Monthly Archives: December 2011

◎ マサ・コハマ・スペシャル パート6~ますます多様性見せるギタリスト

◎ マサ・コハマ・スペシャル パート6~ますます多様性見せるギタリスト 【Masa Kohama Special Vol.6】 多様性。 スーパー・ギタリスト、マサ・コハマ、そのスペシャル第6弾。すっかりライヴハウス「ブルース・アレイ」の名物ライヴになり、今年だけで5回目になる。ほぼ2ヶ月に1度の割りで行われている感じだ。この日も満席、立ち見が出た。 ちょうどマサがステージに行くときに、僕をみつけてくれ、「はい、これ」といってセットリストを渡してくれた。しかも、右上に「吉岡さん用」と書かれているではないか。嬉しいねえ。これは。(笑) ありがとうございます! ベースのジーノと。写真撮影・長渡和好 さて、「マサ・コハマ・スペシャル」は毎回いくつか曲を入れ替えるが、今回の衝撃は、いきなり、オープニングの「サティスファクション」だった。ローリング・ストーンズ楽曲を、ここではプリンス風で。たとえば、次回はオーティス・レディング風のも聴いてみたい。さらに、デフ・レパードの「フォトグラフ」、ミスター・ミスターの「ブロークン・ウィングス」、ゲス・フーの「アメリカン・ウーマン」(アイク・生沢さんゲストヴォーカル)などのロック曲が目立った。そして、超意外な石田あゆみの「ブルーライト横浜」。 アイクさんは、日本のロック業界を代表するようなロック・シンガーで、B’z(ビーズ)などの作品で歌声を聞かせている。「アメリカン・ウーマン」、生で聴いたことなかったので、嬉しかったですねえ。ハスキーな声が超強力。日本のロック界の至宝かもしれない。(なんとタイミングよくブルーノートでライヴがあることが発表された。詳細下記に) アイクさん、ヴォーカル。中央に。写真撮影・長渡和好 マサ・コハマは僕からすると、ソウル、R&B、フュージョン的なギタリストとして捉えているのだが、それはこっちの勝手な妄想で、本人はロックでも、きっとカントリーでも、歌謡曲でもなんでもできる。彼みたいなスタイルをヴァーサタイル(多様性のある)なアーティストという。前にもどこかで書いたが、ある程度レヴェルを越えたアーティストは、ギタリストにしろ、キーボード奏者にしろ、みんなどのようなジャンルでも出来る。ただその中で得意というか、一番自分にフィットするジャンルがある、そんな感じだと思う。 今回一番驚いたのは、「ブルーライト横浜」。いま、ピンク・マルティーニ&由紀さおり(オリジナルは1969年いしだあゆみのヒット)で全米で大きな話題になっているが、この「昭和歌謡」をソウル調というか、ポップ調インストにアレンジしたが、これはマサ・コハマの今年一番のアイデア賞だと思った。彼のライヴでは、「マイケル・ジャクソン・コーナー」が定番で人気だが、この「昭和歌謡コーナー」も今後、人気になりそう。本人は「(前日)この曲を一生懸命ひとりで練習していた自分がかわいかったです」と言い、えらく受けていた。なんかグループ・サウンズっぽい曲もマサ・ギターにあってる感じがした。 個人的には、今回初のクインシー・ジョーンズ/ジェームス・イングラムの「ワンハンドレッド・ウェイズ」なんか、すごくよかった。 マサ・コハマ・スペシャル、すでにいくつか定番曲もできている。TLCの「レッド・ライト・スペシャル」、ジャネット、ロバート・ジョンソン、そして、アンコールのプリンスの「パープル・レイン」。これを聞いてると毎回、「ソウル・サーチン~プリンスの回」では、絶対にこれをやって欲しい。マサ・コハマの「パープル・レイン」を聞いていて、「ソウル・サーチン」でいずれプリンスをやろうと思ったほど。 それにしても、今年の節目である3月12日付けのソウル・サーチン・ブログ(3月11日午後に書いていた。3月12日の0時01分アップロード)は、前日(3月10日)のマサ・コハマのライヴ評。そして、今年の最終日12月31日のソウル・サーチン・ブログがマサ・コハマのライヴ評で締められるなんて、なんという奇遇というか、ご縁なのだろうか。(笑)  +++++ マサ・コハマ、次はケイリブとのライヴ、1月6日(金)中目黒・楽屋(らくや)。1月18日(水)目黒ブルース・アレイで、フィリップ・ウーのニューヨーク・オールスターズなど。(下記参照) ■ マサ小浜ウェッブ(スケジュールなど) http://masakohama.com/ ■ マサ・コハマ関連記事(一部) 2011年09月18日(日) マサ小浜スペシャル・パート5 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110918.html 2011年07月09日(土) マサ小浜スペシャルVol 4 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10946888458.html 2011年06月07日(火) ユリ・マサ・ライヴ~自由度の高いライヴ:Juju、トータス松本さん飛び入り http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10915057661.html 2011年03月12日(土) マサ小浜3回目のライヴ~「レッド・マサ・スペシャル」、アツシ飛び入りも http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10827190545.html 2010年07月09日(金) マサ小浜、初ソロ・ライヴ~ソウルとファンクとスムース・ジャズと http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584972682.html … Continue reading

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◎ 軽音部大忘年会~空気の振動が感動につながる

◎ 軽音部大忘年会~空気の振動が感動につながる 【Air Vibration Makes More Emotion】 振動。 ゴスペラーズ北山陽一さんが主催する友人ミュージシャンと自由にセッションを繰り広げる「軽音部」の大忘年会が、2011年12月27日(火)深夜24時(正確には28日午前)から朝方まで渋谷のライヴハウスで行われた。こんなにミュージシャンがいるかというほどの大賑わい。通路は満員電車並。自由にその場で会ったミュージシャンたちが、即興でいろいろなジャンルの曲を夜通し繰り広げる。 後半は時間が足りなくなり、セッションは1曲10分以内のお達しが。(笑) みんな曲を演奏するのが楽しいので、一度ステージに上がると、みんな演奏をやめようとしないのだ。 この「軽音部」は2000年頃、北山さんが彼のポケットマネーで音楽ジャンル、レコード会社、プロダクションなどの枠を超え、音楽の世界でビジネスを忘れて初心に戻り、楽しむために夜通しセッションをするという趣旨で始めたミュージシャンだけの内輪のパーティー。当初は小規模に2-30人程度で行っていた。年に1回のときもあれば、2-3回行われることもあった。徐々に規模が大きくなってきて、今年は、3回行われた。今回は通常の北山さん友人関係だけでなく、お店が呼んだミュージシャンたちも多数参加し、150人以上のミュージシャンが集まった。 これだけのミュージシャンが集まり、その場で曲と楽器パートを決め、自由にジャムセッションを繰り広げられる、そういう場があるということが、とても貴重だ。この「軽音部」にしろ、トクがやっている「トクズ・ラウンジ」にせよ、生身のミュージシャンが同じステージでお互いの目を見ながら、演奏をしたり歌ったりするところが、音楽の原点としてすばらしい。 どこかのツイートで見たが、音楽、音とは、元々は「空気の振動」からできていた。それが、打ち込み→デジタル録音→アイポッドなどのデジタル再生機で再生したものを聴いていると、そこに「空気の振動感」がなくなってくる。楽器がすべてデジタルになっても、歌声は空気の振動、震えだが、やはりすべて空気が振動して、その場でその振動を感じ取れるほうが「本物感」が強い。 そしてそうした「振動感」が「感動」につながるのだなあ、とつくづくこのセッションを見ていて思った。感動とは、「感」が「動く」わけだから。やっぱり、音楽からは「汗」が飛び散らなきゃ。 今月でアムリタの「トクズ・ラウンジ」が終わってしまい、次の場所を模索中だが、「トクズ・ラウンジ」や「軽音部」のような動きは、ゆっくりでいいので、長く続けていって欲しい。 この日は、トク、北山さん、山下達郎バンドの小笠原拓海さん、フユ、はんこやさん、マル、カツ、スウィンゴーSwing-Oさん、佐々木誠さん、澤田かおりさん、その他たくさんの人たちが来ていた。マサ・コハマは翌日ブルースアレイでのライヴがあるので、2日連続で会うことになった。 キーボードのスウィンゴーさんから彼の最新作のCDをいただいた。 Stop! Look! Listen! posted with amazlet at 11.12.28 45 origami PRODUCTIONS (2011-12-07) 売り上げランキング: 7622 Amazon.co.jp で詳細を見る さっそく聴いたら、かなりかっこいいサウンドで仕上がっていた。ジャズ、ファンクの要素がいいグルーヴに乗って、まとめられている。 LIVE>Keion-bu

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☆ フランク・カシオ著『マイ・フレンド、マイケル』

☆ フランク・カシオ著『マイ・フレンド、マイケル』 【Frank Cascio’s “My Friend, Michael”】 友情。 マイケル・ジャクソンと20年以上の親交を持った友人の一人、フランク・カシオが自身とマイケルとの思い出を語った著作『My Friend, Michael(マイ・フレンド、マイケル)』が全米で2011年11月リリースされ、日本での発売権を飛鳥新社が獲得、2012年6月までに発売する。西寺郷太があとがきなどを書き、吉岡正晴が翻訳・監修する。 マイケル関連本のリリースは相変わらずラッシュ状態だが、これはフランク・カシオが書いたもの。フランク・カシオは、昨年(2010年)リリースされたマイケルのアルバム『マイケル』の楽曲のトラックを作ったエディー・カシオの兄。このカシオ兄弟は、父親がニューヨークの名門ホテル、ヘルムズレイ・ホテルのVIPをもてなす支配人だったことから、マイケルと知己を得て、その父親の子供だったエディー、フランクらと仲良くなった。 マイケルとフランクらが知り合ったのは、1984年のこと。彼らはまだほんの子供だった。その後、彼らは親交を深め、まもなくマイケルは、ニュージャージーにあるカシオ家に突然前触れもなく訪問するようになった、という。フランクによれば、おそらく誰にも干渉されずに、普通の家庭の雰囲気に触れたかったのだろう、と推察する。したがって本作も、1984年頃以降のことが書かれている。 著作は3部に分けられ、第一部が知り合ってから90年代初期くらいまで、第二部がその後2002年あたりまで、そして第三部が2002年以降、マイケルとフランクがかなり親しくなって以降。全328ページ。 カシオ一家が初めてネヴァーランドに行くときのことなど、事細かに書かれている。また、裁判のときのこと、2001年のマジソン・スクエア・ガーデンにおける『30周年記念スペシャル』などのことなども、当事者としての考察が描かれている。この『スペシャル』のときに、なかなかマイケルが準備が出来ずに、会場に行けなかったシーンなどは、まさに当事者ならではの迫力で描かれている。 副題の「飛びぬけて素晴らしい男との、ごく普通の友情の物語」とあるように、音楽業界のような派手な世界にいたわけでもない普通の子供とマイケルとの関係性が、独自の視点、スタンスで描かれる。とはいっても、このフランクもエディーもマイケルという接点を持つことによって、音楽業界、エンタテインメント業界に足を踏み入れることになるのだが。 本作の著者フランク・カシオは先にリリースされたドキュメンタリー『マイケル・ジャクソン:ライフ・オブ・アイコン 想い出をあつめて コレクターズ・エディション』でも、顔をだしてインタヴューに答えている。 このほかに、「マイケル・ラヴ・ナイト」でもご紹介したジャーメイン・ジャクソン著の『ユー・アー・ノット・アローン』も、近く改めてご紹介しよう。 フランク・カシオ著『マイ・フレンド、マイケル』(英語版)1582円 My Friend Michael: An Ordinary Friendship with an Extraordinary Man posted with amazlet at 11.12.27 Frank Cascio William Morrow 売り上げランキング: 21737 … Continue reading

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◇○☆ ワックス・ポエティックス第19号~ディスコ・ミックスの父、トム・モウルトン・インタヴュー

◇○☆ ワックス・ポエティックス第19号~ディスコ・ミックスの父、トム・モウルトン・インタヴューはリミックスの歴史満載 【Wax Poetics #19: Tom Moulton Interview】 ディスコ・ミックス。 ダンス系、ブラック系のアーティストなどのインタヴューを掲載している音楽誌ワックス・ポエティックスの最新号(2011年12月30日発行、第19号)が30日に発売される。 今回マイケル・ジャクソンの『イモータル』のアルバムについて、詳しく解説を書いたのだが、「マッシュアップ」を解説する中でリミックスの歴史を簡単に紹介し、その父とも言える「トム・モウルトン」のことを書いた。そうしたら、偶然、同じ号にそのトム・モウルトンのインタヴュー記事が掲載されており、興味深く読んだ。 トム・モウルトンに関しては、1970年代からあちこちでたくさん書いてきたが、直接会ったことはない。ただいろいろ噂話なども聞いていて、最近フェイスブックでつながったりした。いずれ、どこかで会うなりして、じっくりインタヴューしてみたい人物だ。ただ、このワックスのインタヴューは十分、おもしろく読み応えがあるので、リミックスの歴史などに興味がある方はぜひお読みになるといいと思う。 トム・モウルトンは、「ディスコ・ミックスの父」と言われ、いわゆるディスコ・ミックスの生みの親、ブレイク・ビーツの元を発明した人物である。それより以前は、ジュークボックス用の7インチ・シングル(ドーナツ盤)のセールスマンをしていた。 誕生。 たとえば、ものすごく面白いストーリーのひとつは12インチ誕生の瞬間の話だ。 いつもトムは、自分がリミックスしたものをアセテート盤というラッカー盤に焼いて、ディスコで試していた。これはやわらかい盤面に音を直接カッティング(刻む)して、盤を作る。しかし、盤面がやわらかいもので、その場でカッティングできて、一応、盤にはなるのだが、10回くらいプレイしてしまうともう溝が削れて使えなくなってしまう。今だったら、出来上がったミックスをCDRに焼くが1970年代はまだまだこのアセテート盤に焼いて、いろいろなオーディオ機器で試して聴いて、低音が不足してるとか、高音が出すぎとか、ヴォーカルが小さいなどと調整するために、使っていた。 ちょうどアル・ダウニングの「アイル・ビー・ホールディング・オン」をミックスして例によってアセテート盤を作ろうとしたら、たまたま7インチのブランクのアセテート盤がなく、しかたなく12インチに刻んだ。ところが3-4分ほどしかない曲を12インチに刻むと、外側の2-3センチくらいにしか、その刻みがなく、あとはまったくのブランクになる。それでは、あまりにかっこうが悪いので、溝を中央まで均等に刻みなおした。それをすると、今度は、音量が足りないことがわかり、大きな音量で、12インチのかなりの盤面を使ってカッティングした。溝の幅自体が広く刻まれたのだ。それをディスコに持っていったら、音が大きく入っていて、ものすごい迫力で再生された。そして、これはいい、ということになり、ディスコ用の12インチ・シングルというものが出来た、というのだ。 たまたま7インチのアセテートがなかったから、12インチを使ったところ、それがものすごくよくて、次々これで行こうとなった。まさにひょうたんから駒、怪我の功名、災い転じて福となす状態である。 トム・モウルトンの話は計10ページにわたって紹介されているので、ほかにも、おもしろい逸話が存分に出てくるのでわくわくしながら読んだ。ちなみに、筆者のマイケルの話は6ページ、それから日本のファンキーなキーボード奏者、スウィング・オーさんのインタヴュー記事も4ページ、デトロイト・テクノ特集、ロン・ハーディー特集など、満載だ。 クレジット。 ちなみに、僕がすべてのライナーノーツの最後のクレジットに「An Early Bird Note」と表記しているのは、トム・モウルトンがミックスを施したすべてのレコードに「A Tom Moulton Mix」というクレジットをつけていたところからインスピレーションを得て、つけたものだ。1975年のこと。「A」という不定冠詞がついているところが、「唯一の」という感じがしてよいと思った。たまたまアーリーバードの場合、不定冠詞につづくEが母音だったので、Aではなく、Anになったのだが。最初は「A Early Bird Note」かなあと思ったが、すぐにAnでなければならないことに気づいた。ただ、An かあるいは、The がいいのかどうかは、すごく迷った。もうひとつ、通常「ライナーノーツ」と複数なので、単数でいいのかなあというのも迷ったが、Liner Note でもNotesでも間違いないということ、同じ意味のSleeve Noteは単数だったので、ま、いいかと思って、そうした。 話がそれたが、トム・モウルトンとリミックスについては、いくらでも書けるので、また機会をみて書いてみようと思う。 ■ワックスポエティックス・ジャパン 2011年12月30日発売号、第19号 トム・モウルトン・インタヴューなど Wax Poetics Japan … Continue reading

