Monthly Archives: January 2011

◎◆最近のライヴなどまとめて

◎◆最近のライヴなどまとめて 【Bits & Pieces Lately】 もろもろ。 このところ、ナイル・ロジャーズの日々のブログの翻訳が2日に1回くらいのペースで入ってくるために、どうしてもライヴ評などが遅れがちになっているので、最近のネタをまとめてさくっとご紹介。 ライヴは、一昨日(29日)はガッツこと中澤信栄(なかざわ・のぶよし)のライヴをひさびさに。青山・月見ル君想フ。なんと超満員で酸欠になりそうなほど。150人以上入っていたのでは。オリジナルのほか、コモドアーズの「イージー」、ボビー・コールドウェルの「風のシルエット(What You Won’t Do For Love)」なども。相変わらずうまく、のりもいい。 その前の土曜日(22日)ご縁あって、森真美さんの『morI mamI LIVE Siesta Octubo ~duality~』というライヴをブルーズ・アレイで。ダンサーも使い、しかも客席に花道を作るという斬新なステージ構成で、びっくり。しかも2部の登場では彼女がダンサーの人たちに持ち上げられてステージまで運ばれた。いやこれにもびっくり。なかなか演出の凝ったショーだった。 その前の20日(木)フィリップ・ウーのライヴ。相変わらずの調子のフィリップのソウル・ショー。リトル・ビーヴァーの「パーティー・ダウン」なんかをカヴァーするんだから、すごい。フィリップ曰く「リトル・ビーヴァーのは、ベースがジャコだよ」。マニアックである。今度の「ソウル・サーチン~クインシー・トリビュート」で自分が好きな曲が選ばれなかったので自分でやることにした、ということでやったのが、ブラザース・ジョンソンの「サンダー・サムズ」。マニアックである。フィリップは2月3日、4日、「ソウル・サーチン」に登場。ケイリブとのダブル・キーボードは間違いない。 1月16日には、シャンティーと事務所が同じバンドネオンの小松亮太さんのライヴをビルボードで。バンドネオンのライヴは初めて見た。バンドネオンとアコーディオンは違う楽器。まったく別物と言っていいそうだ。小松さんはとても話がうまく、音楽教室の先生のように、楽器のことなどをうまく説明してくれて、よくわかった。あれば、あのまま番組になるなあ。シャンティーがフランス語で「小雨降る径」というフランスのタンゴを歌ったが、ひじょうに新鮮だった。 シャンティーは、コロンビアからの第二弾アルバム(通算3作目)が、1月26日発売。 新作『Romance With Me』2011-1-23 ROMANCE WITH ME posted with amazlet at 11.01.30 SHANTI Brenda Vaughn David King 日本コロムビア (2011-01-26) … Continue reading

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★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第12回~第13回

★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第12回~第13回 【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】 『プラネットC(癌惑星)を歩いて』 ナイル・ロジャーズ著 闘病記。 ナイル・ロジャーズの癌闘病記、1月27日から28日までの2日分、写真・キャプション付き。彼は毎朝5時にきっちりアップしてくる。日本では夜の7時だ。それにしても、いつもながらに素敵な文章だ。さすがにこのナイルのブログに関しては、いろいろな反応をいただいている。みなさん、徐々にナイルの文章のファンになられていくようだ。 彼が歩くニューヨークがエピソードとともに語られるので、ナイルのニューヨーク案内のようになっているところもおもしろい。そして、彼が地元を歩くことで、自身の人生を振り返っているところも読み応えがある。 なにより、曲がでてくるので、このエッセイからは、メロディーが沸き立ってくるところがいい。そこで、今日から当該楽曲のYoutubeも貼ってみた。 また、多くの読者からのコメントのなかにも素晴らしいものがあり、それらもランダムに訳せたらおもしろいと思っている。 【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】 第12回 Sharks are Immune to Cancer Says Gervais  免疫システム Written on Tuesday, 27 January 2011 05:00 by Nile Rodgers (Japan … Continue reading

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◎ジョージ・クリントン・ライヴ~ファンクの宗教、そしてその教祖

◎ジョージ・クリントン・ライヴ~ファンクの宗教、そしてその教祖 【George Clinton : Funk Master】 司祭。 まるでクラブで同じBPMのものが延々と続くことによって、どんどん高揚してくるような陶酔感。Pファンクのライヴにはそれと似たものがある。ノンストップで大人数のバンドが、延々と煽りまくるファンク・サウンドで、嫌がおうでもファンクのシャワーに人々は身を委ね、腰をゆらし、頭を振り、腕を上げる。Pファンクは、ファンクの宗教だ。そして、クリントンは司祭、教祖様だ。 教祖は叫ぶ。「フリー・ユア・マインド(心を解放せよ)」。 ドラムスはときどき入れ替わり、ステージでは逆立ちするメンバーも。要は何でもありの自由なステージ。僕はステージに14人ほどを確認したが、入れ替わり立ち代りなので、もう少し多いのだろう。メンバー表では17人を数える。 だが、いずれにせよ、東京ジャズのとき同様、2セットあるときは、ちゃんとショート・ヴァージョンでまとめるわけだ。ある意味、プロと言えばプロ。そして、やはり、事前のセットリストはこのPファンク軍団にはなかった。ジョージのキューで次の曲が指示されているようだ。さすがに、そのキューはどうなってるかはわからなかった。もっと回数見ればその謎も解けるかもしれないが。 それにしても、ジョージ・クリントンの存在感と言ったらない。 (7時開演のつもりで行ったら、なんと土曜日で6時半スタートだった。頭の30分弱がかけてしまった。というわけでセットリストは不完全です) カルロス”サー・ノーズ” マックマレイ ■ 関連記事 2009年09月08日(火) ジョージ・クリントン&パーラメント、ファンカデリック・ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10337875691.html 2010年06月18日(金) ゲイリー・シャイダー(Pファンク)56歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10566244347.html ここに簡単なマザーシップ・ウォーズについての解説があります 2010年08月14日(土) キャットフィッシュ・コリンズ死去~JBズ、Pファンク軍団でギター http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10618316816.html ■ パーラメント マザーシップ・コネクション Mothership Connection posted with amazlet at 11.01.27 Parliament Island / Mercury … Continue reading

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★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第10回~第11回+

★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第10回~第11回 【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】 プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 闘病記。 ナイル・ロジャーズの癌闘病記、1月25日から26日までの2日分、写真・キャプション付きでどうぞ。彼は毎朝5時にきっちりアップしてくる。日本では夜の7時だ。特に25日分は、僕も訳してて胸を打たれた。この文章を書くにあたって、彼には編集者はいるのだろうか。彼が書いて即アップしてるのだろうか。構成とか彼自身の思い、そのままなのか。完成度が高い文章なので、すごいなあ、と思ってしまう。そのあたり、こんどナイルにきいてみよう。何度も「僕の元パートナー、バーナード・エドワーズが日本で亡くなった」という記述が出てくる。「僕の元パートナー」という表現も限りなくでてくる。25日分では今は亡きトニー・トンプソンとの話がでてくる。そして、26日分では彼とエディー・マーフィーらとの再会が描かれる。僕はこうして彼のブログを毎日読み、そして、訳しているうちに、彼の文章のファンにもなってきた。素敵な文筆家、作家、エッセイストだ。 第10回 Less Than Zero 絶望の淵 Written on Tuesday, 25 January 2011 05:00 by Nile Rodgers (Japan Standard Time, 25 January 2011 19:00) http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/235-walking-on-planet-c-motivation 極寒のニューヨークの朝。今朝も僕は僕のために歌いながら歩く 温度計は華氏6度と7度の間を行き来している。風があるので体感温度は0度以下に思う。だから早足で歩き、自分の体を暖める。朝のウォーキングに出る直前、素晴らしいギタリストで親しい友人でもあるスラッシュから「早く治って欲しい」というEメールがきた。 スラッシュと僕 スラッシュ、スティーヴ・ウィンウッド、サイモン・ルボンとは1996年、僕の元パートナー、バーナード・エドワーズが亡くなった日本で一緒にツアーを行った。バーナードは、日本での最後のショーを終えた翌日に亡くなった。そのことも、僕が自身の病気についてブログを書く理由になっている。 左・スティーヴ・ウインウッド(中央) 右・僕とサイモン・ルボン 日課のウォーキングをしながら、僕は写真を撮り、自分自身のために歌う。ダイアナ・ロスの「アップサイド・ダウン」が脳裏に浮かんだ。理屈では説明できないような何かを理屈付けしたいと思っていた、そんなとき、このメロディーは完璧だった。近年、僕はとても健康的な人生を送っていた。過去8年で40ポンド(約18キロ)ほど体重を落とした。 左・「アップサイド・ダウン」 右・デイヴィッド・リー・ロスと僕 だがかつて、僕は死の淵寸前まで行っていた。ドラッグ中毒で、毎日酒を浴びるように飲んでいた。だが僕はこの16年すっかりクリーンな体になっている。癌が発見される以前の検査で、かかりつけの医師はこう言ったものだ。「健康的になるために君が唯一やらなければならないのは、もっと運動をすることだよ」 … Continue reading

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○『ソウル・サーチン』イヴェント、リハーサル始まる

○『ソウル・サーチン』イヴェント、リハーサル始まる 【Rehearsal For Soul Searchin Event Have Just Begun】 リハ。 来る2月3日(木)、4日(金)、目黒のブルース・アレイで行われるイヴェント「ソウル・サーチン」のリハーサルが始まった。初日(1月26日)は、まずヴォーカル隊。音楽ディレクターのケイリブが、ゲイリー・スコットのヘルプを得て、有坂美香さん、オリヴィア・バレルさん、サユリーさんらと歌、コーラスのリハーサル。 この後、バンド・リハ、さらにバンドとヴォーカルの合同リハを経て、本番に向かう。 やはり、5声のハーモニーが一緒に出ると、さすがに圧巻。ちなみに、セットリストはほぼ完成し、ヴォーカル陣は、ここでリハーサルしたものを録音して持ち帰り、ホームワークで合同リハまでにほぼ完成させる。 いつも思うのだが、彼らの集中力の持続がすごい。プロは、もちろんそれが当たり前なのだが、改めて感心してしまう。 ちょっとネタばれしてしまうと、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をやる予定だが、これはそれだけでなく、クインシーの「プレイセス・ユー・ファインド・ラヴ」とメドレーにする。曲も有名だが、それぞれの個性あるシンガーたちのパフォーマンスも有名で、そこをうまくカヴァーし、「プレイセス・・・」にもって行く。このあたり、「ウィ・アー・ザ・ワールド」だけで終わらせない選曲はまさにケイリブの真骨頂だ。 バンド・リハの模様などもお伝えできればしたいと思う。 ■『ソウル・サーチン・プレゼンツ~~ソウル・サーチン:ザ・セッション~ア・トリビュート・トゥ・クインシー・ジョーンズ』(ソウル・サーチンVol.9) Soul Searchin Presents : Soul Searchin: The Session – A Tribute To Quincy Jones Kaleb James&The Soul Searchers Featuring Philip Woo 日時  2011年2月3日(木)、4日(金)午後7時半開演 会場  … Continue reading

