Monthly Archives: July 2011

◎ソウル・パワー・サミット2011~セットリスト完全版~最終日はオリト・トリビュート

◎ソウル・パワー・サミット2011~セットリスト~最終日はオリト・トリビュート 【Soul Power Summit 2011】 終了。 今年で6回目となった「ソウル・パワー・サミット」が28日、無事終了した。今年は、大阪公演が復活。最終日は大阪ということもあり、今は亡き日本人ソウル・シンガー、オリトへのトリビュートが歌われた。ゴスペラーズの村上を中心にジェイ公山、中澤信栄、ぺぺ、メメなどが参加、アルバム『ORITO TRIBUTE』を制作、7月にリリースされた。そこで、この日は大阪でのライヴということで、オリトのもち歌「感謝の歌」がジェイ公山らも参加して歌われ、感動を巻き起こした。 今回「ソウル・パワー」にブラザー・コーンのメンバーとして参加した、コーラスのぺぺ、メメが、この『オリト・トリビュート』に参加していることから、この「感謝の歌」でもステージにあがった。 「ソウル・パワー2011」東京2回、大阪2回のセットリストは、次の通り。 ■ オリト・トリビュート ORITO TRIBUTE ~また、君に感謝しなくちゃね。~ posted with amazlet at 11.07.30 V.A. (ORITO、村上てつや、CHAKA、中澤信栄、JAYE公山ほか) ウ゛ィウ゛ィト゛・サウント゛ (2011-07-13) 売り上げランキング: 5221 Amazon.co.jp で詳細を見る ■オリト過去関連記事 2011年04月07日(木) オリト・トリビュート・ライヴ~オリトのもとに一致団結 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10853821715.html 2008年02月27日(水) オリト死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080227.html 2008年07月16日(水) オリト・トリビュート・ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080716.html March 13, … Continue reading

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◎ サム・ムーア (パート2)~観客をも取り込む名人芸

◎ サム・ムーア (パート2)~観客をも取り込む名人芸 【Virtuoso Of Soul: Sam Moore】 手練手管。 ギター、ドラムス、ベース、キーボード、コーラス4人、ホーン4人という12人編成バンド。インストゥルメンタルに続いてアレサの「ロック・ステディー」で観客を十分に暖めてから、サム・ムーア御大の登場だ。 ブルーノート・セカンドも超満員。カウンター前に補助席も出ている。この日、僕は「スタックス」のTシャツを着て、会場にやってきた。ステージに向かう通路で僕を見つけたサムは、そのTシャツをまじまじと眺めて、にやっとした。サムもTシャツにジャケットだ。 それにしても、「ホールド・オン、アイム・カミング」のホーンのリフや、「ソウル・マン」のギター・リフは、本当にそれが聞こえてきた瞬間から、上がる。そして、これらの作品はもう40年以上も前にこの世に生まれた楽曲だ。ソウル・クラシックと呼ぶにふさわしい。そういうソウル・クラシックを何曲も持ち、何十年後も海外でさえもライヴが出来るというのは、実に素晴らしい。 サムは1935年(昭和10年)10月12日生まれの現在75歳。イノシシ年。現役バリバリだ。声の張りもつやも遜色ない。サム&デイヴとしてのヒットや、昔の60年代のソウル・ヒットを次々と矢次早に歌う。 この日は、トウキョウ・レディー・ソウル・ナンバー・ワンことブレンダ・ヴォーンがコーラスの一角に参加。レイ・チャールズの「ナイト・タイム…」などで、サムとのかけあいを見せた。 ライヴ・ステージに生きるサム・ムーア。そのすごさを垣間見たのが、「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」のところ。ギター、ベースのイントロが続き、その間、フリートークが入るが、それが長くなれば、バンドは延々とそのイントロを繰り返す。観客とおもしろいやりとりがあれば、サムはいくらでも観客をいじる。そして、気が向くと、いきなり I can’t stand the rain と歌に入るのだ。その歌声が入った瞬間から、バンドがフォローして曲の中にはいっていく。サムはどこでも、いつでも、曲に入れる。あのあたりは、ライヴ百戦錬磨(ひゃくせんれんま)のヴェテランならではの手練手管(てれんてくだ)だ。 この日セカンドでは、「ホエン・サムシングス・イズ・ロング…」が歌われ、「ユー・アー・ソー・ビューティフル」はファースト最後だけ。セカンドの最後は、ジャッキー・ウィルソンの「ハイアー&ハイアー」。イントロはコーラス隊のアカペラから入るというなかなかのアレンジだった。このイントロ・アカペラのアイデアは、サムのアイデアだという。 27日は、翌日28日がコーラスの一人、キャラウェイが誕生日ということで、サプライズでバースデイ・ケーキが途中でプレゼントされ、キャラウェイは感激。 「ファンキー・ブロードウェイ」「アイ・サンキュー」(観客に「アイ・サンキュー」と歌わせる)「ソウル・マン」の流れるような流れは、もう鉄板、完璧だ。サムは、実に役者。歌、パフォーマンス、語り、すべてがソウルの名人芸を体言している。こういうものは、これからなかなか見られないから、本当に貴重だ。 ■ メンバー Sam Moore(vo), Ivan Bodley(b), Omar Martinez(ds,per,vo) James Dower(key), Mark Newman(g,vo), Callaway(vo), Naomi Margolin(vo), Tabitha Fair(vo) Brenda Vaughn … Continue reading

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◎ サム・ムーア~半年で再来日~夏フェス2本に登場(パート1)

◎ サム・ムーア~半年で再来日~夏フェス2本に登場 (パート1) 【One & Only Sam Moore】 野外フェス。 「ワン&オンリー・ソウルマン、サム・ムーア!」 マネジャーであり、奥さんであるジョイスさんが、サム・ムーアを紹介する。まさにその通り、1935年10月生まれの現在75歳。好々爺(こうこうや)とは、実にこのサムのためにあるような言葉ではないか。コットンはワンショーということもあってか超満員。 2006年11月に24年ぶりに来日してからは、ほぼ毎年のようにやってきているソウルマン、サム・ムーアが、前回2010年12月からおよそ半年しかあけずに再来日。今回は北海道・岩見沢での「ジョイン・アライヴ」(7月24日)と「フジロック」(7月29日)という二つの野外フェスへの出演がメインで、その合間を縫って、コットンクラブとブルーノートでのライヴが行われた。フジロックは7月29日金曜・オレンジ・コートで19時半から90分。北海道は50分程度。今回のコットンは84分ほどだった。(ブルーノートは今回は一日2ショーなので、1ショーは70~80分弱) 半年前との違いは、ドラマーが変わったことだが、とはいえ、その新ドラマーは前回パーカッションで来ていた人物ですっかりおなじみ。コーラスは全員同じ。バンドのタイトさは以前にも増して強力だ。たぶん、このメンバーでも何度もやってきているからだろう。 サムのエンタテイナーとしてのステージ・マナー、そして歌声は、実に素晴らしい。何度見ても、こういう徹底したライヴは楽しめる。いいものは何度見てもいい。それに尽きる。それにしても、声の張りの良さ、よく声がでている。実に気持ちいい。 いくつか前回ライヴでプレイされなかった曲があった。ライヴ後、音楽ディレクターのアイヴァン・ボドリーに少し話をきいた。 「下記セットリストの9-10-13あたりは、あまりやってない。レイ・チャールズの曲は自分がこのバンドに入ってからも、ほとんど初めて。 13は、元々サム&デイヴが録音していて、それを後にエルヴィス・コステロがカヴァーした。それで知られているかもしれない。オバマ大統領就任式がワシントンDCで行われたとき、そのパーティーでサムのバンドが演奏し始め、エルヴィス・コステロが歌い、彼が終えて、はけてから、今度はサムが歌った、そんなこともあった」 「曲はショーごとに、サムが入れ替えてる。僕たちはレパートリーの楽譜があるので、それで演奏する。何でもできるよ」 アイヴァンは、金曜のフジロックを終えた後、土曜日に日本を経ちニューヨークに午後4時過ぎに戻るが、その土曜日夜(時差の関係で、同じ日に到着)にギグがある、という。 そして、サムに表敬訪問。すっかり日本びいきだ。北海道の野外フェスについて「2万5000人も人が集まったんだ。素晴らしかった」と嬉しそうに話してくれた。ちなみに、ブレンダ・ヴォーンと一緒にライヴを見たが、彼女は翌日のブルーノートでバックコーラスに入るかもしれないという。 サム・ムーア、まさにソウル人間国宝だ。 (この項、つづく) ■ メットポッドでサム・ムーア・インタヴュー(2011年7月23日付け) http://metropolis.co.jp/podcast/2011/07/23/tokyo-metpod-sam-moore-mini-special-with-special-guest-aureana/ (5分40秒あたりから) ■ サム・ムーア 過去関連記事 2010年12月16日(木) サム・ムーア、清志郎ファミリーに捧げる http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101216.html 2008年09月02日(火) 東京ジャズのサム・ムーア http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080902.html 2008年09月04日(木) サム・ムーア・ライヴ~昨年よりも強力に http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080904.html 2008年09月05日(金) サム・ムーア:「ザ・ソウル・ショウ」@ブルーノート http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080905.html 2008年09月06日(土) … Continue reading

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☆マイケル・ジャクソン・トリビュート・コンサート10月に英ウェールズで~ジャーメインとランディー

☆マイケル・ジャクソン・トリビュート・コンサート10月に英ウェールズで~ジャーメインとランディーは不参加 【Michael Jackson Tribute Concert Due In October In Wales】 トリビュート。 マイケル・ジャクソンの兄弟たちが、マイケルのトリビュート・コンサートを来る2011年10月8日(金)、イギリス・ウェールズのカーディフで行うことを7月25日、母キャサリンらが発表した。主催者は、イギリスのグローヴァル・ライヴ・イヴェントで、7万5000人収容の大きなミレニアム・スタジアムで約4時間にわたって繰り広げられ、世界30カ国に一部3D方式で生中継されるという。詳細な出演者は8月3日に発表され、チケットは8月4日から発売。ジャクソン家からは、ジャッキー、ティト、マーロンとラトーヤが出演する。ジャーメインとランディーは、マイケルの死から時期尚早ということで、参加しない。(ちなみに、シルクド・ソレイユの『マイケル・ジャクソン・ジ・イモータル・ワールド・ツアー』は、10月2日土曜、カナダ・ケベック州モントリオールからスタートしている) ■シルクド・ソレイユ詳細・ソウルサーチン・ブログ 2010年11月08日(月) マイケル・ジャクソンの「シルクド・ソレイユ」2011年10月から http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10700035851.html ジャーメインとランディー・ジャクソンは、今回発表されたイギリスでのイヴェントに反対している。というのも、この時期に、マイケルが死去したときにそばにいたコンラッド・マレー医師の裁判が続いているためだ。同裁判は9月8日から始まることになっており、4~6週間続くものとみられている。 ジャーメインとランディーの声明では、「いずれマイケルをトリビュートする場所と時が訪れる。今は、正義を求めるときだ」と述べている。母は、裁判にもでるが、このイヴェントもサポートしている。 ジャーメインは、ツイッターで、今回の件に関して「actually, we were offered good money to participate in tribute concert. we declined. it’s not about the money」(実際出演のため、いいギャラを提示されたが、断った。金の問題ではない)などと書いている。 2011年7月25日に発表された声明文全文は次の通り。ジャーメインとランディーの連名。 STATEMENT FROM JERMAINE … Continue reading

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★プリンス~ツアー続く オスロ・ライヴは延期~プリパ8月17日新宿で

★プリンス~ツアー続く オスロ・ライヴは延期~プリパ8月17日新宿で 【Prince Tour Continues: Oslo Dates Push Back To August】 プリンス。 先日(2011年7月22日)ノルウェイ・オスロとウトヤ島で起こった連続テロ事件のその日、プリンスはオスロにいた。翌日(23日)からのライヴのためだ。しかし、このテロのため、同公演は8月2日、3日に延期された。プリンス危機一髪か。バンドメンバー、プリンスともに、全員無事とのこと。 また、日本のプリンス・ファン有志によるプリンスのファン・イヴェント「プリンス・パーティー」(通称・プリパ)が、来る2011年8月17日水曜、新宿ビー・ウェイヴで行われる。(詳細は下記) プリンスについては、前回6月9日付けでヨーロッパ・ツアーの記事を書いた。 ■前回・前々回のプリンス関連記事。 2011年04月23日(土) プリンス、「ウェルカム・トゥ・アメリカ・ツアー」続行中 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110423.html 2011年06月09日(木) プリンス、ヨーロッパ・ツアーへ ~ 「キス」誕生秘話 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10916685583.html 8月のプリンスのツアー予定は次の通り。 2011-08-02 Oslo, Norway 2011-08-03 Oslo, Norway 2011-08-06 Copenhagen 2011-08-07 Copenhagen 2011-08-09 Budapest 2011-08-12 Gothenburg 2011-08-17 Zurich … Continue reading

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●エイミー・ワインハウス死去・続報~2000万ツイートが流れる

●エイミー・ワインハウス死去・続報~2000万ツイートが流れる 【More Amy Winehouse News Continues】 訃報。 グラミー賞受賞シンガー、エイミー・ワインハウスが7月23日(土)突然27歳で死去し、世界中に衝撃が走ったが、その後もニュースが駆け巡っている。今年死去したアーティストの中で最大級のインパクトを与えている。 まず、死因はまだ発表されていないが、一部の報道で、エクスタシーというドラッグとお酒を飲んでいたという証言がある。当初、検視は日曜に行われる予定だったが、週明けにずれこんでいる。 エイミーの死去前の様子が少しずつ判明している。 死去の前日、7月22日(金)、かかりつけの医師が夕方までに定期的にエイミーを訪問。このときの健康状態は特に問題は見られず、医師もその様子を喜んでいた、という。医師は金曜夜には、エイミーの自宅を後にした。この時点で、セキュリティー・ガード、アンドリュー・モリスが残った。 最後に言葉を交わしたのは、このアンドリューで、23日(土)午前10時ごろのこと。エイミーが「疲れたので少し寝る」と言いベッドルームに入った。その後、アンドリューが午後4時前後に起こしに行ったところ、エイミーが息をしておらず、救急車を呼び、救急隊が来たときには、すでにエイミーの死亡が確認された。エイミーが息を引き取ったとき、ベッドには他にだれもおらず、一人だった模様だ。 エイミーは水曜日(7月20日)彼女が面倒をみていた15歳のシンガー、ディンヌ・ブルームフィールドのキャムデンのライヴ・ハウス「ラウンドハウス」で行われたライヴにサプライズで登場していたが、これが公衆の面前に出た最後の姿となった。 エイミーのロンドン・キャムデンの自宅には、多くのファンが集まり、花束などを手向けている。 シンガー、M.I.Aは、死去から48時間以内に、エイミーへ捧げる「27」という楽曲をリリース、配信で発表する。 Is this a bit too soon? M.I.A releases unfinished demo called ’27′ in tribute to Amy Winehouse Last updated at 1:57 PM on 25th July … Continue reading

