Monthly Archives: November 2011

▲ 三栄町「音色」から荒木町「ディープ」~花街に佇むバー(パート2)

三栄町「音色」から荒木町「ディープ」~花街に佇むバー(パート2) 【Yotsuya Sanei-cho Neiro To Araki-cho Deep (Part 2)】 (四谷・三栄町にあるソウル・バー「音色」を初訪問。その続き) 細道。 そうして、「音色」でいろいろ話をしているうちに、しばらく前に、この三栄町のお隣、津の守坂通りを挟んだ荒木町にあるバー「ディープ」の佐俣氏が噂を聞きつけて、ここに「偵察来店」したことが発覚。(なんだ、「偵察来店」って。そんな言葉があるのですか(笑)) ツナさんと「じゃあ、僕らも(「ディープ」に)偵察来店、今から行きましょうか」ということになった。(本人は「偵察」なんてしてない、ごあいさつに行ったんだと申しております) 荒木町はかつては花街として賑わったなかなか歴史のある街で、今でもそんな旧街の風情、面影を残す。また、車が通れない細い道がくねくねしていて、わかりにくい街だ。 佐俣氏は、音楽誌「アドリブ」(1973年スタート、2010年5月で廃刊)の編集者で、おそらく僕も30年くらいは知っているという旧知の人物。アドリブを辞めた後は、アーティストの雑用などをやっていたらしく、デイヴィッド・T・ウォーカーのいたバンド・オブ・プレジャー(山岸潤史もメンバー)のロス・レコーディングのコーディネートをしたりしていたという。 2010年03月19日(金) 音楽月刊誌アドリブ、5月号で休刊へ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10485415185.html そんな彼が、よく通っていたのがこのディープという店で、前オウナーが辞めるというときに、そのまま引き継いだそうだ。 以前佐俣氏とのツイートで、その店をひっそりやっていることがわかり、「今度、行く」「来るな」「じゃあ裏口から入る」「裏口、ないし」「じゃあ変装していく」「来るな」といったやりとりをしたことがあったので、事前予告なしに、一度サプライズで行ってやろうとは思っていたのですぐに行くことが決定。すると外園さんが「じゃあ佐俣氏に電話いれますよ」と言う。「いや、いきなり行ったほうがいいんじゃないかなあ…。電話すると、アイツ『来るな』って言うにきまってるから」と僕。まあ、でも席が一杯とか、気分でやっていないと無駄足にもなるし、とりあえず様子見の電話をいれてもらった。 「吉岡さんが、今から行きたいと言っているのですが、お席はありますか」と外園さんが電話をすると、電話の向こうで案の定「『来るな』と伝えてくれ」と言っているというので、行くことにした。外園さんがお店までショートカットの道を案内してくれる、という。 外園さんの案内で車の通れないソウル奥の細道を荒木町に向かった。古くからの街並みと新しいマンションのビルが並び、しかし、まるで「ブラタモリ」のような世界の細道を進む。以前、ここら辺のとんかつ屋とうなぎ屋に来たことがあった。そのとんかつ屋の前はたまたま通って思い出したが、うなぎ屋は思い出せなかった。外園さんが、レオン・ウェアが大好きで、コットンでのライヴも見たという話をしながら、しばし、ちょっと迷ってしまったが、なんとかたどり着けた。 外看板と中の様子 発売日。 こちらはかなり照明が暗い店で、入ってすぐ左に5-6人が座れる丸囲みの椅子、そして10人程度が座れるカウンター。バーカウンターの後ろ、つまりマスター(佐俣氏)が立つ背の壁にグラスやボトル。その棚の上、背を伸ばしただけでは届かない高さにアナログ・アルバムが4-500枚無造作に並べられていた。2組のお客さんが来ていた。 カウンターの入口周辺にも雑然と整理されていないレコード、封を切ってないCDも紙袋に入って床に置かれている。その散らかりっぷりは「俺のアドリブ時代のデスクみたいなものだよ」となんら気にも留めない佐俣氏。その雑然デスクを見たことがある僕が「(アドリブのデスクってことは)つまり、ぐちゃぐちゃってことね」と言うと、「いや、俺はどこに何があるか、ちゃんとわかっているんだ」と鼻を膨らます。だがこうも言った。「自分で持ってるアルバムでも、どこにあるかわからなかったりすると、それが(中古レコード屋で)値段が安かったりすると、買っちゃうよね。で、結果同じアルバムが2枚、3枚になったりね」 やっぱり、わからないんじゃん。(笑)  レコードはアーティストのABC順、ジャンル別などに並べているのかと思いきや、まったくのアットランダムに置いてあるという。だが、「俺は、(どこに何があるか)わかるから」と自信を覗かせる。一度、カウンターに入って、何十枚か動かして、いたずらしてやろうかとも思った。(笑) ターンテーブル2台、CDプレイヤー2台、ミキサー、それになんと真空管のアンプで2台のスピーカーをならしていた。真空管はいい。やはり、スイッチをいれてから30分くらい経つと音が落ち着いてくるそうだ。 ちょうど行ったときは、フュージョンっぽい曲が流れていた。アイズレイ・ブラザーズのカヴァーつながりでフォープレイ、レジーナ・ベル。ピラミッドの「ストリート・ライフ」など。「ストリート・ライフ」は、この店で一番人気があるというか、リクエストされる曲でいろいろ取り揃えているという。このピラミッドのヴァージョンはレイラ・ハサウェイの妹が歌っている、という。ピラミッドは、和泉宏隆(ピアノ)、神保彰(ドラムス)、鳥山雄司(ギター)3人のグループ。そのとき、レイラの妹の名前が3人とも出てこなかった。戻って調べると、ケニヤ(Kenya)だった。そして、クルセイダーズと共演もしているデイヴィッド・Tも、佐俣氏と旧知の関係から、この「ディープ」に来たことがあるという。壁にデイヴィッドの色紙はなかったが。(「ディープ賛江~デイヴィッド」みたいの) 「レコードはまわさないの?」と聞くと、「今日はいろいろかけて、うちでは普段はこういうのをかけているっていうのを(初めて来た吉岡たちに)ご紹介したいので、(かけるのが簡単な)CDで選曲してる」という。「おおっ、つまり、ディープのショーケースね」「そうそう、ショーケース」。ま、よくわからんが、いいだろう。 レジーナ・ベル2004年リリース、ピンクのジャケットのアルバム『レイジー・アフタヌーン』から、アイズレイの「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」がかかったが、このイントロでハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツの「ザ・ラヴ・アイ・ロスト」がほぼアカペラで歌われていた。僕が「ウェイク・アップ・エヴリバディー」が入ってる、と言ったら、「いや、『ラヴ・アイ・ロスト』だよ」と言われ、「じゃあもう一度、頭からかけて」と言ったら、「同じ曲をすぐに二度もかけさせる客はいない」と言いながらも、かけてくれた。そうしたら、確かに「ラヴ・アイ・ロスト」だった。だが、CDにその曲目クレジットはない。 店に入ってすぐ「プリンス・マニアのツナさんです」と佐俣氏に紹介すると、さっそくプリンスのファーストから「クレイジー・ユー」をかけた。その後、ツナさんが「アドリブの『プリンス物語』(吉岡正晴著)を読んでプリンス好きになりました。アドリブは毎月19日に本屋に買いに行ってたんです」と言うと、「俺は(アドリブの)発売日なんて覚えてないな」と笑った。 猥雑。 ここは16年くらい前に前オウナーがジャズ・バーとしてオープン。2年半前に前オウナーが辞めるというので、引き継いだ。あまり宣伝もせず、地味にやっている、という。当初は前オウナーのお店についているお客さんが多かったことと、新しいお客さんが急に来て雰囲気を壊したくないので、宣伝しなかった。「自分の友達にも知らせてないんだ」とも言う。だが、最近では徐々に新しいお客さんがついてきて、以前からの常連さんらともいい感じでミックスされているような感じだという。チャージなし、最初の1ドリンクだけ1000円で以降は何を飲んでも500円という料金システムだ。 それにしても、綺麗で比較的明るいおしゃれな散らかっていない「音色」と、まったく対照的な、猥雑で暗くて散らかっている「ディープ」。同じバーでも180度違うところがおもしろい。いや、ここは隠しておきたいバーだな。 「ディープ」は、みなさん、行かなくていいです。(笑) Bar Deep (バー・ディープ) 東京都新宿区荒木町1-2 電話 03-3351-2393 営業 月曜~土曜午後8時~翌午前2時 休日 日曜・祝日 ちなみに、荒木町「ディープ」はソウル・バーではありません。ソウルもジャズもかかる店。ディープというと、ソウル・バー業界では、大宮の「ディープ」(藤沢さんのお店)が有名です。 … Continue reading

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○お知らせ 今日夜Uストリームのインターネット番組にゲスト出演

○お知らせ 今日夜Uストリームのインターネット番組にゲスト出演 【Soul Searcher Will Be On Tonight’s “Soul Magic” Ustrem Live Program】 生放送。 今日2011年11月29日火曜夜10時からUストリームのインターネットラジオ『ソウル・マジック』(DJ八木カナ)にゲスト出演します。 アクセス先はこちら。http://bit.ly/uY2eqI  日本全国、世界中で聴けます。生放送後は、アーカイブに残ります。 ツイッターで、ハッシュタグ #soulmagic をつけるか直接 @soulsearcher216にツイートしていただければ質問などに対応します。 ホストの八木さんと僕が、いくつかアーティストをピックアップして、その話をしつつ、曲をかけます。ドラマティックス、デルズ、スタイリスティックス、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、シャイ・ライツ、マーヴィン・ゲイなどについてお話をする予定ですが、流れで予定がどんどん変わることもありますのでゆるーくお聴きください。一応1時間半をめどにしています。 テーマのひとつ、マーヴィン・ゲイの自伝『引き裂かれたソウル』 マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル (P‐Vine BOOKs) posted with amazlet at 11.11.29 デイヴィッド・リッツ ブルース・インターアクションズ 売り上げランキング: 307055 Amazon.co.jp で詳細を見る マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル (P‐Vine BOOKs) ANNOUNCEMENT>Soul … Continue reading

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▲ 三栄町「音色」から荒木町「ディープ」~花街に佇むバー(パート1)

▲ 三栄町「音色」から荒木町「ディープ」~花街に佇むバー(パート1) 【Yotsuya Sanei-cho Neiro To Araki-cho Deep (Part 1)】 1年余。 プリンス・マニア、ツナさんから、2010年11月にオープンした四谷・三栄町のソウル・バー「音色~ねいろ」が、2011年12月9日で閉店することになったという知らせが来て、25日に行きますが、いかがですかというお誘いがあり、ボーイズ・トゥ・メンのライヴ後、出向いた。そこにグレイト・ヴォイス、ケイ・グラントさんも合流。ケイさんに住所を知らせると、「7番地の次はないんですか」と問われ、「古い住居表示の街なので、7番地だけなんですよ」と答えた。そんな昔からの街だ。 一度オープンして間もない頃お伺いしようとしたところ、たぶん夜中をだいぶ過ぎていたので、閉店していて店を探すことができず、夜中にもかかわらずツナさんに電話し、ツナさんがオウナーの外園(ほかぞの)さんに連絡したところ、その日はお客が切れたので閉店してしまった、ということがあった。それ以来なかなかチャンスがなかったのだが。ついに初「音色」を体験できた。 入口の看板。中の様子。カウンターの幅が広い。 オウナーの外園将一郎さんは1967年生まれ。渋谷でIT系のサラリーマンをしていた時代に、よく立ち寄っていたソウル・バー「ルーム」にほれ込んだ。「ルーム」は残念ながらオウナー樫井さんの体調不良のために2009年1月23日にクローズ。それから1年10か月を経てその「ルーム」をイメージした感じでおしゃれな空間が四谷・三栄町に出来た。 ■ バー・ルームの閉店記事 2009年01月24日(土) バー・ルーム「オールウェイズ&フォーエヴァー」で閉店 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10197102198.html 階段を下りると中はかなり広いスペースで天井も高い。幅広のカウンター(約12席)と奥に5-6人が座れるソファ席。かなりゆったりしたスペースで22坪だという。余計なものが置いてないので、広く感じる。壁面はお酒とグラスで、レコード、CD棚がないためソウル・バーというより普通のおしゃれでスタイリッシュなバーという感じだ。 ソウル・バーなのに、レコード、CDがない。なんと流れるソウル・ミュージックはすべて2台のコンピューターに入れられ、事前に当日セットリストが外園さんによってセットされ、それが流れる。もちろん、途中でリクエストなどが入れば差し替えられる。曲が流れるときは店内3台のテレビモニターにジャケット、アーティスト名、曲名が表示される。これまでのソウル・バーではジャケットをDJブースの前に飾るが、それをコンピューターのモニターでやる。現在かかっている曲のレコード・ジャケットがモニターの正面に大きく出て、その右横に次にかかるジャケットが4分の1くらい顔を覗かせている。左横はやはり4分の1くらい、前にかかっていた曲のジャケット。これは、アイテューンズ(iTunes)の無料のアプリを使っているそうだ。ジャケットも音源から、ネットに落ちている画像を自動的に拾ってくる。 音は基本CD音源なのでかなりクリア。下手なアナログより音がいい。これからの音楽バーはこういう形の音出しをするのが基本になっていくのかな、などとも思った。2台で1万2000曲くらい入っているそうだ。この日はプリンス、シーラE、シャカ・カーン、タイム、エディM、ジャネット・ジャクソン、シェレール、ミニー・リパートン、スティーヴィー・ワンダー、アイズレイ・ブラザーズ、インコグニート、パティー・オースティンなどが次々と流れていた。 12月9日閉店後は、いわゆる「居ぬき」で別のオウナーが入ることが決まっているが、ソウル・バーになるかどうかは不明だという。今回の閉店は、オウナーの体調不良のため。それまで昼間の仕事をしていた人にとって、生活時間帯が夜に激変すると、体調に影響するらしい。体内時計が変調をきたすらしい。何人かのソウル・バーのオウナーに相談したら、「ソウル・バーを始めるなら、若い方がいい」と言われたそうだ。夜の生活で慣れてしまえば、それはそれで特に問題にはならないようだ。しかし、本当に残念だ。 ケイ・グラントさんが、一度ここを訪れたことがある松尾潔さんに電話して、呼び出そうとしたところ、松尾さん風邪のため家でおとなしくしてて出られないとのこと。残念。 みなさん、12月9日までに行ってください。 (このハシゴ・ソウル・バーの項、つづく) ■ ソウル・バー音色・ウェッブ http://neiro2010.web.fc2.com/index.html ■ 同ブログ(トップページ) http://showzono495.blog107.fc2.com/ 2011年11月26日付けではこの訪問の様子も書かれています http://showzono495.blog107.fc2.com/blog-date-20111126.html ■ ソウル・バー音色-neiro- 新宿区三栄町7番地ヴィラアート四谷B1F JR四ツ谷駅より徒歩5分 TEL 03-5919-3280 日曜・祝日休 … Continue reading

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◎ 由紀さおりとピンク・マルティーニ(フィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズ(パート2)

