Monthly Archives: July 2010

◎ハーレム・ナイツ第9回(パート1)~マイク・デイヴィスがトリ~モノマネ、ヴォイパありの多彩な2

◎ハーレム・ナイツ第9回(パート1)~マイク・デイヴィスがトリ~モノマネ、ヴォイパありの多彩な2時間半 (内容が少しでます。これからごらんになる方で事前に内容をお知りになりたくない方はご注意ください) 【Harlem Nights Featuring Kim Davis & Mike Davis】 ハーレム。 横浜ランドマーク・タワーが出来た翌年の1994年に第一回、2003年に第二回、以降毎年7月に行われている横浜夏の風物詩「ハーレム・ナイツ」は、今回で9回目になる。来年は10周年。毎回完売となっている人気イヴェントだが、今年も5日間6回の公演が完売。この人気には驚くばかり。しっかりした企画、運営の賜物だろう。 さて、今年は第9回で、これまでとの大きな違いはタップ・ダンサー、オマーが参加していないこと。そのかわり、ヴォイス・パーカッション(ヴォイパ)、インパーソネーター(モノマネ)など芸多彩なアーティストが加わった。僕は2004年の第三回から7年連続で見ているが、少しずつ内容が変わり、毎回楽しめる。 今回の目玉は、ソウル・ファンにとっては、しばらく前にシックのライヴで来日していた女性R&Bシンガー、キンバリー・デイヴィスと、1992年ジャイヴからアルバム『ホエン・オンリー・ア・フレンド・ウィル・ドゥ』をリリースしたマイク・デイヴィス。実は、マイク・デイヴィスは現場に来るまで気づかず、会場であのジャイヴのマイクとソウル・ファンに教わってあわてた次第。(笑) キンバリーはシックの時はバックコーラスの位置づけだったのに対し、ここでは堂々とメインを張るシンガーを演じ、迫力もあり、歌のうまさも際立つ。下記セットリストに示したソウル・クラシックは見事に歌いこなす。 そして、おもしろいのがCPレイシーという数々のアーティストのモノマネをするアーティスト。まずは、スティーヴィーで登場するが、実物よりやせているが、しぐさとか、顔立ちがサングラスをかけるとそっくり。お客さんの中には本物のスティーヴィーが来たものと思った人がけっこういたようだ。(笑) 「すごいわ、スティーヴィー・ワンダー、見ちゃった」と言っていた観客が何人かいたそうだ。 その後、いわゆるヒューマン・ビートボックスをやるケニー・モハメドが登場。リズム感もあってまあまあうまいのだが、ちょっと今回は時間が長すぎの感もある。年配のお客さんにはこのビートボックスは、若干理解しづらいかもしれない。もちろんハーレムの息吹は感じるが。 再びCPの登場で、今度は「ゴッド・ファーザー・オブ・ソウル」ジェームス・ブラウン。JBよりやせていて、どちらかというとMCのダニー・レイみたいなJBであったところも愛嬌。また割り、華麗な横すべりステップ、そして、マントショーもちゃんとやるのだが、残念ながら観客には伝わっていなかったようだ。これはこれで僕は大いに楽しめた。 第二部では、CPが今度はマイケル・ジャクソンに扮して2曲。これも衣装もあり、なかなか見せる。歌の似せ方もうまい。 そして、最後に、本日のトリという雰囲気でマイク・デイヴィスの登場。アポロのアマチュア・コンテストで何度も優勝したという歌の実力はオリガミ付きのマイクは、ここではソウル・クラシックをこともなげに歌う。特に印象に残ったのは、「マスカレード」。(前日=初日はやらなかったのかな?) スムーズなソウル、クワイエット・ストーム系が似合うような気がした。24では、キンバリーと見事なデュエットで「ホエア・イズ・ラヴ」を聴かせた。前述の1992年のジャイヴから出たアルバム収録曲は基本的にはなかったが、同アルバム収録のマクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」を最後アンコールで全員で歌って大いに盛り上げた。 今回はヴォイス・パーカッション、モノマネ、そして、本格派シンガー2名、という構成でハーレムを感じさせた「ハーレム・ナイツ」。9回目を向かえ、来年はいよいよ第10回になる。これも楽しみだ。 ライヴ後メンバーはすぐにホールにでてサイン会。 (この模様は明日に続く) ◎ ライヴは、日曜まで。当日券が若干でるかもしれないので、下記にお問い合わせください。 ■マイク・デイヴィス 1992年作品 When Only a Friend Will Do posted with amazlet at 10.07.30 Mike Davis Jive … Continue reading

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◎久保田利伸ライヴ@国際フォーラム

◎久保田利伸ライヴ@国際フォーラム (少しだけライヴの内容がでます。これからごらんになる方で事前に内容を知りたくない方はご注意ください) 【Kubota Toshinobu Live At Kokusai Foram A】 グルーヴィー。 「また細かいこと書くんでしょ」といきなり、久保田さんに言われた。「ライヴ後のマーヴィン・ゲイとかなんとか(笑)」 この日のオープニングのDJが、前回見たときのメイズではなかったので、あれはDJの趣味なのかなと聞いたら、「今日は、サマー・ブリーズとかジャジー・ジェフのサマーマッドネスみたいのとか、サマーをキーワードにしてと(DJに)伝えてありました」とのこと。しっかり、ライヴ前後のDJがかける曲にも、こだわりがあったのだ。「ちなみに、(ライヴ終了後の)『アフター・ザ・ダンス』の後、もう少し(会場に)残ってると、レオン・ウェアの『アイ・ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー』が聴けましたよ」と久保田さん。おっと、すでにこちらは「アフター・ザ・ダンス」で楽屋に向かってしまった。(笑) 東京は前月NHKホール2本につづいて3回目。もう一日国際フォーラム(7月29日)があった。国際フォーラムは、ふだん音ががつんとこないで、いい音だったためしがないのだが、この日の久保田ライヴは音がしっかり届いてきた。(小編成のライヴだと意外といいこともある) バンドもすっかりこなれてきたようで、ステージのショーの流れも実にスムーズ。曲の流れが実に気持ちよくソウル度があがっていた。バンドは相変わらずタイトでファンキーでグルーヴィー。 「東京のパーティー・ピーポー~~、調子はどーだい??」と声をかけると、観客がいっせいにおおおっと応える。ダンサーと一緒に踊る「ダイアモンドの犬たち」、マイケル・ジャクソン・トリビュートとしての「ライト・ヒア/ヒューマン・ネイチャー」(ここはバック・コーラス陣が歌う)からNHKの『ソングス』でも歌われていた「ロック・ウィズ・ユー」。そして、新作に収録されている「スター・ライト」。あちこちにちりばめられる「アー、ウー」のマイケル節。 アップテンポではなく、比較的ゆったりしたテンポでグルーヴがある作品群でのうまさが抜群に映える。半分はアップテンポで観客は立ち上がるが、半分はスローからゆったりしたミディアムで観客は座る。本編でのMCは2箇所だけ。アンコールで一箇所しゃべるところがあるが、おしゃべりも少なくて音楽中心な感じがいい。日本人シンガーの中では日本一グルーヴィーなライヴかもしれない。 そのMCで披露されたドラマの打ち上げでの秘話。木村拓哉は、久保田さんのことを「アニキ」と呼ぶらしい。 この日は、ファンキーなイラストレイター、江守アイさんが来ていて、一緒に楽屋に行った。江守さんは、久保田ライヴは何度も見ていて、ステージのバックの絵なども描いたり、ジャケットなども描いたことがあるという。そして、ゴスペラーズ全員、スクープ全員も勢ぞろいして観覧。今年は、『ソウル・パワー・サミット』で彼らが同一ステージで見ることができる。 ライヴ後黒沢薫さんの言葉が印象的だった。「いやあ、素晴らしいですね。日本の誇りです。自分たちも10年後、ああいう風に歌っていたいです」 ■ 久保田利伸 4年ぶりの全国ツアー『TOSHINOBU KUBOTA Concert Tour “Timeless Fly”』WOWOWで独占放送。このツアーのうち、東京国際フォーラムでの2日間のライヴが収録され、来る2010年8月29日(日)午後4時30分から有料衛星放送WOWOW(ワウワウ)で放送されます。 ■ 今年の『ソウル・パワー・サミット』に久保田利伸、登場 今年で5周年を迎える『ソウル・パワー』のイヴェントについに、久保田利伸登場。 『ソウル・パワー2010』 2010年9月24日(金)18時半~、25日(土)17時~ http://www.diskgarage.com/sp/soulpower/ 会場 日本武道館 出演 鈴木雅之、ゴスペラーズ、スクープ・オン・サンバディー、クリスタル・ケイ(25日)、久保田利伸、ゴスペラッツ、ライムスター(24日)、ザ・ファンクスほか ◆チケット一般発売日:2010年8月7日(土) 10:00~ チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード:110-528) ローソンチケット 0570-084-003(要Lコード、Lコード:71142) イープラス http://eplus.jp/ ※0570から始まる電話番号は一部携帯電話と全社PHSからはご利用頂くことができません。 ※ファンクラブにご入会の方には6月下旬にチケット先行予約のご案内を各ファンクラブよりお送りしております。 チケット料金(税込):全席指定7,000円 … Continue reading

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●アル・グッドマン(レイ・グッドマン&ブラウン=モーメンツ)63歳で死去

●アル・グッドマン(レイ・グッドマン&ブラウン=モーメンツ)63歳で死去 【Al Goodman Dies At 63】 訃報。 1960年代以降活躍を続けてきたR&Bヴォーカル・グループ、レイ・グッドマン&ブラウンの一員、アル・グッドマンが2010年7月26日(月)死去した。63歳だった。死因、死去した場所などはまだわからない。CNNなどが報じている。 http://edition.cnn.com/2010/SHOWBIZ/Music/07/28/goodman.death/#fbid=QieV77nWm71 アル・グッドマンは、1947年3月31日ミシシッピー州ジャクソン生まれ。1960年代中期から東部に出てきて、ニュージャージーのシルヴィア・ロビンソンとジョー・ロビンソンらと知己を得て、レコーディングなどにアドヴァイスをしていた。当時、シルヴィアが売り出そうとしていたモーメンツのメンバーは頻繁に変遷していたが、1969年頃までに、アル・グッドマン、ビリー・ブラウン、そして、ハリー・レイの3人になった。モーメンツは1970年に「ラヴ・オン・ア・トゥー・ウェイ・ストリート」、1973年に「セクシー・ママ」、1975年に「ルック・アット・ミー」などのスイート・ソウルの大ヒットを飛ばした。特にハリー・レイのファルセットが大きな魅力となっていたが、同時にビリーとアルのバリトン、テナーの声も魅力的だった。 1979年、モーメントはシルヴィアの元から離れポリドールに移籍。このとき、シルヴィアのレーベルが名前の権利を持っていたために、グループ名をモーメンツからレイ・グッドマン&ブラウンに変更。移籍第一弾で「スペシャル・レイディー」が大ヒットした。以後は、レイ・グッドマン&ブラウンとして多くのヒットを放った。1980年代半ばからは、EMIに移籍、作品を出し、また、ニューヨークのハッシュ・プロダクションがマネージしていた。 レイ・グッドマン&ブラウンは、ハリー・レイを含んだグループで1992年に横浜の今はなきアポロ・シアターに来日、しかし、同年10月1日、ハリー・レイが45歳という若さで急死。以後、グループ活動はしばし休止したが、イーヴァン・ブラウン(現在、スタイリスティックスのメンバー)、ケヴィン・オウエンスなどのシンガーをリードにして、活動を続けていた。 2002年1月のライヴ評。 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/laybrown20020113.html (ビリー・ブラウンのMCが泣けます。) 2008年7月の来日ライヴ評。 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080708.html (このときは、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツとのダブルビル) アルとビリーのサイン。  ↓「スペシャル・レディー」は2002年、「ア・モーメント」は2008年。 ++++ 横浜アポロでの思い出 レイ・グッドマン&ブラウンは、最初のアルバム数枚のライナーノーツを書いたこともあり、ひじょうに思い入れが強いグループだ。モーメンツも好きだったから、この一歩洗練されたレイ・グッドマン&ブラウンもいい。 横浜の本牧にほんの短期間だけあったアポロ・シアター。1992年ごろのことだが、それこそかなりひんぱんにソウル系のライヴがあった。とは言っても、横浜という場所柄か、なかなか成功にはいたらず、短命で終わった。2年間もメインのライヴはなかったのではないか。ここで見たライヴで印象に残っているのは、アフター・7、シャカ・カーン、そして、このレイ・グッドマン&ブラウンだ。レイたちは、ライヴが終わったら本当にすぐにロビーにでてきてサイン会を始めていた。まだ汗も拭き終わらないような状態だったように記憶する。そのファン思いのことをよく覚えている。 その後、レイなしのレイ・グッドマン&ブラウンは、上記ライヴ評の2002年のものがひじょうに印象に残っている。アルもいなくなってしまったビリーとしては、どうするのだろうか。心配だ。 ■ ベスト・アルバム (現在、廃盤のようです) Best of posted with amazlet at 10.07.28 Goodman Ray & Brown Polygram Records (1996-02-06) … Continue reading

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■『ソウル・ブレンズ』10周年記念イヴェント

■『ソウル・ブレンズ』10周年記念イヴェント 【Soul Blends 10th Anniversary Event】 10. インターFM(76.1mhz=関東地区)で毎週日曜日に放送されているソウル専門番組『ソウル・ブレンズ』が2001年4月からスタートし、現在10年目を迎えている。これを記念して、2010年7月27日(火曜)、麻布十番のクラブ・ディックス・ラウンジで、リスナー200人を招待して盛大に行われた。 ライヴは、ラップ・ユニット、アイス、ハウス系シンガー、リサ、そして、リサともコラボレーションがあるDJヴァーヴァルのDJなどでひとしきり盛り上がった。いずれもこのところ飛ぶ鳥をも落とす勢いのアーティマージュ所属のアーティスト。さながらアーティマージュ・ナイトになった感もした。 マーヴィン・デンジャーフィールド、チサト、そして、僕もちょっとだけステージにあがりご挨拶。真夏の真っ盛り、多数ご来場いただき、ありがとうございます。 『ソウル・ブレンズ』10周年イヴェントは、今回は、お酒のシーバス・リーガルのスポンサードで開催。ということで、途中で、「乾杯の音頭を」といきなりマーヴィンに振られた。まったく想定していなかったので、「チアーズ」「カンパーイ」というのも、なんなんで、その場で「シーバス!」と言ってみた。 みなさん、おつかれさま。そして、『ソウル・ブレンズ』さらなる10年、がんばっていきましょう。 No More Limit posted with amazlet at 10.07.27 Iyse Iyse feat.K-YO & Big J Iyse feat.Tsuji Arisa K-Yo Tsuji Arisa Big J コロムビアミュージックエンタテインメント (2009-03-25) 売り上げランキング: 399468 Amazon.co.jp で詳細を見る … Continue reading