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●エイミー・ワインハウス27歳で死去~クラブ27に

●エイミー・ワインハウス27歳で死去~クラブ27に 【Amy Winehouse Dies At 27: Now in Club 27】 訃報。 2007年、「リハブ」の大ヒットで一躍世界的スターになったイギリスのシンガー、エイミー・ワインハウスが2011年7月23日(土)、イギリス・ロンドン・キャムデンの自宅で死去しているのが発見された。同日午後、自宅に救急車が呼ばれ隊員が入ったところ、すでに死亡していた、という。27歳だった。死因は発表されていない。 エイミーは先月ヨーロッパツアーを開始したが、セルビアで行われた初日のライヴで、歌詞を忘れ、泥酔していた様子で、観客から大きなブーイングを受け、以後のツアーをすべてキャンセルし、自宅療養していた。 エイミーは、2006年10月にイギリスで発表した2枚目のアルバム『バック・トゥ・ブラック』が翌年アメリカなど全世界でリリースされ、ここからのシングル「リハブ」が大ヒット。翌年グラミー賞で「ソング」「アルバム」「新人」など5部門を獲得。世界的スーパースターとなった。 評伝。 エイミー・ワインハウスは、1983年9月14日イギリス・ロンドンの北部、サウスゲートにユダヤ系両親の元に生まれた。13歳の頃から兄のギターで遊ぶようになり、曲を書き始めた。 2002年、イギリスの有力なプロダクション、サイモン・フラーの「19マネージメント」と契約、秘密裏にデビューが計画された。ソングライターとしては、EMI音楽出版と契約、シンガーとしてはアイランド/ユニバーサルと契約。ある種両者を競わせて売り出した。2003年デビュー作『フランク』で満を持してデビュー。 ジャズ、ソウルの影響を受けたデビュー作は、そこそこのヒットとなったが、2006年10月にリリースされた2作目『バック・トゥ・ブラック』はイギリスで1位に。ここから、「リハブ」が大ヒット。これが、翌年アメリカでリリースされヒットすると、その人気は一挙に世界的なものになった。エイミーは、1960年代のブラック・ミュージックなどが好きということで、特にその頃のガール・グループの影響が強く、ヘアスタイル、メイクアップ、ファッションなども60年代ガール・グループを意識したものになっている。60年代に人気を博したガール・グループ、ロネッツはエイミーのプロトタイプとなった。 1作目も2作目もプロデュースは新進気鋭のサラーム・レミとマーク・ロンソン。 2008年2月のグラミー賞で、エイミーは「ソング」「レコード」「新人」など5部門を獲得。授賞式では、ロンドンから生中継映像で登場した。 こうした成功とは裏腹に、私生活ではアルコール中毒、ドラッグ中毒にさいなまれ、何度もリハビリ・センターに入院するなどしていた。また、そうした中毒ゆえにライヴでも歌詞を忘れたり、泥酔したままステージに上がるなど、浮き沈みの激しいキャラクターをそのまま反映していた。 2010年11月にリリースされたクインシー・ジョーンズの『Qソウル・ボサ・ノーストラ』では、レスリー・ゴーアのヒット「イッツ・マイ・パーティー」をマーク・ロンソン・プロデュースで録音している。 また、次作のためにすでに録音しているものがいくつかあり、そのうちのひとつはヴェテラン・シンガー、トニー・ベネットとのデュエットで、トニー・ベネットのデュエットアルバム『デュエット2』に収録される。これは、2011年9月20日にリリースされる。 エイミーの成功があったおかげで、後のイギリスのアデル、ダフィーなどが脚光を浴びたということもいえる。 2011年6月18日、ヨーロッパ12都市を回るツアーに出たが、初日のセルビア共和国のベオグラードでのライヴで醜態をみせ、その後のツアーをすべてキャンセルしていた。 日本にはプロモーションを含めて一度も来日していない。 ■ 今日(7月25日・月曜)のフジテレビ系『とくダネ』でデイブ・スペクターさんが、エイミーについて情報を紹介します。8時から9時の間、突発事件などがなければ、だいたい8時20分前後とのこと。 ■ 過去関連記事 2007年09月09日(日) 【エイミー・ワインハウスは、リハブに入ったらダニー・ハザウェイやレイ・チャールズから学べなくなるから、入りたくないと言う】 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20070909.html 2008年02月12日(火) 第50回グラミー賞、15の瞬間 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10072037974.html February 11, 2008 50th Grammy … Continue reading

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◎フィール・ザ・フロー~上條頌・滝元堅志らのバンド、ブルース・アレイに初登場

◎フィール・ザ・フロー~上條頌・滝元堅志らのバンド、ブルース・アレイに初登場 【Feel The Flow Debut At Blues Alley】 初。 日本の若手ミュージシャンとしてこのところ活躍目覚しいギタリスト、上條頌、ベースの滝元堅志らが組んだユニット「フィール・ザ・フロー(Feel The Flow)」が7月19日(火)目黒のブルース・アレイに初登場した。 このバンドは、ここ4年くらい上條・滝元コンビが友人たちと何か今風のR&Bぽいかっこいいサウンドをやろうということで結成したユニット。基本的には、上條・滝元に藤川学史(ふじかわ・がくし)が中心メンバーとなり、その他の楽器をそのときに応じて編成する。サックス本間は、ほぼ毎回参加で後見人のような存在か(笑)。 上條は、1985年6月27日愛知県生まれ。2004年の終わりにロスにわたり、ギタリスト、ドック・パウェルに師事し、みっちり修行を積んだ。その後、2007年に日本に戻り、東京をベースに活動を始めた。滝元は上條の7歳くらい年上のいとこ。滝元も時期は違うが、ロスアンジェルスで修行を積んでいた。 「フィール・ザ・フロー」は、この3人がやっているユニットで、普段毎月1回渋谷のアンダー・ディア・ラウンジでフリー・ライヴをやってきていた。今回、形を整え、ブルース・アレイ初お披露目。基本的にはみなゴスペル育ちなので、ゴスペル色の強いサウンド、最近のR&B風サウンドに。 バンドとして「オレがオレが」的に前面に出るのではなく、シンガーのサポートに徹してかっこいいバンドを目指すという。今回のフィーチャー・シンガーは高橋あずみ。 ちなみに、上條さんはメイJ、マイラ、エグザイルなどのレコーディングなどに参加、ガクシは、三浦大知、ダブル、倖田來未(こうだくみ)、東方神起、ボアなどに参加、滝元もメイJ、ボアなどに参加している。今回ドラムスを担当するのは、さまざまなスタジオ・シーンや、「ソウル・サーチン」でもプレイしているジェイ・スティックス。ということで、大知くんも観戦に来ていた。 「バンドがタイトだと、歌の輝き具合もこんなに違うのか」ということをアピールしたいと上條は言っている。 ドラムス、ギター、ベース、キーボードのリズムの土台がしっかりしているので、安心して聞いていられる。各メンバーのパフォーマンスもあちこちでそれぞれ聞いていたので、まとまってなるほどと納得する出来。 高橋あずみが歌った「オープン・マイ・ハート」などは、ちょっとミニー・リパートンを彷彿とさせる雰囲気でなかなかいい感じ。また、このところすっかり人気のメイJは、この週デビュー5周年を迎えたということで、5周年のハッピーバースデイ・ケーキをサプライズで贈られ、感激していた。メイ.Jは『ソウル・パワー・サミット2008』にマーチンと出演していて、そのときにインタヴューしたり、ライヴを見たりしていたが、もうそれからも3年経っている。 メイ.Jがアンコールで歌ったシャカ・カーンの「スルー・ザ・ファイアー」は、この日初めて歌ったということだが、堂々とした歌唱を見せた。英語ネイティヴはやはり強い。 このフィール・ザ・フローで12月に再びブルース・アレイでライヴがある。 ■メンバー Feel The Flow meets Friend Vol.1 featuring May J. (G)上條頌 (B)滝元堅志 (Key)Gakushi (Sax)本間将人 (Ds)Jay Stixx (Vo)高橋あず美 ★Special Guest (Vo)May J. , … Continue reading

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●音楽評論家・中村とうようさん死去~ぴあ最終号発行の日

●音楽評論家・中村とうようさん死去~ぴあ最終号発行の日 【Nakamura Toyo Dies At 79】 訃報。 音楽評論家であり、音楽雑誌『ミュージック・マガジン』(旧ニューミュージック・マガジン)を創刊した中村とうよう氏が2011年7月21日、79歳で死去した。立川市の自宅マンション8階から飛び降り自殺したと報じられた。20日に投函した手紙が複数の友人の元に21日到着し、自殺を示唆していた、という。 1932年(昭和7年)7月17日京都生まれ。ミュージックライフ誌、スイング・ジャーナル誌などへの寄稿を経て、音楽評論家へ。1969年、ニューミュージック・マガジン社を設立、同名誌を創刊した。世界各国の音楽を幅広く日本に紹介し、音楽評論家としてのひとつのスタイルを確立し、日本の後進の音楽評論家に多大な影響を与えた。 2006年、自身のレコード、楽器など膨大なコレクションを武蔵野美術大学に寄贈した。現在、同大学でそのコレクション展を開催中だった。 ミュージック・マガジンで複数の評者がひとつのアルバムを論評し10点満点の点をつける「クロスレヴュー」で、10点もつけるが、0点もつけたりしていて話題を集めた。 「中村とうよう0点の歴史」(2010年9月13日付け「フェルマータ」のブログエントリー) http://gyogyo.seesaa.net/article/162564024.html 「中村とうよう10点の歴史」(2011年7月21日付け「フルマータ」のブログ) http://gyogyo.seesaa.net/article/215984890.html また、「ミュージック・マガジン」次号(8月20日発売予定)で、中村とうよう氏の最後の原稿「とうようズトーク」が掲載される。 ツイッターなどでも、多くの人たちが死に関して多くのことをツイートしている。 +++++ △ぴあ、廃刊~最終号7月21日発売 ぴあ。 音楽・映画・アートなどの総合エンタテインメント情報誌、「ぴあ」が廃刊を決め、その最終号(2011年8月4日~18日号)が、7月21日に発売された。1972年に創刊されて以来39年にわたり多くの情報を伝えてきた。「ぴあ」は、今後はインターネットでの情報提供、チケット販売などにシフトしていく。 +++++ ■ 中村とうよう・武蔵野美術大学でコレクション展開催中 中村とうようコレクション展~楽器とレコードを中心に 開催日程:2011年07月04日(月)~2011年09月24日(土)10:00~18:00 *土曜日・特別開館日は17:00閉館/7月18日は特別開館日/8月7日ー9月4日は休館期間 http://www.musabi.ac.jp/topics/exhibition/20110706_bijutu_02.html http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/205 ■中村とうよう氏の本 中村とうようの収集百珍 (ミュージック・マガジンの本) posted with amazlet at 11.07.22 中村 とうよう ミュージックマガジン … Continue reading

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◎ シェリル・リン・ライヴ~毎年違うセットリスト:「ソウル・サーチン」でライヴ音源放送

◎ シェリル・リン・ライヴ~毎年違うセットリスト:「ソウル・サーチン」でライヴ音源放送 【Cheryl Lynn Declared Japan As Second Home】 毎年。 このところ2008年以来毎年来日して今年で4年連続ライヴをやっているすっかり親日家のシェリル・リンの2011年のライヴ。2年ぶりにレイ・パーカーがギターで参加。2009年はレイにグレッグ・フィリンゲインズという豪華版だった。そして、過去のライヴのセットリストをじっくりと見比べて驚いた。毎年曲をきっちり変えてきているのだ。アーティストによっては、前年とまったく同じセットリストを披露するアーティストもいるのだが、シェリルはアンコール3曲程度を除いて、曲が違う。毎年見て、セットリストを保存しておくことで、初めてわかった。 いつもながらに、シェリルの声はよく通る。よく声がでている。そして、これが大変重要なのだが、ライヴなのに、まったくピッチがずれない。これは本当にすごいこと。ライヴでピッチがずれないのはマイケル・ジャクソンと同じだ。 ほぼ満員の客席は年齢層がけっこう高く、当時のリアルタイムでシェリル・リンのヒットを楽しんだ人たちが多そう。そして、途中から立ち上がり、踊りだす。 ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人、コーラス4人という大きな編成。このあたりのバックバンドにも手を抜かないところも素晴らしい。そして、キーボードは、昨年同様名手ドン・ワイアットがMD(音楽ディレクター)、ギターにわれらがレイ・パーカー。ピアス、ステージ・ガウンの背中にはピース・マーク。 今年の3月11日の震災にふれ、シェリルは「日本は私の第二のホーム。日本の人たちの冷静でおちついた対応に感激しています。いつでもあなたたちのためにここにいます」と宣言した。 ルーサーと歌った「イフ・ディス・ワールド・ワー・マイン」は、バックコーラスの男性と一緒に歌う。そして、レイ・パーカーが「ゴーストバスターズ」をちゃんと歌い、一粒で二度美味しいライヴだ。アンコールを含めた3曲は、もう定番中の定番で、もう盛り上がりっ放しだ。 ■ 『ソウル・サーチン』でライヴ音源オンエアー 2011年7月24日日曜の『ソウルブレンズ』(インターFM、76.1mhz毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」(午後2時30分~50分)で、シェリルのビルボードライブ東京でのライヴ音源を独占オンエアー、ライヴ内容などをご紹介します。関東地区ではパソコンでラジコ経由で無料で聴けます。 http://radiko.jp/player/player.html#INT 今回特別にライヴ音源をビルボードライブ東京からお借りし、オンエアーいたします。こうご期待。 ■ 東京今日・明日、来週大阪ブルーノートでもライヴ 2011年7月22日(金)、23日(土)ビルボードライブ東京。 http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=1 2011年7月25日(月)、26日(火)ビルボードライブ大阪。 http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&shop=2 ■ 過去記事 2010年06月24日(木) シェリル・リン・ライヴ@ビルボードライブ~ハッピー・ミュージック http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10571650716.html 2009年03月20日(金) シェリル・リン・ライヴ@ビルボードライブ東京 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090320.html 2008年03月20日(木) シェリル・リン・ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080320.html ■ シェリル・リン最高傑作デビューアルバム『ガット・トゥ・ビー・リアル』 … Continue reading