◎ 由紀さおりとピンク・マルティーニ(フィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズ(パート2)) 【Philip Woo & New York All Stars】 (昨日からの続き) 音楽談義。 フィリップ・ウーのライヴが始まるまで、湯川れい子先生とニューヨークのファースト・クラス・エンジニア、ゴー・ホトダ(Goh Hotoda)さんとしばし音楽談義に花が咲いた。 湯川さんに、まずこのバンドについて軽くご説明をした。久保田利伸バンドのメンバーで、ドラムスとコーラスの2人は来年1月までずっと日本にいて、ツアーにでている、ということ。フィリップ・ウーはニューヨークで長く活躍し、メイズ、ロイ・エアーズ、アシュフォード&シンプソン、ジェフリー・オズボーンなど数々のR&B系アーティストバックをつけたりしているということなどなど。 湯川さんは最近来日していたベンEキングにインタヴューをされ、そのときのお話などもされた。FM横浜の湯川さんのラジオ番組でオンエアされるそうだが、ベンEキング本人がとってもいい人で、50年以上一人の妻と寄り添っているという話しや、今回の「上を向いて歩こう」日本語盤誕生の秘話などを教えてくださった。 今回ベンEのバック・コーラスの一人で来ているマキシン・ブラウン(ヴェテランのR&Bシンガーで60年代にヒットがある)が一員であるワイルド・ウーマンという女性トリオが、かつて欧陽菲菲の「雨のNew York」という曲をカヴァーしたが、その作詞が湯川先生で、楽曲は大黒魔季だった。それにかかわったのが、今回のライヴでキーボードをプレイしていたトーヤさんということで、彼のことなどもご存知だった。今回のベンEのプロジェクトは、そのトーヤさんとワイルド・ウーマンを日本でマネージしている日本のプロダクションの原さんらが音頭を取ってベンEで何か日本語曲を歌う企画盤を作ろうとしたところから始まったようだ。それがユニバーサルからリリースされ、宣伝もうまく行き、テレビでの露出もあり、ビルボードのライヴは満員になった。 ピンク・マルティーニ。 アメリカに進出を試みたアーティストということで、今、アメリカのジャズ・シーンで大きな話題の由紀さおりさんがピンク・マルティーニとレコーディングした作品について話しが盛り上がった。 ホトダさんも、ピンク・マルティーニを以前からご存知で、今回のアルバムもしばらく前にタワー・レコードで買って楽しんでいるということ。湯川さんは、3年ほど前に由紀さんのプロデューサー、佐藤剛さんからその件で相談を受け、日本の曲をしっかり聴かせる作品を作ったらどう、とアドヴァイスをされていたという秘話を教えてくださった。なるほど、あの大ヒットの裏には、湯川さんのちょっとしたアドヴァイスもあったんですね。さすがです。 僕もこの件に関してはとても興味を持ちいろいろ読んだら、十数年前にピンク・マルティーニのリーダー、トーマス・ローダーデールが地元オレゴンの中古レコード店で、由紀さおりさんの1969年のデビュー作『夜明けのスキャット』のアナログ・アルバム(もちろん日本盤)を買ったところから始まっているというところがおもしろいと思った。トーマスはこの中から「タヤタン」を自身のジャズ・グループ、ピンク・マルティーニのアルバム『ヘイ、ユージーン!』の中の1曲としてレコーディング。そのアルバムがリリースされたのは2007年5月のこと。2009年6月、そのユーチューブの映像が日本の関係者によって発見され、そこからさらに物事が進んでいった。 湯川さんは、オレゴンにも行ったことがあり、その地はとても日本人好みの街で、そこで日本的なものが受けるのも行ってみるとすごくよくわかる、とおっしゃっている。それにしても、いろいろと紆余曲折あり、アルバムが完成し、ついにはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのライヴというのは、すごい快挙だ。ニューヨークのオペラ・ハウスのようなところでも、なにやらやるらしい。由紀さんは来年3月に渋谷のジェイジー・ブラットでライヴをやるそうで、その選曲などの相談にも乗っているそうだが、今回のブレイクで、とてもあのキャパでは収まらなくなってしまい、おそらく即完になるだろうとのこと。 「上を向いて歩こう」については、佐藤剛さんの著作『上を向いて歩こう』がひじょうに詳しく、素晴らしい作品だが、湯川さんは同著作の元の原稿がスタジオ・ジブリの雑誌『熱風』に載っていた頃から愛読していて、そのために、『熱風』を定期購読するようになった、とおっしゃっている。そして、「上を向いて歩こう」が全米ナンバーワンになったことも含め、由紀さおりさんのCDが日本語で受けている点について、「結局、(アメリカで)日本語であれだけ話題になるってことは、歌詞じゃないのよねえ。歌い方とか、歌唱、声とか、サウンドなんでしょうね」と作詞家でもあられる湯川先生がそうおっしゃったのが、ひじょうに印象的だった。 日本語楽曲「上を向いて歩こう」が全米ナンバーワンになったメカニズムを解明したその佐藤剛さんが、由紀さおり&ピンク・マルティーニで、日本語で全米ジャズ・チャート・ナンバーワンを生み出した。佐藤さんはその鍵を掴んでいる。 ■由紀さおり オフィシャル http://www.emimusic.jp/pmsy1969/ ■ 「上を向いて歩こう」佐藤剛著 いかにして、「上を向いて歩こう」が、全米・ナンバー1になったかを膨大な資料を元に明らかにしていく名ドキュメンタリー 上を向いて歩こう posted with amazlet at 11.11.26 佐藤 剛 岩波書店 売り上げランキング: 30224 Amazon.co.jp … Continue reading

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◎フィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズ・ライヴ(パート1)

◎フィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズ・ライヴ(パート1) 【Philip Woo & New York All Stars】 超満員。 フィリップ・ウーが久保田利伸のバックバンドとして来日しているニューヨークからのミュージシャンたちとともにお送りするライヴ、フィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズ・ライヴ、このメンバーではおよそ4年ぶり。ブルースアレイはいつものフィリップ・ファンを含め超満員で、立ち見まで出た。久保田ファンが多く足を運んだようだ。 このタイトなバンドなら、どこにもって行ってもはずかしくない。この日は、湯川れい子先生とニューヨークのトップ・エンジニア、ゴー・ホトダさんをお誘いし観戦。 フィリップもいつになくこのメンバーとのジャムセッションを楽しんでいる様子。ドラムスのラルフ・ロール、コーラスのタイ・スティーブンスとフェリシア・フェニックス・グラハム。そして、ベースはジーノにギターはマサ・コハマという超強力リズム隊だ。 選曲がまだ渋い。「誰も知らないような曲を選んだ」と言って、スパイラル・スペアケースの「モア・トゥデイ・ザン・イエスタデイ」を演奏。「これを知ってる人?」とフィリップが言うと、なんと下北沢レコードショップ「フラッシュディスク・ランチ」の椿さんが挙手。それを見てラルフが驚き、フィリップが「CMタイムです。彼は下北沢のレコードショップ、フラッシュディスク・ランチからやってきました」と宣伝。確かに、この曲、一般的には知名度はないがポップヒットとしてはなかなかいい。フィリップが「一発屋、大好き。一発屋とは、ワンヒットワンダーのこと」と言ってこれを紹介。さらに、この曲の中盤以降はドラムブレイクに載せて、デルフォニックスの「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」やイントゥルーダーズの「アイ・リメンバー!」の歌声が印象的な「カウボーイズ・トゥ・ガールズ」をマッシュアップして、遊んでいた。 最後のアンコールの1曲目が、「フリーマン」。ニューヨークのディスコ・グループ、サウスショア・コミッションのヒットだ。フィリーでの録音だった。フィリップにレコードは持ってるのかと尋ねると、持ってない、ダウンロードした、という答え。僕は7インチ、アルバム、持ってるよ、というと、ラルフが驚いて、「ユー、ラジオ番組やるべきだ。なんでも知ってるんだな。こんな曲知ってるんだったら、ラジオ番組やるべきだ」と笑った。しかし、久々に聞いた「フリーマン」。ホーンセクション(ここではフィリップのキーボードで)が入って、なかなか重厚でかっこいい。まあ、どう考えても、この曲をライヴで聴けるなんてことは、ニューヨークでもあるまい。すごい選曲だ。 このあたりの、渋い選曲はさておき、王道の歌物もよかった。フェリシアもタイも実に聴かせる。 タイ・スティーブンスが歌うルーサーの「フォーエヴァー・・・」(お見事)、クインシー・ジョーンズ、バーナード・アイグナーの「エヴリシング・マスト・チェンジ」(素晴らしい)、レオン・ラッセルの「ア・ソング・フォー・ユー」(やられた)、タイはまるで歌を演じるかのように歌いきる。 フェリシアが歌うアレサ・フランクリンの「エイント・ノー・ウェイ」(超せつない)、シャカ・カーンの「アイ・ノウ・ユー、アイ・リヴ・ユー」(ゴキゲン)、ラルフが歌う「アクロース・110th ストリート」など、最高のソウル満載のライヴだった。タイのリズム感の良さ、ダンサーとしての身体能力も見事だ。僕は彼を見ていて、かのカール・アンダーソンを思い出した。それをタイに言うと、「それは大変嬉しい、すばらしい褒め言葉だ」と喜んだ。 湯川先生は、「なんかニューヨークにいるみたいね」と楽しんでいただいたようだ。 (この項、つづく。ライヴ前の音楽談義などを明日ご紹介します) ■ 今日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」でライヴ音源ご紹介 今日日曜『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」(インターFM、日曜午後2時半~)でこのライヴ音源をご紹介します。 ■ 前回ニューヨーク・オールスターズ、タイ・スティーブンスなど July 13, 2006 Philip Woo Band: So Tight, So Funky http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_13.html July 21, 2006 Philip Woo … Continue reading

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◎ 久保田利伸 『ゴールド・スクール』ツアー~ゴールドの道を行く

◎ 久保田利伸 『ゴールド・スクール』ツアー~ゴールドの道を行く (内容が少し出ますが、詳細はでません。ただ、これからごらんになる方で事前に内容を知りたくないかたはご注意ください) 【Kubota Toshinobu Gold Skool: Live】 ゴールド。 久保田のライヴはいつものように、ライヴが始まる前からライヴは始まっていた。ミラーボールが天井で周りながら、ステージのDJが徐々に音を大きくしながら、ソウル、ファンクをプレイしている。定刻少し前に席につくと、シャラマー、トム・ブラウン、レイ・パーカー、ザップ、カール・カールトン、シックなどがかかり、一昔前のディスコを彷彿とさせる雰囲気を生み出す。そして、おもむろにステージ中央の高い台に登場。歓声。 今回はステージを全面LEDパネルでまとめ、そこにミュージシャンたちを配し、映し出される映像とライヴ・パフォーマンスをリンクさせ、試聴効果を格段にアップしている。 ただ、あくまで基本はしっかりしたタイトなライヴ・バンドにバック・コーラス、ダンサー、その中央に位置する久保田という、ライヴの基本、王道を貫き通すところ。本当にこのバンドはかっこいい。そしてどの曲もキャッチーで日本になじむ。ライヴ後もいろいろなメロディーがこちらの頭の中でぐるぐる回るまわる。 それにしても、ブラックっぽいファンキーっぽいグルーヴっぽい音楽を日本にここまでなじませた久保田の力、足跡は立派だ。ソロ・デビュー25周年。25年を歩み、さらに続く道はソウルの輝くソウル・ゴールドの道。その行方はゴールド・スクールだ。 ちなみに、中盤、久保田が着替えるときにコーラスのタイ・スティーブンスとフェリシアが歌うのは、マーヴィン・ゲイの「マーシー・マーシー・ミー」、ティーナ・マリーの「スクエア・ビズ」、その後、「マーシー…」に戻り、少しマーヴィンの「ホワッツ・ゴーイング・オン」を交える。 今回のハイライトというか、おもしろかったのが、マジック・ショー。フィリップと柿崎さんの「オリーブの首飾り」が会場に流れると、元々マジックが大好きだった久保田が、堂々とマジックを披露する。なんとマギー司郎さんの門を叩き、習ったという。スティッキのマジックなど2演目。そのうち、瞬間移動でもやるかな。 そして、ライヴ終了後は、いつものようにヒートウェイヴの「オールウェイズ・アンド・フォーエヴァー」から、マーヴィンの「アフター・ザ・ダンス」へ。これもひとつの型だ。 ツアーは2012年1月21日、22日の国立代々木競技場第一体育館(東京)まで続く。 (ネタばれにならないようにまとめてありますので、ツアー終了後に改めて詳細を書く予定です) ■ 月曜日のテレフォン・ショッキング、久保田登場 2011年11月28日(月)の『笑っていいとも』(フジテレビ系、午後12時~)「テレフォン・ショッキング」で、鈴木雅之からの紹介で久保田利伸が登場。 ■ 久保田利伸過去記事 2010年07月30日(金) 久保田利伸ライヴ@国際フォーラム http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10603911387.html 2010年06月28日(月) 久保田利伸『タイムレス・フライ』ツアー http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10575093029.html 2010年08月24日(火) 久保田利伸『タイムレス・フライ・ツアー』セットリスト http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100824.html July 30, 2006 Kubota Toshinobu Shouted “You Are My … Continue reading

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●アンドレア・トゥルー、68歳で死去~「モア・モア・モア」のディスコスター