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★ 「マイケル・ジャクソン・ラブ・ナイト」第三回

★ 「マイケル・ジャクソン・ラブ・ナイト」第三回 【Michael Jackson Love Night #3】 トーク。 年末恒例となりつつある「マイケル・ジャクソン・ラブ・ナイト」の第3回が、2011年12月25日(日)、お台場のイヴェント・スペース、東京カルチャー・カルチャーで行われた。 西寺郷太、吉岡正晴、そして、マイケル・ジャクソンの情報満載のウェッブ「ムーン・ウォーカー」を運営しているトヨさんこと木下豊人さんの3人でマイケルについての、話をたくさんした。5時半から第一部、6時40分から第二部、7時50分から9時10分頃まで第三部と約3時間40分、マイケルおよび関連トークに花が咲いた。 第一部では、過去1年のマイケルの動き、先日行われた「マイケル・ジャクソン・トリビュート」などについて。第二部は、お客さんからの質問への回答。第三部では、今後のマイケル関連作品、イヴェントなどについて。 左から、トヨさん、吉岡、西寺郷太さん さっとまとめてご紹介しよう。 第一部 17:30-18:20 +とよさんのウェッブは1997年12月25日から始まり、ちょうどこの日14周年となった。1997年はまだインターネット黎明期で、マイケル関連情報もガセが多かった。ガセはジャーメインが出してたんじゃないか。(笑) (と、これはジョーク) +そこから、2000年にジャーメインが来日したときの話。(ジャーメインがホテルの部屋をもっといい部屋にしてくれとわがままを言った話など) +マイケルこそ、ツイッターをやってほしかった。 +ランディーは賢い、頭がいい。ランディーのツイートはネガティヴなツイートが多い。(いろいろ考えていて、考えすぎでこうしたイヴェントに参加できないのではないか) +マイケル・ジャクソン・トリビュート、なぜランディー、ジャーメインが参加していないか。(ジャーメインは、他の兄弟よりギャラをたくさんくれと言って成り立たなかった) +10月8日のカーディフでのライヴ。(ニーヨの『レディー・イン・マイ・ライフ』などすごくよかった。あのイヴェントを主催した会社が倒産) +マイケル・ジャクソン・トリビュートができた経緯。 +ドキュメンタリー番組「AI ミス・マイケル」での話。ブルース・スゥエディンの話。 +トリビュートで売られたパンフレットが売り切れたため、遂に増刷されることが決まった。同ウェッブで発売されることになった。 +キャサリンさんは一日目だけ観戦。ジャネットは来たかったが、これなかった。 第二部 18:40 – 19:30 +マイケル・トリビュート、なぜプリンス、パリスは来れなくなったのか。(学校の勉強が忙しく、単位が足りなくなるために来れなくなった) +今回のマイケル・トリビュート、ジャクソンズは最初17曲くらいやるといってきた。 +今回のイヴェントでは、マイケル楽曲は使えない。動く映像は使えない、写真も使えないといわれていた。ケント・モリが使っていたマイケル・ソロ部分の音源はすべて独自に作ったもの。ヴォーカルは、今回「ハートブレイク・ホテル」を歌ったJPが歌っている。ちなみにジャクソン・ファイヴ、ジャクソンズ時代のものは使えた。 +監修する上で苦労したことは何ですか。(あえて第二部には口をださなかったが、今から思えば、いろいろアドヴァイスすればよかったと少しは思う) +ジャッキー、ティト、マーロンのジャクソンズだが、全員の参加はあるのか。 +日本人が解釈してマイケルの歌を歌うのは本当に難しい。(「マン・イン・ザ・ミラー」などマイケルでさえ前半は口パクで歌うのに、そんなに難しい曲はとうてい歌えない) +日本人シンガーを見てて、マイケルの歌唱の中に、ジェームス・ブラウン的歌のうまさ、リズム感のよさを、逆にものすごく感じた。 +クインシー・ジョーンズの「楽曲至上主義」と「アーティスト至上主義」についての考察。山下達郎さんの「ジェームス・ブラウンが歌が一番うまい」論が、ある意味、ものすごくよくわかった、という話。 +クインシーのプロデューサーとしてのこと。クインシーとマイケルの関係。先生・生徒から、(ビートルズの)ジョンとポールのような関係になった。 +『オフ・ザ・ウォール』は、クインシー色100、『スリラー』はクインシーとマイケル色が50・50、『バッド』はマイケル色が100。 +マイケル、リズム感が圧倒的にすごい、という話。 … Continue reading

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◆ ▽バー・アムリタ24日で17年間の営業終了~伝説となった「トクズ・ラウンジ」

◆ ▽バー・アムリタ24日で17年間の営業終了~伝説となった「トクズ・ラウンジ」 【Bar Amrta Closed After 17 Years】 閉店。 西麻布の隠れ家的バーとして17年間営業を続けてきたバー・アムリタ(Amrta)が、2011年12月24日(土曜)をもって閉店した。最終日はここの名物イヴェント「トクズ・ラウンジ」(2008年9月からスタート)の通算40回目。これが最終営業日になった。 オウナーのサンペイさんがいたので、話を聞いたら、これで営業を終了し、店は終わり、大家に返すということで、誰かが運営して継続はないそうだ。サンペイさんはもともとデザイナーで、たまたまちょっとした流れでバーの運営という水商売をやってしまったということで、今年の8月までには閉店を決意していたという。ちょうど体調を崩してしまったことも若干影響しているようだ。本人は「病気だけど、元気だよ」と笑っていた。 最終日は多くのミュージシャンが集まってきていた。そして、お客さんも。もう満員電車のような混雑ぶりで、通路は身動きとれず、煙草の煙もものすごかった。半分以上が立ち見で、思い思いの形でトクたちのジャム・セッションに耳を傾けていた。   左・店・奥のほう。アムリタでは壁面を使って毎月一アーティストが作品展示をしていた。サンペイさんが無料で壁面の貸し出しをしていた。右・この日は超満員 「トクズ・ラウンジ」は、トランペット/フルーゲルフォーン奏者/ヴォーカリストのトクが主催して行ってきたDJ、ライヴ・イヴェントで、トクが自分の仲間のミュージシャンたちに声をかけ、自由にジャム・セッションを繰り広げてきた。2008年9月から始まり、基本的に月1回。ブルーノートなどにやってくる多くの海外ミュージシャンも顔をだし、おもしろいジャム・セッションも多数行われた。 中でも、近くに事務所がある久保田利伸もときどきこれにやってきて、そのうちの一回はNHKの音楽番組『ソングス』のロケでもここが使われた。これまでにもここには、マル/ファイアーリリー、ゴスペラーズ黒沢薫、北山陽一、エグザイルのアツシ、さかいゆうなども顔を見せていた。 自由なジャム・セッションが行われる自由なスペースとしてのアムリタがなくなってしまうのは、実に残念だ。トクもどこか他にこういう店があるといいんだけど、と次の場所を探したいようだ。 楽器やPAなどを個人で買っていた同店店長のケンジさんは、「ドラムやら、キーボードなどの楽器、家には置くところがないんですよ」と若干困っている様子。 「トクズ・ラウンジ」ができるような次のお店が決まるといいのだが。果たしてどうなるか。トクはもちろん、このような趣旨のライヴは続けたい意向を持っている。 少なくとも、西麻布アムリタでの「トクズ・ラウンジ」40回という実績は、立派な伝説になった。トク、おつかれさま。またどこか場所を見つけてぜひやってください。 トクやベースのカツら。 ■ 過去関連記事 2011年10月27日(木) トクズ・ラウンジにオマー・エドワーズ、カズ・スタジオでワークショップ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11059301711.html 2011年06月02日(木) トクズ・ラウンジ~マイルスとヒップホップな夜 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110602.html 2011年03月22日(火) 深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html 2010年10月28日(木) ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html 2010年09月16日(木) トクズ・ラウンジ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100916.html 2010年07月24日(土) トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り … Continue reading

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●12月25日はジェームス・ブラウンの命日~ソウル界のキリストが死んだ日

●12月25日はジェームス・ブラウンの命日~ソウル界のキリストが死んだ日 【December 25: The Day The Godfather Died】 命日。 「ゴッド・ファーザー・オブ・ソウル」ことジェームス・ブラウンが亡くなってはや5年が経つ。2006年12月25日が命日だ。日本にニュースが伝わったのは、25日午後。いやあ、驚いた。まさかと思った。 2006年3月にジェームス・ブラウンは来日、結果的にこれが最後の来日となってしまうのだが、その最終日、ミスター・ブラウンは珍しく弱気なメッセージをステージで語っていた。「彼とは(ドン勝本氏のこと)もう、35年来の友人だ。私は、日本にも何度もやってきた。世界中に旅をした。だが、私は再びこの日本に戻ってこれるかどうかわからない。けれども、みなさんのことを愛してます」 僕は東京で行われた2日間のライヴを観戦し、このメッセージには少し驚いたが、まだまだできるものと思っていた。ところが、その数日後、ミスター・ブラウンが車椅子で移動していたことを知り、愕然とした。そのときの模様は次のブログに書いた。 March 12, 2006 Was This James Brown’s Final Japanese Tour? 【ジェームス・ブラウンの今回の日本ツアーは最後だったのか】 (明かされた衝撃の新事実。これが現実になってしまいました) http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200603/2006_03_12.html ジェームス・ブラウンとはたくさんの思い出がある。そのいくつかはブログに書いてきた。死去5周年ということで、まとめてみたい。 ■ ジェームス・ブラウン過去関連記事 December 26, 2006 James Brown Dies At 73 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200612/2006_12_26.html December 27, 2006 James … Continue reading

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★ ザ・リヴレーションズ・フィーチャーリング・トレ・ウィリアムス~70年代のディープ・ソウルを彷

★ ザ・リヴレーションズ・フィーチャーリング・トレ・ウィリアムス~70年代のディープ・ソウルを彷彿 【The Revlations Featuring Tre Williams】 ディープ・ソウル。 ウェッブをいろいろうろついているとときに思わぬ拾い物がでてくる。どこでどうやってこのグループを知ったのか、それを忘れてしまったのだが、ユーチューブで見て、一発で気に入り、即アマゾンへ行き、ポチっとして、そのCDがさっき届いた。3枚頼んだが、なぜかばらばらの発送で、まだ一枚しか到着してないが…。 すでに一部ではずいぶんと話題になっていたらしいが、僕は知らなかった。アーティスト名は、リヴレーションズ・フィーチャリング・トレ・ウィリアムス。最初に到着したのが、2008年リリースの最初のアルバム『ディープ・ソウル、ザ・リヴレーションズ・フィーチャリング・トレ・ウィリアムス Deep Soul The Revelations Featuring Tre’ Williams』。 一番近いのは、アンソニー・ハミルトンかな。それからライアン・ショー、あるいは、ラファエル・サディークの最近のものなど、70年代ソウルを薄くせずに黒っぽくそのまま熱く再現した感じだ。 最初に聴いた曲がこれ。 The Revelations feat. Tre Williams ‘I Don’t Want To Know’ http://youtu.be/PGMGSmzCgrI プロフィールには、「Here, there are no teenage whines, no auto tune, no … Continue reading

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◎ スタイリスティックス・ライヴ~新メンバー・ジェイソンが加入

◎ スタイリスティックス・ライヴ~新メンバー・ジェイソンが加入 【Stylistics Live- New Member Jason Sharpe Joined For The First Time】 恒例。 前年のライヴ評を見たら、去年も12月20日にスタイリスティックスを見ていた。ちょうど一年前だ。客層は年齢が高く、スタイリスティックスの熱心なファンが多い、という。スタイリスティックスは年に一回必ず来るが、他のアーティストのライヴにはそれほど来ないらしい。つまり、「スタイリスティックス命」の固定ファンをがっちりつかんでいる。 毎年、内容的にはほとんど同じだが、今年は去年と大きな違いがふたつあった。まず、去年までのメンバー、ヴァン・フィールズが辞め、ヴァンに代わって新人のジェイソン・シャープが加入したこと。去年、リーダー格のハーブ・マレルが怪我をして杖をついていたが、今年は完治して、元気にステージで踊っていたことだ。 スタイリスティックスは今年の初めにヴァンが辞め、しばらく3人でやっていたが、エアリオンの友達だったジェイソンに声がかかり、加入に至った。ジェイソンは1967年7月16日メリーランド州バルティモア生まれ。イーバンより年上ということになる。一時期、ヒートウェイヴのツアー・メンバーに参加していたという。スタイリスティックスではファルセットとセカンド・テナーを担当。まだメインでリードを取ることは少ないが、この日、アンコールでクリスマス・ソングの「ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・クリスマス」をリードで、ファルセットで歌い、強力な歌声を聴かせた。 こんごは、彼がリードを取る曲も増えたり、あるいは二人のファルセットを縦横無尽に絡ませるヴォーカルなどもでてくるかもしれない。 流暢なハーブ・マレルのMCにはさまれながら、ほぼノンストップで歌われるヒット曲メドレーは、いつ聞いても安心だ。 ■ スタイリスティックス・最新ベスト盤 『”シングルズ 1970~1977″』 2010年12月8日発売=スタイリスティックスのアヴコ/H&L時代のシングルのA面B面両面を1977年まですべて収録した2枚組み。最初のシングルのB面(レット・ザ・ジャンキー・バスト・ザ・プッシャー )は、長くLP未収録だったため本邦初CD化となった。ライナーノーツ、書いています。 シングルズ 1970~1977 posted with amazlet at 10.12.20 スタイリスティックス ビクターエンタテインメント (2010-12-08) 売り上げランキング: 26662 Amazon.co.jp で詳細を見る ■スタイリスティックス公演は2011年12月25日(日)までビルボード東京で。 http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=1 … Continue reading