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◎ ティト・タイム! 再び

◎ ティト・タイム! 再び 【Tito Time! Again】 パパT。 ティトの最終日、西寺郷太さんとブルーノートに足を運んだ。そうしたら、なんとケント・モリさんが前日来日したとかで、遭遇。翌日から日本全国回るそう。 この日は最終日とあってか、観客も最初から異様に盛り上がっていて、1曲目「キャン・ユー・フィール・イット」のイントロからいっせいに立ち上がった。バンドの演奏も初日よりかなりタイトになっていてうまくなっていた。 ブルーズの「Tボーン・シャッフル」では、ティトがギター・ソロをステージ右に左に動きながら、キャーキャー言いながら立ち上がった女性ファンに大サーヴィス。あれは一度やったらやめられないだろうなあ、と遠めに見ていて思った。 「ハートブレイク・ホテル」を聞きながら、郷太くんが「こんな曲、よく書けますよね。すごい」と言ってきた。確かにこの曲はよく出来ていて「クイーンの影響みたいのもあるんですかね」と言う。「ああ、それもあるかもね」と僕。一方、前々からこのスイート(組曲)的な作りを、たとえば、ちょうど1976年~79年くらいまでのディスコ大全盛のときに大いに人気を博したドナ・サマーのレコード、たとえば「ホット・スタッフ」や「マッカーサー・パーク・スイート」などあたりの影響かなと思っていたので、そういう話をした。「それと、ギャンブル&ハフの影響もあるんじゃないかなあ。モータウン、ギャンブル&ハフ、クインシー(での曲作りから学んだこと)なんかがすべて土台になって、この曲(「ハートブレイク・ホテル」)につながってるんじゃないかなあ」とも付け加えた。 ティトがバックコーラスの子たちに声をかけると、3人揃って、「Yes, Papa T」と応えるのが実にかわいらしい。 アンコール、コットンではブルーズ曲だったが、この日はバンドのドラマー、レイモンド・カフーンの作品で、ギャップ・バンドの大ヒット曲「アウトスタンディング」を披露、なかなかポップでファンキーなノリでよかった。レイモンドは、ギャップのツアーメンバーの一人でもあり、ギャップたちと一緒に曲を書いている。ダズ・バンドのライヴなどでも来日している。 ライヴ後、別の席で見ていたケント・モリさんと再会。しばらくしてからティトも出てきて、記念撮影した。 From left: Yoshioka, Gota Nishidera, Tito Jackson, Kento Mori ティトは、兄弟の中でも一番フレンドリーな感じで、すぐにだれとでも友達になれるタイプの人物。それを今回、強く感じた。ちょうど、楽屋で僕がティト仕様の黒いキャップを被って一緒に写真を撮ろうと言ったら、「君もこれを被れ」と言って、もうひとつアフロヘアのかつらを取り出してきた。 Back to 1969 ティトのニュー・アルバムは、『So Far, So Good(ソー・ファー、ソー・グッド)』という。今のところ11曲ほぼ完成させており、年内にリリース予定だ。このうちのリード・オフ・シングルが、ステージでも披露した「ウィ・メイド・イット」。また、同じくステージで披露したカントリー調の「シーズ・ガッタ・ゴー」もニュー・アルバムからの1曲となる。これについて、ティトは「僕の母は、元々カントリーを歌っていたからね」と言う。 「兄弟の中で、一番最後にソロ・アルバムを出すのが僕だよ。息子たちよりも、後にデビューだからね」とティトは笑った。 ティトは12月頃、再び来日する予定だ。 ■ 過去関連記事 2011年07月15日(金) ティト・ジャクソン来日ライヴ・スタート~カマサミ・コング氏がインタヴュー http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10953806871.html 2011年07月17日(日) … Continue reading

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◆祝なでしこジャパン

◆祝なでしこジャパン 【Congratulations Nadeshiko Japan】 世界一。 23敗3分、相手は世界一位。二度も相手に先に点を取られ、二度追いつき、ペナルティー・キックで勝利へ。小説でも書けないあまりの劇的勝利。事実は小説より奇なりをそのまま描いたようなストーリー展開だ。 僕は、アメリカに一点入れられたところでダウン、もう起きていられず寝てしまった。起きてツイッターをチェックしていたら、どうやら日本が勝ったらしいことがわかった。なので、じゃあ、あれから2点取って2-1で逆転したんだろう、と思った。そうしたら、2点目を取られ、追いつき、PKで勝ったというんだから、超びっくりした。そんな劇的なことが起こるとは。 これが行われたのは日本時間2011年7月18日(月)祝日の未明。17日(日)に「ソウルパワー」を国際フォーラムを見終わっての深夜だ。未明のニューズだから朝刊には間に合わないが、18日は祝日なので、夕刊がなく、「なでしこ世界一」の見出しが大きく踊った新聞は19日の朝刊だった。 澤穂希(さわ・ほまれ)は1995年、16歳のときワールドカップ第二回から出場し、今回で5回目の出場。そして、優勝だ。1978年9月6日生まれの32歳。ちなみに、9月6日生まれというと、メイシー・グレイや氷川きよしと同じ誕生日。 本当に「ネヴァー・ギヴ・アップ」のあの姿は、感動的。文句なく今年一番の明るいニューズだ。 返すがえすも、寝ないでがんばっておけばよかった。(笑) 当日アメリカの友人からも、Congratulations on your women’s soccer team World Cup victory. After all your country has been through it certainly could use a little reason to celebrate! というメールが来た。 そこでWe were 2-2 on the game, that … Continue reading

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◎「ソウル・パワー2011」~深まる兄弟の絆

◎「ソウル・パワー2011」~深まる兄弟の絆 【Soul Power 2011】 あれこれ。 「ソウル・パワー」今年も東京二日顔を出した。 ちょっとしたコネタ集。 ダンスマンは、楽屋入りするときは、地球人を装っている。そして、最初の出番が終わった後、次の出番は最後なので、けっこう時間が空くために、途中は地球人に変装しているらしい。なにしろ、ダンスマンのステージ衣装は、厚く重く、超暑いからだ。 そのダンスマンとタッグを組むドリー・ファンク・ジュニアも根っからの汗っかき。そのステージ衣装は、合繊のようなもので出来ているために、「言ってみれば、サランラップ巻いて踊るようなもの」と、ほとんどサウナ状態になっているらしい。 ゴスペラーズ、今回は7曲。黒沢氏曰く「ふだんの(ゴスの)ツアー・ライヴと同じくらい消耗しました。なにしろ、張り上げ系の曲が多かったので。(笑) あ、8月16日、ソロ・ライヴ@モーション・ブルーよろしく」。 スクープ、タケはスクープの一員としてと、最後に武田とてつやで再度登場。そのときは、黒のソウル・パワーTシャツを着て、てつやが青のTシャツを着て登場した。初日、それまでは、黒のほうが売れ行きがよかったが、それを初日のステージで話したところ、なんとその後青の売れ行きが伸び、逆転。しかも、2日終わって、大阪での販売予定分まで完売してしまった。主催者側は、なんとか緊急に大阪の日にちまでに業者に増産させます、と言っている。「しかし、9月と7月だと(暑さが違うので)こんなにも売れ行きが違うとは思わなかった」とのこと。大阪にいらっしゃる方、間に合うといいですね。 マーチンのトップ曲、「ラヴ」。ナタリー・コールのお父さん、ナット・キング・コールの大ヒット曲。ナット・キング・コールもこの「ラヴ」の日本語版を歌っている。マーチンは、1960年代初期のこうした海外アーティストの日本語によるカヴァー、あるいは、日本人歌手が洋楽ヒットを日本語にして歌う作品群を子供の頃から聞いていて、普通に親しんでいた。そして、今回日本語でメッセージを届けたいと思い、日本語のカヴァー・アルバムを作ることにした、と語った。 ナット・キング・コールのラヴ「日本語版」について April 11, 2005 Nat King Cole Sings “Love” In Japanese In A Beautiful Way http://blog.soulsearchin.com/archives/000030.html マーチンは、初日大澤誉志幸を紹介するとき、調子に乗ってしゃべりすぎ、出足のところを間違えた。2日目は、それを意識しあまりしゃべらないようにしたら、イントロの尺が少し余ってしまった。だが、間違えなかった。 ブラザー。 村上てつやは、後半のあいさつのところでメンバー紹介をするときに、「ソウル・パワー」を振り返り、「まさに、奇跡の出会いの連鎖の6年間でした」と述べた。 25年前にマーチンとブラザー・コーンと大澤誉志幸らが今となっては伝説となったソウル・イヴェント「グラマラス・ナイト」を共にてがけた。彼らは、仲間であり、同士であり、盟友だ。それをソウルの世界では、俺たちはブラザーだと言う。黒人たちが、自分のファミリー、仲間、同士を、たとえ血がつながっていなくても、「マイ・ブラザー」あるいは「マイ・シスター」とお互い呼ぶのと同じだ。 「ソウル・パワー」は、年々そのブラザー、そして、ときにシスター同士の絆を深めていくイヴェントだ。 彼らがアンコールを終え、ミュージシャン、出演者が全員ステージにずらりと並ぶときは、まさに壮観だ。 ひとつのイヴェントが、毎年次々と奇跡の出会いを現実のものとし、6年間を経過した。おそらく、来年までに、また新たなる奇跡の出会いが訪れるだろう。それは、マーチンを始め出演者、スタッフ全員の熱い願いとして、これから10年に向かって突き進んでいくことだろう。 ソウル・パワーの大阪は、7月27日(水)、28日(木)大阪国際会議場メインホール。 (ソウル・パワーのセットリストなどは、大阪公演終了後に掲載します) ■ メンバー 鈴木雅之 … Continue reading

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◎ソウル・パワー・サミット2011

◎ソウル・パワー・サミット2011 【Soul Power 2011】 6年目。 2006年夏に始まったソウル好きのアーティストが集結して行っているイヴェント「ソウル・パワー」。その2011年版が、今年は国際フォーラムからスタート。初日(7月16日・土曜)、2日目(17日)と超満員・満員札止め、当日券なしという状況で行われた。 今回も、女性ファンが8割以上。ほぼ1曲目から総立ちで、3時間半にわたってノンストップで各アーティストのライヴを楽しんだ。 メインの鈴木雅之、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サムバディーに加え、6年連続出演のダンスマン、毎回ユニークな出方をするブラザー・コーン、そのほかに、ゲストでクリスタル・ケイ、今年初のさかいゆう、2度目の多和田えみらがそれぞれ歌声を聴かせた。 今回のサプライズ的なゲストは、大澤誉志幸。マーチンの特別ゲストとして最後のほうに登場。大澤が書いた「そして僕は途方に暮れる」「ガラス越しに消えた夏」を歌う。 先に配信でリリースしたソウル・パワー・オールスターが集まって録音した「ウィ・ガット・ソウル・パワー」がアンコールで登場、暑い夏を熱く盛り上げた。これは、簡単な振りも付き、シンプルなだけに、実にキャッチー。会場とのコール&レスポンスもいきなり形となり、まさにこのイヴェントのテーマ曲となったようだ。 マーチンは「始めたときには、3年できればいいね、と思っていたけど、5年目あたりから、だんだん欲がでてきて、10年はやりたいと思うようになった」という。 ソウル・パワーの大阪は、7月27日(水)、28日(木)大阪国際会議場メインホール。 [ソウルパワーについては明日以降詳しく書きます] ■ メンバー 鈴木雅之 ゴスペラーズ (村上てつや、黒沢薫、酒井雄二、北山陽一、安岡優) スクープ・オン・サムバディー (タケ、コーイチロー) 佐藤善雄 ブラザー・コーン 大澤誉志幸 ダンスマン ザ・ファンクス ジェイ公山(7月27日、28日) クリスタル・ケイ さかいゆう (7月16日、27日) ジェイド (7月17日、28日) 多和田えみ (7月16日、17日) ■ ミュージシャン 松本圭司 キーボード 佐藤雄大 キーボード フユ ドラムス 後藤克臣 ベース 武藤良明 ギター スパム春日井 パーカッション、キーボード・プラグラミング サスケ トロンボーン 佐久間勲 トランペット 竹野昌邦 サックス メメ コーラス (ブラザー・コーン・チーム) … Continue reading

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◎ティト・ジャクソン・ライヴ&インタヴュー~『ディス・イズ・イット』は見ない

