●ティーナ・マリー追悼(パート2)~レニーの追悼、ミニーの思い出話など

●ティーナ・マリー追悼(パート2)~レニーの追悼、ミニーの思い出話など
【RIP. Teena Marie Continues】
発作。
R&Bシンガー、ソングライター、ティーナ・マリーが2010年12月26日(日曜)カリフォルニア州の自宅で死去したニュースは瞬く間に世界中に広まった。今回も、第一報はツイッター、そして、そのツイッターからツイッターへ一挙にニュースは広まる。当初ははっきりしていなかった死因なども一日経って徐々に情報がでてきた。
それらを総合すると、25日(土曜日)午後9時過ぎ(アメリカ西海岸・現地時間)まで、ティーナはツイッターに書き込みをしていた。その後深夜12時半過ぎまでに就寝、その時点ではボディーガードが付き添っていた。朝には付き添いはいなくなり、ティーナは一度、午前11時半ごろ目を覚ますが、その後二度寝。午後3時頃に娘が起こしに行くとすでに息をしていなかったので、救急車を呼んだという。自然死と確認された。だが、就寝中に発作を起こし、死去した可能性もある。検視は行われるが、いわゆるドラッグ関連のものはないと見られている。
ティーナは、一ヶ月ほど前に大きな神経系の発作を起こし、その時には横に娘のアリア・ローズがいたため、すぐに救急車を呼び、病院に運ばれた。だがその救急車の中でもまた発作を起こした。以来、発作を止める薬を常用していたが、その薬の副作用が強いために、しばらく量を減らし、やめる方向になっていた、という。しかし、本人は発作が起こることが怖かったので、寝るときにはいつでも誰かにそばにいて欲しいと言っていた。
ティーナのパブリシスト、リン・ジーターによると、前日電話で話したときは、週末のアトランタでのライヴ・パフォーマンスを楽しみにしていた、という。
ティーナ・マリー死去
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101228.html
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●レニー・クラヴィッツ・ティーナ・マリーについて語る
衝撃的。
それにしても、各界からの追悼のメッセージが止まらない。ラジオ局も相当な時間を割いてティーナ・マリーをかけている。WBLSでは、ティーナの曲をかけながら、聴取者と電話でつなぎ、リスナーが持つティーナの思い出を語ってもらっていた。
そんな中でも、今回衝撃的だったのが、あのレニー・クラヴィッツのYoutubeでのコメントだ。一足先にツイッターでご紹介したが、改めて、ここに掲載する。
レニー・クラヴィッツは無名時代、16歳頃といっているから寝るところもなかった時期にティーナと出会い、彼女がずっとレニーを育てていた、という。食べ物を与え、楽器を与え、レコーディング・セッションに連れて行った、そうだ。これは、初めて知った。詳細は次の通り。
レニーは、これをパリからアイフォンで録音し、12月27日、自らユーチューブにアップした模様だ。昨日ご紹介した時点では、アクセス数が300程度だったが、さきほど見たら37000を超えていた。
http://www.youtube.com/watch?v=7VW9j9xr_Qg&feature=player_embedded

