◎ホイットニー・ヒューストン、オプラに3時間語る(パート1)

【Whitney Houston Talks To Oprah For More Than 3 Hours】
予定外。
全米の人気トーク・ショー『オプラ・ウィンフリー・ショー』の第24シリーズが始まり、そのシーズン・キックオフにホイットニー・ヒューストンの復活インタヴューを2009年9月14日と15日の2日にわけて大々的に放送した。その内容が判明したので2日にわけてご紹介しよう。
このインタヴューは、8月31日にシカゴで収録された。当初の予定では30分程度ということだったが、オプラとホイットニーの話は、大変盛り上がり結局3時間に及んだ、という。元々は1日のゲストという予定だったようだが、急遽2日に分けての放送になった。オプラは、「今まで何千人とインタヴューしてきたけれど、生涯の中で最高のインタヴューになった」と振り返る。8月31日はアルバムの全米でのリリース日。3時間話した翌日(9月1日)、ホイットニーはニューヨークのセントラル・パーク内ラセイ・プレイグラウンドで約4000人を集めた無料ミニ・ライヴを行った。
これは翌日(9月2日)の朝『グッドモーニング・アメリカ』のテレビ番組で放送されたが、若干声がかすれ気味になってしまっている。前日長時間しゃべりすぎたためと本人も認めている。このときは、最新作『アイ・ルック・トゥ・ユー』からの最初のシングル「ミリオン・ダラー・ビル(100万ドルの恋)」、「マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ」(1999年のヒット)、最新作から「アイ・ルック・トゥ・ユー」(その場にいた母シシーに向けて歌った)、「アイム・エヴリ・ウーマン」(1993年のヒット=シャカ・カーンのカヴァー)の4曲を歌った。
セラピー。
さて、オプラとの3時間におよぶインタヴューは、まるで「セラピーのようだった」という。ボビー・ブラウンとの結婚生活、離婚などについて、さらにドラッグについて赤裸々に語り、後半ではマイケル・ジャクソンについても語った。
ボビーとホイットニーは、当初大変愛し合い、3年間つきあって結婚した。だが『ボディーガード』以降、ホイットニーの人気が予想できないほど大きなものになり、関係がギクシャクしてきた。特に1993年から1995年以降が、ホイットニー人気とボビーの人気の差が決定的になった。オプラが「彼はあなたに対してやきもちを焼いたのかしら」と聞くと、ホイットニーは「彼はそう言われるのは嫌でしょうが、答えはイエスだわ」と答えた。そこでホイットニーは、そうしたことを避けるために、「ミス・ヒューストンではなく、ミセス・ブラウンなの」と周囲によく言うように努力していた、という。
さらに、ボビー・ブラウンは、『ビーイング・ボビー・ブラウン』というテレビのリアリティー・ショーに出演することになり、ホイットニーも同意。これはその芸能人のリアルな生活にカメラをいれ、プライヴァシーをすべてさらけ出す番組だが、ホイットニーはこれを夫のために承諾した。その時点ではその番組がもたらす結果についてはほとんど考えなかったが、これが放送されると、多くの人がホイットニーのことを心配するようなった。この時点で、ホイットニーは、「私はこの結婚がハッピーではなかった」と思うようになっていた。
そして、多くの人たちが「彼らの結婚は5分で終わるだろう」と言っていたのを見返してやりたいとも思っていた。その気持ちは2人とも同じだった、という。
「ドラッグを始めたのは?」とオプラが聞く。「『ボディーガード』の前、最初は軽いものだった。それから、コカインとマリファナ」 だが、ボビーはこれにアルコールが加わった。アルコールが入ると彼は激変したという。暴力は振るわれなかったが、精神的な暴力を振るわれたとホイットニーは言う。一度だけ彼女の頬を殴ったことがあったが、彼女は彼に対して頭付きを3回ほどくらわしたことがある。彼女は男兄弟の中で育ったので、やんちゃだったという。
「最悪の思い出は?」の質問に、一度、彼の誕生日会を企画したときに、揉め事があって、彼がホイットニーにつばを吐いた、ことだという。この事件は彼女を大きく傷つけた。しかも、それを彼らの娘が目撃してしまった。その翌日、彼女は家を出ようとしてボビーと揉め、彼に頭付きをくらわせたところ彼は床に血を出して転んだ。
『ボディーガード』までは軽いドラッグだったものが、その大ヒット後はドラッグ使用が大変ヘヴィーになった。特に、それに続く映画『ウェイティング・トゥ・エクスヘイル(ため息つかせて)』、さらに映画『プリーチャーズ・ワイフ(天使の贈りもの)』の撮影の頃は、毎日ドラッグ付けで、まったく幸せではなかった、という。自分自身を見失っていたと振り返る。
その頃から結婚生活は暗礁に乗り上げた。ボビーは他の女性と関係を持つようになり、そのデート代をホイットニーのクレジットカードで支払い、すぐに彼女に事実が知られることになる。どちらがその家を出て行くかということになり、結局、ホイットニーが出て行くことになった。
ドラッグ、家庭問題…。しかし、世間には自分たちが不幸だということは見せられない。自身では「(エンタテイナー)ホイットニー・ヒューストンの人生は終わった」ということを認めたくない。しかし、離婚しか道はないということもわかっている。だが彼は自分の夫だということを守りたい気持ちもある。さまざまな葛藤が彼女を覆う。
だが彼女は何をするにも彼が一緒でないとできなかった。ドラッグをやるときも。オプラが切り込む。「あなたは、彼=ボビー=に弱いの? それとも、ドラッグに弱いの? 世間はあなたはドラッグの誘惑に弱いと見ているわ」
ホイットニーが答える。「彼が私のドラッグだった。私は彼と一緒でなければ何もできなかった。私は一人ではハイになれなかった。私と彼が一緒にやった。私たちはパートナー。ハイで入られるのはパートナーがいたから。何をするのも一緒だった」
オプラ。「なぜなら、あなたは彼の妻だから」
ホイットニー。「イエス。彼は私の夫でした。私はこの結婚をうまくやらなければならない、なんとしてでも、と、その頃は思っていた」
ドラッグを断ち切るために、最初30日間施設に入った。だが、それでも切れなかった。業を煮やした母親がある日、シェリフ(保安官)を伴ってやってきた。「命令書があります。私の言う通りにするか、さもなければ、これがテレビ沙汰になってあなたは引退。でもそんなことにはなりたくないでしょう」 こうして、母親は娘を連れ出し再度ドラッグを断ち切らせようとした。
「そのときお母さんは、リハビリに行きなさいと言ったのか、それとも、この結婚をやめなさい、と言ったのか、どちら?」とオプラ。ホイットニーは、「まずリハビリに行って、心をクリアにしてから決断しなさい、と言ったわ」
母は強し。母の愛は何よりも勝る…。
(オプラ=ホイットニー・インタヴュー2日目へ続く)
詳細はオプラのウェッブに掲載されている。文字で全文が読めます。
http://www.oprah.com/article/oprahshow/pkgscreeningroom/20090831-tows-whitney-houston#print
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