Monthly Archives: August 2009

○マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート8)

マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート8) 【Which Books About Michael You Should Read (Part 8)】 お勧め。 マイケル関連本、そのパート8。とても追いつかないのが現状だが、まずはお勧めの一冊。アメリカの黒人雑誌エボニー誌のスペシャル・トリビュート。下のアマゾンのリンクと表紙がちょっと違うのだが、黒バックの表紙のもの。 100ページの本。さすがにエボニーだけあって過去記事、また、今回の逝去後の原稿など充実。まずはアル・シャープトン師、モータウンとの契約をベリー・ゴーディーに強く勧めたベリーの右腕スザンヌ・ドゥ・パースの思い出話し、ベリーの思いで話し、アリサ・フランクリンのコメント、そして、クインシー・ジョーンズのコメント、スモーキー・ロビンソンのコメント、ニーヨのコメント、ジェシー・ジャクソンの寄稿がそれぞれ1ページずつ。このあたりのコメントの人選は実に的確でみんな読ませる。すばらしい。たくさんのモノクロの写真…。エボニー誌1984年12月号の再掲、1992年5月号の再掲、2007年12月号の再掲(これは最後のインタヴューと題され、写真を含め本人の語りで16ページ。これだけでも価値がある)。 各コメントの中でもニーヨの原稿などはおもしろかった。 あるとき、ニーヨのプライヴェートの携帯にマイケルと名乗る人物から電話があった。ニーヨはそんなわけはない、いたずらだと思い、すぐに切る。だがまたかかってきて、別の人物が「ミスター・ジャクソンがあなたとお話したがっています」といって本人につないだ。ニーヨは腰を抜かすほど驚いた。マイケルはニーヨと一緒に曲作りをしたいと申し出て、二人は秘密裏に会って、曲作りを始める。ニーヨは月に2度ほど、それぞれ3-4曲をマイケルに送り、それを聴いたマイケルと電話でやり取りをするようになった。「ナンバー5の曲がよかったが、フックはナンバー3のほうが強いんじゃないか」などとマイケルが意見を言ってくれたりした。これが彼が亡くなるまで続いていたという。 ニーヨは、歌い始めたとき、自分の声が嫌いだった。彼は、自分がテディー・ペンダグラスやマーヴィン・ゲイ、オージェイズのエディー・リヴァートのような声でないことに悩んでいた。高い女性のような声をしていたからだ。そんな頃、母親がマイケルの『オフ・ザ・ウォール』とスティーヴィーの『ホッター・ザン・ジュライ』をくれて「これらのアルバムを聴いて、彼らが自分の楽器(声)をどう使っているか勉強してごらんなさい」と言ったという。「マイケルは今、悩みや苦悩を越えたところにいる。もう誰も彼を傷つけることはできない。そういう意味でほっとしている」とニーヨは言っている。 マイケル・ニーヨのコラボなどは最高のものになるだろうが、ニーヨのアルバムにでも収録されないのだろうか。 ■ EBONY SPECIAL TRIBUTE (↑レヴューはこの表紙のものです) Ebony [US] September 2009 (単号) posted with amazlet at 09.08.30 Johnson 売り上げランキング: 2992 Amazon.co.jp で詳細を見る (一言コメント) さすがエボニー。コメント取りも適材適所。同じ速攻でもこれだけのものが出来るところは底力を感じる。ローリング・ストーン誌も中身は濃かったが、若干、ネガティヴな記事もあったが、ここにはそういうものはない。 お勧め度=★★★★★ お勧め度を5段階で評価。 … Continue reading

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◆ローラ・イジボア・ライヴ:ハッピー・オーラのローラ

◆ローラ・イジボア・ライヴ:ハッピー・オーラのローラ 【Laura Izibor With Happy Aura: Live At Billboard Live Tokyo】 オーラ。 2009年4月アメリカ、5月イギリス、6月日本でデビューしたアイルランド出身のローラ・イジボアの一般向け初来日公演。(媒体向けショーケースは除く) ドラムス、ベース、キーボード、トランペット、コーラス、それにローラ本人の歌とキーボードという編成。ギターがなく、トランペットというところがおもしろい。オープニングやところどころでいい雰囲気をだしていた。 第一印象はアイルランドのアリシア・キーズという感じ。特に正面に置いたキーボードを弾きながら、しっかりした歌を聴かせるところなど、新しい世代のアリシアという印象を持った。(もちろん、アリシアもバリバリの現役ですが…) 半分以上の曲で弾き語りっぽくパフォーマンスを見せ、デビュー作からの10曲すべてと新曲、アルバム未収録曲などを披露。アコースティック・ギターをフィーチャーした新曲「グレイスフリー」、さらに続く「カルーセル」(映画『P.S.アイ・ラヴ・ユー』サントラ)はひじょうに印象に残った。よく通る声、きりりとした可愛いルックス、しっかりしたライヴ・パフォーマンス、スターになる要素は備えている。 アンコールの「シャイン」は、本編でやったヴァージョンとは違いモータウン・サウンド風のリズムを強調したヴァージョン。最後はのりのりで観客も、総立ち。何度も曲間に「ありがとうございます」と日本語でいれる。 ステージ上でのローラは、とてもハッピーな感じで、ハッピー・オーラが醸し出されていた。 ライヴ後、会場ではサイン会。ものすごい列ができていた。かわいくて、歌もうまくて、キャラも明るく、新しいスターだ。 ところで、彼女の誕生日、前回記事を書いたときは1987年5月とまではわかっていたが、日にちがわからなかった。いろいろ調べてみると、どうやら、5月13日ということがわかった。これはびっくり、スティーヴィーと同じだ。 ■ 「山野ミュージック・ジャム」(インターFM)2009年8月30日(日)午後4時半から、ローラ・イジボアの最新作をご紹介します。 ■ 過去記事 April 22, 2009 ★ローラ・イジボア:強烈猛烈な新人女性ソウル・シンガー http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10246894692.html ■ ローラ・イジボア・デビュー作 素顔のローラ posted with amazlet at 09.08.29 ローラ・イジボア ワーナーミュージック・ジャパン (2009-06-24) 売り上げランキング: 820 … Continue reading

