A Passion For A Record Turns To A Passion For Music

情熱。

いやあ、楽しかったなあ。映画『RAY/レイ』の公開前夜祭が28日夜、銀座みゆき座で行われた。トークイヴェントに登場したのは越谷政義(司会)、鈴木雅之、鮎川誠(シーナ&ロケッツ)、ブラザー・トム、ダイアモンド☆ユカイ、宮腰理(CooDoo’s)の各氏と吉岡正晴(音楽評論家)。

それにしても、ブラザー・トムと鈴木さんの漫才やりとりは、おもしろかった。聞けば以前、バブルガム時代から鈴木さんは、よく一緒にライヴをやっていて、司会のからみもあったという。このふたりで番組のコーナーでもできる! 

また、ブラザー・トムさんの「アイ・キャント・ストップ・ラヴィン・ユー」を初めて聴いた時の話、彼がレイ・チャールズのピアノを調律した時の話、レイが「さくら、さくら」を弾いて、最後の音をはずし、おもむろにサングラスを上げるという話、みなおもしろい。特に「僕に2分くれる?」と言って話し始めた「アイ・キャント・ストップ・・・」を初めて聴いた時の話は、ちょっと感動した。彼が話し終えた時、会場から拍手が起こったものだ。

そして、鮎川誠さんの熱いレイへの思いも、おもしろかった。なにしろ、彼が持ってきた「ホワッド・アイ・セイ」の日本盤シングルはすごかった。330円。邦題は、「何と言ったら」(その1、その2)! 

本番前、楽屋で顔合わせをし、しばしレイ・チャールズ談義に花が咲く。

鮎川さんが持ってきたシングル「何と言ったら」を見せてもらっていたら、裏の歌詞カードのところに、小さな字で鉛筆で何かが書かれていた。じっくり見ると、「ヘイ・カーチャン きいてくれ、みんなオイラをバカにする」と書いてあるではないか! 小学生か中学生くらいで、英語を訳していたのだ。これは59年のヒットだが、彼が買ったのは62年頃だと言う。小中学生ころだった彼がそうした訳を書いていたことに、僕は感激した。しかも、その古びれたシングル盤は43年も前のものだ。

鮎川さんは「アイ・キャント・ストップ・ラヴィン・ユー」のシングル盤も持ってきていた。それを見たトムさんは、「初めて聴いた(レイの曲)のが、これなんですよ」と感激ひとしお。そして、ステージでその時の秘話が明かされたわけだ。

鮎川さんは言う。「当時こずかいが500円くらいでね。アルバムなんか、なかなか買えんかった」 さらに、驚いたのが彼が持ってきたアルバムは、当時はよくあった25センチ盤のアルバム。30センチアルバムより一回り小さい。そこにはレイ・チャールズの選りすぐりのヒット曲が収録されていた。

そして、そのジャケットで僕はまた発見した。そこにはやはり鉛筆書きで曲の分数が書かれていたのだ。小中学生で別に放送の仕事をしていたわけでもあるまいし、なぜにタイミングがいるのか、僕は大いに疑問を持った。このタイミングは? すると、昔はあんまり収録時間が短いアルバムは、損だから買わなかった、という。同じお金を出すなら、長く楽しめるほうがいい。だから、片面で15分にもならないアルバムは買わなかった、とか。

確かに、昔は「一枚のレコードを買う」という行為には、大変な決断と労力と、お金が必要だった。やっとの思いで買ったレコードは、それこそ擦り切れるほどターンテーブルに乗せた。たった一枚のレコードへの熱い思いが、そのまま好きな音楽への熱い情熱へ変化していったのだな、と痛切に感じて、そこにも感激した。

ダイアモンド・ユカイさんは、「わが心のジョージア」をギター1本で歌ったが、実はギター1本で歌ったのは初めてのことだという。ちょうど、彼はスティーヴィー・ワンダーの自伝(正確には彼の母が書いた『ブラインド・フェイス』)を読み終えたところで、次に何を読もうかと思っていたところだったので、レイ・チャールズの自伝を喜んで手にしてくれていた。

というわけで、楽屋で顔合わせをした頃から、すでにレイ・チャールズ談義がヒートアップし、トムさんも司会のマイク越谷さんに何度も「ほんとに、呼んでくれてありがとう」と言っていた。いやあ、こういう熱い音楽トークは楽しいな。これだけの面子で、たった30分はもったいなかった。もっと2時間くらい、できたかもしれない。

トムさんがそでにひいてから言った一言がまた印象的だった。「普通、映画の前夜祭とか、シーンとかしてるけど、今日のお客さんはほんとにみんな暖かいね、きっとみんなレイの音楽が好きなんだろうね」

(2005年1月28日金曜、銀座みゆき座=映画『RAY/レイ』前夜祭)

ENT>MUSIC>EVENT>”Ray” Preview Night

わが心のジョージア―レイ・チャールズ物語

カテゴリー: Uncategorized パーマリンク