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★プリンス新作『20TEN』は、新聞、雑誌への付録

★プリンス新作『20TEN』は、新聞、雑誌の付録でリリース 【Prince New Album “20TEN”】 リリース。 プリンスの周辺があわただしい。プリンスは2010年7月、約1年ぶりの新作『20TEN』(トゥエンティー・テン)を発表したが、その配給をイギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」7月10日付けへの付録としてリリース。ほかに、スコットランドの「デイリー・レコード」紙、ベルギーのHet Nieuwsblad紙、雑誌はフランスのクーリエ誌、ドイツ版ローリング・ストーン誌などの付録となった。デイリー・ミラーの新聞自体は1.6ユーロ。日本円で200円弱。新聞を買えばCDがもれなくついてくる。デイリー・ミラーは通常120万部ほど売れているそうだが、この日の発行部数は、プリンスのCDをつけたためさらに約30万部増えたという。 デイリー・ミラー紙は同時にプリンスのインタヴューを掲載。この中でプリンスは、これまでのインターネットに対するスタンスを変えたことを宣言している。プリンスは言う。「インターネットは完全に終わった。なぜ僕がアイ・トューンズやその他のネットに新曲を渡さなければならないのか、その理由がわからない。彼らは(僕の新作に)アドヴァンスを払わない。それで、音が手に入らないと怒っている。インターネットはMTVと同じだ。一時期MTVはヒップでかっこよかったが、あるときから完全に時代遅れになった」 また、プリンスはこの新作『20TEN』は新聞雑誌の無料付録だけで、デジタル・ダウンロード用には配信しないという。同時に彼のオフィシャルのホームページも閉鎖した。アメリカでのリリースなどもまったく未定。 日本では輸入盤としてアマゾンなどで入手できる。またタワー、HMVなどにも入荷した。正式な日本盤のリリースはまだきいていない。 20Ten posted with amazlet at 10.07.23 Prince Daily Mirror (2010-08-03) 売り上げランキング: 54 Amazon.co.jp で詳細を見る プリンスのアルバムとしては、昨年の『ロータスフラワー・ミネアポリス・サウンド』以来のもの。前作も1部が日本でリリースされただけで、あまり話題にはならなかった。 さて、今作は、じっくり聴いてみると、プリンスの初期のサウンドに雰囲気が似ている。特にファーストから3枚目くらいのようなサウンドのイメージがした。1970年代から1980年代のサウンドだ。 そして、9曲目の「エヴリバディー・ラヴズ・ミー」が終わると、トラック10から76までは無音トラックで、トラック77にシークレット・トラック「Laydown(レイダウン)」が収録されている。 それにしても、ウェッブは閉鎖、ネットでのダウンロードはなし、新譜は新聞の付録というリリース。誰もが考えないことをやってくるプリンスだが、その他の国でのリリースはどうなるのだろう。既存のレコード/CD流通に不信感を持っているのだろうが、それを打ち破るかと思われたインターネットも拒否するとなると、次のステップはどうなるのか。このアルバムから何かがラジオでかかってヒットし始めたら、どうなるのだろうか。まったく想像できない。 ◎今週日曜(8月1日)『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」で、この『20TEN』をご紹介する予定です。 ENT>ARTIST>Prince

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◎プリンス・フランスとベルギーでのライヴ・レポート(パート2)

◎プリンス・フランスとベルギーでのライヴ・レポート(パート2) 【Prince Live Report From France And Belgium】 熱狂。 壮絶プリンス・ライヴ・レポート。第二弾。プリンスが2010年7月9日、10日、フランスとベルギーでライヴを行った。その模様をプリンス・フォロワーのツナさんが観戦。セットリスト、メンバーもある詳細なものなので、フランス編とベルギー編の2パートにわたっておとどけします。ツナさん、大変ありがとうございます。今日はパート2、ベルギー編。(明日はプリンスの新譜『20TEN』をご紹介します) +++++ プリンス・ベルギー・ライヴ・レポートby TUNA 2日目の会場は、フランスのお隣ベルギーのウエルステルという街。前日のアラスからブリュッセルまで電車で約1時間半。そこからさらに電車で25分ほどのルーベン駅というところで降ります。国は変わるのですが、EU圏のためか、パスポートチェックなどもまったくありません。この日の会場も実に足の便は悪く遠かったのです。ルーベン駅から会場まで臨時バスがでていて、それに揺られてしばらく行くと、畑のど真ん中で降ろされました。そこから一本道をさらに15分歩くと、いきなり広い敷地に設営されたステージや飲食のテントと仮設トイレが忽然と姿を現しました。私自身、野外フェスの参加自体が初めてのことだったので、ただの何もないところにいつのまにかこうしたものが出来てしまうことに感心しました。 この日は疲れていたのでゆっくり行ったのですが、それでも前から2列目を獲得できました。ライヴを見ている時間より、それを待つ時間のほうがはるかに長い。 このときの前座ラリー・グラハムの時は大雨、さらに稲光でしたが、なぜかプリンスの時には止みました。それでも、「パープル・レイン」の時にはまた降ってきたりと結構大変でした。このときも観客は数万人規模だったといいます。スクリーンで見る限り入口からステージまであれだけの距離があったスペースにびっちり人が詰まっていましたから。 「マウンテンズ」からジャクソンズの「シェイク・ユア・ボディー」の流れは去年の公演でもやっていた流れです。マイケルの生前には演っていなかったので、彼なりの追悼だと思います。かつてファンク・マスター、リック・ジェームスが亡くなった後も同様にリック・ジェームスの作品をプレイし、追悼していました。ジェームス・ブラウンの曲などは以前から結構演奏していました。この日のアンコールはギター弾きまくりでした。ピッチが遅いと「ミュージコロジー」早くなるとオハイオ・プレイヤーズの「ラヴ・ローラーコースター」みたいな感じでした。 プリンスは今年の誕生日に「ホット・サマー」という曲を発表しましたが、このライヴでは、『プラネット・アース』収録の「ギター」という曲の中にちょっといれこむだけでした。 それにしても、2日間の壮絶なライヴ観戦でした。 ■The Band Members Prince – vox, guitar, bass, keyboards Cora Coleman-Dunham – drums Josh Dunham – bass Morris Hayes – keyboards … Continue reading

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◎プリンス・フランスとベルギーでのライヴ・レポート(パート1)

◎プリンス・フランスとベルギーでのライヴ・レポート(パート1) 【Prince Live Report From France And Belgium】 熱狂。 プリンスが2010年7月9日、10日、フランスとベルギーでライヴを行った。その模様をプリンス・フォロワーのツナさんが観戦。ライヴ・レポートをお願いした。セットリスト、メンバーもある詳細なものなので、フランス編とベルギー編の2パートにわたっておとどけします。ツナさん、大変ありがとうございます。 +++++ プリンス・フランス・ライヴ・レポート(パート1) by TUNA 体力勝負。 プリンスのライヴは、3年前に『スーパーボウル』のハーフタイム・ショーで見ました。ただ、あれは3階席というはるか遠くだったこと、また、20分程度の短いショーだったので、特に深い印象はありませんでした。プリンス・ライヴはそれ以来、プリンスのフル・ショーのライヴとして私が見るのは4年ぶりになります。ただし、プリンス自身は昨年(2009年)4月にロスアンジェルス郊外のコウチラというところで、夏にスイスのモンルー・ジャズ・フェス、フランスで2日間公演しています。それ以来だと思います。 会場はフランス北部アラスの街にあるラ・シタデルというところ。パリから日本の新幹線のようなTGVという電車に乗って北に向かうこと約50分。アラス駅に到着。そこから15分ほど歩いて会場に。夏フェスなども行われる大きな会場で、パール・ジャム、ブラック・アイド・ピーズなどもここでライヴをやります。とにかく開場まで長時間待って並びました。開場時間に、並んでいたファンが一斉に自分の場所を取る為に走るなんて知らなかったから驚きましたが、なんとか最前列を取りました。でも、直ぐに後ろをみたら人が幾重にも並んでいたので、もうその時点でトイレやビールや食べ物を諦めました。長時間並んだ上、こんな状態だったから私よりも身体の大きな方が失神して警備員に担ぎ出された人も何人もいました。それぐらい過酷でした。(笑)一番前のポジションを獲得してからは、私は水分も取らないように注意しました。日本ほど湿度はないのですが、熱中症のようになって担ぎ込まれた人もいたようです。 我々は「ゴールデンサークル」というステージ前のスペースで124ユーロ(約14000円=1ユーロ・112円換算)。真ん中から仕切られていて、その後ろは80ユーロ(約9000円)だったかな。もう後ろを見ても背が高い人たちばかりでどれぐらい人がいるか見当つきませんでしたが、スクリーンで会場全体を映す限り2~3万人ぐらいいるように見受けられました。開場まで約9時間、前座のミント・コンディションとラリー・グラハム開演まで約12時間、プリンスの登場まで約14時間待ちました。いわゆるスタンディングですから、始まるまでがほんとに長かった。ミント、グラハムだけでも2時間経っているので、本当に体力勝負でした。 プリンスは7月にリリースされたばかりの新作アルバム『20Ten』のジャケットをデザインされた衣装を着てました。驚いたのは、ステージ下でギターを手渡す係がいなかったこと。前回来日時はいたのですが、今回は曲ごとにギターとピックを渡したり、チューニングをしたりする人がいないので、曲ごとに自分でギターを持ち替えていました。今までギターは投げ捨てていた人なのに(笑)大事に扱っていて大人になったなぁと思いました。マイクスタンドの両側に一本ずつギターを立てかけていましたが、「キス(Kiss)」が始まる前には、ダンスをするスペースを作る為に自らギターを遠くに置いてぶつからないように配慮しており、そんな姿に驚きました(笑) 下記セットリストにある「セクシー・ダンサー VS ル・フリーク(Sexy Dancer vs Le Freak)」ですが、これは、ユーチューブを視聴いただければわかりますが、「セクシー・ダンサー」のイントロで驚かせたと思ったら、プリンスがリズムを弾きながら、バックコーラスがシックの大ヒット「ル・フリーク」の歌詞を歌い、オーディエンスが「フリーク・アウト」と叫ぶのです。見事なコール&レスポンスで実に格好よかった。 また、ツアーの前半にはシーラEも同行していたのですが、この2日間はステージには現れませんでした。MCで「What Time Is It?」なんていうからフランスでは復活が噂されているザ・タイム(The Time)が飛び入り出演するのかと思いきや、「Time To Get Funky」なんていうコール&レスポンスでちょっと驚いたやらがっかりだったり(笑) ちなみに、プリンス本人は最前列にいた私に気がついたのかステージから降りてきて何人かに握手というかハイタッチをしに来たときは一番最初に来ましたよ! (註:プリンスは、ツナさんのことを知っています) 下記セットリスト「マウンテンズ」のところでは、ジャクソンズの大ヒット「シェーク・ユア・ボディー」をいれてやっていました。 バンドメンバーについてですが、ドラムスとベースは夫婦。ドラムスのコーラ・コールマンは、フランク・マッコムで来日もしています。数年前に来日したときに、プリンスのホームパーティーに呼ばれたという話をしていました。そのあたりをきっかけにプリンス・バンドに入ったのでしょう。キーボードのカサンドラは、シーラEのバンド、COEDのメンバー。私はプリンス・バンドでは今回初めてみました。またハーモニカが入るのも初めて見ましたが、現地では人気の人のようでした。ひょっとしたらここ(フランス)だけのゲストかもしれません。キーボードのモーリスは、長年プリンス・バンドで活躍しています。10年くらいはいるのではないでしょうか。ただし、来日時にははいってませんでしたが。ヴォーカルのシェルビーはスーパーボールでも見ていますが、今回はスキンヘッドになっていました。残る2人のヴォーカルは私は今回初めて見ました。バンドは、ひじょうにタイトでかっこよかった。素晴らしかったです。熱狂しました。 最初のアンコール1曲目の「ダンス・(ディスコ・ヒート)(Dance (Disco Heat) (inc. Housequake and … Continue reading

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◎トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り

◎トクズ・ラウンジ~黒沢薫飛び入り 【TOKU’s Lounge: Kurosawa Kaoru Jumped In】 セッション。 ゆったりとまったりと、お互いよく知っているミュージシャンもそうでないミュージシャンも、ただひとつ「音楽」という共通言語のもと、瞬時にファミリーになれる、そんな真夜中のジャム・セッション「トクズ・ラウンジ」。トランペット・フルーゲルホーン奏者でありヴォーカリストでもあるトクが毎月1回不定期日に開催しているセッション。前月6月は、久保田利伸さんの番組『ソングス』の収録があったため、大変な人数が集まったが(残念ながら僕は事前に聴いていたものの、別件があり不参加)、今月は日程が早かったせいか、ゆったりめ。 楽器奏者は、長い曲だと曲の途中でも平気でチェンジ。各人のソロは、バンド・リーダー的存在のトクの指示だったり、楽器奏者の目線だったり。本当に自由スタイルだ。何も計画されたところがない。予定調和の完全に真逆。 この日はゴスペラーズの黒沢さんが遊びに来ていた。前月も遊びに来ていて久保田さんと一緒に「ロック・ウィズ・ユー」を歌ったが、オンエアはされていない。すっかりこの雰囲気が気に入ったようで、今月もスケジュールのすきを狙って遊びにきた。「バタフライ」「ストラスバーグ」という2曲の定番インストが終わるあたりで、マルと黒沢さんに、「ねえ、ここで歌物やらないと、またインストになっちゃうよ」とちょっとけしかけてみる。「歌物~~」って叫んでみれば? というと、「いやあ、さすがに僕、自分では言えないですよ~」 わかったじゃあ、僕が言う。「う・た・も・の~~~」。マルが「吉岡さん、いい人(笑)」 するとそれが聴こえたかどうか、はっきりはしないのだが、ミュージシャンたちが話し合って、「ロック・ウィズ・ユー」が流れ始めたのだ。やった。黒沢さんは、この日は歌詞を買ったばかりのアイパッドにいれて、歌う気マンマン。アイパッドだと、暗がりでもよく歌詞が見え、しかも拡大もできるので、超便利のようだ。 「ロック・ウィズ・ユー」のイントロがなったら、黒沢さん、すかさずヴォーカル・マイクにかけよる。トクが歌い、途中から歌いはじめ、ひとしきり歌って、もりあげる。それを見ていたマルが「黒沢さん、スターオーラ全開ですね。がはは」と感心しきりだった。 おもしろかったのは、次にどうも、トクを説き伏せたらしく「ゴールデン・レイディー」をやることになった。後半、さびの「ゴールデ~~ン・レディー~~」のところは、どんどんキーが転調して上がっていくのだが、黒沢さん、どんどん左腕・指で上を指し、ミュージシャンにもう半音上げてと、繰り返す。5-6回それを繰り返し、最後のほうはもうこれ以上声が出ないのではないかというほど高音部を歌い、拍手大喝采を浴びた。これはおもしろかった。 「いやあ、たまにこういう決まりのない自由なのやると、ほんと、楽しいね。いつもはきっちり作りこんだのをやっているから」とご満悦。どうやら、黒沢さんがトクと一緒に歌ったのは、FM番組『フィールン・ソウル』以来とのこと。すると席に戻ってきた黒沢さんに、お客さんが「よかった、よかったです。歌、超うまーいですねえ。どこかで歌われてるんですか」とかけよって来た。その子は黒沢さんを知らなかったのだ。普段日本の音楽を聴かないファンがここには多い。「こういうところで歌うと勉強になります」と黒沢さん。 この日は、さすがに僕も疲れ気味だったので、ファーストだけで退散した。 ■ メンバー TOKU(ヴォーカル、フルーゲルホーン、トランペット) 藤井伸昭 (ドラムス) 柴田敏弥 (キーボード) ヨシダサトシ(ギター) 中村ケイスケ (トランペット) 後藤克臣(ベース) サトウユウタ 小沼ようすけ (ギター) トリヤミユキ(アルト・サックス) ヤマモトヒロユキ(ベース) 黒沢薫 (ヴォーカル) ほか ■ 過去関連記事 2010年04月29日(木) トクズ・ラウンジ~真夜中のセッションのダイアログ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10520684304.html 2010年04月04日(日) トクズ・ラウンジ~ゆるーく、しかし、マジで http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100404.html 2010年02月27日(土) トクズ・ラウンジ:深夜の熱きセッション http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10468984654.html … Continue reading