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■格調高きラムゼイ・ルイス・トリオの演奏

【Ramsey Lewis Trio : Live With Class, Intelligence And Elegance】 格調。 シカゴのチェス・レコードから多くのジャズ・レコードを出してきたジャズ・ピアニスト、ラムゼイ・ルイスが昨年(2008年)7月に12年ぶりのブルーノート・ライヴを敢行。多くのファンを魅了し、1年後にリターン。今回も、ドラムス、アコースティック・ベースとのトリオ。基本的にはストレートなジャズ・トリオで、一番ブルーノートという会場にあった感じの音楽だ。客席は、さまざまなタイプの人たちで埋まる。昔からのファン、アース関連で知った人、ジャズ・トリオが好きそうな人たちなど、老若男女。ラムゼイの幅広い人気を示す。 音は静かに小さく、品のいい感じのトリオ演奏。1曲終わるときちんと立ち上がり、曲紹介し、おじぎ。ひじょうにまっとうなジャズマンだ。そこから醸し出されるサウンドは、格調があり、知的で、暖かく、優しく、エレガント。彼の演奏を聴いているとジャズが格別のシルクのような高級感を感じさせる。 ちょうど、ステージの斜め右あたりで見ていたが、ラムゼイが後ろにぐーんと伸びるときのシーンが、ちょっと映画『レイ』のポスターで見せた絵と同じに見えた。 それにしても、ラムゼイ・ルイスはじつにかっこいい。74歳とは思えないほどの若々しさ。かつて、このトリオのドラムスにモーリス・ホワイトがいたのかと思うと、なかなか感慨深い。 日によってセットリストは微妙に違うようだが、ソウル系ファンとしては、「サン・ゴッデス」「ジ・イン・クラウド」、そして、「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」の3曲を聴きたい。前2者はどちらかが交互に演奏されるようだ。「サン・ゴッデス」は、ヒップホップ系アーティストなどにもサンプリングされているので、若い層からも支持を集める。 今回は2009年10月にリリースされる予定の新作『ソングス・フロム・ザ・ハート』に収録されている作品から3曲が演奏された。 本編最後の「スピリチュアル・メドレー」は、それまでのジャズ・トリオがチャーチ・トリオのサウンドに早変わり。たった3人でもこれだけサウンドの変化がつけられるのだから本当にたいしたもの。ドラム・ソロも、そして、サウンドも、なんとも昭和のジャズという感じでほほえましく思った。 ところで、日本在住ナンバーワンDJであるカマサミ・コングさんがラムゼイにインタヴューするというので、ひとつだけ質問を託した。それは、”Who do you think the “in” crowd these days, besides who were the “in” crowd back then(あなたは今一番かっこいい、旬な人だと思うのでは誰ですか。その昔、かっこよかった人は誰だと思いますか)”というものなのだが、果たしてその答えはいかに。 (ライヴは、今日、土曜日(8月29日)まで、ブルーノート東京で) ■ まずは「ジ・イン・クラウド」のベスト ジ・イン・クラウド+2 posted … Continue reading

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●デルズのジョニー・カーター、ソングライター、エリー・グリーニッチ死去

●デルズのジョニー・カーター、ソングライター、エリー・グリーニッチ死去 【デルズのジョニー・カーター、エリー・グリーニッチ死去】 訃報。 アメリカのソウル、R&Bシンガーでドゥワップ創成期から活躍してきたジョニー・カーターが去る2009年8月21日、地元イリノイ州ハーヴィーの病院で肺癌のため死去した。75歳だった。ジョニー・カーターは、R&Bヴォーカル・グループ、デルズのシンガーとしても知られる。ただデルズのリードは、マーヴィン・ジュニアというシンガーでその印象が強いが、ハイヴォイスを歌いコーラスをいれていた。 ジョニー・カーター(本名ジョン・E・カーター)は、1934年6月2日、シカゴ・サウスサイドの生まれ。シカゴで18歳のとき1952年にドゥーワップ・グループ、フラミンゴスを結成、1956年、「アイル・ビー・ホーム」がヒット。その直後徴兵され、戻ってくると、彼のポジションが別の者に取られていたため、自身で新たなグループを探す。1960年、ちょうどデルズのジョニー・ファンチェズが辞めるところに参加。デルズはダイナ・ワシントンのバック・グループとなり約2年活動。その後、デルズとしてシカゴのチェス・レコード傘下、カデットなどでシングルをリリース、ヒットを多数生み出した。特に、「ステイ・イン・マイ・コーナー」(1968年)、「オー・ホワット・ア・ナイト」(1956年と新録が1969年再ヒット)「ラヴ・イズ・ブルー」(1969年)、「ギヴ・ユア・ベイビー・ア・スタンディング・オヴェーション」(1973年)などが大ヒット。ヒット曲は50曲近い。 カーターが所属した両グループともロック殿堂入りを果たし、2つのグループで殿堂入りを果たした5人のうちのひとりとなった。カーターは、1960年にデルズに参加以来、死去するまで49年間在籍していた。 娘のジュウェルによるとカーターは、釣りが好きで、料理もよく作ったという。ジュウェルによれば父は「話すことより、歌っているほうが好きだった」と言う。 ■ニュース記事 http://www.mercurynews.com/news/ci_13190707 ■ デルズ The Best of the Dells posted with amazlet at 09.08.28 The Dells Polygram UK (2001-09-25) 売り上げランキング: 119612 Amazon.co.jp で詳細を見る +++++ (速報)ソングライター、エリー・グリーニッチ死去  訃報。 ニューヨーク出身のソングライター、エリー・グリーニッチが2009年8月26日、ニューヨークのルーズベルト病院で心臓発作のため死去した。68歳だった。「ダ・ドゥ・ロン・ロン」「チャペル・オブ・ラヴ」「ビー・マイ・ベイビー」などの大ヒットで知られる。多くの作品を夫のジェフ・バリーとともに書き、プロデューサー、フィル・スペクターともコラボレートした。 エリー・グリーニッチは、1940年10月23日、ニューヨーク生まれ。エリノア・ルイーズ・”エリー”・グリーニッチ。シンガーを目指したが、途中からソングライターとしての活動が多くなり、ヒット曲を多数生み出す売れっ子ソングライターとなった。 ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンは、「彼女はあらゆる時代における最高のメロディー・ライターだった」と振り返る。「(彼女が書いた作品は)、永遠に残る織物のひとつ」というのは自ら作詞・作曲するダイアン・ウォーレン。 http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-ellie-greenwich27-2009aug27,0,5623596.story (詳細は後ほど) ■作品集 ドゥ・ワ・ディディ~エリー・グリニッチ&ジェフ・バリー作品集 … Continue reading