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★マイケル・ジャクソン・トリビュート:ロビー・ダンジー&ケイリブ・ジェームス・トークス

★マイケル・ジャクソン・トリビュート:ロビー・ダンジー&ケイリブ・ジェームス・トークス 【Robbie Danzie And Kaleb James Talks】 談笑。 マイケル・ジャクソン・トリビュートの日本人シンガーのバンドをまとめた音楽ディレクター、ケイリブ・ジェームスと、バック・コーラスの一人として参加したロビー・ダンジーが、カマサミ・コングの「メットポッド」の収録に麻布飯倉のスージーズに登場。(メットポッドのこの分は金曜日頃までにアップされる予定) マイケル・トリビュートの話、ロビーのキャリアなどを語った。収録は当初の2-30分の予定から、大幅に延び、1時間を越えるものになった。 http://metropolis.co.jp/podcast/ (この分は2011年12月23日金曜頃までにアップされる予定) 左・ケイリブのランチ(ランバー・ジャック)、右・ソウルサーチャーのランチ(エイジアン・チキン・サラダ) ロビーはセントルイス出身、父がマイルス・デイヴィスなどとプレイしたこともあるというトランペット、サックス奏者のロバート(ボビー)・ダンジー、母親ベティーもピアノの弾き語りなどをしていた。1980年代にロスアンジェルスにやってきてシンガーとして活躍。1984年、エピックからデビューした4人組女性グループ、クリストルに参加。クリストルの2枚目から4枚目までクリストルのメンバーとなっている。クリストルは、1986年に「Passion From A Woman」のヒットなどがある。その後、1991年、当時芝浦にあった「ソウル・トレイン・カフェ」のハコ・バンドで来日。日本で多くのシンガーのバック・コーラスの仕事があったため、1994年まで滞在、その後も日本とアメリカを行き来するようになった。日本のイエロー・モンキー、杏里などのコーラスでツアーに参加した。「ソウル・トレイン・カフェ」は後に店名を「ソウル・スター・カフェ」と変えるが、ちょうど別の仕事で来日し客席にいたブレンダ・ヴォーンをステージにあげ歌わせたところ、これが注目され、ブレンダはそれがきっかけで日本に滞在するようになった、という。 その後、1997年から2001年、2004年から2007年に日本に滞在。その間もアメリカと日本を頻繁に行き来している。2009年7月の「ソウル・サーチン~トリビュート・トゥ・アイズレイ・ブラザーズ」にも参加している。 2000年からは、オリヴァー・ウェンデルと組んだ二人組み、ジェナイ(Genai)としてCDをリリース。彼女はジェナイとしての2枚目から4枚目まで参加している。他にも、マスターズ・アット・ファンクなどのプロジェクトにも参加。 MJトリビュートでは、スクープ・オン・サンバディーが歌った「ウィル・ユー・ビー・ゼア」の後半で、力の入ったヴォーカルをタケとのやりとりで聴かせ観客を印象付けた。「ジャクソンズは昔から大好きだったので、素晴らしいシンガーたちのバック・コーラスができて本当に光栄でした。ファンタスティックだった」とロビー。 ケイリブ。「こんなことがあった。スクープ・オン・サンバディーのタケがロビーのヴォーカルにとても感激して、ロビーに『(後半のコーラスのところで)アドリブをやってくれないか』て言ってきたほどなんだ」 クリストル時代のヒットのひとつ Passion From Woman http://youtu.be/Y3oei53Erxs ジェナイ・アルバム メットポッドでプレイする「タイム・アフター・タイム」収録 レット・ラヴ posted with amazlet at 11.12.21 ジェナイ ビデオアーツ・ミュージック (2002-07-10) 売り上げランキング: 262899 Amazon.co.jp で詳細を見る カマサミが「シンディー(・ロウパー)に会ったことは?」と尋ねると、面白い話がでてきた。 ロビー。「(2005年11月)しばらく前にウェスティン・ホテルのバーで歌ってたときに、たまたまシンディーがそこに滞在していて、そのバーに来てくれたことがあった。そこで彼女と一緒に歌ったのよ!」  … Continue reading

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◎ブライアン・マクナイト・ライヴ~せつない系で圧倒

◎ブライアン・マクナイト・ライヴ~せつない系で圧倒 【Brian McKnight Live】 粋。 ブライアン・ナイトの2010年12月、デューク・エリントンとのジョイント・ライヴ以来、約1年ぶりのライヴ。単独では、2010年4月以来1年8ヶ月ぶり。 キーボード、ベース、ギター、ドラムスの4人バンドにブライアン。ブライアンは、ときに生ギターを弾いたり、キーボードを弾きながら歌う。 バックドロップに「B」の大きな文字が。そのスクリーンには何曲かでPVの映像も映す。 ジョーといい、ブライアンといい、キース・スゥエットといい、これほどまでの人気安定ぶりはすごい。いずれも女性ファンが圧倒的についているところが共通点か。背のすらったしたブライアンは、いくつかの曲で振り付け風のこともしつつ、よく通る声で、主としてバラードを歌う。それもラヴ・ソングがほとんどで観客の女性の目はみなハートマーク。一言で言うと粋か。 6曲目では、客席からカヨコさんという人を舞台に上げ、彼女に向かって「5分だけ僕のガールフレンドになってくれるかい?」と歌うという演出。彼女にとっては、生涯忘れられないライヴになったことだろう。 僕はファースト・アルバムから何枚かライナーノーツを書いているので、初期作品がとても思い入れが深い。今回も「ワン・ラスト・クライ」あたりは、実にしみてくる。ブライアンは、振られて寂しい、せつない系の歌が抜群にあっていて、はまる。 ブライアンのライヴは、楽曲がどれもよくて、ブライアンの存在感がどっしりしているので安定している。 ■ 過去記事 2010年12月04日(土) デューク・エリントン/ブライアン・マクナイト・ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10726229996.html 2010年04月10日(土) ブライアン・マックナイト・ライヴ~声で観客を圧倒 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10504620426.html ■ バック・アット・ワン Back at One posted with amazlet at 11.12.07 Brian Mcknight Motown (1999-09-21) 売り上げランキング: 152894 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ ベスト … Continue reading

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☆マイケル・ジャクソン・トリビュートをサポートしたメンバーについて

☆マイケル・ジャクソン・トリビュートをサポートしたメンバーについて 【Support Members Of Michael Jackson Tribute】 サポート。 先週行われた「マイケル・ジャクソン・トリビュート」でジャクソンズのバックをつけたメンバーについて、少し紹介しよう。 このバンドを仕切っていたのが、レックス・サラス(キーボード)。1980年代後半からロスアンジェルスを中心に数多くのレコーディングやライヴ活動などをしている人物。ヴァネッサ・ウィリアムスのデビュー作などのプロデュースもしている。また近年ではジャネット・ジャクソンのツアーの音楽ディレクターも担当した。今回は来日はしていたが、ステージには立っていない。 その元でステージ上でミュージカル・ディレクター(MD)として活躍していたのが、KTことケネス・タウンゼンド。なんとAIとロスアンジェルスの教会が同じで、その教会でキーボードをプレイしていてお互いよく知っていた。今回はレックスの誘いでMDとなった。 そして、このKT(キーボード)がロスでよく一緒にプレイするのが、ブランドン・ブラウン(ベース)とカイル・ボールデン(ギター)。ケネス、ブランドン、カイルの3人で、2009年11月、R&Bシンガー、クリセット・ミッシェルのライヴ(ビルボード東京)に来日している。彼ら3人とキーボードのウィリアム・ウエッソン、ドラムスのスタンレー・ランドルフでクリセットのバックで来ているがこの5人で2000年から「ニュー・ジェネシス・バンド」というグループを結成し、この名前でも活躍している。彼らはかなり仲が良いようだ。 ドラムスのチャールズ・ストリーターは、メンフィス出身、LA在住のドラマーで、これまでにもチャカ・カーンなどのバックを担当、西海岸中心にプレイをしている。かなりいいドラマーだ。 ギターのトーマス・オーガンは、映画『ディス・イズ・イット』にも登場していた人物。今回は『ディス・イズ・イット』のドラマー、ジョナサン・モフェットやジャクソンズのキーボード、グレッグ・フィリンゲインズらが『シルク・ドゥ・ソレイユ』に出演しているために、参加できなかった。 コーラスのイヴェット・マリーは、なんと昔リック・ジェームスがてがけたグループ、メアリー・ジェーン・ガールズの一員。 「ハートブレイク・ホテル」を歌って、いきなり注目を集めたのが、パーカッション奏者のJPことホアン・パブロ。ラテン・コミュニティーで活躍しているようで、いくつかのラテン・ミュージシャンたちの作品にクレジットがある。 キーボードのダニエル・ムーアはやはり、教会などでキーボードを弾いたり、歌ったりしていた。アトランタからロスに本拠を移し2009年のカルヴィン・リチャードソンのアルバム(『Facts Of Life: The Soul Of Bobby Womack』)でキーボードを担当している。また、テレビのBETの『サンデイ・ベスト』や『モニーク・ショー』のハウス・バンドのメンバーとしても活躍。アニタ・ベイカーのツアー、レコーディングにもつきあっている。アニタ・ベイカーでは音楽ディレクター。自身のEP『HalfWay Love』はイギリスでヒットした。 ちなみに、レックス・サラスはかつて1980年代にティーズ(Tease)というバンドで活躍し、エピックから3枚のアルバムを出した人物。ちょうど同じ頃、エピックにはクリストル(Krystol)という女性3人組のR&Bグループがいた。そのクリストルのメンバーの一人が、今回の日本人アーティストのバックを務めたバンドのコーラスの一人、ロビー・ダンジーだ。ロビーは長く日本とアメリカを行ったり来たりしており、日本のレコード会社でも、いくつかアルバムを出している。そして、レックスとロビーは、ちょうど同時代に同レーベルということで、いわば「レーベルメイト」。今回、このステージで久々に会ったという。 ■メンバー Michael Jackson Tribute Live: Jacksons Band ケネス・タウンゼント(キーボード、ミュージカル・ディレクター)Kenneth Leon Townsend トーマス・オーガン(ギター)Thomas Organ、 カイル・ボールデン(ギター) Kyle Bolden、 … Continue reading

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●ラルフ・マクドナルド、67歳で死去、セザリオ・エヴォラ、71歳で死去

●ラルフ・マクドナルド、67歳で死去、セザリオ・エヴォラ、71歳で死去 【Ralph MacDonald Dies At 67, Cesaria Evora Dies At 70】 訃報。 訃報が2つあいついだ。ひとつがカーボ・ヴェルデ共和国出身の魂のシンガー、「裸足のディーヴァ」として知られるセザリア・エヴォラ、次がニューヨークのパーカッション奏者、ラルフ・マクドナルド。それぞれの歩みを簡単に紹介する。 ++++ ラルフ・マクドナルド、肺癌。 ニューヨークのパーカッション奏者、ラルフ・マクドナルドが2011年12月18日午前0時50分(日本時間18日午後2時50分)、コネチカット州スタンフォードで死去した。肺癌を患っていた。67歳。ミュージシャン仲間のウィル・リー、音楽ジャーナリストのA・スコット・ギャロウェイらが報じている。 ラルフ・マクドナルドは、1944年3月15日、ニューヨーク・ハーレム生まれ。両親はトリニダッド出身。父親が「マクベス・ザ・ビート」と名乗るドラマー、ミュージシャンだったこともあり、幼少の頃から父のバンドでパーカッションを叩き始めていた。スチール・ドラムが得意で、17歳(1961年)でハリー・ベラフォンテのバンドに参加。その間、ベラフォンテの1966年のアルバム『カリプソ・カーニヴァル』の制作にも手を貸した。1971年、ベラフォンテ・バンドを脱退後、友人のウィリアム・イートン、ビル・ソルターとともに音楽出版社「アンティシアAntisia」を設立。作曲活動を行う一方、ニューヨークをベースにライヴ、レコーディングなどで活躍。ラルフとイートンが書いた「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」をロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイが歌い、これが1972年6月から大ヒット。さらに、1980年、グローヴァー・ワシントン名義で大ヒットした「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」(歌はビル・ウィザース)などを書いている。前者は19ヶ国語、150以上のヴァージョンが録音されたという。ロバータの「キリング・ミー・ソフトリー」でもパーカッションをプレイしている。ルー・ロウルズのヒットでロッド・スチュワートもカヴァーした「トレイド・ウィンズ」も彼の作品。グローヴァー・ワシントンの「ミスター・マジック」も共作。 レコーディングは、一説には数百枚のアルバムに参加したとも言われる。パーカッション奏者として、ジョージ・ベンソン、デイヴィッド・ボウイ、アレサ・フランクリン、アート・ガーファンクル、ビリー・ジョエル、クインシー・ジョーンズ、キャロル・キング、デイヴィッド・サンボーン、ルーサー・ヴァンドロス、エイミー・ワインハウスなど多数。また、ラルフは1990年代から、カントリー系のシンガー、ジミー・バフェットのバンド、コーラル・リーファー・バンドの一員ともなっていた。 1976年、フロリダのTKレコード傘下、マーリン・レーベルから『サウンド・オブ・ドラム』をリリース以降、自身名義のアルバムも多数出しており、その中でも「カリプソ・ブレイクダウン」は映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』(1977年11月リリース)のサウンドトラックに収録されよく知られる存在となった。 プロデュース活動も行い、ボビー・ハンフリーのアルバム、エリック・ゲイルのアルバム『パート・オブ・ユー』、渡辺貞夫などの作品もてがけている。 グラミー賞も3回受賞している。 ちなみに、盟友グローヴァー・ワシントン・ジュニアは、1999年12月17日、56歳で急死している。ラルフの死亡は深夜12時を過ぎたため日付は12月18日だが、奇しくもほぼ12年後に亡くなったことになる。 サポート・メンバー、自己名義でも何度も来日しており、直近では2010年6月、グローヴァー・ワシントン・トリビュート・ライヴのためブルーノート東京でライヴ・パフォーマンスを見せていた。 2010年06月16日(水) グローヴァー・ワシントン・トリビュート・ライヴ~グルーヴでグローヴァー http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10564387418.html ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス、誕生秘話 2005/02/18 (Fri) Poster For Two Caribbean Islands http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200502/diary20050218.html 2000年来日時のインタヴューを元にした記事。 カリプソ・ブレイクダウン http://youtu.be/P1qqTPN8sUo ソロ・パフォーマンス http://youtu.be/94oL1e7YG5I … Continue reading