◎ティト・ジャクソン・ライヴ&インタヴュー~『ディス・イズ・イット』は見ない 【Tito Jackson Live & Interview】 初ソロ。 昨年に引き続きティト・ジャクソンが来日、名古屋、丸の内コットン、東京ブルーノートとライヴをして回る。 今回の最大のハイライトは、なんとキャリア40年超にして、初のソロシングルをレコーディング、それをひっさげての来日だ。タイトルは、「ウィ・メイド・イット」。ミディアム超のポップな楽曲。今回もさっそく、イントロの「キャン・ユー・フィール・イット」に続いて早々とステージで披露された。 元々父親譲りのR&B、ブルーズ好きから始まり、ジャクソン・ファイヴの一員となったティトは、ギターを弾きながら歌う。昨年同様、前半半分がブルーズを中心にした選曲、そして、後半からジャクソン・ファイヴ・メドレーなどで一気にファンを総立ちにさせる。 女性コーラス3人、ドラムス、ギター2人(うち一人はティト)、ベース、キーボード2人という編成。女性コーラスの振り付けがなかなかエンタテインメントしてておもしろい。聞けばこの振り付けはほぼ自分たちでやっている、という。 ライヴ後、ティトに「ソウル・サーチン」用にインタヴューした。2日ほど前に電話インタヴューをしていたカマサミ・コングと一緒に楽屋で30分ほど話を聞いた。 詳細は、また後日お送りするが、ポイントは、今回披露した新曲を含め11曲入りのアルバムを年内に出す。アルバムのタイトルは、『ソー・ファー・ソー・グッド』。自分が書いたり息子のT3が曲を書いたり、一緒にプロデュースしている。「40年以上のキャリアで初めてのシングル、初めてのアルバムだよ。ジャクソン家から出す最後のソロ・アーティストさ」と笑う。なぜ今まで出さなかったのかと問うと、「僕は18歳で結婚して子育てに忙しく、しかも、ジャクソン・ファイヴとしても忙しかった。とてもソロを作る時間はなかった。だけど、最近では子供も育っていって、自分の時間が取れるようになったので、作ることにした」という。 カマサミ(アフロヘア)&ティト、ギターを奪い合う ティトのライヴを見て、僕は大変父親の影響を受けていると感じた。そこで、父親のライヴをよく見たのか、その影響はあるかを尋ねた。「いやあ、まだ僕は子供だったからほとんど見てないよ。でも、父親の好きな音楽はよく知っている。うちでも聞いていたしね。確かに、僕のライヴが父親のライヴみたいだとよく言われる。知らず知らずのうちに影響を受けているのだろう。父と叔父さんたちがギターを弾いていたのは覚えているよ。それが元で僕はブルーズを弾くようになったんだ。キング兄弟、リトル・ミルトン、みんな大好きだ。僕の生涯の夢のひとつは、いつかBBキングと一緒にレコーディングすることなんだよ。たった一回、1曲でいいから、一緒にやってみたい。連絡先は知ってるんだ。でも、彼をうっとうしがらせてもわるいんで、連絡してない(笑)」 昨年ティトは、まだ映画「ディス・イズ・イット」は見ていないと言っていた。以後見ただろうかと聞くと、「見ていない。これからも見ない」。なぜ? 「弟の最後の姿、動いている姿、生きている姿を見ることはできない」 この質問に答えるときは、それまで雄弁に語っていたティトが無口になった。 パブリシストとして一緒に来ていたスティーヴ・マニングという人物、名前がどこかで聞いたことがあるな、見たことがある、と思ったら、かつて購読していたブラック雑誌「ライト・オン」などに寄稿していたライターだった。その話でひとしきり盛り上がった。 左からティト、吉岡、スティーヴ・マニング、カマサミ・コング (この項つづく) ■ ティト・ジャクソン・インタヴュー、「ソウル・サーチン」でご紹介 2011年7月17日(日)、「ソウル・ブレンズ」(インターFM、76.1mhz、日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)で、ティト・ジャクソンの15日に行われたライヴ音源、および、インタヴューをご紹介します。関東エリアの方は、パソコンでラジコを通じてお聴きいただけます。 http://radiko.jp/player/player.html#INT ■ブルーノート・ライヴ 2011年7月17(日)~19日(火) 17日、18日午後6時、8時45分、19日午後7時、9時半 東京ブルーノート 03-5485-0088 http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/ ■ 過去関連記事 2011年07月15日(金) ティト・ジャクソン来日ライヴ・スタート~カマサミ・コング氏がインタヴュー http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10953806871.html 2010年07月18日(日) ティト・ジャクソン・ライヴ~父のレガシーを受け継いで http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10593211243.html (前回ライヴ評) ■ メンバー … Continue reading

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◎ジャズ・ファンク・アフリカ・ライヴ 【Jazz Funk Africa】 アフリカ。

◎ ジャズ・ファンク・アフリカ・ライヴ 【Jazz Funk Africa】 アフリカ。 アフリカの音楽や文化を日本に広めようという趣旨のライヴ・イヴェント「ジャズ・ファンク・アフリカ」が、去る2011年7月9日(土)、横浜赤レンガ倉庫一号館のイヴェント・スペースで行われた。当日は、在日アフリカ系ミュージシャンらが多数集まり、ライヴを見せたり、カリンバ、コラなどのアフリカの楽器のワークショップや販売、アフリカ関連のグッズ販売、フードなどが供され、アフリカンなイヴェントになった。 セットリストも当初の予定のものからどんどん変わってしまったが、イヴェント・プロデューサーの平山さんから解説付きの詳細なセットリストをいただいたので、そのままご紹介したい。 カリンバやコラの楽器の弾き方を教えるコーナーなどは、熱心な人が実際に教わり、音を出していた。 ■関連記事 2011年07月03日(日) アース・トリビュート~アフリカン・リズムの輝き http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110703.html このイヴェントの前夜祭的色彩のライヴ。目黒・ブルースアレイで。 2011年07月05日(火) カリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズ語る http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110705.html ジャズ・ファンク・アフリカのサイト http://www.jfafesta.com/ ■セットリストと解説(平山みどりさんによる) Jazz Funk Africa! 2011 Performance in Yokohama @Yokohama Red Brick Warehouse (赤レンガ倉庫1号館3F) Saturday, July 9th, 2011 Open-15:00 1st set - … Continue reading

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★深町純さん、最期の朝

★深町純さん、最期の朝 【The Last Morning Of Fukamachi Jun : A Letter From Mrs. Fukamachi Jun】 メール。 2010年11月22日急死したピアニスト、深町純さん。その奥様からご丁寧なメールをいただいた。そこには、純さんと奥様との最期の朝のやりとりが書かれていた。大変、胸を打たれたので、許可を得て、その一部をご紹介したい。 深町さんが急逝されて半年。奥様はなかなか深町さんに関する記事など、目を通せなかったが、メールを送られてきた前日に僕のブログを読んで、メールをくださった。 彼女は、僕の次の文章に打たれたそうだ。 ~~ 彼は昨日の夜、「僕の人生は素晴らしい人生だった」と言えただろうか。言えたと僕は信じている。 ~~ 奥様が読まれた記事全文はこちら↓。 2010年11月24日(水) ピアニスト深町純氏急死 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10716152876.html そして、奥様からのメール(一部)は次の通り。 ~~~~~ 余談ですが、心情的に、この半年近く純さんに関する記事など、なかなかネットにも目を通す事が出来なかったのですが、昨日、吉岡さんの11月に書かれたブログを読ませて頂きました。 純さんの最期に「僕の人生は素晴らしい人生だった」と彼は言えたと信じている…と書かれたのを読んだとき、思わず涙がこぼれました。 最期の朝、私が仕事に出かける時に、何かの話の流れで、 「音楽家で生涯生き切るなんて恵まれた生き方だね」と言いました。 「この音楽界の中で仕事をするには恵まれているとは思わないけど、 でも、もちろん僕は僕の音楽に誇りを持っているし、仕合せな人生を生きているよ、それは良い人生だと思う」と言いました。 そして「僕は音楽家だ」 そう言って、身体を起こし爪をバチバチと切りました。 その後、ピアノに向かったのが最期でした。 身体の調子が悪い自分が許せず、音楽家だ、僕は音楽をしなければいけないと、奮起して常に自分が在るべき場所に立ち向かった姿でした。 猫のように死に際も見せず、その生き様どおり、潔く旅立ちましたが、ピアノの下に真っ直ぐに倒れたその後ろ姿は、本当に立派な最期の生き様でした。 最期に、深町純は、「良い人生だった」素晴らしい人生だった、吉岡さんの信じているとおりに、彼がそう確信した事は事実です。 それだけを、吉岡さんにお伝えしたく、長々と心情を書きまして失礼しました。 吉岡さんにこのメールを書こうとおもったのは、深町純からのメッセージかも知れないと、そんな事を思いながら、送らせて頂きます。 ご報告まで。 … Continue reading

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☆ ティト・ジャクソン来日ライヴ・スタート~カマサミ・コング氏がインタヴュー

☆ ティト・ジャクソン来日ライヴ・スタート~カマサミ・コング氏がインタヴュー 【Tito Jackson Talks To Kamasami Kong】 インタヴュー。 マイケル・ジャクソンの兄、ティト・ジャクソンが昨年夏に続いて来日。7月14日(木)名古屋ブルーノートからライヴをスタートさせた。その後、15日(金)丸の内コットンクラブ、17日(日)から19日(火)まで東京ブルーノートでライヴを行う。 メットポッドのカマサミ・コングさんが、さっそく昨日(7月14日)の午後、名古屋にいるティトに電話インタヴューを行い、即日ウェッブにアップした。(約24分) メットポッド・ティト・ジャクソン・インタヴュー(2011年7月14日付け) http://metropolis.co.jp/podcast/files/2011/07/Tokyo-MetPod-TITO-JACKSON-Mini-Special.mp3 http://metropolis.co.jp/podcast/ この中で、さまざまな質問に答えている。一部をざっくりとした訳だがご紹介しよう。 マイケル・ジャクソンで一番の思い出。「彼自身のありのままのステージの上のこと。ステージでよく兄弟たちをからかった。だが、オーディエンスはまるで、それがショーの一部だと思うようにやっていた。それから、モータウン25もよく覚えている。素晴らしいパフォーマンスで、世界に衝撃を与えた」 ジャクソン5のリユニオン。「ジャクソンズはいつもそのことを考えている。(死後)今まで以上に、それを考えている。彼のことはずっと覚えていて、兄弟たちはいつでも彼に捧げるショーをやりたいと考えている。来年あたりにでもやってみたい。マイケルのパートは、兄弟たちで歌う」 「マイケルがもし生きていたら、今でも世界をツアーしてパフォーマンスをしていただろう。そして、兄弟たちとも一緒にライヴをやっていたに違いない。わからないが、そんな感じがする」 「今回レコーディングした『ウィ・メイド・イット』だが、僕はジャクソン兄弟の中でレコードを出す最後の一人となった」 ティトは今回、前回と違い新曲「ウィ・メイド・イット」をレコーディング、アマゾンなどで配信を開始した。もちろん、今回のステージで初披露となる。下記メットポッドで一部が聞ける。 ■ ティト・ジャクソン初ソロ作品「ウィ・メイド・イット」 We Made It posted with amazlet at 11.07.14 Point 7 Records/Play It Right Music (2011-02-01) 売り上げランキング: 31185 Amazon.co.jp … Continue reading

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☆◆ケイリブの地下鉄での第三種接近遭遇

☆◆ケイリブの地下鉄での第三種接近遭遇 【Kaleb’s Close Encounters Of The Third Kind】 遭遇。 先日(5日)、ソウル・サーチャーズのケイリブと次回(8月28日、29日)の「ソウル・サーチン~マイケル・ジャクソン・トリビュート」の選曲などの打ち合わせをした。その話はまたするとして、そのとき、彼がこんな話をしてくれたので簡単に紹介しよう。 ケイリブはニューヨーク出身のキーボード奏者、ヴォーカリスト。日本に来てもう20年近くになるが、ニューヨーク時代にもニュー・エディション、レニー・クラヴィッツなどのライヴ・サポートをしていた。1987年の夏の夜、レニー・クラヴィッツのツアー・リハーサルをマンハッタンのスタジオで終えた後、いつものように彼は地下鉄でブルックリンの自宅に戻るところだった。 リハーサルが終わって夜10時すぎのこと。ケイリブはマンハッタンからいつもの地下鉄に乗り、ブルックリンの乗換駅ホイト・スカマーホーン駅で乗り換え自宅に向かう。この駅には地下鉄がAトレイン、Cトレイン、Gトレインと3路線はいっていて、ここには6車線用のプラットホームあるが、実際は4ホームしか使っておらず、残り2ホームが使われていない。 そのために、よく映画のロケーションなどで使われることで有名だ。この2レーンを使えば、電車も走らせることが出来、ホームの一般客の乗り降りもすべてエキストラで撮影でき、しかも、通常の電車を止めることなく撮影ができる。 マンハッタンの公道を借りることもできるが、その場合、一般車両は一時的に通行止めになり、迷惑がかかるわけだが、このホイト・スカマーホーンではその必要はない。 その駅は地下鉄のプラットフォームの階、さらにその次の階、そして、地上といわば3層になっている。使用されていない2レーンの上の部分はいわゆる「デッド・スペース」になっており、ふだん人は立ち入らない。乗り換えのためだけで、出口もないからだ。 その日、ケイリブがその横を通ると、数人の黒人やいろいろな人種の男たちが上の方を皆が見て、何かを待っている様子だった。一人だけ、警官がいてトランシーヴァーを持っていた。そこで彼らの列に割り込み、上に何があるのだろう、と見上げた。だが、何もなかった。しかし、彼らはずっと上の方を見続けていた。すぐ隣の男は派手な服に何かをじゃらじゃらつけたものを着ていたようだが、気にも止めず、それよりも上に一体何があるのかだけが気になった。 するとまもなく、爆音が鳴り出した。音は割れており、しかも地下鉄の駅ということでエコーが反響し、実にノイジー、まさに騒音だった。そして、まもなくトランシーヴァーを持った男が何かを残りの連中に言い、彼らは急に走り出し、上の方に向かった。一体何が起こったのか、ケイリブにはまったくわからなかった。しかし、彼らもいなくなってしまったので、ケイリブはいつもの通りいつもの地下鉄に乗り換え、自宅に帰った。 それから1-2ヶ月して、テレビで今日スペシャルなプロモーション・ビデオが初公開されるとさかんに宣伝していた。そして、そのビデオが流れ、しばらくすると地下鉄の駅がでてきた。その瞬間、ケイリブはあの日のことが蘇った。「おおっ、これを撮影していたんだ」 そのビデオは、マーチン・スコセジーが監督したマイケル・ジャクソンの「バッド」のショートフィルムだった。 ケイリブがあのとき上を見上げていた真横にいたのが、マイケル・ジャクソンその人だったのだ。「おおっ、シッット、あれはマイケルだったのか? あのノイジーな音楽は、バッドだったのか」 しかし、地下鉄で聴いたときは、まったく曲としては認識できないほど、爆音でエコーがかかりただの騒音だった。  このホイト・スカマーホーンの地下鉄駅は、『ウォーリアーズ』、『カミング・トゥ・アメリカ』『クロコダイル・ダンディー』などの映画にも使われている。 「あの駅ではよくロケがおこなわれているからね。そこにどんな有名人がいても不思議ではない。でも、まさかマイケルとは思わなかったね」  どこで、だれと出会うかわからないニューヨーク。ケイリブのマイケルとの第三種接近遭遇だった。 ■ マイケル・ジャクソン BAD バッド(紙ジャケット仕様) posted with amazlet at 11.07.13 マイケル・ジャクソン クインシー・ジョーンズ SMJ (2009-07-08) 売り上げランキング: 7221 Amazon.co.jp で詳細を見る ENT>Jackson, Michael … Continue reading