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◎カーク・フランクリン・ライヴ~一体の高揚感

◎カーク・フランクリン・ライヴ~一体の高揚感 【Kirk Franklin: Higher And Higher】 高揚。 僕が昨年初めてその圧倒的なライヴを見て、その時点で昨年見たビルボードのライヴの中で1番と評したポップ・ゴスペル界のヒーロー、カーク・フランクリンの10ヶ月ぶりの来日ライヴ。 編成はほぼ同じ。ドラムス、ギター、キーボード2人、DJ、これに6人のコーラス(4人女声、2人男声)、そして、カーク本人。ステージ前方に7人が立ちはだかるので、そこが実に狭く感じられる。 前回同様いきなりアースの「セプテンバー」からアゲアゲで盛り上げ、観客の心と体をわしづかみ。次々と歌われるポップ・ゴスペルは、近年のブラック・コンテンポラリー作品とサウンドは近いだけに、じつに耳に入りやすい。そして、その7人の声からでてくる圧倒的な歌力、声力は場内に集まったゴスペル、コーラス好きのファンを声と歌であびせたおす。 イントロが流れただけで、歓声があがる曲も多い。下記セットリスト5の「マイ・ライフ・イズ・イン・ユア・ハンズ」などもそんな1曲。途中コーラス部分は観客が歌うので、カークは指揮者のごとく観客を操り、それにつれてどんどん高揚していく。まさに、「カーク教」の信者の集いだ。みんなに歌わせるのは、カークの得意技。「ウィ・アー・ザ・ワールド」なんかも、軽く観客に歌わせ、これがまた観客が歌えるから観客もすごい。こういう一体感は、ライヴならでは、本当にたいしたもの。 ところどころで、おそらく黒人の観客からかかる「ハレルヤ!」や「エイメン!」の掛け声も、いい雰囲気。しかし、DJが「ブライター・デイ」をこすって、曲をちょろちょろ出すなんて、30年前のゴスペル・ライヴでは絶対に考えられなかっただろう。現代ゴスペルは、まさに時代の変遷とともに変わってきているのだ。 ■ 過去関連記事 2009年09月21日(月) カーク・フランクリン・ライヴ~ポップ・ゴスペルの大爆発 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090921.html ■カーク・フランクリン 名盤『ヒーロー』 HERO posted with amazlet at 10.07.22 カーク・フランクリン ゴスペラーズ with カーク・フランクリン ヨランダ・アダムス マーヴィン・L.ワイナンズ スティーヴィー・ワンダー ドリンダ・クラーク-コール J・モス&タイ・トリベット BMG JAPAN (2006-07-26) 売り上げランキング: 44277 Amazon.co.jp で詳細を見る … Continue reading

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◆20周年記念~松尾潔さんと吉岡正晴

◆20周年記念~松尾潔さんと吉岡正晴 【Happy 20th Anniversary: Matsuo KC Kiyoshi & Yoshioka Masaharu】 20周年。 1990年7月、今から20年ほど前に、僕は青山1丁目にあった当時のワーナーパイオニアのオフィースで、当時新進気鋭のR&Bシンガー、ザン(Zan)のインタヴューをした。そして、僕の前にとある新進気鋭のR&Bライターが、ザンにインタヴューしていた。そして、その担当だったディレクターの田中さんが入れ替わるときにその人物を紹介してくれ、名刺を交換した。この人物が、誰あろう松尾潔さんである。 その後も、松尾さんとはライヴ会場などでよく顔を会わせ、顔なじみになっていくので、いつ初めて会ったのかを僕は忘れていたのだが、ここ数年、公私共に大変親しくさせていただいている。僕の『ソウル・サーチン』のイヴェントにトークで参加していただいたり、彼のトーク・イヴェントに僕が出たり、ライヴを一緒に見に行ったりしている。 そんな中しばらく前に、松尾さんが僕と初めて会ったのは、ザンのインタヴューをした日だ、ということを覚えていた。(彼は何でも細かいことを覚えている)そこで、僕はザンのインタヴュー・テープをひっぱりだした。(僕は何でもとっておく) すると、そこに1990年7月19日と書かれていた。つまり、このザンと会った日が松尾さんと初めて会った日ということになる。大げさに言うと、ザンが2人を引き合わせた? (いや、ザンじゃなくても、その後必ずどこかで出会ったと思いますが…(笑)) となると、2010年7月19日は、なんと2人が初めて出会ってちょうど20周年ではないか。ということで、しばらく前から、今年の7月19日になにか周年イヴェントをやろうとなり、19日にシャンパーンとケーキで20周年をささやかに祝うことにした。 Happy 20th Anniversary! 僕のことをご存知の方は、ご存知だと思うが、僕もなんでもとっておく派、何でもメモする派で、物をなかなか捨てられないタイプ。(メモしたことを忘れるとも言われるが) だから部屋が物であふれ散らかっていて非難される。『捨てる技術』といった本を買ったりしても、「そうそう、そうしなきゃ」と思いつつ、実行はできない。曰く「1年経って使わないものは捨てろ」。いや、ライナーとかアーティストのレコードなんて5年前、10年前のものをひっぱりだすことも多々ある。10年使わなくたって、20年目に使うかもしれない。ザンのCDなんて、松尾さんが持ってきて、僕は20年ぶりに拝んだ。ニュージャック・スウィングのサウンドで超懐かしかった。 書いたライナーノーツには、必ず、書いた年月日をいれる。これがどれほど重要な情報かあとになってわかる。ライナーを書く人には最低でも年月をいれてほしいと思う。インタヴュー・テープも年月日をいれる。これもあとになってその重要度がわかる。(たとえば、今回のように) 1986年9月以降は、原稿をワープロで書くことになった。以降の原稿は基本的にはデータが残っているのだが、それ以前のものは、現物を持っていないと原稿は残っていない。ワープロだと入力日が入るので、なにかと便利だ。 というわけで、松尾さんと初めて会った日が特定できたのも、「なんでも捨てられない派」だからだと思っている。(笑) (部屋が整理できないことの言い訳にしか聴こえない?(笑)) 20年前、新進気鋭のR&Bライターは、今や日本の音楽業界を代表するヒット・プロデューサーとなっている。ところで、ザンは最近、どうしてるんでしょうか。そして、元ワーナーの田中さんにも感謝です。松尾さん、これからもよろしくお願いします。次は25周年ですかね。(笑) +++++ ■ 松尾潔オフィシャル・ウェッブ http://www.nevertoomuch.jp/top.html ■ 松尾潔さんレギュラー出演中 NHK-FM『松尾潔のメロウな夜』 www.nhk.or.jp/mellow/ 毎週水曜日23:00~24:00 (毎月最終週はお休み) TBS『週刊EXILE』 www.tbs.co.jp/program/weekly_exile.html 毎週月曜日24:55~25:25 松尾さんは、12年ぶりにBMR誌(日本におけるブラック・ミュージックの専門誌)にコラムを書き始めています。 BMR 2010年8月号 bmr (ビーエムアール) 2010年 08月号 … Continue reading

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★ジョージ・デューク~ジョー・サンプルとマイルスのまねはイージー

★ジョージ・デューク~ジョー・サンプルとマイルスのまねはイージー 【George Duke: Said Imitate Of Joe Sample & Miles Are Eazy】 モノマネ。 しばらく前にライヴでも来日していたロスの人気キーボード奏者、ジョージ・デュークが先週一瞬来日、7月12日(月)のレイラ・ハザウェイのライヴを観覧していた。 偶然、楽屋で遭遇。実は別ルートからジョージの来日を聴いていたのだが、まさかブルーノートで会うとは思ってなかったのでちょっとびっくり。ちょうど、今秋にリリース予定のケイコ・リーの新作の2曲をプロデュースするために来日していた。 楽屋では、レイラがさかんにジョージにプロデュースして、何か歌わせて、といったことを話していた。レイラはステージでも「私の最初のメントゥアー(恩師)のひとりです、ミスター・ジョージ・デューク」と紹介していた。ひょっとしてステージにあがるかとおもいきや残念ながら、上がらずだった。ジョージ・プロデュースのレイラ作品というのも聴いてみたい。 ジョージ・デュークは、その昔(正確には1983年8月=そう僕がマイケル邸に行ったのと同じ週)、ロスアンジェルスの自宅に行き、インタヴューをした。あれも午前中で、「ちょうどストロング・コーヒーを飲んで、目覚めさせるんだ」と言ってから話が始まったのを覚えている。確かブラックの相当濃いコーヒーを飲んでいた。最近では、ジョー・サンプルとジョージが一緒にライヴをやったときに会った。 しばし軽く雑談をし僕は西麻布に向かおうと楽屋を後にし、外に出ると、ちょうどジョージも楽屋出口から出てきて、またばったり。じゃあ、ということで、ホテルまで送ることになった。 車中では他愛のない話をしていたのだが、ジョー・サンプルとジョージを一度三宿のソウルナッツに連れて行った思い出話になり、そこからジョーの話になった。ジョーと最近話したというジョージは、ジョーのモノマネで「いやあ、オレはオールドマンだ。なんとか生きてるぜ」といったことをやりだした。それが、実にジョー・サンプルそっくりで笑い転げた。「そういえば、あなたが小川隆夫さんのラジオ番組で、マイルス・デイヴィスのモノマネをしていましたよね。あれ、ラジオ聴いてたんですよ。ほんと、うまいですね」 「おおっ、そうか・・・」といってすかさずマイルスのモノマネをしてくれた。「ジョーとマイルスは、イージーだよ(笑) 奴らのしゃべり方は簡単さ」と言ってのけた。 「そうそう、アル・ジャロウのバンドで(東京ジャズに)来る話がちょっとあったんだが、アルに断られた。アルはオレをクビにしたんだ。(笑) ま、彼は自分のバンドがあるんで、そっちでやりたかったんだろう。オレのはトリオだからね、彼はバンドがよかったみたいだよ。だから、いまのところ、次の来日予定は特にないな」 東京ジャズの話になり、「クルセイダーズで、ジョーとウェイン・ヘンダーソンが一緒にやるんですよ」というと、えらく不思議そうに「ウソだろ。I dought it(本当にやるかね)」とつぶやいた。歴史を振り返ると、ジョーとウェインが衝突して分裂したことがわかる。果たして、ちゃんと同じステージに立てるか。まあ、でも、2人とも大人になっているのだから、やると思うが。(笑) こういうささいな、とりとめのない話っておもしろい。それにしても、いつ話しても、本当にきさくなジョージ・デュークだ。あっという間にホテルのロビーまで着いてしまった。 ■ ジョージ・デューク 『エッセンシャル』 とりあえずの1枚 エッセンシャル・ジョージ・デューク posted with amazlet at 10.07.19 George Duke George Duke ジョージ・デューク ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル (2005-02-02) 売り上げランキング: … Continue reading

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◎☆チャリート&ハーヴィー・メイソン

◎☆チャリート&ハーヴィー・メイソン 【Charito & Harvey Mason At Body & Soul】 マイケル曲。 フィリピン出身東京在住のジャズ・シンガー、チャリートが先ごろ、マイケル・ジャクソン楽曲ばかりを歌ったカヴァー・アルバムをリリース。ご縁があり、ライヴを東京・青山のジャズ・クラブ、ボディー&ソウルで見た。 チャリートのアルバム『ヒール・ザ・ワールド』は、なんとLAの売れっ子ドラマー、ハーヴィー・メイソンがプロデュースしている。事務所プロデューサー坂井さんによると、2008年初めからハーヴィーとずっと話をしていた、という。どんな曲をやるかいろいろミーティングを重ねているうちに、2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが急逝。それを受けて、マイケルの曲を歌う企画が持ち上がり、レコーディング。今年になって完成した。なかなかいい感じでマイケル曲がジャズ風、それもスムーズ・ジャズ風に仕上がっている。 さて、ライヴはドラムス、ベース、ピアノのトリオ。2曲インストで暖めて、チャリート登場。3曲歌ったところで、客席にいたハーヴィー・メイソンを招き入れた。ハーヴィーは、「いい気分で聴いていたんだよ。僕は何をやればいいんだい?(笑)」といいながら、ドラムセットへ。そして、アルバム収録の「ヒューマン・ネイチャー」をやり始めた。もちろん、リハーサル、譜面などもなし。ぶっつけ本番だ。そして、「アイル・ビー・ゼア」へ。チャリートはジャズだけでなく、なんでも歌えるようだ。 ライヴ後、ハーヴィーと話すと、彼は先週のカメレオン・バンドでブルーノート、コットンでのライヴをこなしたあと、しばらく滞在して、次のマリーナ・ショウのライヴでまた叩く、という。この間は彼にとって、オフだそうだ。「いやあ、日本が大好きで。日本でやるときは、コンサートじゃなくて、クラブでやりたいんだ。そうしたら、1週間、日本にいられるだろ(笑) フォー・プレイのときは1週間。今回は全部で4週間くらいの滞在になるかな。ソウル・サーチャー? じゃあ、僕の息子を知ってるよね」 「アリスタ時代のあなたのアルバム、持ってますよ」というと、「そんな古いの持ってるのか。ははは」と笑った。 ボディー&ソウルは、名うてのミュージシャンが気軽にやってきて、飛び入りをしていくジャズ・クラブだ。ブルーノートからも徒歩3分くらい。今、まだ車道はできていないが、直線で歩ける道が出来ている。この道は近く駒沢通りの延長線として開通するようだ。 ■ チャリート『ヒール・ザ・ワールド』(2010年7月7日発売) ヒール・ザ・ワールド posted with amazlet at 10.07.19 チャリート バウンディ (2010-07-07) 売り上げランキング: 8992 Amazon.co.jp で詳細を見る ■メンバー チャリート(vocal) 野力奏一(pf) 坂井紅介(b) 加納樹麻(ds)  ■セットリスト チャリート@ボディー&ソウル Setlist: Charito @ Body … Continue reading

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◎TLCライヴ~間近でみるスーパースターへ熱狂

◎TLCライヴ~間近でみるスーパースターへ熱狂 【TLC Live】 まー近。 1992年にデビューしてから、まさに1990年代をかけぬけたアメリカの女性R&Bトリオ、TLC。1999年8月の初来日公演(宇多田ヒカル、モニカと)、その後2002年レフトアイの不慮の事故死を経て、2009年4月の『スプリング・グルーヴ』以来3度目の来日公演。今回は小さなビルボードライブでのライヴ。こんな間近でTLCを見れるとは。それはファン、狂喜乱舞間違いなし。 さすがにTLCは日本でも多くのCDを売っているだけに熱狂的なファンが多数いる。しかも女性がかなり多く会場は超満員。1曲目から1階ファンは立ち上がる。大変な盛り上がりっぷりだ。 ドラムス、ギター、ベース、キーボードの4人バンドに、TLC2人。ステージバックにさまざまな映像を映し出し、2人は口を動かしながら踊り、ゆるくヒット曲を見せていく。レフトアイについて触れたあたりでは会場のファンの涙を誘う。 彼女たちの日本におけるこの爆発的な人気の秘密は何だろうと考えた。楽曲がよかった、「曲よすぎ」と言えるくらいよかった、そして、その素晴らしい楽曲にTLC3人のそれぞれの個性的なキャラクターがうまくはまり、世界的スーパースターになった、ということに尽きるのではないだろうか。1992年から紆余曲折あってすでに18年。たとえば16歳でTLCを知った人たちもいまや34歳になる。 本編最後「アンプリティー」が終わるあたりで、舞台をはけるが、そこで観客にサインのサーヴィス。するとそれに多くのファンが群がり、はけられなくなり、結局、そのままアンコール曲「ノー・スクリブ」へ突入。この曲が終わっても、またサインが延々と続いた。サインを書いてもらい超感激しているファンも多かった。 ■TLC やはりファースト! エイント・2・プラウド・2・ベッグ posted with amazlet at 10.07.19 TLC BMG JAPAN (2006-11-22) 売り上げランキング: 227254 Amazon.co.jp で詳細を見る そして、セカンド。 Crazysexycool posted with amazlet at 10.07.18 TLC Arista (1994-11-15) 売り上げランキング: 13687 Amazon.co.jp で詳細を見る Fanmail posted … Continue reading

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◎☆ティト・ジャクソン・ライヴ~父のレガシーを受け継いで