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◎ファンテイジア初来日~ゴスペルを前面に押し出し

◎ファンテイジア初来日~ゴスペルを前面に押し出した『アメリカン・アイドル』出身のR&Bシンガー 【Fantasia : Contemporary R&B Singer With Gospel Roots】 ゴスペル。 2004年度のアメリカの人気テレビ番組『アメリカン・アイドル』で、ジェニファー・ハドソンなどを破って見事に優勝したのが、ファンテイジア。(発音は、ファンテイジャのほうが近いかも) 1984年6月30日ノース・キャロライナ生まれというから、まだ26歳。優勝したときは19歳だった。 初来日ということで大いに期待したが、その期待は裏切られなかった。歌のうまさ迫力をこれでもかとぶつけてくる若手シンガー。さすが、全米何万人の中から勝ち抜いて頂上にたどり着いただけのことはある。一番印象に残ったのは、迫力のあるそして爆発力のある歌力そのものだ。いまどきここまで熱く歌うのは、たとえば男だったら、ケイシー&ジョジョくらいではないか。昔はたくさんいたとおもうが。ステージに登場したときには、おかっぱ頭風、ちょっとモード風で、一瞬コシノジュンコさんが登場したかと思ったほど。なんて書いたら、ケイシー&ジョジョのいとこだそう。 つっぱった雰囲気のアティトュードを見せるあたりは、いかにも今風。途中の「オールド・スクール・メドレー」では、彼女が70年代や80年代のソウルをも自分のものにしていることがよくわかった。そして、そのベースにあるのが、アメリカ南部に根強く残るゴスペルだ。「パープル・レイン」から続けて歌ったゴスペル曲あたりでは、ビルボードがチャーチになった。このあたりは圧巻だった。フェンテイジアは、ゴスペルをベースにし、それを前面に出した現代R&Bシンガーと言える。 この熱い歌唱は、ノース・キャロライナという土地柄を反映している。まずゴスペルがある地域だからだ。ゴスペル曲にからめたミディアム調の曲で「みんな立ち上がってEverybody get up」とメロディーをつけて歌い、座っているお客さんのところに近づき、手を上げて、立たせる。2階席で座っている人を見つけ、2階にまで上がって盛り上げていた。 途中から盛り上がるといつの間にか、はだしになってステージや会場を練り歩いていた。ちょっと怒っているような雰囲気が日本で言えば和田アキ子風でもあった。ちょっとジャニス・ジョプリンみたいなところもあった。 なんか、とてもプリンスが好きそうに見えたが、「キス」「パープル・レイン」と2曲もプリンスをやったからか。本人はティナ・ターナー、アレサ・フランクリンなどに大きな影響を受けている、という。 バンドは、ドラムス、ギター、キーボード、ホーン3人(トロンボーン、トランペット、サックス)とコーラス3人、これにファンテイジアという計10人がオンステージだ。 彼女はジェットコースターのような人生を歩んでいる。16歳のときに学校でクラスメイトにレイプされ、高校をドロップアウト、17歳で娘を産んだ。2001年8月のことだった。そして、『アメリカン・アイドル』にチャレンジするのが2004年。ご存知の通り見事に優勝しデビュー。デビュー・アルバム『フリー・ユアセルフ』は全米で180万枚の大ヒットとなった。さらに、2006年『ファンテイジア』、2010年『バック・トゥ・ミー』とこれまでに3枚のアルバムを出している。次の4作目はゴスペル・アルバムになるとか。納得だ。これも楽しみ。 1 フリー・ユアセルフ 2004年11月リリース、180万枚のセールス フリー・ユアセルフ posted with amazlet at 11.01.25 ファンテイジア ジャジー・フェイ ミッシー・エリオット BMG JAPAN (2006-02-22) 売り上げランキング: 124863 Amazon.co.jp で詳細を見る 2 ファンテイジア 2006年12月リリース 53万枚のセールス … Continue reading

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★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第6回、」第7回、第8回、第9回

★△プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 【Walking on Planet C by Nile Rodgers 】 プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 闘病記。 ナイル・ロジャーズの癌闘病記、1月21日から24日までの4日分、写真・キャプション付きでどうぞ。徐々に、ナイルによるニューヨーク文化・巡りみたいな様相になってきて、そうした側面からもおもしろくなっています。そして、彼は詩人ですね。4日分お楽しみください。 +++++ 第6回 Motivation 動機 Written on Friday, 21 January 2011 05:00 by Nile Rodgers (Japan Standard Time, 21 January 2011 19:00) http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/231-walking-on-planet-c-motivation ウォーキングにでる直前、僕は朝のニュースに釘付けになった。3歳の女の子が乳房除去手術をしたという。乳がんを患ったが手術は成功、そして、今4歳になった。なにより早期発見がカギだ。数年前、ケイティー・クーリック(テレビ司会者)が、テレビで大腸の内視鏡検査は何も恥ずかしいものではないことを見せた。僕もその検査をしたので、彼女にどれだけ感謝していることか。そして、彼女がこの「セイヴ・ザ・レインフォーレスト・ベネフィット・コンサート」(熱帯雨林を救うためのベネフィット・コンサート)のリハーサル中に、SIRスタジオを訪れてくれたことにも感謝している。 テレビ司会者ケイティー・クーリー、後ろに見えるのは左がエルトン・ジョン、右がスティング あの頃、SIRスタジオは「ローズランド・ダンス・シティー」と同じ西52丁目にあった。ローズランドの楽屋入口はディスコ「スタジオ54」と同じ53丁目側にあった。「スタジオ54」のエアコン室外機もそこにあったのだ! 1970年代に流行のスポットだった「スタジオ54」に(エアコンの)ダクトからなんとか入ろうとした男が、その中で死んでいた。それに比べれば、僕はラッキーだった。ドアマンが「ファック・オフFuck off(消えうせろ)」と言ってくれたおかげで、シックの大ヒット「ル・フリーク」の「フリーク・アウト(Freak out)」というフレーズを思いついたのだから。 このダクトからスタジオ54に入ろうとして死んだ男がいた 僕は56丁目に向かい、カーネギー・ホールの楽屋入口に入った。昨年(2010年)6月、僕はここで、ブルース・スプリングスティーン、レディー・ガガ、サー・エルトン・ジョン、スティングらと一緒に演奏し、予備のギターに多くの素晴らしいアーティストたちのサインをしてもらった。カーネギー・ホールは、紛失や盗難になんら責任を持ってくれないが、幸運なことに、僕のギターは紛失することも、盗まれることもなかった。癌が僕の命を盗もうとしたが、自己責任で奪い返そうとしている。だから、僕は復活への道として毎朝ウォーキングをするのだ。 ブルース・スプリングスティーン … Continue reading

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○ケイリブ・ジェームス「ソウル・ブレンズ~ソウル・サーチン」に登場~「愛のコリーダ」は3度目の正

○ケイリブ・ジェームス「ソウル・ブレンズ~ソウル・サーチン」に登場~「愛のコリーダ」は3度目の正直でかかる 【Kaleb James Came To Studio Of Soul Blends】 Razmatazz。 「ソウル・サーチン」イヴェントでバンドマスターを務めるケイリブ・ジェームスが、『ソウル・ブレンズ』(インターFM、毎週日曜午後1時~3時)に生ゲストで昨日(1月23日)やってきた。 マーヴィンとケイリブはお互い名前は知っていて、一度くらい会ったことがあるという。最近は二人がフェイスブックでつながり、マーヴィンは以前からなんどもケイリブを呼ぼうよ、呼ぼうよ、と言っていて、ついにそれが実現した感じだ。それぞれ横浜に住んでいるが、どこでもばったり会ったことがない。 しかし、この生放送で一番おもしろかったのは、2曲目で「愛のコリーダ」をかけたときのこと。まず、僕が「愛のコリーダ」を曲紹介したら、なんとかかったのは「ラズマタズ」。同じ『愛のコリーダ(The Dude)』アルバムの6曲目だ。その瞬間スタジオの外にいたプロデューサー、オッシーの顔が固まった。 あわてて僕がマイクで「え~、これは愛のコリーダではないんで、いま、愛のコリーダをセットしますので~~」と言って、場をつないだ。実は、さらに裏話をすると、「ラズマタズ」のイントロが流れて、「ラズマタズ」の曲名が瞬時に浮かばず、僕はそれで妙にパニックしていた。(ここだけの話、ね)本当は「ラズマタズ」の曲についてしゃべろうと思ったんだが、それも出来ず適当につないでいると、ディレクターの進ちゃんが両手で準備出来たという合図をしたので再度曲紹介をした。「では、愛のコリーダ!」 すると、今度は今までBGMで流れてた「アイアンサイド」が再度流れた。オッシーは今度は固まった顔を両手で覆った。そして、大笑いしながらケイリブとマーヴィンが二人で「愛のコリーダ」をちょっと歌い出す。 再度僕が曲紹介、「それでは、3度目の正直で愛のコリーダ!」 イントロが流れた瞬間、僕は「きた!」と声を出してそれがそのまんまオンエアにのった。3度目でやっとかかり力が抜けたかオッシーひざから崩れ落ちた。今日一番おもしろかった舞台裏だ。 ところで、ケイリブに「ラズマタズ」の意味を聞いたら、「ううん、単語自体に意味はないんだよね~~。『ラズマターズ』(と言って、顔の表情を作り両手を広げた) 『ジャジャーン』って感じかな」。なるほど。一応、辞書を見ると、『〔見せ物や舞台の〕派手さ、けばけばしさ〈話〉曖昧な言葉、はぐらかし』と書いてある。はぐらかし、か。(笑) ま、曲が間違って出たときに出る一言が「ラズマターズ!」って感じでもいいんだ。Razmatazz! ちなみに、最初は本来1曲目をセットすべきところをなぜか6曲目をセットしてしまったから起こった。次は、再度かけるときに、今度はBGMのフェーダーをあげてしまったので、いままでのBGMが流れてしまった。次回からは気を引き締めて行きたいと思います。お聞き苦しいドタバタをおみせして申し訳ございません。お詫びいたします。 ソウル・サーチン・イヴェントについて↓ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20110123.html ○ 「ソウル・サーチン」参加のご予約方法 「ソウル・サーチン」参加のご予約を、今日からこちらのアドレスでも受け付けることにしました。次のアドレスに、あなたのお名前、連絡先、人数、どちらの日に参加か(3日木曜か4日金曜か)をお書きの上、お送りください。24時間以内に折り返し確認メールを差し上げます。(万一24時間以内に確認メールが届かない場合は、再度メールをお願いします) なお、松尾さんとMaru/Firelilyは3日、Yuriさんは4日の出演です。 soul_searchin_number1@yahoo.co.jp  (アドレスはコピーしてお使いください) なおこちらでの受付は2011年1月31日までとさせていただきます。 ■『ソウル・サーチン・プレゼンツ~~ソウル・サーチン:ザ・セッション~ア・トリビュート・トゥ・クインシー・ジョーンズ』(ソウル・サーチンVol.9) Soul Searchin Presents : Soul Searchin: The Session – A Tribute To Quincy … Continue reading

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○『ソウル・サーチン』松尾潔さんは2月3日に登場~今日ケイリブが「ソウル・ブレンズ」に登場

○ 『ソウル・サーチン』松尾潔さんは2月3日に登場~今日ケイリブが「ソウル・ブレンズ」に登場 【Soul Searchin: Matsuo KC Kiyoshi Will Be On 3rd, Kaleb Will Be On Soul Blends】 告知。 『ソウル・サーチン~ア・トリビュート・トゥ・クインシー・ジョーンズ』まで2週間を切った。2月3日(木)、4日(金)に向けて準備は順調だ。 これに先立ち、若干のお知らせとプロモーション告知を。 ○ 松尾潔さんは2月3日(木)に ペンディングだったトークパネルの松尾潔さんの登場日が、ついに初日木曜日(2月3日)に決定した。松尾さんファンは、3日にぜひお越しください。 ~~クインシーの言葉でプロデューサーを目指した松尾潔氏 トークパネルで登場するのは、これまでにルーサー・ヴァンドロス、アイズレイ・ブラザーズの回でもご登壇いただいたR&B音楽プロデューサー、松尾潔氏。松尾氏は、R&Bライター時代にクインシー・ジョーンズにインタヴューしたことが現在のプロデューサーになる大きなきっかけとなっている。クインシーのインタヴューで彼が何と言われたのか、どの言葉をきっかけに松尾氏は音楽を自らの「男子一生の仕事」にしようと思ったのか、クインシーのどこかすごいのか、クインシーから学んだことなどを具体的にお話いただこうと思う。 松尾潔氏オフィシャル・ウェッブ http://www.nevertoomuch.jp/top.html そのスタッフ・ブログ http://www.nevertoomuch.jp/fromstaff/ ○ 「ソウル・サーチン」参加のご予約方法 「ソウル・サーチン」参加のご予約を、今日からこちらのアドレスでも受け付けることにしました。次のアドレスに、あなたのお名前、連絡先、人数、どちらの日に参加か(3日木曜か4日金曜か)をお書きの上、お送りください。折り返し確認メールを差し上げます。 soul_searchin_number1@yahoo.co.jp (アドレスはコピーしてお使いください) なおこちらでの受付は2011年1月31日までとさせていただきます。 ○ ケイリブ・ジェームス、今日「ソウル・ブレンズ」にゲスト 今日、2011年1月23日(日)『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)のコーナーでケイリブ・ジェームスがゲストで登場、クインシーの話、ソウル・サーチンのイヴェントの話などをする。 ケイリブは「ソウル・サーチン」の第二回からホスト・バンドの音楽ディレクターとして活躍してもらっているので、いろいろな話が聞けると思う。彼もしゃべりだすと止まらないので、注意が必要だ。(笑) ケイリブ・ジェームスは、キーボード奏者兼ヴォーカル。自身のグループPhate(フェイト)で、さまざまな音楽的可能性に挑戦している。最近では、ニューヨーク・ミニットで活動。1987年、Al B. Sureのツアーに参加したことを皮切りに、Lenny Kravitzの世界ツアーに参加。その後Fred … Continue reading

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(告知)○ ケイリブ・ジェームス、明日「ソウル・ブレンズ」にゲスト~ソウルサーチン告知で