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●フォンス・マイゼル(マイゼル・ブラザーズ)死去~ジャクソン5の初期のヒットなどをてがける

●フォンス・マイゼル(マイゼル・ブラザーズ)死去~ジャクソン5の初期のヒットなどをてがける 【Alofonso “Fonce” Mizell Dies At 68】 訃報。 モータウンでジャクソン・ファイヴのデビューからの初期のヒット曲(「アイ・ウォント・ユー・バック」「ABC」など)を手がけ、その後、ドナルド・バードの元でブラック・バーズ、ボビー・ハンフリーなどブルーノートジャズ系などで作詞・作曲・アレンジ・プロデュースなどをてがけたマイゼル・ブラザーズのうち兄のアルフォンソ・フォンス・マイゼルが、2011年7月5日、ロスアンジェルスで死去した。68歳だった。彼らの作品は、ヒップホップ系アーティストたちによって多数サンプリングされ、90年代以降も人気を集めている。(正確な死亡日時が5日とわかりましたので、5日で確定します。=7月13日午前3時現在修正) 訃報記事としてはまだ不完全だが、LAタイムスのレベッカ・ハイスコートがブログでフォンス訃報を2011年7月11日付けで書いている。 http://blogs.laweekly.com/westcoastsound/2011/07/rip_alphonso_fonce_mizell.php 評伝。 アルフォンソ・フォンス・マイゼルは、1943年1月15日ニュージャージー州生まれ。弟にラリー(1944年2月17日ニュージャージー生まれ)、ロドニー(1957年8月16日生まれ=ドラマー、ベース奏者として活動)がおり、ラリーとともにマイゼル・ブラザーズを名乗る。十代の頃はトランペットを与えられ、学校のマーチングバンドなどで演奏したり、高校のクラスメートのフレディー・ペレン(1943年5月15日~2004年12月16日、61歳で死去)とドゥーワップ・グループ、ナイコンズ(Nikons)を結成。何曲かデモテープは作るもののリリースにはいたっていない。地元のハイスクールからワシントンDCのブラック大学の名門ハワード大学へ進む。ここで、1961年終わりごろ彼ら3人にジョン・バトラーを加え、ジャズ・グループ、ヴァンローズ(Vanlords)を結成。このグループは学校のタレントコンテストなどで入賞したり、一時期、ダニー・ハサウェイもプレイしたことがあるという。フォンスは自身トランペットを吹いていたこともあり、ハワードで教授のドナルド・バードと知己を得る。ハワード時代に彼らはインディ・レーベル、ホグ(Hog)を設立、唯一のシングル「Baby, I Want You」をプロデュース。これは当時モーガン・ステートの大学生を集め、モーメンツと名前をつけ、レコーディングしたもの。後にスタングから出るグループとは違う。いずれにせよヒットはしていない。 マイゼル兄弟とフレディー・ペレンとともに60年代後期にニュージャージーから西海岸ロスアンジェルスに本拠を移動。フレディーの友人ジル・グリフィスを通じてディーク・リチャーズと知り合い、彼らがモータウンのベリー・ゴーディーに認められソングライターとしてモータウン傘下ジョベッタ・ミュージックと契約。ここで、ベリー・ゴーディーは各人は匿名のチームで曲を書き、プロデュースするシステムを作り、そのチームに「ザ・コーポレーション」とを名付けた。彼らはジャクソン・ファイヴのデビュー作「アイ・ウォント・ユー・バック」「ABC」「ザ・ラヴ・ユー・セイヴ」などをプロデュース。これらがいきなり大ヒットしたため、彼らはモータウン内の売れっ子ソングライター、プロデューサーとなった。しかし、このときは、「ザ・コーポレーション」というクレジットでしか名前が出なかったために、だれがこのメンバーなのかはわからなかった。 その後、70年代中期までに、フレディーもマイゼル兄弟もモータウンから離れ、独立。1972年、旧知のドナルド・バードがブルーノートでレコーディングすることになり、同年のアルバム『エチオピアン・ナイツ』に参加。1973年、『ブラック・バード』に参加。このあたりから、自身のプロダクション・チームとして「スカイ・ハイ・プロダクション」を名乗るようになった。ここでボビー・ハンフリーの「ハーレム・リヴァー・ドライヴ」、さらにドナルド・バードの「チェンジス」などの大ヒットが誕生。 その後、LTDの「ラヴ・バラード」がヒット、70年代中期からは3男ロドニーもチームに合流し、LTDの『ラヴ・トゥ・ザ・ワールド』などに参加するようになっている。 1978年には、自ら見出した女性二人組みア・テイスト・オブ・ハニーをプロデュース。「ブギー・ウギー・ウギー」がポップ、ソウル部門でナンバーワンを記録した。テイスト・オブ・ハニーたちとはハワード時代にすでに知り合っていたという。このあたりからR&B界でのヒットも出始める。メリー・ウェルズ(「ジゴロ」)などをてがけるようになる。 90年代以降、Jディラ、ア・トライブ・コールド・クエスト、マッドリブなどヒップホップ系、クラブ系アーティストたちが彼らのてがけた作品をサンプリングするようになり、若い世代にもアピールすることになった。 一時期、実質的に音楽業界から引退していたが、2007年、ラリー・マイゼルが4ヒーローのアルバムの中で「プレイ・ウィズ・ザ・チェンジス」に参加、ヴォーカルをきかせている。 マイゼル・ブラザーズとしては、「ファンク・ジャズ」「ソウル・R&B」系作品を出したアーティスト、プロデューサーという捉えられ方が一般的だ。 彼らのいとこのひとり、ドン・マイゼルは70年代後期にエレクトラ・レコードでA&Rディレクターとなり、シカゴのテリー・キャリアなどをてがけた。その後2005年にレイ・チャールズの遺作『ジニアス・ラヴズ・カンパニー』の共同プロデューサーの一人としてグラミーも得ている。また、別のいとこシンディー・マイゼルは、ニューヨークのトップ・セッション・ヴォーカリストとして有名。最近ではホイットニー・ヒューストンの来日にバックコーラスとして帯同していた。また、ランDMCのジャム・マスター・ジェイことジェイソン・マイゼルも遠い親戚とのこと。ラリーの息子、ラリー・マイゼル・ジュニアは、ラップグループ、キャンサー・ライジングのメンバー。 なお、Mizellの発音だが、「マイゼル」が正しく、日本で流通している「ミゼル」は明らかな間違い。レコード会社などが「ミゼル」で統一してしまったために、間違いがそのまま流通してしまった。これを機に訂正し、マイゼルで統一してもいいだろう。Loleatta をロレッタとしてしまったのと同じくらい大きな間違いだ。Michael(マイケル)を「ミケル」と書くようなものだ。 +++++ マイゼル・ブラザーズのミュージック・アカデミー レクチャー。 マイゼル・ブラザーズ3人が勢ぞろいして自らの歴史を1時間40分ほどにわたって写真などを見せて話すプログラム。一番右がロッド(末弟)、右から2番目がフォンス、右から3番目、一番しゃべっているのがラリー。MCも含めて5人並ぶときは、一番真ん中がラリー。これは、2006年10月23日、オーストラリアのメルボルンで行われたものの録画。レッド・ブルがスポンサーになってやっているイヴェント。このレクチャーが実におもしろい。他のアーティストも興味深い。一度、レオン・ウエアをこのソウルサーチンでもご紹介した。(ちなみに、この映像で見ていても、マイゼルと発音されています) http://www.redbullmusicacademy.com/video-archive/lectures/mizell_brothers__sky_high_brothers/ その英文テキスト。 http://www.redbullmusicacademy.com/video-archive/transcript/mizell_brothers__sky_high_brothers/transcript Marvin Gaye & The Mizell Brothers – … Continue reading

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◎ レディー・ガガ『徹子の部屋』~ガガとマイケル・ジャクソン

◎ レディー・ガガ『徹子の部屋』~ガガとマイケル・ジャクソン 【Lady Gaga on Tetsuko’s Room: Gaga & MJ】 インパクト。 レディー・ガガが先日来日したときに収録した『徹子の部屋』が、昨日(2011年7月11日)午後テレビ朝日系列で放送された。ファッションとヴィジュアルで強烈なインパクトを残した。 さっそく、ユーチューブに一部がアップされた。(削除される可能性はありますので、ごらんになるのはお早めに) http://youtu.be/LVuyjeSUen8 http://youtu.be/LdvFEzmI8BE 第一印象。冒頭、ものすごい靴とファッションで、巨人みたいになっているが、ガガの身長は155センチほどだという。どれだけ、上げ底なのか。すごい。(笑) レディー・ガガのチャリティーに対する考え方などは、マイケル・ジャクソンなどと近いと思う。 また、音楽的にレディー・ガガはソウルとかブラック・ミュージックのジャンルには入らないが、マイケル・ジャクソンがアプローチしたロック寄りのエリアにいる。それは、マドンナともかぶる。そのため、ダンスの要素がとても強い。ダンス・オリエンテッド・ロックといったエリアだ。 ジェームス・ブラウン→マイケル・ジャクソン→マドンナ→レディー・ガガという流れはダンスという軸で一本筋が通っている。だが、もはや彼女にとっても聴き手にとっても音楽ジャンルなどは関係ないはず。 ここまで現象的な人気になると、レディー・ガガという音楽が、マイケル・ジャクソンがひとつの音楽ジャンルになったのと同じように、それ自体ひとつの音楽ジャンルになったともいえる。これは本当にすごいこと。 マイケルとの違いは、ガガの家庭が裕福だったこと。そして、十代の頃には、自らアルバイトなどで一般社会との接点を多数持ったことなどがある。一方マイケルは10代初期からスターになってしまったために、一般社会との接点が持てなかった。それが後に性格形成で大きな影響を与えた。そこが大きく違うと思う。考え方などしっかりしていて、とても好感が持てる。 マイケルが歌のうまさとダンスの素晴らしさゆえに、不幸にもみなそこに目が奪われ彼の真摯なメッセージがなかなか伝わらなかった側面がある。レディー・ガガのこの奇抜なファッションだけが広がってしまい、彼女の地に足の付いたきちんとしたメッセージが伝わらなくならないように願いたい。 ガガくらいの存在になると、ひとつ間違えるとメディアがいっせいに叩くことをするので、ぜひそういう隙を与えないでほしいと切に願う。 きっと、マイケルが生きていたら、間違いなくガガのファンになっていただろうと思う。僕は彼女のこうした奇抜なファッションよりも、もっと素の彼女のほうが魅力的だと思う。いずれ、そういうのも出てくるのだろう。今なら、何でも出来て、何でも受け入れられる。 また、この放送では、同時通訳の声とガガの声がかぶって聞きづらい。字幕もしくは二ヶ国語放送にすべきだ。 一箇所、ユーチューブの「徹子の部屋~ガガ1」3分12秒あたりで、ガガがyouと言った部分を通訳は「徹子さんも世界にインスピレーションを~」と訳してるが、たぶん、前後の流れから言うと、「日本人も世界にインスピレーションを~」と言ってるのではないだろうか。 黒柳徹子さんの風邪声みたいなのが心配になる。滑舌も悪い。永六輔さんもラジオで大活躍を続けるが、以前と違いかなり聴きづらい。とはいえ、どちらも放送界の超大御所。番組プロデューサーは悩みどころだ。 レディー・ガガ、本名ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ、1986年3月28日生まれ。25歳。昭和61年生まれの寅年です。3月28日は神田うのと同じ誕生日だ。 BS朝日で2011年7月14日(木)17時30分~18時から再放送される。 ■ 最新作 ボーン・ディス・ウェイ (スペシャル・エディション(2CD)) posted with amazlet at 11.07.11 レディー・ガガ ユニバーサルインターナショナル (2011-05-23) … Continue reading

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◎トク・ライヴ~スティーヴィー楽曲ばかりでライヴ

◎トク・ライヴ~スティーヴィー楽曲ばかりでライヴ 【Toku Live; Playing Only Stevie Songs】 飄々(ひょうひょう)。 この4月に久々のアルバムで、スティーヴィー・ワンダーの作品ばかりをレコーディングしたシンガー/フルーゲルホーン奏者、トク(TOKU)が、このアルバムからの作品を中心に全国ミニツアーを行い、最終日、東京を見た。会場は渋谷の元映画館を改造したプレジャー・プレジャー。300超のキャパだというが、超満員で後ろの椅子を一部取っ払って、立ち見エリアを作るほど。6-4か7-3で女性が多い。また、普段、ブルーノートやボディー&ソウルにやってくるライヴ観客層とかなり違う感じがした。やはり、ライヴ・ハウスでのライヴというのは、敷居が高いのだろうか。 レコーディングも一緒にしているアトランタ在住のキーボード、宮本貴奈(みやもと・たかな)にコーディネートなどを頼んで作った最新作は、スティーヴィー楽曲ばかりを、独自のアレンジでまとめた力作。ぜひ、一枚スティーヴィーに渡して、彼がどんな風に感じるか聞いてみたい。 トクがやるだけに、独特のトクの雰囲気が全面に出たCD、ライヴになっているが、このまったり感の世界がなんとも言えない。全体的にはスローっぽい曲が多いのだが、「ユーヴ・ガット・イット・バッド・ガール」や「コンテュージョン」などのミディアム調のグルーヴ感ある作品でのカルタさんドラムが僕にはツボだ。 ひとつ間違えるとホテルのラウンジ・バーでのライヴみたいになってしまいそうなのだが、そこをきっちりコンサート・ホール・ライヴにしているところが、アーティストの「力」があるところだ。 途中ゲストで入ったヴォーカル、アキコとの言葉のやりとりが二人とも飄々(ひょうひょう)としていておもしろかった。 ■トク最新作。『シングス・スティーヴィー・ワンダー』 TOKU sings&plays STEVIE WONDER posted with amazlet at 11.06.14 TOKU SMJ (2011-04-27) 売り上げランキング: 2033 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ 過去関連記事 2011年03月22日(火) 深夜のジャム・セッション~軽音部、トクズ・ラウンジ・スペシャル http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10837098296.html 2010年10月28日(木) ミッドナイト・カンヴァー・セッション 「トクズ・ラウンジ」 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10689147109.html 2010年09月16日(木) トクズ・ラウンジ … Continue reading