◎☆ティト・ジャクソン・ライヴ~父のレガシーを受け継いで 【Tito Jackson Live At Bluenote】 レガシー。 ジャクソン兄弟の次男ティト・ジャクソンがソロとして2006年12月以来2度目の来日。前回は丸の内コットンクラブだったが、今回は青山ブルーノート。僕は前回見られなかったので、今回が初めて。前回はバンド5人+ティトの計6人編成だったが、今回はなんと、5人のバンドにホーン3人、コーラス&ダンスで3人、ティトをいれて計12人がオンステージという豪華編成になった。マイケルの急逝を受けて、前回来日時以上にマイケル・ファンがつめかけたようだ。おもしろいことに9人兄弟の中で唯一ソロ・アルバムを出していないのが、ティトだ。その彼がマイケル逝去以前からソロ活動をしている。 露出度マックスのダンサー兼コーラス・ガールズ3人が登場し、「ハーイ、パパ・ティー!(ティトだから、ティー)」の掛け声から、ティトが「さあ、やるぞ」と言ってショーはスタート。「パパ・ティー」という掛け声が昔の昭和巡業エンタテインメント風で、個人的には超受けた。始まって35分ほどは、ティトがブルーズっぽい曲を中心にやる。唯一知っていたのが「フーチークーチー・マン」だった。 ステージ上では、朴訥とギターを弾き、ときに歌う。なんかティトの人の良さ、「すごくいい人」という雰囲気が出ていた。 ところで、彼が演奏するこれらのブルーズっぽい曲を聴いていて、ティトのそのオールドスクールぶりは、父親(ジョー・ジャクソン)譲りかなと思った。おそらく、自身ギターを弾きバンド活動をしていた父親が1960年代に自分のバンドでやっていたであろうR&B、ブルーズ曲というイメージだ。しかも、ティトのキャリアは父親のギターを隠れて弾いたところから始まった。ティトも父親同様、昔のブルーズ・アーティスト、古めのR&Bアーティストにあこがれていたのだろう。さすがにこれらの曲はこの日の観客はどうしていいか戸惑っていた。ブルーズ評論家の鈴木啓志氏あたりが、このバンドをどうみるかきいてみたい。(笑) セットリスト6曲目「ドッグ」なんて曲は、ルーファス・トーマスあたりがやりそうなノヴェルティー・ソング。コーラスガールズたちとのやりとりも笑える。まさにジョークっぽい酒場系エンタテインメントだ。1960年代、鉄鋼の街ゲイリーの小さく環境劣悪な酒場兼ライヴハウス(当時はジューク・ジョイントなどと呼んでいた)あたりで1日6ステージもやらなければならない過酷な状況をふと思い浮かべた。父親ジョーは、こうしたバンド活動をしているうちに、いつしか自分の息子たちを単なるジューク・ジョイントのバンドから一流のシアター(シカゴのリーガル・シアターやニューヨークのアポロ・シアター、フィラデルフィアのアップタウン・シアターなど)に出るアーティストに育て上げようと夢を持ってやっていたに違いない。「いつか、こんなところを抜け出すぞ」という強い意志をもって。そして、父親がギターを弾いている姿を見て、ティトはそれにあこがれ、父親のようになりたいと思ったのだ。そういう意味ではジャクソン兄弟たちの原点的なバンドを見せてもらったということで意義はあった。 そして、その前半が終わったところで、おもむろに客席に背を向けたティトは、ゆっくりと大きなアフロのカツラを被って前を向いた。 ぼそぼそとしゃべった。「少し、昔に戻ってみたいんだ。1969年頃にね、みんな、いいかな」 するとひときわ大きなキャーという黄色い歓声が。そして、「アイ・ウォント・ユー・バック」のピアノのイントロが流れると歓声も最大級に。ブルーノートのスタッフが「あんな黄色い歓声、いままでここで聞いたことありませんでした」と驚くのも無理はない。ジャクソン・ファイヴ・メドレーが始まり、「ハートブレイク・ホテル」、「シェイク・ユア・ボディー」(ピアノとベースが少々しょぼいのでグルーヴ感がでない。だがファンには関係なく、歓声はすごい)。ドラムス(元ギャップ・バンドなどとやっていたというレイモンド・カフーン)とベースは前回と一緒。ティトのいるソウル・カヴァー・バンドという感じかな。 なんと驚いたのがアンコール。今となってはほとんど誰も知らないであろうマイケル・ジャクソン1972年のソロ・ヒットのひとつ「ロッキン・ロビン」を取り上げた。もともとは1958年(マイケルの生年)にR&Bシンガー、ボビー・デイがヒットさせたヒットのカヴァー。マイケルのソロ曲であれば、「ベン」などもあるが…。このあたりを選ぶならジャクソン・ファイヴ時代の「ルッキン・スルー・ザ・ウィンドウ」とか「ハレルヤ・デイ」、ジャクソンズ時代の『トライアンフ』あたりからの曲を選ぶという手もあったような気もする。それとも、ティトにとって、弟マイケルの1曲と言った場合、この「ロッキン・ロビン」なのだろうか。その真意はどこにあったのか。きいてみたい。 9人兄弟の中で唯一ソロを出していないティト。しかし今では、ジャネットを除いては、ライヴをやっているのが彼のみという点も興味深い。それだけギターを持ってステージに立ちたいという気持ちが強いのだろう。他の兄弟たちとちがってセレブセレブした雰囲気があまり好きじゃないのかな。一ギタリスト、一ミュージシャンとしてのほうが居心地がいいのかもしれない。 ティトはまだ『ディス・イズ・イット』を見ていないそうだ。その喪失感は我々の想像以上のようだ。マイケルについてのコメントは、ショーの間中一切なかった。逆にブルーズ曲が半分以上というセットリストは、彼がブルーズをやって気を紛らわしているのかもしれないとも思った。それだけマイケルを失ったことが、ティトの心に大きな穴をあけ続けていることの査証かもしれない。マイケル曲ばかりをカヴァーして1ステージ60分をこなすシンガーとはレヴェルが違うとも感じた。 ■メンバー ティト・ジャクソン(ギター)Tito Jackson(g) ニコール・ジャクソン(ヴォーカル)Nicole Jackson(vo) ラ・シェイ・パスカル(ヴォーカル)La Shaye Paschal(vo) ナディーン・フォード(ヴォーカル)Nadine Ford(vo) カル・ベネット(サックス)Cal Bennett(sax) カーメロ・スカッフィディ・アルゼンティーナ(トランペット)Carmelo Scaffidi Argentina(tp) トム・ロールズ(tb)Tom Ralls(tb) ジョエル・スコット(キーボード)Joel Scott(key) ジェローム・アカデミア(キーボード)Jerome Academia(key) アンジェロ・アール(ギター)Angelo Earl(g) … Continue reading

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◎トク@ボディー&ソウル~トクの周りはセッションがいっぱい

◎トク@ボディー&ソウル~トクの周りはセッションがいっぱい 【Toku Live At Body & Soul: Always Jam Session】 アフター・アワーズ。 前日(13日・火曜)カメレオン・バンド・ライヴのコットンで会ったトクが「明日、ボディー&ソウルでライヴやります」というので、青山に。この日(14日)は午後から、予定がいくつも狂ってしまい、6時半の食事会にも欠席となり、なんとかボディー&ソウルのセカンドに間に合った。そして会場に行くとトクの事務所社長夫妻が、「こっちこっち」と手招きするので、一緒に鑑賞することに。社長夫妻がお揃いでライヴ現場とは珍しい。(笑) 彼はレイラのライヴに何度も接し(土曜日、月曜日も飛び入り)、前日あたりから、そこでレイラが歌っていたルーサー・ヴァンドロスの「フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ・フォー・ラヴ」にいたく感銘を受け、さっそく自分のレパートリーに加えるべく、一日中聴いて歌詞を覚えているという。そこで、ボディー&ソウルで初お披露目となった。ジャズ・ミュージシャンっていうのは、すぐに曲が歌えるようになっちゃうんだからすごい。セカンドセットの3曲目で歌われたが、ここではベースにファンキーな後藤克臣さんが飛び入り。さらに、4曲目ではニューヨークのピアニスト、デイヴィッド・バークナムが飛び入り。アンコールでは、若い女性シンガー、マヤ・ハッチが「マイ・フーリッシュ・ハート」を一緒に歌った。飛び入り三昧。 ちょうど社長夫妻の友人というTBSアナウンサー、高野さんが途中からご一緒になったのだが、TOKUライヴは初体験ということで、何度も何度も「トクさん、かっこいいっすね、かっこいい」と繰り返していた。「あの、(飛び入りの)人たちって何もリハとかやらずにいきなり、あんなにできちゃうんですか、すごいすごい」と驚嘆。 今回のバンドは、前回トクがブルーノートでやったバンドとはちょっと違い、全員若手メンバーを集めてやった。みんなちゃんとうまい。トクちゃんはこういう若手、どこで見つけてくるんですか。(笑) ライヴはこのところいつもアンコール最後の曲となる「アワ・ラヴ・ストーリー」(最新作に収録)で、みんなに両腕を左右に振らせて幕。 で、終わったあとミュージシャンたちがだらだら残っていると、なんと、すぐ近くのブルノでライヴを終えたレイラとレイラ・バンドのギタリスト、松野啓太さんがこっちに来るとのニュース。 片付け始めていた楽器を、もういちど、ちょっと出し、レイラたちを迎える。一緒にレイラ盟友の松浦さん、北山陽一さんも登場。トクは、ドラム、ギター、ベース、ピアノをバックにレイラの「フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ・フォー・ラヴ」を歌う。すると、レイラはなんとバッグからハンディビデオカメラを取り出し、撮影開始。途中でやんやの喝采も。そしてもう一曲「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」をトクがやり終えると、「じゃあ、何か一緒にやろう」と、レイラと遊びで「ナイト・アンド・デイ」を。このジャム感覚で2人がさくっとやってしまうのがたまらない。そういえば、レイラは昔「ナイト・アンド・デイ」を録音していた。トクの周りにはいつもジャム・セッションがあるなあ。いいね。その後、レイラはピアノの前に座り、ぽろぽろ試しに弾いていた。これも絵になる。 最高のアフター・アワーズというところだろうか。 ■ トク最新作『ラヴ・アゲイン』~「ノスタルジコス」「アゲイン」「ロック・ウィズ・ユー」「アワ・ラヴ・ストーリー」など満載。 ラヴ・アゲイン posted with amazlet at 10.07.16 TOKU SMJ(SME)(M) (2008-11-26) 売り上げランキング: 5359 Amazon.co.jp で詳細を見る ■レイラ・ハザウェイ最新作 セルフ・ポートレイト~レイラ・ハサウェイの肖像 posted with amazlet at … Continue reading

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◎ハーヴィー・メイソン、パトリース・ラッシェンなど七変化のカメレオン・バンド

◎ハーヴィー・メイソン、パトリース・ラッシェンなど七変化のカメレオン・バンド 【Chameleon Band Featuring Harvey Mason, Patrice Rushen, Bill Summers,】 プロ。 ハービー・ハンコックの大ヒット「カメレオン」を含む名作『ヘッドハンターズ』のドラムスを担当していたハーヴィー・メイソンを始め、同じく同アルバムに参加しているビル・サマーズなどロスアンジェルスの名うてのミュージシャンたちが集まったハービー・ハンコック関連作品をプレイするというユニークなユニット、それがその名も「カメレオン・バンド」だ。全員、それぞれソロ・アルバムを出したり、リーダー・ライヴを行えるほどの実力者たちが集まっているだけに、ライヴはもう大船(おおぶね)に乗ったように、気持ちよく酔える。ドラムス、ギター、ベース、キーボード、パーカッションの5人組。 各楽曲で、それぞれにソロ・パートを与えられ一方、自分たちの持ち場はしっかり守る。やらなければならないことを、みなきっちりやっている、そんな感じだ。全員スタジオでも活躍しているメンバーなので、ステージの上は、まるでレコーディング・スタジオで一発録音をしているかのような錯覚に陥る。 パーカッションの名手、ビル・サマーズは白い帽子を被っているので一見メイズのフランキー・ビヴァリー風、ベースのイエロー・ジャケッツのジミー・ハスリップは一見チック・コーリア風、ドラムス・ハーヴィーは後姿がアル・マッケイ風、サックスのエイザーはプロレスラーのブッチャー風、そして、キーボードのパトリースは、小柄なところがちょっとブレンダ・ヴォーン風であった。 彼らのパフォーマンスは、カメレオンのごとく七変化。終わりごろ、トクちゃんがやってきて、セットリストを見て解説してくれた。3曲目は「ウェイン・ショーターの書いた曲で、『マイルス・マイルス』に入ってる。4曲目はジョン・コルトレーンの曲、5曲目はウエストコーストの曲、ジェリー・マリガンがまだ無名のチェット・ベイカーをいれてやった曲」 アンコールの予定曲は「フォーレスト・フラワーズ」だったが、この日は『ヘッドハンターズ』収録の「スライ」になっていた。 ステージ中央のビル・サマーズが、さまざまなパーカッションを持ち出し、音を出す動きがとてもおもしろかった。リーダー格のハーヴィーが舞台右手にいたのは、全員を見られる位置を取っているのだろう。パトリースもしっかり、バンド・メンバー全員を見ていた。ミュージシャンたちは、お互い目と目で合図するだけでなく、相手の音を実によく聴いている。全員が最新の注意を払って全員の音に耳を傾けている。相手を聴かないといいコラボは生まれない。いつも全員を聴いて、自分の立ち位置を知っているから、自分に順番が回ってきたとき、最高のパフォーマンスができる。プロのお仕事を見せてもらった。 この日は、パトリースのアナログを何枚かもっていって、サインをもらった。 ■ハーヴィー・メイソン『ウィズ・オール・マイ・ハート』 ウィズ・オール・マイ・ハート posted with amazlet at 10.07.15 ハーヴィー・メイスン・トリオ ビデオアーツミュージック (2003-11-26) 売り上げランキング: 42186 Amazon.co.jp で詳細を見る ■メンバー ハーヴィー・メイソン “カメレオン・バンド”フィーチャリング・パトリース・ラッシェン、ジミー・ハスリップ、エイザー・ローレンス & ビル・サマーズ Harvey Mason(ds) Patrice Rushen(p) … Continue reading

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○ファンク軍団、キャメオ~11年ぶりに来日

○ファンク軍団、キャメオ~11年ぶりに来日 【Cameo Japan Live: First In 11 Years】 11年ぶり。 1970年代から多くのファンク・ヒットを放っているニューヨークのファンク・グループ、キャメオが11年ぶりに来日する。2010年9月17日(金)から19日(日)まで、一日2回公演、計6公演、丸の内のコットンクラブ。7月24日からウェッブで先行予約を受ける。初来日は1989年9月に横浜ベイサイドクラブ、以後1990年8月汐留パックスシアター、1995年8月横浜クラブ・へヴン、六本木ヴェルヴェット(旧ジャングルベース)、1996年10月ファンク・イヴェント『レッツ・グルーヴ』日比谷野外音楽堂、1999年8月国際フォーラム『モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』以来6回目の来日。 キャメオは、1975年頃、ニューヨークでラリー・ブラックモンによって結成されたファンク・グループ。当初はニューヨーク・シティー・プレイヤーズと名乗っていたが、デビューにあたってすでに同名グループがいたため、キャメオと名前を変更。1975年11月、シングル「ファインド・マイ・ウェイ」でカサブランカ・レコード傘下チョコレート・シティー・レーベルからデビュー。第2弾シングル「リゴー・モーティス」が1976年10月末にリリースされ、これが年をあけてから初ヒットとなった。アルバムもコンスタントに発表、1979年6月にリリースされた4作目『シークレット・オーメン』が名実ともにベストセラーに。ここから「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・ビー」の大ヒットが生まれ、人気を決定付けた。その後通算12枚目となる『ワード・アップ』から「ワード・アップ」がポップ・チャートでも大ヒット。これは、のちにヒップホップ系アーティストたち(チャンキーA、スヌープ・ドッグ)やロック・アーティストなどによっても、多数カヴァー、サンプリングされるようになった。一時期、ゴルティエのファッションに身を包み、ファッション・トレンド・リーダーとしても注目を集めた。 オリジナル・スタジオ・アルバムとしては、2000年発表の『セクシー・スウィート・シング』が最新作。他に2007年にライヴ盤『ナスティー・ライヴ&ファンキー』が出ている。 ほかにも、「バック&フォース」(スヌープ・ドッグ、ウータン・クランらがサンプリング)、「キャンディー」(2パック、マライア・キャリーらがサンプリング)、「リゴー・モーティス」(ブランド・ヌビアン、へヴィーDなど)、「シェイク・ユア・パンツ」(ビスティー・ボーイズなど)、「シーズ・ストレンジ」(2パック、リル・キムなど)などがサンプリングされている。それだけオリジナリティーが高いファンク・サウンドを作り上げていることを証明している。 ファンク・バンドとしては、バーケイズ、コン・ファンク・シャン、あるいは、Pファンクなどのファンからも同じように人気が高いアーティスト。 詳細・予約などはこちら↓ http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/cameo/ ■ ベストアルバム THE BEST 1200 キャメオ posted with amazlet at 10.07.14 キャメオ ユニバーサル インターナショナル (2005-06-25) 売り上げランキング: 181972 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ ワードアップ(1986年) Word Up posted … Continue reading

