Monthly Archives: June 2010

⊿プリンス最新情報~新作『20Ten』は7月リリースの予定

⊿プリンス最新情報~新作『20Ten』は7月リリースの予定 【Prince Information Update: Courtesy Of Tuna】 最新情報。 プリンス作品は、日本では2007年の『プラネット・アース』以来メジャーレコード会社からリリースされていない。そのため、ニュースの入り方も途絶えがちだが、プリンス本人は精力的に、新作発表、ライヴなどを行っている。7月には新作『20Ten』(トゥエンティーテン)がアメリカ、ヨーロッパの一部でリリースされる予定。ただこれが日本でどのような形でリリースされるかは未定。 (6月30日午後1時半追記) イギリスのインディペンデント誌電子版が、この新作について、イギリスの新聞「デイリー・ミラー」、スコットランドの「デイリー・レコード」がそれぞれ7月10日付けの新聞にCDを添付する、また、7月22日発行のドイツの「ローリング・ストーン誌」にも添付すると伝えた。 http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/music/prince-to-release-27th-studio-album-via-european-newspapers-2013972.html (↑追記ここまで) 今年(2010年)に入ってからのプリンスの最新情報を、日本一のプリンス・フォロワー、ツナさんがまとめてくれた。力作なので、了承をとってほぼそのまま掲載する。主な活動は次の通り。 2010年情報 1月17日 地元のアメリカン・フットボールチーム「ミネソタ・ヴァイキングス」がダラス・カウボーイズを迎えての試合を、ラリー・グラハム夫妻とブリア・ヴァレンティ(昨年の3枚組みアルバム『Lotus Flow3r』収録の「エリクシール(Elixir)」を歌っている女性)と一緒に観戦。ちなみに、彼女が着ていたジャージは背番号28番のランニング・バック、エイドリアン・ピーターソン。 1月21日 新曲、「パープル・アンド・ゴールド(Purple and Gold)」を発表。紫と金はプリンスの色ではなく、彼の地元のアメリカン・フットボールチーム「ミネソタ・ヴァイキングス」のチームカラー。(一応、チームの応援歌だが、その直後チームはスーパーボウルをかけたチャンピオンシップゲームで負けた)(下記リンク先にて試聴できる) http://www.vikings.com/media-vault/videos/Princes-Vikings-Song—Purple-and-Gold/e48c43f8-27e8-4ff4-a367-1d36975dd042 ちなみに、それに対抗してか、シーラEがこんなことしている。 http://www.youtube.com/watch?v=qKmHGPs6-dQ&feature=player_embedded 対戦相手の「ニューオーリンズ・セインツ」の応援だが、プリンスの物まねをして見事スーパーボウルを勝利に導いた。 2月26日 新曲、「コーズ・アンド・エフェクト(Cause and Effect)」をミネソタのラジオ局、89.3 The Currentにて発表。 下記リンク先にて試聴できる) http://minnesota.publicradio.org/collections/special/columns/music_blog/archive/2010/02/prince-cause-and-effect.shtml 6月7日 52歳の誕生日。この日にもミネソタのラジオ局、89.3 The Currentにて新曲「ホット・サマー(Hot Summer)」を発表。(下記リンク先にて試聴できる) http://www.antiquiet.com/news/2010/06/prince-hot-summer-mp3/ … Continue reading

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△イントロ・ドンの正解っぷりにびっくり

△イントロ・ドンの正解っぷりにびっくり 【Name The Song In A Split Second: How Does Listener Knows Answer】 瞬時。 先日の日曜(6月27日)放送の『ソウル・ブレンズ』内で、いわゆる「イントロ・ドン」みたいな、曲のイントロを一瞬だけ流して、その曲名を当ててもらうというクイズをやった。 いやあ、これ、おもしろかった。っていうか、リスナーのみなさん、すごいです。すぐに正解が出るんでびっくりしました。僕なんか6曲中、2曲だけだもんね。(失笑) 今回のイントロ・ドンは、プロデューサーのオッシーが、いつも使っているセラート・スクラッチにあらかじめ出題する6曲をいれておいて、それをスイッチングで、瞬間、どあたまだけ出すようにしていた。通常のCDプレイヤーだと、頭だしはできるものの、瞬時に止めるのがなかなか難しい。このセラートを使うと、触った瞬間だけ音が出る。長く触れば、長く出る。正解が出たら、押していれば、そのまま曲が流れるから、とてもうまく進行する。 しかし、瞬時のイントロだとどれくらいなのだろう。10分の1秒くらいか、もっと短いのか。なかなかわからない。あとは、わかっても、「ああ、あれあれ、あれあれあれだよ」っていう感じで正確な曲名がでてこなかったりする。 驚いたのは、「スムース・クリミナル」。ほんの一瞬のイントロで、15歳のリスナーの女の子が見事に当てた。 逆に、なぜか難しかったのが、ジャクソン・ファイヴの「アイ・ウォント・ユー・バック」。これは4-5人、不正解で、再度、少し長めにイントロを出したところ、一挙に電話が鳴り出して、正解となった。スタジオの電話は、10本まで同時に受けられ、それが赤ランプの点滅でボードに表示される。2度目に長くイントロを流したら、いっせいにボードの赤ランプが点滅した。 今回は、マイケルとプリンス楽曲のみだったが、これが制限なかったら、けっこう難しいと思う。だけど、かなりおもしろいと思う。 「正解の人に何かあげようよ」と言ったら、マーヴィンが、「ジョージのステッカーでもあげるか」(前の番組、ジョージ・カックルさんの番組ステッカー)と、何枚も持っていたステッカーを両手に広げていた。なんで、そんなに持ってるんだ? (笑) 『ソウル・ブレンズ』の「イントロ・ドン」に正解すると、ジョージの番組ステッカーがもらえる。そんなことになったらおもしろいな。受ける。これぞ、本当の二番組コラボレーション! ■ スムース・クリミナルは、BADに収録 バッド posted with amazlet at 10.06.28 マイケル・ジャクソン クインシー・ジョーンズ SMJ (2010-06-23) 売り上げランキング: 965 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ なぜか、むずかしかった「アイ・ウォント・ユー・バック」 … Continue reading

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☆久保田利伸『タイムレス・フライ』ツアー

☆久保田利伸『タイムレス・フライ』ツアー 【Kubota Toshinobu’s Timeless Fly Tour】 4年ぶり。 久保田利伸が今年は新作アルバム『タイムレス・フライ(Timeless Fly)』を出し、4年ぶりの同名ツアーに出た。2010年6月20日(日)座間のハーモニーホール座間から始まり、8月22日(日)新潟県民会館まで22本続くいわゆる「ホール・ツアー」。前回が大きなアリーナを周ったのに比べて、今回は小さなホールで、ファンとより近くでグルーヴを堪能する。 集まった観客層は実に広い。40代はもちろん50代後半から、下は20代前半まで、全体的には女性が多く7-3くらいの比率か。超満員、NHKホールに続く公園通りでは、「チケット譲ってください」の紙を手に持っているファンもいたという。収容人数的に、今回のホール・ツアーでは、カヴァーしきれないので、買えないファンが多いのだろう。来年(2011年)は、彼がデビューしてちょうど25周年になる。ファンも年輪を重ねているわけだ。 ライヴ前には、DJがメイズ(いつも久保田バンドでキーボードを担当するフィリップ・ウーが以前参加していたファンク・バンド)の作品を流し、徐々に久保田ズ・ソウルワールドを演出している。 全体的なメイン・コンセプトは、ファンクでグルーヴィーに、ミュージシャンも観客も一緒に楽しもう、我々はみなパーティー・ピーポー(party people)というもの。そして、バンドがタイトにグルーヴを刻み、それを久保田は一曲一曲、実直にこなしていく。バンドは前回同様、強力。ラルフのドラムス(ところどころひょうきんなMCもまたよし)、フィリップ、柿崎のキーボード、カルロスのベースなど、まちがいない。 2曲目ではダンサー2人と久保田とでユニゾンのダンスを見せるが、モリス・デイのタイムの雰囲気を思い起こさせた。途中2回あるMC(話)の部分では、かなりおもしろいフリートークを聞かせるが、あちこちにライヴに来てくれる観客への感謝の言葉が繰り返されたのが印象的だった。 中盤、久保田が着替えるためにコーラス隊がマイケル曲「ヒューマン・ネイチャー」をSWVヴァージョン(「ライト・ヒア/ヒューマン・ネイチャー」)で披露するが、ずっと久保田ツアーに帯同しているユリ(『ソウル・サーチン:ザ・セッション』でもおなじみ)と今回初登場の、日本の音楽シーンでは中堅となっているオリヴィア・バレルが圧巻だった。 「ここに来ている観客のみなさんは本当に素晴らしい。スローの曲はハートで聴き、ゆったりしたグルーヴの曲は腰で聴き、踊れる曲は踊りながら聴く」とステージから言う。 本編が終わり、アンコールも終えると、久保田は最後に「全国ツアー、イッテキマース」と言って舞台を去っていった。そして、その後マーヴィン・ゲイの「アフター・ザ・ダンス」が静かに会場に流れた。メイズに始まり、久保田ワールドを展開し、そして、マーヴィン・ゲイで〆る。久保田ならではのソウル・ワールドの完結だ。 (この日のセットリストは、ツアー終了後にアップします) ■久保田利伸 関連記事 July 30, 2006 Kubota Toshinobu Shouted “You Are My Soul” At The Center Of The Stage http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200607/2006_07_30.html August 07, 2006 … Continue reading

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◎マイケル・ジャクソン・トーク・イヴェント@イレヴン西麻布

◎マイケル・ジャクソン・トーク・イヴェント@イレヴン西麻布 【Michael Jackson Talk Event @ Eleven, Nishiazabu】 話題。 西麻布のクラブ、前イエロー、現イレヴン(eleven)で、6月25日(金)DJスピナのマイケル・ジャクソン・ナイトがあり、その前に、西寺郷太さんと小1時間のトーク・ショーを行った。お集まりいただいたみなさまありがとうございます。さすがに、クラブ・イレヴンだと午後10時スタートというのは、クラブには早すぎ、トーク・イヴェントには遅すぎ(too early for club, too late for talk event)のためか、最初はお客さんの入りもぼちぼちだったが、始まる頃には用意された席はほぼ満員になった。 トークネタは、最近のマイケル・ジャクソン・ネタ。最初にえらく盛り上がったのが、ブランドン・ハワードの話。ちょうど、当日(25日)、郷太さんも本人に会っており、僕は前日会っていたことから、その印象などについて。やはり、彼も、ブランドンはマイケルに雰囲気が似ていること、しゃべり方が似ていることを感じた。ブランドンはJウェイヴのDJタローさんの番組にゲスト出演し、収録があったが、その模様がUストリームで中継され、80人くらいの人が見ていた。たまたま僕もその様子を見ていたのだが、そこに郷太さんもいたという。 「大体、(マイケル・ネタを)東スポに売るのは、レコード会社か、ジャーメインってことになっている」(会場爆笑) 「だから、僕もね、昨日レコード会社の担当に聞いたら、あれ、勝手に書かれちゃったんですよ、うちじゃないです、って言っていたよ」というと、「じゃあ、犯人はジャーメインだ!」(さらに爆笑) ちなみに、東スポ。 http://matome.naver.jp/odai/2127615170306812101/2127615211106834702 東スポは、信じてはいけません。(笑) そして、若干、2人で監修した対訳の話。具体的にしようかと打ち合わせしていたが、話がどこからかそれてしまった。(笑) もうひとつ、大盛り上がりになったのが、この日公開された映画『マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔』の件。「この映画、すでに見た方は?」と尋ねると、4-5人の方がすでに見ていた。当日、ツイッターで僕と郷太さんと和田唱さんのやりとりを書いていたが、要するにこの映画は、「映画」というものではなく、ホームビデオで撮影したものを無理やり2時間に引き伸ばしたもの。「そう、ほんと、無理やりなんすよね」と郷太さん。で、その無理やり感を、いくつか身振り手振りで説明し、それがめちゃくちゃおもしろくて、受けた。逆に、この説明見たら、怖いもの見たさに、見に行きたくなるだろう。(笑) 「デパート(ショッピングセンターか)の店員が、マイケルにサングラスあげるんだけど、上げたことで、超まいあがって喜んでるシーン。マイケル、別にそんなもんもらったって嬉しくないよ」(笑) 「一般の人がマイケルについて、言ってるんだけど、おんなじ人が何度もでてくる」(笑) 「ほんと、どうでもいい、普通だったらボツになるシーンが多いんですよ」(笑) 「リムジンの中のなんでもないシーンがやたら長い」(笑) 「まあ、ここだけの話、映画館で見るようなものじゃないですねえ。テレビのワイドショー・レベル」(笑) 「ビデオかDVDで十分」(笑) このほかに、郷太さんがすでに読んだという父ジョー・ジャクソンの自伝『息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~』の話をちらっと。僕はまだ読んでないので、さっそくアマゾンに注文。その中に、家系の話があって、父ジョーにはインディアン(ネイティヴ・アメリカン)の血がけっこう混ざっている、という話を紹介してくれた。それを受けて僕が、「血が混ざるということは、強いもの、美しいものが生まれる可能性がとても高い。ジェームス・ブラウンもかつて自分の血には、インディアンや日本人の血が混ざっているんだと話してくれた。マイケルの『ブラック・オア・ホワイト』も、人種は関係ないというメッセージを強くだしているが、そういうところからも来ているのかもしれない」といったことを話した。 ジョーの話の中で、郷太さんが、「ジョーが好きなマイケル曲は、『アース・ソング』だって書いてた」というので、僕が「うっそー!」とダウトしてしまった。一番、ジョーと対極にあるような気がしたからだ。「ジョーはたぶん自分では実際に書いてないでしょう。聞き書きなんじゃないかな。それとライター、あるいは編集者がいて、そういうのを勝手に付け加えたりした可能性あるんじゃないかな(笑)」 いや、確かに本当にジョーが好きな可能性はあるが。(笑) このほかに、25日午後7時から日テレで放送された特番と、スカパー内M-ONTVで放送された『AI miss Michael Jackson』という2時間の番組の話。前者はまだ見ていないが、後者はスカパーの基本パックにはいっていると見ることができ、郷太さんはすでに見ていた。僕は25日のお台場の上映イヴェントでこれを見たが、とてもいい内容で感心した。特に元マネージャーで最後マイケルが死去するときにもマネージャーだったフランク・ディレオの話はすごくよかった。といった話をした。この番組については改めて書く。 次回、郷太さんとのトーク・ショーは大阪で2010年7月3日(土)。また、違うネタでしゃべり倒せるような気がします。(笑) その後、郷太さんと近くの五行でラーメン。そこでブランドン話をひとしきり。ここだけの話ですが…。「いやあ、ブランドンという名前から、(マイケルとの関連が)ひっかかってたんですよ」と郷太さん。ファンの方はご存知だと思うが、マーロンの双子のもうひとりがブランドンで、生まれてまもなく亡くなっている。「マイケルの子というのは、マイケルとミキ・ハワードがなにかあって、ということでしょ。どうも、それが結びつかない」と僕。「でも、ジョー(父親)とミキということはあるかも」と新説勃発。「おおっ、ジョーの子だったら、マイケルの弟だ。それはありえるかも」 なにも根拠はありません。ここだけの話にしといてください。(笑) 最後に、アメリカ・ワシントンDC在住の翻訳家押野素子(マイケル・ジャクソン裁判を訳された方)さんにご紹介された米ヴァイブ誌のサイトにでているマイケル・ジャクソン追悼コメント特集のページ。(英語です) http://www.vibe.com/content/what-michael-jackson-meant-me?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter ■ ジョセフ・ジャクソン自伝『息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~』 息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~ posted … Continue reading