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○故・岡伸昭遺品、フリーマーケット出店のお知らせ

○故・岡伸昭遺品、フリーマーケット出店のお知らせ 【Oka’s Memento To Be On Flea Market】 フリマ。 イヴェント「ソウル・サーチン」のパネリストとして、またフライヤー・デザイナーでもあり、各美術学校での講師も務め、自身アーティストとして「フット・ペインティング」という手法を考案した岡伸昭さんが2011年5月26日、44歳の若さで急逝した。(下記訃報記事参照) ソウル好きで、おしゃれだった岡さんの遺品などを遺族・友人たちが整理、このつどフリーマーケットで販売することになった。膨大な数の遺品があるが、その一部を放出する。ここでの売り上げは全額遺族に渡し、今後の作品管理費などに充当する。 かつて、岡さんの作品に触れられた方、興味のある方はぜひお越しください。なお今回は岡さんの作品、レコードコレクションなどは基本的には販売しない。作品群は一度総合目録などを作ってから、展覧会、あるいは販売を検討する。今回は岡さんの衣類、靴、DJ機材など。 なお、岡さんとも親交のあったソウル・サーチン・ファミリーでもあるシンガー/ソングライターのシャンティが、岡さんに捧げる曲を何か書き下ろすと言う。タイトルは、岡ブルーにちなんで、「なんとかブルー…、のような感じにするわ」とシャンティは言っている。シャンティが自ら絵を描いたり、個展をしていたことから、アーティストでもある岡さんと親交があった。また、シャンティのインディからのデビュー作『シェア・マイ・エア』の国内サンプル盤のジャケット・デザインを岡さんがてがけていた。 フリーマーケットの詳細は次の通り。 名称:明治公園スーパージャンボフリーマーケット 日時:2011年7月17日(日曜) 開催時間:午前10時から15時30分まで(受付開始9時予定) 場所:明治公園 最寄り駅:JR千駄ヶ谷駅、JR信濃町駅、東京メトロ外苑前駅 地図:http://bit.ly/nhG3rH アクセス: 千駄ヶ谷駅からキラー通りを青山方向へ向かい2個目の信号の左角のエリア。日本青年館の隣の公園。 備考・雨天中止 問い合わせ先 木下将080-3456-9858 susumu_kinoshita@sirius.ocn.ne.jp 当日の正確な位置は、参加者入場順で決まるため、現時点ではわかりません。当日、お探しくださるか、主催・木下までご連絡ください。 ~~主催者からのご案内~~ 先日の6月26日 お別れ会Second Round & パーティ & 遺品のフリーマーケットの際はご多忙中のもかかわらず、多数の方々に来ていただきありがたく深謝申し上げます。 岡さんの遺品を大切に扱ってくださる方々にお買い上げいただけたことを故人もとても喜んでいる事と思います。 さて、今度は”本当”のフリーマーケットに出店します。 明治公園スーパージャンボフリーマーケットです。 日時は7月17日日曜日午前10時から午後3時30までです。 雨天の場合は中止になります。 先日の岡さんの家のフリーマーケットに御来場できなかった方、 岡さんのコレクションを末永く大切にしてくださる方。 今回も当日は袋等が不足しますので、故人を偲ぶ御心と大きなバックを持って御来場ください。 … Continue reading

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◎ マサ小浜スペシャルVol 4

◎ マサ小浜スペシャルVol 4 【マサ小浜スペシャル第4回】 4回目。 このところすっかり売れっ子ギタリストになったマサ小浜の単独ライヴ第4回目。前回が行われたのは3月10日。そう、あの大震災の前日だった。 それからおよそ4ヶ月。今回も、ソウル、ブルーズ、ロック、R&B、フュージョン、ジャズ、さまざまなスタイルのギターをマサ小浜は聴かせてくれた。ブルース・アレイは超満員で、立ち見が出るほど。すっかり安定した人気を得ている。 今回のゲストは、サックス奏者、小林香織。久しぶりに見たが、すっかりステージ慣れしていた。 今回セットリストにプリンスがけっこうあった。下記セットリストをごらんいただくとわかるが、「リトル・レッド・コーヴェット」「クリーム」「パープル・レイン」と3曲ある。で、この「クリーム」を聴いているときに、来年の「ソウル・サーチン」でプリンスをやろうかと思いついた。そのとき思いついた選曲が「シュガー・ウォール」、「グラマラス・ライフ」、マッドハウス、タイムのファースト、「マニック・マンデイ」、「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」、「ナッシング・コンペアーズ…」、「エロティック・シティー」などなど。 僕はセカンドから見たが、香織ちゃんのサックスによる「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ユー」などは、まさにスムース・ジャズな雰囲気。そして、一番迫力があったのが、ジョニー・ギター・ワトソンの曲(8曲目)。これは、マサのソロも、ケイリブのソロも最高にかっこよかった。そして、アンコールがすっかり定番となっている「レッド・ライト・スペシャル」と「パープル・レイン」。後者のギター・ソロは、マサが一番輝くところだ。アンコールにうってつけの曲だ。 マサ小浜はこのまま順調に行けば、今の時代の高中正義的存在になれると思う。次回、マサ小浜は、「ソウル・サーチン」でマイケル楽曲をやってくれる。マサ小浜ファンは要チェックだ。 ライヴ終わった日の深夜、ちょっと揺れたね。 ■ 『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」で、この日の模様を独占オンエアー  ライヴの内容がよかったので、特別に同録音源を借りてきて、「ソウル・サーチン」でご紹介します。 ■「マサ小浜スペシャル」日曜「ソウル・サーチン」でご紹介 2011年7月10日(日)『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1mhz、日曜午後1時~3時)内、「ソウル・サーチン」(午後2時30分~50分)でマサ小浜ライヴ・アット・ブルース・アレイの音源をご紹介します。関東地区の方は、ラジコを通じてパソコンで聴けます。http://radiko.jp/player/player.html#INT ■ 関連記事(一部) 2011年06月07日(火) ユリ・マサ・ライヴ~自由度の高いライヴ:Juju、トータス松本さん飛び入り http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10915057661.html 2011年03月12日(土) マサ小浜3回目のライヴ~「レッド・マサ・スペシャル」、アツシ飛び入りも http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10827190545.html 2010年07月09日(金) マサ小浜、初ソロ・ライヴ~ソウルとファンクとスムース・ジャズと http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10584972682.html 2010年08月21日(土) ユリ・ライヴ@代官山ループ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10625111213.html 2009年10月15日(木) シンガー、ユリ@ブルース・アレイ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10364864050.html 2008年08月05日(火) ユリ、ブルース・アレー単独ソロ名義で初登場 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10123734321.html August 10, 2007 Yuri’s … Continue reading

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★●ブルース・スプリングスティーンのクラレンス・クレモンズへの弔辞

★●ブルース・スプリングスティーンのクラレンス・クレモンズへの弔辞 【Bruce Springsteen’s Eulogy For Clarence Clemons】 弔辞。 2011年6月18日脳卒中の合併症のために69歳で死去したクラレンス・クレモンズの葬儀が、6月21日フロリダ州パーム・ビーチのロイヤル・ポインシアーナ教会で行われた。長く共に歩んできたブルース・スプリングスティーンが長文の弔辞を読んだ。その弔辞が7月に入り、ブルースのオフィシャル・サイトに掲載され、その翻訳がソニー担当の白木さんのブログに6日アップされた。ツイッターでご紹介したところ、反響が多かったので、翻訳された五十嵐正さんと、ソニー・ミュージックの了承を得て、本ブログでもご紹介する。 訃報記事 2011年06月21日(火) クラレンス・クレモンズ69歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10928810412.html 本ブログでこうした演説などをご紹介するのは、オバマ大統領の就任演説、村上春樹さんのイスラエルでの講演全訳以来。それらに匹敵する素晴らしいメッセージだ。 この中の「ソウルの寺院(Temple of Soul)」という表現は、ソウルマン、クラレンスのことをひじょうにうまく表現していると思う。そして、一番の感動ラインは、ここだ。 「クラレンスは死んでもEストリート・バンドを去りません。彼がバンドを去るのは僕らが死ぬときです」 1700ワード弱、5000字弱の長文ですが、ゆっくりごらんください。 ■6日にアップされたソニー白木さんのブログ 2011-07-06 クラレンス・クレモンズの思い出(33):ブルース・スプリングスティーンの弔辞 http://ameblo.jp/high-hopes/entry-10945420166.html ■ソニー・ミュージックのページ ブルース・スプリングスティーンのページ http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BruceSpringsteen/ ■クラレンスへの弔辞 http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BruceSpringsteen/message.html +++++ ブルース・スプリングスティーンの弔辞(2011年6月21日、フロリダ州パーム・ビーチ、ロイヤル・ポインシアーナ教会) ビッグ・マンに捧ぐ 僕はここに座って、みんながクラレンスについて語るのをずっと聴きながら、すぐそこにある僕ら2人の写真を見つめていました。それはスクーターとビッグ・マン(アルバム『ボーン・トゥ・ラン(明日なき暴走)』収録の楽曲「Tenth Avenue Freeze-Out(凍てついた十番街)」の登場人物)の写真で、時に僕らは彼らだったんです。見ての通り、特にこの写真ではクラレンスが自分の筋肉を自慢していて、僕はそのことに無頓着なふりをしながら、彼に寄りかかっています。僕は頻繁にクラレンスを頼って寄りかかりました。ある意味では僕はそうすることで自分のキャリアを成功させたんです。 クラレンスと人生を分かち合った僕らは彼の愛と彼の混乱を分かち合いました。「C」は年を重ねるにつれて丸くなりましたが、彼の生き方はいつだって激しく、予測のつかないものでした。今日ここに彼の息子たち、ニッキー、チャック、クリストファー、ジャロッドが座っていますが、彼らの中に「C」の特性の多くが映し出されているのがわかります。彼の輝き、彼の暗闇、彼の優しさ、彼の荒々しさ、彼の穏やかさ、彼の怒り、彼の明晰さ、彼の立派さ、彼の善良さが見えるんです。でも、君たちが知っての通り、君たちのパパは簡単に理解できるような人ではなかった。 「C」の生きた人生では、彼は自分のやりたいことをやって、その行動に対して誰であれ何であれがどう言おうがかまわなかったんです。僕らの多くと同じく、君たちのパパは素晴らしい魔法を生み出す能力を持つだけでなく、かなり困った状況を作り出すこともできました。それが君たちの父さんで、僕の素晴らしい友だちの人間性だったんです。 クラレンスの無条件の愛情は心の底からのものでしたが、たくさんの条件を伴ってもいました。君たちのパパは常に作業半ばの大きなプロジェクトだったんです。「C」は何に対しても線を辿って取り組むことは決してなかった。彼の人生が直線で進むことは決してなかった。彼がA… B…. C…. Dと進むことは絶対になく、いつだってA… … Continue reading

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◆ 松本龍(前復興相)のCDコレクション

◆松本龍(前復興相)のCDコレクション 【Matsumoto Ryu’s CD Collection】 趣味。 昨日のブログ(下記参照)で松本龍前復興相が辞任を決めた店のことなどを書いた。そこに彼がインタヴューを受けたときのリンクを貼っておいたが、その記事の一番下に、CDの入ったダンボールが映っていた。 で、これをよく見ると、ソウル、ジャズなどクロっぽいものばかり。そのことを写真リンクを貼ってツイートしたら、意外にもいろいろな反響が出たので、ちょっと書いてしまおう。 ジャケットの背から見えるだけでも、アース・ウィンド&ファイアー、オーティス・レディング、マーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」、マイルス・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」「オン・ザ・コーナー」、ビル・ウィザース、スピナーズ、スティーヴィー・ワンダー(「心の詩」「ファースト・フィナーレ」)、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、ハービー・ハンコック(「ヘッドハンターズ」)、デニース・ウィリアムス(「ディス・イズ・ニーシー」)、カーティス・メイフィールド(「アンソロジー」)、アイザック・ヘイズ、キャンディ・ステイトン、スタックス50周年、スライ&ファミリー・ストーン(「フレッシュ」)、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(「キャッチ・ア・ファイアー」)、アル・グリーン、ドナルド・バードなどがある。 これは、2010年4月に公開されたインタヴュー記事の写真なので、その時点でたぶん事務所に置いてあったCDなのだろう。封が切られていない輸入盤がかなり多いが、きっと、自宅にはもっとたくさんのCDやレコードがあるにちがいない。なんで封が切られてないのかな。忙しくて聴くヒマなどないのだろうか。 そういうわけで、九州出身B型短気還暦者の音楽遍歴に興味を持った。記者会見でフィービ・スノウのこともでていたが、普通の人からすればかなりの音楽好き、それも黒い音寄りのものが好きと見受けられる。 ツイートへの反響は、おおむね「ものすごい嫌な奴だが、親近感がわく」、「趣味が同じで驚いた」といったトーンだが、そんな中、渡辺祐さんのツイートに膝を打った。 「趣味が一緒でも、その人を理解できるかどうかは別というオトナの悩みですよ、コレは」(@MakeItFunkyさん) 確かにそうだよなあ。(笑) オトナの悩み。 ほかにも、 「反吐が出る程嫌なオヤジと思った心が揺れる。」 (@luna5884さん) 「人は様々な面を持っていて表面(特にマスコミやTwitter)だけ捉えて評価してはいけないですね。僕もこれ見た時に親近感が湧きました。」(@YS140182さん) 「あかん、好感度があがってしまう」(@tenngaichiさん) まあ、あの偉そうな御仁が意外な音楽趣味をもっていて、好感度が上がったとすれば、これも幅広い意味で「音楽の力」ということですね。 キング・ハーヴェストでばったり会ったら、ちょっと話をしてみたいですね。(笑) ■ 関連記事 2011年07月06日(水) 松本龍(前・復興相)が辞任を決めた店「キング・ハーヴェスト」 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110706.html +++++ フィービ。 あと、同じく、記者会見で触れられたフィービ・スノウの件も音楽ファンの間でちょっとした話題に。 カズオ・イシグロの著作「ネヴァー・レット・ミー・ゴー」と、フィービ・スノウの「ネヴァー・レッティング・ゴー」という曲のことを言ったのではないかと推測されている。 詞の一部。「紳士のように立ち去ることもできるが、君を守るために戦う。君を簡単にあきらめることなんてできっこない」 君が大臣の座かも。ソニーの白木さんのブログでそのことに触れられていた。どなたかが、君は被災地の人々の可能性もある、と書いておられたが、さあ、どうでしょうねえ。 奇しくも、フィービのアルバム4点が追悼盤として8月に紙ジャケットで発売されるそう。 ソニーが仕込んだプロモーションだったら、すごいですね。(笑) な、わけはない。っていうか、プラス・プロモーションになるか、下手したら、マイナス・プロモーションになってしまうかもしれない。(笑) でも、松本龍が記者会見で話したフィービ・スノウというのが、話題になるのだから、それはそれでよしということだろうか。 ■ ソニーの白木さんブログ。フィービについて 2011-07-05 【追悼企画】 フィービ・スノウ 紙ジャケット・コレクション http://ameblo.jp/high-hopes/entry-10944356705.html#main ■ … Continue reading