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◎ジャム・セッション・スペシャル~レイラ・ハザウェイ、アンジェラ・バンドらと

◎ジャム・セッション・スペシャル~レイラ・ハザウェイ、アンジェラ・バンドらと 【Toku’s Lounge Special Session: Jam Unlimited, Music Is Universal Language】 無限。 しかし、おそれいった。(笑) 毎月一度自由なジャム・セッションを行っているトクが、この日は来日中のレイラ・ハザウェイのバンドと、アンジェラ・ジョンソンのバンドのそれぞれメンバーを集めて、ジャム・セッションを楽しもうという企画を立てた。トクとレイラ・バンドの松野啓太さん、そして、同じくレイラ・バンドの横浜公演でベースで入ったカツオミさんの3人がメンバーに声をかけた。 2アーティストのバンドに加え、日本からも有坂美香、マル、スクープのTAKE、小沼ようすけ(ギター)、上條頌(ギター)、本間将人(サックス)、田中TAK拓也(ギター)、福森康(ドラムス)、柴田敏弥(キーボード)、井上”KB”幸法(ギター)、ジョイなどなど(順不同・敬称略・すべては把握できませんでした。漏れた方、陳謝)、多数のメンバーが集まり、一晩中、ジャムを繰り広げた。 2アーティストのバンドは、次の通り。アンジェラ本人は来なかったが、レイラはやってきた。 Lalah Hathaway(vo) Jason Morales(vo) Michael Aaberg(key) Kay-Ta Matsuno(g) Jairus Mozee(b) Eric Brown(ds) Angela Johnson(vo,key) (不参加) Darien(vo) James Spears(key) Mark Kelley(b) Les Cleveland(ds) Lisala Beatty(back vo) (不参加) … Continue reading

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▲ウォルター・ホウキンス(ゴスペル)、シュガー・マイノット(レゲエ)死去

▲ウォルター・ホウキンス(ゴスペル)、シュガー・マイノット(レゲエ)死去 【Walter Hawkins Dies At 61 , Suga Minott Dies At 54】 訃報。 訃報が2件相次いで入ってきた。 2010年7月11日、ゴスペル界の重鎮、ビショップ・ウォルター・ホウキンスがカリフォルニア州リポンの自宅で死去した。61歳。癌だった。 ウォルター・ホウキンスは、1949年5月18日カリフォルニア州オウクランド生まれ。兄にやはりゴスペル界の重鎮エドウィン・ホウキンスがいる。また一時期、トレメインと結婚しており、彼女はトレメイン・ホウキンスとしてゴスペル界で活躍、二人の間には息子のウォルター・ジェイミー・ホウキンス、娘のトリスタン・ホウキンスがいる。 幼少期から兄の持つ「北カリフォルニア州ユース・クワイア」の一員として活躍。後に兄のエドウィンとともに、エドウィン・ホウキンス・シンガーズを結成、一員となった。エドウィン・ホウキンス・シンガーズは、1969年「オー・ハッピー・デイ」の大ヒット(全米ソウル・チャートで2位、ポップで4位、ゴールド・ディスク獲得)を放ち、一躍全米にその名をしられるようになった。ゴスペル曲が全米ヒットチャートでここまで大ヒットしたのは、これが実質的に初めてで、ゴスペル界の金字塔となった。この作品は後に『天使にラヴソング』などでも歌われ日本でも人気の高いゴスペル曲となっている。 その後、ウォルターはエドウィン・ホウキンス・シンガーズを脱退し、カリフォルニア州オウクランドで「ラヴ・センター・チャーチ」を設立。ここでレコーディングを続け、その「ラヴ・アライヴ」シリーズはベストセラーとなった。 彼は多数のオリジナル・ゴスペル・ソングを作り、多くが長く歌われるようになった。作品には”Marvelous”, ”Going Up Yonder”, ”Changed”, ”Be Grateful”, ”Thank You”, ”He’s That Kind Of Friend”, ”Until I Found The Lord”, ”Jesus Christ Is … Continue reading

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■レイラ・ハサウェイ~スペースのある自由度あふれるライヴ

■レイラ・ハサウェイ~スペースのある自由度あふれるライヴ 【Lalah Hathaway : A Lot Of Flexibility With Freedom Space On Musical World】 自由度。 最近では2003年に2回、2004年5月、2006年2月、そして2008年5月と来日しているレイラ・ハサウェイの約2年2ヶ月ぶりのライヴ。コンスタントに来日しては多くのファンを魅了してきているレイラ・ハサウェイ。一言で言えば、シンガーとしてアーティストとして素晴らしい。 7年前に書いたライヴ評から引用しよう。 「彼女が歌えば、アルファベットの羅列である単語に息吹が与えられ、単語の連続である文章に生命が宿り、メロディーとともにソウルが浮かび上がる」 今回のバンドは、直前にニューオーリンズで行われたエッセンス・ミュージック・フェスティヴァルでのライヴと来日ツアー用のバンドということだが、レイラのミュージシャンの操り方がやはりうまい。ミュージシャンにスペースと自由を与え、彼らにいつでもどこでもソロを取らせたり、自分も自由にメロディーをもてあそびあらゆる音階を行き来する。まさに音と楽しむ、だ。そのミュージシャンの音の楽しみ方は、リスナーにも伝わる。全体的な音楽性、バンド自体は普通のソウル系シンガーのものとは格が一段も二段も上だ。 今回も見所はいくつもあったが、驚いたことに、この日は客席にキーボード奏者として名高いパトリース・ラッシェンが来ていて、長尺の「サマータイム」の途中で見事なキーボード・ソロを披露してくれた。レイラはステージでラッシェンの大ヒット曲「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」の一部を歌いだし、「この曲は私が初めてジェラルド(・オルブライト)のホーン・ソロを覚えた曲なの」と紹介した。「サマータイム」は、レイラがほぼ毎回ステージで歌う曲だが、これが毎回違うアレンジ、テンポだったりして、自由に変化させている。「サマータイム」に「フォーゲット・ミー・ノッツ」を乗せるあたりがすごい。ラッシェンのソロは、さすがに熟練という感じで、同じキーボードでも奏者が違うと音が変わるというのが如実にでるからおもしろい。 前回来日時にもやっていたが、彼女が歌うルーサー・ヴァンドロスの「フォーエヴァー・フォー・オールウェイズ・フォー・ラヴ」は何度聴いても素晴らしい。ルーサーも思い浮かび、一方でレイラ節も存分に出る。彼女は多数のカヴァーを歌うが、何度も書いているが楽曲の解釈力、咀嚼力が抜群に素晴らしい。これは、アレサ・フランクリンなどに匹敵する。この曲の後半で今回参加の日本人ギタリスト、松野 啓太さんが徐々にソロをビルドアップし後半大いに盛り上げた。ソロが終わると、観客の一部がスタンディング・オヴェーションになった。お見事。おもしろかったのは、それや、パトリースのソロに影響を受けてか、予定になかったにもかかわらず、その後すぐにキーボードのマイケルがソロをやりだし、歌おうとしたレイラが「it’s alright」(わかった、いいわよ)とソロを認めたのだ。かなり長尺のソロだったが、ソロ終了後スタンディング・オヴェーションはなかった。(笑) さて、これは?(笑) そして、もう一箇所、最大のハイライトがマイケル・ジャクソン・メドレー。「ロック・ウィズ・ユー」をベースにして、以後は自由にレイラがマイケルの曲をどんどん歌っていく。いやあ、これにはまいった。次々と、おなじみのヒットが、レイラ節で畳み掛けられ歌われる。ミュージシャンも、次に彼女が何を歌うのか知らない。その日の気分によって、若干曲も入れ替わるようだ。土曜日モーション・ブルーでは、「マン・イン・ザ・ミラー」が入っていたそうだ。ほんの数小節ではあるが10曲もマイケル曲が一気に歌われるなんて初めて聴いた。このメドレーはなるほどこういうやり方があるか、と思わせられた。これも、レイラの音楽的自由度の高さゆえだろう。 彼女のヒットのひとつ「イッツ・サムシング」では、スキャットが自由自在に、まさに変幻自在に、声色七変化が聴かれる。それはまさに大空を自由に飛ぶフリーバードのようだ。本当にワン&オンリーのシンガーだ。この日、レイラはサンダルを履いていた。 今回、土曜日にモーションで飛び入りしたトク、AI、それにマル、アムリタ賢二さんなどと一緒に見ることになったのだが、レイラの低い魅力的な歌声って、AIなんかとちょっと共通するところがあるなとも感じた。AIは、「やばいっす、やばいっす」とレイラのことを心底気に入ったようだった。 (この項、続く) ■ レイラ・ハサウェイ・ライヴはブルーノートで水曜(2010年7月14日)まで。 http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html ■ レイラ・ハサウェイ・オフィシャル http://lalahhathaway.com/index.html ■ レイラ・ハサウェイ過去関連記事 (Soul Searchin’ Archives On Lalah … Continue reading

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●アンジェラ・ジョンソン・ライヴ~グッド・ヴァイブを見せて

●アンジェラ・ジョンソン・ライヴ~グッド・ヴァイブを見せて 【Angela Johnson Live @ Cotton Club】 ヴァイブ。 通算5回目の来日となるアンジェラ・ジョンソンのライヴ。初来日は2002年8月モーション・ブルーでクーリーズ・ホット・ボックスとして、以後アンジェラ・ジョンソンとして2004年6月モーション・ブルー、2008年5月コットン、2008年12月ブルーノートでトーチャード・ソウルとして。以来1年7ヶ月ぶりの来日。日本では「インディ・ソウルのクイーン」などと言われて人気。ちょうど、フランク・マッコムなどと並べられて語られることも多い。 ドラムス、ベース、キーボードにコーラス1人という編成にアンジェラが歌う。アンジェラの歌声はかなりオールドスタイルだが、バンドがいわゆるネオ・ソウル系。このバランス感覚がおもしろい。ほぼ満席。いきなり、ルーファスの「ユー・ガット・ラヴ」。かなりファンキーに、今風にドライヴ感たっぷりに暴れまわる荒々しいバンドにアンジェラのヴォーカルが乗る。 今回のセットリストは6月にリリースされたばかりのアンジェラの新作ソロ3作目『イッツ・パーソナル』からの曲が8曲も入り、新作サポート・ライヴになっている。途中でアルバムでもデュエットを聴かせるダリエンもゲストで入る。ダリエンは初来日だそう。ちょっと雰囲気がエリック・ベネイ、ギル・スコット・ヒーロンに似ている。CDではいい感じをだしていた。 ときに、アリシア・キーズ風、ときにジェニファー・ハドソン風。ソウルフルな歌声を聴いていて、ちょうど日本のこのあたりが好きなソウル系シンガー、マルやユリのことを思い浮かべた。彼女たちや彼女たちを取り巻く日本人の若手のソウル系ミュージシャンたちと、アンジェラおよびその周辺のミュージシャンたちのサウンド志向にものすごく同じにおい、同じヴァイブを感じたのだ。昔からのソウルを聴き、ネオ・ソウルなどの影響もあって、それらをたくみにミックスしたようなサウンド。それがアメリカで生まれたか、日本で生まれたかだけの違いのような気がした。 ちょうど、この日はソウルのライヴは1970年代からすべて見ている重鎮のご意見番、安井さんがいたので隣で一緒に見た。安井さんは前回のライヴがほんとに素晴らしかったと言っていたが、「レコードの音はあまりオレの好みじゃないんだよなあ(笑) 」と言う。(ちなみに安井さんは超オールドスクールです。その安井さんが評価しているアンジェラは、シンガーとしてはたいしたものということです)(笑) ネオ・ソウル風にアレンジしたマーヴィン・ゲイの「ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ」など、いまどきのカヴァーだとこうなるか、と感じた。 ということで、マルなんかとコラボレーションしたら、おもしろいのではないか、と思った。それは、13曲目の「キャント・ストップ」を聴いていて特にそう思った。マルのオリジナルにも「キャント・ストップ」があって、似てるなあ、と感じたから。マルは、アンジェラの同曲を知らなかった。偶然、似たのかもしれない。 ライヴ後、アンジェラに会いにいくと、もう6歳になったという娘さん(メイサ)がいた。アンジェラに影響を受けたアーティストはと尋ねると、「いちばんは、母ね。ピアノを弾いてゴスペルを歌うの。もちろん、アル・グリーン、パトリース・ラッシェン、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソン、いっぱいいすぎるわ」。 ちょうどマーヴィン・ゲイの「ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ」の後半、ジャクソンズの「シェイク・ユア・ボディー」をメドレーで歌っていた。「以前、マイケル・トリビュートで3曲歌ったことがあるのよ。『ベイビー・ビー・マイン』、『ウォナ・ビー・スターティン・サムシン』、そして、『シェイク・ユア・ボディー』」 「ベイビー・ビー・マイン」は、ロッド・テンパートンの曲。「そう、会ったことはないんだけど、いつか、会いたいわ。マイケルには会ったことがないけど、マイケルをよく知っている人には会ったことがある」 というわけで、今日の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」では、アンジェラ・ジョンソンの新作『イッツ・パーソナル』を紹介します。 ■ ソウル・ブレンズ 日曜午後1時~3時、インターFM(76.1mhz)「ソウル・サーチン」のコーナーは2時半から。20分弱。 http://radiko.jp/でインターネットでも聴けます。 ■ 過去関連記事 クーリーズ・ホット・ボックス・フィーチャリング・アンジェラ・ジョンソン 【2002年8月22日木曜・横浜モーション・ブルー、ファースト、セカンド・ステージ】 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/coolie20020822.html ■ 最新作 『イッツ・パーソナル』 IT’S PERSONAL posted with amazlet at 10.07.10 アンジェラ・ジョンソン ダリエン VITHMIC (2010-06-16) 売り上げランキング: … Continue reading