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○「70年代ソウルを彷彿」「オージー・ソウル」のエレクトリック・エンパイアー、2012年2月初来

○「70年代ソウルを彷彿」「オージー・ソウル」のエレクトリック・エンパイアー、2012年2月初来日 【Electric Empire Will Be Coming To Japan, February】 初来日。 1970年代ソウルをプレイするオーストラリア出身の3人組ブルー・アイド・ソウル・グループとして、このところ急速に注目を集めているエレクトリック・エンパイアーというグループが2012年2月初来日する。デビュー・アルバム『エレクトリック・エンパイアー』が2010年3月にオーストラリアでリリースされ、これが最近日本にも輸入盤で入り、ちょっとした話題になっている。 このアルバム、一聴して1970年代ソウルの香りが漂う。アル・グリーン、アイズレイ・ブラザーズ、スティーヴィー・ワンダーなどの影響が色濃く出た作品が次々と出てくる。 ■ 今日の「ソウル・サーチン」でご紹介 今日の『ソウル・ブレンズ』(毎週日曜午後1時~3時、インターFM、76.1mhz)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)で、このエレクトリック・エンパイアーをご紹介します。関東地区であれば、パソコン、ラジコで聴くことができます。http://radiko.jp/player/player.html#INT  まずはアルバムのトップを飾る「ベイビー・ユア・ラヴィン」。黒人ドラマー、ジェイソンがリードを取る作品。これはまさに完璧にアル・グリーン。 Electric Empire’s ‘Baby Your Lovin’ http://youtu.be/3hCa5OYGLy4 キーボードのアーロンが歌う「ハヴ・ユー・アラウンド」。そして、これはアイズレイ・ブラザーズ。 Electric Empire’s ‘Have You Around’ http://youtu.be/W5tt3pb9DBs エレクトリック・エンパイアーは、デニス・ドウレット(ギター/ヴォーカル)、アーロン・メンドーザ(キーボード/ヴォーカル)、ジェイソン・ヒーラー(ドラムス/ヴォーカル)の3人組。3人とも歌うが、特に黒人のドラマー、ジェイソンの声がソウルフルでいい。彼らがほかに影響を受けているのが、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハザウェイなど。まさに70年代ソウル好きにはたまらないサウンドを持った新しいグループだ。 ■ 来日公演~エレクトリック・エンパイアー 日時 2012年2月8日(水)、9日(木)、10日(金) 午後7時、9時半の2ステージ。 会場 ブルーノート東京。〒107-0062 東京都港区南青山6-3-16 ライカビル 03-5485-0088 (予約電話・月曜土曜午前11時~午後10時、日曜・祝日、午前11時~午後9時) チャージ 5800円~ 各日にライヴ前にDJが入る。8日DJムロ、9日DJノリ、10日ジャジー・スポート・クリュー。 詳細はこちら。http://www.bluenote.co.jp/jp/artist/electric-empire/ … Continue reading

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☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ・レポート(パート3)~AIの夢のつづき

☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ・レポート(パート3)~AIの夢のつづき 【Michael Jackson Tribute –AI & The Jacksons】 (無事2日間の公演を終えた「マイケル・ジャクソン・トリビュート」。あのジャクソンズと同じステージに立ち、マイケル役という大役を演じたAI。彼女の夢の続きはーーー。ライヴ・レポート・パート3は、AIにフォーカスをあてたレポートです) 夢。 夢とはいつか叶うものと思って生きていくほうが楽しい。アイ(AI)と初めて会ったのがいつかを思い出すと、たぶん1999年初夏あるいは秋くらいだったかと思う。今は亡き「キング・オブ・ソウル」のリーダーで、白金のディスコ「ダンステリア」のオウナーだった勝本さんから、九州にものすごく歌がうまい子がいるから会ってくれ、と言われたのがきっかけだ。どこかのスタジオで(BMGだったか)、トラックにあわせて何曲か歌ったのを聴いたが、英語の発音がしっかりしていることと、歌が異様にうまく日本人離れしていたので、とにかく驚いた。 彼女は今と変わらず、思い切り明るいあの性格で、どこでもいつでも、「歌って」と言われれば、すぐにひるむことなく大きな声で歌ったので、本当に歌うことが好きなんだなあということがインプットされた。そして、「自分は絶対歌手でやっていって、成功するんです。そのためには何でもやりますよ」という強い信念があった。たぶん高校を卒業した頃で、その時点で自分の生きる道は「絶対に歌手」と信じていて、そこに賭ける意気込みがものすごかったことを強烈に覚えている。(ときどき、歌手志望で「歌って」と言われてその場で歌えない志望者がいるが、まずどこでもいつでもアカペラで歌えるようにするといいと思う) そのとき、いろいろ話をしているとマイケル・ジャクソンが大好きだと言ったので、「マイケルの家に行ったことあるよ」と言うと、「まじっすか、まじっすか」と目を輝かせて興奮していたことを昨日のことのように思い出す。「マイケルのように歌って踊れるシンガーになりたい」とも言っていた。 その後、当時東京のFM局JウェイヴでリューがDJをしていたラジオ番組『ソウル・トレイン』(1999年4月から2005年9月まで続いた同局の月曜から金曜まで毎日深夜24時半~2時までの生放送番組)で、1999年の冬にAIが生ゲスト出演して、モニカの「フォー・ユー・アイ・ウィル」をトラックにあわせて歌ったのだが、これが抜群に素晴らしく、完璧にノックダウンさせられた。 それから結局、彼女はBMGと契約。そのデビュー時のチラシかなにかに原稿を書いたが、彼女の強烈な意志について書いた。BMGからシングル「Cry, Just Cry」(2000年11月2日発売)でデビュー。デビュー当時は、それこそ小さなクラブのイヴェントなどで歌うというのを数え切れないほどやっていた。アルバムをリリースするが、小ヒットはしたものの大ヒットせず、しばらくしてレコード会社との契約が切れ、しばし活動が表に出なかった。だがその後ユニバーサルと契約、やっとの思いで「ストーリー」で2005年大ブレイクした。その頃から彼女は会うと、「いつか、グラミー賞を取りたい」と言うようになった。取れるかどうかはわからないが、AIだったら少なくともいつかノミネートはされるのではないかと思った。 ご縁。 AIはその後どんどん有名になりビッグになっていったが、いつでも会うと初めて会ったときとまったく同じように人懐っこくハグをしてくれる。 2009年6月25日、マイケルが亡くなり、そのドキュメンタリーを作る中で、マイケルの兄たちと仲良くなり、意気投合し、そこからいつしか一緒にライヴをやろうという話までどんどんと膨らんでいった。誰にも見えぬすべての運命の糸がつながっていた。まさに「ご縁」だ。 そういえば、西寺郷太さんにケント・モリを紹介された日(2010年2月)、彼らと郷太さんの弟がやっている三軒茶屋の「サンキング」に行って、勢いでAIに電話して「おいでよ」と言ったら、たまたま時間があってすぐに飛んできたなんてこともあった。2日後くらいにAIとケントはLAで初対面することになっていたらしいが、一足先に東京で出会った。ま、これもマイケルが結んだご縁だ。 そして、2010年11月末、AIのライヴで、ジャクソンズのリユニオン・ライヴが発表された。それから1年余。2011年12月13日、14日、舞台は国立代々木第一体育館。AIは、マイケル亡き後、その兄たちと同じステージに立ち、マイケルの歌を歌い、踊った。ある意味、マイケルを目指してきたAIが、誰もが予期せぬマイケルの死を経て、その兄たちとマイケルの影を踏むことになったのだ。それだけでも十分感動的なストーリーと言えるだろう。 マイケルの死はさまざまなプロジェクトを生み出す。その最大のものが、このジャクソンズの再結成である。今回はジャーメイン・ジャクソンとランディー・ジャクソンが不参加だったが、いつかこの二人が入った5人のジャクソンズがどこかでステージに立つことを、しばし夢見たいと思う。 マイケルを目指してやってきた歌手やダンサーはたくさんいると思う。そんな中から、AIは、兄たちと同じステージに立つチャンスを与えられたのだ。そして、それはケント・モリも同じである。ケントも強烈な強い意志を持っている。ひとつのことが次につながり、それがまた次に発展し、今そこにある感動に結びつく。それは懸命に無我夢中で何か自分が本当にやりたいことを見つけ、それを求め続けてきた者だけに許される特権だ。 奇跡。 AIとジャクソンズの3人が、「シェイク・ユア・ボディー」や「モータウン・メドレー」を一緒に踊りながら歌うとき、まるで彼女がジャクソンズの一員になったかのような錯覚さえ持った。過去2年近く、彼らと多くの時間を共有し、密度の濃いリハーサルをしたからだろう。 2001年9月7日、10日のマジソン・スクエア・ガーデンで行われた「マイケル・ジャクソン・トリビュート」コンサートから10年。ジャクソンズの3人が肩を並べてステージに立った。10月にイギリス・カーディフでステージに立ってから2ヶ月。彼ら3人はやる気もエネルギーも満ち溢れていた。 まさにAIにとっても、ジャクソンズにとっても、あらゆる出演者、関係者にとってすべてが奇跡の夜になった。 マイケルは、きっと、この日代々木体育館の上で彼らを見守っていただろう。「マイケルのように歌って踊れるシンガーになりたい」とも言っていた18歳の無名のシンガーは、それから12年後の30歳でそのマイケルの兄たちと、マイケルの役を演じてステージで歌っていた。 マイケル・ジャクソンは世界中のあらゆるところで、さまざまな奇跡を起こす「ミラクル・メイカー」だ。そして、AIは次の夢、「グラミー」に向かって走り続ける。マイケルの金粉をかけてもらったAI、ひょっとするとひょっとするかもしれない。 (「マイケル・ジャクソン・トリビュート」、この項続く) ■ AI過去関連記事 2011年05月07日(土) AI 「ミュージック・フォー・ライフ・ツアー」セットリスト http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10882855886.html#main 2011年05月01日(日) AI、「マッピング」という新技術で斬新な演出~「ミュージック・フォー・ライフ・ツアー」(パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110501.html … Continue reading

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☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート(2日目)・ライヴ・レポート(パート2)

☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート(2日目)・ライヴ・レポート(パート2) 【Michael Jackson Tribute – Day Two: Michael’s Spirit & Shadow】 スピリット。 観客全員がマイケル・ジャクソンという遠くの星を、それぞれの思いを胸に秘めながらじっと見つめ、ときに声を出し、歌い、踊り、時間と空間を観客、パフォーマーたち全員と共有するという事実。みなの気持ちはひとつになり、気持ちのヴェクトルはただ一点だけに向けて放たれていた。それぞれのパフォーマンスというよりも、2日間にわたって延べ2万人以上が集まり、全員この日ここにいない人物に思いを馳せているというその事実に、改めて感銘を受けた。これまでにも大小さまざまなマイケル・トリビュートが行われてきた。そしてこれからも行われるだろう。きっと何年経っても、マイケルへの思いはみな色褪せないのだろうと思う。会場には、この二日、マイケルのスピリットとシャドー(影)があちこちに散らばっていたようだ。 さて、「マイケル・ジャクソン・トリビュート」2日目は、前日のものをさらにコンパクトにぎゅっとつめた内容になり、流れもスムースになっていた。初日、会場の使用打ち切り時間である10時を超えてしまったため、歌えなかった楽曲があったが、この日はプログラムを一部入れ替え、アンコールも含めて10時までに終えた。 開演19時より3分早く、トラヴィス・ペインがあいさつに登場。初日久保田利伸が歌った部分は、ジュジュが「ビリー・ジーン」を歌い、ムーンウォークまで披露した。前日、「アイル・ビー・ゼア」のレコードにあわせて観客が歌うという企画があまり盛り上がらなかったので、この日は監修者である西寺郷太がステージに出て、歌を指導。当初はアカペラで歌い、さらにレコードにあわせて観客が歌って場を盛り上げた。 ジャクソンズの約50分のステージは、ほとんどがアップテンポの曲だけに、いつでも盛り上がる。僕は個人的にはマイケル・ソロでは歌われない「アイ・ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー」が印象に残った。「君のスピリットをここに感じるよ」「今日はここに(マイケルが)いてくれてありがとうございます」などと唯一のバラード「アイル・ビー・ゼア」の終盤、兄弟3人とAIがマイケルへ一言言うシーンは会場が静まり返った。 意義。 ライヴ後会ったケントに「マイケルをやるのではなく、ケント・モリになっていたところがよかった」と言うと、「それをチャレンジしたかったんです。『ビリー・ジーン』だけは、(マイケルを)やりましたけど」と、自分のダンスをすることにフォーカスしていたことが伺えた。 「初日ナーヴァスだったよね」とクリスタル・ケイに声をかけると、「今日だって緊張しまくりですよ」と笑った。二日目はぐっと落ち着いて堂々と歌っていたように思えた。なんと彼女はあまりに緊張しすぎで前の日などは、幽体離脱までしてしまったそうだ。「マイケルの曲はなんだって、超プレッシャー」とも言う。AIも、「生まれて初めて胃が痛くなった」と、そのプレッシャーの大きさを語った。特にAIは、ジャクソン兄弟3人と一緒に歌い、踊るのだ。きっと世界中のプレッシャーを一手にあの小さな体に受けていたことは想像に難くない。それほど、マイケル・ジャクソンというのは、高い高い山の頂(いただき)なのだ。しかし、誰もがその山に登るチャレンジをすることに意義があるのだろうとも思った。 太陽。 マイケル・ジャクソンという超巨星が死して残したものは何なのだろう。多くの素晴らしい楽曲と踊り。それだけではない。夢、希望、喜び、ときに寂しさ、悲しみ、そして膨大な愛もだ。世界各地で大小さまざまなマイケル・トリビュート・イヴェントが行われてきた。今回東京で行われたトリビュートはその中でもかなりの大規模なもので出演者総数はシンガー、ダンサー、ミュージシャンら100人を超えるという。 特に歌やダンスを目指すものにとってマイケル・ジャクソンは、星の彼方の存在だ。このイヴェントに参加するものは誰もが、その星へたどり着こうと手を差し伸べようとする。ある者は星の端っこに手が触れられるかもしれない。ある者は星を掴むかもしれない。ある者は掴めないかもしれない。しかし、この日の参加者は、ファンも含めて、誰もがはるか彼方のマイケル・ジャクソンという星に一直線にそのエネルギーを放ち、手を差し伸べていた。 主人公はいないにもかかわらず、これだけ多くの人間が一体化するパフォーマンス、ステージというのはまずない。それほどの吸引力をマイケル・ジャクソンという存在は持っている。まるで、宇宙の中心、太陽のような存在だ。 だが、こうしたトリビュートを体験するにつれ、マイケルという存在はまるで虹か蜃気楼のようにも感じられる。つまり一生懸命がんばって向こうに走り、手を伸ばしてそれに触ろうとしても、もうちょっとで触れそうになる瞬間、するっとさらに向こうの方に逃げて行ってしまう、そんな存在で、それに寂しささえ感じるのだ。間違いなくこんなアーティストは他にいない。 シャングリラ・ホテルで行われたアフター・パーティーは朝7時すぎまで続いたという。参加者たちもみな高揚していたようだ。そんな時間であれば、ふたたび、太陽があがっていたはずだ。 (この項、続く。明日はAIとジャクソンズ) ■ メンバー 第一部  ケント・モリKento Mori、ステイシー・ウォーカーStacy Walker、トラヴィス・ペインTravis Payne、ユーコ・スミダ・ジャクソンYuko Sumida Jackson ほか、多数のダンサー 第二部  福原美穂、松下優也、シギー、クリスタル・ケイ、トータス松本、スクープ・オン・サンバディー、ジュジュ、ジェイド、ワイズ、川畑要、ジュディス・ヒル、メイシー・グレイ、 第二部 バックバンド … Continue reading