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⊿ドイツのDJユニット、ジャザノヴァ・ライヴ

【Jazanova Said “Support Music, Support Art”】 DJ。 日曜日、コットンでちょうど隣に座った縁で松尾さんがジャザノヴァのメンバーと知己を得て、火曜日、ビルボード・ライヴへライヴを。DJ系ユニットがリアルなバンドを結成して登場だ。「ジャザノヴァには2つの顔がある。それはDJサイドとスタジオ・サイドだ」とMC役で、リード・ヴォーカルでもあるポールはステージで言う。DJユニットとしてのジャザノヴァと、バンドとしてのジャザノヴァのことだ。ドイツ出身のDJが集めた今回のバンドは最大9人がオンステージという、本格派だ。ドラムス、キーボード、ギター、ベース、パーカッションにサックス、トロンボーン、そしてDJ、リード・ヴォーカルの編成。楽器を持ち変える人もいるので楽器編成はもう少しヴァリエーションが出る。 ちょうどインコグニート、ブランニュー・ヘヴィーズをもう一歩だけクラブ系、DJ系に寄せた感じのバンド・サウンドだ。いかにもヨーロッパの小粋なミュージシャンたちという装いで、白人のグルーヴを醸し出す。全体的に耳当たりがよく聴きやすい。なによりステージ上で一番動くのがDJのアクセルというところがおもしろい。 アシッド・ジャズと同じ系列になると思うが、クラブ系バンドの場合、観客層が若くておしゃれなのが特徴だ。男女比半々か若干女性の方が多いか。途中から、みんな立ちだし、最後は総立ちになった。 メンバーは1人以外全員ドイツから。リード・ヴォーカルのポールだけはアメリカ・デトロイト出身。なんと日本に来るのは7回目だそうで、昔、大阪のボトム・ラインで一月ほど1日3ステージくらいのいわゆる「ハコバンド」を経験している、という。 DJユニットで始まった彼らが本格的なバンド形態でやりだしたのは、今年(2009年)1月、ロンドンのクラブ・ギグから。以来、コンスタントにライヴ活動を続け、バンドとして初来日。(DJとしては何度かクラブに来日しているそう) 進化したDJユニットだ。 「入口でCDを売ってるからね。焼かないで(コピーしないで)買ってね。そうして音楽をサポートしてください。アートをサポートしてください」と訴えた。ポールは「4年半くらい前にベルリンでのパーティーで出会った。そのときは何も起こらなかったが、その後オーストラリアのパーティーでまた会った。で、その後、DJアクセルからジャザノヴァで歌わないかと誘われ、今、こうしてここにいる」とステージで言った。Support music, support art! ナイス・フレーズ! ■ジャザノヴァ最新作 Of All the Things posted with amazlet at 09.08.26 Jazzanova Verve (2008-10-21) 売り上げランキング: 4807 Amazon.co.jp で詳細を見る ■メンバー アクセル・ライネメア/Axel(Reinemer DJ/Percussions) ステファン・ライゼリング/Stefan Leisering(Percussions) ポール・ランドルフ/Paul … Continue reading

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△インターFMで8月29日にマイケル特番

△インターFMで8月29日にマイケル特番 【インターFMで8月29日にマイケル・ジャクソン特番】 告知。 インターFM(東京地区76.1mhz)で来る2009年8月29日(土曜日)午後3時から4時半にわたって、マイケル・ジャクソンの特別番組『フェアウェル・トゥ・キング・オブ・ポップ・スペシャル』という番組を放送する。同日は、マイケルの51歳の誕生日。 出演は司会・岡村有里子、ゲスト湯川れい子、吉岡正晴、マイコーりょう。 マイケル・ジャクソンの歴史、功績、エピソードなどを特集する。ウィル・アイ・アム、クインシー・ジョーンズ、オマリオン、ワイクリフ・ジョン、エイコン、メアリー・J・ブライジ、ファレル・ウィリアムス、そして、ビヨンセ・ノウルズなどのコメントも放送する。 ■ 番組概要 タイトル FAREWELL to KING of POP SPECIAL 放送日 2009.8.29 15:00-16:30 放送局 インターFM (東京地区76.1mhz) メールあて先 mj@interfm.jp 番組ホームページ http://www.interfm.co.jp/mj/ ANNOUNCEMENT>

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☆ソングライター、リオン・ウェア戻ってくると宣言

☆ソングライター、リオン・ウェア戻ってくると宣言 【”I’ll Be Back Soon”: Leon Ware Declares On The Stage】 渋さ。 ソングライターとして多くのヒットを放ってきたリオン・ウェアが2002年大阪ブルーノート以来、およそ7年ぶりの来日、東京地区での初ライヴ。僕は初めて見るので相当期待値の高いライヴだ。コットン3日間のライヴ、評判が評判を呼び、後半はどんどん客足が伸び日曜セカンド(最終)も超満員。しかもソウル・バー関係者、ソウル・ファン多数集結。カウンター前に補助席まで出ていた。 1曲1曲をリオンは丁寧に歌い、ときにその曲を解説したりしながらショーを進める。リオンといえば、僕にとってはマーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」だ。その官能的な音、歌、メロディー、歌詞、すべてが魅力だ。そしてこのリオンのライヴもそうしたマーヴィン風の官能路線(センシュアル)な部分は存分にかもし出されていた。 おもしろかったのは、日本でなぜか人気の高いセットリスト7の「ホワイ・アイ・ケイム・トゥ・カリフォルニア」。初日には歌われたが、そのセットが長くなり2日目は2-3曲カットしたところ、そのカットされた中にはいってしまった。そうしたら、どうやらファンからリクエストがあったらしく、MCで「次の曲はみなさんから強いリクエストがあった曲です。この曲をやらないともう日本には戻って来れないと言われたので、やりたいと思います。また日本に戻ってきたいですから」と言い、これを歌った。 歌自体はソウルフルというよりも、淡々とした渋い味わいの歌。いずれの曲も、なかなかセンシュアルでムードがただよう。むしろバックコーラスの女性ニッキのほうが元気のあるはつらつとしたヴォーカルを聴かせた。そしてニッキとからむ曲はかなりいやらしい感じがかもし出される。彼は自身で「センシュアル・ミニスター」(官能的な、性欲をそそる牧師)と言う。これは、誰かに「リオン、あなたはセンシュアル・ミニスターだな」と言われたのを気に入って自分でも使うようになったそうだ。 彼もステージで歌うのが大好きなようで、パフォーマンスをエンジョイしている。ドラムス(ドネル=ルーファスやジョディー・ワトリーで来日)、キーボード(ウェイン・リンゼイ=スティーヴィー、ホイットニーなどで来日。自らリンゼイとしてもアルバムをだしている)らのバンドもしっかりしている。 そして、5曲目の前では「彼ともいろいろな曲でコラボレートしました。彼はキング・オブ・ポップと呼ばれています。彼は歌詞をとても芸術形態のものとして重要視するアーティストでした。これはとても珍しいことなんです」 こう言ってマイケル・ジャクソンの「アイ・ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー」を歌った。 本編最後は、彼の名を決定付けたマーヴィン・ゲイの「アイ・ウォント・ユー」。これはさすがに圧倒的に盛り上がる。そして、一旦ひいて、アンコールで「アフター・ザ・ダンス」。さらに、その後バンドは下がり彼だけがステージに残り、ピアノの弾き語りでしっとりと「フォーエヴァー」を歌い、ステージは幕。満員のスタンディング・オヴェーションが長く続いた。そして彼は何度も言った。「またすぐに戻ってきます! I’ll be back!」 この日見に来ていたケイリブ・ジェームスも、「こんな満員はすごいな。ソングライターのライヴでこれだけお客さんが来るというのは素晴らしいことだ」と言った。 ちょうど我々が座った隣にドイツのジャザノヴァのご一行がいて、同行松尾潔さんが気づいて教えてくれた。(隣でドイツ語っぽい話し声が聞こえるので、「あなたたちはジャザノヴァか」ときいたら「そうだ」とのこと。さすがだ(笑)) 月曜、火曜にビルボードでライヴがあり、日曜ほんの少し前に到着してコットンにきたそうだ。僕は知らなかったのだが松尾さんによるとジャザノヴァはリオンともコラボしており、それで見に来たとのこと。情報感謝。 (リオン・ウェアにインタヴューする機会があったので、その模様は明日以降にご紹介します) ■ CDはけっこうたくさん出ています。1枚だったらこれか。むずかしいが。 夜の恋人たち posted with amazlet at 09.08.25 リオン・ウェア イーストウエスト・ジャパン (1998-03-25) 売り上げランキング: 55498 Amazon.co.jp で詳細を見る インサイド・イズ・ラヴ … Continue reading