○ ケイリブ・ジェームス、明日「ソウル・ブレンズ」にゲスト 明日、2011年1月23日(日)『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz毎週日曜午後1時~3時)内「ソウル・サーチン」(午後2時半~)のコーナーでケイリブ・ジェームスがゲストで登場、クインシーの話、ソウル・サーチンのイヴェントの話などをする。 ケイリブは「ソウル・サーチン」の第二回からホスト・バンドの音楽ディレクターとして活躍してもらっているので、いろいろな話が聞けると思う。彼もしゃべりだすと止まらないので、注意が必要だ。(笑)  ケイリブ・ジェームスは、キーボード奏者兼ヴォーカル。自身のグループPhate(フェイト)で、さまざまな音楽的可能性に挑戦している。最近では、ニューヨーク・ミニットで活動。1987年、Al B. Sureのツアーに参加したことを皮切りに、Lenny Kravitzの世界ツアーに参加。その後Fred Wesley、Diana Kingなどのライヴにも参加。1990年代に来日し、以降日本とアメリカを行き来しつつ、ここ20年は本拠を日本にして、 日本国内のアーティストとコラボレーションをしている。国内アーティストでは、小比類巻かほる、杏里、マンディ・ミチル、AI、ミーシャなどのツアーに参加。また、吉岡正晴の『ソウル・サーチン』イヴェントでも音楽ディレクターとして、2004年の第二回『ソウル・サーチン』から参加。今回の通算第9回となる『ソウル・サーチン』は、Quincy Jonesをてがける。 インターFM『ソウル・ブレンズ』のページ http://www.interfm.co.jp/soul/index.php?mode=sun&id=57 ゲスト告知ページ http://www.interfm.co.jp/guests/ ENT>ANNOUNCEMENT>Soul Searchin>Vol 9

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★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第4回、第5回

★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第4回&第5回 【Nile Rodgers: Walking On Planet C #4】 闘病記。 先日、癌にかかり手術をしたことを公表したナイル・ロジャーズが自身のブログに毎日癌闘病記を書いています。1日目から翻訳していますが、第4弾と第5弾の全訳をお届けします。 また、闘病記のあとに、シックの4枚組みボックスセットのご紹介をいれました。 ナイル・ロジャーズ氏本人の承諾を得ましたので、ナイルのブログと同じ写真も掲載いたします。 また、ご存知ない方のために、ナイル・ロジャーズ&バーナード・エドワーズ・ストーリー(「ソウル・サーチン」吉岡正晴著より)のリンクも貼っておきます。シックがどのようにして、成功をつかみ、そして、成功の中で失敗し、再度這い上がったか。そのソウル・サーチンの物語。2000年7月発表作品です。 Soul Searchin : 第4話 ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ(シック)~友情という名のメロディー~(part 1) http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html Soul Searchin : 第4話 ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ(シック)~友情という名のメロディー~(part 2) http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-2.html +++ Walking on Planet C by Nile Rodgers プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第4回 60 Hours Later 60時間後 on Wednesday, … Continue reading

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◎ピート・エスコヴェード&シーラE

◎ピート・エスコヴェード&シーラE 【Pete Escovedo & Sheila E: Percussion, Percussion, Percussion】 打楽器天国。 彼らの手にかかると音が出るもの全てが何でもその場で瞬時に楽器に変身してしまうかのようだ。物を叩くことから生まれるグルーヴ、のり、そして、高揚感、幸福感。物を叩き、ハッピーになれば、誰も戦争することなんかを考えないと思う。彼らの喜びと楽しさにあふれたステージを見ているとつくづくそんなことを思う。 4人の管楽器、3人のパーカッション、ドラムス、ギター、ベース、キーボードという編成で繰り広げられる音はまさに打楽器天国だ。 日本でも人気のパーカッション奏者、シーラEとそのお父さん、また別の息子ホアン(つまり、シーラの弟)らを擁したエスコヴェード・ファミリーが集結したパーカッション炸裂の音楽団だ。最後には、ピートの孫(つまり、シーラの甥っ子)まで登場して、ちょっとしたラテン・フレーヴァーなラップまで聴かせた。ほぼ全編、踊れるラテン調サウンドで、のりは最高。ソウルのリズムとは違うのだが、踊ることを目的としたこのリズムは、高揚する。思わず座っていられず、踊りだすお客さんも。 ピートは、弟のコーク・エスコヴェードとともに、1970年代にはあのサンタナに請われてサンタナのメンバーとして世界を回った。その後、1972年にピート、コークらは大所帯のラテン・バンド、アズテカを結成。超ヴェテランだ。 お父さんのピートは現在75歳だそう。(1935年7月13日生まれ) 白髪が輝いていて、とても若々しい。 ファミリー総出の、まさにAll in the family。なんかイタリアン・ファミリーのような強力なファミリーの絆が感じられる。 客席には、同じオークランド出身でシーラEなどとも親しいブレンダ・ヴォーンもいた。 ピート、シーラたちはライヴが終わると上に上がり、すぐにサイン会。ファンと写真を撮ったり大サーヴィス。このあたりも、ファミリー・ビジネスのいいところだ。 ピート・エスコヴェード&ブレンダ・ヴォーン ■ シーラE関連過去記事 『鏡文字からよみがえる十六年前の思いで』 (2000年8月号L&G誌に掲載) http://www.soulsearchin.com/periodical/l&g/l&g17.html 2009年10月04日(日) シーラE&C.O.E.D.ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10356451176.html May 05, 2008 シーラE・ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10093915804.html August 11, 2006 Sheila E’s … Continue reading

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◎ダズ・バンド・ライヴ~いつものグルーヴ、いつものソウル

◎ダズ・バンド・ライヴ~いつものグルーヴ、いつものソウル 【Dazz Band Live At Cotton Club】 グルーヴ。 ドラムスとキーボードのKC以外、黒のスーツに赤いネクタイをびしっと決めたメンバーがステージに勢ぞろい。オハイオ出身の洗練されたファンク・バンド、ダズ・バンドの約3年2ヶ月ぶりのライヴ。2006年、2007年以来。 あいかわらず、かっこよく、ファンキーで、最高のバンド。若干、空席があるなあ、と思ったら、始まる直前に「大声のDJアトム」参上。「イエエエッ~~」とバンドのヴォーカルよりでかい声を張り上げて、リアクション。すばらしい。一声だすだけで、アトム参上がわかるというのもすごい。  「いええええ~~」「らいどおおおおおん」(DJアトム) さて、キーボードのKCとベースのEQは、ともにコン・ファンク・シャンなどでも来日、ステージに上がっている売れっ子ミュージシャン。だから、そのプロのグルーヴ具合は、格別だ。 今回はドラムス、ギター、ベース、キーボード、そしてサックス、トランペットの6人。リーダー、ボビー・ハリス(サックスとヴォーカル)、そしてスキップ・マーティン(トランペットとヴォーカル)、ベースのEQのノリが抜群にいい。 大ヒット「レット・イット・ウイップ」のお尻をペンペンするようなジェスチャーや、いくつかの曲についた振り付けなどが、ソウル・バンド・マナーを彷彿とさせる。実に盛り上げ上手なバンドだ。 そんな中ちょっとだけしんみりしたのが、リード・ヴォーカル、スキップ・マーティンが「父親が一月ほど前に亡くなって、これを父に捧げます」と言って歌ったスロー・ミディアムの「ハートビート」。そして、同じくスキップが、「次の曲は元妻に捧げます。というのも、俺はマジ切れしてるんだから(笑)」と言って歌いだしたバラードのクラシック「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」。 ダンス・ナンバーは客席がみな踊りだす。メンバーがオーディエンスに語りかければ、アトムが大声で答える。「イエエエエエッ~~」「オーーーーーライト~~」。(観客10人分くらいのリアクションを一人で背負う。ま、とにかく声がでかい(笑) 彼も盛り上げ上手なソウルマン!) ライヴが終わるとメンバーがすぐに客席に戻り、サイン会、ファンと写真を撮ったりして交流。というわけで、リーダーのボビーとEQとちょっと話ができた。 ボビーとEQ EQは、コン・ファンク・シャンで来たばかり。「どっちのバンドにも参加してるんだよ」 「じゃあ、もし同じイヴェントとかライヴで両方のバンドにでることになったら、どうするの?」と尋ねると、EQが答えた。「衣装を変えるだけだよ!(笑)」 「そう、衣装変えるだけ(笑)」(ボビー) 「まあ、気づく人もいるかもしれないけど、関係ないな(笑)」 なーるほど。コン・ファンク・シャンとダズ・バンドだったら、同じライヴ・ショーにブッキングされることも十分ありそうだ。 いつものグルーヴ、いつものソウル。いつも安心してみてられる。 ■ ダズ・バンド・ベスト(輸入盤) Dazz Band – Greatest Hits posted with amazlet at 11.01.18 Dazz Band Motown (1991-11-18) 売り上げランキング: 171510 Amazon.co.jp で詳細を見る … Continue reading

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★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第二回、第三回

★△ナイル・ロジャーズ「癌惑星を歩いて」~第二回、第三回 【Nile Rodgers: Walking On Planet C #2 & #3】 闘病記。 癌を公表したナイル・ロジャーズの癌闘病記。第二弾と第三弾の全訳をお届けします。 (ナイル・ロジャーズ氏本人の承諾を得ましたので、ナイルのブログと同じ写真も掲載いたします) Walking on Planet C by Nile Rodgers プラネットC(癌惑星)を歩いて ナイル・ロジャーズ著 第二回 Surgery Day 手術当日 Written on Monday, 17 January 2011 05:00 by Nile Rodgers (Japan Standard Time, 17 January 2011 19:00) http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/227-walking-on-planet-c-surgery-day … Continue reading

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★△ナイル・ロジャーズ、癌を公表

★△ナイル・ロジャーズ、癌を公表 【Nile Rodgers Reveals Prostate Cancer】 公表。 シック(シーク)のプロデューサーであり、ギタリストでもあるナイル・ロジャーズが2011年1月14日(金)(日本時間、15日朝)ブログ、フェイスブック、ツイッターなどで癌であることを公表した。それらの情報を総合すると、昨年(2010年)10月27日、医師から癌であることを告知され、治療方法の選択肢を提示され、結局、2011年1月11日(火)に手術を行い、無事手術は終了した。当初は癌の種類などは明かされていなかったが、日本時間17日夜7時半過ぎにアップされたブログなどで、前立腺癌であること、グリーソンスコア(癌の進行などを数値化したもの)ではかなり高い点(つまり、かなり悪性)であることを明かした。入院した病院は、ニューヨークのプレスビテリアン病院Presbyterian Hospital(マンハッタン68丁目)とみられる。ナイル・ロジャーズは2011年4月にブルーノートでの来日公演が決まっており、本人も来日すると明言している。 手術の数週間前、アース・ウィンド&ファイアーのオープニングを務めたときに、指に力が入らずギター・ピックを握れず、結局素手でギターを弾き、急場をしのいだという。いろいろと検査をして、複数の医師に診断をあおいだが、結局、さまざまな選択肢から根治手術を選択。1月11日に手術を行った。 そして、1月14日(日本時間で15日午前7時半ごろまでに)、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで癌を公表した。 2011年1月14日(午後12時アメリカ東部時間にアップ=日本時間15日午前2時ごろ)アップされた記事 http://nilerodgers.com/blog/walking-on-planet-c (全訳は下にあります)(Walking On Planet C) 2011年1月17日(午前5時アメリカ東部時間=日本時間17日午後7時ごろ)にアップされた記事 http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll Walking on Planet C : Surgery Day ナイルは、17日にアップされたブログ・エントリー(「手術当日Surgery Day」)の中で、自身が告知から手術、そしてリハビリ・完治までの過程を、多くの同じような病気になった、あるいはなるかもしれない患者のために、書き記すとしている。自身の恐怖の経験が少しでも同様の患者の手助けになり、共鳴してもらえればいい、という。 ちなみにこの日のエントリーでも自身の顔写真が出ているが、これは治療服(頭巾のようなもの)を着用している。また、下の写真はキャプションによると、マドンナがかつて住んでいた小さなアパート。この日、80年代に使っていたアドレス帳から、マドンナが電話番号を書き記したメモがぽろりと落ちた、という。それは彼女のマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴ後の打ち上げが行われたパレイディアム(当時人気のディスコ)の紙(きっとショップカードのようなものだろう)に書かれたものだった。 下記のナイルのブログ・エントリーは、涙を誘う。全訳をしたので、ごらんください。 ++++ 2011年1月14日(アメリカ日時=日本時間15日午前2時ごろ)アップされた記事 http://nilerodgers.com/blog/walking-on-planet-c この全訳です。 ナイル・ロジャーズ著 惑星Cを歩きながら~Walking On Planet C 2010年10月27日、僕に悪性の癌が見つかった。その瞬間、僕の幸福な音楽人生は音を立てて崩れ落ちた。まるでジョーズに体の内側から食べられ始めているかのようだった。生体検査の結果、僕は一刻も早く、自身でひじょうに重要な決断を下さなければならなくなった。多くの医師にセカンド・オピニオンを聞き、根治手術を受けることを決めた。癌とその周辺すべてを除去する手術だ。僕はこのことをほんの数人にしか言わなかった。誰にも心配をかけたくなかったからだ。特にホリデー・シーズンが近づく家族には心配をかけたくなかった。僕は出来うる限り、いつもどおりに振舞った。ついにそうできなくなるまで。僕の手の筋力が突然なくなったのだ。以来、多くのストレスとなる出来事が起こり始めた。僕は病院から家に戻り、ファミリーみんなにしばらく家を留守にしていた理由を説明し、人生、音楽、人々への感謝の気持ちを分かち合おうとした。 手術をする前には、ありとあらゆる結果の可能性について心の準備を進めた。それは僕の人生の中でもっとも恐怖を感じていた期間だった。死がすぐそこまで押し迫ってきていた。だが、僕は周囲の仲間と同じようにテンションをあげて過ごしていた。毎日4マイル(6.4キロメーター)のウォーキングは、来るべき手術と長期間におよぶセラピーへの大事な準備だった。 ウォーキングのとき、僕が耳を傾けた唯一の音楽は、自分自身に向けて自分自身で歌っていた歌だった。あるいは、僕の周りに何気なく流れてきた音楽だけだった。 … Continue reading