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○B(ブランドン)ハワード、ショーケース・ライヴ

○(ブランドン)Bハワード、ショーケース・ライヴ 【Brandon Howard Showcase Live】 ソフト。 東スポでも話題になった(笑)新人R&Bシンガー、Bハワード(ブライアン・ハワード)。昔からのソウルファンにとっては、あのミキ・ハワードの息子ということでも注目の新人。ミキ・ハワードはファンク・グループ、サイド・エフェクトのリードシンガーだ。ここ数年、ニーヨ、ジェニュイン、マーカス・ヒューストンなど若手R&Bシンガーたちに楽曲提供したりして、アメリカR&B業界ではちょっとした話題を集めているシンガー・ソングライターだ。その彼が満を持して、デビュー作『ジェネシス』をこの2010年7月7日に日本でリリースする。 日本ではデビューにあたり、アーティスト名をBハワードにしたが、その彼がプロモーションで来日、ショーケースを2010年6月24日日比谷のクラブ、ディアナ(Diana)で行った。 黒のかっこいいスーツのような衣装に身を包み、ダンサーを従え、きりりとしたパフォーマンス。2曲目は本人によると人前では初めてというピアノの弾き語り。そして、3曲はアルバムの中でもひときわキャッチャーに「スーパーモデル」をダンサーらと。最後に質疑応答。 話し方、踊り方などは、確かにマイケル・ジャクソンを彷彿とさせるものがあるが、1980年代半ば生まれの世代のブラック、R&Bミュージシャンであれば、多かれ少なかれ、マイケルの影響は強いだろう。 デビュー・アルバム『ジェネシス』の内容がかなりいいので、これから大いに話題になるにちがいない。ニーヨ的なメロディアスな部分と甘い声が、日本人受けしそう。しかも、彼の誰にでも好かれるキャラがいい感じだ。 マイケルやジャクソン家とは、幼い頃から親しくしている。ショーケース後、ほんの少しだけだったが、あいさつして、ミキ・ハワードらと一緒に写っている写真を手渡した。これから夏にかけて大いにブレイクするであろうアーティストだ。 ■ 関連記事 2008年07月10日(木) 松尾氏ミキ・ハワードと旧交を温めるの巻 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080710.html (ブランドン・ハワードが以前母親と来たときのブログ) ■ Bハワード デビュー作『ジェネシス』 ジェネシス(初回限定盤) posted with amazlet at 10.06.25 B.ハワード ユニバーサルインターナショナル (2010-07-07) 売り上げランキング: 2473 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ セットリスト @日比谷Diana June 24, 2010 (演奏はトラック) … Continue reading

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◆マイケル・ジャクソン一周忌(パート1)

◆マイケル・ジャクソン一周忌(パート1) 【Michael Jackson : June 25, Memorial Day】 命日。 マイケル・ジャクソンが2009年6月25日に急死して、1年。各地でさまざまなイヴェントが行われる。 ■ お台場ゼップで上映会 お台場ゼップでM-ONテレビ主催のテレビ番組『AI miss MICHAEL JACKSON ~KING OF POPの奇跡~』の上映会が、25日(金)午後7時からお台場ゼップ東京で行われる。ここにはAIも登場する。これは、6月28日に大阪梅田ブルク7、同日名古屋伏見ミリオン座でも同様の上映会が行われる。 ■西麻布イレヴンでイヴェント 西麻布イレヴンでは、25日DJスピナを招きマイケル・ジャクソン・トリビュート・ナイト。DJスピナは、以前、マイケルとプリンスの楽曲だけのDJをやっていた。25日は、西寺郷太・吉岡正晴のトークショーも行われる。これは10時から11時まで。 http://go-to-eleven.com/schedule/detail/65/2010/6 ■東京タワーでイヴェント 現在マイケル・ジャクソン展が行われている東京タワーでは、6月25日から27日まで、マイケルへの献花を受け付ける。また25日には現在の展覧会の入場口、ネヴァーランド・ゲートの下でキャンドルサーヴィスを実施。また25日夜から26日朝にかけて、「ワン・ナイト・ウィズ・マイケル」と題したイヴェントを行う。これは選ばれたゲストが、この展覧会会場で寝袋持参で一晩を過ごすというもの。また26日はケント・モリが3回にわたってスペシャル・パフォーマンスを見せる。27日にはユーコ・スミダ・ジャクソンがワークショップを開催。 【イヴェント概要】 日時:2010年6月25 日(金)9:00AM ~ 6 月27 日(日)8:00AM 場所:東京タワー1F  献花受付宛先:〒105-0011 東京都港区芝公園4-2-8 東京タワー1F         マイケル・ジャクソン公式展 ネバーランド・コレクション宛 問合せ先 03-3578-5119 ■ 日本テレビでマイケル追悼番組 日本テレビ系全国29局ネットで『独占! 仰天スクープ マイケル・ジャクソン最後の真実』を2010年6月25日(19時00分~20時54分)を放送。ドキュメントと再現ドラマで知られざるマイケルの真実に迫る。 また、6月28日(月)朝の『ズームイン・スーパー』(日本テレビ系列)でも、25日のマイケル追悼イヴェントの模様などを取材し、特集を組む。 ■ マイケル・ジャクソン/ジャクソンズ・アルバム新装発売 … Continue reading

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◆シェリル・リン・ライヴ@ビルボードライブ~ハッピー・ミュージック

◆シェリル・リン・ライヴ@ビルボードライブ~ハッピー・ミュージック 【Cheryl Lynn Live: It’s Happy Music、Happy Time】 ハッピー。 3年連続で来日しているディスコの歌姫シェリル・リンのライヴ。毎回バンドメンバーが変わるようだが、今回はMD(音楽ディレクター)がドン・ワイアット。あのルーファスや、レイ・パーカーなどでも来日している腕利きキーボード奏者。彼の仕切りのせいか、バンドがけっこうタイトになった印象があった。客席はほぼ満員、毎年安定してこれだけ満席にできるというのは、本当にすごい。リアル・タイムでシェリル・リンを体験しているファンのほかに、もっと若いファンも、また、男性・女性ほぼ同じ比率くらいではいっている。 ドラム、ギター、ベース、キーボード2人にコーラス4人という計9人の大所帯バックにシェリルが歌う。女性3人男性1人の計4人のコーラス隊は比較的同じメンバーだが、これが実にいいコーラスをつけていることに気づいた。シェリルの歌にかぶさるバックコーラスが、とてもいい感じにきまる。そして、なによりシェリルの声が、実にパワフルでよく通る。さすがにゴスペルで鍛えただけのことはある。ポップな楽曲もとてもソウルフルになり、ソウルフルな楽曲がポップになる。このあたりが、人気の秘密だ。しかも観客を巻き込んでのコール&レスポンスもお手の物。 「ジョージー・ポージー」は最初、男性コーラス、ドン・ミッチェルに歌わせ、途中からデュエットに。「パーティー、こっちでやってるよThere’s a party over here」というと、コーラスが「Shake it up, shake it up」と応える。そして、「シェイク・イット・アップ」へなだれ込む。そして、冒頭をアカペラで歌い、あのイントロのフレーズが流れると観客はいっせいに歓声をあげる。「ガット・トゥ・ビー・リアル」だ。1978年のヒット。32年前の堂々たる大ヒットだ。こうやって迫力いっぱいのライヴで聴いていると、まるで昨日のヒットのように思えてくる。超スーパー・リアル・ダンス・クラシックだ。 観客がみんな楽しそうに体を揺らし、笑顔になっていたのがとても印象的だった。シェリル・リンの音楽は文句なくリアルにハッピー・ミュージックだ。彼女の明るいキャラがそのまま音楽に反映しているといってもいい。 ライヴ後、楽屋に行き表敬訪問。何度かインタヴューしているが、どうやら顔を覚えていてくれたようで、「I remember you」との言葉。こんどシェリル・リンのアルバムがいくつか紙ジャケットになり、そのうちのファースト・アルバムのライナーを書くことになっているので、それについて1-2質問したら、矢継ぎ早に答えてくれた。ライヴ後でハッピーなせいか、とてもフレンドリーだった。 レイ・パーカー、デイヴィッド・ペイチ、ジェームス・ギャドソンら、彼女にとってはスーパースターのようなミュージシャンたちと一緒にレコーディングできて夢のようでとても嬉しかった、という。また、ほとんどの楽曲が、ミュージシャンと同時にヴォーカルも録音し、それもワンテイクでOKになったと彼女が話すと、そこにいたMDのドンも本当か、とリアルにびっくりしていた。詳細はライナーで。 ■ シェリル・リン・ライヴ 2010年6月24日はオフで、25日(金)、26日(土)ビルボートライブ東京。6月28日(月)から30日(水)まで3日間ビルボードライブ大阪。 http://www.billboard-live.com/ ■シェリル・リン過去関連記事 2009年03月20日(金) シェリル・リン・ライヴ@ビルボードライブ東京 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090320.html 2008年03月20日(木) シェリル・リン・ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080320.html” ■ シェリル・リン 『ガット・トゥ・ビー・リアル』が入ったデビュー・アルバム シェリル・リン+2 … Continue reading

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★ケント・モリ『ドリーム&ラヴ』~マイケルとマドンナが奪い合ったダンサーの物語

★ケント・モリ『ドリーム&ラヴ』~マイケルとマドンナが奪い合ったダンサーの物語 【”Dream & Love” by Kent Mori : A Dance Who Was Loved By Michael & Madonna】 夢。 マイケルとマドンナとおじいちゃん。そのトライアングルの中で、主人公ケント・モリは翻弄される運命の道を歩んでいく。子供のころにみたマイケル・ジャクソンのビデオに衝撃を受け、いつしかマイケルとともに踊るという夢をみるようになったケント・モリ。アメリカにわたり、ダンサーとしての腕を上げ、マドンナのツアー・ダンサーになり、自信をつけた彼はついにはマイケル・ジャクソンのオーディションにも合格。しかし、マドンナとの契約が残っていたために、マイケル・ツアーは泣く泣く断念。しかし、運命の女神は彼にまったく予期せぬ展開を与えた。 マドンナとマイケルに愛された日本人ダンサー、ケント・モリが過去4年ほどに起こった出来事を凝縮して書いた、彼の2010年までの自伝、それが『ドリーム&ラヴ(Dream & Love)』(ケント・モリ著=扶桑社、2010年6月25日発売)だ。ひじょうに読みやすい文章で、しかも行間の余白も多く、瞬く間に読み込める。 夢に向かってひた走るその姿。そして、そこに横たわる運命的な挫折。それぞれの事件が、それぞれに理由を持ち、その時点ではわからない未来の出来事へと導かれていく。本人さえその行く末のわからない運命の道を全力で歩んでいくケント・モリの姿は、潔く、感動的だ。 1985年3月生まれのケント・モリは、まだ25歳。しかし、彼は25歳ながら、過去4年で普通の人間が一生かかっても経験できないであろう密度の濃い人生を歩んだ。夢にかける情熱。その情熱と熱き思いが、道を作る。道の向こうに夢のかけらが現れる。そして、さらにつき進み続けるといつしかその夢を掴むことができる。それがこの300ページの中に淡々と、しかし熱いソウルを持って語られている。 今年の初め、この本の出版が決まっていないとき、彼は僕に「自分のこれまでのことを本に書いて出したいんです。それで200万部売りたいんです」と目を輝かせて熱く語った。そのときは、こんな出版不況でミリオン(100万部)売れる本なんていまどき出ないよ、と思った。しかし、一方で彼がそれまでの、特に過去4年ほどの人生の話をきいたとき、「こんな熱く夢に向かってつき進む男がいまでもいるのか」と感銘した。 そして、本を読み終えた今、「めざせ、ミリオン。ケント・モリに不可能という道はない」という思いを強くした。 Dream&Love posted with amazlet at 10.06.21 ケント・モリ 扶桑社 売り上げランキング: 2155 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ ケント・モリ・サイン会 … Continue reading

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▲トク、デビュー10周年~9年ぶりのブルーノート単独公演