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☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート(初日)・ライヴ・レポート

☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート(初日)・ライヴ・レポート 【Michael Jackson Tribute ? Day One】 マイケル。 マイケル・トリビュート・イヴェントの初日、2011年12月13日(火曜)、東京・代々木国立競技場第一体育館。会場の外では、3時頃から各ブースがグッズを販売したり、小さなステージがいくつか作られ、ダンサーたちがマイケル楽曲にあわせて踊っているところを見られた。グッズ販売は当初はチケットを持った人だけだったが、途中からチケットを持っていない人でも買えるようになった。 簡単に一部から三部までを。 一部はケント・モリ主導で多くのダンサーたちがマイケル楽曲を踊る。ダンサーの多さにびっくり。本当に日本でもダンスがブームになっている、というか定着しているというのがわかった。 この部でケント・モリが素晴らしかったのは、彼がマイケルへの尊敬と愛をたっぷりもちつつも、マイケルのコピーではなく、ケント・モリのダンスになっていたところだ。マイケルの影響を受け彼を目指してダンサーとなったケント・モリが彼自身のダンスを見せたところに、彼の類まれな個性が出た。そして、おそらくそれがトラヴィスやマイケルの目に留まったのだと思う。本当に大人数のダンサーが次から次へと登場したが、一体何人くらい出たのだろうか。中でもジャクソン5メドレーで踊った5人組のチビッコ・ダンサーズが衣装もかわいく印象に残った。 そして、トラヴィス、ステイシー、ユーコ・スミダ・ジャクソンのリアル・マイケル・ファミリーによるダンス・ショーも見ごたえがあった。 それにしても、これを見ていて、単なる「ダンス」を「芸術」の域にまで高めたマイケル・ジャクソンの偉大な功績に改めて敬意を表したくなった。しかも、さまざまなタイプのダンスをマイケルは集大成していた。体を動かすパフォーマンスで人を魅了するなんてなんと素敵なことだろう。 第二部は日本人シンガーたちのパフォーマンス。一人が1曲を次々と歌う。「ソウル・サーチン」のイヴェント(2011年8月28日、29日)のときも書いたが、マイケルの楽曲はどれもとにかく難しい。なぜかマイケルしかうまく歌えない難しい曲ばかりなのだ。思わず観客席から「みんながんばれ」と声援を送った。 マイケルはワン&オンリーだ。そんな中で、メイシー・グレイと久保田利伸が見事だった。この二人に共通していたのが、どちらも歌い始めた瞬間に観客を自分の土俵に引きずり込み、自分の世界を堂々と展開した点だ。マイケルのリスペクトと愛を持ちつつ、マイケル楽曲をよく理解し、咀嚼し、解釈し、勉強し、そしてついに自分のものにした。メイシーの「ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」も久保田の「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」、どちらも彼らのものになっていた。何も知らずに聴いたら、メイシーの持ち歌、久保田の持ち歌だと思ってしまうほど。ただメロディーと歌詞をなぞるだけではなかった。最後の定番「泣き」の演出もおもしろかった。久保田の第二部のトリは本当に余韻があとを引いた。 また、この第二部を聴いていて、マイケルはいかにソウルにあふれたシンガーだったかということを再確認した。ジャッキー・ウィルソン、ジェームス・ブラウン、テンプテーションズ、フォー・トップス、スティーヴィー・ワンダー、スモーキー・ロビンソン、そのほか多くのソウルの先輩を身近で聴きまくり、それが自分の体に染み込み、自分の血となり肉となってやっとあの歌唱が生まれる。それはちょっとソウル・ミュージックが好きとか、聴いて来たとかでは到底到達できない深いソウルの境地にある。マイケルがいかに素晴らしいソウル・シンガーであるか、はからずも再確認できた。 第三部は、ジャクソンズとAIのステージ。彼らは来日前、ロスで2週間近くみっちりリハーサルを重ねた。その間、リハーサル・スタジオに缶詰となり、一度も外に出て食事をする暇さえなかったという。その結果、立派なコラボレーションとなり、歌と演奏が始まり、しばらくすると、AIがいつのまにかジャクソンズの一員になっているかのような錯覚に陥った。やはり、次々とアップテンポの曲が怒涛の如く飛び出してくると、どんどん客席も高揚してくる。ジャクソンズというユニットの魅力を久々に感じた。 「ハートブレイク・ホテル」で出てきたシンガーは、JP(ホアン・パブロ)といってこのバンドのパーカッション。 今回のバンドは、なかなかタイトなバンドでとてもよかった。バンド・マスターはレックス・サラス。キーボード奏者で1980年代の後期から多くのレコーディングに携わっている人物。ジャネット・ジャクソンのツアーの音楽監督も担当したことがある。今回レックスは来日し、バンドのMD(音楽ディレクター)としてもクレジットされているが、ステージにはあがっていない。ステージで仕切っていたのは、通称KTというケネス・タウンゼントというキーボード奏者。なんとケネスとAIは、ロス時代に同じ教会で顔なじみだったという。 ちなみに、レックス・サラスはジャクソン家の長女リビー・ジャクソンの娘、ステイシー・ブラウンと結婚し、2005年には子供をもうけている。レックスから見るとリビーは義理の母にあたる。 ジャクソン5が前回来日したのが、1973年4月。したがって彼らを見るのはほとんどの人が初めてだ。マイケルのソロ・ライヴとは違う、ジャクソンズというユニットを初めて見た人にとっては、動くジャッキー、動くマーロン、動くティト(彼は何度か単独で来日しているが)を間近にでき感激もひとしおになったことだと思う。 それにしても、アンコールで歌われた9分近くにおよぶ「シェイク・ユア・ボディー」は、ダンスもありで、大盛りあがりになった。 初日を見て、いくつか課題が感じられた。一部、二部、三部の場面転換の時間が長く、若干間が延びる。ちょうどAIのビデオが流れたがあのビデオの時間内(約10分)でうまく転換できるといい。いっそ、休憩にしてもいいかもしれない。また、第二部は次々とシンガーたちが登場して、そのシンガー名と曲名はスクリーンにちょっとだけ出るが、終わったときも出るといいだろう。あるいは、終わるときにシンガーが「~~でした~」と名乗るのもいい。部転換のときに司会がいてもよかったかもしれない。 一方、たくさんのグッズがあったが、パンフレットがよくできていた。36ページA4版、これで2000円はグッド。最近、ライヴでもパンフレット自体がないことがあるが、これは読むところもあり、写真もたくさんあってよかった。よく見たら、メイシー・グレイは「ヒューマン・ネイチャー」を歌う予定だったようで、急遽変更されたのだろう。 (この項、続く) ■ カマサミ・コング・メットポッドでのソウル・サーチャー・ライヴ・レポート 2011年12月14日午後、FM-COCOLOで僕がレポートしたものが、メットポッドで聴けます Jackson’s Reunion Concert Report (Japanese Version)(日本語) WEDNESDAY, 14 DEC 2011 … Continue reading

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☆(速報) マイケル・ジャクソン・トリビュート(初日)

☆(速報) マイケル・ジャクソン・トリビュート(初日) 【Michael Jackson Tribute – Day One】 マイケル。 マイケル・トリビュート・イヴェントの初日が、2011年12月13日(火曜)、東京・代々木国立競技場第一体育館で行われた。アメリカからジャクソンズ、メイシー・グレイ、ジュディス・ヒルらが来日。日本から久保田利伸、トータス松本、クリスタル・ケイら多数が参加。日本のR&Bシンガー、AIがホストとなり、ザ・ジャクソンズ&AIのライヴを繰り広げた。マイケルの死去、2009年6月25日から約2年半、日本での最大級のマイケル追悼イヴェントとなった。 3時間のライヴは3部構成。第一部が、『ディス・イズ・イット』のオーディションに受かったものの、マドンナとのツアーが継続中だったために、『ディス・イズ・イット』ツアーに参加できなかった日本人ダンサー、ケント・モリが主導のダンス・ステージ。東京と大阪で約2000人からオーディションで選ばれたダンサーらとステージに立った。ダンス・ステージの後半では、実際にマイケル・ジャクソンとステージにたったトラヴィス・ペイン、ステイシー・ウォーカー、さらにユーコ・スミダ・ジャクソンらが踊るシークエンスもあった。 第二部は、日本人シンガーがマイケル楽曲を歌うところ。トップバッターは福原美穂、以後、クリスタル・ケイ、トータス松本、スクープ・オン・サンバディー、ジュジュらが次々と登場し、この日だけの久保田利伸が締め。 第三部は、AIとジャクソンズのコラボ・ステージ。AIが曲によってリードを取り、ジャクソンズ3人とあのジャクソンズと同じ振り付けも一緒に見せた。しばらくこのコラボを見ていると、AIがジャクソン4になったかのようにさえ見えた。 今日、同じ会場で二日目が行われる。 (この項、続く) (詳細、セットリストなどは明日以降に) ■ メンバー 第一部 ケント・モリKento Mori、ステイシー・ウォーカーStacy Walker、トラヴィス・ペインTravis Payne、ユーコ・スミダ・ジャクソンYuko Sumida Jackson ほか、多数のダンサー 第二部 福原美穂、松下優也、シギー、クリスタル・ケイ、トータス松本、スクープ・オン・サンバディー、ジュジュ、ジェイド、ワイズ、川畑要、ジュディス・ヒル、メイシー・グレイ、久保田利伸(13日のみ) 第二部バックバンド ケイリブ・ジェームス(キーボード、ミュージカル・ディレクター) Kaleb James、 オリヴィア・バレル(コーラス) Olivia Burrell、ほか 第三部 ジャクソンズ(ジャッキー、ティト、マーロン) Jacksons (Jackie, Tito, … Continue reading

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☆ いよいよ今日明日『マイケル・ジャクソン・トリビュート』

☆ いよいよ今日明日『マイケル・ジャクソン・トリビュート』 【Michael Jackson Tribute Event: Today and Tomorrow】 当日。 いよいよ今日(2011年12月13日)と明日(12月14日)、東京国立代々木競技場第一体育館で「マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ」が行われる。マイケルのトリビュートとしては、国内最大のものとなる。ショーは3部構成。第一部がダンス・ステージ、第二部が日本人シンガーを中心としたソング・ステージ、第三部がジャクソンズ・ステージ。 +++++ トーク・ショー。 本イヴェント監修の西寺郷太さんが、12月14日(木)午後5時半から6時頃まで、会場敷地内にあるスポンサーのひとつである「アムウェイ」のブースで約30分間のトーク・ショーを行う。入場など無料。そのブース近辺に来ると、話を聞ける。 AIとジャクソンズが12月12日(月)「笑っていいとも!」(フジテレビ系)のエンディングに出演。このライヴイヴェントの告知をした。 ジャクソンズは11日(日)台東区の孤児院を表敬訪問した。 12日夕方から、ジャクソンズはAIとともに、国立代々木競技場でバンドを従えたリハーサルを行った。 +++++ リハーサル。 ジャクソンズとAIは、ロスアンジェルスで約10日間、朝10時から夜10時くらいまでほとんどノンストップでリハーサルをしてきた。ホテルとリハーサル・スタジオとの往復だけで、一度も外食をしなかった、という。これもすごい。ケイリブなどのリハを見ていても感じるが、彼らプロのミュージシャンたちの集中力、その持続力には本当に驚かされる。きっと根を詰めて徹底的にやってきたのだろう。 ケイリブ・ジェームスと日本人シンガーたち、またケント・モリとダンサーたちは別の場所で最終リハーサルをおこない、火曜日の本番に臨む。 +++++ セットリスト。 12月11日、主催者からセットリストの一部が発表された。ただし、これは曲名をABC順に並べたもので、実際の演奏順ではない。 【ダンス・ステージ】 2000WATTS ANOTHER PART OF ME BAD BEAT IT BILLIE JEAN BLACK OR WHITE DANCING MACHINE … Continue reading

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◆蔦谷Tsutaya代官山で雑誌のアーカイブを読み出すと~