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◎グレッグ・フィリンゲインズとリン・フィドモントとヴァレリー・ピンクストン

【Greg Phillinganes, Lynn Fiddmont & Valerie Pinkston】 チャット。 パティー・オースティン・バンドは、LAの強力メンバーを揃えている。中でも、キーボードのグレッグは、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、エリック・クラプトンと、錚々たるアーティストから請われ、さまざまなツアーやレコーディングに参加する、超売れっ子ミュージシャン。自身でもアルバムを出していて、日本にも隠れファンがけっこう多い。 グレッグには2-3度インタヴューしたことがある。最初は、マイケル・ジャクソンがソロとして初来日した1987年のバッド・ツアーのとき。そのとき、グレッグはマイケル・バンドの音楽ディレクター。ライヴ関係者をかたっぱしからインタヴューする機会があり、その一環で話をきいた。その後1991年8月に、何かでインタヴューした。原宿のスタジオに行った記憶がある。グレッグはそのことを覚えていなかったが、「ナイス・トゥ・ミート・ユー・アゲイン」という感じでいつもながら気さく。 彼に何回くらい日本に来たか勘定できるかと聞くと、「30回以上だよ。日本が大好きなんだ。最初に来たのは1981年、クインシー・ジョーンズと来た。たしかサントリー・ホールでやったライヴだ」という。確かに。彼は東京都内は、地下鉄で移動する。それだけではない。なんと、「スイカ」カードを持っているのだ。 「なに、そのスイカ・カードって?」とリンが尋ねると、グレッグが説明する。来日ミュージシャン多かれど、さすがにスイカを持っている来日ミュージシャンはなかなかいない。携帯を持っている人はいるが…。 彼に自分自身のアルバムを作る予定はないかと尋ねると、「いやあ、時間がなくてね。今はロッド・スチュワートのアルバムを作ってる。レコーディング、ツアー、レコーディング…、なかなか自分の時間をゆっくりとれないね。日本にも来なきゃならないし。(笑) いつも日本から帰るときは、『次に日本に戻ってくるのはいつだろう』って思ってるほどさ」と立て板に水状態。 「グレッグ・バンドでは来日しないの」と尋ねると、「さあ、どうだろう。お客さんはいるかな」と言う。「たぶん正しい選曲をして、よいショーをすれば、お客さんは来るんじゃないかなあ。グレッグがプレイしたヒット・レコードをプレイする、ということで、ヒット曲のオンパレードになるでしょう」 リンは、2年前の2007年、スティーヴィーが来日したとき、そのバックで来ていた。リンの元夫はウェイン・リンゼイというキーボード奏者。ウェインとは個人的に1990年代から知っていたので、たしかそのつてでリンと知り合っていたような気がする。2人でヴァージンからリンゼイというアーティスト名義でアルバムも出している。随分前に別れたみたいで、今は「エックス(ex)ハズバンド=元夫」と言う。彼女もベイビーフェイスで来たり、ちょくちょく日本には来ている。「私も地下鉄好きよ、でもスイカ・カードは知らなかったわ」 ところで奇しくも、その元夫ウェインがまったく同時期にコットン・クラブで行われるリオン・ウェアのバックで来日中なのだ。「コットンに見に行くの?」と聴くと、「自分もライヴもあるから行けないわ」と笑った。しかし、世の中は狭いものだ。 そして、そのリンに元チャプター8のヴァレリー・ピンクストンを紹介された。ちょうど、一緒に楽屋に行ったライターの金澤さんがチャプター8の話を持ち出し、2枚目以降が好きなんです、と言うとえらく受けて、「今度来年の1月にロンドンでチャプター8、リユニオン・コンサートをやるのよ」という爆弾ニュースが飛び出た。(っていうか、これを爆弾ニュースと思うか、思わないかは各個人の価値観による…。思わない人のほうが多いかもしれませんです。マイナーな話しですいません) で、メンバーはと聞くと、「マイケル・J・パウエル、コートレン・ヘイル、ヴァーノン・フォール…。あと何人か。あ、そして私」 「アニータ・ベイカーは入らないんですね」 「ノー、ノー、はいらないわ(笑) アニータの後に入ったのが、私ですから」 ヴァレリーは、なんとなく僕を見たことがあるようなことを言う。1996年のホイットニー・ヒューストンで来日している、という。じゃあ、そのときに会っているかもしれない。 しかしパティーの今日のステージは随分とスポンテニアスなショーでしたね、とふると、リンが言う。「だいたい、いつもあんな感じよ」 「セットリストから外れて突然予定にない違う曲になって、よく追いつけますね」 「スティーヴィーで鍛えられてるし…(笑)」 ちなみにグレッグのプリンス・ネタは、この日初めて見たという。 この日は客席にベース奏者ウィル・リーが遊びに来ていて、楽屋にもいた。日本の矢野顕子のバックで来日していて、ちょうどこの金曜だけオフだったようだ。 ■過去記事 February 23, 2007 Special Jam Night; Stevie Wonder’s Band: Music Is My Hobby http://blog.soulsearchin.com/archives/001605.html ■ グレッグ・フィリンゲインズ、アルバム2枚 処女航海 posted with … Continue reading

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○パティー・オースティン・ライヴ~パティーとの楽しい夕べ