●アンドレア・トゥルー、68歳で死去~「モア・モア・モア」のディスコスター 【Andrea True Dies At 68】 訃報。 1976年のディスコ・ヒット「モア・モア・モア」で知られるディスコ・アーティスト、アンドレア・トゥルー・コネクションのアンドレア・トゥルーが、2011年11月7日、ニューヨーク・キングストンの病院で死去した。68歳だった。死因は明らかにされていない。どうやら身寄りがなく、最後を看取った施設で火葬されたようだ。 By ABC News Nov 22, 2011 3:51pm Andrea True, Porn Star and Singer, Dies at 68 http://abcnews.go.com/blogs/entertainment/2011/11/andrea-true-porn-star-and-singer-dies-at-68/ アンドレア・トゥルーとその大ヒット曲「モア・モア・モア」については、下記エントリーが詳しい。同曲は、アンドレアのヒット後、サマンサ・フォックス、バナナラマ(1993年)、レイチェル・スティーヴンス(2004年)、ダニー・ミノーグらがカヴァー。1999年にはカナダのグループ、レンがサンプリングして使用している。また、アンドレアのヴァージョンは、テレビ・シリーズ『セックス・アンド・ザ・シティー』や他の映画などでも使用されている。プロレスラー、ラリー・スイーニーの入場テーマともなっていた。替え歌が『シンプソンズ』で2度にわたって使われている。 ■ 2007年07月24日(火) 【「モア・モア・モア」誕生秘話】 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10040975223.html アンドレア・トゥルーは、本名、アンドレア・マリー・トゥルーデン。1943年7月26日テネシー州ナッシュヴィル生まれ。 彼女はナッシュヴィルの保守的なセント・セシリア・アカデミーという学校で寄宿舎生活をしていた。ここを1956年頃に卒業。 卒業後、彼女は映画スターを夢見てニューヨークに向かう。いくつか、小さな役を得ることが出来たが、大きな役は取れなかった。そんな失意の頃、彼女の元にポルノ映画出演の話が舞い込み、これを受ける。以降彼女は多数のポルノ映画に出演、50本以上のポルノにでて、そのほとんどがX指定だ。 彼女がアクティヴだったのは、1971年から1983年くらいまで。この時代、「インガー・キッシン」「アンドレア・トラヴィス」「シン・ロウ」「シング・ロウ」などいくつか芸名を持っていた。 1975年、アンドレアはジャマイカの不動産会社のCMに出演することになり、その撮影のために、ジャマイカに向かった。ところが彼女がジャマイカ滞在中に、政治的な変革で、国外への外貨持ち出しが禁止されてしまった。つまり、CMを撮影してもそのギャラをアメリカに持って帰れないというのだ。 そこで彼女は一計を案じた。以前から知り合いだったニューヨークの音楽プロデューサー、グレッグ・ダイアモンドに連絡し、ジャマイカで曲をレコーディングして、そのマスターテープを持って帰ろうというのだ。テープであれば、現金ではないので、国外に持ち出せる。もらったギャラを、当地のミュージシャンたちへのギャラ、スタジオ代などで使ってしまおうというアイデアだ。 グレッグは、ふってわいた話だったが、とりあえず歌なしのインストゥルメンタル・トラックだけをいれたマスターテープを持ってジャマイカにやってきた。そこで、アンドレアとともに急遽歌詞を書き、現地のホーンセクションなどのミュージシャンを起用してレコーディングを完成させた。 無事このマスターテープをアメリカに持ち帰ったアンドレア・トゥルーとグレッグ・ダイアモンドは、まだミックス(トラックダウン)前のマスターを、「ディスコ・ミックスの父」ことトム・モウルトンに聴かせた。トムはこの作品を気に入り、ミックスをすることを引き受け、「モア・モア・モア」は、「ア・トム・モウルトン・ミックス」で完成。 これは1976年1月に12インチが配布され、瞬く間にディスコで話題を集め始め、ディスコ、ソウル・ラジオ、はてはトップ40でも大ブレイク、ポップ・チャートで最高位4位を記録。ディスコ・クラシックとなった。現金を持ち出すことができなくなったおかげでジャマイカでレコーディング・セッションを行い、それが大ヒットに結びついたのだから、音楽の神様はどこでどう微笑むかわからない。まさにひょうたんから駒だ。 アンドレア・トゥルーはその後もディスコを狙った作品をだし、デビュー作に収録されていた「ニューヨーク・ユー・ガット・ミー・ダンシング」などは、ディスコでも大いに受けていた。 3作目がヒットしなかった後、アンドレアは一時期ポルノ業界に戻ろうとしたが、30代中盤を越えていた彼女にはなかなか仕事はこなかった。一方、彼女は喉におおきな腫れ物が出来る病気にかかり、結局、手術をする。このことによって、歌手生命も絶たれ、その後は静かにプライヴェート・ライフを送っていた。 … Continue reading

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○ 『八木カナのソウル・マジック』にゲスト生出演~11月29日(火)

○ 『八木カナのソウル・マジック』にゲスト生出演~11月29日(火) 【The Soul Searcher Will Be On Yagi Kana’s Soul Magic】 ゲスト。 ソウル・ミュージックのライター/フォトグラファーとして1970年代に活躍した札幌在住の八木カナさんがインターネット上で隔週放送しているトーク番組『ソウル・マジック』の2011年11月29日(火)放送分で吉岡正晴がゲスト出演することになった。生放送で11月29日、午後10時から約1時間半をメドにお送りする。1974年から75年頃にかけてのソウル・ミュージック・シーンについてお話する予定。 ネットでは、次のユーチューブのアドレスにアクセスして、聴ける。 http://www.ustream.tv/channel/kanachan-nel また、ここには、これまで13回分のアーカイブもある。 また、ツイッターでは、次のハッシュタグをつけて、当日生放送中にツイートしていただければ吉岡も八木さんも、それを見ながらオンエアする。 #soulmagic この打ち合わせを昨日(11月23日)スカイプでしたのだが、なんと3時間を越えるものになった。 いくつかアーティストをピックアップし、それぞれ思い入れやエピソードなどを語る。今候補に挙がっているのが、ドラマティックス、デルズ、スタイリスティックス、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、シャイ・ライツ、マーヴィン・ゲイなど。またトークネタとして、それぞれがインタヴューしたアーティストで苦労した例などを具体的に話す。ただし、話がそれぞれかなり脱線する可能性もある。 生放送ですので、ぜひ、29日夜10時頃から、ネットでお聴きください。生放送終了後、アーカイブとしても残します。今回の出演はたまたま八木さんがツイートでこのアーカイブをアップしたという情報をアップしていてそれを聴いたところ大変おもしろかったので、おもしろかったです、とツイートしたら、お返事をいただき、とんとん拍子に話が進んだもの。 ■ マーヴィン・ゲイの『引き裂かれたソウル』の翻訳秘話もします マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル (P‐Vine BOOKs) posted with amazlet at 11.11.23 デイヴィッド・リッツ ブルース・インターアクションズ 売り上げランキング: 243186 Amazon.co.jp で詳細を見る ++++ … Continue reading

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□ 第39回アメリカン・ミュージック・アワード(2011)決定

□ 第39回アメリカン・ミュージック・アワード(2011)決定 【39th American Music Award (2011)】 決定。 今年で第39回を迎える「アメリカン・ミュージック・アワード」が、2011年11月21日夜(日本時間、22日午前)、ロスアンジェルスのノキア・シアターで発表された。 テイラー・スイフトとアデルが3部門ずつ受賞。カントリーのテイラーは、この賞のハイライトである「アーティスト・オブ・ジ・イヤー」を2009年に続いて受賞した。 「アメリカン・ミュージック・アワード」は、1973年度(発表は1974年1月)から始まり今年で39回目。当初は翌年1月に発表していたが、2003年からは当該年度の11月に発表している。グラミー賞が業界人によって選出されるのと違い、アメリカン・ミュージック・アワードは一般のファンの投票で決まる。また部門も19部門とグラミーの100部門前後と比べ圧倒的に少ない。作品よりも、アーティスト単位で賞を授与する。 受賞者は、次の通り。 — Adult Contemporary Artist: Adele — Alternative Rock Artist: Foo Fighters — Contemporary Inspirational Artist: Casting Crowns — Country Female Artist: Taylor Swift — Country Male Artist: Blake … Continue reading

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◎ メイヤー・ホーソーン(パート2)~ソウルに敬意を表して~新しい時代のブルーアイドソウル

◎ メイヤー・ホーソーン(パート2)~ソウルに敬意を表して~新しい時代のブルーアイドソウル  【Mayer Hawthorne (Part 2): New Age Of Blue-Eyed Soul】 ソウルマニア。 ファーストの後は、いつもメンバーは食事をするのだが、本人が快く応対してくれた。 メイヤー・ホーソーンは、実はステージ・ネーム(芸名)。本名は、アンドリュー・メイヤー・コーエン。ミドルネームの「メイヤー」とデトロイト近くの生まれ育ったストリートの名前「ホーソーン」から、芸名を作った。1979年2月2日、ミシガン州アン・アーバー生まれ。現在32歳。デトロイトのすぐ近くなので、デトロイトに育ったといってもいい。ということで、モータウンの影響が強いのは当然なのだが、しかし、32歳だと、60年代のモータウン全盛は、リアルタイムではない。そのあたりがとても不思議だった。 彼のサウンドは60年代、70年代のモータウン・サウンドがベースになっている。「そんなに若いのになぜ、こうした古いソウルに触れているの?」と尋ねると、「僕はデトロイト出身だからね。それに父親がミュージシャンでたくさんのレコード(アナログ)を持っていたんだ。それをよく聞いていた。父はロックだけど、いまだにプレイしているよ。父親が聴いていた音楽を聴いたり、自分で父親のレコードを聴いたりしたんだ」という。「フィリー・ソウルやモータウンが大好きなんですね」とふると、「オオ・イエー(もちろんだよ)」。 好きなシンガーはと訊くと間髪をいれずに、「バリー・ホワイト」との返答。なかなか意外なところが出てきた。彼自身なかなかいいファルセット(裏声)を聴かせていたが、では好きなファルセット・シンガーは誰かと尋ねると、「エディー・ホールマン、ラッセル・トンプキンス、カーティス・メイフィールド、モーメンツのハリー・レイ…。たくさんいる」。 「けっこう古いレコード持っているのですか」と訊くと、「たくさんある」。 彼自身かなりのレコードコレクターだと聞いて驚いた。どれくらい持っているのかと訊くと「1万枚はあると思う」と、楽屋の壁の端から端まで指差した。しかも、なんと、アナログのアルバムだけでなく、7インチも12インチも集めるという。「デトロイトにはいいレコード屋があるんだよ、新譜も、古いのも扱う店もある。もちろん、今でも買うよ」 彼はもともとDJとしてクラブ・シーンで活躍を始めた。それから歌を始めた。「歌を始める前から僕はDJで、歌は最近なんだ」 だから、彼の作品群が今のクラブ風というか、DJ風に受け入れられる要素があると妙に納得した。そして、その楽曲もひょっとしたらDJに好まれるような感じでシンプルに作られているのかもしれないと思った。 「7インチでこれまでにもっとも高く払ったものは覚えてる?」「ああ、何枚かある。ミッドナイト・エクスプレスのえ~と曲名なんだっけな。その7インチは200ドルだったか払った。それを、そのアーティストの知り合いという男が最後の10枚だとか言って持ってて、その値段を言われて、どうしても欲しかったから、買ったんだよ(笑)」 そして、ベース奏者のジョーに「なあ、ミッドナイト・エクスプレスのあの曲名なんだっけ」と尋ねると、彼が「『デンジャー・ゾーン』じゃないか」と答える。「あ、そうだ、『デンジャー・ゾーン』だ」。帰って調べてみると、これは12インチもでているコレクター向けの1枚だが、今では比較的安価で手に入るようだ。 ということは、欲しいレコードのリストというのはあるわけだ。「もちろん、これくらい(と手を広げる)、いつもあるよ。いわゆる『ウォンツ・リスト』がね(笑)」うむ、これは一度、メイヤーとソウルバーに行って、じっくり話をしてみたいなと思った。 あれだけ、古いソウルを知っているのだったら、地元デトロイトのブラック・ラジオ局でもかじりついて聴いていたかと思い、「ラジオは?」と尋ねると、「ラジオはだめだよ。何にも(そういったものを)かけない」と言い、「ではあなたのCDもかけないの?」ときくと、「そう、僕のCDも全然かからないよ。だから、プロモーションはレコードショップや、ライヴをやったり、口コミだったりだね」と言う。これにはさすがに僕も驚いた。 左から・西寺郷太、吉岡、メイヤー、黒沢薫 From left: Nishidera Gota, Yoshioka Masaharu The Soul Searcher, Mayer Hawthorne, Kurosawa Kaoru 黒沢薫さんが彼の曲をこう分析する。「メイヤーの曲がいいのは、彼がそんなに歌がうまくないので、それでいいバランスの曲を作るからだと思う。たとえばルーサー・ヴァンドロスやジョニー・ギルみたいにめちゃくちゃうまくて、そのうまさを思い切り聞かせてやろう、っていう風にならないので、その分、いい曲を作ってそれを聞かせようっていうスタンスになるんだと思う」 なるほど、その通りだ。 西寺郷太さんは、「おしゃれでかっこいい。スーツにスニーカー。僕もああいうキャッチーでポップなのをやりたいんです。今、新しいアルバム用に曲作ってて、ちょっと止まっちゃってるんですけど、今日のメイヤー見て、なんかインスピレーションもらった」という。 ■ ライヴ・フロム・ダリルズ・ハウス … Continue reading

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◎ メイヤー・ホーソーン(パート1)~ソウルに敬意を表して~新しい時代のブルーアイドソウル

◎ メイヤー・ホーソーン(パート1)~ソウルに敬意を表して~新しい時代のブルーアイドソウル  【Mayer Hawthorne Live: New Age Of Blue-Eyed Soul】 ソウル。 「ブルー・アイド・ソウル・センセーション」と騒がれたのは昨年。アメリカのインディ音楽シーンでちょっとした話題を集めていたシンガー、メイヤー・ホーソーン。昨年のライヴを見逃していたので、二度目の来日で初鑑賞。 いやあ、予想以上によかった。一言で言えば、白人でソウル好きな若者が、かつてのソウルにリスペクトを持って、それを消化し、自分のものにして、おしゃれに見せた、といったところか。イギリスのスタイル・カウンシル、フィラデルフィアのダリル・ホールあたりがソウルを解釈して、自分のものにして、その結果良質の「ブルー・アイド・ソウル」になったという感じだった。バンドがまたしっかりしていて驚いた。 東京1日しかないために、1-2セットとも超満員。観客は若いクラブに行きそうな人たちが多かった。来年はきっと最低2日のライヴになりそうだ。 全員グレイのスーツで、しかし、足元はスニーカーというおしゃれさん。全体的にモータウン風曲調がポップに響く。テンポの速い曲では、ちょっとメイヤーとギター、ベースが揃ってステップを踏みながらやって見せ、ソウルショーっぽいプレゼンテーションにもなる。 モータウン風もあるが、ちょっとスタックス風も。みな60年代を思わせる。そのせいか、各曲が短くて実にいい。なんか、ポップだ。それにしても全曲、60年代、70年代のソウル風。どうしてここまで徹底できるのか、すごく興味を持った。しかし、やっぱり、一番はモータウンの影響かな。そして、その中でもスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズが一番強い。あと、ハイ・ヴォイスのあたりは、カーティス・メイフィールドを思わせる。 ギターを持って歌う姿も、ちょっと振りをつけながら歌う姿が、いかにもソウル好きな白人がかわいくやっている感じがして好感が持てる。 日本人やイギリス人のソウル好きがライヴをやるとこうなる、という感じがして、日本人でこういうスタイルのバンドがいれば面白いのにな、と思った。ダリル・ホールがソウルバンドをやるとき、スタイル・カウンシル、あるいは、インコグニート、ブランニュー・ヘヴィーズあたりが同路線なのだろう。そうしたら、西寺郷太さんが「めちゃくちゃ、よかったですね。こういうのやりたいんですよ」大興奮しながら口角泡を飛ばした。偶然会ったゴスペラーズ黒沢さんも「いやあ、よかった、よかった。ほんとおしゃれだよねえ」と興奮中。 ライヴが始まる前かかっていたCDがアル・グリーンの「ゴッド・ブレスド・アワ・ラヴ」、そして、ライヴ・アンコール後もアル・グリーンだった。(曲名失念) このあたりもこだわりがあるのかな。 ということで、ちょっとだけ本人に会うことにした。 (明日につづく) ■ これが去年話題になったアルバム『ア・ストレンジ・アレンジメント』 Strange Arrangement posted with amazlet at 11.11.19 Mayer Hawthorne Stones Throw (2009-09-08) 売り上げランキング: 682 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ … Continue reading

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☆今日はマイケル・ジャクソン『イモータル』~「ソウル・サーチン」(午後2時半から)