◆雑誌のアーカイブを読み出すと~ 【Diggin On Old Magazines】 検索。 2011年12月5日にオープンした代官山蔦谷の二号館2階にあるカフェ「アンジン」。ここはメニューがアイパッド(iPad)なのだが、そのほかにもいくつか使える機能がついている。蔦谷の館内案内はもちろんのことだが、この「アンジン」に備えられている雑誌の一部がデジタル化され、このアイパッドで読めるのだ。 これを触りだすとキリがなくなる。 ここには、雑誌自体も平凡パンチ、ポパイ、太陽などかなりの種類が、ものによっては創刊号から相当数集められている。そのうちの一部が、デジタル化されていて、たとえば、検索をかけるとそのキーワードが入った記事の一覧がたちどころにでてくる。ページ自体がPDF化され、しかもテキストデータがそのまま入っているため検索にひっかかるようになっている。徐々にデータ化を進めるそう。 そこでさっそく吉岡正晴と入れてみたら、昔、僕が平凡パンチやポパイ、ブルータスに書いていた記事がヒットした。自分でも完璧に忘れていた記事も多数でてきて、しばしタイムマシンに乗った気分になった。 1980年のアンアン、メニューからアイパッド、ここで雑誌バックナンバーも 一番笑ったのは、雑誌アンアンの一般の人が映画を見て、その感想を言うというページで、そのライター/編集者に頼まれて、映画を見て、感想文を言ったものが、適当な文章になり、しかも顔写真付きででてきたこと。これを見て思い出した。 1980年のアンアンで、ライターのアズさんに頼まれたのだが、アズさんとは、西麻布のトミーズ・ハウスで知り合った。トミーズには、マガジン・ハウスや他の出版社の編集者たちがたくさん出入りしていて、そんなところから、声がかかった。 現物の雑誌バックナンバーも読める 見た映画は、『ジャグラー~ニューヨーク25時』という。ジェームス・ブローリン主演のものだが、全然覚えてなかった。ネットで改めてあらすじを調べたが、それでも思い出せない。(笑) 映画も覚えてなければ、コメントした内容も覚えてない。そこで、僕が言ったとされるコメントを読んでみて、ハタと気がついた。そうだ、僕が言ってないことが適当に書かれてたんだ。このときは大学時代からの友人、天本と一緒に行ったのだが、彼も実際の発言とかなり違うコメントが掲載され、雑誌が出た後二人でそのでたらめっぷりに笑ったことを思いだした。 ポパイには、そういえば、けっこうブラック系のアーティストやプロデューサーの記事を書いていた。ジョージ・デュークにインタヴューして、ジェフリー・オズボーンやデニース・ウィリアムスのことを書いたりしている。サード・ワールドの来日に向けての記事や、リック・ジェームスの記事、ダイアナ・ロスの記事なんかも出てきた。それから大貫憲章さんの記事なんかもたくさん出てきた。 アイパッドで何年何月何日号というのがわかったら、その本体を本棚から取り出して現物を見ることも可能だ。このデータベースが揃ってくると来日アーティストの履歴などもすぐにわかるようになる。 ミュージック・マガジンやアドリブなんかもデータ化されないかなあ。アメリカでは雑誌をグーグルがどんどんデータ化しているようだが、確かに、知的財産が共有されるのは、何かにつけ便利になる。 ESSAY>Tsutaya, Anjin ESSAY>Archive

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☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート・イヴェント、火曜・水曜、今日「ソウル・サーチン」でミニ特

☆ マイケル・ジャクソン・トリビュート・イヴェント、火曜・水曜、今日「ソウル・サーチン」でミニ特集 【Michael Jackson Tribute Event Coming Up On Thursday, Wednesday】 直前。 マイケル・ジャクソン・トリビュート・イヴェントがいよいよ今週火曜・水曜(2011年12月13日、14日)国立代々木第一体育館で行われる。 今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区76.1mhz、毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」(午後2時30分~)で、どのようなトリビュート・ステージになるか、総力取材で最新情報をお送りします。関東地区の方はインターネット経由、ラジコで聴けます。 http://radiko.jp/player/player.html#INT (ラジコは現在のところ地域限定サーヴィスで、関東地区でしか残念ながら聴けません) すでにジャクソンズのメンバーは、金曜日(9日)来日。準備に余念がない。ライヴは約3時間弱になる予定で、 公式サイト http://www.mjtribute.jp/ によると、3部構成の概要は次の通り。 【第一ステージ ダンス・ステージ】 このステージは、ケント・モリプロデュースによるダンスのみによって表現されるマイケル・ジャクソン ダンス・トリビュート・ステージです。1000 人以上が参加したオーディションから選抜されたスペシャルなダンサー達による、ダンスで綴づるマイケル・ヒストリー。 誰もがもう一度観たいあのシーンが満載で、ここに復活します。 また、マドンナのステージでしか観れなかったケント・モリのスペシャルなソロ・ダンスの他、最近話題沸騰の新進気鋭のRINO とケントとの共演等も必見です。 また特別出演のトラヴィス・ペイン、ユーコ・スミダ・ジャクソン&ステーシー・ウォーカーの3 人による、マイケルと共にツアーを回った3 人にのみ許される特別なステージも披露! マイケルのダンスに向けられた情熱、技術、メッセージを忠実に蘇らせる超豪華なダンサー達による一大スペクタクルです。 【第二ステージ ソング・ステージ】 マイケルが遺したマスターピースの数々を実力派アーティストが、ここに蘇らせます。 最新アルバムの『MICHAEL』から『OFF THE WALL』までのオリジナル・アルバム全てから、余すところなく新しいものから順に時間を遡っていく形で、選りすぐりの名曲の数々を再現して行きます。それぞれのアーティストが、マイケルに想いを込めて歌いあげます。 この部分の音楽監督は、「ソウル・サーチン」でおなじみケイリブ・ジェームス。ケイリブは、音楽イヴェント「ソウル・サーチン」の2011年8月の回でマイケル・ジャクソン・トリビュートをすでにやっており、アレンジなども準備万端。さまざまなアメリカ人、日本人シンガーらとコラボする。 登場するシンガーは次の通り。 ジュディス・ヒル、久保田利伸(13日のみ)、メイシー・グレイ、トータス松本、スクープ・オン・サムバディー、クリスタル・ケイ、ジェイド、JUJU、ワイズ、川畑要(ケミストリー)、福原美穂、松下優也ら。 【第三ステージ … Continue reading

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○ボビー・ウーマック、2012年2月来日決定~17年ぶり4度目~サム・クック直系ソウル・シンガー

○ボビー・ウーマック、2012年2月来日決定~17年ぶり4度目~サム・クック直系ソウル・シンガー 【Bobby Womack Will Be Coming To Japan, First In 17 Years】 17年ぶり。 「ラスト・ソウル・マン」として知られるヴェテランR&Bシンガー、ボビー・ウーマックの2012年2月の来日が決まった。2月22日、23日東京ビルボードライブ。チケットはビルボード会員が2011年11月29日から、一般が12月6日から、各午前11時より発売中。サーヴィスエリアで12800円、カジュアルで10800円。 ボビー・ウーマックの初来日は1987年9月、五反田ユーポートなど、以後1991年6月、1995年3月と来ており、今回の来日はおよそ17年ぶり4度目となる。初来日からちょうど25周年でもある。 ボビーは1944年3月4日オハイオ州生まれ。現在67歳。伝説のソウル・シンガー、サム・クックに師事し、ゴスペルからソウルの世界に足を踏み入れた。熱いソウル・ヴォーカルを聴かせるサム・クック直系のソウル・シンガーで、自らを「ラスト・ソウル・マン(最後のソウル・マン)」と呼ぶ。ちなみに初来日のときのドラマーは当時まだ無名だった日本人ドラマー、沼澤尚(ぬまざわ・たかし)だった。ボビーのバック・バンドのドラマーが日本人らしいということで話題になり、その後彼は日本に戻り売れっ子ドラマーとなった。 ソングライターとしてもジョージ・ベンソンで有名になった「ブリージン」、ウィルソン・ピケットの「アイム・イン・ラヴ」、その他自身のヒットの多くを書いている。特にアルバム『ポエット』および『ポエット2』はウーマックの傑作としていまだに根強い人気を誇る。 ボビー・ウーマックは、サム・クック→オーティス・レディングの流れを汲むソウル・シンガーだ。今日12月10日(1967年)は、オーティス・レディングの命日、そして、12月11日(1964年)はサム・クックの命日である。 ■ トータス松本、サム・クックの『トゥイスティン…』アルバムを全曲カヴァー 2003年に、ソウル楽曲のカヴァー・アルバム『トラヴェラー』をリリースしたトータス松本が、サム・クックのアルバム『トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』(1962年)を全曲そのままカヴァーするアルバム、その名も『トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』を2012年2月8日リリースする。全曲サムと同じ楽曲、曲順でカヴァー。いかに60年代の音を出すか、相当こだわって音作りをしたという。サムのアルバムは1962年4月リリースで、もし、トータスのアルバムも4月リリースだと、ちょうど40周年のリリースとなった。ちなみに、同じくサム・クック・フォロワーのイギリスのロッド・スチュワートもかつて同名曲を録音している。このCDについては、音源を入手しだい、また詳細にご紹介する。 TWISTIN’ THE NIGHT AWAY(仮) posted with amazlet at 11.12.08 トータス松本 ワーナーミュージック・ジャパン (2012-02-08) 売り上げランキング: 994 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ ボビー・ウーマック関連記事 前回来日時インタヴュー記事 … Continue reading

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●ドビー・グレイ71歳で死去~「ドリフト・アウェイ」の大ヒット

●ドビー・グレイ71歳で死去~「ドリフト・アウェイ」の大ヒット 【Dobie Gray Drifted Away At 71】 訃報。 ポップ、カントリー、ソウルなどを歌ったシンガー、ドビー・グレイが2011年12月6日、ナッシュヴィルの自宅で死去した。71歳。就寝中にそのまま死去したという。長く癌を患っていた。本人の公式ウェッブでも公表された。これを追い、各メディアも報じている。(一部報道で69歳とあるが、これは間違い) 彼は結婚しておらず、子供がいない。グレイの遺産は、テネシー州メンフィスのセント・ジュール・チルドレンズ・リサーチ病院に寄贈されるという。 ドビー・グレイの2大ヒットは、1965年の「ジ・イン・クラウド」と1973年の「ドリフト・アウェイ(邦題:明日なきさすらい)」。前者はジャズ・ピアニスト、ラムゼイ・ルイスがカヴァーし、ルイスのものでもヒットした。また、後者はレイ・チャールズ、ハンブル・パイ、ロッド・スチュワート、ネヴィル・ブラザーズ、マイケル・ボルトン、リンゴ・スターなど多くのカヴァーが録音され、クラシック・ソングとして多くの人に親しまれている。1973年にキース・リチャーズ以外のローリング・ストーンズが参加し録音したヴァージョンもあるという。 この曲は元々メンター・ウィリアムス(ポール・ウィリアムスの兄弟。ポールはカーペンターズの「ウィヴ・オンリー・ジャスト・ビガン」などを書いたソングライター)というソングライターが書き、1972年にヘンリー・カーツというシンガーが録音した。その後1973年、ドビー・グレイが録音し、彼の物でポップ・チャート・トップ10入り最高位5位を記録する大ヒットになった。同じ年、カントリー・シンガー、ナーヴェル・フェルツも録音し、カントリー・チャートで8位を記録。また、2003年にラッパーのアンクル・クラッカーがこれを録音。その曲の最後の部分にドビー・グレイ自身も入ってレコーディングしている。これはポップ・チャートで9位を記録した。この作品はそのメッセージから、番組のエンディングや、何かが終わるときなどにしばしば使われるようになった。ライヴではアンコール・ソングとして歌われることも多い。 評伝。 ドビー・グレイは、1940年7月26日、テキサス州ヒューストン近くの生まれ。幼い頃から教会でゴスペルに親しんだ。1960年、ロスアンジェルスに移住。地元で歌手活動を始めローカルのインディ・レーベルからいくつかレコードをリリース。 最初の成功らしい成功は1963年の7枚目のシングル「ルック・アット・ミー」がコー・ダック・レコードからリリースされ小ヒットしたとき。このベースはロスを本拠に活躍していたセッション・ベース奏者、キャロル・ケイだという。その後1965年、ビリー・ページが書いた「ジ・イン・クラウド」をビリーの兄弟、ジーン・ページのアレンジでレコーディングしたところ、ヒット。これをラムゼイ・ルイスがカヴァーし、さらにヒットとなった。 1972年、デッカ・レコードと契約。プロデューサー、メンター・ウィリアムスのもとでアルバムを制作。ここにメンターの書いた「ドリフト・アウェイ」があった。メンターは、白人のシンガー・ソングライター、ポール・ウィリアムスの兄弟。その後、「ラヴィング・アームズ」などもヒットした。 カントリー調の曲調ながら、ソウルフルな歌声を聴かせるという点でひじょうにユニークで味わいのあるシンガーだった。 彼の音楽がカントリーと接点があったことから、彼が書いた曲をカントリー・シンガーが歌うことも多かった。チャーリー・プライド、タミー・ワイネットらもドビーの作品を録音している。 まさに「ドリフト・アウェイ」のように彼は人生に幕を下ろした。 ご冥福をお祈りします。 トリビュートの意味もこめて、僕も個人的に大好きだった「ドリフト・アウェイ」の訳詞をおおくりします。 http://youtu.be/zaPnOASOWIU ベスト~ドビー・グレイ Drift Away/Loving Arms posted with amazlet at 11.12.08 Dobie Gray Raven [Australia] (2011-03-08) 売り上げランキング: 200368 Amazon.co.jp で詳細を見る 廉価版、曲数すくなめ … Continue reading

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◎ アーマ・トーマス~ニューオーリンズのソウル・ジョイント