(内容がでます。これからごらんになる方はご注意ください) 【Night With Patti Austin Was Fun, Fun Fun, Greg Stole The Show?】 ジュークボックス。 クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子としても知られるシンガー、パティー・オースティンの「ジャズ・セット」ではない、「ソウル系セット」(ブラック・コンテンポラリー・セット)のライヴ。バックに来日30回以上を数えるキーボード、グレッグ・フィリンゲインズ、LAファースト・コールのギタリスト、ポール・ジャクソン・ジュニア、コーラスにリン・フィドモント(ヴァージンからアルバムを出しているリンゼイの片割れ)、そして元チャプター8のヴァレリー・ピンクストンらを従えた強力バンドをバックにしたもの。 オープニング、いきなり、クインシー関連メドレーでワン・ツー・パンチを食らう。クインシー・ナイトを彷彿とさせる。それは1980年代初期の、いわゆる「ブラック・コンテンポラリー」の夜明けにフラッシュバックさせてくれた。(ブラコン=ブラック・コンテンポラリーは1982年ごろから) バンドがよいせいか、この日はずいぶんとのびのびとしたスポンテニアス(自然発生的)なステージ運びだった。特に中盤、「彼はクインシーやスティーヴィー、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソンらの音楽監督をやっていてね、そう、私のも。グレッグ・フィリンゲインズ!」といってグレッグを紹介し、グレッグが関係した曲を何曲かちょこちょことやらせた。驚いたのがマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」のバックで、彼がムーンウォークもどきをやったことだ。(笑) あまり上手ではなかったが、芸達者なグレッグが最高に受けていた。グレッグもパティーもかなりなファニーなキャラクターだ。 パティーの歌はもちろん安定しており、どれを歌っても、その場で何を歌おうか突然決めても、バックもついてきて、彼女は気持ちよく歌う。この日印象に残ったのは、「ラヴ・ウィンズ」さらに「セイ・ユー・ラヴ・ミー」など。 「セイ・ユー・ラヴ・ミー」では、途中グレッグに振り、グレッグがプリンス風の歌声で歌うという芸を披露した。それがえらくおもしろかったようで、パティーやミュージシャンは大笑いしている。この日、突然、その場で出たという。さらには、グレッグは勝手にプリンスの大ヒット「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」をやりだしてしまった。この時点で、グレッグ・スティール・ザ・ショウ、という感じだった。 そして、一息ついてパティーが言った。「素晴らしいソングライターの曲を歌おうと思います。もう誰もが2000万回(20 million times)以上歌っていると思いますが、私なりの解釈で歌います。これは、ビル・ウィザースの作品。彼は『キング・オブ・エコノミー・リリックス』(最小限の言葉で歌詞を紡ぐキング、というニュアンス)です」 こうして歌われたのがグレッグのピアノだけで始まり、歌が弾き語りっぽく始まった「リーン・オン・ミー」だった。後半バンドが入り、かなりよかった。これを歌い終えると、ひときわ大きく長い拍手が続いた。 すると客席から「愛のコリーダ!」の掛け声が。パティー。「なんですって」「愛のコリーダ!」「問題は、彼が愛のコリーダを覚えているか…」といってグレッグを指差すと、グレッグがコードを探しあて、そのまま「愛のコリーダ」を始めたのだ。もちろん、まったく予定にない、その場で起こったハプニング。 そして本編最後は、「1970年代のディスコの時代に戻りたいと思います。あの頃、誰も私を踊りに誘ってくれなくて。私はベッドではホットなんだけどね。(笑)」 と言って歌いだしたのが、なんとブレインストームというグループが放った1977年のディスコ・ヒットだった。これは珍しかった。 アンコールはデズリーの「ユー・ガッタ・ビー」。一時間半で相当楽しめたが、ふと考えると、「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」や「ベイビー・カム・トゥ・ミー」がなかった。後者は予定にはあったようだが、たまたまボツになったらしい。でも、「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」は僕はアンコールに取っておいてあるものだと思ったので、ちょっと意外だった。 それにしても、パティーが「グレッグのジュークボックス」と呼んだように、何でもできてしまうこのバンド、実に楽しい。パティーと楽しく過ごす夕べ、という感じだ。 (この項、続くかも) ■パティーの一番人気アルバム。クインシー・プロデュースでもっとも充実の1枚 Every Home Should Have One posted with amazlet at 09.08.22 Patti Austin … Continue reading

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◆ダルフール・チャリティー・ソング「タッチ・ザ・スカイ」完成

【Darfur Project Reception Party At Dutch Embassy】 完成。 先日、このブログでもお伝えした「ダルフール・プロジェクト」のチャリティー・ソング「タッチ・ザ・スカイ」が完成、2009年8月20日(木)、都内のオランダ大使館でそのお披露目パーティーがあり、ブレンダ、ケイリブらがこの曲を歌った。 ダルフール・プロジェクトとは↓ △ダルフール紛争へのチャリティー・ソング「タッチ」、ブレンダたちが集結 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10307496709.html#main ⊿「ダルフールのための歌」~レコーディング・セッション (ダルフール=パート2) http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10308169535.html#main ダルフールはアフリカ、スーダン国の西側の地域。ここで人種間紛争が起こり、何十万人とも言われる大虐殺がなされ、被害者が近隣の諸国に難民となって逃れ大きな問題となっている。このことについて、関心を高めようという映画『シング・フォー・ダルフール』(監督・ヨハン・クレイマー)が昨年発表され、その日本での配給権を取った会社が、「ウィ・アー・ザ・ワールド」的なダルフールへの賛歌を作ろうとブレンダ・ヴォーンらに声をかけて実現した。 パーティーはオランダ駐日大使のあいさつ、映画の編集ヴァージョン、また、今回の総指揮した臺プロデューサー、ゲストで来ていた女優の鈴木杏さん、世界的デザイナーのワダエミさん、映画コメンテーターのリリコさんらもあいさつ。さらに、ケイリブ・ジェームス、ブレンダ・ヴォーン、ポーラ・ジョンソン、レディーヨーらがあいさつし、この曲を生で歌った。この作品はウェッブで無料公開される。 オランダ大使館で行われたのは、監督ヨハンがオランダ人であるため。この映画を大使館もサポートする。 ニュース記事↓ YAHOO NEWS http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090821-00000003-eiga-movi 9月の映画公開にあわせ下記ウェッブでこの曲の完成ヴァージョンが無料でダウンロードできるようになります↓ SING FOR DARFUR http://www.plusheads.com/singfordarfur/ ++++ レセプション。 オランダ大使館は港区の東京タワーの近くにある。かなり大きく、見事な建物だった。フィリップ・ドゥ・ヘーア大使によると、この建物は関東大震災で崩壊した震災の2年後に立て直されたという。ライヴ後は、大使館専属のフレンチのシェフが作った料理、デザートなどが供された。 ブレンダは、この完成パーティーがことのほか感慨深かったようで、あまりの感激に歌ったあと泣き出してしまったほど。かなり力をいれて作り、しかも完成までが相当大変だったからだ。最初ブレンダがダルフールのことを聞いたのは、昨年(2008年)11月のこと。それから企画が動き出し、曲を書き、歌うメンバーを集め、7月末にレコーディングをし、ミックスし完成させた。ミックスをしたのは、ブレンダの昔からの友人コン・ファンク・シャンのフェルトン・パイレートだ。 立食のディナー・タイムになってブレンダもずいぶんと落ち着いたようだが、芝生の庭ではバーベキューがなされ、ブレンダはハイヒールがずぼずぼと芝生に刺さってしまうので、靴を脱いで裸足で歩いていた。終盤になると、ブレンダやケイリブらもすっかりリラックスした様子で、食事が残っていると、「私は明日の昼までここにいてもいいわ。ブレックファーストもここで食べるわ」と上機嫌。さらに、ケイリブは「すばらしい、料理だ。ドギーバッグで持ち帰るか?」とジョークを飛ばす。ブレンダ。「『テイクアウト』って、ここではどういったらいいんでしょう(笑)」 さて、完成したヴァージョンの歌詞があり、「日本語に訳して欲しい」と頼まれたので、さっそくやってみた。前回ご紹介したものと少しだけ変わっているので、完成ヴァージョンの英語詞とその訳詞をご紹介する。(日本語のニュアンスの違いなどありましたら、ご連絡ください。変更も可です) 「タッチ・ザ・スカイ」 (訳詞・ソウルサーチャー) 私たちが学ぶこと、それはすべて母のために 私たちが学ぶこと、それはすべて父のために 私たちの家が焼き尽くされたことからさえも、私たちは学びます 私たちの村が茫漠たる地にされても、そこから私たちは学びます 私たちが学ぶこと、それはすべて姉妹たちのために 私たちが学ぶこと、それはすべて兄弟たちのために … Continue reading