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⊿マイケル・ジャクソン遺品展~遺品から放たれるオウラ

⊿マイケル・ジャクソン遺品展~遺品から放たれるオウラ 【Michael Jackson The Official Exhibition @ Tokyo Tower】 オウラ。 東京タワーで行われているマイケル・ジャクソンの遺品展にまた行った。北山陽一さんが見に行きたいので一緒にいかがですかとのことで、彼が声をかけた友人たちとともに7月の昼下がりに。 冒頭入場前に、今回の企画をしたジュリアナズ・アーバン開発グループのテイラー社長が軽く説明してくれた。「こちらに展示してあるのは、すべてマイケルのネヴァーランドにあったもので、マイケル財団から承認を受けて、貸してもらったものです。他でやっているような金儲けのものとは違います。いろいろあるんですが、最後のほうに100円ショップで売られているようなタッパウェアが飾られているのですが、これはマイケルが亡くなった日にマイケルの子供たちがマイケルのためにお弁当を作って渡したものです。で、その説明を書いていたら、この前で倒れる人がたくさん出たので、今は説明文を変えました。私は、今から別件があるので、あとはゆっくりごらんください」 すでに多くの人がこの遺品展を見ていると思うが、やはり、実際にマイケルが装着したもの、使ったものの前に来ると、不思議な感覚に襲われる。何なのだろう。ただあの偉大なマイケル・ジャクソンが、着ていたという理由だけだろうか。ただ、手につけていただけでオウラを感じるのか。 ごく初期の契約書のコピーから始まり、トライアンフ・ツアーの衣装、ヴィクトリー・ツアーの衣装、キラキラのアクセサリーの数々、ルーラー・オブ・ザ・ワールド(1995年、ヒストリー・ツアーで使用された銅像)、『ディス・イズ・イット』ツアーのホログラフ付きチケット8種、「リーヴ・ミー・アローン」のビデオで使われた緑黄赤のロケットシップ、『ディス・イズ・イット』ツアーでの「スリラー」の時に使われる数々の衣装、クモの模型、「ビリー・ジーン」時のスワロフスキー付きの手袋数種、エリザベス・テイラーから贈られたおしゃれな木馬、金箔のついた王座、そして、エリザベス・テイラーと一緒によくドライヴしたというロールス・ロイス、ディズニーから贈られた仕掛けおもちゃ箱などなど。 遺品にはそれぞれにストーリーがある。この展示会のボードに書かれた簡単な説明文以上のものがそれぞれにある。そして、そのストーリーのいくつかには、マイケルだけでなく、マイケルのファン自身にも思いいれやストーリーがある。ここにある遺品はあらゆるマイケル・ファンに様々な思い出をフラッシュバックさせる。展示会のビデオモニターから流れるさまざまなショートフィルム、あるいは、実際にヴィクトリー・ツアーや、バッド・ツアーを見たファンの思い出。そうした思いがこの空間に凝縮されることによって、独特の空気感が生まれるのだと思う。 見所はいくつもあるが、肖像画に記されたマイケル自作の詩作は印象に残る。それにはこう書かれている。訳は書き写せなかったので、自分で訳した。 I am the thinker, the thinking, the thought I am the seeker, the seeking, the sought I am the dewdrop, the sunshine, the storm … Continue reading

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△マサ小浜、初ソロ・ライヴ~ソウルとファンクとスムース・ジャズと

△マサ小浜、初ソロ・ライヴ~ソウルとファンクとスムース・ジャズと 【Masa Kohama: First Own Live: Soul, Funk And Smooth Jazz】 多様性。 長くアメリカで活躍し数年前に日本に戻ってきて、以来、日本の音楽シーンでひっぱりだことなったファンキーなギタリスト、マサ小浜が「人生初の」自身名義のライヴを行った。これまで、幾多のサポート、また自身が参加したバンドでのライヴはあるが、マサ小浜としてのライヴは名実ともに初だそうだ。ブルース・アレイのマネージャー、高橋さんが1年くらい前から「ソロやってくださいよ」と口説き落として、この日を迎えた。 マサ本人は、「客が5人くらいしか来なかったらどうしようかと思ったけど、こんなに来てくれて本当にありがとうございます」とあいさつ。ほぼ満員、立ち見もでるほどの盛況だ。 マサ小浜は、基本的にブラック・ミュージック、R&B、ソウルが好きだ、ということがプレイや選曲からリアルにわかる。下記セットリストをじっくりご覧いただけばわかるように、「白い曲」はほとんどない。しいて言えば、ドゥービーズの「ミニット・バイ・ミニット」くらいだが、これとてソウルフルな1曲。 しかし、マサ小浜はそのブラック・ミュージックの中のファンク、R&B、ソウル、ブルーズ、ジャズ、そして若干のロックの要素をふんだんに自由自在に取り入れる。ヴァーサタイル(多様性)ではあるが、自身の根っことなるルーツに忠実で、ただ単に「いろいろなジャンルを寄せ集めました」的な安いオムニバスになっていないところが素晴らしい。Versatile, but stick to rootsという感じだ。ひとつの根っことなる土台がしっかりしているために、様々な多様性ある音楽がひときわ輝きを増す。ソウルとファンクとスムース・ジャズの見事な融合、そんな感じだ。 ギターの音色もいいし、プレイもいい。そして、バックのバンドもソリッドで完璧だ。いつも、ジーノのベースの音が、ここブルース・アレイで聴くときにひじょうによく聴こえるのだが、それをジーノに尋ねると、「ほら、ドラマー(ジェイ)がいいからさ。ジェイのキックと相性がいいんだよ」。いやあ、それもあるだろうけど、たぶん、ジーノのパフォーマンスがいいに決まってる。 そしてセカンド・セット、ブルーズの2曲をやり終えたところでマサ小浜が言った。「いやあ、楽しいなあ」。マサは曲の中に、ちょっとした有名曲のフレーズをほんのひとかけらだけちょくちょくいれる。これがディズニーで隠れミッキーを探すように、実に楽しい。「あ、これなんだっけ」、でも考えてるともう元の曲に戻ってるといった感じだ。たとえば「レッド・ライト・スペシャル」(ケイリブが女目線の歌詞を男なのに歌ったのが面白かった)の最後にちょっとだけアイズレイの「サマー・ブリーズ」を挟み込んだり。「ロック・ウィズ・ユー」にアースの「ブラジリアン・ライム」を入れたり。 アーニー・アイズレイ、ジョージ・ベンソン、デイヴィッド・T・ウォーカー、ジミ・ヘンドリックス、プリンス、BBキング…。さまざまなギター名手の音が浮かび上がる。それまでマサ小浜が影響を受けてきたギタリストが、彼の体をフィルターにしてその音を表出させる。 マサのギターは歌う。マサのギターは跳ねる。マサのギターは飛ぶ。マサのギターは泣く。マサのギターは汗が飛び散る。そして、マサのギターは、ソウルがあふれている。 アンコールでの「パープル・レイン」は、マサ小浜のギター・ソロが見事に輝いた圧巻の出来だった。そして、客席にブレンダ・ヴォーンの姿を見つけたマサは、ギターを弾きながらブレンダを呼び込むジェスチャーをする。一瞬ためらったブレンダは結局ステージに上がり、いきなり「パープル・レイン」の最後のフレーズを、独自アレンジの即興で歌った。お見事。さらに圧巻は、後半。マサが説明する。「『パープル・レイン』って、後半とてもスピリチュアルな曲でしょう。だから弾きながら、ブレンダ向きにチャーチ(教会的)な曲をやろうと、その場で思いついて『アメイジング・グレイス』を弾いた」 そう、「パープル・レイン」のギター・ソロがゆっくり静かになったところで、マサが「アメイジング・グレイス」を弾き出したのだ。もちろん、ブレンダにとっては、この曲は朝飯前。またまたスリリングな即興「アメイジング・グレイス」が披露された。いやあ、ここのアンコール部分は、全員のミュージシャン力に特に感銘を受けた。 ライヴ後、ミュージシャンたちみんなといろいろ話をしたが、なんと今回リハーサルは当日の午後1時半から5時半までの4時間だけだという。いやあ、それを聞いて、二度びっくりだ。曲を決め、それぞれが宿題をやってきて、曲のソロや終わりは、マサが合図をする。それにしても、いつも他のアーティストのサポートなどでよく顔をあわせ一緒にやっている仲間同士だからできる芸当なのだろう。 ギター・ソロのライヴというので、ヴォーカルがほとんどなく、若干退屈になるかと思ったのだが、そんなことはまったくの杞憂。実にソウルフルでファンクで、ここまでR&B・R&Bしたギタリストは日本広しと言えどもなかなかいない。マサはこの日膨大な数のエフェクターと、8本以上のギターを持ってステージに上がっていた。ステージの人数は少ないが、機材で足の踏み場がないほどだった。素晴らしい初ソロライヴだった。スター・ギタリストの誕生だ。そして、この日の観客は女子率がえらく高かった。年内に再演しそうだ。 ■ メンバー (G)マサ小浜 (Key)Kaleb James (B)日野“JINO”賢二 (Ds)JAY Stixx Brenda Vaughn (vocal) ■ セットリスト マサ小浜@ブルースアレイ Setlist Show started … Continue reading

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☆ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親

☆ハーヴィー・フークワ80歳で死去~ムーングロウズのリード・シンガー:マーヴィン・ゲイの育ての親 【Harvey Fuqua Dies At 80】 訃報。 1950年代名門ドゥー・ワップ・グループ、ムーングロウズのリーダーでありリード・シンガー、ハーヴィー・フークワが2010年7月6日デトロイトの病院で死去した。80歳だった。 ハーヴィー・フークワは、1950年代ムーングロウズのメンバーとして「シンシアリー」、「モースト・オブ・オール」「テン・コマンドメンツ・オブ・ラヴ」などの大ヒットを出し、その後、マーヴィン・ゲイと知り合い、マーヴィンを自身のグループに。マーヴィンはソロとしてモータウンと契約。彼を育てる一役を担った。ドゥー・ワップ・グループとして、ムーングロウズをヒットさせた最大の立役者がハーヴィーだ。 本拠としたデトロイトで、1960年代初期に自身のレーベル、トライ・ファイを設立。ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ、スピナーズなどを発掘、育てた。さらに、70年代に入ると、シルヴェスター、ニュー・バースなどを発掘、育てている。1950年代から70年代、80年代までR&B業界で活躍。 1988年5月、スモーキー・ロビンソンの来日に帯同していた。また、日本では山下達郎氏がアルバム『オン・ザ・ストリート・コーナー』で「モースト・オブ・オール」をカヴァー。彼のファンや、ドゥー・ワップ・ファンの間では大変人気の高いグループだった。 一月ほど前から体調を崩し、デトロイトの病院に入院していた。冠状動脈の問題があり、心臓発作で死去したという。 ■ 『ソウル・サーチン~第二章~ハーヴィー・フークワ』(吉岡正晴著) http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/2.html ■ ハーヴィー・フークワ死去のニューズ ABCニューズ http://abcnews.go.com/Entertainment/wireStory?id=11103904 AP http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5hLAx9zj0WzOV6E1H4NrSnVBYrsUQD9GPUU0G0 EURWEB http://www.eurweb.com/?p=34412 +++++ プロフィール。 ハーヴィー・フークワは1929年(昭和4年)7月27日ケンタッキー州ルイヴィル生まれ。やはり1950年代に活躍したインクスポッツのチャーリー・フークワのいとこにあたる。1951年地元でドゥー・ワップ・グループ、クレイジー・サウンズを結成、その後本拠をオハイオ州クリーヴランドに移住。ここの有力DJアラン・フリードの力添えで名前をムーングロウズとする。ムーングロウズは、ロマンティックなドゥー・ワップ・サウンドで「シンシアリー」、「モースト・オブ・オール」、「テン・コマンドメンツ・オブ・ラヴ」などの大ヒットを出した。特にハーヴィーは、低音の魅力でファンを獲得。1958年、ハーヴィーは他のメンバーと折り合いが悪くなり、グループを脱退。そんな頃、当時マーキーズというグループと知り合い、このリード・シンガー、マーヴィン・ゲイに注目する。ハーヴィーはこのマーキーズを新しいムーングロウズとして活動するようになる。当時十代だったマーヴィンは、ムーングロウズ、とりわけハーヴィーの声の大ファンであり、あこがれであった。 ハーヴィーはこの頃、シカゴのチェス・レコードに所属、同レーベル所属のエタ・ジェームス(一時期、ハーヴィーとつきあっていた)とのデュエットなども録音している。その後、ハーヴィーは裏方で活躍するようになり、1960年、トライ・ファイ・レーベルを設立。ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ、マーヴィン・ゲイを迎える。一方、ハーヴィーと恋仲になったグエン・ゴーディーはアンナ・レコードを設立。そこにはスピナーズ、ラモント・ドジャー、ジョー・テックスなどが在籍。両者はふたつのレーベルを統合。しかし、このレーベルが経済的に行き詰まり、グエンの弟であるベリー・ゴーディー(モータウン社長)に身売り、これにともない、このレーベルにいたアーティストは自動的にモータウン所属となった。 ハーヴィーは、モータウンでA&R(制作担当ディレクター)の仕事をして、レコード制作、宣伝などを担当。この時期、ハーヴィーはマーヴィン&タミーの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」、「ユア・プレシャス・ラヴ」などをプロデュース。ハーヴィーは1970年までにモータウンを退社。インディペンデント・プロデューサーとして活動、RCAと契約。ここでニュー・バース、ナイトライターズをてがけた。さらに、70年代中期、サンフランシスコで活躍していたゲイのシンガー、シルヴェスターも発掘、ヒットさせている。ここからの派生プロジェクト、トゥー・トンズ・オー・ファン、のちにウェザー・ガールズをヒットさせる。 マーヴィンは、ベリー・ゴーディーの姉アンナと結婚、またハーヴィーは同じくグエンと結婚していたことから、一時期、義理の兄弟関係にあった。 その後、1981年から1982年にかけて、モータウンを辞めていたマーヴィン・ゲイのCBSレコード移籍第一弾となるアルバムを手伝い、完成させる。それが『セクシュアル・ヒーリング』となり、マーヴィンは奇跡の復活を果たす。 しかし、マーヴィンは1984年4月1日、父親の銃弾に倒れるという衝撃の結末を迎え、ハーヴィーも衝撃を受ける。ハーヴィーはその後、モータウン時代の旧友であり親友のスモーキー・ロビンソンと公私共にすごしながら悠々自適な生活をしていた。 +++++ ソウル・サーチン。 ご存知の方はすでにご存知だと思うが、僕が2000年7月に発表した作品『ソウル・サーチン』(音楽之友社)は、7人(組)のソウル・アーティストたちが体験する「ソウル・サーチン」の人生を描いたものである。ソウル・ミュージシャンを描いた作品としては他に類のない著作だ。ここの第二章でハーヴィー・フークワを書いた。ハーヴィーには1988年6月にインタヴューして、素晴らしい話を聞くことができた。あのときのインタヴューしていたときの空気感は、22年経った今も、そして、生涯忘れることはない。 ちょうどそのときは、スモーキー・ロビンソンが初来日していたときで、共同会見の席で大きなブラックの人がいて、スモーキーが彼を紹介した。その名前を聞いて僕は驚嘆した。それがハーヴィー・フークワだった。彼はあのムーングロウズの低音のリード・シンガーだったのだ。そこでその場でインタヴューを申し込んだ。彼は快く引き受け、翌々日、ライヴ後にホテルでインタヴューすることになった。 一時間余の短い時間だったが、めくるめくソウル・ヒストリーだった。まるで映画を見ているようなストーリーだった。低音のしびれるような声で、しかも話がうまい。それより3ヶ月前にジョン・ホワイトヘッドから聞いたストーリーとはまったく違っていたが、ひとつだけ共通点があった。それが「ソウル・サーチン」ということだった。ジョンとハーヴィーの2人から話を聞いて、「ソウル・サーチン」という言葉が僕の中で大きなものになっていった。そして、それから12年を経て『ソウル・サーチン』は一冊の著作になった。 『ソウル・サーチン』では、もちろん成功者におけるアップダウン、激動する運命と心の動き、悩みを描くことが第一義だったが、いわゆる「ソウル・ジャイアント」についても描いてみたかった。それは、オーティス・レディング、サム・クック、マーヴィン・ゲイなどだ。そして、マーヴィンの生涯を、その恩師であるハーヴィーの視点から書いたのである。サムは、ウーマック・ウーマックの視点から、オーティスはその一時的な弟子でもあったジョン・ホワイトヘッドの視点から書いた。 7章のうちいくつかをネットに公開しているが、ハーヴィーのものは公開している。これを機にじっくりお読みいただければ幸いである。(上記リンクアドレス) ハーヴィーにはもう一度会いたいとずっと思っていた。高齢になっていることは知っていたが、その望むが絶たれたことが残念でならない。 ■ザ・フラミンゴス・ミート・ザ・ムーングロウズ(とりあえず、ムーングロウズのいいベストが見つからなかったので、これを) … Continue reading