◎ アーマ・トーマス~ニューオーリンズのソウル・ジョイント 【Irma Thomas Live】 ニューオーリンズ。 ニューオーリンズのソウル・ジョイントがそのままビルボードにやってきた。そんな感じがしたアーマ・トーマスの約20年ぶりの来日ライヴだった。アーマは1987年4月、青山のレストラン・クラブ「カイ」のライヴで初来日。その後1991年9月「ガンボ・ジャンボ・カーニバル」で来日。このときは、渋谷クラブ・クアトロ、日比谷野外音楽堂などでライヴを行っていた。 キーボード2名、ギター、ドラムス、トランペット、サックスとい6人バンドにアーマという布陣。客席はこの手のソウルが大好きそうなファンが集まりほぼ満員。1曲、バンドが演奏曲で暖めてから、おもむろにアーマの登場。インスト曲、僕が見た回はJBズの「Pass The Peas」からだったが、ボビー・ウーマックの曲から始めた回もあったそうだ。 この日はたまたま事前にセットリストをもらえたのだが、そこには冒頭の4曲しか書かれていなかった。しかも、手書き。聞けば、これ以降は、本人がその場のノリで決めるという。それもあって、彼女は超分厚い歌詞カードのブック(ソング・ブック)を持って、ステージに上がった。めったにやらない曲をやろうとしたときに、歌詞を確認するのだろう。セットリストには4曲しか書かれていなかったが、アーマの1曲目からもう曲が違っていた。(笑) 紙には「Love Don’t Change」とあったが、実際歌われたのは「If You Want It, Come And Get It」。 では、どうやって次の曲を決めるのか、注視した。これがやはり「ジェームス・ブラウン・スタイル」ではないかと思った。曲が歌詞から始まるもの、たとえば7曲目の「ヒップ・シェイキン・ママ」は、アーマがその歌詞を歌い始めれば、バンドがついてくる。別の曲の頭は両手で「グー」の握りこぶしを作ってバンドに見せていた。あれが、キューではないだろうか。そうすれば、ほとんど曲間を空けずに、まるであたかも決まっているかのように、メドレーっぽくできる。歌詞カードを選んでから歌うものは、ステージで打ち合わせていた。たぶん20曲くらい分のキューがあるような気がする。だいたいアップ・テンポ、スローと交互に歌う感じ。 というわけで、おそらく毎回曲目が違ったアーマのライヴだが、基本は同じだ。ニューオーリンズの「セカンド・ライン」のリズムあり、R&Bあり、ブルーズあり、ゴスペル調あり、バラードありというルーツ臭たっぷりのライヴだ。やはり、60年代R&Bの雰囲気、空気は強く、いなたいヴォーカルが実に味があって魅力的である。 そして何より、その声の力強さが印象に残った。後半「セカンド・ライン」の楽曲が続いて、いい意味での「チトリン・サーキット」の趣を醸し出していた。 そうそう、ジェリー・ラゴヴォイ作ローリング・ストーンズで知られる「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は歌われたり、歌われなかったり。でも、客席からリクエストすれば、きっと歌ってくれそう。 「ソウル・クイーン・オブ・ニューオーリンズ」は、ライヴ終了後、ほとんどすぐサイン会に登場し、ファンの長い列がたちまち出来た。 ■ アフター・ザ・レイン/アーマ・トーマス After the Rain posted with amazlet at 11.12.07 Irma Thomas Rounder / Umgd … Continue reading

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△▽ 代官山蔦谷(つたや)オープン~見所たくさん

△▽ 代官山蔦谷(つたや)オープン~見所たくさん 【Daikanyama Tsutaya~ For Adult】 大人。 代官山・旧山手通り沿いに代官山蔦谷書店(つたやTSUTAYA)が2011年12月5日、オープンした。広大な敷地(約2000坪)に、3館から成る蔦谷は雑誌書籍、映画・音楽DVD、音楽CDなどを多数そろえている。ほかには同敷地内にはレストラン、アイヴィー・プレイス(Ivy Place)、コーヒーのスターバックス、コンビニのファミリー・マートなどが入っている。全体的なコンセプトは、大人向けのエンタテインメント・プレイス、という感じだ。カフェ、レストランなどは深夜2時まで。1階は朝7時から、またアイヴィー・プレイスも朝7時から深夜2時まで営業する。 早速行ってみた。 大きく分けて、旧山手通りから見て向かって左の1号館が映画、2号館がラウンジ、3号館が音楽。1階にその3館をつきぬく感じでマガジン・ストリートというものがある。多数の雑誌を揃えている。 アーカイブ。 見所、楽しみポイントはいろいろある。中央館2階のおしゃれなカフェ「アンジン(Anjin)」はかなりゆったりしたソファで時間を過ごせる。ブルーノートがオペレーションを担当。ここには、日本の雑誌のアーカイブが多数揃えられていて、カフェ内で自由に読める。お店に入ると、アイパッド(iPad)が渡され、ここにメニューが書かれている。そして、雑誌のアーカイブはこのアイパッドでも読めるようになっているという。ただすべてのアーカイブはデータ化されていないが、徐々にこれをデータ化していく。なお、雑誌のコピー・サーヴィスはしておらず、持ち出しもできない。またアイパッドはここで支給されるものだけがアクセスできる。平凡パンチ、太陽、海外の雑誌などもあった。古い雑誌はそのまま本棚から取り出して読んでもいいし、アイパッドで見てもいい。ピアノが一台置いてあり、いずれ小規模なアコースティック・ライヴなども計画中。ブルーノートが運営する新宿のブルックリン・パーラー的なお店になるようだ。カフェは深夜2時まで。個人的にはここはかなり長居してしまいそうな感じだ。 ムーヴィー・オン・デマンド。 映画館では、新しい「ムーヴィー・オン・デマンド」というサーヴィスが始まる。これは、約3000タイトルの主に廃盤となっている映画をその場でDVDに焼いて、ジャケットも完全にプリントアウトして、セルDVDのようにして販売するというもの。約3-40分待たなければならないが、待つのが嫌な場合は郵送もする。ただし値段は、物によって違うが、大体3900円くらいでセルのDVDとほぼ同価格。これは、小売店がこのサーヴィスで安価に販売されることに抵抗感があり、そこを配慮しているためらしい。ただストック(在庫)を置く必要がないメリットがあるため、価格は将来的にはもっと安くなるだろう。またタイトルも現在は約3000ほどだが、徐々に増やしていく。このサーヴィスが定着すれば、映画や音楽DVDの「廃盤」という概念がなくなるかもしれない。ただし、著作権問題は各々、クリアしなければならないが。 CDオン・デマンド。 これと同様に3号館の音楽館で「CD・オン・デマンド」が始まっている。今回用意されたのは、邦楽で昭和の歌謡曲のシングル盤中心に約2000タイトル。今回の目玉は、美空ひばりの全シングル盤を用意し、それぞれそのシングル盤を一枚のCDに焼き、ジャケットも印刷する。このジャケットはオリジナルのシングル盤の表面と裏面を印刷する。したがって歌詞カードやクレジットなども印刷される。シングル1枚1枚をCDに焼いて1枚800円。当時のシングル盤が4-500円だったこと、また今では楽曲はダウンロードで1曲150円くらいで買えることを考えると若干高い気もする。3-400円で提供できるといいのではないか。また、シングル10枚をオン・デマンドして、それを1枚のCDに焼いて、独自のオムニバスを作ることは、現在はできない。これも将来できるようになるとおもしろい。 もちろん、このサーヴィスを展開するためには楽曲の著作権、原盤権、肖像権などの各種権利関係をすべてクリアしなければならない。膨大な量の事務処理が必要なのでコストがかかっているのは致し方ない。だが、こうしたサーヴィスができることによって、古き文化が後々まで代々残っていくということに大いに意義があると思う。 音楽本。 3号館の音楽館は音楽好きにはたまらない。レンタルとセル(販売)のCDがざっくり分けられている。大まかに言って、床がカーペット、絨毯(じゅうたん)のエリアはレンタルで、フローリング(木)のところがセル(販売)になっている。試聴機もこれまでのツタヤよりかなり多く揃えられている。また、音楽関係の本、雑誌などが、そのアーティストのCDがまとまっているところに陳列されている。たとえば、マーヴィン・ゲイのCDがたくさん置いてあるところに『マーヴィン・ゲイ物語』がちゃんと置いてあった!  セルフレジ。 今回の蔦谷のもうひとつのポイントは、いわゆる「セルフレジ」を大幅に取り入れたこと。雑誌などを除くほとんどの商品に最新鋭の電子タグが埋め込まれ、セルフレジで購買者が自動読み取り機を通し、クレジットカードなどで精算することができる。これがやってみると、実に簡単でおもしろい。3-4冊(CD)を重ねて置いても瞬時に読み取り、レンタルか購買かも分けて明細が画面に表示され、その合計金額で納得できればクレジットカードで精算する。それと同時にタグから盗難防止の信号が消去され、そのまま持ち帰れるようになる。封入袋も置いてある。もちろん、従来通りの人が扱うレジもある。「セルフレジ」は、恵比寿店で実験し、好評だったために、今回この代官山店で大幅に導入したという。もちろん、当初はスタッフがセルフレジのやり方を教えてくれる。 コンセルジュ。 今度の蔦谷には様々な分野の「コンセルジュ」と呼ばれるその道のエキスパートが控え、いろいろな質問に答えるという。映画や音楽の専門家が、案内してくれるという。 http://tsite.jp/daikanyama/ http://www.ccc.co.jp/daikanyama/index.html http://www.shibukei.com/headline/7948/ しばらく、東京新名所的な存在になりそうだ。 ただし、駐車場は異様に高いのでご用心。15分で300円、1時間停めると1200円。エリア内で2000円以上の利用で1時間、5000円以上で2時間無料。最大4時間分まで。駐車場のリアルタイム映像がユーストリームで見られる。 さて、ここは昔何があったのだろう、と思ったが、たぶん、「ハリウッド・ランチ・マーケット」などがあった一角だと思う。いろいろ調べてみたら、ノースウェスト航空の社員寮、NTT社宅があった場所だそうだ。言われてみると、思い出す。 マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル (P‐Vine BOOKs) posted with amazlet at 11.12.06 デイヴィッド・リッツ … Continue reading

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★ マイケル・ジャクソン・イヴェント年末に2本

★ マイケル・ジャクソン・イヴェント年末に2本 【Two Michael Jackson Event Will Be Held On The End Of The Year】 1)マイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト3開催決定 決定。 今年で3回目を迎えるトーク・イヴェント『西寺郷太と吉岡正晴のマイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト3』の開催が決定した。2011年12月25日(日)開場16時30分、開演17時30分、終演20時30分の予定で行われる。今回は西寺、吉岡のほかに、マイケル・ジャクソンのファン・サイト『ムーンウォーカー』を運営しているトヨさんが登壇。いろいろな最新情報を語ってくれるはずだ。前売りは12月4日日曜昼12時から。 詳細はこちら  http://bit.ly/rAH18l トヨさんは、初回(2009年)に飛び入りで登壇している。 ■ ムーンウォーカー・サイト http://moonwalker.jp/ 今回は、12月13日、14日の『マイケル・ジャクソン・トリビュート』イヴェントの後を受けてのイヴェントになるので、そのときのエピソード、あるいは、秘話なども紹介できるだろう。過去2回の様子はこちら。 ■ 過去関連記事 2010年12月24日(金) マイケル・ラブ・ナイト第二回~和田唱節ギターと歌で炸裂 http://ameblo.jp/soulsearchin/archive3-201012.html#main 2009年12月24日(木) 「マイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト」満員御礼無事終了 http://ameblo.jp/soulsearchin/archive3-200912.html#main 2009年の様子 http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/love20091223-21.html ■ イヴェント詳細 『西寺郷太と吉岡正晴のマイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト3』 出演 西寺郷太、吉岡正晴、トヨ(『ムーンウォーカー』運営)ほか 日時 2011年12月25日(日)開場16時30分 開演17時30分、終演20時30分 … Continue reading

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● R&Bシンガー、ハワード・テイト72歳で死去

● R&Bシンガー、ハワード・テイト72歳で死去 【R&B Singer Howard Tate Dies At 72】 訃報。 1960年代にフィラデルフィアをベースに活躍したR&B、ソウル・シンガー、ハワード・テイトが2011年12月2日死去した。72歳。多発性骨髄腫と白血病のためだという。このところずっと体調が悪かった。60年代に「エイント・ノーバディー・ホーム」などのヒットを出したが、80年代から音楽活動から事実上引退。2001年、復活ライヴを行い、2003年アルバムをリリースしカンバック。ジャニス・ジョプリンが「ゲット・イット・ホワイル・ユー・キャン」、ジミ・ヘンドリックスが「ストップ」をカヴァーしている。ソウルフルな歌声が魅力的な素晴らしいソウル・シンガーの一人だった。 ~~~ 評伝。 ハワード・テイトは、1939年8月14日ジョージア州メイコン近くの生まれ。父が牧師だったことから子供の頃より教会でゴスペルを歌っていた。1940年代にフィラデルフィアに移住。当時の彼にとってのお気に入りは、ディキシー・ハミングバーズ、ソウル・スターラーズといったゴスペル界のスターたち。8歳の頃、父親の勧めで教会で歌い始める。十代になると、後にR&Bシンガーとして名を成すガーネット・ミムズらと知り合い、ガーネットと組んだヴォーカル・グループでは、マーキュリー、キャメオ・レコードでレコーディングも経験。その後、ハワードはビル・ドゲットのツアーに出た。 ガーネットと組んだジ・エンチャンターズは、フィラデルフィアのプロデューサー、ジェリー・ラゴヴォイの元でレコーディング。ヴァーヴからリリースされた作品群は、ニューヨークで録音され、リチャード・ティー、エリック・ゲイル、チャック・レイニーらが参加している。「エイント・ノーバディー・ホーム」(1966年)、「ルック・アット・グラニー・ラン・ラン」(1966年)、「ストップ」(1968年)などがヒット。一時期はオーティス・レディング、サム・クックらの後継とも騒がれたほどの実力派シンガーだった。ただ、ジェリーとの作品はどれも素晴らしかったが、お金の面でちょっとしたトラブルがあった。 ■エイント・ノーバディー・ホーム http://youtu.be/sYWJczQ-5QU ジャニス・ジョプリンが「ゲット・イット・ホワイル・ユー・キャン」を録音。その後、ハワードはターンテーブル、アトランティック、エピックなどで作品を残したがR&B部門ではそこそこのヒットにはなり、評論家筋から高い評価を得るものの、一般的な大ヒットには恵まれなかった。 どん底。 彼はいくつかのレコード会社を転々とするが、1969年、ハロルド・ローガンという人物が経営するターンテーブル・レコードと契約。これが彼のつまづきの第一歩だった。ハワードは、「人生最悪の決断だった」とこの時代を振り返る。レコードの印税ももらえないだけでなく、彼らがギャングスターたちと関係していたことから、「悪い連中」とのつきあいが始まってしまったのだ。 そして、それに比べれば、ジェリーとの些細な金銭問題など大事ではなかった。彼らと手を切り、またハワードはジェリーとともにレコードを作るようになる。 しかし、それでもヒットには恵まれず、さらに、1976年、彼に悲劇が起こる。自宅が火事になり彼や他のファミリーは難を逃れたが13歳の娘を失うのだ。 ハワードは70年代後期から、歌手活動を諦め、ニュージャージー、フィラデルフィア近辺で家族を養うためプルーデンシャル社の保険販売員などの仕事をして、音楽業界から消えた。彼は過去のシンガーとしてのキャリアについて一切人に言うことなく、普通に仕事をしていた。しかし、1981年には離婚。娘を失ったこと、離婚などのために、自暴自棄になり、ドラッグにはまり、仕事も失い、ホームレス同様になってしまう。 まさに彼の人生はどん底だった。 ところが、1994年のある日、彼は神の声を聞く。「汝に私の声を人々に伝えて欲しい」と。それは彼にとっての神の声だった。ずっとゴスペルを歌い、神のメッセージを聞いてきた彼はその声に耳を傾け、心を入れ替え、人生をやり直す。なんと今度は牧師となり、ドラッグ中毒者などにアドヴァイスをするようになった。 再発見。 生活を180度変えたハワードの人生は、徐々に良い方向に向かい始めていた。 その声を聞いてから6年ほど経った2000年頃、ニュージャージーのラジオDJでハワードのファンだったフィル・キャスデンが、ハワードの古い作品をかけながら、「このスターはどこに行ったか、情報を持っている方はお寄せください」と行方を捜していた。すると、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツのメンバー、ロン・ケネディーがニュージャージー州ウィリングボローのスーパーマーケットでハワードと遭遇。「どこにいるのだ」と聞くと「どこにもいない」と答え、DJが君を捜しているという話になり、連絡先を交換した。これが2001年1月1日のことだったという。 一方、プロデューサーのジェリー・ラゴヴォイは1990年頃から世界中からハワード・テイトの消息について問い合わせを受けるようになっていた。ジェリーもハワードのことを捜すが、まったく探し出すことが出来ず、彼が死んだものと思っていた。そんなとき、ロンドンのジャーナリスト、ポール・ムーニーがハワードについて質問をしてきた。ジェリーは「もう10年以上も会っていない。消息が不明だ」というと、そのジャーナリストは「前日に電話で話した」という。そこで電話番号をもらい、ジェリーは早速、ハワードに連絡を取った。やはり、2001年頃のことだ。20年ぶりくらいの再会は感動的だったという。 ポールがインターネットで「ハワード・テイトを発見」と流したところ、ヨーロッパ中のブッキング・エージェントなどから電話やインタヴューの申し込みが殺到した。 そして、それからわずか6ヵ月後に、ハワードは何十年ぶりにニューヨークのライヴ・ハウスで人前で歌った。さらに、かつてのプロデューサー、ジェリー・ラゴヴォイと手を組み、レコーディングを開始、これが2003年暮れにリリースされた。 そのタイトルは『リディスカヴァード』(再発見)。まさに再発見された。ここで、自身のヒット「ゲット・イット・ホワイル・ユー・キャン」をセルフカヴァー。その歌声は20年近く実際にプロとして歌ってこなかったシンガーとは思えぬほど、はつらつとしたものだった。 以後はコンスタントにライヴ活動、レコーディングなどをしていた。 2003年12月、東京・新宿のパークタワー・ブルーズ・フェスティヴァル出演で来日。これが唯一の来日。 ハワードのプロデューサー、ジェリー・ラゴヴォイは2011年7月13日80歳で逝去。ジェリーのわずか5ヶ月後、ハワードは後を追うように亡くなったことになる。 ハワードのストーリーもまさにソウル・サーチンの連続だ。 ■ ハワード・テイトが静かに熱く歌う「ルイジアナ1927」 2005年に行われた「第26回ロングビーチ・ブルーズ・フェスティヴァル」でのライヴ。ハリケーン・カントリーナの犠牲者へ捧げたライヴ・パフォーマンス。オリジナルはランディ・ニューマン。本当に、引退していたとは思えない素晴らしい感動的歌声だ。 http://youtu.be/uZ9UO-Er_bw … Continue reading