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●マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート6)

【マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート6)】 月刊誌。 これは月刊誌、BMR(ブラック・ミュージック・レヴュー)のマイケル追悼本。 ■ BMR2009年9月号 (743円+税=780円) bmr (ビーエムアール) 2009年 09月号 [雑誌] posted with amazlet at 09.08.19 ブルース・インターアクションズ Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評)全128ページ中、冒頭の48ページまでがマイケル特集。3分の1以上がマイケルの記事。定期刊行物だけに、一冊まるごと追悼とはならなかった。レコードとビデオの紹介が詳しい。しかし、やはり、本人のインタヴューなどがないと物足りない。月刊誌のなかでやる分には限界か。 お勧め度=★★☆  +++++ 原点。 これは追悼本ではないが、マイケルを知る時に、絶対に読んでおきたい一冊ということでご紹介。1988年、マイケル本人が語りおろした自伝。マイケルのすべてが、マイケルの原点がここにある。なかなか入手しづらいが、図書館などで読める場合には、ぜひ。 ◆ムーンウォーク (1988年)発売時・定価1800円 ムーンウォーク posted with amazlet at 09.08.19 マイケル ジャクソン CBS・ソニー出版 売り上げランキング: 140209 Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評) マイケル・ジャクソンが自ら語った自伝。マイケルを知る上で、絶対的な一冊。彼の考え方がよくわかる。 お勧め度=★★★★★ お勧め度を5段階で評価。 … Continue reading

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●マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート5)

●マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート5) 【マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート5)】 4キロ。 先日マイケル関連本を再度買ったはいいが、とても読みきれない。ざっと4キロ超、指が切れてしまいそう。自分で書く原稿のために読まなければならないものがたくさんあるのに、追悼本を読んでいると、時間がいくらあっても足りない。とりあえず、日本語のものを先に。 ■who’s BAD? マイケル・ジャクソン 1958-2009(シンコー・ミュージックMOOK) 800円+税 who’s BAD? マイケル・ジャクソン 1958-2009(シンコー・ミュージックMOOK) posted with amazlet at 09.08.19 THE DIG編集部 シンコーミュージック・エンタテイメント 売り上げランキング: 62 Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評)B5版100ページ、全頁マイケルで埋め尽くされた。発売元シンコー・ミュージックということで、まずは音楽を中心に紹介。安心して読めるお勧めの一冊。1980年から1983年くらいまでのインタヴュー記事、1987年のバッド・ツアー、さらに以後のツアーの記事など復刻記事を中心に、ディスコグラフィーなどを掲載。 1981年に行われたシルヴィー・シモンズのインタヴューは本邦初公開とのこと。なかなか興味深かった。「宗教はありますか」との問いに、エホバの証人のことは答えていない。 またマイケルがマスコミ嫌いになった有名なエピソードがしっかり書かれている。それは、(マイケルの発言)「一度、飢餓について関心を持っていると発言したことがある。僕は子供たちが大好きだから、いつか何とかしてあげたいと思っている。いつかインドに行って飢餓状態にある子供たちに会いたい、自分の目で現状を確かめたいって話をしたんだ。ところがそれが記事になったら、『マイケルは飢えた人たちを見るのが何よりの楽しみだそうだ、彼はそういう人間なんだ』って書かれたんだよ」という事件だ。 僕は、この同じエピソードを1984年10月にジャネット・ジャクソンにインタヴューしたときに聞いた。それは、「なぜマイケルは1982年頃からインタヴューを拒絶するようになったのか」という質問への答えだった。ここに掲載されているインタヴューが1981年のものであるなら、その頃、もしくはそれ以前のどこかのメディアとのインタヴューでそういうやりとりがあったのだろう。 マイケルの対メディアとの戦争の出発点がここに記されているといってもいい。そして、その戦争はマイケルを二十数年後に死に追いやっていく。(一言評じゃないですねえ。(笑)) お勧め度=★★★★ お勧め度を5段階で評価。 ★★★★★=お勧め。大変よい。 ★★★★=買って損なし。お勧め。  ★★★=まあまあ。値段による。 ★★=う~~ん、微妙。  ★ =マイケルものを全部集める人だけ買えばよろしい。 ENT>MICHAEL JACKSON>Book & … Continue reading

