◆『ドリームガールズ』トーク・イヴェント無事終了

◆『ドリームガールズ』トーク・イヴェント無事終了
【Dreamgirls Talk Event】
感謝。
東急文化村で5月6日行われた『ドリームガールズ』のトーク・イヴェントが無事終了した。やはり、案の定というか、話が伸びて、質疑応答とサイン会の時間がなくなってしまった。申し訳ございません。ご来場いただいた方、ありがとうございます。
案内役の有吉玉青さんの進行で僕が話をするスタイル。有吉さんとはこの日初対面だったが、とても話がしやすかった。声のトーンも話し方もとても聞きやすい。終わった後、「とてもラジオ向きです」と言ったら、ラジオに出たりすると、よく言われるとのこと。聞けばトーク・イヴェントなどはあまりやっていないということだが、これからどんどんできるのではないだろうか。不思議なことに、会場のみなさんは、僕と有吉さんの声はちゃんと聞こえたと言われたが、僕らは、お互いの声がなかなか聞きづらかった。やはり、壇上の音の聞こえ方っていうのは、ぜんぜん違うんだなということに改めて気づいた。モニターが必要なのだろうか。(笑)
$吉岡正晴のソウル・サーチン
若干順序に違いがあるが、ざっと次のような話をした。
内容は、第一部が僕がブラック・ミュージックにのめりこんだきっかけ、ソウル・ミュージックの特徴などをさらっと話し、第二部でブラック・ミュージカルの歴史をさらっと。有吉さんもニューヨークに留学していた時期があり、そこで聞いたハーレムのゴスペル隊に感動した話をされた。黒人のミュージカルは、白人のミュージカルがオペラから発展してミュージカルになったのに対し、黒人のミンストレル・ショー、レヴューなどの要素も加味しつつミュージカルに発展していったというようなニュアンスの話をした。
○ブラック・ミュージカルの歴史
初の黒人ミュージカルとされるのは、1898年の『クロリンディ』、同年の『ア・トリップ・トゥ・クーンタウン』など。さらに、1928年『ブラックバード・レヴュー』がヒット、1935年『ポギー&ベス』が大ヒットし、大きく注目された。その後戦争を経て、1960年代にはブロードウェイは活況を呈するが、1970年代になってブラック・ミュージカルからヒットが生まれ、活発化。
1970年『パーリー』(メルバ・ムーアがスター、688回)がヒット、1974年『レイジン』(847回)、そして、1975年『バブリン・ブラウン・シュガー』(ゴスペルとデューク・エリントン作品を中心。ヴィヴィアン・リードなど)、『ウィズ』(オズの魔法使いの黒人版=ステファニー・ミルズがスター。1979年にダイアナ・ロス、マイケル・ジャクソンで映画化)が登場。前者は766回の公演、後者はなんと5年近く、1672回に及ぶ公演となり、その時点でブラック・ミュージカルとしては最大公演数を記録し、ブロードウェイでも、黒人のミュージカルの可能性が認識された。
その後、1981年3月『ソフィスティケーテッド・レディーズ』(767回)、1981年12月『ドリームガールズ』が始まる。これは、1985年8月まで1521回の公演を記録。『ウィズ』に次ぐ記録となった。だが、その後『ドリームガールズ』は何度かの再演があり、その再演が177回を数え、合計すると1698回となり、『ウィズ』を抜いて、ブロードウェイにかかったブラック・ミュージカルの歴史の中では堂々の1位になった。
このほかに、1983年からブロードウェイではないが、ニューヨークで始まった『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』は、2500回近い公演数を記録した、という。これは1988年6月日本にもやってきて大いに話題になった。1985年パリで始まり、1989年にニューヨークにやってきた『ブラック&ブルー』も829回を数えヒットした。
○ 『ドリームガールズ』の歴史
この後、1960年代のアメリカ・ブラック・ミュージック・シーン、モータウン、インディ・レーベル、ブラック・ラジオ局の話などを経て、今回のテーマ『ドリームガールズ』について詳しくお話。
ミュージカルの企画は1975年ごろから始まった。当初のタイトルは、『ワン・ナイト・オンリー』、次に『プロジェクト・ナンバー9』となり、それが『ビッグ・ドリームス』と変わり、最終的に『ドリームガールズ』となった。