▲トク、デビュー10周年~9年ぶりのブルーノート単独公演 【TOKU Live: First In 9 Years At Blue Note】 フォーマル。 2000年1月にアルバム『エヴリシング・シー・セッド』でデビューしてはや10年。今年はフルーゲルホーン奏者ヴォーカリスト、トク(TOKU)にとって10周年、11年目に入る年。そこで、ブルーノート東京に2日間登場。ブルーノートに登場するのは、デビュー年2000年8月15日、2001年9月13日~15日以来約9年ぶりのこと。本人もステージで言っていたが、このときは、予定されていたアメリカのミュージシャンが、例の911テロ(2001年9月11日)のために来日不可能となり、急遽日本のミュージシャンでバンドをまとめた、という。 9年ぶりのブルーノートといっても、本人はいろいろな海外アーティストや他の日本人アーティストにゲストや飛び入りでステージにあがっているので、それほど久々感はないらしい。4回のステージがすべて超満員。圧倒的に女性ファンが多い。 ふだん、トクズ・ラウンジなどで見ているせいか、このようなかしこまったブルーノートのステージで、しかもドン小西さんデザインのおしゃれな衣装に身を包んで登場すると、「オフィシャル感」というか、「フォーマル感」が存分に漂う。いきなり、カルテットのしっとりとしたバラード「ムーンライト・セレナーデ」でステージは始まった。甘くけだるいトク・ワールド全開だ。そしてギターとサックスが加わり、さらに次の曲ではストリングスが4人はいり、フルバンドに。これだけ大所帯のバンドだとやはり「フォーマル感」たっぷりだ。 歌、トランペット、フルーゲルホーン自由自在。おもしろいのは、ベースの佐藤“ハチ”恭彦(さとう・はち・やすひこ)さんとの変幻自在な2人での「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」。トクの歌と、佐藤さんのベースがかけあう。これは、トクがジャズをやり始めたごく初期に覚えて以来ずっと歌っている曲で特に思い入れがあるという。 この日は、翌日から「マンハッタン・ジャズ・クインテット」の一員としてブルーノートに登場するトランペッター、ルー・ソロフがアンコールの「アワ・ラヴ・ストーリー」で飛び入り。マウスピースだけで音を出したり、トクとトランペットのバトルをしたりと、とても楽しいパフォーマンスを見せてくれた。なんと、ルーとトクは、誕生日が2月20日で同じだそうだ。 トクは2010年9月22日と23日(水・木)、トクひとりだけのライヴというのを初台のオペラシティー3階にある近江楽堂で敢行すると発表した。これは2010年3月に同じ場所で実験的に行ったものの再演。もちろん、曲などは前回とは変わるかもしれない。この告知のときに、トクは「ひとり演奏会には、ゴスペラーズの北山陽一がものすごくアイデアをくれました。どこにいるかな。(北山氏が手を上げ、スポットライトが当たる) 感謝です」といって、客席内にいた彼を紹介した。初台でやったときは、会場がとてもよく響くので、ノー・マイク、ノー・アンプですべてをやった。北山さんによると、「アーティストと観客の緊張感がものすごいんですよ、絶対見たほうがいいですよ」という。俳優の究極は、「一人芝居を完成させること」だという。その伝でいけば、ミュージシャンの究極も「一人パフォーマンスを完成させること」になるのかもしれない。まさに僕もよく書く「レス・イズ・モア(less is more)」になるのだろう。 それにしても、これだけお客さんがはいるのであれば、9年ぶりということではなく、年1-2回くらい定期的にできるのではないだろうか。 ■ トク・ライヴ過去関連記事 2004/11/10 (Wed) Toku Live At Alfie: Only Two Men On The Stage http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200411/diary20041110.html 2004/04/28 (Wed) Toku Hangover: Live … Continue reading

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■ラスカルズ(フェリックス・キャヴァリエ)初来日決定

■ラスカルズ(フェリックス・キャヴァリエ)初来日決定 【Felix Cavaliere’s Rascals Will Coming To Japan For The First Time】 初来日。 ブルー・アイド・ソウル・グループとして1960年代に多くのヒットを放ったラスカルズのリード・ヴォーカルでもあるフェリックス・キャヴァリエが、「フェリックス・キャヴァリエズ・ラスカルズ」として初来日する。2010年9月7日(火)丸の内コットンクラブ、9月9日(木)から11日(土)東京ブルーノート、9月12日(日)名古屋ブルーノートでライヴを行う。 ラスカルズは、1964年にニュージャージー州でフェリックス・キャヴァリエ、エディー・ブリガッティー、ジーン・コーニッシュ、ディノ・ダネルによって結成されたグループで、ソウルフルな歌声でいわゆるブルー・アイド・ソウルのグループとして人気を博した。アトランティック・レコードからデビューした当初は、彼らの写真などを出さずにプロモーションした。彼らが白人であることがわかると、ソウル・ステーションやブラックの間での人気が下がるものとみられたからだ。それほど、黒っぽいサウンドでヒットを出した。主な大ヒットには、1967年の全米ナンバーワン「グルーヴィン」(山下達郎『サンデイ・ソングブック』の後テーマ。山下氏がカヴァーしている)、「グッド・ラヴィン」「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」など。当初はヤング・ラスカルズと名乗っていたが、途中からシンプルにラスカルズとなった。 現在は、当時のヴォーカル、ブリガッティーとキャヴァリエがわかれているために、基本的には2人が同一のグループで歌うことがない。(1997年5月、ロック殿堂のステージで4人が再会。その後2010年4月、癌関係のチャリティー・イヴェントで再会の2例のみ) エディーは実質的に活動をしておらず、現在はキャヴァリエのラスカルズと、残るメンバー、コーニッシュとダネルが作った「ニュー・ラスカルズ」のふたつが存在する。今回来日するのは、そのキャヴァリエのラスカルズ。キャヴァリエは、「グッド・ラヴィン」など多くのヒットでリードを取っているので、ラスカルズの雰囲気を十分醸し出すことになるだろう。 フェリックスは、1970年代以降、ソロ活動を続けており、2008年に出したアルバム”Nudge It Up A Notch”(ナッジ・イット・アップ・ア・ナッチ)では、メンフィスのスティーヴ・クロッパー(スタックスの魂)と手を組んでアルバムを作っている。 なお、最近、イギリス出身のバンドでスペルも同じラスカルズというグループがいるが、こちらは若いバンドで、往年のラスカルズとはまったく関係ない。また、フェリックス・キャヴァリエ自身は、1995年、リンゴ・スターが世界ツアーをしたときのコーラスのメンバーとして来日。このときはステージで「ピープル・ガット・トゥ・ビー・フリー」と「グルーヴィン」を歌った。また、同時期、別のときに企業のパーティーで来日している、という。今回が、ラスカルズとしては、初来日となる。 ■ライヴ概要 フェリックス・キャヴァリエズ・ラスカルズ 2010年9月7日(火) 丸の内コットンクラブ 9月9日(木)~11日(土) ブルーノート東京 9月12日(日) 名古屋ブルーノート ブルーノート東京の発売日=2010年7月7日。ジャム・セッション会員予約受付開始日=6月22日火曜から。詳細はブルーノート・ホームページ。 http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html フェリックス・キャヴァリエの公式サイト http://www.felixcavaliere.com/ ■ ラスカルズ ヴェリー・ベスト・オブ The Very Best of the Rascals … Continue reading

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■スティーヴィー・ワンダー・トリビュート~ワールドカップの夜に

■ スティーヴィー・ワンダー・トリビュート~ワールドカップの夜に 【Stevie Wonder Tribute Live】 トリビュート。 今年の3月にブルースアレイで行われたケイリブ・ジェームス、秋谷えりこさんのスティーヴィー・ワンダー・トリビュート。好評につきその第二弾。 基本は3月のラインアップだが、シンガーのひとり、ユリさんが久保田利伸さんのツアーで参加できず。ところが、スペシャル・シークレット・ゲストが登場した。なんとゴスペラーズの北山陽一さんだ。北山さんは、ファーストで2曲、セカンドで2曲(下記セットリスト参照)、リードを取った。 「スティーヴィーの曲に関しては、うちのグループ(ゴスペラーズ)では、黒沢薫さんが主に歌うので、僕はあまり超有名曲を人前で歌うことはなかったのですが、今回こういう機会をもらえてとても嬉しいです。今回誘ってくれたケイリブとは、僕たちがデビューする前に、ケイリブとメロディー・セクストンの2人にコーラスを歌ってもらったことがあって、その曲は結局世にはでなかったんですが、そのとき、ケイリブとメロディーの歌がものすごくて、こんなすごいシンガーがいるなら、僕は辞めると思ったほどだったんです。(笑) すごくショックで。でも、(そんなことで辞めるのは)それは『逃げだ』って周りから言われて(笑)、結局、辞めることなく、今日があるんですが、そんなケイリブと一緒に今日、歌えて光栄です」といった説明をして、2曲を披露した。 最初の「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」は、とてもおもしろいリズムのアレンジで、歌った。そして、「オーヴァージョイド」では、北山さんの綺麗な透明感のある高音がのびのびと聞かれた。これは、セカンドで歌われたバラードの「リボン・イン・ザ・スカイ」も「レイトリー」も同様。ちなみに、「レイトリー」は、北山さんとケイリブのデュエットという一風変わった趣向。 サユリーはステージに上がる前までマスクをしていたが、なんと水曜日にかぜをひいてしまったそうで、若干調子悪そうだった。 それにしても、スティーヴィーの楽曲は、どれも本当に名曲が多い。まさに捨て曲がない。 この19日夜というのは、世間ではワールドカップ「日本対オランダ」戦が行われている真っ只中。もちろん、ミュージシャンのトークの中にも一言もそんな話は出ず、来ている人たちもそれほど気にしている風でもなかった。ちょうど観客席にカマサミ・コングさんと友人が来ていたので、「ワールドカップは見ないの?」と尋ねたら、瞬時に「ノー、見ないよ!」と。受けた。 ■前回ライヴ評 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100331.html ■ ベストアルバム スティーヴィー・ワンダー・グレイテスト・ヒッツ posted with amazlet at 10.06.20 スティーヴィー・ワンダー ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー ユニバーサル インターナショナル (2006-01-25) 売り上げランキング: 2567 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ メンバー WE Love Stevie Wonder (Vo/Key)Kaleb … Continue reading

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●マイケル・ジャクソン一周忌近づく~トレインチャ~マイケル・ジャクソンを歌う

●マイケル・ジャクソン一周忌近づく~トレインチャ~マイケル・ジャクソンを歌う 【Traincha Sings Michael Jackson Songs】 マイケル。 6月25日のマイケル・ジャクソン一周忌を迎え、今週から来週あたりにかけてマイケル・ジャクソン関連の記事がぐっと増えると思う。東京タワーのマイケル展(すでに見ました。まだブログにアップしてなくて…)、25日公開の映画(見てみないとわからない…)、25日の西麻布イレヴンでのイヴェント(西寺郷太さんとのトークイヴェント)、25日のあちこちで行われるマイケル関連イヴェント、ケント・モリくんの著作『ドリーム&ラヴ』(献本到着感謝、はやく読まないと…)、ソニーから一挙に再発売されるマイケル・ソロ・アルバム、ジャクソンズ・アルバム(西寺郷太渾身ライナー)などについても、早急に書きます。その第一弾といってはなんですが、まずは今週見たトレインチャ・ライヴ評。 アコースティック。 オランダ出身のヴェテラン女性シンガー、トレインチャがマイケル・ジャクソン死後、マイケルの作品ばかりを歌った企画アルバム『ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ』をリリースしてのライヴ。当初は4月に来日予定だったが、アイスランドの火山噴火のために来日ができなくなり、その振り替え公演。そのアルバムからの楽曲ばかり、つまり、マイケル楽曲だけを歌った。 コットンクラブは、ほぼ満員。マイケル・ファンがけっこう来ているのかと思いきや、仕事帰りのスーツ姿の人が目立つ。マイケル・ファンというより、むしろバート・バカラック・ファンのような、あるいは、コットンクラブのファン、そしてトレインチャのファンのような人たちがつめかけていた。 ギタリスト1名が唯一のミュージシャンで、女性コーラス3人とトレインチャ本人、ステージには計5人。コーラスの1人が若干の打楽器(カウベルなど)を叩く。シンプルに、アコースティックにマイケル楽曲を1曲1曲歌う。アコースティックだけに、グルーヴのあるダンスナンバーにはならないが、それでも「ドント・ストップ」からのメドレーではトレインチャ本人が観客に「立って、立って」と言うこともあり、観客は立ち上がった。このあたりのアップテンポの楽曲では、コーラスの誰かがヴォイス・パーカッションなどいれるともっとよくなるだろう。ナチュラリー7がそれをいれるような感じにしたらおもしろいかもしれない。また、コーラスが一本調子なので、ジャクソン・ファイヴ楽曲だったら、5人のコーラス・グループ風のコーラス・アレンジなどが聴かれるともう少し雰囲気がでるだろう。 いずれにせよ、マイケルの曲は本当に難しい。マイケルが歌うから成立する、ということを改めて感じる。つまり、マイケルという天才シンガーがその楽曲に「輝き」を与え、その結果ヒットになっているのだろう。どうしても、聞く側も、マイケルの歌と比べてしまうから、ここは、そうじゃない、そこはそうじゃないなどと細かいつっこみをいれてしまう。それは、しばらく前のケイリブらのマイケル・トリビュートを見ても感じたこと。ちなみに、トレインチャはマイケルのようなダンスは一切しないので「ムーンウォーク」はない。(笑) トレインチャは幼い頃からマイケルが好きで、彼のアムステルダム公演にも出演したこともあるらしい。 ところでデュエットではなく、ソロで歌った「アイ・ジャスト・キャント・ストップ・ラヴィン・ユー」(レコードではサイーダ・ギャレット、映画『ディス・イズ・イット』ではジュディス・ヒルとデュエット)は、トレインチャは床に置いてある歌詞カードを見ていた。一方、コーラスの一人で、「アイル・ビー・ゼア」を歌った黒人のバーケット・ルイスはなかなか太い声で迫力があり印象に残った。オリジナルでは、マイケルとジャーメイン・ジャクソンが歌うところだ。トレインチャとは12歳のときからの友人同士だとか。CDと違ってると思ったら、CDではキース・ジョン(スティーヴィー・ワンダーのコーラス)と歌っていた。トレインチャがはいっていたトータル・タッチというグループにも一緒にいたそうだ。 アンコールの2曲目は、マイケルが特別にサミー・デイヴィスのために書いたという「ユー・ワー・ゼア」を披露。 もちろん、マイケルのオリジナル楽曲を知ることなく、初めてこれらの曲を聴いたとしたら、ギターとシンガーのアコースティックな弾き語りというコンセプトで気軽におしゃれな感じで聴けるかもしれない。 トレインチャは、1973年2月5日オランダのアムステルダム生まれ。37歳。1990年に兄弟とトータル・タッチというグループを結成。その後ソロとしても活動。1994年には同じくオランダ出身のキャンディ・ダルファーとツアーにでたこともある。ソロとして7枚アルバムを出している。2008年2月、バート・バカラックのコンサートで来日、ライヴ中2曲歌っていた。 ■バカラック・ライヴ評 2008年02月17日(日) バート・バカラック・コンサート http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080217.html ■ トレインチャ ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ (マイケル楽曲ばかりをアコースティックにカヴァーした作品) Never Can Say Goodbye posted with amazlet at 10.06.15 Trijntje 東芝EMI株式会社 (2010-02-01) 売り上げランキング: 2752 Amazon.co.jp で詳細を見る ■メンバー … Continue reading