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⊿吉田治さん、ビッグ・バンドを語る

⊿吉田治さん、ビッグ・バンドを語る 【「バトル・ジャズ・ビッグ・バンド」リーダー吉田治さん語る】 年一。 「バトル・ジャズ・ビッグ・バンド」というグループのリーダーで、サックス奏者、コンポーザー、アレンジャーである吉田治さんが2009年8月16日、『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」に生ゲストでいらした。 ビッグ・バンドや、ジャズなどは僕にとっては、「アウェイ」(得意の「ホーム」に対して苦手の「アウェイ」)なので、ゲストが来ていただけると、いろんなお話を直接聴けるので、実にありがたい。(笑) 吉田さんはBMG/ソニーから出たバトル・ジャズ・ビッグ・バンドというアーティストのリーダー。このバンドは、有名なビッグ・バンド曲を、超高速のパフォーマンスによってカヴァーしようというもの。元々は、海外の音源からそうした楽曲を集めたコンピレーションが2枚でて、好評を集め、3枚目を作るときにそろそろネタもなくなってきたので、日本で作ってしまおうということで吉田さんが有志を集めて結成したグループだ。 本番前に、いろいろお話を聞いたが、その中で最近ビッグ・バンド自体がちょっとしたブームになっている、という話しに興味を持った。 担当のBMG(今や、ソニー・ミュージックの一部)ディレクター、生見(あざみ)さんによると、今ではどこでもほとんどの町に最低ひとつのバンドがあり、常にメンバー募集がなされている、という。吹奏楽から発展して、ビッグ・バンドを結成し、年に1度でも演奏するために集まり練習するそうだ。そういうアマチュアの人口が多く、ジャズ喫茶のコミュニティーや、そうしたビッグ・バンドのコミュニティーが出来上がっているので、ビッグ・バンドはちょっとしたブームになっている。 そんな中、大学生の選手権ともなった山野楽器主催の「ヤマノ・ビッグ・バンド・ジャズ・コンテスト」は今年で40回を数え、そうしたビッグ・バンド・ブームに大きな力となっているという。 吉田さんの「バトル・ジャズ・ビッグ・バンド」というグループは、難しい曲をいわゆる「高速プレイ」で演奏する。難しいフレーズをみんな揃って、練習し、それが出来た時にはかなりの達成感がある、という。 吉田さんは言う。「オリンピックも、マジックもそうですが、人ができないような難しいことができて、人をどれだけ驚かせられるか、っていうところがあると思う。この『高速』(のテクニック)は、こうしたビッグ・バンドを志す人のあこがれみたいなものになってるのではないでしょうか」  このレコーディングのためには、大体一月くらい前に、メンバーに楽譜を渡し、みなそれぞれ自主練習してきて、リハーサル1日、本番2日で録る。「大変なレコーディングであることは間違いありません。でもだいたいテイク2(2番目に録音したもの)かテイク3までです。だいたいテイク1(最初に録音したもの)が一番いいんですよね」 「高速ビッグ・バンド」という名称は、以前はミュージシャンたちの間では「ぶっぱや」(めちゃくちゃ速い)と呼ばれていたものが、徐々に「高速」「超高速」などと呼ばれるようになったそうだ。 先週、目黒・ブルース・アレイで行われた16人のこのバンドによるライヴは大盛況だったそうだ。しかも観客層は6:4で女性が若干多かったとのこと。 これらの吉田さんのバトル・ジャズ・ビッグ・バンドのアルバムは前作が5000枚近く売れているという。 ところで生本番に入る前に、こんな事前取材を淡々と行っていたのだが、いざ 生放送に入ると、僕のテンションが高かったらしく、「このテンションの違いに驚きました」と吉田さんに言われた。そんなに違ったかなあ…。(笑)  吉田さんは、紙媒体の取材はたくさん受けてきたが、プロモーションでラジオは初登場だったそうだ。ありがとうございます。また、来年、新譜とともにいらしてください。 「吉田治で検索すると、今度選挙に出る政治家の人がトップに出てくるんですよね。昔は、僕のバンドがトップだったんですけど」と吉田さんは笑った。 これで「山野ミュージック・ジャム」年一レギュラー、二人目が決まりだ。(笑)(ちなみに、最初は、カルロス菅野さん) それから年一レギュラーのDJもいます。大西くん。「ソウル・ブレンズ」は、このところ、「年一ばやり」だ。 ■ バトル・ジャズ・ビッグ・バンド2 バトル・ジャズ-ビッグバンド・アルティメット高速チューン2 posted with amazlet at 09.08.19 オムニバス クインシー・ジョーンズ・アンド・ヒズ・オーケストラ BMG JAPAN Inc.(BMG)(M) (2007-09-05) 売り上げランキング: 2032 Amazon.co.jp で詳細を見る ENT>ARTIST>Yoshida, Osamu

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△木下航志、ニューヨークで武者修行

【木下航志、国連で歌う】 国連。 「ソウル・サーチン」でいつもソウルフルな歌声を聴かせてくれる木下航志(きした・こうし)くんが、先日ニューヨークに行き、国連で歌ったり、いくつかのライヴ・ハウスなどに出向き、飛び入りで歌ったりしてきた。 今回のニューヨーク行きは、国連「ユース・アセンブリー」のオープニングで歌うため。「ユース・アセンブリー」は全世界から約600人の若者を集め、次代を担うリーダーを育てる勉強会。2009年8月5日(水)から8日(金)まで3日間にわたって行われた。 航志くんは、オープニングの8月5日午前、国連の会議場でピアノで「スマイル」を歌い大喝采を集めた。これは、世界中に「スマイル」が広まれば平和になる、ということと、マイケル・ジャクソンへのトリビュートの意味を込めてのものだった。そして、これが大好評だったため、急遽、最終日のクロージングでも歌って欲しいと言われ、8月8日、アカペラでゴスペルの名曲「ヒズ・アイズ・オン・ザ・スパロウ」を歌った。 このニューヨーク滞在中、航志くんはいくつかのライヴ・ハウスに出向いた。そのうちのひとつに「シュガー・バー」があった。あのソングライター・チーム、アシュフォード&シンプソンが経営するソウルのライヴも見せるレストラン・バーだ。プロを目指すシンガーたちが、ここのオープン・マイクを競うが、航志くんも1曲歌ってきた。歌った曲が、「ホワッツ・ゴーイング・オン」で、ここでも満員の黒人の観客から大喝采を集めた、という。 さて、そんな航志くん、2009年8月14日(金)渋谷のライヴ・ハウス、デュオで4アーティストが出るちょっとしたショー・ケース・イヴェントに出演、キーボードの弾き語りで6曲ほど歌った。 オープニングで「A列車で行こう」あたりをいれこむところなど、ニューヨーク帰りの影響か。ちょうどまだ彼は時差ぼけだったとか。 今回の航志くんのマイケル・ジャクソン・トリビュートは、「アイル・ビー・ゼア」、初めて聞いたが、堂々とした歌声を聞かせた。 木下航志くんは2009年9月5日、目黒・ブルース・アレイで「ドゥ・ザ・ソウル VOL.6」を行う。 ■ DVD 2007年夏、品川教会で行われたライヴの模様を収めたDVD (2008年1月発売)(バックにソウル・サーチャーズのメンバーも参加しています) 木下航志 18歳の夏!ソウルを求めて ~2007.08.29 Live at Christ SHINAGAWA Church~ [DVD] posted with amazlet at 09.08.17 よしもとアール・アンド・シー (2008-01-16) 売り上げランキング: 24007 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ 書籍 『voice とどけ、ぼくの声』(小学館) (航志くんが語りおろしたものを書籍にしたもの)(2007年3月発売) voice とどけ、ぼくの声 posted with amazlet … Continue reading

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☆マイケル・ジャクソン・ロンドン用リハーサル模様、映画公開へ