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◆マイ・ファースト・ライナーノーツ(パート2)

◆マイ・ファースト・ライナーノーツ(パート2) (昨日からのつづき) 【My First Linernotes (Part 2)】 ■ ジャズ・ファンク・アルバム アイス。 宮前さんから僕が書いた最初のライナーノーツを尋ねられたが、2枚目もよく覚えている。フランスのジャズ・ファンク・グループ、アイスというグループの『フリスコ・ディスコ』というアルバムだ。1975年12月に執筆。これは当時のビクター音産の横田さん(のちにヴァージン・ジャパン社長)から依頼された。たぶん、タイトルがディスコとついているので、ディスコについて詳しかった僕に依頼が来たのだと思う。メジャー・ハリスはそこそこアメリカでヒットしたので、存在を知ってる人も多いが、このアイスはほとんどヒットしなかったので、誰も知らないと言ってもいい。 ところが、リトル・ソウル・カフェにはこのアメリカ盤(プレステージ盤)があった。輸入盤なので、さすがに僕のライナーは見ることができなかったのだが、宮前さんは、「ジャズ・ファンクのアルバムでしょう?」と知っていた。おそるべし。 このグループは、リリース時にはそれほどヒットせず、またアーティストについても詳しくはわからなかったのだが、フランス・パリを本拠にしたファンク・グループで、後のインコグニートやブラン・ニュー・ヘヴィーズ的な今で言うジャズ・ファンク・バンドだった。当時はまだ「ジャズ・ファンク」という名称さえなかった。そして、このグループは、後に名前をラファイエット・アフロ・ロック・バンドと名称を変える。そして、さらにもっと後になると、このバンドの「ハーイエイク」という楽曲や「ダーケスト・ライト」という曲が、ジェイZやビズ・マーキー、DJホンダ、その他のヒップホップ系のアーティストによって、サンプリングで使われることになり、ちょっとした話題になる。そして、このアイス/ラファイエットのプロジェクトを仕切っていたのが、ピエール・ジョベールというフランス人の音楽業界人だった。 ピエールは、その後、個人的にもメールのやりとりをするようになるのだが、このアイス→ラファイエット・アフロ・ロック・バンドをベースに、このメンバーでいろいろなディスコっぽい曲を作り、違うグループ名でヒットを出すようになる。その中で日本でよく知られているのが、キャプテン・ダックス名義で出た「(ドクター・ビザール・)ソウル・フランケンシュタイン」という楽曲だ。これはディスコで大ヒット。 その後も、ニューヨークのウエストエンドから出たミッシェルの「マジック・ラヴ」(トム・モウルトンがリミックスを担当)なども、ジョベールの作品でこれも日本のディスコでもヒットした。もちろん、そうした話題は、リリースより後の出来事なので、アイスのアルバム・ライナーには触れられていない。もし、今これを書き直すとなると、そうしたネタをすべて含めて書いたほうがいいということになる。 ■ 1986年9月以降ワープロへ 3枚目。 さて、自分が書いたライナーノーツは2枚目までは覚えていたのだが、それ以降はっきりしなかったので、家に戻って調べてみた。 すると、3枚目は当時日本フォノグラムから出たホワットノウツのアルバム(1976年1月21日執筆)、そして、次がなんとパーラメントの『マザーシップ・コネクション』(1976年2月23日執筆)だった。さらに、リムショッツ、ディスコのオムニバス、チャック・ジャクソン、ドナ・サマーと続いた。 僕は1975年に最初のライナーノーツを書いたが、1986年9月まで手書き。1986年9月以降ワープロを手に入れ、ワープロで書くようになった。正確には、その3-4ヶ月ほど前に、1行だけ液晶画面に文字が出るワープロを使い始めたのだが、それは保存ができず、書いてプリント・アウトすると、それっきりという代物だった。9月以降のものは、キャノワードで書き、書いたものをフロッピーディスクに保存し始めたので、基本的には文字データとしてすべて残っている。 以来、ライナーノーツは1200枚以上書いたと思う。1000枚までは数えていたのだが、以降、数えるのをやめてしまったのだ。もう一度、資料を整理したほうがよさそうだ。 中には、同じアルバムを再発のときに改めて書き直したりしたものもある。また、ほんの数枚だが、原稿は書いたもののレコードが未発売になり、陽の目を見なかった原稿もある。没になった原稿は、生原稿が戻ってくることが少ないので、何を書いたか覚えていない。そんな中で覚えているのは、ルイス・ジョンソンのソロ・アルバムというのがあった。1983年ごろだったと思う。あと、マッスル・ショールズ・ホーンズのアルバムも書いたようだが、発売がボツになっていた。 ■ なぜライナーノーツが好きか 自由。 僕はライナーノーツを読むのも書くのも大好きなのだが、その最大の理由が、大まかな字数の制限はあるものの、何でも自由に書けるという点がある。雑誌や新聞だと、何文字x何行、とびしっと文字数が制限される。あるいはトータルの文字数で2000字でといった具合だ。ライナーの場合、当初は大体4000字くらいで依頼されるが、それが若干プラス・マイナスしても特に問題はない。ゆえに自由にいろいろと書ける。また、小見出しなども自由に付けられるので、ある程度原稿を書くと編集的な作業もできる。 そうした中で、そのアーティストに関する詳細な情報、アルバムの聞きどころ、参加ミュージシャンなどについて、いろいろ書けるのが楽しい。 さて、ライナーノーツというテーマだといくらでも、書いているうちに思い出すので、まだこのテーマで続くかもしれない。しばしおつきあいを…。(笑)  (ライナーに関しては続くかも) ESSAY>Linernotes

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◆マイ・ファースト・ライナーノーツ

◆マイ・ファースト・ライナーノーツ 【My First Linernotes】 ライナーノーツ。 先日、「ソウル・サーチン」のイヴェントのフライアーを配りにいくつかのソウルバーめぐりをしたのだが、下北沢のリトル・ソウル・カフェに立ち寄ったとき、たまたま他にお客さんがいなかったので、しばしマスターの宮前さんと雑談とあいなった。そこで、そのとき話がでたライナーノーツについてを書いてみよう。 ■ 初ライナー 日付。 雑談の中で、宮前さんに「吉岡さんが初めて書いたライナーノーツはなんですか」と聞かれ、「メジャー・ハリスのファーストです、1975年の7月か8月に書きました」と答えると、なんと暗がりの中のレコード棚からそのアルバム『マイ・ウェイ』が出てきた。(リトル・ソウル・カフェは何でもある) しかも、輸入盤ではなく日本盤。これはさすがに驚いた。だいたいソウルバーには輸入盤はあるが、なかなか日本盤はないのだが…。ということで、ライナーノーツを中からひっぱりだして見ると、しっかり原稿と僕の名前があり、そこには7月25日と書かれていた。1975年7月25日に書いたのだ。僕はライナーノーツには1枚目から必ず書いた日付をいれている。日付というのは最も重要な情報のひとつだからだ。このライナーは、当時のワーナーパイオニアの折田育三さん(のちにユニバーサル社長)から執筆を依頼されたもので、1600字程度の短いものだった。書き出しはおなじみの書き出し(「今度あなたのレコード・ライブラリーに加わることになった一枚のアルバムをご紹介します」)をここから使った。 ライナーノーツはご存知のようにもともと資料性の高い原稿だ。特に日本の場合、邦楽アーティストの盤にはつかないが、洋楽のものには必ずついていて、そのアーティストに関する情報がいろいろと書かれている。アメリカ輸入盤にはなかなかそうしたライナーノーツはないが、最近ではいわゆる古いものを編纂したライノ・レコードから出ているアーカイブ、集大成的なCDにはひじょうに詳しいライナーノーツが入っていたりする。また1960年代から1970年代初期のアメリカ盤には、ラジオDJが書く「推薦文」のようなライナーノーツがついていたが、これはあまり資料性はなかった。ライナーを書かせて、番組でかけてもらう、というニュアンスが強かったから、特に内容はどうでもよかったのだろう。もちろん、美辞麗句・賛辞が文面を飾る。 ■ ライナーに込めるもの 情報欲求。 僕も洋楽に興味を持ち始めた頃、買ったレコードのライナーは本当に隅から隅までよく読んだ。そこに書かれている情報から、そのアーティストの歴史、そのアーティストが影響を受けたアーティストや好きなアーティスト、カヴァー曲があれば、そのオリジナルを探してみたり、と音楽情報欲求はライナーノーツの情報でどんどんと膨らんでいった。 なので、僕がライナーを書き始めたときには、読者に出来るだけアーティストの生の声、事実をありのまま伝え、音楽への興味が広がってくれるようと考えた。そのアーティストが過去に出した作品、シングル盤やアルバムがあれば、それをすべてリストアップする。アーティストのインタヴュー発言があれば、それを紹介する。プロデューサーや参加シンガー、ミュージシャンなどの関係者の証言があれば、それを書く。そうした情報を読みやすいように編集して書く。そこには、そのライターの個人的な感想文などはまったく必要ない。ただの感想文ならば、その作品を聴いたリスナーがそれぞれ感じればいいだけのことだからだ。 そうして事実(バイオグラフィーやディスコグラフィー、インタヴュー)を突き詰めていくと、その原稿(ライナーノーツ)を書いた日付というのはひじょうに重要になってくる。たぶん、書いたときには筆者もそれほど重要とは考えないのだが、これが何年か経つと、この原稿はいつ書かれたものかというのが重要になってくる。ライナーノーツの「賞味期限」というのは、おそろしく長いものだ。もちろん、その作品を初めて聴いたときの印象と何年か後に聴いた印象が違ってくるのは当然のこと。そうしたものではなく、書かれたときは事実とされたものも、後から違ってきたりすることもある、ということだ。 ■ 長いスパンで読まれるライナーノーツ 賞味期限。 新聞や週刊誌、月刊誌は次の号が出れば、だいたい前の号は捨てられる。もちろんアーカイブとして残るものもあったり、古い資料として使われることもあるが、だいたい読み捨てられる。ところがライナーノーツは少なくとも次の作品が出たとき(1年後か2年後か5年後かわからない)、必ず読まれることが多い。そしてアーティストに歴史があればあるほど、古い作品のライナーは読まれる。だから、僕なども10年前の原稿を読み返したりすることが多々ある。 さすがに今ではライナーノーツの賞味期限が長いということを意識して書いているが、昔はそんなことは夢にも思わなかったので、ただひたすらアーティストについて調べ、取材ができればして、書いていた。だが、10年後に読み返すとさすがに恥ずかしい記述などがなくはない。僕の場合は資料性・事実を追及して感想文などを極力排除しているので比較的それが少ないように感じているが、それでも元々の事実が違っていたりすることもある。再発のときなどはチェックが必要だ。 書いた日付が重要になってくるのは、こんなときだ。たとえば、当初発表された情報が間違っていたり、あるいは恣意的にレコード会社に都合のいいストーリーが作られて発表されていたりすることがある。それが何年か経つと明らかになって間違いが訂正されたりする。そうすると、その原稿を10年後に見たときに、いつの時点で書かれたものかがものすごく重要になってくる。「これは、まだ当初の間違った情報を元に書かれたものだからしょうがない」とか、「この時期にまだこんな情報を書いてるということは、書き手として情報収集がなってない」といったことが判断されるわけだ。 ■ ジャーナリスティックな視点でのライナーノーツ 修正。 またライナーノーツは発売日の関連もあってひじょうに限られた時間内に書かなければならないから、どうしても情報収集にも限界がある。たとえば、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』のアルバムなど、これがリリースされたときには、なぜマーヴィンがこのようなアルバムを出したのかなど、わかる人はほとんどいなかっただろう。そんな情報はどこにも出てないからだ。 だが、今ではマーヴィンの自伝を読めば、なぜこのようなアルバムが出来たか、その必然性が痛いようにわかる。だから、もしこのアルバムが再発されるときには、当然そうした新しい情報を元に修正したライナーノーツが書かれるべきだ。 恣意的に情報が操作されるという点では、アーティストの生年月日がある。よくあるのが、実際より2歳年を若く発表するパターンだ。プリンスはデビュー当初、1960年生まれとされた。それがアルバム何枚か出るうちに、いつのまにか1958年になっていた。正確にいつ正しい情報に変更されたかは、今は覚えてないが、僕が1984年にアドリブ誌で「プリンス物語」を連載で書いたときには、すでに1958年生まれになっていたはずで、1978年から1984年までのどこかで、正しい情報になっていた。そうすると、最初の1-2枚のアルバムでは1960年生まれを前提に書かれていたとしてもしょうがないが、4枚目以降それを前提に書いているとまずいということになる。 誕生日。 また、僕がなぜアーティストに誕生日を聞くのかというと、誕生日というのは、そのアーティストの歴史が始まった記念すべき日だと考えているからだ。アーティストによっては、特に女性アーティストは、生年を明かすことを嫌がる場合が多いので、無理強いはしないのだが(笑)、だいたい何年に生まれたかわかると、14-5歳~20歳くらいまでが西暦何年くらいで、その頃ヒットした曲が何でということがわかり、ある程度の影響というものが読めてくる。 人間は、大体自分の歴史を自分の年齢で覚えている。「自分が何歳のとき、何々をした。あんなことをした。何歳でどこそこに引っ越した。学校に入った」といった具合で、これを西暦で語る人は少ない。史実を探ろうとすると、これがやっかいなのだ。読者や一般の人は、その人が15歳のときが、西暦何年かはまず考えない。それを西暦に直さないと、情報が整理されにくい。1940年生まれのアーティストの15歳(1955年)と、1950年生まれの15歳(1965年)、はては1980年生まれの15歳(1995年)では、音楽的ベースがかなり違ってくる。 1940年生まれの15歳、1955年にはロックンロールが誕生する。それを目の当たりに感じる。1950年生まれの15歳、1965年にはビートルズがすでに世界を席巻している。誰もがビートルズの影響なしには語れないはず。 そんなことをやって事実を突き詰めていくと、不思議なことにそのアーティストの人となりなどが自然と浮かびあがってくる。そういう意味で僕は調べて調べて調べて書くというタイプで、考えて書く評論家というより、ジャーナリスト的視点が強まったと思う。 (この項~ライナーノーツについて~つづく) メジャー・ハリスの『マイ・ウェイ』(注:下記の盤には、僕のライナーはついていません) マイ・ウェイ posted with amazlet … Continue reading