☆今日はマイケル・ジャクソン『イモータル』~「ソウル・サーチン」(午後2時半から) 【”Immpoetal Megamix” Will Be On Soul Searchin】 不滅。 ダンス・カンパニー「シルク・ド・ソレイユ」が、マイケル・ジャクソン楽曲ばかりを使用して作り上げたエンタテインメント・ショー『イモータル』が2011年10月2日からカナダ・モントリオールで始まったが、そのショーで使われる音源のサウンドトラック的存在のアルバム、その名も『イモータル』が2011年11月23日日本発売される。 シルク・ド・ソレイユ予告編 http://youtu.be/x5kPTl4jEFo これに伴い、今日の『ソウル・ブレンズ』(関東地区・インターFM、76.1mhz、毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)のコーナーで、ご紹介する。また、12月13日、14日に行われる「マイケル・ジャクソン・トリビュート・イヴェント」のことも少し紹介できるかと思う。 インターFMは、関東地区にお住まいの方は、パソコンでラジコにアクセスすると聴ける。また、他にAUの携帯電話をお持ちの方は、有料だが、申し込めば全国のFMラジオを聴ける。そのほか、衛星テレビ放送、スカパーと契約している方も、ラジオチャンネルで聴ける。 ラジコはこちら。 http://radiko.jp/player/player.html#INT (なお、ラジコは現在のところアクセス者にエリア制限をかけているために、基本的には関東地区の方しか聴けません。それ以外の方は、AUもしくは、スカパーなどでお聴きください。この両者を使えば日本全国で聴けます) 今回アルバム『イモータル』を紹介するのだが、音源に関しては厳しい解禁日設定があり、アルバム全曲の解禁は日本では発売日11月23日の午前0時。それまでは、先にデジタル配信となった「イモータル・メガミックス」のみ。アルバム・ヴァージョンは9分08秒、シングルは4分54秒で、「ソウル・サーチン」では、長いヴァージョンをノーカットでオンエアする。 イモータル デラックス・エディション(初回生産限定盤) posted with amazlet at 11.11.19 マイケル・ジャクソン SMJ (2011-11-23) 売り上げランキング: 45 Amazon.co.jp で詳細を見る このロング・ヴァージョンには、次のような曲がうまくマッシュアップされている。 Can You Feel It / Don’t Stop … Continue reading

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■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート6)

■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート6) 【The Sound Of Philadelphia Story Part 6】 TSOP。 今週月曜から木曜まで4日間連続で、深夜JFN系列全国ネットでお送りした『ビッグ・スペシャル』~フィラデルフィア・ソウル大特集。いかがでしたでしょうか。木曜深夜、生放送を3時間ほどしました。 今回ちょっと驚いたのが、前回のモータウン特集と比べ、「フィリー・ソウル」とか「フィラデルフィア・サウンド」「フィラデルフィア・ソウル」とか、そういう言葉、ジャンル自体が一般的に圧倒的に知名度がなかったということ。「モータウンっていうのは、なんとなく雰囲気でわかるけど、フィリー・ソウルってジャンル自体も初めて知った」といったおたよりもいただきました。 確かにそうなのかもしれません。「フラデルフア」「フリーソウル」といった単語が届いていたそうだ。もちろん、「フィラデルフィア・ソウル」がまったく知名度がないので、ギャンブル&ハフ、トム・ベルといった固有名詞は、もっと一部の音楽ファンだけしか知らないということになります。そのあたりをどう説明していくか、解説していくかは、これからの課題かなあ、と思いました。 また、フィリー楽曲が3000曲以上あるということで、完全データベースが欲しいと思いました。(笑) 誰か作ってください。今回選んでみて、アナログしかなくてかけられなかったものもありました。また、フィリー関係は登場人物があまりに多く、そうした人たちに一人一人スポットをあてていっても、大変です。 作品はまだまだあるので、僕的には第二弾、第三弾もできるかなあ、などと思いました。その前に、「フィリー・ソウル」の知名度を上げないと…。(笑)  番組中、ツイッターなどでメール、メッセージをお送りいただきありがとうございます。 (初日から3日目までのリストは昨日のブログに掲載してあります) ■プレイリスト JFN ビッグ・スペシャル「フィリー・ソウル特集」~ 2011年11月15日~18日 25:00— M01 When Will I See You Again — Three Degrees 2:59 1) フィラデルフィア・サウンド前夜 M02. Twist — Chubby Checker 1960 M03. Mash … Continue reading

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■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート5)

■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート5) 【The Sound Of Philadelphia Story Part 5】 TSOP。 月曜深夜(2011年11月15日)からJFN系列局(東京FMをはじめ全国30局以上)でお送りしている深夜の本格音楽スペシャル・プログラム、『ビッグ・スペシャル』。今週は、フィラデルフィア・ソウル特集。題して「フィラデルフィア・サウンドが踊った70年代」。たっぷりフィラデルフィア・ソウルをお楽しみください。今日は4日目ということで最終回。吉岡正晴が午前1時から生放送で登場します。リクエスト、質問、ご意見などありましたら、下記のメールホームからお寄せください。ツイッターでもOKです。 メール用フォーム・アドレス http://site.jfn.co.jp/big/mailform/94 吉岡正晴ツイッター https://twitter.com/soulsearcher216 番組ツイッター https://twitter.com/ bigsp_staff 番組ホームページ http://www2.jfn.co.jp/big/ http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm ハッシュ・タグ ビッグ・スペシャル #bigsp 東京FM #tfm パソコンで聴けるラジコ(関東地区) http://bit.ly/tRLmkk なお、これは関東地区のラジコ・アドレスで、全国のラジコは各地の放送局のホームページなどでご確認ください 最初の3日間では、フィラデルフィア・ソウルとは何か、フィラデルフィア・ソウルを成功させたプロデューサー、アーティストにスポットをあてました。「フィラデルフィア・ソウル」、略して「フィリー・ソウル」は、1970年代初期から全米の音楽シーンを席巻した独特のサウンドを持ったソウル・ミュージックのひとつです。 今日4日目(木曜深夜)には、吉岡正晴が番組に登場し、いろいろな細かなエピソードをお話をします。 ただ、今日はこれから生放送ですので、放送終了しての感想などは、明日以降のブログで書く予定です。 +++++ 3日目まで。 さて、3日まで終えて、4日目に行く前に書いているが、ここ1-2週間、フィリー関係のCDざっと200枚くらい目を通したというか、聴いたというか、した。最終的には3日で87曲かかって、たぶん4日目も20曲はかかると思うので、100曲以上は選んだ勘定になる。しかし、ギャンブル&ハフ関連だけで、トータル3000曲以上がレコーディングされたというから、30分の1にも満たない。しかも、ギャンブル&ハフ以外のものも勘定すればもっとになるだろう。確かに1日1曲としても年間365曲、それが20年続けば7000曲を超えることになる。60年代後期から80年代中期までは、フィラデルフィア・サウンドは次々とあらゆるものがレコーディングされていたにちがいない。改めて、膨大な数のレコーディングが行われたんだなあ、と思った。 だから、アーティスト名、ミュージシャン名、アレンジャー名などを横軸に、楽曲名を縦軸にしたエクセルで超すごいデータベースかなんかできれば、すごく楽しくて便利だろうな、と思った。 フィラデルフィア・サウンドがこれほど現象的な人気を得たのは、たくさんの才能あるミュージシャン、ソングライター、プロデューサー、アレンジャーらがいたからに他ならない。 しかし、フィラデルフィア・ソウルには、当たり前だがいい曲が多い。 なお、初日から3日目まで、「フィリー・ソウル特集」でプレイした曲のリストをお送りします。 PLAY LIST: TSOP The Sound … Continue reading

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■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート4)

■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート4) 【The Sound Of Philadelphia Story Part 4】 TSOP。 月曜深夜(2011年11月15日)からJFN系列局(東京FMをはじめ全国30局以上)でお送りしている深夜の本格音楽スペシャル・プログラム、『ビッグ・スペシャル』。今週は、フィラデルフィア・ソウル特集。題して「フィラデルフィア・サウンドが踊った70年代」。たっぷりフィラデルフィア・ソウルをお楽しみください。 番組ホームページ http://www2.jfn.co.jp/big/ http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm 番組ツイッター bigsp_staff ハッシュ・タグ ビッグ・スペシャル #bigsp 東京FM #tfm メール用フォーム・アドレス http://site.jfn.co.jp/big/mailform/94 関東地区のラジコ。http://bit.ly/tRLmkk  なお、これは関東地区のラジコで全国のラジコは、各地の放送局のホームページなどでご確認ください 最初の3日間では、フィラデルフィア・ソウルとは何か、フィラデルフィア・ソウルを成功させたプロデューサー、アーティストにスポットをあてます。「フィラデルフィア・ソウル」、略して「フィリー・ソウル」は、1970年代初期から全米の音楽シーンを席巻した独特のサウンドを持ったソウル・ミュージックのひとつです。 初日は、スタイリスティックス、デルフォニックスを世に送り出したプロデューサー、トム・ベルとスタイリスティックス、リンダ・クリード・ストーリー。2日目は、フィラデルフィア・サウンドを一大勢力にしたケニー・ギャンブル&レオン・ハフのコンビ、通称、ギャンブル&ハフ・ストーリー。3日目は、フィラデルフィア・ソウルのヒットを多く出したニューヨークのユニークなレーベル、サルソウル・レコードと、フィリー・ソウルを作ったギャンブル&ハフの元から巣立った、あるいは周辺のアレンジャー、ソングライターたちにスポットをあてます。4日目(木曜深夜)には、吉岡正晴が番組に登場し、いろいろお話をします。 ■ フィラデルフィア・サウンドを送り出すレーベルとミュージシャンたち ACT 1 インディ・レーベルとサルソウル・レコード サルソウル。 1960年代からフィラデルフィアには多くのインディ・レーベルやプロダクションがありました。フランク・ヴァーチューのスタジオ、ダイナ・ダイナミック・プロダクション、元々は白人レーベルとして始まったキャメオ/パークウェイ・レコード、アークティック・レコード、レッド・トップ・レコード、ブルーベルズ・レコード、フィラ・オブ・ソウル、ジェイミー・ガイデンといったレコード会社です。 そして、ギャンブル・レコード、フィリー・グルーヴ・レコード、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードなどが登場します。 そんなシーンに、1974年、ニューヨークでサルソウル・レコードというレコード会社がスタートします。 サルソウル・レコードは、正確に言うとニューヨークに本社がありフィラデルフィアのレコード会社ではありません。ただフィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオで多くのレコーディングをしたり、シグマがニューヨークに支店スタジオを出すと、そこを使用したりして、多くのフィラデルフィア・ミュージシャンを起用することで、フィラデルフィア・サウンドのエッセンスを多く含んだレーベルとなり、かなり多くのフィリー・サウンドの作品を出し、成功を収めたレーベルとなりました。1970年代のフィラデルフィア・サウンドを語る上でギャンブル&ハフ関連以外でもっとも重要なレーベルといえるかもしれません。そこで、3日目の今日は、このサルソウル・レーベルとその周辺のプロデューサー、アレンジャー、ミュージシャンたちにスポットをあててみます。 このサルソウル・レコードは、1974年、既にジャズ、ラテン音楽業界で成功を収めていたジョー、ケン、スタンリーのキャリー兄弟が、ニューヨークで始めた新しいレコード会社です。彼らのアイデアは、当時人気を集め始めていた「サルサ」と「ソウル」をあわせた音楽を作ることでした。そこで、新しいレーベルの名前を「サルソウル」としたわけです。「サルソウル・レコード」の誕生です。 ACT 2 12インチシングルの初の一般発売 12インチ。 サルソウルは、ラテン系人気ミュージシャン、ジョー・バターンのレコードを出した後、フィラデルフィアのアレンジャー、ヴァイブ奏者ヴィンス・モンタナのアイデアで、ディスコを狙ったダンサブルな作品を出します。それは先にヒットを放っていたMFSBというフィラデルフィアのミュージシャンの集合体にならい、独自のオーケストラを作るということでした。それがサルソウル・オーケストラの「サルソウル・ハッスル」で、1975年8月のことでした。その後1976年5月にリリースしたのが、フィラデルフィアのソウル・ヴォーカル・グループ、ダブル・エクスポージャーの「テン・パーセント」です。 … Continue reading

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■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート3)

■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル(TSOP)』(パート3) 【The Sound Of Philadelphia Story Part 3】 TSOP。 昨日(2011年11月15日)からJFN系列局(東京FMをはじめ全国30局以上)でお送りしている深夜の本格音楽スペシャル・プログラム、『ビッグ・スペシャル』。今週は、フィラデルフィア・ソウル特集。題して「フィラデルフィア・サウンドが踊った70年代」。たっぷりフィラデルフィア・ソウルをお楽しみください。 番組ホームページ。 http://www2.jfn.co.jp/big/ http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm 番組ツイッター https://twitter.com/#!/bigsp_staff ハッシュ・タグ ビッグ・スペシャル #bigsp 東京FM #tfm 関東地区のラジコ。http://bit.ly/tRLmkk  なお、これは関東地区のラジコで全国のラジコは、各地の放送局のホームページなどでご確認ください。 最初の3日間では、フィラデルフィア・ソウルとは何か、フィラデルフィア・ソウルを成功させたプロデューサー、アーティストにスポットをあてます。「フィラデルフィア・ソウル」、略して「フィリー・ソウル」は、1970年代初期から全米の音楽シーンを席巻した独特のサウンドを持ったソウル・ミュージックのひとつです。 初日は、スタイリスティックス、デルフォニックスを世に送り出したプロデューサー、トム・ベルとスタイリスティックス、リンダ・クリード・ストーリー。2日目は、フィラデルフィア・サウンドを一大勢力にしたケニー・ギャンブル&レオン・ハフのコンビ、通称、ギャンブル&ハフ・ストーリー。3日目は、フィラデルフィア・ソウルのヒットを多く出したニューヨークのユニークなレーベル、サルソウル・レコードと、フィリー・ソウルを作ったギャンブル&ハフの元から巣立った、あるいは周辺のアレンジャー、ソングライターたちにスポットをあてます。4日目(木曜深夜)には、吉岡正晴が番組に登場し、いろいろお話をします。 ■ ギャンブル&ハフ・ストーリー ACT 1 二人の出会い 出会い。 今日、第二日目は、フィラデルフィア・サウンドのビッグ・スリーのうち、トム・ベルと並ぶケニー・ギャンブルとレオン・ハフ・ストーリーです。ちなみにもうひとりは、昨日ご紹介したトム・ベルです。 ケニー・ギャンブルは、1943年8月11日、フィラデルフィア生まれ。レオン・ハフは1942年4月8日フィラデルフィア生まれ。それぞれ68歳、69歳。 ふたりで「ギャンブル&ハフ」として知られるプロデューサー、ソングライター・コンビです。特に1960年代後期から1970年代にかけて、たくさんのヒット曲を生みだし、フィラデルフィア・サウンド、フィラデルフィア・ソウル、フィリー・ソウルの隆盛の大原動力となったチームです。 ケニー・ギャンブルは子供の頃から音楽の世界で何かをやろうと思い、地元のソウル・ラジオ局WDASに出入りし、当地の人気DJジョージ・ウッズやジミー・ビショップらにコーヒーを運んだりしていました。歌も好きで、ゲームセンターにある簡易録音マシンで、アセテート盤を作ったりしていました。今でいうカラオケで録音して、それをCDに焼くようなものです。レコード店でバイトもしたりしていました。 ギャンブルが17歳のとき、1960年頃、地元のジェリー・ロスというマネージャーがギャンブルの面倒をみるようになり、しばらく手を組んで仕事をするようになります。この頃、彼らは「ギャンブル&ロス」というわけでした。 一方、この頃、レオン・ハフはフィラデルフィアのシューベルト劇場にオフィースを構えます。すると偶然にもケニーも同じビルにオフィースを構えていたのです。ケニーは6階、レオンは2階でした。彼らはお互いエレヴェーターなどですれ違って顔は知っていましたが、何をする人物かは知りませんでした。 そんな中、彼らはとあるレコーディング・セッションで偶然顔をあわせるのです。 それが、地元のキャンディー&ザ・キッセスというグループの「ザ・81(The 81)」という曲のレコーディングで、1964年のことでした。 一方ジェリー・ロスは、一足先に、1963年、ギャンブルをソロ・シンガーとしてコロンビア・レコードに売り込むことに成功「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ユー・ガット・アンティル・ユー・ルーズ(You Don’t Know … Continue reading

