Dexter Redding Talks

【デクスター・レディング語る】

ジェントルマン。

2005-0802-2019.jpgデクスターは、オーティス・レディングの長男である。そして、ゴスペラーズの面々は、以前、オーティスの墓参りに行ったことがあり、その時にオーティスの妻、ズレマさんに会っていた。そこで、今回7月頭に彼らがニューオーリンズに行ったときに、再びズレマさんに会った。そこに長男であるデクスターがやってきて、メンバーといろいろ話をするうちに意気投合。特に北山さんがデクスターに「こんど、じゃあ機会があったら、日本にでもきてください」と、比較的社交辞令的に言ったところ、本人が本当に来てしまった、というわけだ。そして、デクスターは、先週土曜日のモーションブルーでのクリヤマコトさんのライヴに飛び入りしたり、31日(日)の『メローライダーズVOL.2』に遊びに来たりしている。

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、これは、「ソウル・サヴァイヴァー」に登場してもらわないわけにはいかない。というわけで、急遽、彼が「ソウル・サヴァイヴァー」にゲストで出演することになった。(この模様は、8月27日の『ソウル・コネクション』内「ソウル・サヴァイヴァー」で放送されます)

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、聞きたい話はいっぱいある。オーティスには4人の子供がいた。長男がデクスター、1960年10月17日生まれ。次男がオーティス・レディング・サード(3世)、1964年12月17日生まれ。第3子がカーラ(女性)で、65年生まれ。そして、4番目が養子にとったディミトリー。

父オーティスが不慮の事故で他界した時(1967年12月)、デクスターはまだ7歳だった。だから、デクスターは父のアーティストとしてのことはそれほど覚えていないという。ところで、前々から不思議だったのが、彼は長男なのに、デクスターで、弟がオーティスを名乗っているという点。普通、父親の名前は、長男が引き継ぐことが多いのだが。それを聞くとデクスターは笑いながら「それは、母親に聞いてくれ」との答え。

父のことをミュージシャンとして、音楽的にすごいなと思い出したのは16歳か17歳、彼がハイスクールにいた頃だという。回りのみんなが父親のことをいろいろ言っていたのを聞くようになって、すごいということを認識し始めたようだ。

デクスターとオーティス3世は、もうひとりのメンバー、マークとともに3人組、レディングスを結成。このレディングスは、80年、CBS配給のビリーヴ・イン・ア・ドリーム・レコードからデビュー。「リモート・コントロール」が大ヒットになり、一躍有名になった。デクスターが20歳、オーティスはまだ16歳の頃だ。彼らは、CBS~ポリグラムで計6枚のアルバムを発表。この第3のメンバー、マーク・ロケットは当時の情報では彼らの「従兄弟(いとこ)」と紹介されていた記憶があった。

「確か、あの3番目のメンバーはあなたたちの従兄弟でしたよね」と言うと、デクスターは笑いながら、「いやいや、実は違うんだよ。いとこでもなんでもないんだ。ははは」 「え~~? 兄弟と従兄弟だったように記憶してましたが」 「いや、あれはレコード会社が適当に作り上げたんだよ。彼は今フロリダで音楽関係の仕事をしてるようだ」 な~るほど。いかにもありそうな話だ。

デクスターと初めてちょっと話をしたのが、31日のルーサーだったが、昨日(2日)、収録で再度会ってまた話をした。そこで、レディングスのアルバムをスタジオに持参した。うちでレコードを探すと発売された6枚のうち5枚があった。そして、3枚目のアルバム『ドック・オブ・ザ・ベイ(原題、スティーミン・ホット)』が日本盤だったので、中をあけてライナーを見ると、なんと、僕がライナー書いてました。1982年8月8日のこと。すっかり忘れてた。(笑) デビューまでのいきさつなどが詳しく書かれていて、話を聞くのに、とても参考になった。(笑) 

2005-0803-0141.jpgスタジオでその話をすると、大笑いになった。ジャケットには3人の写真が映っていて、デクスターはわかるが、残るオーティスとマークの区別がつかないので、それを尋ねたりしていた。(写真参照) 5枚のうち、2枚にサインをもらうことにした。23年前のレコードだ。今回の来日でいろいろ世話役になっている日本在住のブレンダ・ヴォーンさんが、「まあ、なんて若いの?」とめちゃくちゃびっくりしていた。

「6枚のアルバムの中で、一番思い出深いのはどれ?」と聞くとほとんど迷わず最初のアルバム『ジ・アウエイクニング』を選んだ。そのタイトル曲「ジ・アウエイクニング(パート2)」は、彼がベースを弾いている曲で、後に誰かフュージョン系のグループがカヴァーしたという。(その時、彼は「プロミス」とかいうグループじゃなかったか、と言ったが、記憶はおぼろげらしい。かなり調べてみたが、でてこなかった。ただし、同名異曲がたくさんある)

最後のアルバムが88年のアルバム『ザ・レディングス』。この後グループは自然解散。最近では、たまに弟のオーティスとともに、オーティス・レディング・トリビュートのショウなどをやっているという。「二人ということは、サム&デイヴみたいな感じですか?」と聞くと、「そう、そう。そんな感じで父親へのトリビュートをしているよ。きっと、君は気に入るよ」とのこと。

一年ほど前、メイコンで行われたオーティス・トリビュートのイヴェントで、そこのオーケストラをバックに、オーティス・メドレーを13曲ほど歌ったという。「たしか、去年の父の誕生日あたり(9月9日)だったと思うな」

ところで、オーティスのことを書いた『ジ・オーティス・レディング・ストーリー』(スコット・フリーマン著・セント・マーティンズ・グリフィン、2002年=日本未発)という本がある。これについて尋ねた。「この本は読んだ?」 「あー、これか。読んではないけど、内容は知ってる」 「この著者にインタヴューはされた?」 「いや、僕はされてないが、母親はされてる。ただこの本はオーティス(父親)を直接知らない人の話がでてくるんだ」 「なるほど、ということは、まあ、お父さんについての違う視点からの本、ということね」 「ははは、そうだよ。違う視点からの本だ!」 

それにしても、デクスターはものすごくいい人で、にこにこしていて、しかも謙虚。「君が持っていない唯一のアルバムを、帰ったらコピーして送るよ」とまで言ってくれた。本当にジェントルマンだ。

デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。そして、ソウルの神様である。デクスターと話をして、握手をしたということは、間接的に神様に触れたということでもある。神様に触れると、感激するのである。

(写真は、『ジ・アウェイクニング』の裏ジャケ。上がマーク[22歳頃]、下の左がデクスター[19歳頃]、右がオーティス3世[15歳頃]。) (現在のデクスター・レディング)

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