◆ネルソン・ジョージから学んだこと

◆ネルソン・ジョージから学んだこと
【Lesson From Nelson George】
日本。
ネルソン・ジョージには、1980年代に2-3回会った。1度は正式にインタヴューした。あの頃、僕は毎年夏にニューヨークで行われる「ニュー・ミュージック・セミナー」というのに参加していて、そこでいろんな業界人と知り合ったが、ネルソンはインタヴューをオファーし、アポイントをとって行った。
しかし、そのアポはなかなか取れなかったことを覚えている。あの頃はメールがなかったので、エアメールか、ファクスか、しつこいほど電話をしたんだと思う。とにかく、アメリカのそういう業界人は、相手を知らないと、折り返し電話をかけてこない。もちろん、当時は携帯もないので、相手のオフィースに電話、こちらはホテルの部屋で待機、みたいなものだ。あと、みんなページャーというポケベルを持っていた。
何度かやりとりがあって、やっとのことで彼に会えることになった。ミッドタウンにあるビルボードのオフィースに行ったが、会うなりいきなり、僕に「日本でのR&B、ブラック・ミュージックの状況はどうだ、誰が人気があるか、ラジオはどうだ、何局くらいあるんだ」など立て板に水で質問を矢継ぎ早にしてきて面食らった。さすが、ジャーナリストだなと思った。ジャーナリストっていうのは、どんどん質問しないといけないんだ、ということを知ったのが、彼と会ってからだ。ほぼ同時期に、ミネアポリスの新聞の記者(名前を思い出せないのだが、60代くらいの品のいい女性だった)にも会ったが、同じく質問攻めに合い、いかに効率よく的確に質問すべきかということを学んだ。そして、遠慮なんてものをしていては、あっという間に時間はなくなり、インタヴューは終わる。アメリカ人の質問は直接的で、ずばっとくる。誰もがそうなので、基本的にそれでいいんだと思うようになった。
ネルソンも、ミネアポリスのジャーナリストも、日本に漠然と興味を持っていたのだろう。それで、そういうことを訊かれた。だが、僕はそれほど「日本」について知らなかった。ちょうどその頃からだと思う。外国に行くと、日本についてきちんと説明ができないといけないということを認識するのが。
それこそ、ささいなネタでも日本について、説明できないと場がもたないのだ。たとえば、食べ物の話になれば、すしの話をしなければならない。魚の名前を英語で言えないといけない。そんなことは、いまだにできない。(笑) ま、最近は日本通の外国人は、すしのネタを日本語で知ってるからいいんだけどね。(笑)
ネルソン・ジョージは、ちょうど『リズム&ブルースの死』を出し、以後コンスタントに著作を発表する。いつの間にか、ハリウッドとコンタクトが出来、ビルボードを辞めて、作家となり、映画の脚本なども書くようになったらしい。彼がビルボードを辞めてからは、なかなか彼のブラック・ミュージックのレポートを見る機会が減ったが、時折、ローリング・ストーン誌やら、なにかで彼の記事が出てたりすると、けっこう読んだものだ。
ネルソンの記事がおもしろかったのは、彼が黒人であって、黒人の目から黒人の音楽シーンをきちんと見ていたからだ。それも、かなりきちんとした文章で書いていたので読み応えがあった。当たり前だが、ビルボードにいたので、きちんと取材をして書いていた。
僕が海外の評論家で一目置いていたのが、トニー・カミングス、デイヴィッド・ネイサン、そして、ネルソンだった。評論家ではないが、デイヴィッド・リッツも注目していた。トニーもデイヴィッド・ネイサンも、いずれもイギリスの白人。リッツも白人、だから、ネルソンがアメリカの黒人の視点でブラック・ミュージックを語るのが新鮮だったのだ。
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