●ラリー・ハンコック死去~元S.O.U.L.、トゥルース
【Larry Hancock Dies At 62】
訃報。
1970年代からオハイオ州クリーヴランドを本拠に、S.O.U.L.、トゥルースなどのソウル・グループで活躍し、その後ソロに転じたラリー・ハンコックが2011年1月3日、オハイオ州クリーヴランドの自宅で心臓発作のため死去した。62歳だった。3日夜7時ごろ、オハイオ州クリーヴランドの自宅で胸の痛みを感じ、妻と娘に支えながら起き、マッサージを受けたが、救急車が到着する前に死去した。数年前に軽い発作を起こしたが、以後もライヴ活動、レコーディングも続けていた。
ラリーとアルは死去5日前に、ラリー宅で二人で一緒に曲を書いていた。アルの父の葬儀が、2010年12月24日にクリーヴランドであり、そこでラリーは、「ザ・ローズ・プレイヤー」を歌った。
ラリー・ハンコックの葬儀は次のところで、2011年1月10日、午前11時から行われる。The Word Church on South Miles in Cleveland, Ohio at 11:00am on Monday Jan.10, 2011.
ラリーは本名ローレンス・エドワード・ハンコック(Lawrence Edward Hancock July 29th 1948)、1948年7月29日オハイオ州クリーヴランド生まれ。同地で1971年に、S.O.U.Lというグループにヴォーカルとオルガン奏者として参加。これは、「サウンド・オブ・ユニティー・アンド・ラヴ」の略。1972年にここに加入するビロイド・テイラーは、後にアース・ウィンド&ファイアーに楽曲(「ゲットアウェイ」)を提供したりするようになる。このグループは、クリーヴランドで行われたバンド・コンテストで優勝、賞金1000ドルを獲得し、ご褒美としてニューヨークのミュージコー・レーベルと契約、シングル、アルバムをリリースしてデビュー。このS.O.U.L.は、「ディス・タイム・アラウンド」(1973年、ソウル44位)、「ザ・ジョーンゼズ」(1975年ソウル65位)のヒットを放つ。ただし、S.O.U.L.のファースト・アルバムには、なぜかラリーの名はない。レコーディングには参加しなかったようだ。
その後、S.O.U.Lが解散した後、ラリーは、同郷の友人アル・ボイド、レオ・グリーン、ラッセル・ワッツらとトゥルースというグループを結成。アル・ボイドはその後、ソングライターとしてテンプテーションズに「シェーキー・グラウンド」を提供する。しかし、最初のトゥルースはなかなか目が出ず、ラリーとグリーを残して二人が脱退。ラリーとレオ・グリーンで地元のデヴァーキー・レコードからアルバム『カミング・ホーム』作品を発表。これが、日本のソウル・ファンなどの間でも評判となったが、アメリカではまったくヒットしなかった。そのため、ラリーはこの後ロス・アンジェルスに出向き一旗あげようとする。ロスで、アルフィー・サイラスとのデュエットもレコーディングするが、思うようにヒットせず、一時期は同じクリーヴランド出身のソニー・ターナーの勧めでソニーのプラターズの一員としてツアーにでたこともあった。そして、再びクリーヴランドに戻り、1988年、フランスのレコード会社から出たソロ・アルバム『ボーダーライン』が話題になった。
また、アルとオージェイズのエディー・リヴァートが知り合いだったことから、アルとラリーが共に書いた「テイク・ミー・トゥー・ザ・スターズ」という曲は、オージェイズの1979年のアルバム『ソー・フル・オブ・ラヴ』に収録されている。
OBITUARY>Hancock, Larry (Lawrence Edward Hancock) July 29th 1948-January 3rd 2011, 62-year-old

This entry was posted in 訃報関連. Bookmark the permalink.

Comments are closed.