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◎トラヴィス・ペイン『徹子の部屋』に登場

◎トラヴィス・ペイン『徹子の部屋』に登場 【Travis Paye On “Tetsuko No Heya”】 出演。 マイケル・ジャクソンのダンス、振り付けを担当、映画『ディス・イズ・イット』でも活躍していた振り付け師トラヴィス・ペインが、2010年7月6日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系列=13時20分~13時55分)に出演した。 トラヴィスは、ジャニーズ系の舞台『プレイゾーン』の振り付けで約5週間日本に滞在。彼はこの『プレイゾーン』にも長くかかわってきていたという。(ちなみに『プレイゾーン』は、東京で7月9日から8月1日、大阪で8月14日~22日まで行われる) トラヴィスは、マイケルの寛容性、人間性などが大好きで、マイケルは世界を癒してくれる人などと評した。また、現在、トラヴィスはレディーガガの振り付けをしているが、マイケル自身も早くからレディーガガに注目していたことも明かした。マイケルが匿名で寄付をしたり、人々のことを思っていることも話した。トラヴィスは5歳のときに、初めてマイケルを見て以来ファンになったという。 2009年6月25日について。「あと、8日でロンドンに行くことになっていた。そして、その日はマイケルの家に向かうところだった。そこで電話が入って、ニュースを知った。そのショックは言葉にできない」 マイケルは今回の『ディス・イズ・イット』のライヴが一ヶ所で50回できるために、移動の負担が少なかった。「ロンドンの後、どこに行こうか、話していた。日本もその候補だった。日本にはたくさんのいい思い出があった」 東京ドームでライヴが終わった後、「ブロックごとに順番に退場することに、驚いた。日本はとても規律がしっかりしている」 「マイケルの音楽、歌とダンスは、彼の言語だった。どのように人々とコミュニケーションをとるか、ということだった。彼はそれが世界中の人たちと大変うまくできた。素晴らしい体験だった」「日本には何度も来ていて、しゃぶしゃぶが好き」 トラヴィスの物腰、話し方はとてもソフトスポークンで中性的なところが印象に残った。 トラヴィスは1971年7月5日アトランタ生まれ。1990年、ジャネット・ジャクソンの『リズムネーション1814』のツアーに参加したことが大きなブレイクとなった。その後、プリンス、デビー・アレン、アン・ヴォーグなど、そしてマイケル・ジャクソンなどとかかわりを持つようになった。大きな仕事は、マイケルの『デンジャラス・ワールド・ツアー』(1992年6月から1993年11月まで)。また、1997年の『ゴースト』にもダンサーとして参加。経験を積んだトラヴィスは、以後もマドンナ、スティング、ジェニファー・ロペス、ブリットニー・スピアーズ、アッシャー、ビヨンセなど錚々たるアーティストたちと仕事をするようになった。プシーキャット・ドールズのニコール・シュレジンガーのビデオなども振り付けし、2007年での『MTVビデオ・ミュージック・アワード』のニコールの振り付けも担当した。 マイケルの急死後に行われた7月7日のメモリアル・サーヴィスでも振り付けを担当した。2009年12月、レディーガガのツアーも振り付け、さらに2009年の『紅白歌合戦』でのスマップが踊ったマイケル・ジャクソン・トリビュートの振り付けも担当した。 また、2010年1月、フィリピン・セブ島にあるリハビリテーション・センターでの大人数の受刑者たちによる「スリラー」の振り付けも担当、ディレクションをした。ペインは同じく『ディス・イズ・イット』の出演者であるダンサー、ドレス・リードらとともに1500人に振り付けを教えた。 ■マイケル・ジャクソン『ディス・イズ・イット』(通常DVD) トラヴィスの姿も多数みられる マイケル・ジャクソン THIS IS IT デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD] posted with amazlet at 10.07.06 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2010-01-27) 売り上げランキング: 64 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ 『ライヴ・イン・ブカレスト』 ライヴ・イン・ブカレスト [DVD] posted with … Continue reading

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○吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト

○吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト 【Yoshihiro Chizuko Gospel Night】 ゴスペル。 ブラック・シンガーが4人、それぞれ思い入れのあるゴスペル楽曲を選んで、自由自在に魂を込めて歌う。定例吉弘知鶴子さんのゴスペル・ナイト。よく見れば吉弘さん以外すべてブラック。彼女がブラック・ゴスペルにこだわるだけのことはある。そして、4人のシンガーそれぞれがその曲を選んだ理由を語ってから、歌うのだが、これが実によかった。 最初に登場したのは、タイニース。彼女はこんな話をした。「私は、すべてを失った時期がありました。仕事もなく、お金もなく、すべてをなくしていたんです。でも、そんなとき、車を運転していてふと目に入った教会があり、そこに足を踏み入れました。そこで、みんなが歌っていて、それに加わりました。とても感動して、そこの神父さんに、今日ここに初めて来たけれどこのクワイアーに入りたいんです、というと、神父さんは私が歌えるかどうかも確かめずに、一本のカセットテープをくれました。カセットというところで、時代がわかってしまうかもしれませんね。(笑) これを来週までに覚えてらっしゃい、と彼は言いました。その曲が、私が選んだ『ウィ・アー・ワン』という曲です」 そして、それをじっくりと歌って聴かせる。スローの曲だけに、じわじわと胸を打ってくる。そして、フランクは、「ベスト・イン・ミー」について語る。 「自分も昔、バッド・ボーイでした。誰もが自分を認めてくれない、誰も自分を愛してくれない、などとふてくされたこともありました。でも、神様は、いつの時代でも、どんなときでも、自分のどこかに最高のもの(best in me)があるんだということを教えてくれました。必ず、あなたにはベストのものがあるんだ、ということなのです」 こう説明しながら「ベスト・イン・ミー」を歌って聴かせる。フランクの声は、ちょっとテディー・ペンダグラス風のシャウト・ハスキー系のソウルフルなもの。 フランクは、セカンド・セットでアージーとともに、ビー・ビー&シー・シー・ワイナンズの作品「ネヴァー・ソート」をデュエットで聴かせた。これがまたよかった。アージーの声は、爆発的な声量はないのだが、細めの綺麗ないい声なので、レコーディングなら完璧に映えるタイプの声。 そして、トリで登場したのが、一番のビッグ・シンガー、シスター・リード。彼女はこんなことを言った。「私がこの曲を選んだのは、曲のタイトルの通りのことを思うからです。私には母も父もいます。素晴らしい人たちです。でも、それでも神とは比べられない。あなたが病気になったら、神が直し、癒してくれます。お金がなければ、どこからかそれを持ってきてくれます。心配事があれば、解決策をもたらしてくれます。私も、以前はあまりいい人ではなかった。でも、神は私にベストを見出してくれたのです」 そして、歌われた「ゼイズ・ノーン・ライク・ユー」。この日一番の声量と歌唱、迫力だった。まさにブルーズ・アレイ転じてゴスペル・アレイになった夜だ。感極まったシスター・リードは、曲が終わる頃にはハンカチで涙を拭いていた。素晴らしい。 各曲について、吉弘さんが学校の先生みたいにとてもわかりやすく解説をしてくれる。ゴスペルについての歴史やニュアンスなどを学びながら、ライヴでそれを楽しめるという、まさに一石二鳥のライヴだ。 ■ メンバー 吉弘知鶴子 Gospel Night (Pf/HAMMOND B-3)吉弘知鶴子 (Ds)Bert Adams (B)Keith Williamson (G)Albert Martin (Vo)Frank Legree、Tynice Brooks、Sister Gwendlyn Reid、Argie Martin ■セットリスト Setlist : Yoshihiro Chizuko @ Blues Alley Japan, June … Continue reading

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◆マイケル・ジャクソン・トーク・イヴェント@大阪

◆マイケル・ジャクソン・トーク・イヴェント@大阪 【Michael Jackson Talk Event】 トークイヴェント。 2010年7月3日(土)、『マイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト~デイ・ドリーム・パーク』というイヴェントに西寺郷太さんと出演した。会場は、大阪心斎橋にある「サウンドチャンネル」というクラブ。『マイケル・ジャクソン・ラヴ・ナイト』は、2009年12月にお台場で行ったものの、第二弾。初の遠征。また、『デイ・ドリーム・パーク』は、郷太くんがずっと三宿のウェッブで毎月最終金曜日に続けているDJイヴェント。今回はこの二つを合体したイヴェントだ。 前半が僕とのトークショー。後半が、郷太くん、ノーナ・リーヴスの小松さん、奥田さんらがDJ。小規模ならライヴもできるようなお店だ。新幹線の中で、打ち合わせがてら郷太くんとマイケル話が盛り上がってしまったが、新大阪に着いたら、雨。会場まで乗ったタクシーが、かなり心細く、場所をよくわからず、迷う。途中で先方に電話をかけながら運転し、ちょっと行き過ぎてしまったら、その前の一方通行の道を逆行するわ、デタラメな運転手だった。(笑) トークショーは二部構成で、第一部が始まる前にサイン会をし始めたら、けっこうファンの方が並び始め、開始時刻になったため、しきれなかった方にはトークショー後にすることに。 雨にもかかわらず満員、ご来場いただいた方、ありがとうございます。冒頭は、郷太くんが八王子で講演をした話(養老孟司の講演会より人が集まった=観客爆笑)、1日からディズニーランドで公開された『キャプテンEO』の話、フジテレビで放送された番組と父親ジョー・ジャクソンの話など。 ジョーの著作『息子マイケル・ジャクソンへ~天国への遺言状~』についての話を中心に、ジョーの話がことのほか長くなり、しかし、けっこうおもしろかった。郷太君は同著作のゲラを読んだが、ゲラをもらった翌日に直すところがあったら、直してください、と言われたそうだ。だが、間違いがありすぎて、お手上げになった、とのこと。(笑) 続いて、今回プラスチックケースで再発されたマイケル・ジャクソン、ジャクソンズのCD14枚の話、訳詞の話、『マイケル・ジャクソン・エステート』の話、『ソウル・トレイン』DVDの話など話題は多岐にわたった。 「これ(『ソウル・トレイン』)は、今、ギャオ(Gyao)で無料で見られます」と観客からの情報。「でも、期間限定です」。「じゃあ、今日帰ったらすぐにネットにアクセスですね」と僕。すると郷太くん「いや…。今日は(僕)DJがあるんで、みなさんも明日にでも…」(爆笑) さらに、B(ブランドン)ハワードの話など。ブランドンが郷太君に言った「リアリー?」がマイケルそっくりだったという話などもえらく受けた。 第二部は、ジャクソンズのアルバムの話を中心に、各作品について郷太くんが詳細解説。これがまた、ちょっとしたモノマネをしたり、こだわるところがあったりとおもしろい。最初のアルバムのプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフのこと、3作目『デスティニー』のボビー・コロンビーについて、さらに、なぜマイケルはクインシーとなることになったかの謎など。ボビー・テイラーのことなど。 今回は、デスクの上に、CDプレイヤーを用意していたので、いくつか曲をかけながら話をしたので、お客さんにもわかりやすかったと思う。 「『オフ・ザ・ウォール』のブリッジのところは、一番大好きなところ」と解説しながらそこの部分をかけたり。マイケルの「ッアッ」という掛け声のいれるところの完璧さの解説など。 郷太くんが、去る6月18日にNHK文化センター(八王子教室)で「先生」としてご登壇したときに、しゃべることをまとめた紙(A3で3枚)があり、これを元に話しましょうか、となったが、やはり、話はあちこちに脱線し、ひじょうに楽しかった。 「僕ゴキ」「青ハイ」とは、「僕はゴキゲン」、「青春のハイウェイ」のこと。郷太くんは、アルバム・タイトルを略して話す。(笑) 後半は郷太くんも絶好調となり、瞬く間に時間がなくなった。(笑) トークショー終わったあと、軽くサイン会をし、その後近くにタコヤキを食べに行き、会場に戻り、郷太くんは、ノーナ・リーヴスのメンバー(奥田さん、小松さん)がジョインしてきて、深夜帯のDJタイムに突入。 いらっしゃったみなさま、郷太くん、サウンドチャンネルの前田さん、スタッフのみなさん、ありがとうございます。そして、いろいろお土産などをお持ちいただいたみなさま、ありがとうございます。またこのようなトーク・イヴェントの機会があれば、ぜひお越しください。 郷太くん、マグカップの外箱に上手なイラスト描いて販売中。結局朝までに売り切れたとか。郷太くん、絵、うま~い ■ジョー・ジャクソン著 『息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~ アイ・ラヴ・ユー・モア』 息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~ posted with amazlet at 10.07.04 ジョセフ.ウォルター・ジャクソン 講談社 売り上げランキング: 296 Amazon.co.jp で詳細を見る ■マイケル・ジャクソン著 『ムーンウォーク』 ムーンウォーク — マイケル・ジャクソン自伝 posted with amazlet … Continue reading

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★『アメリカン・トップ40』40周年

★『アメリカン・トップ40』40周年 【Radio Programme “American Top 40” Celebrate 40th Year】 40周年。 アメリカを始め全世界のラジオ局で放送されているチャート番組『アメリカン・トップ40』が、今日2010年7月4日で初オンエアからちょうど40年を迎える。『アメリカン・トップ40』は、ケイシー・ケイスンの発案、DJで、1970年7月4日から全米のラジオ局7局で放送が始まった。同番組は、アメリカの音楽業界誌ビルボードのシングル・チャート『ホット100』の上位40曲を40位から1位まで順にすべてをかけていくシンプルな構成で人気を獲得。アメリカのみならず、全世界で配給され、日本でも1972年10月14日から当時のラジオ関東(AM)で『全米トップ40』というタイトルで放送が始まった。この日本版は、DJに湯川れい子さん、ラジオ関東アナウンサーの坂井隆夫さんが担当。当時洋楽を聴く音楽ファンのバイブル的存在となった。 『アメリカン・トップ40』は、しばしば「AT40(エイティー・フォーティー)」と呼ばれ、ネット局も増えた。当初は3時間で40曲すべてをフルコーラスかけることを大前提にしていたが、70年代後期になると、一曲の長さが長くなり、1978年から放送が4時間になった。最盛期には全世界50カ国、500局以上のラジオ局で放送された。 その後、ケイシー・ケイスンと番組制作会社との意見の相違から、ケイスンが1988年8月6日の『AT40』で離脱、翌8月13日から新人のシャドー・スティーヴンスに交代。しかし、翌年1989年1月21日から、ケイスンは独立し『ケイシーズ・トップ40』という番組をスタート。これは、ラジオ&レコード誌のチャートをもとに40曲をカウントダウンした。その後、ケイスンは『アメリカン・トップ40』に戻るが、2004年1月からライアン・シークレストがホストDJとなった。また1995年1月から1998年3月まで番組は休止した。また、使用するチャートは当初のビルボード誌からラジオ&レコーズ誌、その中のチャートもいろいろと変わった。 日本ではラジオ関東以降、東京FM、FM横浜などで放送され、現在はZIP-FM(名古屋)で放送されている。また、日本の米軍放送局AFRTS(現在のAFN)(通称FEN)でも放送されていた。 40年の歴史の中には、さまざまなエピソードが残されているが、そのうちのいくつか。 初回放送(1970年7月4日)の最初のオンエア曲は、すなわちビルボード誌ホット100(1970年7月11日付け)の40位だった曲。それは、マーヴィン・ゲイの「ジ・エンド・オブ・アワ・ロード」だった。 初回放送の1位は、スリー・ドッグ・ナイトの「ママ・トールド・ミー・ノット・トゥ・カム」。 1978年8月から、同番組では世界中にリスナーがいることから、「ロング・ディスタント・デディケーション(遠距離メッセージ)」というコーナーをスタート。その初回は、ドイツに住むガール・フレンド、デズリーへのメッセージをニール・ダイモンドの「デズリー」とともにリクエストしたアメリカ在住の男性のお便りが紹介された。 ケイシー・ケイスンは1932年(昭和7年)4月27日ミシガン州デトロイト生まれ。両親はレバノン人。1950年代中期からラジオ業界で仕事を始めた。全米のラジオ局でDJをしているうちに、1970年7月から『アメリカン・トップ40』をスタートさせた。2009年7月4日、『アメリカン・トップ20』『アメリカン・トップ10』の番組を終了、39年間におよぶ『アメリカン・トップ40』DJを引退した。しかし、1970年代から80年代にかけての番組が現在でも200以上の放送局で再放送されている。 +++++ バイブル。 『アメリカン・トップ40』は、日本各地にその研究会ができるほど、アメリカのポップス好きにとってはバイブル的存在だった。かく言う僕も大学生時代、この番組をFEN、ラジオ関東と毎週聴いてそのチャートをノートに書き取っていたほど。土曜の午後まずFENで英語版を聴き、夜10時からラジオ関東の湯川れい子さんの解説で聴いた。現在音楽業界(特に洋楽)で活躍している人たちで、この『アメリカン・トップ40』にお世話になっていない人はほとんどいないだろう。洋楽の情報がまだほとんどなかった頃、無名アーティストの情報などが放送されて重宝したものだ。 ケイシー・ケイスンの英語が、発音もはっきりし、比較的ゆっくり話すので聞き取りやすかったのもよかった。チャートを40位から1位までカウントダウンしていくというシンプルな構成なので、英語の言い回しにいくつかパターンがあり、何度か聴いているうちにそれらを覚えるようにもなった。 『アメリカン・トップ40』の大きな魅力はその台本にあった。ひじょうによく練られた英語で、それはまさに英語の教科書のような正しい文章、しかも発音も聴き取りやすい英語だった。そこで明かされるエピソードも、実に取材が行き届いていておもしろいものが多かった。 印象に残っているエピソードはいくつもあるが、1973年のドーンの大ヒット「幸せの黄色いリボン(Tie A Yellow Ribon Round The Oak Tree)」の誕生秘話などは特筆ものだった。これはのちに日本でも「幸せの黄色いハンカチ」となって映画化されるが、初めて聴いたときは、胸を打たれたものだ。 最近は、シングル自体が発売されないことも多いので、なかなかトップ40の意味合い、重要度も薄れてきてしまったが、それでも「全米ナンバーワン」というキャッチフレーズはいまでもそれなりに有効かもしれない。 ENT>RADIO>American Top 40