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★ライアン・ショウ&ジェイソン・マイルス・ライヴ

★ライアン・ショウ&ジェイソン・マイルス・ライヴ 【Jason Miles & The New York Funky Soul Collective Featuring Ryan Shaw 】 ファンキー。 月曜日(6月14日)まで「グローヴァー・ワシントン・トリビュート」を演奏していた7人の侍のうち5人が残り、そこにヴォーカリストとしてライアン・ショウが入ってのライヴ。バンド名は、「ザ・ニューヨーク・ファンキー・ソウル・コレクティヴ・フィーチャリング・ライアン・ショウ」。今回ブルーノートのライヴのために結成された。このうちのアンディー・スニッツァーは来週もマンハッタン・ジャズ・クインテットの一員として日本に残る。 サウンドのコンセプトは、スムース・ジャズを一歩ファンク寄りにしたサウンド。バンド・リーダーのジェイソン・マイルスは、けっこうファンキーなサウンドが好きなニューヨーカーだ。冒頭3曲、バンドのみのインストゥルメンタルで、それからライアンのヴォーカル曲4曲、最後に1曲インストをやって、アンコールでライアンが再登場という構成。 バンドはひじょうにうまく、タイトで、ファンキー。ライアン・ショウが登場しての1曲目は「イット・ゲッツ・ベター」、これに続いて、マーヴィン・ゲイの「イナー・シティー・ブルース」を。そして、ジェイソンが次にやる曲の説明をした。「先週、グローヴァー・ワシントンのトリビュートで多くの人からなぜこの曲をやらないのかと言われ続けたのですが、それはヴォーカリストがいなかったためです。今日は、ライアンというヴォーカリストがいます。おおくりしましょう。『ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス』」観客からいっせいに歓声が。そして、カーティス・メイフィールドの名曲「ピープル・ゲット・レディー」。 最後のアンコールでは、ライアンの大ヒット「ドゥ・ザ・45」。これはさすがにのりのりになった。 このバンドでライアンが歌うのはもちろん初めてだが、メンバーは個々に知っていたというので、気心は知れていたらしい。ただやはり、ライアンもバンド(みな凄腕の先輩たち)にちょっと遠慮しているところもあり、ライアン主役のライヴというより、ジェイソン・マイルスのバンドのライヴに、ちょっとゲスト的にライアンが入ったという感じが強かった。ライアンが歌うときは、もっと張り上げてほしいのだが、曲のせいもあってかそうはいかなかった。ライアン目当てだと若干消化不良。バンド目当てならいいのだが。こういう組み合わせって、やってみないとわからないものだ。 ライヴ後は、ミュージシャンたちがみなでてきて、売るCDがある者はサイン会。ライアンに前回のブログで問題になった誕生日を聞いた。これは、やはり12月25日(1980年)だとのこと。「なぜか、26日って間違って印刷されていてね。驚いている。誕生日は12月25日だよ」。やっぱり、25日であってたんだ。(笑)  そして、ジェイソン・マイルスもバディー・ウィリアムスも気軽にファンと話していた。ジェイソンは今回が初来日。ものすごく日本のことが気に入ったよう。「日本人はみんなやさしく、相手のことを考え、とても気持ちいい。アメリカではどこへ行っても、めちゃくちゃだよ」と苦笑する。すしが大好きで、あちこち食べに行っているそうだ。「チュウトロ! おおっ、イエー。オオトロ、エクスペンシヴ(高い)」 バディーは低いよく通る声で「日本に何回来たかなんて、とても勘定はできないよ。だって初めて来たのは僕が16歳のとき。そのときはハービー・マンと来たんだから。僕は今58だよ。何年前だ? 僕は計算が苦手だから、君が計算しろよ。たぶん、まだジミ・ヘンドリックスが生きてた頃だと思うよ(笑)。ジミが死んだのは何年だ?」「1969年か1970年かな(正しくは1970年9月18日でした)」「ほら、そうだろ(笑)」と早口でまくしたてる。ルーサーからロバータ・フラック、ありとあらゆるアーティストのバックを務めてきたヴェテランだ。 ■ライアン・ショウのデビュー作 ディス・イズ・ライアン・ショウ posted with amazlet at 10.06.18 ライアン・ショウ ビクターエンタテインメント (2008-04-23) 売り上げランキング: 26714 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ メンバー ザ・ニューヨーク・ファンキー・ソウル・コレクティヴ・ウィズ・スペシャル・ゲスト・ライアン・ショウTHE … Continue reading

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▲ゲイリー・シャイダー(Pファンク)56歳で死去

▲ゲイリー・シャイダー(Pファンク)56歳で死去 【Garry Shider Dies At 56: Star Child Become Star Child】 訃報。 ジョージ・クリントンのPファンク軍団、パーラメント/ファンカデリックのギタリストで、ヴォーカリスト、ソングライターでもあるゲイリー・シャイダーが2010年6月16日死去した。56歳。肺と脳に癌があった。過去数ヶ月、入退院を繰り返し放射線治療などもしていた。3月末には心臓発作でワシントンDCの病院に入院、この頃、友人たちがゲイリーの診療費を集めるためのファンドを設立。また、1週間ほど前にも入院し、ICUに入っていた。ゲイリーはステージでは、「おむつ(Diaper)」をはいっていたことで、ひじょうにインパクトを与えていた。ギター、ヴォーカルだけでなく、Pファンク軍団(パーラメント/ファンカデリック)の音楽的リーダーとして、その総帥ジョージ・クリントンの参謀的位置にいた。 ゲイリー・シャイダーは1953年7月24日、ニュージャージー州プレインフィールド生まれ。ゲイリーは父の影響もあり当初は地元でゴスペル・アーティストのバックで歌ったりしていた。バックをつけたゴスペル・アーティストとしては、シャーリー・シーザー、マイティー・クラウズ・オブ・ジョイなど錚々たるメンバーがいる。十代の頃、地元のバーバーショップで、後にPファンクの総帥となるジョージ・クリントンと出会い、クリントンのグループ、パーラメンツに誘われる。16歳の頃、地元から逃避する意味でカナダに移り住むが、その頃仲間と「ユナイテッド・ソウル」というファンク・バンドを結成。当時トロントに住んでいたクリントンがこのバンドのうわさを聞きつけ、そこにゲイリーがいることを知り、このバンドをプロデュース。その後、ここからゲイリーとコーデル・モッソンを自らのグループ、ファンカデリックに引き入れる。クリントンはファンカデリックとほぼ同じメンバーでパーラメントを結成。このグループは、徐々に人気を獲得。1970年代には大ヒットを次々と出し、ブレイクを果たす。 パーラメント/ファンカデリックは、宇宙とファンクをコネクトした壮大なコンセプトを持ち、彼らのファンク母船は「マザーシップ」、そして、ゲイリーはドクター・ファンケンシュタインのクローン、すなわち「スター・チャイルド(星の子)」でもあった。そうしたコンセプトは、Pファンク軍団の総帥ジョージ・クリントンが音頭をとって生み出していた。 簡単にこの「マザーシップ・ウォーズ」を説明しよう。 登場人物は、まずドクター・ファンケンシュタイン(ファンクの救世主)、それに敵対するサー・ノーズ・デヴォイド・ファンク、そして、ドクター・ファンケンシュタインの意志を継ぐクローン、スター・チャイルドの3人。 ドクター・ファンケンシュタインは、いい音楽、ファンクを作ろうとしている。彼は「クール」こそがファンクになると考える。彼はファンクを広める伝道者。一方、サー・ノーズは、スーツを着て、汗もかかず、メイクラヴもせず、踊りもしないという人物。彼はその名の通りファンク否定論者。ドクターは、サー・ノーズに宣戦布告し、二者の間で戦争が始まる。ドクターは、自身のクローン、スター・チャイルドを作り、彼にバップ・ガンとフラッシュライトという武器を渡す。これらの武器を相手に当てると、その相手を傷つけることなく、踊らせることができるという武器だ。スター・チャイルドの使命は、サー・ノーズを踊らせ、真のファンクを理解させることだった。こうして彼らの戦いが始まった。 一方、サー・ノーズもスヌーズ・ガンという武器を開発。これを当てると人々のファンク感覚を麻痺させることができる。そうなると、人はプレイシボシンドロームという「ファンク感覚麻痺症候群」になってしまう。これらの戦いがアルバムごとに『スター・ウォーズ』よろしく続くのだ。 ゲイリー・シャイダーは、このスター・チャイルド役であり、クリントンの一番弟子、右腕ということでもあった。 ゲイリーは、この時期のヒット「ボップ・ガン」「ナッピー・ダグアウト」「ワン・ネーション・アンダー・ザ・グルーヴ」など多数の作品に共作者として名を連ねている。「ワン・ネーション・アンダー・ザ・グルーヴ(グルーヴの元には国はひとつ)」「コスミック・スロップ」など彼のリード・ヴォーカル。 クリントンがその後、ソロ名義で活動するようになってからも、右腕としてプロジェクトに参加、「アトミック・ドッグ」なども共作している。 ゲイリーはステージにおむつをはいて登場していたことから、「おむつ男」として有名になる一方、多くのパーラメント/ファンカデリック作品にソングライターとして参加。パーラメント/ファンカデリック作品は、後に多くのヒップホップ系アーティストたちからサンプリングされ、1990年代にさらに再評価されることになった。 1997年にはパーラメント/ファンカデリックの一員として「ロック殿堂」入り。 日本には昨年9月、東京ジャズでジョージ・クリントン・バンドの一員として来日。これが日本では最後の姿となった。 (そのときのライヴ評) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20090908.html シャイダーの病気については本人も明かしており、来る2010年7月10日には有志が集まり、シャイダーのためのベネフィット・コンサートを地元ブルームフィールドでおこなうことになっていた。 シャイダーには32年連れ添った妻リンダ、2人の子供がおり、彼らによって送られる。 ゲイリー・シャイダー、スター・チャイルド、2010年6月16日、文字通り、スター・チャイルドに転じた。ご冥福をお祈りします。 ■ パーラメント 『マザーシップ・コネクション』 Mothership Connection posted with amazlet at 10.06.18 Parliament … Continue reading

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●グローヴァー・ワシントン・トリビュート・ライヴ~グルーヴでグローヴァー

●グローヴァー・ワシントン・トリビュート・ライヴ~グルーヴでグローヴァー 【Groove With Grover: A Tribute To Grover Washington Jr. 】 グルーヴ。 今は亡き名サックス奏者、グローヴァー・ワシントン・ジュニア(1943年~1999年)へのトリビュート・ライヴ。ヴェテラン・キーボード奏者、ジェイソン・マイルスがリーダーとなってニューヨークの腕利きミュージシャンたちを集めて結成したバンド。いやあ、これは強力なバンドだった。前日、ブレンダ・ヴォーン&まみ先生コンビから電話があって、「これ、絶対見たほうがいいわよ」と言われ、急遽見に来た。 キーボードのジェイソンはリーダーで、MCも担当。1曲目グローヴァーの大ヒット作『ワインライト』のタイトル曲を終えると、「マンデイ・レイトナイト・ショーにようこそ」と言いながら、すぐにメンバー紹介。ジェイソンの英語ははっきりしていて、比較的ゆっくり話してくれるのでとてもわかりやすい。 「これまでにここブルーノートでも36回くらい演奏していて、今日で40回目のステージ?(笑) ありとあらゆるアーティストのレコーディングに参加しています。デイヴィッド・サンボーンを始め、(プロデューサー)アリフ・マーディンのファーストコール・ギタリスト、ニック・モロック」 「彼はもう説明する必要もないでしょう。僕と彼は10年以上プレイしています。エリック・ダリウス、オン・サックス! エリックも新作アルバム出してます。注目しててください」(宣伝告知も抜かりない!) 「ベースは、ジョー・ザビヌルと7年間プレイ、これは彼にとってのまさに勉強の期間でした。そして、グローヴァーともプレイしています。ジェラルド・ヴィーズリー」 「今回の話があって、彼を誘ったところこのミッションに参加してくれました。30年以上の知り合いです。彼は、『サタデイ・ナイト・ライヴ』、アレサ・フランクリン、ルーサー・ヴァンドロス、ロバータ・フラックなどあらゆる人とプレイしています。すばらしいドラマー、バディー・ウィリアムス」 「ジャズ、R&Bが現在の形になっていく中で、すべての基礎を作りあげた人物、『ミスター・マジック』『ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス』などを書きあげてきた人物、そして、グローヴァーやロバータ・フラックをプロデュースしてきた人物、何百枚ものアルバムに参加しています。パーカッション、ラルフ・マクドナルド」 「ローリング・ストーンズ、ポール・サイモンなどとも一緒にやっていて、自らのアルバムも出しています。来週は、マンハッタン・ジャズ・クインテットでのライヴもあります。サックス、アンディ・スニッツアー」 そして、ジェイソンは、何十年もニューヨークでミュージシャンとしてやってきていて、一時はマイルス・デイヴィスに誘われたこともあった。日本ツアーにも誘われたが、スタジオの仕事が立て込んでいて、泣く泣く断念したそう。 こんなきっちりしたメンバー紹介されたら、「このメンツは、そんなにすごいんだ」って思わせられてしまい、聞く側も正座して聴かねばなるまい。(笑) バンドは、ひじょうにタイトでグルーヴ感たっぷり。2人のサックス奏者(エリック=黒人)とアンディー(白人)のサックス・バトルも見ごたえがある。そして軸がまったくぶれないドラマー、バディー・ウィリアムスのドラムス。彼は超一流、スーパー・ドラマーだ。曲によって、それぞれのソロ・スペースが与えられ、各人がその場になると縦横無尽にソロを展開し、思い切り輝く。アンコールとなった「ミスター・マジック」での全員に1小節だけ、それぞれの楽器をやらせるソロ回しも実に楽しい。こういうのはまさにライヴならでは。 それにしてもアンコールで演奏された「ミスター・マジック」での2人のサックス・バトルは圧巻。そして、このベースラインは、いつ聴いても何度聴いても最高にかっこいい。これだけBPMが低いのに腰が動く、踊りたくなるというのは、どういうことなのだろう。グローヴァーのグルーヴのマジック。まさに、ミスター・マジックだ。 ライヴ終了後は、それぞれが各人のCDを売りながら、サイン会。 なお、このメンバーのうち、ジェイソン、アンディー、ニック、ジェラルド、バディーの5人は日本に残り、木曜と金曜(6月17日、18日)に、R&Bシンガー、ライアン・ショウのバックをつけてライヴを行います。 ■ ライアン・ショウ過去ライヴ評 2008年03月02日(日) 今年No.1新人ライアン・ショウ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080302.html 2008年03月03日(月) ライアン・ショウ喉の秘密語る http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20080303.html 2008年11月25日(火) ライアン・ショウ・ライヴ@AX http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10169326157.html> 予約など、詳しくはブルーノートのサイトへ。 http://www.bluenote.co.jp/jp/ 出演アーティスト関連アルバム … Continue reading