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■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル』(パート2)

■ JFN『ビッグ・スペシャル』~『フィラデルフィア・ソウル』(パート2) 【The Sound Of Philadelphia Story Part 2】 TSOP。 ■ トム・ベル・ストーリー 今日(2011年11月15日)からJFN系列局(東京FMをはじめ全国30局以上)でお送りする深夜の本格音楽スペシャル・プログラム、『ビッグ・スペシャル』。今週は、フィラデルフィア・ソウル特集。題して「フィラデルフィア・サウンドが踊った70年代」。4日間たっぷりフィラデルフィア・ソウルをお楽しみください。 最初の3日間では、フィラデルフィア・ソウルとは何か、フィラデルフィア・ソウルを成功させたプロデューサー、アーティストにスポットをあてます。「フィラデルフィア・ソウル」、略して「フィリー・ソウル」は、1970年代初期から全米の音楽シーンを席巻した独特のサウンドを持ったソウル・ミュージックのひとつです。 初日は、スタイリスティックス、デルフォニックスを世に送り出したプロデューサー、トム・ベルとスタイリスティックス、リンダ・クリード・ストーリー。2日目は、フィラデルフィア・サウンドを一大勢力にしたケニー・ギャンブル&レオン・ハフのコンビ、通称、ギャンブル&ハフ・ストーリー。3日目は、フィラデルフィア・ソウルのヒットを多く出したニューヨークのユニークなレーベル、サルソウル・レコードと、フィリー・ソウルを作ったギャンブル&ハフの元から巣立った、あるいは周辺のアレンジャー、ソングライターたちにスポットをあてます。4日目(木曜深夜)には、吉岡正晴が番組に登場し、いろいろお話をします。 月曜深夜、火曜朝、第一日目は、フィリー・ソウルの立役者ビッグ・スリーの一人、トム・ベルです。 ACT 1 トム・ベル登場 ジャマイカ。 フィラデルフィア・サウンドを隆盛に導いた3人というと、このトム・ベル、そして、ギャンブル&ハフですが、彼ら3人は60年代から手を組み、さまざまな作品を送り出しています。彼らは3人で「マイティー・スリー」という音楽出版社も持っているほどです。文字通り、強力な3人です。彼ら周辺で制作された「フィラデルフィア・サウンド」の楽曲は3000曲以上あるといわれます。確かに1960年代中期から1980年代中期までの20年間、毎日1曲でも録音されていれば、それくらいの数はいともかんたんにクリアします。 さて、トム・ベルを有名にしたのは、1968年のデルフォニックスの大ヒット「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」です。トム・ベルはこのとき25歳でした。 トム・ベルは、フィリー・ソウルの申し子ですが、生まれたのは1943年(昭和18年)1月26日ジャマイカ・キングストンでした。本名、トーマス・ランドルフ・ベル。現在68歳ということになります。ただ幼少の頃、5歳で両親とともにフィラデルフィアに移り住み、フィラデルフィア育ちと言っていいでしょう。家が裕福だったため、クラシック音楽を勉強、5歳の頃からピアノを習っていました。その頃はクラシックのピアニストか、指揮者を夢見ていました。しかし、まもなく、当時はまだ人種差別が根強く、いから優秀でも黒人が指揮者になることはできませんでした。そこでトム・ベルはクラシックの道は諦めようと考え始めます。 十代の頃にほぼ同年代のケニー・ギャンブル、レオン・ハフ、ダリル・ホールらと知り合い、1959年には、ギャンブルがやっていたソウル・ヴォーカル・グループ、ザ・ロメオスに参加。トム・ベルは音楽的に多感なティーンの16歳でした。このあたりから、興味はクラシックからポピュラーなソウル・ミュージックに移っていきました。 地元でバンド活動をするうちに、ピアノも弾け、楽譜も書けたことから、トム・ベル19歳の1962年には当地の人気アーティスト、チャビー・チェッカーのバンドの音楽ディレクターのような仕事をするようになります。 チャビー・チェッカーは、1941年10月3日、地図で言えばフィラデルフィアより少し下のサウス・キャロライナ州アンドリュース生まれ、フィラデルフィア育ちのR&Bシンガーで、1960年に「ザ・ツイスト」が全米ナンバーワン(ポップ・チャート)になる大ヒットを出し、一躍スターになっていたシンガーです。当時の流行のお尻を振る「ツイスト」というダンスをテーマにした曲で、踊りとともに大ヒットしました。この「ツイスト」を出していたのが、フィラデルフィアの同時はまだ一インディ・レーベルだったキャメオ/パークウェイ・レコードでした。 この大ヒットが出て、チャビーが全米ツアーにでることになり、そのバンドのまとめ役としてトム・ベルが抜擢されたわけです。チャビーのバンドには約2年在籍、その間、音楽を勉強するために一時期ニューヨークにいたこともありました。1963年にフィラデルフィアに戻り、同地を本拠にレコードを出していたキャメオ/パークウェイで、セッション・ピアニストとして稼ぐようになります。 セッション・ピアニストとは、スタジオでレコーディングがある場合、プロデューサーやソングライターに呼ばれて、その曲のレコーディングでピアノを弾く専門家です。キャメオ/パークウェイではたくさんのレコーディング・セッションがあったので、トム・ベルも売れっ子ピアニストになっていきました。トム・ベルは、ただピアノを弾くだけでなく、アレンジもできたため、レコーディング・シーンでは大変重宝され、音楽シーンでも徐々に知られるようになります。 ACT 2 改名させられたデルフォニックス 改名。 この頃、トム・ベルは当時まだザ・ファイヴ・ガイズ(The Five Guys)と名乗っていたヴォーカル・グループと知り合います。彼はこの5人組を3人組にし、名前を変えるよう提案、このトリオはデルフォニックスとなります。 1967年、デルフォニックスのマネージャーだったスタン・ワトソンという人物が、サム・ベルという人物とインディ・レーベル、フィリー・グルーヴを設立。デルフォニックスのレコードをそこから出すことにし、トム・ベルはこのレーベルの制作、A&R、プロデューサーとなりました。もっとも当時はまだA&Rなどという言葉もなく、プロデューサーという言葉でさえもまだまだ浸透はしていなかった時代です。 そして、彼らが1968年2月から「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」という曲をヒットさせます。これが、トム・ベルにとって、そして、デルフォニックスにとっても記念すべき初めての大ヒットとなりました。リッチなオーケストレーション、覚え易いメロディーとサビ。ファルセットのリード・ヴォーカルが大いに受けることになりました。 デルフォニックスとはその後も多くのヒットを生み出します。中でも、1970年1月からヒットした「ディドント・アイ(ブロウ・ユア・マインド)」は、ソウル・チャートで3位ながら、ゴールド・ディスクを獲得。グラミー賞「R&Bヴォーカル・グループ」部門も獲得するという快挙を成し遂げます。 しかし、このグラミー賞授賞式でひと悶着(ひともんちゃく)起こります。当時まだ黒人は、たとえ賞を獲得しても、ステージで受賞することが許されなかったということで、トム・ベルは以来、いかにグラミー賞にノミネートされても、決してその授賞式には顔を出さなかったそうです。ちなみに、トム・ベルは1974年度でグラミー賞が初めて「プロデューサー・オブ・ジ・イヤー」部門を設定しますが、その初回さらに翌年と2年連続で見事に受賞しています。もちろん、授賞式には顔をだしていません。 ちなみに、これらの「ラ・ラ・」や、「ディドント・アイ」はその後も映画などに使われ、すっかりスタンダード化。特に「ディドント・アイ」は、クエンティン・タランティーノの映画『ジャッキー・ブラウン』(1997年)で効果的に使用されていました。 ACT … Continue reading

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■フィラデルフィア・サウンド(TSOP)ストーリー (パート1)

■フィラデルフィア・サウンド(TSOP)ストーリー (パート1) 【Roundup For The Sound Of Philadelphia】 TSOP。 今週は、月曜深夜からJFN系全国ネットの『ビッグ・スペシャル』(深夜1時~4時。関東地区は東京FM、全国30局以上ネット)でフィラデルフィア・ソウル特集をお送りします。そこで、この「ソウル・サーチン・ブログ」でも番組と連動して、「フィラデルフィア・ソウル」について、月曜から金曜までまとめてご紹介します。 まず、今日は「フィラデルフィア・ソウル」の全体像をご紹介します。 ACT 1 : フィラデルフィア・ソウル前夜 まず、いわゆる「フィラデルフィア・サウンド」「フィラデルフィア・ソウル」「フィリー・ソウル」というと、1960年代後期から1970年代にかけてのフィラデルフィアで録音されたソウル・ミュージックを指します。具体的には、デルフォニックス、スタイリスティックス、イントゥルーダーズ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツなどのサウンドです。「ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィアThe Sound Of Philadelphia」は、その頭文字を取って、「TSOP」とも略されます。 特徴は、踊り易いグルーヴのわかりやすいリズムと、流麗なストリングス、ブラス・セクションが入ったリッチなオーケストレーションのサウンドでにソウルフルで迫力のあるソウル・ヴォーカルがからみます。たとえば、南部のソウル・ミュージックが泥臭いと言うのであれば、フィラデルフィア・サウンドはひじょうに都会的に洗練されたものです。 また、独特のドラムスによるグルーヴ、のりのあるリズムの強いサウンドは、70年代中期から大きなブームとなる「ディスコ・サウンド」の元にもなり、さらにその後の「ハウス・ミュージック」の原形にもなっていきます。 これらの「フィラデルフィア・ソウル」略して「フィリー・ソウル」の立役者となったのが、トム・ベル、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフの3人です。彼らはフィラデルフィアで多くの若手アーティストをてがけ、スターにしていきます。 そんな彼らが活躍を始めるのは1960年代後期からですが、そうした「フィラデルフィア・ソウル」隆盛の前夜とも言うべき時代があります。それが1950年代から1960年代初期までの間、このフィラデルフィアという土地が、「音楽都市」として大きな注目を集めることになったのです。 その大きな要因が、テレビ音楽番組『アメリカン・バンドスタンド』です。これは、そのときのヒット曲をかけ、一般試聴者がそれにあわせて踊るところを見せる、というシンプルな番組です。これが、1952年9月から始まり、1989年9月まで続くことになります。この収録スタジオがフィラデルフィアにあり、当初はローカル番組でしたが、1957年10月から全米にネットワークされることになり、これを機に番組の人気が一挙に爆発します。多くのアーティストが出演するために、フィラデルフィアにやってきました。また、ロックンロールの登場とともに大変人気が高くなりますが、当然地元フィラデルフィア出身のアーティストは、こぞってこの番組に出ようとしたので、街自体が音楽で盛り上がり始めました。後に1970年代に登場する『ソウル・トレイン』のプロトタイプとなったのが、この『アメリカン・バンドスタンド』です。 この番組からは、多くのヒットが生まれましたが、その多くは白人のヒットでした。また、フィラデルフィアにも多くのインディ・レーベルが生まれました。キャメオ/パークウェイ、ジェイミー・ガイデン、フィラ・オブ・ソウルなどなどです。 そんなインディ・レーベルのキャメオ/パークウェイから、チャビー・チェッカーという黒人シンガーの「ツイスト」という曲がヒットします。これは、当時ヒットしていた「ツイスト」というダンスについて歌ったもので、その「ツイスト」用の曲として1960年8月から大ヒット、全米ナンバー1を記録しました。 これは、70年代のいわゆる「フィラデルフィア・ソウル」のジャンルには入りませんが、「フィラデルフィア・ソウル」の前夜の動きとして、頭の片隅にいれておいてもよいでしょう。 このキャメオ/パークウェイからは、女性R&B歌手のディー・ディー・シャープの「マッシュポテト・タイム」という曲が1962年に大ヒット(ソウル・チャート1位、ポップ・チャート2位)します。これも「マッシュポテト」という当時流行ったダンスをテーマにした曲です。このディー・ディー・シャープは、後にフィリー・ソウルの立役者となるケニー・ギャンブル夫人となります。いずれも『アメリカン・バンドスタンド』から出た数少ない黒人によるヒットです。 またフィラデルフィアは、南部からの黒人が多く移り住んでいたために、黒人人口が高く、そのためゴスペル音楽も盛んで多くのゴスペル・シンガーがいました。これも、ソウル・ミュージックが盛んになる大きな下地となっていました。 ACT 2 : トム・ベル、ギャンブル&ハフの登場 トム・ベルについては明日、ギャンブル&ハフについてはあさってのこのブログで詳しくご紹介しますが、この3人がフィラデルフィア・ソウルのシーンを引っ張っていくことになります。 トム・ベルは前述のチャビー・チェッカーのツアー用バンドの音楽ディレクター(コンダクター)の仕事を得て、フィラデルフィアの音楽シーンで頭角を現し始め、ギャンブル&ハフも同じようにフィラデルフィアでバンド活動を始めるうちに力を見せ始めます。 ギャンブル&ハフは1966年、イントゥルーダーズのヒットを出し、ジェリー・バトラーなどのプロデュースをしたり、トム・ベルは1968年、デルフォニックスの「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」でヒットを出し、それぞれヒット・プロデューサー、注目のプロデューサーになっていきます。単発的には、クリフ・ノーブルスのインスト・ヒット「ホース」(1968年6月からヒット、ソウル、ポップで2位)、ファンタスティック・ジョニーCの「ブーガルー・ダウン・ブロードウェイ」(1967年10月からヒット、ソウルで5位、ポップで7位)(いずれも、フィラオブ・ソウル・レーベルからのヒット)、エディー・ホールマンの「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」(1969年12月からヒット、ソウルで4位、ポップで2位、ゴールド・ディスク)などが出て、徐々にソウル・ヒットを生み出すフィラデルフィアという雰囲気が盛り上がり始めます。 そんな中、「フィラデルフィア・ソウル」の歴史の中で、大きなターニング・ポイントが訪れます。 1971年、当時メジャー・レコード会社のCBSコロンビアのヘッド、クライヴ・デイヴィスが、ブラック・ミュージックの販売に力をいれようと、ギャンブル&ハフに資金を提供し、彼らにフィリー・ソウルのレコード会社「フィラデルフィア・インターナショナル・レコード」の設立を促すのです。 クライヴ・デイヴィスはCBSですでにスライ&ファミリー・ストーンなどの新しいブラック・ミュージックを売り出すことを成功させていました。また、モータウン・レコードやスタックス・レコードの隆盛、フィラデルフィアからぽつぽつ出てきたヒットなどを見て、ソウル・ミュージックに大きな流れが来ていることを感じ取って、ギャンブル&ハフに注目していたのです。 それまで、フィラデルフィアから出てくるソウル・ヒットは、あくまで一ローカル・ヒットがたまたま全国的になるという「単発的」なものでした。ローカルのインディ・レーベルもたくさんありましたが、ローカルでの群雄割拠の様相を呈しており、全国的なうねりにはなっていませんでした。 そこにCBSの大きな資金と、全国的な販売ネットワークが備わることによって、大きなヒットが生まれる可能性がでてきました。 … Continue reading