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●バーナード・ウィルソン(ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ)死去

●バーナード・ウィルソン(ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ)死去 【Bernard Wilson (Harold Melvin & The Bluenotes) Dies At 64】 訃報。 フィラデルフィアを本拠に活躍していたR&Bヴォーカル・グループ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのメンバーの一人、バーナード・ウィルソンが2010年12月26日、ニュージャージー州ヴォアヒーズのクレッソン・ヴュー・センターで心臓発作のため死去した。64歳だった。 ブルー・ノーツのメンバーは、リード・シンガーのテディー・ペンダーグラスが昨年(2010年)1月13日死去、またリーダーのハロルド・メルヴィンが1997年3月24日死去、その他のメンバーも死去しており、このウィルソンの死去によってオリジナル・メンバーで存命しているのは、ロイド・パークスだけとなった。ジョン・アトキンス、デイヴィッド・イーボなどもすでに他界していた。ローレンス・ブラウンは2008年4月6日63歳で、ルーズベルト・ブローディーという1950年代にメンバーだった人物は2010年7月13日に75歳で、それぞれ他界。ジェリー・カミングスは聖職者として活動を続けている。 今回亡くなったバーナード・ウィルソンは、1946年、ノース・フィラデルフィア生まれ。生粋のフィラデルフィア育ち。両親が早くに亡くなり、祖母に育てられた。16歳で独立(実質的な家出)しエンタテイナーとしての成功を夢見た。 一方、1954年、同じくフィラデルフィア出身のハロルド・メルヴィンが「ブルー・ノーツ」の前身「チャルマネーズCharlemagnes」を結成。1956年までに、バーナード・ウィルソン(まだ10歳)は、ハロルド・メルヴィンらと知り合い、徐々にグループに参加、グループ名もブルー・ノーツに。この時期のブルー・ノーツのメンバーは、ハロルド・メルヴィン、バーナード・ウィルソン、ルーズヴェルト・ブローディー、ジェシー・ジリス、フランクリン・パーカー。この5人がオリジナル・メンバーとされる。当初はドゥーワップ・グループとしてスタート、東海岸のインディ・レーベルからシングルなどを出すが大きなヒットにはなっていない。その後、ギリスとピーカーが、ジョン・アトキンス、ローレンス・ブラウンに交代。初ヒット「マイ・ヒーロー」が1960年に生まれる。 バーナードは、メルヴィンとは一時期離れたこともあったが、1971年にグループがケニー・ギャンブル&レオン・ハフの始めたフィラデルフィア・インターナショナル・レコードと契約するまでには、グループに戻り、正式メンバーとなっていた。グループには、1970年までにテディー・ペンダーグラス、ロイド・パークスが参加。この時点では、ハロルド・メルヴィン、バーナード、テディー、ローレンス・ブラウン、ロイド・パークス。その後、同グループはリード・シンガー、テディー・ペンダーグラスの歌唱とともに大ブレイク。最大のヒットは「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ(二人の絆)」(1972年)、ほかに「バッド・ラック」「ウェイク・アップ・エヴリバディー」などが生まれた。こうした大ヒットを背景にテディーは1976年にソロに転身。バーナードも1977年にグループを脱退。同じくブルー・ノーツを辞めたロイド・パークスらと、ハロルド・メルヴィンのものとは違う「ブルー・ノーツ」を結成し、マイアミのTKレコード傘下マーリンからアルバム一枚を出すが、ヒットはしなかった。その後は地元でソロ・シンガーとして活動を続けていた。 1971年から1976年までのハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのアーティスト写真、クレジットにはもちろん、バーナード・ウィルソンの名前・顔がある。しかし、レコーディング・セッションではリード・シンガーのテディー以外はスタジオに呼ばれず、コーラスなどは、テディーとプロデューサーのギャンブル&ハフ、ハロルド・メルヴィンらがつけるということもあった。ただ、ライヴ・ステージでは、彼らはテディーのバックをつけヴォーカル・グループの形を整えていた。 テディーはその後ソロ・シンガーとして成功。ハロルド・メルヴィンのブルー・ノーツは、フィラデルフィア・インターからABCレコードへ移籍。新リードを加入させるが、大ヒットは生まれなかった。 ■関連記事 2010年01月14日(木) (緊急寄稿) テディー・ペンダーグラス『トゥルーリー・ブレスド』ライナーノーツ 復刻 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100114.html 2010年01月16日(土) テディー・ペンダーグラス死去:フィリーのメッセージをのせて http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100116.html 2008年07月08日(火) シャロン・ページは来ています~ハロルド・メルヴィンズ・ブルーノーツ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080708.html February 27, 2006 Harold Melvin & The Blue Notes Live: The … Continue reading

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○『ディスコティック・ラヴ』~ディスコオムニバス、DJオッシーが選曲

○『ディスコティック・ラヴ』~ディスコオムニバス、DJオッシーが選曲 【Discoteque Love: Disco Compilation】 選曲。 毎週日曜日午後の東京の定番ラジオ『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1mhz=午後1時~3時)のプロデューサーでもあり、選曲もし、ディスコ、クラブなどでもDJをしているDJオッシーがディスコ作品を選曲した2枚組みコンピレーション・アルバム、その名も『ディスコティック・ラヴ』が2011年2月2日、発売される。 今回の選曲でDJオッシーが留意した点について次のように言う。「いろいろなディスコのオムニバスに入っていそうで入ってない曲、それでもフロアでいまだに大人気の曲をできるだけいれようとしました」とのこと。具体的には、「1曲目にいれたトム・ブラウンの『ファンキン・フォー・ジャマイカ』は、1991年の12インチミックスです。それから、ホイットニーとジャーメインの『やさしくマイ・ハート』もなかなか入っていません。ルーサー・ヴァンドロスの『スーパーレディ』も、まず入ってません。他に、ピーター・ブラウンの『ゲーム』、アレサ・フランクリンの『ゲット・イット・ライト』、ジャクソンズの『ウォーク・ライト・ナウ』、グロリア・エステファンの『ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ』、ジム・メッシーナの『シーイング・ユー』なども今回自慢の選曲です」と言う。 もちろん、今回収録されたのは全34曲。このほかに何十曲と候補があり、レコード会社の許諾がでなかったものなども多数あった。こうしたコンピレーションの編纂は、結局許諾が来ないと入れられないので、なかなか思うようにならないのが、選曲家の悩みどころ。 1枚目がいわゆる踊れるディスコヒット、そして2枚目がスローを集めたチーク用。 このアルバムの発売に関連して、2011年2月6日(日)の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」のコーナーで、DJオッシーが、初めて番組に「ゲストとして」登場する。オッシー&ヨッシーのかけあいをおたのしみに。 トラックリスト ディスク:1 1. ファンキン・フォー・ジャマイカ (1991 12” Remix) トム・ブラウン 2. やさしくマイ・ハート (Duet With Jermaine Jackson) ホイットニー・ヒューストン&ジャーメイン・ジャクソン 3. トゥゲザー・フォーエヴァー リック・アストレー 4. ダンシング・シスター ノーランズ 5. ベスト・オブ・マイ・ラヴ エモーションズ 6. パーティ・ナウ レイ・パーカー 7. ガット・トゥ・ビー・リアル シェリル・リン 8. スーパー・レディ ルーサー・ヴァンドロス 9. シャイン・オン ジョージ・デューク 10. レッツ・グルーヴ アース・ウィンド&ファイアー … Continue reading

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●スティーヴ・マンチャ死去~100プルーフなどデトロイト・ソウル・シーンで活躍