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⊿アリ・オリ・ウッドソン葬儀の報告~アレサの鎮魂歌流れる

⊿アリ・オリ・ウッドソン葬儀の報告~アレサの鎮魂歌流れる 【Ali Ollie Woodson’s Funeral】 葬儀。 2010年5月30日、白血病のため58歳で亡くなったソウル・シンガーであり、元テンプテーションズのリード・シンガーの一人でもあったアリ・オリ・ウッドソンの葬儀が6月5日(土)午前、カリフォルニア州ガーデナの「シティー・オブ・リフュジー」教会で行われた。ウッドソンにゆかりのある関係者、ファンなど2000人以上が参列した。ロスアンジェルス在住で、ギタリストとしてアリ・オリと共演したこともある森口哲也さんが葬儀に参列、その模様を報告していただいたのでまとめてご紹介する。森口さん、ありがとうございます。 ■アレサ・フランクリンの歌と弔辞 葬儀は2010年6月5日午前9時からカリフォルニア州ガーデナのシティー・オブ・リフュジーという大きな教会で行われました。なんとも美しいセレモニーでした。2-3000人は参列していたと思います。友人でもあるドラマーのジェームス・ギャドソン、ギターのワウワウ・ワトソン、シンガーのフィル・ペリーなども参列していました。また、マジック・ジョンソンも来ていました。マジック・ジョンソンは昨年春に、アリ・オリから直接「自分に何かがあったら、家族を頼む」と言われていたそうです。ハワード・ヒューイットが素晴らしいゴスペルを歌い、参列者の涙を誘っていました。 アリ・オリは、それまでにも葬儀が行われたノエル・ジョーンズ牧師のシティー・オブ・リフュジー教会で何度もゴスペルを歌っていました。アリ・オリの教会でのゴスペル・パフォーマンスは圧巻です。 また、アリ・オリとアレサ・フランクリンはデトロイト時代からの親しい友人同士で、アリ・オリの死後、ジョーンズ牧師がアレサに連絡を取ったところ、彼女はすぐにデトロイトでスタジオに入り、アリ・オリの葬儀用にゴスペルの鎮魂歌をレコーディング。そのゴスペル曲にアレサ本人の送辞をかぶせたものが流されました。そのときには、アレサとアリ・オリの満面の笑みを湛えた写真が映し出され、その瞬間は実に荘厳な言葉にならないほどの空気になりました。その写真は1-2年前にデトロイトのレストランのようなところで、2人が寄り添って談笑している実にいい写真でした。僕はアレサの歌唱を聴くだけで、涙がでてきます。 友人からアリ・オリは白血病だったと聞きました。白血病と診断されてから16ヶ月でした。2008年12月、2009年7月の来日予定が中止になったのは、長時間のフライトで心臓からの血流が不安定になり、呼吸困難になる可能性がありドクターストップがかかったためだそうです。今年(2010年)の1月から新しい抗癌プログラムを始めたところでした。彼はそれでも、長い休みを取らずに仕事を続けていました。彼自身が歌うことが好きであったこと、また家族のために、歌わなければならなかったためです。 昨年(2009年)9月、僕はアリ・オリのバックで初めて演奏したのですが、そのときはものすごく元気でした。いつもの笑顔もとてもよかったのです。ただ、ベースのトニーによると、いいときは調子がいいが、(体力的に)辛いときもかなりあったようです。 それから、(2009年)12月にロス郊外エンシノの「スティーヴィーズ」というケイジャン・ソウル・フードの店で行われたクリスマス・ライヴでギターを弾きました。僕が彼に会ったのはそれが最後になってしまいました。アリ・オリは「トリート・ハー・ライク・ア・レイディ」、「ジャスト・マイ・イマジネーション」、「ネヴァー・トゥ・マッチ」などを歌いました。その夜は、ルーファスのトニー・メイデンが客席に見に来ていて、その姿をアリ・オリが見つけ、すぐにステージに上げたのです。彼はギターを持ってきていなかったので、僕のギターをトニーに渡しました。そのとき、トニーとアリ・オリで、ボビー・ウーマックの大ヒット「ストップ・オン・バイ」をデュエットでやってくれ、それは絶品でした。 葬儀が行われたシティー・オブ・リフュジー教会には、実はアリ・オリがゴスペルを歌っている記録映像が残っており、いつの日にか日本のファンの方にもお見せできるようになることを願ってやみません。 ■ アリ・オリ・ウッドソン訃報関連記事 2010年05月31日(月) 16時34分 (速報・訃報) アリ・オリ・ウッドソン(元テンプテーションズ)58歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10550032952.html 2010年06月01日(火) アリ・オリ・ウッドソン58歳で死去 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10550564987.html(アリ・オリ関連記事一覧も) 2007年11月29日(木) やきそば~アリ・オリ、ミラクルでやきそばを食べる http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20071129.html ■ アリ・オリ・ウッドソン Right Here All Along posted with amazlet at 10.06.14 Ali-Ollie Woodson … Continue reading

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△インターFM『ソウル・ブレンズ・ナイト』2年ぶりに開催決定

△インターFM『ソウル・ブレンズ・ナイト』2年ぶりに開催決定 【Soul Blends Night: First In Two Years】 開催。 関東地区のFM局インターFM(76.1mhz)の最長寿番組・日曜午後の定番「ソウル・ブレンズ」のファン感謝イヴェント、「ソウル・ブレンズ・ナイト」が2年ぶりに開催されることになった。来る2010年7月27日(火)麻布十番のディックス・ラウンジで行われる。 「ソウル・ブレンズ」は、2001年4月から始まったソウル専門の番組。現在10年目に突入し、レギュラー番組としてインターFMでの最長寿番組になっている。また、「ソウル・ブレンズ」のオフィシャル番組イヴェントとして「ソウル・ブレンズ・ナイト」は、2005年5月26日(西麻布クロス)、2006年5月26日(青山キサナドゥ)、2006年7月28日(青山キサナドゥ)、2008年8月29日(青山パンテーラ)以来約2年ぶり通算5回目。 ライヴは、リサ(Lisa)、アイス(Iyse)、ゲストDJにヴァーバル(Verbal=m-flo)、DJにDJオッシー、ナガミネ、シンなどが登場。司会に番組出演者のマーヴィン・デンジャーフィールド、ちさと、吉岡正晴。 今回は、リスナープレゼントで完全招待制になる。応募方法は、marvin@interfm.jpに、氏名・年齢・電話番号を明記して送る。締め切りは2010年7月18日(日)。厳正なる抽選を行い、当選者にはメールで連絡する。携帯電話からメールを送られる方は、抽選当選案内が送られますので、ドメイン指定などを解除するか、interfm.jpをご登録ください。詳細は次の通り。 タイトル: InterFM SOUL BLENDS 10th anniversary vol.1 Party supported by CHIVAS 日時: 2010年7月27日(火) 19時~23時 会場: 西麻布ディックス・ラウンジ  http://www.dix-lounge.com/ 住所: 東京都港区麻布十番1-7-5 フェスタ麻布 地下2階 電話: 03-6438-9969 13:00~ 入場: 無料。完全招待制。抽選で100組200名様を招待。 応募方法: メールでmarvin@interfm.jpに、氏名・年齢・電話番号を明記して送る。締め切り7月18日。当選者にはメールで連絡。 ライヴ: リサ(LISA )http://www.avexnet.or.jp/lisa/index.html アイス(Iyse)http://artimage.co.jp/artists/iyse/ 司会: マーヴィン・デンジャーフィールド、吉岡正晴、CHISATO ゲストDJ:VERBAL(m-flo)http://ameblo.jp/m-flo-verbal/ DJ’s: OSSHY、NAGAMINE、SHIN 主催: SOプロモーション … Continue reading

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☆スティーヴィー・ワンダー・トリビュート、再演

☆スティーヴィー・ワンダー・トリビュート、再演 【Stevie Wonder Tribute At Blues Alley】 スティーヴィー。 2010年3月に目黒ブルース・アレイで行われたケイリブ・ジェームス、秋谷えりこらのスティーヴィー・ワンダー・トリビュートが再度6月19日(土)に行われる。参加メンバーは、彼らのほかに、ドラムスにジェイ・スティックス、ベースに滝元堅志、ギターにマサ小浜、サックスにアンディ・ウルフ、ヴォーカルにサユリーとゲイリー・スコット。前回参加のユリは、久保田利伸ツアーのリハーサルのため参加できない。このほかに飛び入りでスペシャル・ゲストがはいるかもしれない。 前回のライヴ評 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100331.html 『ソウル・サーチン』では第1回と第2回でスティーヴィー・ワンダーを取り上げた。ただ1回目はバンドはなく、2回目はケイリブの単独パフォーマンスだった。2004年4月だからもう6年以上も前のことになる。 ● マサ小浜も初ライヴ また、このスティーヴィー・トリビュート、同じく『ソウル・サーチン』にも出演し、このところ大活躍中のソウルフルなギタリスト、マサ小浜が初めての自身のソロ・ライヴを2010年7月6日(火)ブルース・アレイで行う。メンバーは、ケイリブ、ジェイ・スティックス、ベースに日野賢二(ジーノ)。マサ小浜は長くアメリカをベースに活躍していたギタリストで、ファンキーで黒い音が得意なギタリスト。ケイリブ、ジーノなどとのセッションも多く、最近ではAIのツアーメンバーにもなっている。 ■ スティーヴィー・ワンダー、8月サマーソニックで来日 スティーヴィー・ワンダーが2010年8月、サマーソニックで来日する。東京は8月8日、大阪が8月7日。スティーヴィーの来日は、2007年2月以来3年6ヶ月ぶり。 ■ スティーヴィー・ワンダー・トリビュート~ウィ・ラヴ・スティーヴィー 日時 2010年6月19日(土) 午後7時半から 会場  目黒・ブルース・アレイ http://www.bluesalley.co.jp/ 住所  〒153-0063 東京都目黒区目黒1-3-14 ホテルウィング・インターナショナル目黒B1F 電話  03-5740-6041(予約専用電話)当日のお店の番号03-5496-4381 料金 4500円(前売り)このほかにテーブルチャージ525円と飲食代別途 当日500円アップ。 メンバー  (Vo/Key)Kaleb James (Pf/Key)秋谷えりこ (Ds)JAY Stixx (B)滝元堅志 (G)マサ小浜 (Sax/Fl)Andy Wulf (Vo)Sayulee、Gary Scott ■ マサ小浜 ライヴ 日時 2010年7月6日(火) 午後7時半~  … Continue reading

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◎ワールド・カップ・キックオフ・コンサート~アリシア、ジョン・レジェンドなど