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#「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」ストーリー(訳詞付き)~名曲物語

#「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」ストーリー(訳詞付き)~名曲物語 【”Betcha By Golly, Wow” Story 】 (不定期でその曲の誕生秘話などをご紹介している「グレイト・ソング・ストーリー」(名曲物語)。今回は、スタイリスティックスでおなじみのフィリー・ソウル・クラシック「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」をご紹介します。この模様は、今日の「ソウル・サーチン」[インターFM76.1mhzで日曜午後2時半~]でもご紹介します) ACT 1: 入魂の1曲 流行語。 「フィラデルフィア・ソウル」「フィリー・ソウル」の人気グループ、スタイリスティックスの大ヒット曲のひとつ「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」。1972年に大ヒットした名曲。スタイリスティックスのデビュー・アルバム『スタイリスティックス登場』に収録されている。 これを書いているのが、そのプロデューサー、トム・ベルと作詞家リンダ・クリードのコンビだ。スタイリスティックスで大ヒットし、その後、カヴァーが生まれた。有名なのは、フィリス・ハイマン、そして、プリンス、アーロン・ネヴィルなど。そのほかにもジャズの分野も含めて多数のカヴァーがある。 ところが、スタイリスティックスがレコーディングして有名にしたこの曲、実は、スタイリスティックより前に、録音されていたことを最近知った。なんと、1960年代に活躍した女優兼歌手のコニー・スティーヴンスが、1970年にレコーディングしていたのだ。しかし、そのときのタイトルは、「キープ・グロウイング・ストロングKeep Growing Strong」。そう、サビの繰り返しの部分だ。いくら「ベッチャ・バイ~」で検索してもでてこない。 コニー・スティーヴンスは1938年8月8日生まれ(現在73歳)で、1959年から始まったテレビ・シリーズ『ハワイアン・アイ』で人気となった。ほぼ同じ頃からシンガーとしての活動も開始。女優兼歌手として活躍していた。1959年4月からエディー・バーンズとのデュエットで「クーキー・クーキー」という曲が全米ポップチャートで4位、ゴールド・ディスクに輝いている。ただこれは、聴くとわかるが、歌というより、ラップというかナレーションというか、ちょっと冗談ぽいノヴェルティー・ソングだ。アイドル・タレントというところといえそう。 (一応参考までに、その楽曲映像↓) http://youtu.be/3gDT2Xk5-Oo さて、コニーの「キープ・グロウイング・ストロング」が録音されたのは、1970年。これも、プロデュース、コンダクト、アレンジがトム・ベル本人。シングルは、ベル・レコードからリリース。どのような経緯で当時はまだ無名だったトム・ベルがコニーの曲をプロデュースすることになったかはわからない。ひょっとすると、デルフォニックスの作品を出していたフィリー・グルーヴ・レコードを配給していたのが、ベル・レコードだったから、その線でトム・ベルに話が行ったのかもしれない。とりあえず、シングルを1枚作ろうということで出来たようだ。 サウンド的には、初期のデルフォニックスのサウンドに近い。ちょっと荒削りな音だが、ちゃんとストリングスも入っているところが、トム・ベルらしい。残念ながらこのヴァージョン「Keep Growing Strong / Tick-Tock」(Bell 922)はヒットしなかった。今では、このオリジナルのシングル盤にはオークションで300ドル以上ついたりするという。ちなみに、シングルB面の「ティック・トック」は、ミディアム調のフィリー風ダンス曲。これは、2011年5月29日(日)に山下達郎さんの『サンデイ・ソングブック』(東京FM系列全国ネット)で、オンエアされた。たぶん日本で唯一のオンエアだ。達郎さんはこのシングルをその頃入手したそうだ。シングルは1970年の9月から10月頃のリリースと思われる。(ちなみに、Bellのディスコグラフィーをあたると、Bell 910 パートリッジ・ファミリーの「I Think I Love You」が1970年10月、Bell 913 フィフス・ディメンションの「On The Beach」が1970年8月、Bell 938 ドーンの「ノックは3回(Knock Three Times)」が1970年11月のリリースで、若干の前後することもあるが、922はその間あたりのリリースと見られる) ■コニー・スティーヴンスの「キープ・グロウイング・ストロング」 … Continue reading

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◎ ウィリー・ナガサキ&フレンズ・ライヴ~ようこそ楽園へ

◎ ウィリー・ナガサキ&フレンズ・ライヴ~ようこそ楽園へ 【Sasaki Makoto/Willie Nagasaki Session】 楽園。 来週の「フィリー・ソウル大特集」の選曲作業に没頭していたが、120曲以上を選曲し、一段落。そこで、ちょっと息抜きに。ライヴって行かないと中毒症状が出てくるんですね。(笑) 以前ゴスペラーズの北山陽一さんに紹介されたラテン系ヴォーカルの佐々木誠さん。何度かライヴにお誘いいただいていたのだが、やっとタイミングがあって、深夜のアムリタへ。この日も、ラテン系好きなファンたちが集まっていた。 僕はラテン、サルサ系の音楽はまったく知識がないのだが、こういう場所で生演奏で楽しめるというのは実にいい。 ヴォーカル、パーカッションの佐々木さんを中心に、キーボード、ベース、さらに2人のパーカッションという基本5人編成。メンバー表を見ればわかるように、それぞれあちこちで活躍しているメンバー。今回は、ティンバレスのウィリー・ナガサキさんの元に集まった。ウィリーさんは、ニューヨークのティト・プエンテ直系のお弟子さんだそう。 ラテンといえば、パーカッション。これが、ラテン・グルーヴを生み出す。なんで、ただ物を叩くだけなのに、あんなに「ノリ」で出るんだろう。 「ようこそ楽園へ!」 まさにラテンの楽園。特にパーカッション3人がそれぞれプレイし、バトルするところなど、それだけで熱くなってくる。 昨年見た『ハヴァナ・ラカタン』の興奮を思い出した。 2010年08月11日(水) ハヴァナ・ラカタン~灼熱の音楽とダンスが爆発 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10613292309.html? 佐々木さんのブログ。マコト日記。 http://chekere.exblog.jp/ なんと2001年3月以来10年以上毎年キューバを訪れているそう。 来年も「トローバ国際音楽祭」から招待状が来て、キューバに行くそうだ。 その後、佐々木さんから詳細なセットリストをいただいたので、そのまま掲載いたします。彼のライヴなどは、上記ブログにて。 サル~~。 ■ ウィリー・ナガサキさん・ウェッブ http://bronx.cup.com/index.html ■ メンバー Willie Nagasaki;ウィリー ナガサキ (松岡直也グループ) timbales(ティンバレス) 渋谷 和利;しぶや かずとし (オルケスタ・デ・ラ・ルス) baby bass(ベイビー・ベース) 齋藤 崇也;さいとう たかや (オルケスタ・デ・ラ・ルス) Rhodes 伊波 … Continue reading

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○ フィリップ・ウー、ラルフ・ロール、マイケル・ディスタシオ、アキコ@メットポッド・セッション

○ フィリップ・ウー、ラルフ・ロール、マイケル・ディスタシオ、アキコ@メットポッド・セッション 【Philip Woo & Ralph Roll On Metpod】 メットポッド。 毎週DJカマサミ・コングさんが収録し、ポッドキャストにあげているMetpodの収録に現在久保田利伸ツアーで来日中のラルフ・ロールとフィリップ・ウーが登場。彼らが11月24日(木)に目黒ブルース・アレイで行う「ニューヨーク・オールスターズ」のライヴについて話した。 この日はほかに、ユニヴァーサル所属のシンガー、アキコさん、「ロック・チャレンジ」というイヴェントを行っているマイケル・J・ディスタシオさんがやってきた。 http://metropolis.co.jp/podcast/ 左・左から、フィリップ、ラルフ、マイケル、右・吉岡、カマサミ、アキコ まず、フィリップ、ラルフらのニューヨーク・オールスターズのライヴ告知。これは、現在久保田利伸ツアーでニューヨークからやってきているメンバーを中心にしたライヴ。これまでにも久保田ツアーの合間をぬって、ソウル・ミュージックを楽しむ会として行われてきた。今回はニューヨークからラルフ・ロール(シック・ナイル・ロジャーズのドラマーとしても有名)、シンガー、タイ・スティーヴンス、フェリシア・グラハム、フィリップ・ウーに加え、ジーノ、マサコハマと強力なラインアップで、スティーヴィー、ダニーなどの70年代ソウルを含めたブラック・ミュージックを奏でる。 (下記に前回のニューヨーク・オールスターズのライヴ評) +++++ レッスン。 また、ラルフ・ロールは現在来日中の空いた時間に、ドラム・クリニックを高輪のスタジオ・ベイドで行っている。ラルフは、ドラムの技術的なことはもちろんのこと、エモーショナルな部分、心構えといったものを教える、という。 フライヤー 開催時期:2011年9月~2012年2月 開催場所:東京都港区高輪台・スタジオ・ベイド 価格: 1時間8000円~ 予約・問い合わせ: Ralph.drumlesson@gmail.com +++++ クッキー。 ラルフは、ドラマーの顔ともうひとつ、ブラック・アントレプレナー(黒人起業家)としての顔を持つ。なんと、ファミリー代々のレシピーでクッキーを作ったところ友人たちの間で評判となり、会社にし、ショップで売り始め、そのショップが現在ではニューヨークで62店舗にもなった。1996年からビジネスを始めた。「ニューヨークではスーパー・ビジーなんだよ」とラルフは笑う。ネットで販売し、日本にも送ってくれるそう。 www.soulsnacksnyc.com +++++ アキコ。 アキコさんは、おなじみのジャズ・シンガー。2011年11月16日にビートルズの作品ばかりを録音したカヴァー・アルバムをリリースする。そのプロモーションでやってきた。(今回はメットポッドではなく、カマサミの別の番組用にインタヴューを収録) ACROSS THE UNIVERSE posted with amazlet at 11.11.10 akiko ability … Continue reading

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● ヘヴィーD、ジョー・フレイジャー、ノーマン・ダーラムら死去

● ヘヴィーD、ジョー・フレイジャー、ノーマン・ダーラムら死去 訃報。 ラッパー、俳優としても活躍していたヘヴィーDが、2011年11月8日、ロスアンジェルスのシーダス・サイナイ病院で肺炎のため急死した。ビヴァリーヒルズの自宅で息苦しくなり、午前11時半(日本時間9日午前4時半)頃救急車が呼ばれ病院に搬送されたが、まもなく死去が確認された。44歳。 ヘヴィーDは、本名ドワイト・アーリントン・マイヤーズ。1967年5月24日ジャマイカ生まれ。幼少の頃、家族でニューヨークのマウント・ヴァーノンに引越し、そこで育った。Gウィズ、Tロイ、エディーFらとともに、ヘヴィーD&ザ・ボーイズを結成。1986年に黒人起業家アンドレ・ハレルが設立したアップタウン・レコードと契約。同レーベルの成功とともに、彼らもビッグになった。1986年12月から「ミスター・ビッグ・スタッフ」(ジーン・ナイトのヒットのカヴァー)がヒット。さらに1987年、デビュー・アルバム『リヴィング・ラージ』(でっかく生きる。スケール大きく生きることと、彼自身の体が大きいことをかけている)がヒット。 さらに、1989年の2作目『ビッグ・タイム』はR&Bアルバムチャートで1位。しかし、その後1990年7月15日、インディアナポリスでボーイズのメンバー、Tロイが22歳で事故死。3作目『ピースフル・ジャーニー』をTロイへのトリビュート作品にした。同アルバムのトップを飾る「ナウ・ザット・ウィ・ファウンド・ラヴ」(オージェイズのヒットを「ニュー・ジャック・スウィング」のサウンドでカヴァー。リードはアーロン・ホール)ブラック・チャートで5位を記録、ゴールド・ディスクになり、大ブレイク。一足先に、同じMCAから登場したガイのテディー・ライリーが開発した「ニュー・ジャック・スウィング」で大ヒットさせ、メロディーのあるラップ作品を作り支持を集めた。 ラップ、ヒップ・ホップとメロディーのあるR&Bを融合することに成功、この流れは同じアップタウンでメアリーJブライジに受け継がれる。また、アップタウンからは、ショーン・パフィー・コムスが登場し、一大勢力となった。パフィーは、ヘヴィーDのおかげで音楽業界入りできたと語る。彼の口利きでアップタウン・レコードでインターンとして働き始めたのだ。 http://youtu.be/NNEgUPKxk7A ヘヴィーDはテレビ番組『イン・リヴィング・カラー』のテーマ曲を担当、出演したり、映画にも出るようになった。また巨漢ながらそのキャラクターが大変印象的で愛され、多くのアーティストからもプロモ・ビデオへのラップ出演が舞い込み、ジャネット・ジャクソンの「オールライト」、マイケル・ジャクソンの「ジャム」などに客演。 1996年、クインシー・ジョーンズに呼ばれ彼の最新作でブランディーとともにマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」をカヴァー。 2011年10月20日、BETヒップ・ホップ・アワードに登場、パフォーマンスは15年ぶりだったが、その後2011年10月8日、イギリス・カーディフで行われた「マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ」に出演、マイケルの姉ラトーヤと「ジャム」を歌った。 また、ヘヴィーDは約17万人のフォロワーがいる自身のツイートで2011年11月7日21時19分(現地時間)に「スモーキン・ジョー・フレイジャーRIP」とツイート。次のツイート(現地7日22時29分=日本時間11月8日15時29分)で、「BE INSPIRED!」と書いている。「元気をくれ!」「インスパイアーされなさい(元気を得なさい、刺激を受けなさい)」「息をさせてくれ」といった意味。これが最後のツイートとなったが、ある意味大変予言的なツイートになった。前夜から息苦しかったのだろうか。 ヘヴィーDのツイッター・アカウントは、@heavyd 。 ■ ヘヴィーD&ザ・ボーイズ Peaceful Journey posted with amazlet at 11.11.09 Heavy D & The Boyz Mca (1991-07-02) 売り上げランキング: 2262 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ News Sources http://moviesblog.mtv.com/2011/11/08/heavy-d-dead-movies/ http://www.seattlepi.com/entertainment/article/Heavy-D-dies-at-44-after-collapsing-outside-home-2258891.php … Continue reading