●スティーヴ・マンチャ死去~100プルーフなどデトロイト・ソウル・シーンで活躍 【Steve Mancha, Detroit Soul Man Dies At 65】 訃報。 デトロイト出身のソウルフルなシンガーで、ノーザン・ソウル・シーンを代表する歌手の一人でもあったスティーヴ・マンチャが、2011年1月8日午後4時8分、地元デトロイトのフォード病院で死去した。65歳だった。長く病気を患っていた、という。 1月23日に、デトロイトで友人たちが集まってトリビュート・イヴェントが行われる。 スティーヴ・マンチャは、その迫力のあるヴォーカルが最大の持ち味。個人名義のほか、100プルーフ(ワン・ハンドレッド・プルーフ)、エイス・デイ(8thデイ)などでも活躍、前者は「サムバディーズ・ビーン・スリーピング」(1970年=ソウルで6位、ポップで8位)が自身の歌でヒット、後者は「シーズ・ノット・ジャスト・アナザー・ウーマン」(1971年=ソウルで3位、ポップで11位)のヒットにかかわった。 スティーヴ・マンチャは、本名クライド・ダーネル・ウィルソン、1945年12月25日、サウス・キャロライナ州ウォーレル生まれ。5歳の頃(1951年頃)デトロイトに引越してきて、その後1960年頃までには、デトロイトの教会などで歌うようになっていた。デトロイトの音楽シーンで知り合ったメルヴィン・デイヴィス、トニー・ニュートン、そして、デイヴィッド・ラッフィン(のちにテンプテーションズのリード・ヴォーカルの一人に)らと「ジェイウォーカーズ」というグループを結成。その後、クライドはウィルバート・ジャクソンと「ザ・トゥー・フレンズ」という二人組み(デュエット)を結成、デトロイトでインディ・レーベルを始めていたハーヴィー・フークエがやっていた「HPCレコード」と契約、シングル「Just Too Much To Hope For c/w Family reunion」を1960年にリリース。ほとんどヒットはしなかったが、前者は、1967年、モータウンのタミー・テレルにカヴァーされる。その後、ハーヴィーは別のレーベルを、グエン・ゴーディー(モータウンを始めたベリー・ゴーディーの姉)とともに立ち上げるが、なかなか資金的にもうまく行かず、自身のアーティストを含めてレーベルをベリー・ゴーディーに売却してしまう。トゥー・フレンズとしてモータウンではヒットは出なかったが、二人はソングライターとしてモータウンでいくつかの曲を書くようになった。マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「マイ・リトル・ラヴ」、モニターズの「ナンバー・ワン・イン・ユア・ハート」などがモータウン時代の作品。 クライドは、モータウンを離れ、同じくデトロイトのもう一人のドン、ドン・デイヴィスと親しくなり、彼の勧めで芸名をつけることにした。それが、スティーヴ・マンチャという名だった。1965年10月、ドンの持つグルーヴスヴィル・レコードから「ユーアー・スティル・イン・マイ・ハート(You’re Still In My Heart)」さらに、1966年3月に「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ルーズ・ユー(I Don’t Want To Lose You)」(ビルボード・ソウル・チャートで34位を記録=初チャートヒット)などでデトロイトではかなりの人気シンガーとなった。 ドン・デイヴィスは、南部メンフィスのスタックス・レコードともつながりがあり、その後1969年に、ドンが持っていたスティーヴのマスターを、『レア・スタンプス』というアルバムにしてスタックスからリリース。ただし、このアルバムは、片面がスティーヴでもう片面がJJバーンズという珍しい2人アーティストのアルバムだった。 スティーヴは、その後もいくつかのヴォーカル・グループを転々とし、地元では有名な存在に。この頃残したシングル盤が後にイギリスのソウル・ミュージック・シーンで、いわゆる「ノーザン・ソウル」(南部のソウル=アメリカのサザン・ソウルに対して北部のソウル、という意味とイギリス・ロンドンより北の地域のクラブなどで人気があったノーザンという両方の意味がある)ということで注目を集め、スティーヴもちょっとした人気シンガーとなった。 1969年、モータウンを辞めたソングライター・チーム、「ホランド・ドジャー・ホランド」が設立したホットワックス/インヴィクタス・レコードと「ワン・ハンドレッド・プルーフ・エージド・イン・ソウル」というグループの一員として契約。100プルーフは1971年「サムバディーズ・ビーン・スリーピング」というミディアム調の作品をヒットさせ、これはゴールド・ディスクになる大ヒットとなった。100プルーフは3人組で、スティーヴ・マンチャのほか、エディー・ホリデイ、そして、ジョー・スタッブスからなる。ジョーは、フォー・トップスのリード・シンガー、リーヴァイ・スタッブスの弟。またジョーは、コントゥアーズ、オリジナルズ、ファルコンズなどデトロイトの名門グループを渡り歩いてきた。100プルーフは、1973年までに解散。 このインヴィクタス/ホットワックス時代には、レーベルメイトでもあったジョージ・クリントンのパーラメントのヒット「ブレイクダウン」などにも、クレジットなしで傘下していたこともあるという。1970年のパーラメントの『オズミウム』収録の「カム・イン・アウト・オブ・ザ・レイン」などでも迫力のあるヴォーカルを聞かせている。そして、100プルーフとほぼ同時に、スティーヴが書いた作品「シーズ・ノット・ジャスト・アナザー・ウーマン」という曲をレコーディング、これはエイス・デイ(8th Day)名義でリリースされ、またまた大ヒット。エイス・デイは、グループの実体を作るために、スティーヴの古くからの友人メルヴィン・デイヴィスをグループに推薦、メルヴィンが同グループのリード・ヴォーカルとなった。正式にはメルヴィンがリード・ヴォーカルということになっている。スティーヴ・マンチャは、その後再びソロ・シンガーとして活動していた。特にイギリスの「ノーザン・ソウル・シーン」では、引き続き人気を得ていた。 そうした人気を背景に、1998年ごろ、イギリスのディスコ、ソウル系のプロデューサー、イアン・レヴィンが彼と契約、イギリス録音の作品をいくつかリリースした。イアン・レヴィンは、アメリカのソウル・ミュージックが大好きで、契約のないソウル・シンガーと次々と契約し、レコード作りをしていた。イアンの持つ「モーター・シティー」レーベルでは、スティーヴ・マンチャの作品も残されている。 ■ 100プルーフ … Continue reading

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○ソウル・サーチンVol.9~クインシー・ジョーンズ準備進む~2011年2月に開催~最新情報

○ソウル・サーチンVol.9~クインシー・ジョーンズ準備進む~2011年2月に開催~最新情報 【Next Soul Searchin Will Be Featuring Quincy Jones】 クインシー。 一組のソウル・レジェンド、アーティストにスポットを当て、そのアーティストに関するトークとリアル・ミュージシャンによるアーティストの作品を生演奏で楽しむソウル・ミュージック・ファン期待のイヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション Vol.4』(『ソウル・サーチン』としては、通算9回目)が、2011年2月3日(木)、4日(金)に目黒のブルース・アレイで約1年5ヶ月ぶりに行わます。今回スポットをあてるのは、伝説的プロデューサー、クインシー・ジョーンズ。エラ、サラ、フランク・シナトラからブラザース・ジョンソン、シャカ・カーン、映画音楽、テレビ・ドラマのテーマ、そして、マイケル・ジャクソンまで。アメリカ音楽界、エンタテインメント界の頂点に立つ男、クインシー・ジョーンズ。彼は一体何を成し遂げ、アメリカの音楽史、エンタテインメントの歴史にどのような足跡を残したのか。その彼の半世紀におよぶ音楽活動を振り返ります。 スケジュールの関係で若干のメンバー変更があったのでお知らせ。ベースが今回は息才隆浩(そくさい・たかひろ)さんに変更になりました。また、新たにサックスにアンディー・ウルフさんの参加が決定。 セットリストもほぼ大枠で決まり、バンドマスターのケイリブが資料、歌詞などをメンバーに送りました。リハーサル予定も確定、スタジオも取れました。 僕が行った2度にわたるクインシーのインタヴューは、確かビデオに収めてあります。ただ古いテープなので、うまくコンバードしてDVDにできれば、一部でもお見せできればと思います。 ジャズ、ソウル、R&B、ポップ、映画音楽、テレビ、ヒップホップ、ラテン、ワールドまで、あらゆる音楽をてがけてきた巨匠クインシー・ジョーンズの魅力に迫る「ソウル・サーチン~クインシー・ジョーンズ」。ぜひたっぷりお楽しみください。 ■『ソウル・サーチン・プレゼンツ~~ソウル・サーチン:ザ・セッション~ア・トリビュート・トゥ・クインシー・ジョーンズ』(ソウル・サーチンVol.9) Soul Searchin Presents : Soul Searchin: The Session – A Tribute To Quincy Jones Kaleb James&The Soul Searchers Featuring Philip Woo 日時  2011年2月3日(木)、4日(金)午後7時半開演 会場  目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/ … Continue reading

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◎アラン・トゥーサン~ニューオーリンズの香りを漂わせて

◎アラン・トゥーサン~ニューオーリンズの香りを漂わせて 【Allen Toussaint : With A Touch Of New Orleans】 いぶし銀。 ニューオーリンズというローカルの良質の音楽が、レコード、CDというメディアにのって世界中に運ばれ、それが人気となって、アーティスト本人が日本にまでやってきて、その本場の音楽を披露する。アラン・トゥーサンのライヴは、そんなニューオーリンズ直輸入版そのものだった。きっと、アランは世界中のどこでどんな風に演奏しようとも、そのニューオーリンズの香りは絶対にはがせない。(ま、もちろん、どのようなアーティストも決してその出自は消せないものだが・・・) 2007年10月、2009年5月以来のビルボードへの登場。 一体、ニューオーリンズのリズムの秘密はなんなのだろう。どうやって生まれたのか、そして、どうやって発展したのか。トゥーサン教授に教えを請いたい。ニューオーリンズ独特の「セカンド・ライン」のリズムから、ブギーウギーのようなリズム、ソウル、ファンク、はてはクラシックまで。ありとあらゆるタイプの音楽を縦横無尽にクロスオーヴァーしていた。僕はトゥーサンはもっと「ニューオーリンズ・ニューオーリンズ」しているのかと思ったら、想像以上に多様性のある音楽家だった。 一番盛り上がったのは、12曲目の「バーボン・ストリート・パレード」。このノリは、本当にすごい。ルイ・アームストロング風のヴォーカルをサックス奏者が歌い、どんどん煽っていく。 そして、一番受けたのは、本編最後の「サザン・ナイト」。弾き語りからバンド演奏へ進み、一旦終了し、アンコールへ。アンコールの「ロング・ロング・ジャーニー」は、この日一番染みた。「700万人がこの古い街に住んでいる」という歌詞が、なんともいい雰囲気だった。そして、途中のピアノのフリースタイルでは、まさに好き勝手、自由自在、ありとあらゆる音楽をポップからクラシック、日本の「スキヤキ」「ティップティーナ」「チャタヌガ・チューチュー」などまで混ぜて、ピアノだけで聴かせる即興。これには驚いた。トゥーサンの横顔がときにベートーヴェンのように、そして、なぜかアインシュタインのようにも見えた。自由なピアノ即興をほぼ終えると、エンディングでもう一度「サザン・ナイト」に戻り締めた。このピアノ即興のときに、初めてピアノはスタインウェイでないとだめなんだと思った。こんなに自由自在に音楽を操る達人とは知らなかった。彼の場合、レコードもいいが、それ以上にライヴでその楽しさが感じられるアーティストという気がした。それも多くのライヴをこなし、ライヴに生きてきた経験から生まれるまさにいぶし銀のライヴを奏でるアーティストだ。 ニューオーリンズはフランスの香りがあるからか、どこか小じゃれたところがある。そして、アラン・トゥーサンの音楽にも、南部の泥臭さだけでない何か、ちょっとした洗練が端々に感じられる。事前に予定されたセットリストから大きく離れて、ミュージシャンをどんどんひっぱっていって、ショーを繰り広げた。きっと、毎日、ライヴは違った雰囲気になるのだろう。病み付きになりそうなライヴだ。もちろん、今年一番のライヴでした。(笑) (まだ、2本目ですが) +++++ (下記セットリスト5曲目の2本のリコーダーのようなフルートのようなものを同時に吹くところから始まるゆったりしたスロー曲がわかりませんでした。最後にトゥーサンが「look around coast」とか小さな声で言ったような気がしたんですが、たぶん、違ってます。「街を眺めると、たくさんのプリティフェイスが見える」みたいな歌詞だったと思います。どなたか曲名ご存知の方、いらっしゃったら、教えてください) ■ アラン・トゥーサン 「ザ・ブライト・ミシシッピ」(2009年4月発売) ザ・ブライト・ミシシッピ posted with amazlet at 11.01.10 アラン・トゥーサン ワーナーミュージック・ジャパン (2009-04-22) 売り上げランキング: 68011 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ エルヴィス・コステロとの作品 (2006年5月発売) ザ・リヴァー・イン・リヴァース(初回生産限定盤)(DVD付) posted with … Continue reading

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●ラリー・ハンコック死去~元S.O.U.L.、トゥルース