◎ワールド・カップ・キックオフ・コンサート~アリシア、ジョン・レジェンドなど 【World Cup Kick Off Concert featuring Alicia, John Legend, Black Eyed Peas】 キックオフ。 サッカーのフィファ・ワールド・カップ2010の開幕前夜祭が2010年6月10日(金)夜、開催地南アフリカ・ヨハネスブルグのヨハネスブルグ・サッカー・シティー・スタジアムで行われ、多数のアーティストが登場し、会場を盛り上げた。ショーは現地時間(6月10日)午後8時(日本時間、11日午前3時)過ぎから始まり、3時間以上にわたってインターネットなどで生中継された。 オープニングは、南アフリカ出身のヒュー・マサケラ、さらに、ブラック・アイド・ピーズ、中盤にジョン・レジェンド、後半にアリシア・キーズ、最後をシャキーラがしめた。途中アフリカ出身のアーティストなども多数登場した。この模様は、6月12日(土)、日本の有料衛星テレビ・ワウワウ(WOWOW)で午後3時50分から約3時間にわたって放送される。 また、この映像は、下記サイトでいつでも閲覧できる。再生は冒頭から。(早送りはできないようだ) http://worldcup.vevo.com/ 個人的には、ジョン・レジェンドが歌った「ウェイク・アップ・エヴリバディー」に胸を打たれた。今年1月に亡くなったテディー・ペンダーグラスは、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツに在籍していたときのヒットとして知られる。ジョンのバックバンドには、レイ・パーカー・ジュニアが映っていた。 ジョン・レジェンドはその前に出ていた西アフリカ・ベナン共和国出身のアンジェリークのステージにジョインする形で、「ムーヴ・オン・アップ」(カーティス・メイフィールドの作品。インプレッションズのヒット)を歌いながらステージに登場した。いきなり、あがる。そして、ジョンがピアノに向かい、「ウェイク・アップ・エヴリバディー」を。メッセージも、今の世界に語りかけるには最適な歌と言えるだろう。そして、「グリーン・ライト」。 オープニングのヒュー・マサケラも、またブラック・アイド・ピーズのパフォーマンスもインパクトがあった。 アリシアも特別に6曲。破格の扱い。短くメドレーにして次々と堂々と歌っていく。 メインのアーティスト以外で簡単に説明を。 下記18曲目「ファ・ファ」を歌ったヴュー・ファルカは、1981年マリ出身のシンガーソングライター。 フアネス(現地ではジュアネスと発音していた)は1972年生まれコロンビア出身の人。コロンビアではかなりの人気とのこと。 ティナリウェンの「アマサクール・ン・テネレ」。マリ北部出身の元々は4人組。ここにはもっとたくさん映ってる。1980年代から活躍しているそう。 BLK JKSは、2000年に結成された南アフリカのロックバンド。 K’naanはケイナーンと読む。ソマリアとカナダのハーフ。ラッパー、ポエット。 The Parlotones パーロトーンズは、南アフリカでとても人気のある1998年に結成された4人組ロックバンド。ユニバーサル所属。とてもわかりやすいロック、ポップ。 シャキーラと一緒にラップを見せたラッパー、ポエットのTumi トゥミーはタンザニア生まれ、南アフリカ・ソエトに亡命して、現在は南アフリカ在住。シャキーラは、実にセクシーでかわいい。「ワカワカ」は、今回のオフィシャル・ソングの1曲。 最後本編が終わってから、全員が再度でてきてスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「エヴリデイ・ピープル」を演奏した。 なお、オフィシャル・ソングもう一曲はRケリー。ケリーは、6月11日のオープニング・セレモニーに出演し、その模様がファンがテレビ映像を撮ったものがユーチューブにアップされている。 ■ オフィシャルCD Listen Up: … Continue reading

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○Rケリー、アリシア・キーズ、ブラック・アイド・ピーズなどワールドカップ・オープニング・セレモニ

○Rケリー、アリシア・キーズ、ブラック・アイド・ピーズなどワールドカップ・オープニング・セレモニーに登場 【R Kelly, Alicia Keys, Black Eyed Peas And More Will Be Performing At Opening Ceremony Of World Cup 2010】 開会セレモニー。 Rケリー、アリシア・キーズ、ブラック・アイド・ピーズ、オシビサ、シャキーラなどを含む1500人以上のアーティストが、来る2010年6月11日午後2時(現地時間=日本時間午後9時)から南アフリカ・ヨハネスブルグのヨハネスブルグ・サッカー・シティー・スタジアムで行われるフィファ・ワールド・カップ2010のオープニング・セレモニーに登場する。 R&Bシンガー、プロデューサー、Rケリーは、今回のサッカー・ワールド・カップのオフィシャル・ソング「サイン・オブ・ア・ヴィクトリー」をレコーディング、開会セレモニーで、同地のソエト・スピリチャル・シンガーズを従え歌う。この楽曲からの収益金は、フィファ・ワールド・カップの「20センターズ・フォー・2010」を含むアフリカのチャリティーに寄付されるという。 Rケリーは、「この『サイン・オブ・ア・ヴィクトリー』がワールド・カップの曲に選ばれて光栄だ。ワールド・カップは世界をひとつにするイヴェントであり、我々に多くのインスピレーションを与え、我々がベストを尽くすことを教えてくれる。ひじょうに高揚する感情で、それを曲の中に込めようと思った」と語る。 1930年から始まったフィファ・ワールド・カップでは、1978年からオフィシャル・ソングが選定されている。記念すべき第1作はアルゼンチン大会にちなみ、サン・ホセ・フィーチャリング・ロドリゲス・アルゼンティーナの「アルゼンティナ・メロディー」が選ばれた。1994年(アメリカ大会)にはグローリーの「グローリーランド」(ダリル・ホール&サウンズ・オブ・ブラックネス)とクイーンの「ウィ・アー・ザ・チャンピオンズ」、1998年(フランス大会)にはリッキー・マーティンの「ラ・コパ・デ・ラ・ヴィダ(ザ・カップ・オブ・ライフ)」とジャン・ミシェル・ジャールと小室哲哉の「トゥゲザー・ナウ」、2002年(韓国・日本)にはアナスタシアの「ブーン」とヴァンゲリスの「アンセム」、2006年(ドイツ)にはイル・ディーヴォの「ザ・タイム・オブ・アワ・ライヴス」とハーバート・グローンの「セレブレート・ザ・デイ」などが選ばれている。今年はRケリーとシャキーラの「ワカ・ワカ(ディス・アイム・フォー・アフリカ)」。 フィファ・オフィシャル・コンピレーション posted with amazlet at 10.06.10 オムニバス MISIA feat.M2J+フランシス・ジョッキー クラウヂア・レイチ&リラ シフィオ feat.メッセージ・オブ・ホープ・フロム・ネルソン・マンデラ R.ケリー feat.ソウェト・スピリチュアル・シンガーズ シャキーラ … Continue reading

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◆告知3本~TBS『リッスン・ソウル』~トークショー西麻布イレヴン、大阪サウンド・チャンネル

◆告知3本~TBS『リッスン・ソウル』~トークショー西麻布イレヴン、大阪サウンド・チャンネル 【Announcement Of Exposure】 告知。 ここ1ヶ月ほどの吉岡正晴関連の告知をまとめてみます。 1)TBS『リッスン・ソウル』、土曜日ゲスト 毎週土曜日午後6時から9時までTBSラジオ(JRNネットで全国)で放送されている音楽番組『リッスン・ソウル』に、2010年6月12日(土)吉岡正晴がゲスト出演します。TBSラジオは、AM954hz。登場時間は「ミュージック・マイスター」のコーナー。午後7時10分過ぎから30分程度。今回のテーマは、「テンプテーションズ~アリ・オリ逝去をしのんで」。アメリカR&B界最大のヴォーカル・グループ、テンプテーションズとその魅力、彼らから影響を受けたアーティスト、また、アリ・オリ・ウッドソンとの個人的な思い出などを語ります。 『リッスン・ソウル!』ウェッブ↓ http://www.tbsradio.jp/listen/index.html リクエスト、おたよりは listen@tbs.co.jp まで。 ラジオはインターネットでも聴けます。関東地区はTBS↓ http://radiko.jp/#TBS ■関連CD テンプテーションズ・ベスト ザ・ベスト・オブ・テンプテーションズ posted with amazlet at 10.06.10 テンプテーションズ USMジャパン (2008-12-17) 売り上げランキング: 103116 Amazon.co.jp で詳細を見る 2)6月25日(金)西麻布イレヴンでマイケル・ジャクソン・トークショー 西麻布のクラブ「イレヴン」(元イエロー)で、来る2010年6月25日(金)、アメリカからDJスピナを呼び、「マイケル・ジャクソン・イヴェント」が行われます。その冒頭(午後10時ごろから)で、吉岡正晴と西寺郷太氏が約1時間にわたってマイケル・ジャクソンについてのトーク・ショーを行います。吉岡・西寺コンビがトーク・ショーを行うのは、2009年12月お台場以来。6月25日はマイケルの一周忌。DJスピナは、かつて、「マイケルVSプリンス」というイヴェントを行ったり、何度も来日しています。 イヴェントタイトル: Keistar Productions presents Forever Michael 会場: 西麻布イレヴン 住所: 106-0031東京都港区西麻布1-10-11セソーラス西麻布B1/B2 電話: 03-5775-6206 日時: 2010年6月25日(金) 開場21時、開演22時 料金: 22時以前の入場2000円、22時以降:フライヤー提示3000円、フライヤーなし3500円(それぞれ1ドリンク付) … Continue reading

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★キング・ソロモン・バーク復活までの道のり

★キング・ソロモン・バーク復活までの道のり 【Long Way To Resurgence Of King Solomon Burke】 復活。 去る2010年5月29日、30日に日比谷で見たキング・ソロモン・バーク。僕はいまだ興奮冷めやらないが、1960年代に世界を席巻したヴェテラン、ソロモン・バークは2000年代に入って急速に再注目を集め、いわば奇跡の復活を果たす。果たして、その復活への道のりはどんなものだったのか。6月6日(日)に「ソウル・サーチン」のコーナーで特集するにあたり、いろいろ調べているうちに、いくつかポイントとなることがあったので、整理して書いてみたい。 イギリスのレコード・マニアでレコード店員、ときどきDJをする男を主人公にした小説『ハイ・フィデリティ』にこんなシーンがある。 「ローラに会ったのはちょうどそのころ、1987年の夏だった。(中略) フロアを眺めているときは、いちばんかわいい子しか目にとまらない。だから、ローラが狭いDJブースへやってきて話しかけてきたとき、もう3、4回店に来ていたというのに、ぼくには覚えがなかった。だが、彼女を好きになった。リクエストしたのが、ぼくも大好きな曲だったからだ(ちなみに名前をあげておくと、ソロモン・バークの「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・オフ・マイ・マインド」だ)。しかし、それはターンテーブルに乗せると、とたんにフロアから人がいなくなってしまう曲だった」(『ハイ・フィデリティ』(ニック・ホーンビー著・森田義信訳=新潮社・新潮文庫、1995年、118ページ~) ハイ・フィデリティ (新潮文庫) posted with amazlet at 10.06.07 ニック ホーンビィ 新潮社 売り上げランキング: 32315 Amazon.co.jp で詳細を見る イギリス白人のレコード・マニアには、ソロモン・バークや、アメリカのR&Bシンガー、ブルーズ・シンガーのファンがけっこう多い。ビートルズしかり、ローリング・ストーンズしかりだ。この小説が発表されたのは1995年。これでソロモン人気に火がついたということはないだろうが、ソロモンぐらいのヴェテランでレジェンドになれば、「音楽好きの基礎教養」として多くの人がソロモンの存在を知り、リスペクトしていることに間違いはない。 そうしたことで、将来どこかで再ブレイクするかもしれない下地はできているわけだ。(ちなみに、この小説は音楽レコード・マニアとそのガールフレンドに巻き起こるさまざまな事件などがおもしろおかしく描かれていて、けっこう笑える。男子のレコード・マニアは相当共感する部分もあるのではないだろうか) ソロモン・バーク作品の中でもっとも有名なのは、「エヴリバディー・ニーズ・サムバディー・トゥ・ラヴ」あたりか。ローリング・ストーンズがカヴァーし、その後、1980年の映画『ブルース・ブラザース』でも使用された。バークの「ダウン・イン・ザ・ヴァレー」も有名で、オーティス・レディングがカヴァーして知られる。また、「クライ・トゥ・ミー」は、1987年の映画『ダーティー・ダンシング』でも使われた。このサントラ(実際は2枚サントラが出て、2枚目のサントラに収録)は400万枚も売れた。気づかないうちに、意外とあちこちで使われ、耳になじんでいるのだ。同年、ソロモンは映画『ザ・ビッグ・イージー』に端役で出演。 ザ・ブルース・ブラザーズ posted with amazlet at 10.06.07 サントラ ブルース・ブラザーズ ブルース・ブラザーズ・バンド レイ・チャールズ … Continue reading

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▲マーヴィン・アイズレイ56歳で死去

▲マーヴィン・アイズレイ56歳で死去 【Marvin Isley Dies At 56】 訃報。 1950年代から活躍しているR&Bグループ、アイズレイ・ブラザースのメンバー、マーヴィン・アイズレイが2010年6月6日、シカゴで死去した。56歳だった。長く糖尿病を患い、両足を切断していた。ちょうど、リード・シンガーのロナルド・アイズレイも4月に刑務所から出所して以来、同地で復活コンサートをするために、シカゴ入りしていた。 マーヴィン・アイズレイは、1953年(昭和28年)8月18日オハイオ州シンシナティー生まれ。アイズレイ兄弟は、上から順にオケーリー(1937年生まれ、1986年死去。48歳)、ルドルフ(1939年生まれ)、ロナルド(1941年生まれ)、ヴァーノン(生年不詳、1954年交通事故で死去)、アーニー(1952年生まれ)、マーヴィン(1953年生まれ、2010年死去)。なお、いとこのクリス・ジャスパーは1951年生まれ。したがってマーヴィンは男兄弟の末っ子ということになる。 1950年代初期から、上の3人の兄がR&Bヴォーカル・グループ、アイズレイ・ブラザースとして音楽活動を開始。1959年、RCAと契約、「シャウト」が初ヒット。これを機に本拠をオハイオからニュージャージー州ティーネック市に移す。その後インディ・レーベルを渡り歩き、1962年に「ツイスト&シャウト」が大ヒット。この頃、ツアー・メンバーに一時期当事は無名だったジミー・ヘンドリックスが参加していた。1963年、イギリスのR&B好きグループ、ビートルズが「ツイスト&シャウト」をカヴァー。アイズレイにも注目がいくようになる。1964年、自身のレーベル、ティーネックを設立するも不発。1966年から1968年までモータウン所属。その後、1969年、再度ティーネックをスタート。ここから「イッツ・ユア・シング」が大ヒットした。同曲を含むアルバムは、200万枚を超えるベストセラーになり、アイズレイはビッグな存在になっていった。 1969年9月、それまで上の3人(オケーリー、ルドルフ、ロナルド)だったアイズレイ・ブラザースは、下の2人(アーニー、マーヴィン)さらにいとこのクリスを加えた6人組となって再出発。以後、すべてのレコード上の音は、彼ら3+3(6人だけ)で作られるようになった。アーニーは、ジミー・ヘンドリックスに影響を受けたギター、マーヴィンはベースを担当。これを機に、アイズレイ・ブラザースは、単なるR&Bヴォーカル・グループから、いわゆる「セルフ・コンテインド・グループ」(作詞作曲・演奏もすべて自らまかなうグループ)になり、来る1970年代の「セルフ・コンテインド・グループ」大全盛時期へ準備万端となった。 1973年、ティーネックの配給が大手のCBSになり、さらにパワーアップ。同年リリースのアルバム『3+3』、そこからの「フーズ・ザット・レイディ」が大ヒット。以後は出すアルバムを次々とヒットさせた。特に「ファイト・ザ・パワー」「ザ・プライド」などアップテンポの作品におけるうねるようなドライヴ感あふれるマーヴィンのベースは、グループ・サウンドの要ともなった。 1983年、名盤名曲「ビトウィーン・ザ・シーツ」が大ヒット。しかし、この後、1984年、若手の3人(アーニー、マーヴィン、クリス)が「アイズレイ・ジャスパー・アイズレイ」となりCBSと契約。一方1985年、上の3人(オケーリー、ルドルフ、ロナルド)がアイズレイ・ブラザースとしてワーナー・ブラザースへ移籍するという、電撃的な分裂劇が起こってしまった。 だが、ドラマはここでは終わらず、1986年3月、長兄のオケーリーが48歳で急死。しばらく、上2人(ルドルフ、ロナルド)でアイズレイ・ブラザースを名乗っていたが、ルドルフは1989年、牧師の道へ進むためにグループを脱退。アイズレイ・ジャスパー・アイズレイも、若干のヒット(「キャラヴァン・オブ・ラヴ」)は出たが大成功にはいたらず、その後のクリス、アーニーの各ソロも不発となり、1991年、アーニーとロナルド、マーヴィンは再びアイズレイ・ブラザースとして一緒にやっていくことになった。 しかし、マーヴィン・アイズレイは1997年、持病の糖尿病が悪化、両足を切断、音楽活動を引退、静養していた。 なお、ロナルド・アイズレイは脱税容疑で2006年に逮捕され、裁判の結果有罪となり、2010年4月まで収監されていた。現在は自由の身となり、復活ライヴを行うことになっていた。 ■ アイズレイ・ジャスパー・アイズレイ (ベストアルバム=2枚組) Broadway’s Closer to Love / Caravan of Love posted with amazlet at 10.06.07 Isley-Jasper-Isley Superbird (2010-04-20) 売り上げランキング: 56651 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ アイズレイ・ジャスパー・アイズレイ 『キャラヴァン・オブ・ラヴ』 … Continue reading

