■アシュフォード&シンプソン(パート3):インタヴュー:モータウンでは「スピード」が必要だ

■アシュフォード&シンプソン(パート3):インタヴュー
(昨日からの続き)
【Ashford & Simpson: Said “Speed Is Important At Motown”】
スピード。
モータウンの成功についてニックが言う。「ベリー・ゴーディーが生み出した『サウンド・オブ・ヤング・アメリカ』というコンセプトがとても生きていたと思う。もちろん、それを支える素晴らしいソングライター、プロデューサー、素晴らしい歌手たち、素晴らしい楽曲。すべてのコンビネーションがうまく行ったんだ。一番の大きな要因は、その楽曲をしっかり歌えるシンガーがいたということだと思う。今の時代は、とてもトリッキーなシンガーが多いだろう。あの頃は違った」
ヴァル。「あの頃、モータウンで私たちは驚くべきことに、クリエイティヴ・コントロール(何かを好きにクリエイトする自由)があったのよ。曲のここをこうしろ、ああしろ、サウンドはこうしろ、なんてことは滅多に言われなかった。私たちも『こうしたほうがいいかしら』などと彼らに尋ねることもなかった。私たちは出来上がったサウンドのマスターを彼らに渡すだけ。で、ほとんどの場合、そのマスターがそのままリリースされていた」
ニック。「モータウンで心がけなければならなかったことのひとつは、『スピード』だ。モータウンには多くのシンガー、アーティストがいる。だから、いい曲をすぐに作って、すぐにリリースしないといけない。早く曲ができないとダメなんだ。みんな、たとえば、1日で3曲レコーディングしたいと思っている。スタジオでぐずぐずしているヒマはないんだよ。(笑)すぐに終えなければならない。そして、最終段階ではベリー・ゴーディーが『クオリティー・コントロール』(品質管理)をするというわけだ。早くても、ダメな作品はダメ、ということだね」
モータウンは印税率が低いことで評判だった。たとえば、モータウンきってのプロデューサー・チームで多くの傑作を生み出したホランド・ドジャー・ホランドは、その印税率の低さを不満に思い、モータウンを辞めて独立、ホットワックス/インヴィクタス・レコードを自ら立ち上げる。ノーマン・ウィットフィールドも、モータウンを辞めたり、アーティストたちも徐々に去っていくようになる。アシュフォード&シンプソンも1973年までにはモータウンを去る。やはり、モータウンの印税は低かったのが辞めた理由なのだろうか。
ニックが慎重に言葉を選ぶ。「モータウンは独特のビジネスのやり方があってね。これは有名な話しだが、最初モータウンと契約するときは、契約書をモータウンのオフィースから持ち出せない。だから、僕らは僕らの弁護士と相談することもできない。サインするか、しないか、だけなんだ。僕たちはまだ当時まったく何も知らない新人だったから、そして、モータウンで曲が書けるということに大喜びしていたので契約書にサインするしかなかったというわけだ(笑)」
ヴァル。「モータウンはあの時代、あらゆるもののトップに君臨していた。アーティストをプロデュースすること、曲を書くこと、シンガーたち。私たちは何も知らなかった。モータウンという名前が大きく輝いていたのね。そしてある部分は、ビッグ・シークレット(大きな秘密)だった。そこを私たちは知ることはなかった。でもその秘密があっても、モータウンはそれが機能していた。ひじょうにうまく機能していたのね、何年も、何年も」
あなたたちが、モータウンを去ったのはやはり同じ理由なのでしょうか。
ヴァル。「いや、基本的には、私たちが去ったのは、契約期間が切れたから、ということね。でも、私たちは(ソングライターとしての)契約が切れた後も、ダイアナ・ロスのプロジェクトをてがけたり、曲を提供したり、それからダイナミック・スペリアーズといったグループをプロデュースしたり、いろいろ仕事はしていて良好な関係なのよ」
ニック。「僕たちはモータウンに対して怒ったりしてないよ。(笑) 僕たちは『モータウン・カレッジ』をハッピーに『卒業』したんだ、ははは」
モータウンでソングライターとして成功を収めたアシュフォード&シンプソンは、約7年のモータウン時代を「卒業」し、アーティストとしてワーナー・ブラザースと契約する。
ヴァル。「ワーナー時代も楽しい時代だったわ。もちろんこの時代にも多くのことを勉強した。ファースト・アルバムは、今でも誇りに思っている。もっともあの頃は、私たち自身、何をどうすればいいかまったくわからなかったんですけどね(笑) ワーナーに来て、『センド・イット』のアルバムが、私たちの最初のゴールド・アルバムね」
ファースト・アルバム『ギミ・サムシング・リアル(Gimme Something Real)』は1973年10月にリリースされた。『センド・イット』は1977年にリリースされた5枚目のアルバムだ。
「ちょうどその頃からライヴをやるようになり、ツアーを始めた。アーティストとしてのヒット曲を作る、ということが大きな目標になってきたんだ」
先にダイナミック・スペリアーズの名前が出たので、彼らに尋ねた。「ダイナミック・スペリアーズの「シュー・シュー・シャイン」は僕の大好きな曲のひとつですが、これはあなたたちはステージではやらないのですか?」
ヴァル。「あらあ、これはやったことはないわ」 「なんでやらないんですか」と僕。ニック。「やってないなあ。考えたことなかった。でも、じゃあ、そう言うなら、こんどやってみようか」「じゃあ、次回の来日のときでも、ぜひお願いします」
他にも聴きたい曲はたくさんある。そして、他にも訊きたいことはたくさんあったが、あっという間に予定の20分が過ぎた。
◎ アシュフォード&シンプソン・ライヴは、今日(2009年11月22日)まで東京ブルーノートで。
http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html
■ アシュフォード&シンプソン、初来日ライヴ評
November 20, 2009
アシュフォード&シンプソン:ストーリーを聴かせるライヴ (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10392434386.html
November 21, 2009
アシュフォード&シンプソン (パート2): インタヴュー
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20091121.html
■ ダイアナ・ロスの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」ほか、アシュフォード&シンプソン作品も多数収録のベスト

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■ 「シュー・シュー・シャイン」は今、このアルバムに入ってます。

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One Response to ■アシュフォード&シンプソン(パート3):インタヴュー:モータウンでは「スピード」が必要だ

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    エバーグリーン?て言葉が浮かびました。
    また来て欲しいです。