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▲『キャプテンEO』と『マイケル・ジャクソン死の謎』

▲『キャプテンEO』と『マイケル・ジャクソン死の謎』 【”Captain EO” & TV Programme】 マイケル。 再開された『キャプテンEO』は、東京ディズニーランドではとりあえず1年間限定だが、人気が続けば延長もありそうだ。 これがアメリカのディズニーで公開された1986年9月という時期は、マイケルの『スリラー』が出て、さらに1984年7月からの『ヴィクトリー・ツアー』も敢行、終了、『スリラー』に続くアルバムがまだかまだかと待たれていた時期だ。 少しちょっと昨日勘違いしたかもしれないので訂正を。オリジナル上映時には、レーザーとスモークが劇場効果としてあったと資料にあるが、それは今回はなかった。正確にそのあたりの記憶が定かではない。その代わり、水の演出、椅子が動く効果が今回はあり、これは今回からのものらしい。昔も劇場効果があったと思ったが、『キャプテンEO』の後、これに準じたいろいろなアトラクションが出てきた。たとえば、「スターツアーズ」や、「スプラッシュ・マウンテン」などのライド系では、椅子が動いたり、水がかかったりするが、そのあたりと混同したかもしれない。1986年当時の自分の原稿をいろいろ調べてみたのだが、『EO』について記述したものが見当たらなかった。その頃ブログがあれば、事細かに書いていただろう。(笑) ここに登場するキャラクターは、象の鼻を持つようなフーター、頭が二つあるギークス(アイディーとオーディー)、マイケルの肩にのる鳥ファズボール、ロボットのようなメージャードーモとその背中にばちっとはまるマイナードーモなど。 フーター&ファズボール ギークス(アイディーとオーディー) 前記3つのぬいぐるみが、当時アメリカで売られていたので、それを買った。ずっとトランクルームにしまいこんでいたものを引っ張り出した。ただ、これが東京ディズニーランドで売られていたか、どうも記憶が定かではない。改めて24年の年月の重みを感じる。 今回の『キャプテンEO』では、いわゆる「ファスト・パス」が発行される。これを入手すれば、指定された時刻に行けば、待たずに見ることができる。 +++++ テレビ番組。 昨日(7月2日)、フジテレビで『マイケル・ジャクソン死の謎』(7月2日、午前2時10分~4時10分)という2時間の番組が放送されていた。ぼくはこれについてまったく知らなかったのだが、ツイッターで知り、すぐ見た。ちょっと頭が欠けてしまったが、9割ぐらいは見られた。 正直に言うと、ドキュメンタリーというには、テーマのフォーカスが甘く、ちょっと内容が貧弱な感じだった。たとえばアメリカCBSの『60ミニッツ』をドキュメンタリーと言うなら、これなど関係者の証言を集めて編集したただの「関係者の証言集」というもので、その足元にも及ばない。インタヴューしている人があまり、ジョー・ジャクソンやジャクソンズ、マイケル周辺のことをよく知らないせいか、つっこみが甘く、本来だったら聞きだせる話も聞き出せていない。それでもジョー・ジャクソンがかなりしゃべっているところは一次情報として参考にはなる。 よく事情は知らないのだが、ひょっとするとジョー・ジャクソンの著作が出るので、そのプロモーションの一環として、この番組ができたのかもしれない。まあ、本のプロモーション番組ということであれば、言い分がほとんどジョー・サイドのものになっているのも納得で、そういう意識で見ればいい。逆にこういう番組を見るときに、どのような立ち位置で番組が製作されたのかをしっかり見極めないと、物事の本質を見誤ることになる。だから『ジョー・ジャクソン語る』あるいは『ジョー・ジャクソン~息子マイケルを語る』といったタイトルだったら、よかったのではないだろうか。 また、マイケル・ジャクソンが陰謀によって殺されたかどうかは、さすがに我々にはわからない。もっと取材が必要だ。この番組の取材レヴェルではまだオンエアするレヴェルではないと思う。オンエアするにはもっと取材を深めて、さら素材を集めて、それらの事実を精査し、煮詰めてからではないだろうかと感じた。 ■ 今日、大阪でトーク・ショー 今日(2010年7月3日土曜)、大阪で西寺郷太さんとトーク・ショーを行います。ただし、会場が小さいため前売り券がソールドアウトになっています。 ●「マイケル・ジャクソン L.O.V.E ナイト in 大阪」 場所: 大阪サウンド・チャンネル 住所: 〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋2-8-21 やすらぎビルB1 電話: 06-6212-5552 ウェッブ: http://www.sound-channel.jp/ 日時: 2010年07月03日(土曜) 開場18時、開演18時半~21時半 サイン会: 21時半~22時 入場料: 3,000円 (限定80名) 当日別途ドリンク代500円 … Continue reading

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■『キャプテンEO』ついに再開~驚異の4Dエクスペリエンス

■『キャプテンEO』ついに再開~驚異の4Dエクスペリエンス 【Captain EO Reopened: It’s 4D Experience】 エクスペリエンス。 1986年9月にディズニーランドで公開されたマイケル・ジャクソンの本格的3D映画『キャプテンEO(イーオー)』が、2010年7月1日から、東京ディズニーランドでも再度公開が始まった。『キャプテンEO』は、東京ディズニーランドでは1996年9月1日に終了していたので、約14年ぶりの再開となる。 ディズニーといえば、最近ディズニーのソウル・コンピレーション『メロー・ディズニー』をプロデュースした松尾潔さんのおさそいで、6月30日に一足先に再開された『キャプテンEO』を見た。松尾さん、ありがとうございます。 僕自身、この『キャプテンEO』は、1986年秋にロスアンジェルスのディズニーランドで何度も並んで見て、その後東京でも何回か見て以来なので、おそらく20年余ぶりの再会となった。それにしても、まさかこういう形で再見できるとは思ってもいなかった。 すでにこの約17分におよぶ映像、ストーリーや内容・キャラクターなどは、10年以上公開されていたこと、またユーチューブなどにも平面映像が出ていたり、ここで流れる2曲はCDにもなっているので多くの人が知っているものとみられる。しかし、昨年のマイケル死後ファンになった人にとっては実際の3Dは初めて見る機会となる。 改めて感じたのが、やはりこの『キャプテンEO』のような3D映像はこの劇場で経験・体験しないとその魅力を100%理解できないということだ。3D映像だけではない。これは、座席が動き、光が後方から差し、様々な体験ができる、まさに「アトラクション」。3D映像にさらに劇場内効果を伴うため、3Dより一歩上の4D作品と呼ばれる。CDやネットなどで、文字情報・音情報は誰でも世界中から、ほぼ無料でアクセスできる。だが、この『キャプテンEO』を経験、体験するのは、ここに来ないとできない。これだけは、どれだけデジタル情報が、光速で流れても、アナログに実体験するしかない。逆に、そうした他では味わえない体験(エクスペリエンス)をアトラクションとして昇華しているところがマイケルのクリエイティヴ・アーティストとしてのすごさだ。 本作初公開時28歳だったマイケル・ジャクソンというアーティストは、本当に、その時点で誰もが考えつかないような、最高級のエンタテインメントを全知全能を傾けて作っているのだということを再確認する。それだけ完成度の高いものを作っておけば、たとえ、四半世紀というときが流れても、その本質的な魅力は衰えることなく、依然魅力あふれる作品として残っているということになる。まさか、1986年公開時に、24年後もまた狂喜乱舞してこれを見ることになるなど夢にも思わなかった。本人さえ思わなかっただろう。 「これからみなさんをアドヴェンチャーにお連れしよう」というメイキングのナレーションから、すでにこのわくわくするようなアトラクションは始まっている。 なお、以降は若干ネタばれになるので、これから初めてごらんになる方は、ご注意ください。 事前の情報では、今回の再公開では、椅子がぶるぶる動いたり、細かいネタ(後方からの照明、水の噴射)などがないとのことだったが、それは事実ではなく、全部以前の通り、あった。 マイケルがすぐ目の前まで登場したり、マイケルの肩に乗る「ファズボール」が、手の届くところまで近づいたり(みなつかもうと手を伸ばす)、象のような鼻をもつ「フーター」が、鼻を鳴らすときに水を吹きかけたり、宇宙船が激しく進行し、不時着するところでがくんがくん椅子から衝撃を受けたり、また、悪の女王(アンジェリカ・ヒューストン)のシザーハンズのような指とつめが目前に迫ってくるところなど、現場での臨場感こそが、このアトラクションの大きな魅力だ。10年も同じことが繰り返されるということは、それだけ完成度が高いということに他ならない。 熱狂的ファンは、本編が始まる前の、メイキングの映像から歓声をあげる。そして、本編では、マイケルの足が映し出されただけで、大歓声が会場を覆いつくす。最後はスタンディング・オヴェーションだ。 今から思えば、何かのきっかけで悪の仮面を被ってしまった女王も、マイケルの音楽の力で、本当は美しい女性に戻れる、変化をさせることができる、という「ウィ・アー・ヒアー・トゥ・チェンジ・ザ・ワールド」や、もうひとつの顔を持つという「アナザー・パート・オブ・ミー」に込められたメッセージは、「マン・イン・ザ・ミラー」や「ヒール・ザ・ワールド」にも通じるものだ。 3D映画としては、最近の『アヴァター』の超強力なスケール感とは、ひとまわり違うが、『アヴァター』から23年も前にこれほどの3D映画ができていたこと自体に驚きを隠せない。『アヴァター』は3D、この『キャプテンEO』は4D。『アヴァター』も『キャプテンEO』があったからこそ、完成が可能になったと言ってもいいだろう。 この不景気の時代CDは売れないが、ライヴのチケットは売れる。それは、みな「体験(エクスペリエンス)」を求めているからだ。この『キャプテンEO』ももちろん体験してこそ魅力が味わえるアトラクションだ。エンタテインメントとしてこの「エクスペリエンス」を売りにするところが、まさにすべてがデジタルになっていながら、人々が結局求めるものが、アナログの実体験に戻っているという点がきわめて21世紀的だ。 マイケル・ジャクソンは、2009年6月25日、星のかなたに飛んでいった。本編最後、キャプテンEOも、星のかなたに飛んでいった。 ■ 『キャプテンEO』いくつかのデータ 製作総指揮:ジョージ・ルーカス 製作: ラスティー・レモランド 監督:フランシス・フォード・コッポラ 脚本:レモランド、ルーカス、コッポラ 音楽:ジェームス・ホーナー 楽曲:「ウイ・アー・ヒア・トゥ・チェンジ・ザ・ワールド」、「アナザー・パート・オブ・ミー」、ともにマイケル・ジャクソン作品 出演: マイケル・ジャクソン(EO)、アンジェリカ・ヒューストン(スプリーム・リーダー)ほか 総予算:3000万ドル(当時のレート1ドル165円で約49億5千万円。当時1分あたりでもっと多くのお金がかかった映像といわれた) EOの意味は、ギリシア語で「夜明け」。 LAのディズニーランドで2010年2月23日から再開。当初は1986年9月18日~1997年4月7日の公開。 ディズニー・パリで2010年6月12日から再開。当初は1992年4月12日~1998年8月17日の公開。 フロリダ・ディズニーワールドで2010年7月2日から再開。当初は1986年9月12日~1994年7月6日の公開。 東京ディズニーランドで2010年7月1日から再開。当初は1987年3月20日~1996年9月1日の公開。 (『キャプテンEO』については、続く) ■過去関連記事 … Continue reading

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●リーラ・ジェームス、4年ぶりの来日ライヴ~炸裂するソウル・エクスペリエンス

●リーラ・ジェームス、4年ぶりの来日ライヴ~炸裂するソウル・エクスペリエンス 【It’s Her Soul Experience: Leela James Live】 ディープ。 炸裂するソウルフルな声。ほとばしる汗。天井を突き抜ける言霊。ゴスペル、ソウル、ブルーズ、ファンクまでもその要素に含める、いい意味での完全なオールド・スクール・ソウル・シンガー、リーラ・ジェームスの4年2ヶ月ぶり2度目の来日公演。今回は1日2ステージということで1回のショーは短くなったが、その短い時間に熱心な観客を虜にした。 まず、ステージに登場して、その大きなアフロヘアに度肝を抜かれる。CDジャケットそのものだ。バンドは、ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス1人の5人。 いきなりジャンプ・ナンバーで観客を総立ちにさせるかと思えば、下記セットリスト7「ドント・スピーク」では、観客席を練り歩きながら歌い、リーラ・ファンの花田さんにおもいきり絡んで歌った。「今日は本当は仕事で来られなかったんですが、リーラだったら、仕事を押してでも来ないとねと思って。それで無理にやりくりして、(仕事場で)早く帰ります、って言って、ここに来たんです。自分に歌ってもらえて仕事早くあげてやってきた甲斐がありました」と大喜びの花田さん。彼に限らず、ファンとシンガー、アーティストたちには、熱い一体感が感じられた。 バック・コーラスのグローリア・ライアンも、なかなか素晴らしい声を聞かせてくれたが、彼女がリーラのバックを歌いだしたのはここ1年とのこと。前回の来日には来ていなかった。 リーラのライヴ、シンガーとしての素晴らしさについては、いま4年ぶりに読み返した前回ライヴ評でほとんどすべて書いた感じがした。(下記参照) ところで、前回ライヴ評で彼女の年齢を推測しているのだが、最近ウイッキペディアや、その他のインタヴュー記事で1983年6月2日生まれと書かれたものがある。さすがに、それはないだろう、と思う。だいたい、5月22日と本人が言っていたので、信憑性が微妙だ。別に年齢など基本的にはただ聞く分にはたいした意味はないのだが、彼女の音楽性を本格的に理解しようとすると、重要な属性情報になる。デビューまでに時間がかかった、ということから、やはり30代後半から40代ではないだろうか。もし本当に27歳であるなら、いかにしてこんなオールド・スクールのソウルマナーを体に染み付けることができたのか尋ねたい。(バイオなどには、父親のソウルのレコードのコレクションから、とは書いてあるのだが・・・) 最新アルバムはソウルの名門、スタックスからのリリース。それについて彼女は次のように述べている。 “To be on the premier soul label is a validation of what I’ve accomplished with my music and what I stand for,” she says. … Continue reading

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