当初から、当時はまだ無名だったジェニファー・ホリデイ(エフィー役)がキャスティングされたが、彼女は、ディーナが歌う曲も歌いたがったため、プロデューサーたちと衝突、降りることになった。脚本も何度も書き換えられ、紆余曲折ありジェニファー・ホリデイも復帰、5年がかりで1981年発表の『ドリームガールズ』になる。
ミュージカルの大ヒットに伴い、映画化も検討された。最初は1987年、ディーナ(映画ではビヨンセが演じた役)に、当時人気絶頂のホイットニー・ヒューストンをキャスティングする話が持ち上がったが、映画の企画自体が流れる。1990年代になり、今度は同じ役にローリン・ヒルに声がかかるものの、これも流れる。このときのエフィー役にはR&Bシンガー、ケリー・プライスの名が候補に挙がっていた。そして、3度目の正直で、2006年に映画が製作される。
このとき、カーティス役(ベリー・ゴーディーをモデルにしたレコード会社の社長=映画ではジェイミー・フォックス)に、当初ジェイミーに声がかかったが、ギャラで折り合わず、スタジオはデンゼル・ワシントン、ウィル・スミス、テレンス・ハワードにアプローチ。すべてスケジュールなどさまざまな理由で実現化しなかった。そんな中で、ビヨンセのキャスティングが決まったあたりで、再びジェイミーに話が行き、結局彼がやることになった。この映画版では、CCホワイト役(ソングライター)に、当初はアッシャーに声がかかり、それがだめになった後、アウトキャストのアンドレ3000にも話が行ったが実現しなかった。
エフィー役のジェニファー・ハドソンは700人以上の候補からオーディションを勝ち抜きこの役をゲット。このとき、プロデューサーから20ポンド(9キロ)太れといわれた。一方で、ビヨンセは20ポンドやせろと言われたらしい。
その後、『ドリームガールズ』出演者とモータウンにおける人物の符号点などを紹介した。
ミュージカル/映画の主人公、ディーナ(映画ではビヨンセ)は、ダイアナ・ロス、カーティス(レコード会社社長)は、ベリー・ゴーディー、エフィーはメリー・ウィルソンとフローレンス・バラードをあわせたようなキャラクター、ジェームス・アーリー(エディー・マーフィー)は、マーヴィン・ゲイ、ジャッキー・ウィルソン、ジェームス・ブラウンなどを合わせたようなキャラクター、CCホワイト(作曲家)は、スモーキー・ロビンソンとホランド・ドジャー・ホランド、老練なアーリーのマネージャーは、ハーヴィー・フークワ(マーヴィンの育ての親)あたりのキャラをうまくだしている、といった話をした。
また、映画版の『ドリームガールズ』で主役を演じるビヨンセは、このミュージカルが始まった1981年生まれということ。モデルとなったシュープリームスも最初は4人で3人になり成功したが、ビヨンセのデスティニーズ・チャイルドも当初は4人だったが、3人になって大成功したこと。
なお、以上の見解、符号点は、この映画、ミュージカルを見た一オーディエンスのものであり、ミュージカル製作側は、本作はあくまでフィクションであり、そうした関連性は否定している。
このほかに、キャデラックというのは、当時の黒人たちの成功の象徴だったということ、常に黒人の音楽は白人にパクられ搾取されてきた、それは、最近中国の万博で日本の曲がパクられたのと同じレヴェルの話だ、といったこともご紹介した。
あっという間の1時間半、実際は1時間45分くらいになったようだ。それにしても、今回『ドリームガールズ』やブラック・ミュージカルについて、さらに調べて、自分でもとても勉強になった。このような機会を与えていただいた文化村のスタッフのみなさんに感謝したい。
■ 2009年ニューヨーク・ヴァージョンの『ドリームガールズ』は、2010年5月19日から東急文化村で開催。詳細は文化村へ。
ミュージカル「ドリームガールズ」公演ホームページ
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/10_dreamgirls/topics.html
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/shosai_10_dreamgirls.html

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