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■シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ(パート2)

■シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ(パート2) (昨日の続き) 【Ohio Players’ Sugarfoot (Part 2)】 前日のライヴ評。 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100606.html ふたつ。 なんとビルボードにあがっていくエレヴェーターで、ミラクル川畑さんとばったり。川畑さん、日比谷で行われたファンク・フェスのプロモーターをやっていたそうだ。そうだったか、あれ、チョコレート・クリームでしたっけ。 ライヴ後、シュガーフットにひとこと挨拶しに出向く。19年前に会ったことなど覚えてはいないと思うものの、会うなり、「Oh, I remember you」などといわれると、社交辞令だとしても嬉しい。 「日比谷のファンク・フェスにいらっしゃってたでしょう、あれっていつだか覚えていますか?」「いやあ、俺は何年かなんて覚えてないんだよ。君のほうが知ってるんじゃないか? ははは」 「1996年、97年頃なんですよ。それより以前、81年に横田エアベースでお会いしてインタヴューしました」「おおっ、ベースは世界中、回ったよ。 (スタッフに)次の公演場所はどこだっけ? あ、オーサカ! 君はオーサカには来ないのか? ぜひ見てくれよ」「ええっっと、明日・大阪はちょっと行けないです…(冷汗)」「そうか、残念だな。久々にやってきて、(日本を)楽しんでるよ。死ぬ前にもう一度くらいは、ここにやってきたいもんだよ」「ぜひ、来年でも」 「ところで、いまオハイオ・プレイヤーズっていくつあるんですか?」と尋ねると、「俺のものと、ジェームス・ダイアモンドのだ」。「なんで二つあるんです?」「俺が休んでたからな。1-2年前、(俺は)復活することを決めたんだ。あそこに座ってるのが、俺のバンドの音楽ディレクター、トレイだ。キーボードのね。それで彼に連絡して、またバンドを始めた。奴がこのバンドをじつにうまくまとめてくれてる。彼なしに、このバンドはないよ」 なんとこのトレイは、かつて20年ほど前に、一時期オハイオ・プレイヤーズに参加していたという。 「オリジナル・メンバーの何人かは、亡くなってるんだよ(若干さびしいそうに)。クラレンス・サッチ、ラルフ・ミドルブルックスもな」 「ところで、どのように、トレイを発見したのですか?」と尋ねると、「奴が俺を発見してくれたんだ」 すごくいい人だ。好々爺という感じ。 さて、もうひとつのオハイオ・プレイヤーズは、いわば本流のオリジナル・グループということになるのだろうか。以前からオハイオ・プレイヤーズにいたジェームス・ダイアモンド・ウィリアムスが、看板をしょって立っている。これは、シュガーフットが一時期、引退したかのように現役から退いていたためという説明だった。彼がここ1-2年で、カンバックを決めたが、長いブランクがあったため、オハイオ・プレイヤーズという名前はもう使えなかった。ということらしい。 となると、もうひとつのオハイオ・プレイヤーズも見てみたくなる。 ところで今日6月7日はプリンスの52回目の誕生日。ハッピーバースデイ。 ■ マーキュリー時代のベスト Funk on Fire: The Mercury Anthology posted with amazlet at 10.06.06 Ohio Players Island … Continue reading

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●オハイオ・プレイヤーズ・ライヴ

●オハイオ・プレイヤーズ・ライヴ 【Sugarfoot’s Ohio Players: Still Funkin’ And Alive】 久々。 オハイオ出身のファンク・バンド、その名もオハイオ・プレイヤーズの久々の来日。今回のグループ名の正式クレジットは、シュガーフットズ・オハイオ・プレイヤーズ。メンバーが分裂し、これはシュガーフットのグループということになる。 僕は1980年1月に横田基地でライヴを見て、インタヴューをした。その後、1989年ごろ、MZA有明、1991年3月横浜バード(のちのベイホール)でのライヴがあった。このときも、ライヴを見てしっかりシュガーフットを含むメンバー3人にインタヴューをした。オハイオ・プレイヤーズのボックスセット(マーキュリーのアルバム8枚を4枚のCDにした)を1991年に作ったときに、それらの取材をベースに、かなり詳細なライナーを書いた。おそらく、オハイオ・プレイヤーズについて日本語で書かれたものとしては、一番詳しいものになっていると思う。ただ、ボックスも限定ものだったので、今ではなかなか入手しづらいのが難。ライナーの文字データは残っているので、要望があればいずれウェッブに公開してみたい。その後1992年4月に大阪ブルーノートに来日。さらに、1996年か1997年頃、日比谷の野外音楽堂で行われたファンク・フェスで来日。したがって、来日としては、13-4年ぶりということになる。 シュガーフットことリロイ・ボナーは1943年3月14日生まれ。67歳。1963年ごろからグループに参加した、いわばグループの最長老。その彼が若いミュージシャンを集めて結成しているのが、このグループだ。シュガーフットがリーダーシップを取って、自らのヒットを演奏するのであれば、オハイオ・プレイヤーズのサウンドになる。 セットリストは、オハイオ・プレイヤーズの全盛期の大ヒット曲中心。当時を知るファンなら、だれでも大喜びの曲だ。「スイート・スティッキー・シングス」と「フー・チー・クー」はバンドだけで、3曲目の「スキン・タイト」からシュガーフット御大のお出まし。バンドは、全員若手ながらしっかりオハイオ・プレイヤーズ・サウンドを踏襲している。ベースのトレイは、20年以上も前から、シュガーフットと知り合い、その頃からオハイオ・プレイヤーズに参加。今回は音楽ディレクターを務めている。「ラヴ・ローラーコースター」「ファイアー」あたりは、客がいっせいに立ち上がる。 シュガーフットは、足が若干弱っているようで、ときどき、座ったまま歌ったり、ステージの上がり降りに、スタッフの手を借りていたが、それでも、ファンキーな歌声は元気。 「俺の好きな曲だ」と言って歌いだした「アイ・ウォント・トゥ・ビー・フリー」は、そのせりふ回し風ナレーションがちょっとゴスペルの司祭の説教みたいにも聞こえた。 オハイオ・プレイヤーズは、1970年代に次々と大ヒットを放ったいわゆる「セルフ・コンテインド・グループ」(自分たちで曲を書き、演奏もする、『自給自足グループ』)。当時、クール&ザ・ギャング、アース・ウィンド&ファイアー、コモドアーズなど多くの同種のグループが人気を博したが、オハイオたちはファンクとジャズを融合させたスタイル、さらにジャケットに女性のヌード写真を堂々と使ったことで大人気となった。 ところで、今回いろいろ調べていたら、メンバーのうち、クラレンス・サッチ・サッチェルが1995年12月30日に55歳で脳の病気で亡くなっていることを知った。またオリジナル・メンバーでオハイオ・アンタッチャブルズのメンバーだったラルフ・ミドルブルックスも1997年11月に58歳で亡くなっていた。ともにご冥福をお祈りしたい。(インタヴューしたクラレンス・ウィリアムスではありませんでした。訂正します) (この項続く予定) ■ オハイオ・プレイヤーズ~名作『ファイアー』 Fire posted with amazlet at 10.06.05 Ohio Players Mercury (1991-04-16) 売り上げランキング: 80227 Amazon.co.jp で詳細を見る ベスト・オブ(2枚組み) ベスト・オブ・オハイオ・プレイヤーズ posted with amazlet at … Continue reading

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⊿『ストンプ』~舞台全体がグルーヴになる

⊿『ストンプ』~舞台全体がグルーヴになる 【Rhythm Is Life, Rhythm Is Beat】 ストンプ。 ロンドンで始まったパフォーマンス・ステージ「ストンプ」。僕は2005年8月に見ていたので、約5年ぶり。実験的なパフォーマンスが始まったのが1990年とのことなので、もうすでに20年間、彼らは「物を叩き続けている」わけだ。初来日は1995年5月、以後、1996年9月(東京ライヴUFO、プレイヴェント出演)、1997年3月、2002年8月、2003年8月、2005年4月(愛知万博特別出演)、2005年8月、2008年7月以来。今回でツアー・ライヴ公演としては約1年ぶり7回目の来日公演。 いったい、どんなパフォーマンスかというと、ありとあらゆるものを叩いたり、振ったりして、音を出し、それをひたすら見せるというもの。これが1人から2人、そして、4人、8人と大勢になって、しかも、みんなが揃って同じことをすると、これが実にグルーヴ感のあふれる楽しいエンタテインメントになる。 一言で言えば、「物を叩いているのを見せる出し物」。こんな単純なものが、実に楽しい。これを見終わる頃には、みんな何かを叩きながら、会場を出てくる、そこら辺にあるものをみな叩きたくなる、そんなライヴだ。 今回、なんとセットリストがあった。前回のライヴ評をみたら、しっかりメモ書きから作ったセットリストがあったが、けっこう出し物も同じものがあることを発見した。 オープニング、いきなりほうき(モップのような)で床を叩きながら、メンバーが登場。1人、2人、最後には8人になる。叩き、振り回し、躍動感あふれるパフォーマンス。途中でほうきの先が取れた。しかも、2人のほうきが壊れた。すると、舞台袖からすぐに新しいほうきが投げられた。1週間に30本以上のほうきを消費するそうだ。 たぶん、セットリストを見ると、これをごらんになった方はどういう出し物だったか思い出されると思う。たとえば2の「マッチ箱」は、マッチ箱をパーカッション代わりに使ったり、「ポール」は2メートル近くの棒をみんなで振り回す。まるで殺陣のよう。一番おおがかりなのが、「サスペンション」。3メートル以上あるステージ正面の壁に演者が一本のワイアーでつながれ、そこについているいろいろなフライパンなどの物を叩く。一番スペースを使うのと音が大きいので、ひじょうに印象に残る。メロディーは、ほぼない(一部で音階が違うものを叩くシーンがあり、ちょっとしたメロディー的なものがでるところがある)が、リズムと演技だけでもたせるところがすごい。 コミカルな「ニューズペイパー」もおもしろい。日本人ストンパー、宮本やこも登場、かっこいい。もちろん、さまざまな人種がいて、おもしろいのだが、もしこれをタップのプロとか、黒人ばかりでやったら、ものすごいグルーヴとファンクが炸裂するかもしれない、とも思った。これがイギリスから出た、というのがおもしろい。 大きな動作から、小さな動きまで、さまざまな音が出される。叩き、動き、飛び跳ね、体全体がパーカッションとなり、80分の舞台全体がグルーヴの塊になる。リズムが命、リズムがビートを刻む、とてもユニークなパフォーマンスだ。 日曜までやっている。 ■2010年6月1日(火曜)から6日(日)まで。JCBホール。 問い合わせ=キョードー東京 03-3498-9999 www.ntv.co.jp/stomp SS席9500円、S席8500円、A席7000円。土日は昼・夜2回公演。 ■過去記事 August 17, 2005 Musical “Stomp”: Hitting Everything And Became Hit Worldwide 【『ストンプ』、あらゆる物を叩いて世界的ヒットへ】  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200508/2005_08_17.html (ここにドラム、パーカッション関係の記事一覧) ■セットリスト Setlist: Stomp @ JCB … Continue reading

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△MJスピリット(パート2): マイケル・ジャクソンのスピリットとソウルが舞い降りたMJスピリッ