●ラリー・ハンコック死去~元S.O.U.L.、トゥルース 【Larry Hancock Dies At 62】 訃報。 1970年代からオハイオ州クリーヴランドを本拠に、S.O.U.L.、トゥルースなどのソウル・グループで活躍し、その後ソロに転じたラリー・ハンコックが2011年1月3日、オハイオ州クリーヴランドの自宅で心臓発作のため死去した。62歳だった。3日夜7時ごろ、オハイオ州クリーヴランドの自宅で胸の痛みを感じ、妻と娘に支えながら起き、マッサージを受けたが、救急車が到着する前に死去した。数年前に軽い発作を起こしたが、以後もライヴ活動、レコーディングも続けていた。 ラリーとアルは死去5日前に、ラリー宅で二人で一緒に曲を書いていた。アルの父の葬儀が、2010年12月24日にクリーヴランドであり、そこでラリーは、「ザ・ローズ・プレイヤー」を歌った。 ラリー・ハンコックの葬儀は次のところで、2011年1月10日、午前11時から行われる。The Word Church on South Miles in Cleveland, Ohio at 11:00am on Monday Jan.10, 2011. ラリーは本名ローレンス・エドワード・ハンコック(Lawrence Edward Hancock July 29th 1948)、1948年7月29日オハイオ州クリーヴランド生まれ。同地で1971年に、S.O.U.Lというグループにヴォーカルとオルガン奏者として参加。これは、「サウンド・オブ・ユニティー・アンド・ラヴ」の略。1972年にここに加入するビロイド・テイラーは、後にアース・ウィンド&ファイアーに楽曲(「ゲットアウェイ」)を提供したりするようになる。このグループは、クリーヴランドで行われたバンド・コンテストで優勝、賞金1000ドルを獲得し、ご褒美としてニューヨークのミュージコー・レーベルと契約、シングル、アルバムをリリースしてデビュー。このS.O.U.L.は、「ディス・タイム・アラウンド」(1973年、ソウル44位)、「ザ・ジョーンゼズ」(1975年ソウル65位)のヒットを放つ。ただし、S.O.U.L.のファースト・アルバムには、なぜかラリーの名はない。レコーディングには参加しなかったようだ。 その後、S.O.U.Lが解散した後、ラリーは、同郷の友人アル・ボイド、レオ・グリーン、ラッセル・ワッツらとトゥルースというグループを結成。アル・ボイドはその後、ソングライターとしてテンプテーションズに「シェーキー・グラウンド」を提供する。しかし、最初のトゥルースはなかなか目が出ず、ラリーとグリーを残して二人が脱退。ラリーとレオ・グリーンで地元のデヴァーキー・レコードからアルバム『カミング・ホーム』作品を発表。これが、日本のソウル・ファンなどの間でも評判となったが、アメリカではまったくヒットしなかった。そのため、ラリーはこの後ロス・アンジェルスに出向き一旗あげようとする。ロスで、アルフィー・サイラスとのデュエットもレコーディングするが、思うようにヒットせず、一時期は同じクリーヴランド出身のソニー・ターナーの勧めでソニーのプラターズの一員としてツアーにでたこともあった。そして、再びクリーヴランドに戻り、1988年、フランスのレコード会社から出たソロ・アルバム『ボーダーライン』が話題になった。 また、アルとオージェイズのエディー・リヴァートが知り合いだったことから、アルとラリーが共に書いた「テイク・ミー・トゥー・ザ・スターズ」という曲は、オージェイズの1979年のアルバム『ソー・フル・オブ・ラヴ』に収録されている。 OBITUARY>Hancock, Larry (Lawrence Edward Hancock) July 29th 1948-January … Continue reading

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◎SWVライヴ~謹賀新年ライヴ初め

◎SWVライヴ~謹賀新年ライヴ初め 【SWV Live: No.1 Live This Year So Far】 1番。 今年(2011年)初めてのライヴが、SWVとあいなった。ちょうど昨年も同時期(2010年1月)に来ていたが、締切に追われ見られていなかった。その前、ココ=シャニース=ニッキーという企画物ライヴがあった。(下記ライヴ評参照) 新春、ほぼ満席。圧倒的に観客は女性が多い。7-3か8-2で女性ファンではないだろうか。そういえば、TLCも同じく女性ファンが多く、SWVやTLCは女性に人気ということになる。女性ファンが多いということはそれだけリアクションも大きく、会場は熱くなり、盛り上がる。 バンドは、ドラムス、ベース、キーボードの3人。キーボードが3台のキーボードを一人で扱い、さまざまな音を交える。ドラムスは、ココのだんなさん、マイケル・クレモンズ。冒頭ビデオが5分、バンドのイントロが2分あって、やっと3人が登場。 一番顔が小さいココが多くの曲でリードを取る。それにしても客の反応が熱狂的。ちょうどみんな彼女たちのヒット曲で育ったのだろう。途中で客をステージに乗せるシーンが2度。最初は「イッツ・オール・アバウト・ユー」のところで男性2人を乗せた。一人はブラックの人、もう一人が日本人のマサくん。マサくんは、感極まって泣いてしまった。優しくメンバーがハグする。3人が登場して本編が終わるまで43分、若干短いなと思ったら、アンコールの「ウィーク」も観客を数人上げ、いじり、15分近く楽しんだ。さすがにここでも客席で涙ぐむ人多数。 ステージ前の熱心なファンに、「あなたのこと、覚えてるわよ」と気軽に声をかけ、ファンとの交流を楽しむ。 ステイプル・シンガーズや、パティー・ラベルのカヴァーって、やっぱりいいなあ。このあたりを持ってくるのが。 全曲、セットリストは昨年と同じだったようだが(曲順若干入れ替え)、新年恒例の褒め言葉。「SWV、今年見たライヴで1番! でした」(まだ1本目ですが…) ■ ベスト・オブ・SWV Best of posted with amazlet at 11.01.08 SWV RCA (2001-11-08) 売り上げランキング: 33051 Amazon.co.jp で詳細を見る ■関連記事 2008年06月20日(金) レディーズ・ナイト~ニッキー、シャニース、ココ歌う http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10108076025.html ■メンバー SWV (Sister … Continue reading

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●ボニーMのボビー・ファレル死去~フランク・ファリアンの成功の影で

●ボニーMのボビー・ファレル死去~フランク・ファリアンの成功の影で 【Bobby Farrell Of Boney M Dies At 61】 訃報。 ヨーロッパを拠点に活躍しているディスコ・グループ、ボニーMのメンバー、ボビー・ファレルが2010年12月30日(木)、ロシア・サンクトペテルブルクのホテルで死去した。61歳。ツアー中だった。ウェイクアップ・コールがなっても起きてこないことを不審に思ったホテルのスタッフが部屋に入り、死亡しているのを確認した。前日夜、ライヴを行っていた。 http://aol.it/hnTUKs  ■元祖フェイク・シンガーが表に出たグループ フェイク。 ボニーMは、1974年暮れ、西ドイツのプロデューサーでR&B、ブラック・ミュージック好きだったフランク・ファリアンがディスコでのヒットを狙ってスタジオ・ミュージシャンなどを集めてディスコ曲「ベイビー・ドゥ・ユー・ウォナ・バンプ」を作ったのが始まり。しかし、このヴォーカルを担当していたのは、自身シンガーでもあったフランク本人だった。その後、これがヒットしたために、フランクは、テレビ用にちゃんとしたシンガーをフロントに立てることを考え、シンガーのメイジー・ウィリアムス、ダンサーのボビー・ファレルなどをオーディションで抜擢。グループとしての体をなすことにさせた。その後、ボニーMは、フランクのプロデュースで、1970年代中期以降「ダディー・クール」「サニー」「マ・ベイカー」「ベルファースト」「リヴァーズ・オブ・バビロン」「ラスプーチン」などがヨーロッパを中心に大ヒット。一躍スターの座についた。日本でも、「ラスプーチン」「サニー」などがディスコで大ヒットし、大変な人気を獲得した。 ボニーMは、1975年から1988年までの間に38曲のトップ10(各国でのトップ10をカウントして)、ドイツで15曲のナンバーワン、イギリスで5曲のナンバーワンを記録する未曾有の成功を収める。 しかし、フロントに出てジャケットにも顔出ししたメンバーであるボビーはレコーディングには参加せず、基本はステージではクチパク、ときどき歌っていたという。女性シンガーは、マーシャ・バレットとリズ・ミッチェルが実際にはほとんどの部分を歌っていて、もう一人のメイジー・ウィリアムスは楽曲の歌唱クレジットにあまり名前がでていない。 ボニーM自体は、1970年代はヨーロッパを中心に爆発的人気を獲得していたが、1980年代後半になると、あまり大ヒットらしい大ヒットはでなくなったが、それまでの大ヒットの実績でヨーロッパではライヴ需要があり、彼らは何人かメンバーを変えたりして、ライヴの仕事を積極的に行っていた。またボニーM自体もファリアン本家のものとボビーの分派のものも活動していた。 その後、ファリアンは1980年代後期に、ミリ・ヴァニリという黒人二人組みのディスコ・グループを世に出すが、これもレコーディングではプロのスタジオ・シンガーを起用するが、ライヴやテレビなどでは、モデル兼ダンサーのフロント・マンを雇いクチパクで歌わせた。ミリ・ヴァニリの楽曲は、プロモーション・ビデオもあり、なんと、その後世界的大ヒット。それだけでなく、グラミー賞新人賞などを獲得した。しかし、実際にレコードでこの曲を歌っていたシンガーが、その事実を公表、スキャンダルとなり、最終的にファリアンもこれを認めたため、グラミー賞を剥奪されるという前代未聞の事件となった。 ボビー・ファレルは、ボニーMのフロント・マンとしてダンスをし、近年では若干のコーラスなどをつけていたようだ。 ボビー・ファレルは、1949年10月6日、西インド諸島・小アンティル諸島のアルバ(オランダ領)に生まれた。15歳以降セーラー(水兵)として働き世界の海を航海していたが、ノルウェイ、オランダなどに住み、その後ドイツにわたりDJなどをするようになった。1975年頃、西ドイツ(当時)のプロデューサー、フランク・ファリアン(1941年生まれ)に声をかけられ、ボニーMに参加した。 なお、1916年12月29日、ロシアの怪人物として名高いラスプーチンが、ボビーが死去した同じサンクトペテルブルグで死去している。命日が一日違いだ。 一方、ファリアンの活動は続き、2006年8月、ボニーMを題材としたミュージカル『ダディー・クール』をロンドンで公開したりしている。 +++ 才人プロデューサー、フランク・ファリアン ボニーMは、日本でも新宿のディスコを中心に曲が多数ブレイクし、その後有線、ラジオなどで大ヒットした。アラベスクなどと並んで、いわゆる「ミュンヘン・サウンド」のディスコ・アーティストとして日本でも大変な人気を獲得した。ボニーM成功の最大の立役者は、フランク・ファリアンだ。 実はフランク・ファリアンという人物はとても個人的には興味があって、これまでにもエラプションや、ボニーMなどのライナーノーツで少し書いたことがあった。だが、最近、新たに判明したことなどもあり、そのあたりをいずれまとめてみたい。元々、ロックンロールの洗礼を受け、60年代にはオーティス・レディングの「ミスター・ピティフル」をカヴァーしレコーディングしていたようなR&B好きの人物なのだ。 ■ ベスト・オブ・ボニーM ボニーM ザ・ベスト・コレクション posted with amazlet at 11.01.03 ボニーM BMG JAPAN (2008-08-06) … Continue reading

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○ソウル・サーチンVol.9~クインシー・ジョーンズ準備進む~2011年2月に開催~最新情報

○ソウル・サーチンVol.9~クインシー・ジョーンズ準備進む~2011年2月に開催~最新情報 【Next Soul Searchin Will Be Featuring Quincy Jones】 クインシー。 一組のアーティストにスポットを当て、そのアーティストに関するトークとリアル・ミュージシャンによるそのアーティストの作品を生演奏で楽しむイヴェント『ソウル・サーチン:ザ・セッション Vol.4』(『ソウル・サーチン』としては、通算9回目)が、2011年2月3日(木)、4日(金)に目黒のブルース・アレイで行われる。今回スポットをあてるのは、伝説的プロデューサー、クインシー・ジョーンズ。その準備が進んでいる。 今回もゲストに「ソウル・サーチン」の常連、木下航志が登場して、クインシー作品を歌うことが決定した。ほかにゲストを打診中。また、トーク・パネルは吉岡正晴の司会に、松尾潔さんが、どちらかの日程で登場を調整中。前回アイズレイ・ブラザースのときも、初日にトーク・パネルで登場した。 またスケジュールの関係で若干のメンバーの変更も。ベースが当初のジーノから、小松秀行氏に。コーラスのひとり、ポーラ・ジョンソンが有坂美香さんに変更になっている。 先日、ケイリブと深夜、スカイプで選曲打ち合わせ。いま、だいたい20数曲候補を選んでいるが、時間的にできるのは、せいぜい20曲程度。いまのところ、トークを第一部と第二部の頭にそれぞれ15分程度見込んでいるが、ライヴが各70分程度として10~13曲あたりが最大。過去「ソウル・サーチン」では、大体20曲程度を演奏している。今回は60年代の曲は若干短いので、比較的曲数は増やせるとも思うが、果たして。 結局、今回、クインシー作品群の中でもホーン・セクションを含めたビッグバンド作品は、ホーンがいないので、あきらめることに。「それは予算があるときに、パート2でやろう」とケイリブと話した。ただサックス奏者は、われらがゲイリー・スコットがいるので、例えば、ジェームス・ムーディーの部分はゲイリーに任せられる。 クインシーは、同じ楽曲を新しい人でカヴァーすることをよくやっている。たとえば、マイケルの「ロック・ウィズ・ユー」をブランディー、「ストンプ」をストンプのメンバー、ブラザース・ジョンソンの「トゥモロー」をテヴィン・キャンベル、ブラザース・ジョンソンの「アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー」をレイ・チャールズ、シャカ・カーンなど。どちらのアレンジで行くかなどもおもしろいところ。 フィリップ・ウーは、「エヴリシング・マスト・チェンジ」をインストゥルメンタルでやってみたい、という。これはなかなかのチャレンジでおもしろそう。オリジナルでは、作者のベナード・アイグナーが歌ったり、ランディー・クロフォードのヴァージョンでも知られる。「ソウル・サーチン」でも、この曲の後半はフィリップとヴォーカルとのかけあいという手もある。 しばらく前に亡くなったジェームス・ムーディーの「ムーディーズ・ムード」は、トリビュートの意味合いも込められる。 トークでは、僕も2度クインシーにインタヴューしているので、そのときの話なども織り交ぜたいと思う。 ジャズ、ソウル、R&B、ポップ、映画音楽、テレビ、ヒップホップ、ラテン、ワールドまで、あらゆる音楽をてがけてきた巨匠クインシー・ジョーンズの魅力に迫る「ソウル・サーチン~クインシー・ジョーンズ」。ぜひたっぷりお楽しみください。 +++++ ■『ソウル・サーチン:ザ・セッション~クインシー・ジョーンズ・トリビュート』 2011年2月3日(木)、4日(金) 目黒ブルース・アレイ 午後7時半~ ケイリブがやってくれたプロモ・ビデオ http://www.bluesalley.co.jp/schedule/video/movie.html?c_code=Schedule-20101028161957 ブルース・アレイ2月のサイト(1月がでてきますので、NEXTで2月に進んでください) http://www.bluesalley.co.jp/schedule/live.html# ここから詳細、予約(reservation)へ行くと予約ができます ■ メンバー 「ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズ・フィーチャリング・フィリップ・ウー」 ケイリブ・ジェームス(キーボード&ヴォーカル)Kaleb James フィリップ・ウー (キーボード、ハモンド・オルガン) Philip Woo 高田真(ドラムス)Takada Shin マサ小浜(ギター) Masa … Continue reading