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■ ラルフ・ロール、『ソウル・ブレンズ』~「ソウル・サーチン」に登場

■ ラルフ・ロール、『ソウル・ブレンズ』~「ソウル・サーチン」に登場 【Ralph Rolle Will Be On Soul Searchin, Today】 生ゲスト。 現在久保田利伸のツアーで来日中のドラマー、ラルフ・ロールが今日の『ソウル・ブレンズ』(インターFM、関東地区76.1mhz、日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)にゲストで登場する。 ラルフ・ロールは、久保田のドラマーとして18年、また、シックのナイル・ロジャーズのドラマーも長年務めている。10月から1月下旬まで来日中で、その間、久保田ツアーに帯同、そのほかに、自身のライヴやドラム・レッスンを行っている。そのあたりの話とアメリカの音楽業界での話なども聴けそうだ。 関東地区の方は、インターネット、ラジコで聴けます。 http://radiko.jp/player/player.html#INT その他の地区の方は、携帯電話AU、衛星放送スカパー(ともに有料)で聴取可能です。 ■ラルフ、タイ・スティーブンス、フェリシア・フェニックス・グラハム、メットポッドのインタヴューに登場 【Ralph, Ty, Fenix Is Now On MetPod】 メットポッド。 ラルフ・ロール、タイ・スティーブンス、フェリシア・フェニックス・グラハムが、メットポッドのインタヴューに答え、番組にゲスト出演している。こちらは、世界中からアクセス可能。 http://metropolis.co.jp/podcast/files/2011/12/Talking-Singing-Having-Fun-with-Fenix-Ralph-and-Ty.mp3 フェニックスのデビュー・アルバム『サムシング・スペシャル(Something Special)』からタイトル曲、タイ・スティーブンスのアルバム『アクエリアン・マインド(Aquarian Mind)』からの曲「アイ・ネヴァー・ライクド・ユー」をかけている。 タイ・スティーブンス&フェニックス、タイ・スティーブンス&ラルフ フェニックス&カマサミ・コング、スージーズのカプチーノ なお、今回の番組はタイの12月2日のライヴ告知をするので早急に編集しなければならなかったためショート・ヴァージョンになっているが、ロング・ヴァージョンのプログラムが、再来週くらいにアップされる予定。約27分の番組最後、みんなでなぜか「オールウェイズ&フォーエヴァー(Always And Forever)」を歌う。(笑) Aquarian Mind posted with amazlet … Continue reading

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□ 第54回グラミー賞(2011年度)ノミネート発表

□ 第54回グラミー賞(2011年度)ノミネート発表 【54th Grammy Nominations Announced】 ノミネート。 2011年度、第54回グラミー賞のノミネートが2011年11月30日、ロスアンジェルスのノキア・シアターで発表された。授賞式は、2012年2月12日、東部時間夜8時(日本時間2月13日午前10時)から、ロスアンジェルスのステイプルズ・センターで行われる。全米の中継はCBS、日本では有料衛星放送、ワウワウ(WOWOW)が行う。 今年もっとも多くノミネートされたのはカニエ・ウエストで7部門、これに続いて今年もっともアルバムを売ったイギリスのアデル、フー・ファイターズ、ブルーノ・マーズが6部門、リル・ウェイン、ダンス・ミュージックのプロデューサー、スクリレックスが5部門。アデルとブルーノ・マーズは主要3部門ですべてノミネートを獲得。大量ノミネートが予想されたトニー・ベネットは3部門にとどまった。 今年のグラミーは、前年の109ノミネート部門から78部門へ縮小した。 今回のノミネート対象は2010年10月1日から2011年9月30日までに全米でリリースされた17500以上の作品。グラミーの投票用紙は12月14日、グラミーの会員に送付され、2012年1月11日の締切までに会計会社のデロイッテ社に返送する。同社は秘密裏に集計し、2月12日の発表までは誰もその結果は知らされない。 ソウル・サーチンでは、恒例のグラミー予想を1月末までに発表する。おたのしみに。 昨年のグラミー確定のブログ。 http://ameblo.jp/soulsearchin/archive6-201102.html#main 前回の予想は、51部門を予想し、本命・対抗あわせて8割8分2厘の的中率だった。 グラミー賞オフィシャル・サイト(英語) http://www.grammy.com 今年のクラシック部門を除いたノミネートは次の通り。 1. Record Of The Year Rollin In The Deep / Adele Holocene / Bon Iver Grenade / Bruno Mars The Cave / … Continue reading

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●Jブラックフット65歳で死去

●Jブラックフット65歳で死去 【J. Blackfoot Dies At 65】 訃報。 ソウル、ブルーズを歌ってきたシンガーで、元ソウル・チルドレンのリード・シンガーのひとり、J.ブラックフットが2011年11月30日、メンフィス近くのメソジスト・ジャーマンタウン病院で死去した。65歳。癌を患っていた。 長くスタックスの名門ヴォーカル・グループ、ソウル・チルドレンのリード・シンガーとして活躍、1972年の『ワッツタックス』にも登場している。1983年グループからソロに転じ、同年11月からJブラックフット名義で「タクシー」の大ヒットを放った。以後はソロ・シンガーとして活動していたが、ソウル・チルドレン・メンバーとの活動もあった。 2001年3月、チョコレート・クリーム・プロダクションの招きで、六本木スイート・ベイジルでソウル・チルドレンのノーマン・ウェストとライヴを行っている。 「タクシー」を含むアルバム『シティー・スリッカー』のジャケットは、日本では「渋谷の交差点をイメージした」などと話題になった。また、「タクシー」は、日本では鈴木聖美、大澤誉志幸、久保田利伸らがライヴなどでもカヴァー、イギリスのブライアン・フェリーもカヴァーしている。鈴木雅之は、大澤がステージで歌う「ドント・テイク・マイ・サンシャイン」のコーラスをいれたりしていた。 +++++ 評伝。 Jブラックフットは、本名ジョン・コルバート、1946年11月20日ミシシッピー州グリーヴィルに生まれた。2歳でメンフィスに移住。周囲からは、「J」と呼ばれていたが、メンフィスに来た当初は、裸足で歩道などを歩いていて、足が黒く汚れていたために、「ブラックフット」(黒い足)というニックネームがついていた。不良仲間との自動車窃盗で一時期テネシー州の刑務所にいたが、ここでソウル・ヴォーカル・グループのメンバーになり、レコーディングを経験。1965年出所。その後メンフィスの名門ソウル・レーベル、スタックス・レコードの向かいにある酒屋近くで歌っているところを、スタックス・レコードのソングライター、デイヴィッド・ポーターに見出され、1967年頃からスタックスに出入りするようになった。その頃、デイヴィッド・ポーターは、オーティスにジョンを勉強させるために、しばらくツアーに連れて行ってくれないかと頼んだが、飛行機の定員に余裕がなかったことなどのため、それは実現しなかった。しかし、そのツアーのさなか、オーティスとバック・バンドのバーケイズは、1967年12月10日飛行機事故で死去した。その後、ジョンはバーケイズのリード・シンガーに抜擢された。 1968年、スタックスから売れっ子のサム&デイヴがアトランティックに移籍したため、デイヴィッド・ポーターとアイザック・ヘイズのプロダクション・チームは、その後釜を狙うべくグループを作ることにした。しかし、デュオでは、そのままなので、彼らは男女2人ずつの4人組ソウル・グループを結成することにし、J(ジョン)・ブラックフットに声をかけ、ジョンは加入。これがノーマン・ウェスト、アニタ・ルイス、シェルブラ・ベネットとでソウル・チルドレンとなった。ソウル・チルドレンは4人がリードを取れる実力派グループとして頭角を現し、1972年「ヒアセイ」、73年「アイル・ビー・ジ・アザー・ウーマン」などがヒット、スタックスを代表するソウル・グループとなった。 1976年、スタックスの倒産などを受け、グループは1979年に解散。メンバーはそれぞれソロ活動に。1983年、スタックス時代に仕事をしたホーマー・バンクスが新たに設立したサウンドタウンと契約し、「タクシー」の大ヒットを放った。これは、元々はジョニー・テイラー用に書かれた作品だったが、ジョニーはレコーディングしなかったという。ここで数枚作品を出した後、やはり元スタックスのアル・ベルが設立したエッジ・レコードに移籍、1987年、「ティア・ジャーカー」がヒット。ソロとしても10枚近くのアルバムを出している。 2007年、ブラックフットとノーマン・ウェストは新たな女性シンガー二人(アン・ハインズとカサンドラ・グラハム)を向かえ、新生ソウル・チルドレンを結成していた。 2011年11月30日、メンフィス近くの病院で癌のため死去。 http://youtu.be/KGpv2Erf79Q City Slicker posted with amazlet at 11.12.01 J Blackfoot Sound Town Records (2002-09-03) 売り上げランキング: 220585 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ ソウル・チルドレン ジェネシス ジェネシス(紙ジャケット仕様) posted … Continue reading

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■『ソウル・マジック第14回』無事2時間以内に終了

■『ソウル・マジック第14回』無事2時間以内に終了 【Soul Magic #14】 アーカイブ。 2011年11月29日(火曜)夜10時から、八木カナさんのネット番組『ソウル・マジック』にゲスト出演した。カナさんは札幌、僕は東京、裏方のパクチャンは名古屋、ニクセさんは高崎という全国各地にいる4人がスカイプで回線をつなげ、ユーストリームで生放送した。しゃべるのは、僕とカナさんで、パクチャンがジャケット写真付きの曲出し、ニクセさんがツイッターなどでのフォローという役割分担。本番1時間くらい前に4人でスカイプで集合し、打ち合わせと、ためしオンエアーをしながら、本番に入った。それにしても、日本中ばらばらでも、ネット上でひとつになって番組が出来るっていうのがおもしろい。しかも、この日はウクライナでも聴いている友人がいてびっくり。 すでにアーカイブになっています。アクセスはこちら。 http://www.ustream.tv/channel/kanachan-nel (次の回以降が更新されると、常に最新回が自動的に流れるので、この回を聞く場合は第14回をピックアップします) 事前に作った進行表をご紹介します。6曲を決めておき、それに関するトークをした。 『ソウル・マジック』は隔週火曜日の夜10時からインターネット、Uストリームで放送中。 Soul Magic #14 11/29/2011 pm 10:00- Japan Time 超ラフな進行表 TM 八木 適当にあいさつ、吉岡のご紹介 吉岡 あいさつ、適当に (フリートークへ) タイトル『月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして~ソウル奥の細道』 「月日は百代の過客」は、松尾芭蕉の『奥の細道』の序文にある、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」からの文言。「過客(かかく)」は、旅人のこと。「百代」は「はくたい」「ひゃくだい」で、長い年月のこと。 月日というものは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年月もまた同じように旅人である、という意味。この日は1970年代のソウル・ミュージックとその周辺の話ばかりをするので、まさに「ソウル奥の細道」とどんぴしゃではないか、ということでこのタイトルになった。 ドラマティックスの「イン・ザ・レイン」のカナさんの思い出。その昔、横田基地近くに住んでいて、仲良かった黒人兵ブッチと別れたときに、雨の日、カーステレオからこの「イン・ザ・レイン」が流れてきて、曲の歌詞通りのようになり、無性に涙がこぼれたという話。また、吉岡がドラマティックスのライヴが東京の九段会館で1997年頃行われた話など。 M1 In The Rain / Dramatics (1972) http://youtu.be/RACIhmZuilA ホワッチャ・シー・イズ・ホワッチャ・ゲット(紙ジャケット仕様) posted with amazlet at … Continue reading

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