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☆マイケル・ジャクソン元・専属医に有罪の評決

☆マイケル・ジャクソン元・専属医に有罪の評決 【Michael Jackson’s Doctor Conrad Murray Convicted】 評決。 2009年6月に死去したマイケル・ジャクソンの元専属医コンラッド・マレー(58) が殺人などの罪に問われていた裁判で、2011年11月7日(月)、12人の陪審員は全員一致で有罪の評決を下した。これを元に、11月29日に量刑(有罪か無罪か、有罪の場合懲役年月、執行猶予など)が言い渡される。最大で4年の懲役になる可能性がある。また執行猶予の可能性もある。 6週間のおよぶ公判後、陪審員は9時間審議しこの結論に達した。罪は、involuntary manslaughter日本語の専門用語では「非故意故殺」、日本では一般的には「過失致死」にちかい。陪審員は男性7人、女性5人。12人のうち5人がラテン系で、ほかに1人スペイン生まれの人物がいるという。 +++++ すでに多くの報道がされているので、詳しくはそうした報道をごらんください。下記にいくつかリンクをつけた。 ■陪審員有罪評決・関連記事(すぐにリンクが切れる可能性がありますので、お早めにごらんください) マイケル・ジャクソンさん元専属医に有罪評決、遺族からも喜びのコメント 2011年11月8日 19時17分 http://www.cinematoday.jp/page/N0036815 故マイケル・ジャクソンさんの専属医師に有罪評決〔AFP=時事〕(2011/11/08-11:30) http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_cul&k=20111108027875a http://jen.jiji.com/jc/eng_afp?k=20111108027875a マイケルさん急死、元専属医に有罪評決(2011年11月8日11時22分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20111108-OYT1T00147.htm?from=main8 有罪評決のマイケル元専属医、刑務所過密で数カ月後釈放も 2011年 11月 8日 17:36 JST http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-24046220111108 マイケルさん元専属医に過失致死で有罪評決 ファンらが歓声 2011.11.08 Tue posted at: 09:25 JST http://www.cnn.co.jp/showbiz/30004505.html … Continue reading

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●吉川茂昭さん(元エピック・ソニー、マイケル・ジャクソン担当)を偲ぶ会

●吉川茂昭さん(元エピック・ソニー、マイケル・ジャクソン担当)を偲ぶ会 【A Tribute To Mr. Yoshikawa Shigeaki】 偲ぶ。 しばらく前に、元CBSソニーの野中さんのブログで死去を知った吉川茂昭さんを偲ぶ会が、2011年11月6日(日曜)青山のイヴェントスペース、モーダポリティカで行われた。 吉川さんは、2011年8月末に釣りに行ったところで事故死したという。詳しい状況はよくわからないそうだ。60歳だった。 吉川さんは、1951年(昭和26年)4月23日生まれ。CBSソニー、エピック・ソニー、ソニー・コンピューターを経て、VR1、プラスなどの会社を渡り歩いた。エピック時代には、マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』、ジャクソンズの『ヴィクトリー』などのほかに、ノーランズ、ジョージ・デューク、ルーサー・ヴァンドロスなどを担当。その後、ソネットではポストペットを世に送り出す力となった。 僕と吉川さんは、1979年に『オフ・ザ・ウォール』のときに知り合った。あのときは、一度夏に出た『オフ・ザ・ウォール』を半年か一年後かに、再度プロモーションするという異例の宣伝を行い、結局、ディスコだけでなく、洋楽シーンでヒット。さらにその流れでジャクソンズの『トライアンフ』へつなげ、『スリラー』の下地を作った。 偲ぶ会、「オフ・ザ・ウォール」を模した吉川さんの写真 僕が1983年8月5日にマイケル・ジャクソンのエンシノの自宅に行けたのも、吉川さんのおかげだ。吉川さんに、ジャクソンズのインタヴューをしたいと申し出たら、快くアレンジしてくれた。結局、ジャッキー・ジャクソンとのインタヴューが取れることになり、行ってみたら、そこがマイケルの自宅だったという話は何度もした。これには僕自身がものすごく驚いたが、帰国して写真を持って吉川さんのところに報告に行くと、彼も事の外驚き、大喜びしてくれた。すでにマイケルがメディアとインタヴューをしなくなっていた時期だけに、貴重な接点となり、あちこちの雑誌や媒体を紹介してくれ、その話をたくさん書いた。 それらが結局『ヴィクトリー』の下地になり、僕は詳細な『ヴィクトリー』のアルバム・ライナーを書き、それを後に西寺郷太くんが読んで、マイケル道に走ることになるのだから、世の中すべてつながっている。 そして、1984年7月の『ヴィクトリー・ツアー』もカンサスで見せていただいた。そのライヴがあまりに衝撃的だったので、同年12月にロスアンジェルスでもう一度見ることにして、そのとき、高校からの同級生で盟友、大のソウル好きハセヤン(長谷川康之トレイン社長)を誘った。これはきっと彼も感激するだろうと思ったからだ。そうしたら感激どこから、彼はいまだに自分が何百本と見たライヴの中で生涯最高のライヴが、『ヴィクトリー・ツアー』のライヴだと、言ってくれている。 吉川さんからは、ルーサー・ヴァンドロスのライナーノーツも頼まれ、『ヴィクトリー』級の詳細なライナーを書いた。これは後に松尾潔さんが、ぼろぼろになるまで何度も読んだそうで、彼はルーサー好きが転じて、自身の制作会社の名前に「ネヴァー・トゥ・マッチ・プロダクション」と名付けている。まあ、そういう意味でいけば、これも間接的には吉川さんのおかげだ。   マイケル・ジャクソン来日時。フランク・ディレオの顔も。吉川さんは、一番左の後ろ。ノーランズに囲まれる吉川氏(中央) レコード業界を離れてからは、さすがに接点がなくなったが、その後どこかでばったり会ったり、風の噂で「ポストペット」をやって大成功した、と聞いた。また、たまたま僕の友人が勤めていた会社に吉川さんが入り、その友人から突然電話が来て、「ちょっとおもしろい人物に代わるから」と電話が渡され、出てきたのが吉川さんで、びっくりしたこともあった。 最後に話をしたのは、マイケル死去のニュースが流れた2009年6月26日のこと。吉川さんから電話がかかってきて、しばし、マイケル話をした。 この偲ぶ会にはあまりレコード音楽関係の人はいなくて、エピック・ソニー時代の方々が数名いらしていただけ。ただ、その人たちには久々にお会いできてよかった。各業界のみなさんのあいさつの中で、「彼は朝会社に来ない。相当自由にやりたい放題やっている。でも、売り上げがあがるから、みんな文句を言えない」といったことが異口同音に語られ、どこでも相当自由にやられていたんだなと思った。 音楽業界には破天荒な名物ディレクターが1970年代には多くいたものだが、吉川さんはそんな最後のディレクターだったのではないか、と当時の上司だった野中さんはおっしゃっていた。野中さんは、「(上司だから)勤務評定っていうのをするんだけど、日常の勤務態度というところは最低なんだけど、その他の売り上げとか、いろんな項目でみんないいから、結局トータルでいいってことになるんだよね。会社としては、貴重な存在だった」と苦笑していた。 僕も知り合った当初、黒のタキシードにネクタイという『オフ・ザ・ウォール』のマイケル姿でプロモーションしていて、度肝を抜かれたことを思い出す。なにより、アイデアマンで、行動力があったから、あそこまでの実績を残したのだろう。そういえば、シャーデーを最初に担当し、全米でブレイクする前に、来日させインクスティックかどこかでショーケースっぽいライヴをやったのも吉川さんだった。それと、ノーランズ、キャンディー・ポップ、ワムも。洋楽ディレクターとしては大変な実績だ。 偲ぶ会の最後に、吉川さんが月刊「ポストペット」に1998年6月から2001年2月まで掲載した自身のキャリアを振り返る「私の楽歴書」という連載記事が小冊子にまとめられ、参加者におみやげとして配られた。これがなかなかおもしろい読み物だ。最近ウェッブにアップされたので、誰でも読める。エピック・ソニー時代の話が、いろいろと知っているだけにとてもおもしろい。 http://gakurekisho.blogspot.com/2011/11/1.html マイケルのくだり、ジョージ・デューク、スタンリー・クラーク、シャーデーとの話など洋楽ファンとしてはたまらない。彼がビル・ウィザースに面会していたとは知らなかった。 ご冥福をお祈りしたい。 OBITUARY>Yoshikawa, Shigeaki (April 23, 1951 – August, 2011, 60 year old)

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◎ ケイリブ・ジェームスのロック・バンド、フェイト・ライヴ

◎ ケイリブ・ジェームスのロック・バンド、フェイト・ライヴ 【Kaleb James’s Phate Live Report】 多彩。 われらがソウル・サーチャーズのケイリブ・ジェームスは実に多彩な男だ。「ソウル・サーチン」のホストバンド、ソウル・サーチャーズを率いるときは、実にそのアーティストを研究し、さまざまなアレンジで独特のアプローチを見せる。それはソウルであれ、ジャズであれ、フュージョンであれ、R&Bであれ、同じだ。日本人シンガーのバックをやるときは、そのアーティストの楽曲を研究する。 彼の自身のバンドでのリハーサルは、ノンストップ。ほとんど歌詞は覚えていて、曲の構成、進行、アレンジなども覚えている。その場でちょっとしたアイデアを思いつき、変更をしても、バンドメンバーはそれについていくために、メモをするが、ケイリブはほとんどメモをしない。抜群の記憶力があるのか、天才なのかもしれない。 そんな彼がロックをやるバンドがフェイト。その久々のライヴ。これもケイリブとギターのディッキーが中心となったユニットだが、彼らのもうひとつのグループ、ニューヨーク・ミニットはファンク、ソウル、R&Bばかりをやるユニットで、このフェイトはロックをやるバンドと色分けがされている。 セットリストの曲名の後ろにオリジナル・アーティストの名前をいれたが、これらのロック・グループの名前を見ると、このフェイトが目指すところがおぼろげにわかるだろう。 僕が気に入ったのは、クラプトンの「リヴァー・オブ・ティアーズ」で、これはアル・グリーンの「ゴッド・ブレス・アワ・ラヴ」的な南部ソウルの味わいがあるバラードだった。おそらく、クラプトンが南部ソウルをやろうと思ってやった曲なのだろう。同じくクラプトン曲で、サユリーを迎えて歌った「ワンダフル・トゥナイト」も印象に残った。ニルヴァーナは大胆なアレンジだ。 ちょうど、ケイリブに関する記事が載ったのでご紹介。 Musician Kaleb James makes it happen By Chris Betros Japan Today Web Site: ARTS & CULTURE NOV. 04, 2011 – 11:36PM JST http://www.japantoday.com/category/arts-culture/view/musician-kaleb-james-makes-it-happen カマサミ・コングさん主催の『メットポッド』の映画コメンテイターとしておなじみのクリス・ビートロスさんがインタヴューして記事にまとめたもの。 ケイリブ・ジェームスのホームページ http://www.kalebjames.com/ … Continue reading

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◎サユリー、渋谷の老舗ライヴハウス「クロコダイル」でケイリブのオープニングを飾る

◎サユリー、渋谷の老舗ライヴハウス「クロコダイル」でケイリブのオープニングを飾る 継続。 2011年11月2日、渋谷のクロコダイルで、ケイリブ・ジェームスのロック・バンド、フェイトのライヴがあったが、急遽、その前座にサユリーが参加することになった。フェイトを見ることになっていたので、ラッキーにもサユリーのライヴを見ることができた。 オープニングのサユリーは、ソウル・サーチンでも歌ってくれたが、元々一人か二人でライヴができるシンガー、ソングライター。2008年11月にケイリブがマルターノでライヴをやったときに紹介された。それから早くも丸3年。 全曲、ネイティヴ英語に日本語をまぜたオリジナルを聞かせるが、曲もしっかりしており、なによりパフォーマンスが堂々としてきた感があり、以前よりもぐっと安定してきた。フォーク・ロック系でソウル系ではないが、日本のローラ・ニーロやジョニ・ミッチェル、キャロル・キング、ダイアン・バーチ路線をいける感じがする。ノラ・ジョーンズとはちょっと違う感じ。ダイアン・バーチかな。 彼女の声は、意外と太くしっかりしている。ずっと歌い続けてきて、声が強くなったのだろうか。最近では、いろいろなシンガーのバックコーラスもやっていて、日本に来て3年半ですっかり日本の音楽業界になじんでいるようだ。 サユリーは、今、2011年7月の末から、毎日ユーチューブに何かを歌ってアップするのを365日続けようということにチャレンジしている。11月4日にちょうど100日になった。ギター片手、あるいはキーボード弾き語りでオリジナルやカヴァーを歌って、編集し、ユーチューブにアップしている。この連続してやるところ、毎日こつこつやって継続しているところがすごい。すべて自分で歌と演奏やって、編集までやり、アップするんだから、これはすごいわ。このチャレンジはマルターノの大西さんのフェースブックで知って、さっそく見てみたが、大西さんも、「ビデオ、毎日はほんと大変ですよ。100日も続けてるというのはやはりすごい」と高く評価していた。ちなみにこの「ソウル・サーチン」ブログも、2002年10月6日から、エントリーの長短はあれ一日も欠かしていないので、よく続いてるとは思うが、文字とビデオだと時間のかかり方が相当違う。(笑) 継続は力なり。 21st Centuryの壁をバックに歌うサユリー ちなみに、このライヴ・ハウス、クロコダイルのステージ・バックの壁に描かれている絵に「21st Century」と描かれているのだが、これは映画会社「20th Century」をもじったもの。前から、21世紀だっただろうか、ひょっとして2001年に書き直したのかとふと疑問に思い、オーナーに尋ねたら、「ここは1976年にオープンしたんですが、そのときから、21世紀って描いてありました。あのときは、(店が)そんなに続くとは思ってなかったんですよ(笑)」と教えてくれた。76年開店、ということは今年で35年だ。ライヴ・ハウス一筋で35年。継続は力なり。 このクロコダイルは地下一階にあるが、階段を下りると煙草の煙がしみついたような独特のにおいがする。それこそ、35年間分のミュージシャンたちの地と汗と涙と煙草の煙が凝縮されている。 (ケイリブのフェイトのライヴ評は明日) ■ サユリー、ブログ http://ameblo.jp/sayulee/ ■ サユリー・ユーチューブ、100日目(サユリー・チャンネル) http://www.youtube.com/user/SayuleeMusic 100日目 http://www.youtube.com/watch?v=r9ZSvFcpFfY ■ 過去記事、サユリー初登場のときのケイリブとのギグ 2008年11月04日(火) ケイリブ・ジェームス&フレンズ・ライヴ・アット・マルターノ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20081104.html このとき、サユリーはケイリブとボニー・レイットの「ユー」を一緒に歌い、ほかにオリジナル曲を披露していた。 ■サユリー・メンバー サユリー(ヴォーカル、ギター) ユウシ・オオツカ(カホーン) ■セットリスト サユリー、クロコダイル渋谷 Setlist: Sayulee, November 2, 2011/11/05 show started 19:31 … Continue reading

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■ ハル・ジャクソン(WBLSの伝説のDJ)96歳の誕生日