△MJスピリット(パート2): マイケル・ジャクソンのスピリットとソウルが舞い降りたMJスピリット 【MJ-Spirit Part 2: 5 Most Impressive Scene In This Is It Tour】 ベスト5。 2010年5月22日(土)、渋谷アックスで行われたマイケル・ジャクソンを愛をもって真剣にリサーチし、そのスピリットを伝えるユニット、MJスピリットのライヴ評。そのパート2。 まるで、『ディス・イズ・イット』を見ているかのようなライヴ、僕が感動したポイントベスト5を。 (次点 「ダーティー・ダイアナ」のオリアンティーとスラッシュ) 5位 冒頭。映像とマイケルのロボットのようなキラキラの衣装で登場したシーン。 4位 「スリラー」のクモと帆 3位 「スムース・クリミナル」のゼロ・グラヴィティー 2位 「ビリー・ジーン」のパフォーマンスと電飾 1位 最後のMJエアで、ショーが終わるところ。 しかし、よくここまでやってくれた。やはり、各曲の小道具、いや、大道具がいちいち楽しい。たぶん、本物のオーツー・アリーナだと、ステージがもっと大きいので、スクリーンや、クモなど、もっと大きいのだろう。だが、こうしてその場で音楽とともに、こういう感じになると見せられると感動もひとしおだ。 ショーの始まりと終わりは、エンタテイナーがもっとも頭とお金をかけるところ。どうやって観客を驚かすか、どうやって最高の余韻を残すか、マイケルは常にそれを考え続けていた。その答えが今回の冒頭のシーンであり、エンディングだ。 オリアンティーがでてくるところは、みなおもしろかったが、「スリラー」では、まさかクモが出てくるとは思わなかったので、驚いた。すべて自作とのこと。 「ゼロ・グラヴィティー」は、前回まで6人だったのが、今回は7人になっている。人数が多ければ、やはりインパクトは強い。腹筋というより、背筋がかなりいるようで、実際にやってみた彼らからすると、マイケルのあの前への倒れ方ははんぱでない、ものすごい背筋力だそうだ。僕は2階で見ていたので、「スムース・クリミナル」が始まるときに「ゼロ・グラヴィティー」の仕掛けがステージに置かれているのが見えたが、それが見えただけで興奮した。パブロフの犬状態だ。(笑) 「ビリー・ジーン」の電飾は、何度も試行錯誤を繰り返し、できたそうだ。あるタイミングでブルーツリーがスイッチをオンにすると、あとは事前にプログラミングしておいた順番で、色が交互に変わっていく仕組み。実に綺麗だった。しかも、リハーサルのときなど、体内に張り巡らす電線が細いために、ちょっと動くだけで断線してしまうという。リハでもうまくいかず、予定通りぴったり決まったのは、あの本番1回だけだったそうだ。だから、これがうまくいったときは、スタッフも号泣したという。 このあたりまでショーが進んでくると、最後のMJエアはどうするのだろうという思いが頭の中をかけめぐる。なんと言っても、実際の最後のシーンは誰も見ていないに等しいのだから。また、会場アックスのスクリーンは、さすがに扉は開かないだろうし。どうやってマイケルを飛行機に乗せるのか。などと考えていたら、やってくれました。マイケルが乗りこむところは、じつにうまく映像が作られていたのだ。映像は全部作ったそうだ。そして、最後、その飛行機(MJエア)が飛び立っていくところは、感動した。 それにしても、素材となった資料は、映画『ディス・イズ・イット』とそのボーナス映像だけ。そこから、よくあれだけのものをイマジネーションを駆使して作った。衣装もほかに依頼していたが届かなかったものが何点かあったそうで、こんごのパフォーマンスで使うことにするそうだ。 それぞれの曲に小道具、映像などがあるから、曲ごとにミニ・ミュージカル、ショートフィルムそのものになっているようなもの。それにしても、こんなアイデアどこで思いつくのかといったものが矢継ぎ早にでてくるから、飽きない。 今回の規模はそれまでのものと比べて充実した内容になっているが、スタッフはみなヴォランティア的に参加している。マイケル役のブルーツリーは、ここで使う衣装代をほとんど自腹でつぎこんでいるそうだ。いわばマイケルへの究極の愛がこのステージに注ぎ込まれているのかもしれない。 ■MJスピリット再公演決定 (なお、AXのような規模のライヴにはなりません) MJ-spirit MJ memorial show In Morph Tokyo … Continue reading

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☆キング・ソロモン・バーク・ライヴ(パート 2)

☆キング・ソロモン・バーク・ライヴ (2010年5月31日付けブログのつづき) 【King Solomon Burke (Part 2)】 夜空。 日比谷野音は、オープンエア。屋根がないから、雨が降ってくると、ライヴ鑑賞にはかなり厳しいものがある。だが、日曜日は無事晴れた。土曜日も最初は雨が降っていたが、キング・ソロモンのときにはなんとかもちこたえた。 派手な青のキラキラの衣装に身を包んだソロモン・バークのライヴも、どうやら事前のセットリストがあってなきようなものだった。キング・ソロモンが曲を歌いだすと、バンドが後をついて演奏を始める。まるで、ジェームス・ブラウンのライヴのようだった。キングは何度も言っていた。「時間がなくなってしまう。やるべきたくさんの曲がある」。 セットリストが決まっていないから、「イフ・ユー・ニード・ミー」から始まるメドレーも、前日とは曲目ががらりと代わっていた。全体的なセットリストも大幅に代わっている。土曜日のセットリスト(下記5月31日付けブログ)と比べていただければわかるが、これは嬉しい誤算だった。前日は歌われなかったレイ・チャールズの「アイ・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」やアップテンポの「プラウド・メアリー」が歌われると、古き良きソウル・ショーを強烈に実感させてもらえた。 この日はなぜか女性バックコーラスが1人増えていた。 そして、この日一番感動したのが、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」だ。キング・ソロモンを聴いていて、まるでオーティスやサムがもし生きていたらこんなライヴをやっただろうと思っていたところ、まさにどんぴしゃの選曲だったから、それもひとしお。 すっかり日も落ちた日比谷の夜空に響くキング・ソロモンの「I was born by the river…」の歌声は格別だった。 キングが座った大きく立派な椅子は、サイズ、色など細かい指示がきて日本で作ったという。これを地方にももっていった。 東京の次は名古屋。名古屋までは、キング・ソロモンは車で移動したそうだ。そういえば、ウィリー・ミッチェルの葬儀にロスからメンフィスまで行くのにも、キングは車で移動した。車椅子のため、飛行機がしんどいのかもしれない。ところで、キングは単独で90分くらいのショーはやるのだろうか。そうであれば、ぜひ再度見てみたい。 ■ ライヴ評 2010年05月31日(月) キング・ソロモン・バークのピュアなハートとソウル (パート1) http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100531.html 土曜日のセットリスト、メンバーなども。 ■ セットリスト ソロモン・バーク 2010年5月30日(日) Setlist : Solomon Burke, Hibiya Yagai Ongakudou, May 30,2010 show started … Continue reading

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◎リトル・ベニー(ワシントンDCのゴーゴーのヴェテラン)46歳で死去

◎リトル・ベニー(ワシントンDCのゴーゴーのヴェテラン)46歳で死去 【Little Benny Dies At 46】 訃報。 アメリカ東部ワシントンDCで生まれ、1980年代に世界を席巻した独特のリズムを持つ「ゴー・ゴー・ミュージック」の重鎮のひとり、リトル・ベニーが2010年5月30日、ワシントンDCの兄弟の自宅で死去した。46歳だった。ビジネス・パートナーのキース・ギャロウェイが確認した。ギャロウェイによると死因は不明、また就寝中に亡くなったという。前日にはワシントンDCのお隣メリーランド州キャピトル・ハイツの「キャピトル・ハイツ・ボールルーム」で行われていたチャック・ブラウン、EU、ネラ・ドナなどのライヴに参加していた。 リトル・ベニーは本名アンソニー・ハーリー、1963年9月26日、ワシントンDC生まれ。子供の頃から父親のR&Bバンド、フランク・ハーリー&ザ・ベル・コーズのリハーサルを見ていた。最初父親は彼にギターをあげたが、本人は興味を持たず、音楽に興味を持ったのは12歳ころになってから。ホーンに興味を持ち、これを独学、トランペット奏者として同地で活動を始める。1974年ごろから後に1980年代に「ゴー・ゴー・ミュージック」の人気グループとなるレア・エッセンスのメンバーらと知り合い、1980年代に入って同グループのメンバーとなった。このバンドは、ワシントンDCにおけるゴー・ゴーのゴッドファーザー、チャック・ブラウンの弟子的存在となり、チャック・ブラウンがいないときに、同地でゴー・ゴーの城を守っていた。チャックがゴー・ゴーの基礎を築き、レア・エッセンス(リトル・ベニー)らがさらに花開かせた、という見方をするゴー・ゴー関係者もいる。 リトル・ベニーは、1980年代中期にレア・エッセンスを離れ、独自のバンド、リトル・ベニー・アンド・ザ・マスターズを結成。「キャット・イン・ザ・ハット」などのヒットを放った。トランペットとヴォーカルを聴かせる。その後、プロパー・ユーテンシルズなどに参加したり、またレア・エッセンスに戻ったりしていた。 ベニーは、音楽以外昼間の仕事で、アラームをつける仕事、引越し業者、ケーブル技術者などをしていた。また、ライヴも一晩で同時に複数箇所で行ったりしていたため、「ヘリコプター」などのニックネームがついていた。 リトル・ベニーはしばらく前に背中を手術し、歩くために杖を使っていた。同地では、ワシントンポスト紙や、地元のテレビチャンネル「チャンネル9」なども報道している。 葬儀の日程は未定だが、妻と6人の子供によって送られる。 2010年3月、2年ぶりに来日していたゴー・ゴーの大御所、チャック・ブラウン・アンド・ザ・ソウル・サーチャーズのライヴにフィーチャリング・ゲストとして同行。元気なところを見せていた。 チャック・ブラウンは、ワシントンシティーペーパー(電子版)で、次のように述べている。「親愛なる友人リトル・ベニーを失って失意のどん底にいる。彼らの初期、よくリハーサルを見に行った。彼らのファースト・アルバム『ボディー・ムーヴ』をプロデュースできたことは誇りだ。あるとき俺の喉が調子が悪くて歌えないとき、助けてくれないかと言ったら彼がやってきて、以来16年、彼とは一緒にステージに立っている。彼のような人物は他にいない。誰も彼にとって代わることはできない。彼の損失はどんな言葉で表すことはできない」 現在74歳のチャックからすれば、46歳のベニーが先に逝くなど、まったくもって予想外であったろう。心中察する。 ■関連記事 2010年03月21日(日) チャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズ・ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100321.html 2010年3月にビルボードライブ東京で行われたライヴ評。ここに前々回来日時のリンクも。 リトル・ベニーのインタヴュー(英語)(1998年ごろのものか) http://www.tmottgogo.com/littlebenny.html リトル・ベニーの訃報記事(ワシントンポスト紙)(英語) http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/30/AR2010053003566.html スティーヴ・キヴィアットのブログ(英語) R.I.P. Go-go Pioneer Little Benny: Chuck Brown & Others Reminisce Posted by Steve Kiviat … Continue reading

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○アリ・オリ・ウッドソン58歳で死去

○アリ・オリ・ウッドソン58歳で死去 【Ali Ollie Woodson Dies At 58】 訃報。 元テンプテーションズのリード・シンガーとして、またソロ・シンガーとしても活躍したアリ・オリ・ウッドソンが2010年5月30日(日)夜、カリフォルニアの病院で死去した。数年白血病を患っていて、これが死因となった。 アリ・オリは、本名オリー・クリゲット、1951年9月12日(一部報道で10月12日説も)デトロイト生まれ。地元でR&Bシンガーをしているうちに、1983年、デニス・エドワーズの後釜としてテンプテーションズのリード・シンガーに抜擢され、1984年発表のアルバム『トゥルーリー・フォー・ユー』から正式参加。ここに収録された「トリート・ハー・ライク・ア・レディー」を、共同作曲、共同プロデュースし、一躍注目されるようになった。その後も、テンプスの一員として活動。1986年には、名曲「レディー・ソウル」の大ヒットが生まれた。アリ・オリといえば、「レディー・ソウル」というほど。 しかし、アリ・オリは、その後テンプスを脱退、再参加など出たり入ったりを続ける。ソロ活動のほかに、セッション・シンガーとして、いくつかのプロジェクトに参加。アル・マッケイ・オールスターズや、デイヴィッド・T、ジェームス・ギャドソンらが結成したスピリット・トラヴェラーなどに参加。 来日履歴は、1988年10月、今は亡き有明MZAなどでテンプテーションズのメンバーとして初。その後テンプスで1989年12月(MZAなど)、1992年12月(厚生年金など)、アリ・オリとして1997年7月(東京オンエア・イーストなど)、1998年6月(福岡・大阪ブルーノート)、アル・マッケイ&オールスターズの一員として2001年7月(赤坂ブリッツ、福岡・大阪ブルーノート)、2002年4月アリ・オリとして(青山ベルコモンズなど)、2007年11月デニス・エドワーズのテンプテーションズ・レヴューの一員として(コットンクラブ)、2008年6月アリ・オリとして(銀座ケントスなど)。計9回の来日を数える。 これらのうち、1997年と2002年は現在赤坂ミラクルの川畑氏がプロモーターとなり招聘している。筆者は、1988年10月にテンプテーションズとしてインタヴューしている。 テンプテーションズは、モータウン・レコードを、アメリカを代表するR&Bヴォーカル・グループでそのリード・シンガーは、常に脚光を浴びてきた。初代は、デイヴィッド・ラッフィン、次がデニス・エドワーズ(1968年7月~1977年、1980年~1982年、1987年~1989年)、デニス後はしばらく何人かが変わり、1983年にアリ・オリが参加した。リード・シンガーは3人以上いるが、デイヴィッド、デニス、アリ・オリの3人がもっともリードらしいリードとして高く評価されている。 ソウル・ファンがテンプスの話をするとき、3人のどの時代が好きかがしばしば話題にあがる。 ■ アリ・オリ・ウッドソン Right Here All Along posted with amazlet at 10.06.01 Ali-Ollie Woodson Expansion UK (2006-10-26) 売り上げランキング: 23328 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ テンプテーションズ・アンソロジー2枚組み (一応、「トリート・ハー…」と「レディー・ソウル」が入っています) Anthology posted with … Continue reading

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