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◆ 松本龍(前・復興相)が辞任を決めた店「キング・ハーヴェスト」

◆ 松本龍(前・復興相)が辞任を決めた店「キング・ハーヴェスト」 【Red Card For Matsumoto Ryu】 辞任。 ほんの1週間前までその名前さえ知られていなかった松本龍が、キックオフ→ノーサイド→レッドカードとなり、いちやくその存在を全国区にした。もう本当に突っ込みどころ満載の宮城県知事との会談映像だが、さすがに世論の風を感じたか、一気に辞任。その一連の流れを見ていてあまりのくだらなさにあきれるのも通り越していたが、なんとその辞任前日、それを決めた夜にいたのが赤坂のソウル・ジャズの店「キング・ハーヴェスト」だっということがわかり、にわかに個人的に注目のニュースになった。 下記に会見全文。僕はこれを見て、「キング・ハーヴェスト」のことを知った。万一同名の店だったらまずいので、さっそく平野さんのキング・ハーヴェストに確認の電話をいれたら、「昨日、来てました」とのこと。そこで、ブログに書くことにした。 「キング・ハーヴェスト」は以前に何度かこのブログでも触れたが、元CBSソニー、エピックの平野さんが2002年に開いたレストラン。当初はアフリカ出身のトニーさんがおいしい料理を作っていた。今はトニーさんはいないが美味しい料理はかわらない。平野さんは、一時期マーチン(鈴木雅之)さんの担当もしていたので、マーチンさんなどとも何度か足を運んでいる。ソウル・バーめぐりをするときの起点だったりもする。この松本事件を機に、キング・ハーヴェスト人気が高まればいいと思う。応援します。 さて、松本龍の宮城県知事との会談で疑問に思うところ。 1) そもそも大臣のほうが宮城県知事より偉いのか。   やはり、国務が地方行政よりも上に来るのか。ところで、松本龍・前大臣(1951年生まれ)は福岡で12万票程度の集票。(前回衆院選) 村井・宮城県知事(元自衛隊、1960年生まれ)は64万票以上の集票(前回知事選)。数字が全てではないが、12万票が60万票を見下ろすというのがおもしろい。国の大臣が地方の長より偉いのか。偉いのかな。誰か教えてください。 2) そもそも大臣は客なのか。   客人を待たせるのは無礼かもしれないが、そもそも大臣が客なのか。知事も言っていた通り、お互いイーヴンの立場ではないか。どっちが客というより、ビジネス・パートナー的立ち位置ではないのだろうか。両方で手をあわせて、復興しようということではないのか。 3) なぜあんな偉そうな口をきくのか  これは、九州出身だから、B型だからというのはまったく関係ない。この松本という人間の人間性の問題に尽きる。育ちと言ってもいい。たぶん、自分が大臣ということで、「偉いもの」と勘違いしているのだろう。こういう人間には政治家は大衆のための「公僕」であるというマインドはまったくないに違いない。 4) オフレコ問題  「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」 そもそもオフレコというのを、こんなにたくさんの報道陣がいる前で言うというのもおかしい。それに、オフレコというのは、先に宣言して言うものではないか。しかも、今の最後の言葉がどれを指すのか不明。長幼の序のことだろうか。あるいは、客が来るときは先に入ってろ、のあたりか。それよりも、あの一連発言のどこをオフレコにしなければならないのか。オフレコにする理由は何か。何かやましいところがあったからオフレコにしたかったのではないか。 5) 「長幼の序」問題  この人は長幼の序の意味を少し取り違えてるようだ。あの場での使い方をみると、自衛隊などを例にしているので目上のものを尊重しろということを言いたいらしい。半分はあっているのだろうが、辞書などによると「年長者と年少者との間にある秩序。子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方」とある。「物事をするのにあたって、年長者と年少者の間に一定の順序がある」ともある。となると、年下の知事は、先に年上の自分が来るのを待ってろ、ということか。もし、知事が年上で、大臣が年下だったら、どうなるのだろう。 6) 宋文洲さんのツイートが興味深かった  宋さんの一連のツイートが現実的で面白い。「別に松本を擁護するわけではないが、この日本には、あんな無礼なおじさんはいくらでもいる。ここ(日本)で成功するためには、そうした連中ともうまく付き合わなければならない」といった趣旨のツイートを連投。いくつかその宋さんのツイートから。 「日本で成功したいならば、まず日本人を理解することだ。日本で仕事したいならばまず年寄りと偉い人に礼儀を尽くすことだ。日本人の癖にそれが知らないならば、終わっている。」(2011年7月5日10:53:45) 「松本さんくらいの態度でびっくりしたり、怒ったりしている人は、殆ど日本社会の深部に入れていない人だろう。権力や富や地位に近付こうとするならば、こんなおじさんがゴロゴロして毎日平常心で礼儀を尽くしてパスするものだ。前進のみだ。」(2011年7月5日10:59:20) 「ソフトバンク孫さんが生き延び発展できたのは徹底的に権力を持つおじい様に「礼儀」を尽くした。堀江さんはなぜダメか。未だにそれを知らないからだ。三木谷さんがお二人の間だ」(2011年7月5日10:18:56) 松本龍の後任は、平野達男という人になった。松本が辞任を決めた店が平野さんの店、その後任が平野さんという人。なにかおもしろい。 ■ キング・ハーヴェスト~松本龍が辞任を決めた店 住所 東京都港区赤坂6丁目3-8 高松ビルB1F … Continue reading

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★カリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズ語る

★カリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズ語る 【Kevin Spears Talks】 カリンバ。 カリンバ。アフリカの楽器だ。日本では指ピアノなどとも紹介される。だいたい15くらいの鍵盤が付いていて、それを両手で持ちながら、指ではじいて音を出す。ただこの鍵盤の数も別に決まっているわけではないそう。形状も決まりはない。よって、さまざまな種類のカリンバがある。オルゴールの原形・起源とも言われる。しかも、名前もアフリカの場所によって様々に呼ばれる。ンビラ、ンビラ・ニュンガ、カリンバ、マリンバ、オケメなどなど。 このサウンドを広く世界に紹介したのは、アース・ウィンド&ファイアーのリーダー、モーリス・ホワイトだ。彼が1970年代初期から自身のグループのレコーディングの中で積極的にこの楽器を使い、一気に広まった。とは言うものの、楽器自体が珍しいこと、演奏家が少ないことなどから、だれもかしこもやって大ブームということにはならなかった。しかし、それでも、徐々にアフリカ音楽をプレイする以外のアーティストたちにも浸透していった。 僕など、アースのサウンドをもっとも際立たせている楽器が、カリンバだと感じているので、カリンバの音が流れるだけで、アース! と条件反射で思ってしまう。 さて、そのカリンバを巧みに操るのがプロのカリンバ奏者、ケヴィン・スピアーズだ。先日、少し話を聞いた。 彼がそもそもカリンバに興味を持ったのは、彼の姉が大のアース・ウィンド&ファイアー好きだったからだ。姉がアースのアルバムを持っていて、それを聴いているうちに、モーリスが持っていたカリンバという楽器に興味を持った。1974年のこと、彼が10歳頃のことだった。アルバムは、『オープン・ユア・アイズ(邦題、太陽の化身)』(1974年3月リリース)だった。この中ジャケに各メンバーの写真がそれぞれあり、モーリスがカリンバを持って映っていた。 これは、オリジナルのアルバムの中に入っているLPレコードをいれる中ジャケットの写真のことで、今リリースされているCDにはその写真は入っていない。モーリスは、さまざまなタイプの打楽器を置いて、写真に映っている。カリンバもいくつかの種類を見せている。この写真が、いわば、ケヴィンのその後の人生を変えた。 ケヴィンは、1964年8月27日ケンタッキー州レキシトン生まれ。15年ほど前からアトランタ在住。11歳の誕生日(1975年)に、母親に「洋服も何もいらないから、カリンバを誕生日プレゼントにほしい」とねだり、買ってもらってから、毎日のようにカリンバで遊びようになった。彼によると、ケンタッキーというのは本当に畑くらいしかなく、何もない田舎の土地なので、カリンバにはかなり集中して練習したという。 ケンタッキーというと、たしか、モハメド・アリがケンタッキー生まれではなかったか、とケヴィンに言うと「おおっ、そうだ。アリはルイヴィル。僕はレキシントンという街だ。そこから車で1時間くらいのところだよ。よく知ってるな。(笑) ケンタッキー出身の人は、何もない田舎だから、けっこう隠したがるものなんだよ」と笑った。 おそらく、30ドルくらいで母親が買ってくれたのだろう。しかし、教則本もなければ、コーチもいなかったので、すべて独学。ひたすらアースのレコードを聴いて、どんな風に鳴っているかを耳で覚え、勉強していった、という。 そして、20代になると、少しずつプロとしての仕事が入ってくるようになり、1996年ごろ、アトランタに本拠を移し、多くのアーティストとかかわるようになった。 これまでに、ヴィクター・ウーテン、ブルース・ハンプトン、エリック・ベネイ、アレステッド・デヴェロップメント、ビル・サマーズなどと共演。プロのカリンバ奏者として知名度を上げている。 ステージでは、ループ・ステーションというその場で音を録音したものを、再生し、それにあわせてさらにプレイしたものを聴かせ、録音を重ねる機材を使い、おもしろいことを聴かせる。ケヴィンによれば、ここ4年ほど、このループ・ステーションを使っている、という。ただし、「プリ・レコード(事前に録音した音源)は、使わない主義だ」という。 ケヴィンのループ・ステーションを使ったパフォーマンス例 http://www.youtube.com/watch?v=e3BBAG1i5uw&feature=player_embedded カリンバをプレイする人はやはりそれほど多くはないらしい。これまでに、カリンバを弾いていたら、ワイルドな動物が近づいてきたこともあるそうだ。 また、最近、彼は複数のカリンバをプレイすることもある。彼はカリンバをベースやロック風ギター、ヴォコーダーっぽく演奏してみたい、と考えている。そして、かつて、レス・ポールやジミ・ヘンドリックス、ハービー・ハンコックらがそれぞれの楽器で新たなサウンドをクリエイトしたように、このカリンバで新しい音、演奏方法などを生み出したいと思っている。 ■「ジャズ・ファンク・アフリカ」のライヴは2011年7月9日(土)赤レンガ倉庫で 詳細↓ http://www.jfafesta.com/ 横浜公演 【日時】2011年7月9日(土) 【場所】横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール 【開場】15:00 【演奏】1st: 16:00~17:30 / 2nd: 18:30~20:00 (入替無し) 【ワークショップ】カリンバ、コラ、アフリカンドラム 【物販コーナー】 ☆アフリカのハープ「コラ」の展示販売。最高峰のToumani Diabate工房製 ☆マリの「泥染め」衣装 ☆西アフリカの「パーニュ」布の衣装、小物 … Continue reading

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●レイモンド・ジョーンズ52歳で死去

●レイモンド・ジョーンズ52歳で死去 【Raymond Jones Dies At 52】 訃報。 ニューヨークを本拠に活躍していたキーボード奏者、アレンジャー、プロデューサー、作曲家、レイモンド・ジョーンズが2011年7月1日頃、現在住居を置いているアトランタで死去した。52歳だった。(当初ニューヨークで死去とツイッターなどでお知らせしましたが、アトランタだったので訂正します) レイモンドは、1958年12月13日ニューヨーク生まれ。1970年代初期にナイル・ロジャーズ、バーナード・エドワーズらが結成したシックのキーボードとして参加。その後、ニューヨークのライヴ、スタジオ・シーンで活躍した。 これまでに参加したセッションは、シック関連以外でドナ・アレン、利さ・フィッシャー、ランディー・ホール、デビー・ハリー、ノナ・ヘンドリックス、マイルス・ジェイ、ジョイス・ケネディー、パティー・ラベル、ビル・ラズウェル、マテリアル、ステファニー・ミルズ、ジェフリー・オズボーン(「ステイ・ウィズ・ミー・トゥナイト」)、トム・トム・クラブ、ホイットニー・ヒューストン(「サムワン・フォー・ミー」)など多数。 また、映画でも活躍し、スパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』のスコア、サウンドトラック、『ゲット・オン・ザ・バス』、あるいは、『メテオマン』、などにもかかわった。 1997年、レイモンドは、インディからアルバム『アクツ・オブ・ラヴ』をリリースしている。その後1997年7月から1998年3月までフォックステレビの『キーナン・アイヴォリー・ウェイアンズ・ショー』の音楽ディレクターに就任。その後、1999年、2作目『ネイキッド・ソウル』をリリース。2001年『インティメート』をリリース。その後2004年にピアノ・ソロ『ソー・アメージング』、2007年『ヒルサイド・ストーリーズ』をリリースした。 ナイル・ロジャーズをはじめ、仲間のミュージシャンたちが次々と追悼のメッセージを、レイモンドのフェイスブックなどに書いている。ナイルは自身のブログ(2011年7月3日付け)で綴っている。 ナイルに、レイモンドのキーボードでもっとも印象的なものは何かと尋ねたら、「もっとも重要な楽曲は、シックの『グッド・タイムス』のフェンダーローズだ」と教えてくれた。そこで、昨日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」でも、「グッド・タイムス」をかけてレイモンドを追悼した。 ナイルは、ブラジルから帰国したその日、ニューヨークに到着して携帯電話を見たところ、レイモンドの死を知って衝撃を受けたという。 ご冥福をお祈りします。 ジェフリー・オズボーン「ステイ・ウィズ・ミー」 キーボードの細い方がレイモンド。この曲はレイモンドも作曲に名を連ねている http://radiofacts.com/2011/07/02/musician-raymond-jones-has-died/ レイモンドのウェッブ http://www.uegmusic.com/main.htm 以下のディスコグラフィーはレイモンドのウェッブより。 左からアーティスト名、タイトル、仕事役職 Donna Allen Heaven on Earth Producer Adele Bertei Build me a bridge (1979) Co-writer Chic C’est Chic … Continue reading