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●2010年死去したアーティスト

● 2010年死去したアーティスト 【2010 Obituary : Your Soul Forever】 訃報。 2010年も多くの訃報が届いた。この「ソウル・サーチン」でご紹介した訃報およびその関連記事をまとめました。改めて、ご冥福をお祈りしたいと思います。なお、ブログで書けなかったもので、ツイッターでご紹介したものもここにまとめました。来月のグラミー賞授賞式でも、これらのアーティストたちが追悼されると思います。なお下記日時はブログのアップ日で、死去日ではありませんのでご注意ください。 2010年01月06日(水) (速報)ウィリー・ミッチェル~メンフィスソウルの重鎮、81歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100106.html 2010年01月07日(木) ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100107.html 2010年01月14日(木) テディー・ペンダーグラス59歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100114.html 2010年03月07日(日) (速報)ドラマティックスのロン・バンクス死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100307.html 2010年03月08日(月) ドラマティックスのロン・バンクス58歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100308.html マルコム・マクラーレン64歳で死去。 http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010040901000259.html http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8610423.stm posted at 13:34:40 April 9th, 2010 2010年04月22日(木) ラッパー、グールー47歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100422.html 2010年05月11日(火) リナ・ホーン死去~私は私:人種の壁を乗り越えた92年の人生 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100511.html … Continue reading

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◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート4

◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート4 【Best Of Soul Searchin 2010 : Part 4】 パート4。 「ソウル・サーチン・ブログ」の2010年のベスト・オブ、パート3、10月から12月までのエントリーからの選抜です。1月から9月までは、前日までをごらんください。じっくりごらんください。 ベスト・オブ・ソウル・サーチン パート4 【2010年10月の1本】 2010年10月21日(木) デイヴィッド・フォスター&フレンズ~シャリースがすべてを持っていった夜 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101021.html 2010年10月22日(金) デイヴィッド・フォスター・ライヴ~時代の変遷によって入れ替わるスター http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101022.html 2010年10月24日(日) シャリースの未来~若年層向けヒットと「ビッグ・ソング」での大ヒット http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101024.html この月の話題を集めまくったフィリピン出身のシャリース・ペンペンコちゃんを含むデイヴィッド・フォスターのライヴ評。 【その他の候補】 2010年10月03日(日) ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101003.html 2010年10月04日(月) ラムゼイ・ルイスのジャズ・セミナー~ラムゼイ・ルイス語る(パート2) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101004.html これは、ひじょうにインフォーマティヴ(情報量の多い)な、セミナーでした。 2010年10月05日(火) ゴールド・コンサート第7回~9歳の少女佐藤英里さん「アメージング・グレイス」で観客を圧倒~初の http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101005.html 9歳の少女佐藤英里さんの衝撃。 2010年10月07日(木) ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20101007.html 2010年10月08日(金) ジョン・レジェンド新作『ウェイク・アップ』は彼の最高傑作 (パート2)~「ウェイク・アップ・エ … Continue reading

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◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート3

◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート3 【Best Of Soul Searchin 2010 : Part 3】 パート3。 ソウル・ミュージックに関する情報を独自の視点でお送りする「ソウル・サーチン・ダイアリー」は、2002年6月からスタート。2002年10月6日以降は、当初はほんの一言しかないものもありましたが、10月以降は徐々に文字量が増え、その多少はありますが、一日も欠かさず現在まで続いています。文字量の最低数は600字。多いものは2-3000字におよびます。訃報記事などが飛び込んできた場合、1日複数の投稿が掲載されることもあります。そこで、年間最低365本の記事から読み応えのあるベスト・エントリーを選ぶ、恒例「ベスト・オブ・ソウル・サーチン」。その「ソウル・サーチン・ブログ」の2010年のベスト・オブ、パート3、7月から9月までのエントリーからの選抜です。パート1、2は、前日、前々日のブログをごらんください。 ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート3 【2010年7月の1本】 2010年07月08日(木) ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100708.html 個人的には、「ソウル・サーチン」で取り上げたハーヴィーの死去が、大変インパクトがあったので、これを今月の1本に選びました。 【その他の候補】 2010年07月01日(木) リーラ・ジェームス、4年ぶりの来日ライヴ~炸裂するソウル・エクスペリエンス http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100701.html リーラ・ジェームス・ライヴ評。 2010年07月02日(金) 『キャプテンEO』ついに再開~驚異の4Dエクスペリエンス http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100702.html 2010年07月03日(土) 『キャプテンEO』と『マイケル・ジャクソン死の謎』 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100703.html マイケル『キャプテンEO』関連2本。20年ぶりくらいに見る『キャプテンEO』 2010年07月04日(日) 『アメリカン・トップ40』40周年 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100704.html 2010年07月10日(土) マイケル・ジャクソン遺品展~遺品から放たれるオウラ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100710.html 2010年07月12日(月) レイラ・ハサウェイ~スペースのある自由度あふれるライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100712.html 2010年07月14日(水) ジャム・セッション・スペシャル~レイラ・ハザウェイ、アンジェラ・バンドらと … Continue reading

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◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート2

◆ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010、パート2 【Best Of Soul Searchin 2010 : Part 2】 パート2。 「ソウル・サーチン・ブログ」の2010年のベスト・オブ、パート2、4月から6月までのエントリーからの選抜です。 【2010年4月の1本】 2010年04月11日(日) (独占)『ディス・イズ・イット』、これがリハ最後の未公開セットリストだ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100411.html 【その他の候補】 2010年04月05日(月) 『ソウル・サーチン』再開第一回 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100405.html 2010年04月08日(木) 父と子の共演、日野皓正と日野賢二ライヴ~「ただのギグ」が「ザ・ギグ」になる瞬間 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100408.html 2010年04月09日(金) ジョー・ヘンリーからソロモン・バークへの伝言 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100409.html 2010年04月14日(水) 映画『プレシャス』~16歳プレシャスの運命は~今年のブラック・ムーヴィーの傑作 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100414.html 2010年04月19日(月) 映画『プレシャス~小説「プッシュ」を元に~』 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100419.html 2010年04月18日(日) 中国政府クチパクを禁止~クチパク歌手に初の罰金 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100418.html 2010年04月27日(火) シック~ナイル・ロジャース(パート2): 自伝を執筆中 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100427.html +++ 【5月の1本】 … Continue reading

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◆「ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010」(パート1)

◆「ベスト・オブ・ソウル・サーチン2010」(パート1) 【Best Of Soul Searchin 2010 (Part 1)】 ベスト ソウル・ミュージックに関する情報を独自の視点でお送りする「ソウル・サーチン・ダイアリー」は、2002年6月からスタート。2002年10月6日以降は、当初はほんの一言しかないものもありましたが、10月以降は徐々に文字量が増え、その多少はありますが、一日も欠かさず現在まで続いています。文字量の最低数は600字。多いものは2-3000字におよびます。訃報記事などが飛び込んできた場合、1日複数の投稿が掲載されることもあります。そこで、年間最低365本の記事から読み応えのあるベスト・エントリーを選ぶ、恒例「ベスト・オブ・ソウル・サーチン」。今日はそのパート1、まず2010年1月から3月までのエントリー約90本の中から選びます。 なお2002年6月以降の『ソウル・サーチン・ダイアリー』のアーカイヴは次のところにすべてあります。年月のところをクリックすると、その月のタイトル一覧がでます。2008年12月まで。2007年3月以降はアメブロにあります。「ベスト・オブ」は2004年分以降のエントリーから毎年翌年1月の最初に選んでいます。したがって、2002年分、2003年分の「ベスト・オブ」が未選出です。2004年から2010年まで過去7年分の「ベスト・オブ」を選んであります。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/index.html 2002年6月から2008年12月までのアーカイヴ。月ごとに整理してあります。 http://ameblo.jp/soulsearchin/ 2007年3月から現在まで 【1月~今月の1本】 2010年01月09日(土) 『ソウル・ディープ』をより理解するための書籍など(パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100109.html 2010年01月10日(日) 『ソウル・ディープ』6回目を見て~すっぽり抜け落ちた1980年代 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100110.html 2010年01月11日(月) 『ソウル・ディープ』にアリシアは入らず。21世紀のブラック・ミュージックは、アリシア・キーズの http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100111.html 2010年01月13日(水) 『ソウル・ディープ』NHK放送のカット部分 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100113.html 一連の『ソウル・ディープ』関連の記事をまとめて。BBCが制作したテレビ・ドキュメンタリーは、さまざまな賛否両論がありましたが、議論を提供するという意味でいいたたき台になりました。 【その他の候補】 2010年01月07日(木) ウィリー・ミッチェル~メンフィス・ソウルの重鎮、81歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100107.html 2010年01月14日(木) (緊急寄稿) テディー・ペンダーグラス『トゥルーリー・ブレスド』ライナーノーツ 復刻 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100114.html 2010年01月16日(土) テディー・ペンダーグラス死去:フィリーのメッセージをのせて http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100116.html ソウル・シンガー、テディー・ペンダーグラスの訃報記事関連。 … Continue reading

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○謹賀新年

○謹賀新年 【Happy New Year】 謹賀新年 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 ソウル・サーチャーは、今年もソウル・サーチンに精進いたします。 みなさんにとっても、幸多き一年になりますように。 2011年1月1日 吉岡正晴 The Soul Searcher +++++ 検証。 さて、昨年一昨年15項目の目標を書きました。今年それに2項目加えました。 1) 聴いたCDは、そのCDのプラスチックケースの中に必ず戻す。そして、最初にあったところに必ず戻す。 2) 届いた郵便物は3日以内に必ず封を切る。 3) いらないものはすぐ捨てる。そして大掃除。 4) しっかりプランを練る。予定や目標や企画を立てて、紙に書く。そして実行する。 5) 聴いたこと、見たこと、感じたことは、忘れないうちにすぐ書き記す。 6) スタンダード1000曲を覚える。 7) オールタイム・ベスト100アルバムを選出する。 8) 50・50・50をなんとか一度は成し遂げてみたい。 (ライヴ50本、書籍50冊、映画50本を見る) 9) 「ソウル・サーチン・ウェッブ」のリノヴェーションをしたい。 10) 「ソウル・サーチン」イヴェントと、その周辺アーティストのライヴを充実させたい。 11) ソウル関係の本を何か出す。 12) 音楽映像番組を作る。 (ドキュメンタリーでも音楽番組でも) 13) 週刊誌か月刊誌でコラムをはじめる。 14) 何か月1でもいいので、これぞというソウル番組をラジオでやりたい。 15) また、アーティストたちとからんで、これまでと違う何かクリエイティヴなことをやってみたい。 16) 電子書籍、メルマガなどをやってみたい。(2011年の新項目) 17) 過去に書いたもののデータベースを作ってみたい。(2011年の新項目) 2010年の最大の心残り。いわゆる本当の大掃除ができなかったこと。(去年から持ち越しか(笑)) やはり、昨年から、どうも、これといった発展、進化がない。日々に流され、あっという間に1年が過ぎていく…。(去年から変化なし) … Continue reading

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