(一番下に、レニーの英文を記載しました)
おはよう。僕は、今、パリにいます。悲しいニュースで起こされました。僕の同士であり長い間の友人であるティーナ・マリーが昨日亡くなりました。僕のすべての愛と尊敬とお悔やみを遺された家族に捧げたいと思います。
ティーナ・マリーは宝物であり、天才です。彼女はとてもユニークで、最大限に過小評価されたコンポーザー、アレンジャー、シンガー、ミュージシャンでした。
もし彼女がいなければ、今の僕はいませんでした。彼女が僕にチャンスを与え、この業界にいれてくれたのです。僕が16歳の頃、まだストリート・ミュージシャンだった頃、住む所もなくあちこちをたらいまわしにされていました。(そんなとき)彼女がベッドルームを与えてくれ、僕を食べさせてくれ、料理を作ってくれ、本当に僕のめんどうをみてくれました。
そして、楽器を与えてくれ、彼女が行くレコーディング・セッションやコンサートにも連れていってくれました。彼女はまさに僕を育ててくれたんです。そして、今の僕を作りあげるのに大いに力を貸してくれました。
今まで僕はこの話を深くほとんどどこでもしていませんでした。今の僕は、彼女なしには、存在しないのです。彼女は僕の人生を変えてくれました。アーティストとしてだけでなく、一人の人間として、彼女は、僕をありのままの自分自身を愛せるように変えてくれたのです。
ここ数年、連絡を取っていませんでしたが、僕はティーナに言いたい。僕はいつでも、これからもずっと愛して、尊敬していきます。ありがとう。僕の友達でいてくれて。神様、ティーナ・マリーに人生を与えてくださって、ありがとうございます。
2分38秒のメッセージ
2010年12月27日アップ
レニーは、1994年のティーナのアルバム『パッション・プレイ』で「メイン・スクーイズ」という曲でゲスト出演していた。これには、ある意味、恩返しという気持ちが込められていたのだろう。
楽曲の音源がこちらで聴けます。(形式はYoutubeですが、静止画で音だけ)
Main Squeeze : Teena Marie featuring Lenny Kravitz
http://www.youtube.com/watch?v=SMbXE_WkIBI
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思い出。
僕のティーナとの思い出といえば、2000年4月に会ってインタヴューしたときのことだ。ティーナ・マリーはこのとき、横浜に新規開店した「モータウン・カフェ」(現在は閉店)のオープニング・パーティーのエンタテインメントとしてデニス・エドワーズのテンプテーションズ・レヴューらとともに来日。そのパーティーが、横浜だけでなく、東京・六本木の今はなき「タトゥー・クラブ」で行われた。一般公演ではなかったので、一部の人しか知られなかったのが残念だ。
そのライヴも見た。このときティーナはサックス奏者を従えてライヴステージに立った。正確には、ずっとピアノを弾き語りしながら、しっとりとサックス奏者を伴奏につけ、「デジャヴー」などを熱唱していた。1-2曲弾き語りで歌い、最後、立ち上がってミラクルズの「ウー・ベイビー・ベイビー」を見事な歌唱で披露した。20分余のライヴだったが、声の強さ、そのブラックっぽい声は、目をつぶると本当に黒人のようだった。
インタヴューはホテル・ニューオータニのロビー階の庭が見えるカフェ。確か、一緒に娘がいたような記憶がある。それが、どうやらアリア・ローズだったらしい。彼女は1991年12月25日生まれ(今回の死去報道で誕生日を知る)ということなので、あの頃(2000年4月)は8歳だ。ティーナは2作目『レディーT』(1980年)のアルバムをリチャード・ルドルフという人物にプロデュースを依頼している。リチャードとは、あの故ミニー・リパートン(「ラヴィン・ユー」で有名)の夫であり、ミニーの音楽プロデューサーだった人物である。
そして、ティーナは、そのレコーディング中にさまざまなミニーの影を感じる。その後、娘アリアが生まれ、アリアはミニー・リパートンそっくりに歌うという話をしてくれた。ティーナに、ミニーの話を聞く予定はなかったので、そういう話が出て、僕はものすごく驚いた。なぜなら、ちょうどそのとき、『ソウル・サーチン』の執筆が佳境で、ミニー・リパートンの章もかなり大詰めにきていたからだ。ティーナに聞いたミニーの話は、さっそく、『ソウル・サーチン』の本編に入れ込んだ。
あのインタヴューは本当に興奮した。だって、まったく予期せぬ展開で、ミニーの話が取材できたわけだから。あれこそ、神様の思し召しなのだろう、と思った。
本当にご冥福をお祈りする。
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Lenny Kravitz message for the beautiful Teena Marie
Good Morning, I’m in Paris, I’ve just woke up, I woke up to the tragic news that my sister, longtime friend Teena Marie has passed away yesterday.
I just want to send all my love and respect out to the family and I just want to say Teena Marie was a treasure, was a genius, composer, arranger, singer, musician, unique, underrated by far.
I wouldn’t be here if it wasn’t for Teena. She took me in when I was around 16. I was just a musician on the street. I was living from pillar to post. She took me in, she gave me a bedroom, she fed me, she cooked for me, she took care of me. She gave me instruments to play, she took me to all her recording sessions. She took me to concerts, she nurtured me and helped me to become who I am.
I’ve never really talked much about it in depth, but I would not be here. She changed my life, not only as an artist, but as a person who truly loved me for who I was.
We’d been out of contact for the last few years, but I just want to say, Teena, that I will always love and respect you. Thank you for being my friend. Thank you, Father, for the life of Teena Marie.
OBITUARY>Marie, Teena (March 5, 1956 – December 26, 2010, 54 year-old)

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