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◎ アース・トリビュート~アフリカン・リズムの輝き

◎ アース・トリビュート~アフリカン・リズムの輝き 【Jazz Funk Africa: Sparkles Of Rhythm】 輝き。 ベースの坂本竜太さんが仕切り、ジェイ・スティックスやアフリカのミュージシャンを集めて「アース・ウィンド&ファイアー」のトリビュートをやるというので、ブルース・アレイに参上。 そうしたら、このアフリカン・リズムの素晴らしさに完璧にノックアウトさせられた。まあ、アースに釣られて行ったのだが、アフリカに釣られた感じだ。   左・チーム・セネガルにカリンバのケヴィン、キーボードとパーカッションのBBモフラン、右・チーム・セネガル(左・ママドゥ、右・アブドゥ) ちょっと遅れて行ったので、ファーストの「ブラジリアン・ライム」から。二人のアフリカン・ブラザーたちのパーカッションの強烈さにびっくり。パーカッションひとつだけで、リズムに生を与え、音楽に息吹を与えるなんて、本当にすごい。コンゴ出身のBBモフラン、タブー・ンゴンゴ、ジャン・ポール・センセイ、セネガル出身のママドゥ・ロー、アブドゥ・バイファル、トリニダッド出身のトニー・グッピー(スティール・パン)らが集まり、強烈なリズム隊を作り上げていた。なんで彼らはただ物を叩くだけなのに、高揚感が生まれるのだろうか。まさに輝きのリズム、リズムの輝き。 僕はアースのトリビュートということで見に来たのだが、本当のライヴの趣旨はアフリカ音楽を聴かせることだった。これはこれで大変嬉しい誤算だった。僕はこういうドラムスとかパーカッションの肉感的なリズム・サウンドが大好きだからだ。『ドラムライン』や『ノイズ&ファンク』はもちろんのこと、日本の和太鼓ものでさえ食指が動く。 下記セットリスト・セカンドの3曲目にあたるチーム・セネガルのインプロヴィーゼーションのところは、後半ママドゥーの強烈なアフリカン・ダンスまで見せてくれた。こういうのは実に上がる。客席にいた、おそらく友人なのだろう。アフリカ系の人が日本語で「すげー」と連発していたのが、めちゃおもしろかった。 アブドゥのアフリカン・ダンス また、トニーのスティール・パンの音色が実に素晴らしい。2日前のライヴ、「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」ではスティール・パンの音をシンセサイザーで代用したが、本物の音は美しい。 第二部最後はアース曲3連発となったが、さすがにめちゃくちゃ盛り上がる。そして、もう一点おもしろいのが、メンバーのコミカルな日本語のトーク。サンコンさんやボビー・オロコンさんのようなアフリカ人特有の日本語でのトークが、受ける。 ケヴィン、カリンバを奏でる 鬱(うつ)。 これを主催した平山さんによると、スティーヴィー・ワンダーの傑作『キー・オブ・ライフ』(1976年10月リリース)を後年聴いて、そこに入っている「Ngiculela(I Am Singing)」(ンギクレラ=アイ・アム・シンギング)という曲、特にそのサウンドにノックアウトさせられたのがそもそものきっかけだという。その音というのがアフリカの楽器コラのサウンドを、スティーヴィーがシンセサイザーで真似て作ったものだ。そこから平山さんはその楽器コラ、はてはアフリカの音楽をサーチンするようになり、いろいろなことを知るうちにアフリカの文化に傾注し、さまざまなアフリカ系のライヴに通うようになり、2009年12月、知己を得たアフリカのミュージシャンたち(みな、日本在住)に声をかけ、横浜の赤レンガ倉庫でライヴを行った。 実はその平山さんは、最後あいさつでステージにあがったが、その中で、自分は鬱だったが、アフリカの音楽に触れて鬱が治ったと証言した。 このライヴ、イヴェントのコンセプトは、あらゆる音楽の起源は結局アフリカに行き着く。そのアフリカの音楽を多くの人に紹介したいということ。2009年12月のライヴは内容的には好評を博したが、興行的には大赤字で終わったそうだ。しかし、アフリカ音楽への熱い情熱は衰えることなく、2年間個人で貯めた資金でまた同様の企画を再演することになった。その一環で、1年半ぶりに横浜赤レンガ倉庫でのライヴ、さらにブルース・アレイでのライヴを行った。 「アフリカそのものだとなかなかお客さんが来てくれないのでアースのトリビュートという形にしました。アースの音楽にもカリンバがあったり、ピラミッドがでてきたり、グループのアフリカへの志向は大変強いものがあり、アースのアフリカ的魅力からこのイヴェントに足を運んでもらえれば嬉しいです」と平山さんは言う。 また、ブルース・アレイでのライヴはアース寄りだが、横浜のライヴはよりアフリカ寄りになる、という。 今回、バンドマスターとしていろいろ仕切った坂本さんに聞くと、「みんな楽譜読めないから、音源渡して、覚えてもらった。リハも大変だった」と言う。それにしては、アース楽曲のアレンジはレコード音源とまったく違っていて、ひじょうに個性的でおもしろかった。ファンキー・ベースマンでおなじみの坂本さんも、このアフリカのリズム隊になんら違和感なくなじんでいたのが、これまたすごい。(笑)  平山さんは言う。「アース・ウィンド&ファイアーや、マイケル・ジャクソンの『チェンジ』のメッセージ、スティーヴィー・ワンダーの強いメッセージは、音楽というものの中に、すべてがあるからだと思います。アフリカでの音楽というものは、会話であり、史実の伝承であり、ときには病気治癒としても何千年も前から使われてきました。興味深いことにそうした文化の中には、ほとんど文字がなかったんです。アフリカ人には書く習慣がなかったのです。だからこそ音楽が重要だった」 そうした生活感あふれるアフリカの音楽がアメリカに来て、アースやスティーヴィー、マイケルの音楽のDNAの中に組み込まれた。だからそのメッセージは強いというわけだ。そこで、そのルーツ的な意味も持ったアフリカの音楽を紹介したいという思いがこのイヴェントに込められている。 ■ 今日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」(午後2時半~、インターFM76.1mhz)で、このライヴ音源を使用してご紹介します。 関東地区の方は、パソコン通してラジコで聞けます。 http://radiko.jp/player/player.html#INT ■平山さんの人生を変えたスティーヴィー・ワンダーの「Ngiculela – Es Una Historia … Continue reading

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◎デイヴィッド・キング~マイケル・ジャクソン・トリビュート

◎デイヴィッド・キング~マイケル・ジャクソン・トリビュート 【David King Sings Michael Jackson】 マイケル。 日本在住のソウル・シンガー、デイヴィッド・キングが主催したライヴ。今回は昨年6月に引き続き、命日近くに「マイケル・ジャクソン・トリビュート」。 デイヴィッドは宣言。「昨年もここでトリビュートを行った。今年もこうやってやっている。来年もまたやる」 前回の6月のものを見られなかったので、デイヴィッド主催でのマイケルものは初めて。下記記事にある10月の秋谷さんのもので見たことはあった。 デイヴィッドのハイ・ヴォイスがマイケルのものを彷彿とさせる瞬間があり、一瞬、マイケルが蘇る。特にバラード系にその傾向が顕著。 今回はキーボードのキース・へインズが、あらゆるサウンドをシークエンスでプログラミング。これにあわせて、リアル・ミュージシャンが生演奏をする。このプログラミング、キースによると1ヶ月半かかったそうだ。ドラムスのジェイ、ベースのキース・ウィリアムス、ギターのマサ小浜はこの音を聴きながら演奏する。 途中で、マイケルを2度日本に呼んだポジティヴ・プロダクションのブロデリック・モーリスさんが登場し、マイケル来日時に氏が主催したパーティー(2007年3月8日、9日、モーリスさんによる)でデイヴィッドらが歌ったときのことを紹介。デイヴィッドはものすごくマイケルの前で緊張したそうだ。だが、その緊張したデイヴィッドも終演後にはマイケルから写真を撮りたいと言われ、大喜びしたとか。 デイヴィッドは、白い手袋などを用意し万全の体制でステージにのぞむ。可愛かったのが、デイヴィッドの子供、カイ君とマイちゃん。そして、デイヴィッドの親友でしばらく前に死去したカルヴィンの息子タク君たちが、「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」でステージにあがってダンスを見せたところ。ちゃんとリズムにのって踊ってるところがいい。 アンコールでは、デイヴィッドが友人たちをみなステージに上げて「ヒール・ザ・ワールド」を。それにしても、マイケルの曲は、どれを聴いても上がる。そして、バラードはしんみりする。 8月に行われる「ソウル・サーチン:ザ・セッション~マイケル・ジャクソン」でも、デイヴィッド・キングが中心となって歌うので、ぜひお楽しみに。ちなみに、ここでもギターは、マイケル~フィリップ・ウーで2日連続で会ったマサ小浜。 ■ 「ソウル・サーチンVol.10~マイケル・ジャクソン」予約はこちら 初日がかなり予約が満杯に近づいていますが、2日目(月曜)はまだ大丈夫ですが、お早目のご予約をお勧めします。 http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html ここで8月28日、あるいは、29日のReservationボタンを押して、指示通りに進んでください。 電話予約の場合は、03-5740-6041(12時~20時)03-5496-4381 (20時以降。店舗直接) 内容の詳細はこちら http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10921788278.html ■ブロデリック・モーリス著『マイケル・ジャクソン リアルカムバック 2006』 マイケル・ジャクソン リアルカムバック 2006 《THE REAL COMEBACK Japan 2006》 posted with amazlet at … Continue reading

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◎ フィリップ・ウー、自身の40年の歴史を振り返る

◎ フィリップ・ウー、自身の40年の歴史を振り返る 【Philip Woo Reflects His Own 40 Years】 歴史。 日本をベースに活躍するソウル・キーボード奏者、フィリップ・ウーが自身の音楽活動の歴史を振り返るというライヴを、誕生日に行った。これまでに、フィリップが関係してきたアーティストの作品群を、その思い出話とともにバンドで演奏するという趣旨だ。何年か前に、「フィリップの歴史を振り返るライヴをやって」と言っていたので、それが実現してひじょうに嬉しい。 この日は、一部・二部のセットリストを、「幼少期」「キャリアを始めて」「ピーク」と分け、子供の頃自分がどんな音楽に触れて、キーボードを触りだしたかなどを当時の写真をスクリーンに映しながら、語り、演奏をした。曲解説やアーティストとのエピソードなどがなかなかおもしろく、全部、文字起こししたいくらい。 初めてピアノで曲を覚えて弾いたのがビートルズで聞いた「マネー」。オリジナルはデトロイトのバレット・ストロング。さらにアニマルズ、ラスカルズ、ジミー・マグリフなど、ピアノで覚えた曲を弾き始めた。 そして、1975年、ロイ・エヤーズに誘われニューヨークに本拠を移し、キャリアをスタート。1976年7月全米リリースのロイのアルバム『エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン』で実質的な初レコーディング。以後、ロイのバンド、アシュフォード&シンプソンのバンド、グローヴァー・ワシントンのバンドなどに参加。その他のレコーディングやワンショットでのライヴ・パフォーマンスで多くのアーティストと共演してきた。 ニューヨークにやってきて、アップタウンにあったライヴハウス「ミケルズ」。ここはフィリップのアパートから近かったことからよく顔をだしていた。そこで多くのミュージシャンたちと知り合った、という。 僕も80年代に2-3度行ったことがあるのだが、ひょっとしたらすれ違っていたかもしれない。そうだ、思い出した。ここにわざわざシシー・ヒューストンのライヴを見に行った。ひょっとしたら娘のホイットニーも飛び入りするかななどと思って行ったのだが、ホイットニーは来なかったが、なんとルーサーがいて、飛び入りで歌った。ルーサーのフルショーのライヴは見てないが、飛び入りは見てたことを思い出した。 後半、グローヴァーの話、フィリス・ハイマンの話、シンディ・ローパーの話などなかなかおもしろかった。 今回のバンド、ヴォーカルはブレンダ、タヒーラ、アシュトン。ブレンダは風邪気味で体調が悪かったそうだが、この日はフィリップ誕生日ということで若干無理してやってきたという。そのせいか、いつもほどの元気がなくちょっと心配になった。アシュトンの歌声は、ジェフリー・オズボーンや、メイズ調の曲にとてもあってる気がした。また、タヒーラもひじょうに聴き易いシンガーだった。タヒーラは、「ソウル・サーチン~マイケル・ジャクソン」にも登場する。 そして、本編が終わり、アンコールに戻ってきたフィリップとメンバーは、「みんながなんでメイズの曲をやらないのか」と言われ続けてきたが、今日はやってみよう」と言って、2曲を披露。やはり、この2曲は鉄板だ。すでに観客席も総立ちで、「ジョイ! アンド~~ ペイン!」の掛け声は、いつのまにかコール&レスポンスに。 当たり前だが、曲がすべておなじみの曲ばかりだけに、満員の観客ののりもよく、パート2の期待も膨らむ。 ■ メンバー: (Pf/HAMMOND B-3/Fender Rhodes/Key)Philip Woo (G)マサ小浜 (Ds)Jay Stixx (Vo)Brenda Vaughn、Ashton Moore, Tahirih Walker (B)Cliff Archer (Sax) Andy Wolf ■ セットリスト:フィリップ・ウー 2011年6月29日水曜 Setlist Philip … Continue reading

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