The Last Day Of George's: Part 2

【日本最古のソウルバー、ジョージ 41年の歴史に幕】(パート2)

伝説。

入口のところに人があふれ、思い思いに缶ビールなどを飲んでいる。中に入ろうとするが、いっぱいでよほど人を押しのけないと入れない。ひとりでどうしようかと思っていると、近くでバーをやっていて、以前別のソウルバーにいて今は独立しておしゃれなバーをやっている小林さんがいた。よくライヴなどで顔をあわせる。ちょうど店が終ってやってきた、という。まもなく、雑誌ブリオでソウルバーの紹介を毎月書いている高畠さん登場。実は彼に今日がジョージ最後だという電話をいれたら、やはりもちろん知っていて、前日も朝方まで飲んでいたという。大阪のアカペラグループのメンバーを紹介された。あるいは高円寺でソウルバーをやっているシンさんもいる。

結局、高畠さんは彼のコラムではこのジョージを紹介できなかった。彼はこの日本最古のソウルバーを、自分のコラムが最終回になるときに、ママとともに紹介しようとずっと思っていた。だが、ママが2001年10月に他界し、その夢は実現することはなかった。そして、今日名実共に閉店することによって、ジョージはそのコラムには登場しない。ただしブリオでは昨年、六本木特集を組み、その中でこのジョージは紹介した。

ジュークボックスから絶え間なくソウルが流れてくる。誰もがいつもやるように、カウンターに何枚もの100円玉が無造作に置かれている。ジューク用の100円だ。なんとか入口から中に入ってみると、そこは満員電車さながら。テーブルに上って踊っている人がいると思ったら、コシノジュンコさんの鈴木さんではないか。のりのりだ。「ロング・トール・サリー」がかかった。店の中のほぼ全員がコーラスを大声で歌う。大声で歌う曲は、これだけではない。ウィルソン・ピケットの「ダンス天国」、テンプスの「ゲット・レディー」・・・。

中にいると男性が声をかけてきた。「吉岡さんですよね」「はい」「ずっと昔から文章、読んでますよ」「えっ、ありがとうございます」「いやあ、寂しいですよねえ。私もずっと昔から来ててね。こういう店が閉まっちゃうなんてねえ・・・」 

鈴木さんが僕をみつけて声をかけ、こっちに来いという。なんとか押しのけて久々の再会。コシノさんともかなりお久しぶりだ。20年以上前に、コシノさんのファッションショウの時にDJをしたことがある。「今日北京から帰ってきてね、ジョーイから電話がかかってきて、来たんだ」 

タバコの煙と人ごみで苦しくなって外にでると六本木・ホワッツアップのカツミさんがいた。3日くらい毎日来てました。こんなにつめてここに来たことはなかった、という。どうやら前日は8時過ぎまでどんちゃん騒ぎだったらしい。渋谷のファンキー・チキン店モリゲンの森元さんも店をしめてやってきた。川畑さんは、遅番の登場か。(笑) 

ジュークボックスはよく壊れる。だがある程度の知識があれば比較的すぐ直せる。それでも壊れた時のために、ママはジュークを2台持っていて、1台を修理に出さなければならない時には、1台を入れ替えていた。確かにジュークボックスのないジョージは考えられない。

壁一面に貼られた写真には、写真が痛まないようにセロハンが被せられている。だが、そのセロハンがタバコの煙で茶色っぽくくすんでいる。タバコのヤニによるそのくすみ方は、半端ではない。何十年という時の経過とともに、徐々に汚れていったものだ。そしてその染みのひとつひとつに41年のソウルが宿っている。

「マイ・ガール」がかかった。ジョージのテーマ曲のひとつでもある。コーラスのところはみんなで大合唱になる。”I guess you’d say
What can make me feel this way? My girl (my girl, my girl) Talkin’ ‘bout my girl (my girl). ” その様子を見ていて、壁に貼られたママの写真に目が行った。その写真はあたかも「最後の日は思いっきり楽しみなさい」と言っているかのようだった。

日本最古のソウル・バー、ジョージはこの日をもって伝説になった。

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ジョージが舞台の記事。

デイヴィッド・リッツ、インタヴュー
『両肩に刻まれた入れ墨』

https://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/ritz19940509.html

ENT>SOUL BARS>George’s

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