■ ハル・ジャクソン(WBLSの伝説のDJ)96歳の誕生日 【Legendary DJ, Hal Jackson Turns 96】 伝説。 ニューヨークの人気ブラック・ステーション、WBLS(107.5mhz)のDJハル・ジャクソンが2011年11月3日で、96歳になった。ハル・ジャクソンは長くラジオ業界で活躍、現在でもWBLSの日曜の人気番組「サンデイ・クラシック」のDJの一人としてオンエアを続けている。「サンデイ・クラシック」は、ソウル、R&B、若干のジャズ/フュージョンをまぜた過去のヒット曲をかける番組。日曜の午後だけに、あまりうるさい曲はかからず、静か目の作品が中心。ただ、夜の時間帯の「クワイエット・ストーム」ほど、バラード中心ではない。ここで、メインDJのデビー・ディーとクレイ・ベリーの合間に、ときどき声を出す。デビー・ディーは、ハルの23年におよぶ妻。 彼はラジオ業界のさまざまな賞などを獲得しているが、ハルに対して表彰などを贈った大統領は、ハリー・トルーマンから、アイゼンハワー、ジョン・F・ケネディーなどがいる。まさにその歴史の長さを感じさせる。 また、1995年に、黒人(有色人種)として初めて、National Association of Broadcasters Hall of Fame を受賞した。同年、ラジオ・ホール・オブ・フェーム(ラジオ殿堂)入りを果たしている。 さらに、マーティン・ルーサー・キングの誕生日を国の休日にしようという運動を始めたのもハル・ジャクソンで、これに呼応し、スティーヴィー・ワンダーが「ハッピー・バースデイ」を作り、その運動をサポートした。当初、ハル・ジャクソンの呼びかけで600万人以上の署名が集まったという。 ハル・ジャクソンは1915年(大正4年)11月3日サウス・キャロライナ州チャールストン生まれ。十代の頃は同地で靴磨きをしていた。ワシントンDCのハワード大学に進学。その後初の黒人スポーツ・ラジオ・アナウンサーになり、当時はまだメジャーではなかった黒人の「ニグロ・リーグ野球」の実況中継をしていた。1939年からワシントンDCのWINXでインタヴュー番組を開始。この年をラジオ業界デビューの年としているようだ。1954年(38~39歳)にニューヨークに移住。1971年、当時のWLIB局を買収、これがのちにWBLSとなり、このメインDJとなった。72年間にわたって活躍を続けている。若い時期には、ニューヨークの別の3局で毎日違う時間帯に帯番組を持つほどの売れっ子だった。まさに、伝説のDJである。 +++++ エアチェック。 ハル・ジャクソンといえば、WBLSの「サンデイ・クラシック」。かつて、ニューヨークに住む友人が何本ものカセット、CDRを送ってくれ、本当によく聞いていた。このプログラムが本当によくてねえ。お気に入りだった。最近は、もうリアル・タイムでインターネットで聴けるので、CDを送ってもらう必要もない。今は、日曜午後3時から6時までの3時間の生放送。ただ時差の関係で、ニューヨーク日曜午後3時は、日本時間月曜朝5時だ。さすがになかなか聴けない。ちなみに、この「サンデイ・クラシック」は以前は朝8時から夕方4時まで8時間の生放送だった。夏時間であれば、日本でも夜9時から、これが聴けた。 かなり年なのだろうとは思っていたが、まさか、今年で96歳とは思わなかった。すごい。たまたまフェイスブックでニューヨークの友人、ケヴィンがハルに誕生日メッセージを送っていたので、知った。ハルのキャリアの歴史で、一時期、毎日3局で3本の生放送というのは、みのもんたもびっくりである。 でも、96歳で23年以上の妻って書いたが、じゃあ、73歳くらいで結婚したのか? いや、これもあらためてびっくりである。 少なくとも100歳まではがんばって欲しい。 RADIO DJ>Jackson, Hal

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◎ マイケル・ジャクソン・トリビュート・ダンス・オーディション~武道館に宿るマイケルのレガシー

◎ マイケル・ジャクソン・トリビュート・ダンス・オーディション~武道館に宿るマイケルのレガシー 【Michael Jackson Dance Audition】 熱気。 マイケル・ジャクソンが遺したもの。マイケルのレガシーがこの日、この武道館にあった。 2011年12月13日、14日、国立代々木体育館で行われる『マイケル・ジャクソン・トリビュート・イヴェント』のステージでマイケル楽曲を踊るダンサーたちの公開オーディションの東京の部が11月2日(水)、東京・武道館で行われた。 ケント・モリがオーディションをしてダンサーを選び、リハーサルをつけ、本番のステージで踊ることになる。 普段、武道館はコンサートでしか来たことがない。アリーナの床が普通の木のフローリングでとても斬新だった。そして、360度座席が見えて、全体照明も明るい。しかし、天井中央から吊るされている日の丸はいつもと変わらない。ふだんは暗くなっているのと、アリーナの床はビニール・シートなどが敷かれているので、相当イメージが違う。 この日は、キッズの部と大人の部で分けられ、総勢700名近くが来場。16時からは、一般公開され、広い武道館のアリーナ部分で何百人が同時に踊ったりした。3次審査まで行い、最後にファイナルとセミ・ファイナルが選ばれた。 オーディションというのは、皆が競いあう場所ではあるが、そこに来る人々は全員がみな大きな目的を持っていて、そのエネルギーの集合体というものは、やはりすごいものがあった。 ケント・モリは、最後のあいさつで、「実は僕はオーディションというのが嫌いなんですが、どうしても選ばなければならないので選びます。オーディションというのは、誰にでも公平にチャンスが与えられるものです。でも、入らなかったからといっても、全然気にしないで、またチャンスがあるから、またやってください」といった趣旨を述べた。 ビートルズからマイケルまで。日の丸はすべてを見てきた それにしても、日本で行われるオーディションでこれだけの「熱」が感じられるのだから、マイケル本人と踊る『ディス・イズ・イット』ツアーのオーディションの「熱」は、もっとすごかったのだろうと感じた。 そして、誰もがひとつのことに向かってイメージを共有し、突き進んでいく姿というのは、洋の東西を問わず、これは感動できるものだ。そして、これだけの数の人が同時に同じダンスをするという絵は圧巻だ。 この日は東京だったが、大阪でも11月6日(日)約400人をあつめてオーディションが行われる。 キッズでは、ファイナルに約30人弱、セミ・ファイナルに40人弱が選ばれ、大人部門では4人がファイナル、数人がセミ・ファイナルとして選ばれた。大阪でも何人かが選ばれ、そのメンバーから最終的にステージに上がるダンサーが決まる。 ちょっと不思議だったのは、大人のファイナルが選ばれた瞬間、選ばれたダンサーは手を上げるなり、喜びの歓声をあげるのかなと思ったら、誰もそうしなかった。アメリカだったら、そこで狂喜乱舞で大喜びするのだが。ひょっとして、ケント・モリの番号の呼び出しが聴こえなかったのか、早口だったせいで、歓声をあげるヒマがなかったのか。選抜された番号の読み上げはもう少しゆっくり、はっきり発音するといいと思う。ちょっと早口で、次々と番号が呼ばれてしまったので、その数字を追うので大変だった。 キッズの発表で、番号が次々呼ばれると、僕の後ろの方で、おかあさんたちが、「やった、やった」と歓喜の声をあげていたのが印象的だった。 これらのファイナリストから11月7日(月)以降に、最終合格者が決まり、合格者に連絡が行く。 マイケル死して2年余。まちがいなく、マイケルがいたからこそ、こんな大規模なオーディションが行われる。これは、まさにマイケルのレガシー(遺産)だ。 ■ 関連記事 2011年10月30日(日) マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ、追加出演日本人アーティスト第一弾発表~ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11062495012.html 2011年10月11日(火) マイケル・ジャクソン・トリビュート・イヴェント記者会見 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11043624106.html 2011年09月27日(火) マイケル・ジャクソン・トリビュート・ライヴ12月に大々的に開催 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110927.html 2010年11月30日(火) (速報)☆ジャクソンズ再結成コンサート2011年秋、東京で開催 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101130.html 今回のライヴに関する第一報。 ■ 公演概要 【公 … Continue reading

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◎ グリニス・マーティン・ライヴ、豪華に

◎ グリニス・マーティン・ライヴ、豪華に 【Glynis Martin Live】 久々。 日本在住のソウル・シンガー、グリニス・マーティンの久々のソロ・ライヴが2011年10月29日土曜、目黒のブルース・アレイで行われた。ドラムス、ギター、ベースに2人のキーボードという編成で、なんとステージ中央からせり出し舞台を作り、前にでてきて歌ったりした。この日は記録用に3台のビデオカメラが入って収録。グリニスは、2007年10月、メトロ・銀座駅で行われた「フィリー・ソウル・サーチャーズ」のライヴでも歌ってくれた。 コーラスの音が入っていたのだが、ペニーKさんに聞いたところ、最初はコーラスを3人か4人いれたいと言っていたが、予算の関係でむずかしくなり、グリニスがペニーさん宅に来て、すべてのコーラスを重ね録音していった、という。それを現場で出したので、ハーモニーは相当きれいになっていたはず、とのこと。ガクシ、ペニーK、ジェイ、マサコハマ、滝元さんらのバンドもきっちり、しっかり。ガクシもペニーKも最近はキーボードを客席に見せるよう斜めに置いていて、これがかっこいい。 そのほか、ダンサー(4人)や、三味線(スティーヴィーの「オール・アイ・ドゥー」)なども入るにぎやかで豪華なセットになった。 オープニングは、バンドがイントロを演奏する間、大きな毛皮のコートを羽織り、ステッキを持ち、サングラスをかけて、ステージにゆっくり登場。ロナルド・アイズレイばりのクール・ガイだ。この様がかっこよく決まるシンガーはなかなかいない。 グリニスは、やはりいい雰囲気のシンガーで、ベイビーフェイスやエリック・ベネイ、ジョーなどの楽曲が実によく似合う。ニーヨ、ミント・コンディションの作品などが生で聴けるというのは嬉しいところ。そして、エリック・ベネイの「スペンド・マイ・ライフ」では、アージー・パインとのデュエットを見事に聴かせた。いつもながらに息はぴったりだ。 ○ 過去関連記事 2004/11/19 (Fri) Night I Saw Donny Hathaway At Yotsuya http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041119.html August 09, 2005 5 Request Songs Were Too Much? http://blog.soulsearchin.com/archives/000439.html March 31, 2006 Philip, Hank, Glynis Trio Live … Continue reading

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○■ 「ビッグ・スペシャル」で4日間フィリー・ソウル特集~11月14日から

○■ 「ビッグ・スペシャル」で4日間フィリー・ソウル特集~11月14日から 【Big Special: Features The Sound Of Philadelphia】 大特集。 しばらく前に「モータウン大特集」をお送りした東京FM系列・JFNネットで毎日深夜放送している「ビッグ・スペシャル」(毎週月曜~木曜深夜25時から28時まで)の11月3週目の枠で、「フィラデルフィア・サウンド大特集」を担当することになった。 11月14日(月)深夜25時(正確には15日午前1時)から17日(木)深夜まで4夜連続。月から水の3日分は選曲・構成で参加し、木曜日にゲストで生出演する。 今回はこの「ソウル・サーチン・ブログ」と連動して、毎日午前0時01分に更新される当日のブログに、その日の選曲に応じたフィラデルフィア・サウンド・ストーリー的なエントリーを書き、アップする予定だ。初めての試みなのでどういう形になるかまだ分からないが、できるだけ番組で連動するようにがんばってみたい。番組を聴く上でのメモ代わり、テキスト的なものになればいいと思っている。 現在のところ大まかで決まっているのが次のような形だ。 第一日(2011年11月14日・月曜)深夜25時~ フィラデルフィア・サウンドとは。その誕生と背景。 ヒット・プロデューサー、トム・ベルを中心に。トム・ベル・ストーリー。 トム・ベルとその作詞パートナー、リンダ・クリードが作り出す独特のブラックな世界。 第二日(11月15日・火曜)深夜25時~ ケニー・ギャンブル&リオン・ハフ・ストーリー。 彼らが作り出したフィラデルフィア・インターナショナル・レコードについて。シグマ・サウンド・スタジオについて。 ギャンブル&ハフの輩下から登場した新世代のミュージシャン、アレンジャー、プロデューサー、ソングライターたち。 第三日(11月16日・水)深夜25時~ ベイカー・ハリス・ヤングが設立したゴールド・マイン・レーベルを中心に。ボビー・マーティン、ベイカー・ハリス・ヤング、ボビー・イーライなどのプロデュース作品。そのほか、フィリーのインディ・レーベル作品など。 第4日(11月17日・木)深夜25時~ フィラデルフィア・サウンド・ストーリー。その誕生、歴史総括。1970年代、フィラデルフィア・サウンドの拡散。その特徴、アーティストたち秘話。楽曲誕生秘話など。吉岡正晴・生出演。 +++++ 『ビッグ・スペシャル~フィラデルフィア・サウンド特集』(東京FM・JFN系列全国ネット)。 2011年11月15日(火)~11月18日(金)午前1時~4時生放送(11月14日深夜から17日深夜まで) 関東地区は、関東のラジコで。その他の地区は各地区のラジコでも聞けます。 関東用のラジコ↓ http://radiko.jp/player/player.html#FMT この『ビッグ・スペシャル』は、毎週火曜から金曜まで午前1時から午前4時まで生放送しているもので、約30以上の局でネットされる。(番組ホームページでは35局のネット局名が出ている) http://www.fmsounds.co.jp/production/program_detail.php?b=1&p=62&PHPSESSID=vvnqkbcm 毎日生放送ですので、リスナーからのメール、ツイッターでのメッセージなども受け付けています。 ハッシュ・タグは、次のようなものがあります。 東京FM #tfm ビッグ・スペシャル #bigsp  ■ラヴ・トレイン~ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィア(輸入盤) Love Train: … Continue reading

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◎カーキ・キング・ライヴ

◎カーキ・キング・ライヴ 【Petit Kaki King’s Unique Performance】 プティト。 熱心なギター・マニアが集まった感じのライヴ。カーキ・キングはアーティストとしては今回で4回目の来日というカーキのコットン・クラブでのライヴ。 (ちなみに2005年、2008年は確認できたが、もう一度が不明。ご存知の方いたら教えてください)僕は2005年に横浜で見て以来なので、6年ぶりの観戦となった。前回はブルーノートで2008年5月。 ショートヘアでボーイッシュ。ほぼ1曲ごとにギターを変え、ステージには4本ほどギターが並び、今回は8本くらい持ってきているという。 「日本のサイズが気に入っているの。私は、ごらんのように小柄(プティト)でしょ。だから、日本のサイズがとってもいいの」 「この前、秋葉原に行って、メイドカフェに行ったの。あそこは何なの? (笑) 別に彼女たちと何をするわけでもなく、ただ話をするのかしら。そして、あのコスチューム。なんのために行くのかしら。でもかわいいからおもしろいけど。(笑)」 「まだ2-3日いるので、東京のどこに行ったらいいか、教えて欲しい」 一台のギターを自由自在にプレイし、まさに10本の指と、2本の足、体全体を使って、音を出す。 彼女のギターを聴いていて、前日に見たトゥー・チェロズと共演させてもおもしろいな、と思った。 曲がすべてインストのため、曲名がまったくわからなかったので、カーキについているギター・テックのアンナにセットリストを尋ねたら、親切に教えてくれた。ちなみに彼女は初来日とのこと。前回のブルーノートなどは来ていない、という。この2-3年、カーキについているとのこと。彼女も小柄だ。 ■ 前回ライヴ評 2005/03/26 (Sat) Kaki “Oyster” King; So Charming Lady Said Welcome To My Room 牡蠣王。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200503/diary20050326.html ■ アンコール曲「アウヴァティー」収録 Until We Felt Red posted … Continue reading

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