●アシュフォード&シンプソン (パート2): インタヴュー

●アシュフォード&シンプソン (パート2): インタヴュー
【Ashford & Simpson Talks】
夢。
ニューヨークの小さなアパートの部屋で見よう見まね、聴きよう聴き真似で曲を作っていた夫婦のニック・アシュフォードとヴァレリー・シンプソン。1960年代から売れっ子ソングライターとなり、1970年代には自身でヒット曲を出すアーティストとなった。僕は彼らの作り出すメロディーが大好きで、1985年と1986年にニューヨークでインタヴューをしたことがある。ライヴはロスアンジェルスのユニヴァサール・アンフィシアターで見た。来日は初。再会は23年ぶりということになるが、仲良し夫婦ぶりはまったくかわらなかった。
インタヴューの部屋に現れた二人はソファにぴったり寄り添って、質問にてきぱきと答えていく。
「モータウンとのきっかけは、元々はホランド・ドジャー・ホランドからだった。彼らが僕らが作ったテープを聴いてね。『この歌、全部君たちが作ったのか、このトラック、全部作ったのか、歌詞もか』と言って、ずいぶん驚いた様子だった。そして彼らが(モータウン社長の)ベリー・ゴーディーに僕らのことを話したんだ。その後の話は、昨日ステージで話した通りだよ。(笑) ミスター・ゴーディーから連絡があったときは、大いに喜んだよ」とニック。
ヴァルが言う。「モータウン・ファミリーに入るのは、ソングライターの夢よ。ソングライターなら皆それを夢見ていたわ」
ニック。「(モータウンでは)本当に多くのことを学んだ。そして競争が厳しかった。本当に『ベスト』でなければならない。あるとき、モータウンで有名な『クオリティー・コントロール会議』(作品評価会議、直訳では品質管理会議)に出席したことがあった。その曲が(翌週モータウンから)リリースされるか、どうか、決める会議だ。そのときは、まずスモーキー・ロビンソンの曲が提出された。『もうちょっとだな』と言われた。ノーマン・ウイットフィールドの曲が出された。『もう少しだな』 そして僕たちが書いた曲が流された。僕はものすごくナーヴァスになった。出席者はとても静かになった。するとベリー・ゴーディーが言った。『この曲は投票は必要なさそうだな。すぐ、プレス工場へ送れ』 その曲は、『ユー・アー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ』だった」
ヴァル。「私はその会議には出席してなかったんだけどね。私たちもそんなにたくさんその会議に出席したわけではないのよ。私たちはニューヨークに住んでいたから。2-3ヶ月に1回くらいしかデトロイトには行かなかった」
曲を書くパターンは決まっていない、という。ニック。「誰かが、僕のところにやってきて、『ソリッド、ブラザー』と言った。そこで、『ソリッド』という言葉が響いたので、それを元に曲を作ったんだ」
ヴァル。「ドラマーとときにベース・プレイヤー、あるいはキーボード・プレイヤーくらいで、とてもシンプルな編成でデモは作るわ」
彼らが作り出した作品には多くの傑作がある。前日のステージでもっとも盛り上がった「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」は果たしてどんな風に出来たのか。
ニックが説明する。「あるとき、セントラル・パークを歩いていた。するとマンハッタンのビル郡が僕には山のように見えたんだ。そこでAin’t no mountain high enough like in New York, I’m gonna make it(ニューヨークみたいにビルが山のように高くなっている所はない、僕はここで絶対成功してみせるぞ)って思ったんだ。それですぐ部屋に戻ってヴァルにその話をして、一緒に曲を書いたんだ」
ニックは詩人だ。
「この曲には、ご存知のように2つのヴァージョンがある。最初は、ハーヴィー・フュークワがプロデュースしたマーヴィン&タミーのヴァージョン、そして、ダイアナ・ロスのソロ・キャリアを飾ったヴァージョンだ。ダイアナのヴァージョンは僕たちがプロデュースしたんだが、ちょうどあの頃、アイザック・ヘイズが長尺の曲を録音していてね。僕たちも、この曲をそんな風にロング・ヴァージョンでやってみよう、ということになった。それであれはあんなに長いんだよ」
ダイアナのヴァージョンは6分超だ。当時のシングルとしては異例の長さだった。
ニック。「マーヴィン・ゲイというシンガーは、本当に素晴らしい。たとえば、自分が書いた歌詞があまり強力じゃないと思っていたとする。でも彼がその歌を歌うと見事な曲になるんだ。まるで、マーヴィンが歌うとバイブルのようになる」
ヴァル。「彼はステージではとてもクールに振舞うんだけど、スタジオでは本当に真剣にガッツを持って必死になって曲に取り組むの。彼がソウルに触れようとしているのがわかるわ。ああいう姿を見ているのは本当にエキサイティングだったわ」
ヴァル。「『エイント・ナッシング・ライク・ア・リアル・シング』は、私たちが実質的に初めてプロダクション全部をてがけた作品だった。レコーディング・スタジオでは多くの人たちがその様子を見ていて、とてもナーヴァスになった。マーヴィンは私たちがうまく行くように仕向けてくれたので、結果、とてもいいものが出来た」
彼らがモータウンにいたのは、約7年。そして、彼らは「モータウン学校を卒業した」。モータウンの後、アシュフォード&シンプソンは、ワーナー・ブラザースとアーティスト契約を結ぶ。ニックは「僕たちは、人前で歌うことも好きだったから、パフォームすることにより重点を置くようになるんだ」とその変遷を語る。
(この項続く) 
■ アシュフォード&シンプソン、初来日ライヴ評
November 20, 2009
アシュフォード&シンプソン:ストーリーを聴かせるライヴ (パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10392434386.html
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