☆マイケル・ジャクソン・ロンドン用リハーサル模様、映画公開へ 【『ディス・イズ・イット』が10月末から映画で公開】 公開。 マイケル・ジャクソンが2009年7月から行う予定だったロンドンでの『ディス・イズ・イット』ツアー用リハーサルの模様を記録していた膨大な映像が編集され、ドキュメンタリー映画作品として2009年10月30日から全世界で公開される。映画のタイトルも『ディス・イズ・イット』。日本ではソニー・ピクチャーズの配給で10月30日から2週間限定で公開の予定。2009年8月10日、ロスアンジェルスで発表された。 制作・配給に関しては、ソニー・ピクチャーズ、制作スタジオ「ロルフ・シュミット・ホルツ」、ソニー・ミュージック・エンタテインメント、コロンビア・エピック・グループ・レーベル(ソニー・ミュージック・エンタテインメント傘下)、「ジ・エステート・オブ・マイケル・ジャクソン(マイケル・ジャクソン遺産)」が強力なタグを組み、この映画から生まれる収益は「マイケル・ジャクソン遺産(ジ・エステート・オブ・マイケル・ジャクソン)」に寄付される。 映像の権利自体は今回のライヴを仕切っていた「AEGライヴ」と「マイケル・ジャクソン遺産」が所有しているが、そこからソニー・グループが権利を借り受け、編集、配給する。 映像のほとんどは、2009年6月にロスアンジェルスのステイプルズ・センターで行われていたリハーサルの模様になる。 「マイケル・ジャクソン遺産」の管理を任されているのはマイケルの長年の弁護士ジョン・ブランカと、やはり、マイケルらジャクソン家と長年の友人でもあるレコード・エグゼクティヴ、ジョン・マクレイン。ブランカによれば、「我々のゴールは、パートナーたちと手を組み、マイケルのレガシーを尊厳と尊敬を持って仕事をすることだ。本質的な価値をそこに生み出せば、それが、ミセス・キャサリン・ジャクソン、マイケルの3人の子供たち、さらにチャリティー関連グループに有益になる。それがマイケルが生きている間、大きな意味があることだったからだ」という。 ジョン・マクレインは言う。「このフィルムは、ステージにおけるあらゆる興奮の瞬間を生み出したアーティスト(マイケルのこと)にトリビュートするだけでなく、人々をエンタテインすることに生涯をかけたマイケルを愛する世界中の無数のファンへの最高の贈り物だ。ジョンと私はソニーと手を組み、それ(お金)を必要とする子供たちやジャクソン家に多くの利益がもたらされることで、マイケルの音楽的伝説の形成に寄与できることに興奮している」 マイケル・リントン(ソニー・ピクチャーズCEO)は「この映像を見た者は誰しもマイケル・ジャクソンのパフォーマンスのずば抜けたクオリティーに驚嘆している。この作品は、彼の最後となった歴史的レコーディングであり、歌とダンスによって、伝説的アーティストを、綺麗な映像といいサウンドで素晴らしく力強く映し出している」と言う。 ロブ・ストリンガー(コロンビア/エピック・グループ)は、「マイケルはその楽曲の中に生きている。彼のクリエイティヴな天才性、アートへの情熱、仕事、すべてがだ。彼はステージ上では完璧主義者であり、この映画を通じて、オーディエンスは、多くは初めて目にするものだが、いかにマイケルがこのパフォーマンスを完璧にするために心血を注いだかわかると思う」と言う。 ライヴの参加ミュージシャンは、たぶん、一部の関係者はわかっていると思うが、まだ全貌は一般には公開されていない。7月7日に行われた追悼式で「ウィ・アー・ザ・ワールド」を歌ったメンバーの中にロンドン・チームが含まれている。リードを歌った日系の女性シンガーは、ジュディス・ヒル、ほかにドリアン・ホリーなどもいるようだ。(現在鋭意調査中) このジュディス・ヒルは、ルーファスで来日したキーボード奏者ミチコ・ヒルとベースのロバート・ヒルの娘さん。ロンドンではマイケルとデュエット曲を歌うことになっていた。 ◎ マイケル・ジャクソン関連の記事をひとつのテーマにして分類しました。 http://ameblo.jp/soulsearchin/theme-10014963447.html 「マイケル・ジャクソン追悼関連本、どれを読むべきか(パート5)」も、しばしお待ちを。 ■ CD,エッセンシャル エッセンシャル・マイケル・ジャクソン posted with amazlet at 09.08.16 マイケル・ジャクソン Sony Music Direct (2005-08-24) 売り上げランキング: 135 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ DVD ライヴ・イン・ブカレスト ライヴ・イン・ブカレスト [DVD] posted with … Continue reading

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◎ロバート・ブルッキンズ、46歳で死去

◎【ロバート・ブルッキンズ、46歳で死去】 訃報。 ロスアンジェルスを本拠に多くのR&B系アーティストのバックをつけたり、プロデュース活動をしていたマルチ・ミュージシャン、プロデューサー、ロバート・ブルッキンズが2009年4月15日に心臓発作で亡くなっていたことがわかった。46歳だった。 ロバート・フランクリン・ブルッキンズ・ジュニアは1962年10月7日、カリフォルニア州サクラメントに9人兄弟のうち6番目として生まれた。父はアメリカ空軍のエンジニア。母は主婦で子供たちを育てていた。しかし、母と兄トミーは、1970年のクリスマスに交通事故で死去。4歳の頃から歌い始め、5歳でドラムス、9歳でキーボードをプレイするようになり、その後ギター、ベース、ホーン楽器などもマスターした。 1974年、若干11歳か12歳でロバートは「リトル・ロバート&ザ・フォンデルズ」という9人組グループでモータウンのオーディション「ソウル・サーチ」に入賞。いくつかのテレビ番組に出演した。その後1981年、彼の兄マイケル・ブルッキンズ(ギター)とともにアフターバック(Afterback)を結成。このグループは、モーリス・ホワイトの持つARCレコードと契約し、モーリスがエグゼクティヴ・プロデューサー、ヴァーディン・ホワイトとビロイド・テイラーがプロデュースするデビュー・アルバムでは「マティニー」という曲でリード・ヴォーカルも披露した。 これを機にロスアンジェルス近辺の音楽シーンで頭角を現した。1983年にはジョージ・デュークのグループで来日。1986年、ジョージ・デュークの作品でも歌ったりしている。その後、MCAとソロ契約を結んだ。デビュー作『イン・ザ・ナイト』では、ステファニー・ミルズとのデュエットも録音。1988年、2作目『レット・イット・ビー・ミー』をリリース。その後、1999年から2008年までアースの音楽ディレクターにもなった。 また、ソングライターとしてもレディングス、ジャッキー・ジャクソン、ジェフリー・オズボーン(「シーズ・オン・ザ・レフト」がブラックで1位)、ステファニー・ミルズなどにも多数の楽曲を提供していた。 葬儀は兄弟7人と父親が中心となり、行われた。 ■ 地元紙の記事↓ (2009年4月22日水曜・付け記事) http://www.sacbee.com/300/story/1799331.html ++++ ロバートの逝去は、ブレンダ・ヴォーンから知った。彼女が、下記のロバートの追悼会の情報を持っていたのだ。Night of Remembranceって、まさか、死んだの? と思い、いろいろ調べたら、4月に亡くなっていたことがわかった。そのときは、情報は入手できていなかった。日本ではほとんどこの死去は伝わっていないと思うので、4ヶ月も経ってしまったが、今日、遅ればせながら訃報記事を書いた。1980年代のブラック・ミュージック・シーンにとっても重要な人物のひとりだ。 ロバート・ブルッキンズは何度か来日している。2000年9月、2001年11月のアースの来日時にもキーボード、ヴォーカルで参加。このときはモーリス・ホワイトが来日していなかったため、「ラヴズ・ホリデイ」などを歌った。2006年のアースには来ていない。また、1983年にはジョージ・デュークのツアーでも来日(おそらく初来日)、このときの模様は『ライヴ・アット・渋谷パブリック・ホール(公会堂)、東京ジャパン1983』としてDVD化されている。もっと他でも来ていると思うが、サイドマンでの来日だとなかなかすべてを把握できない。 ご冥福をお祈りしたい。 ■ Night of Remembrance “Robert Brookins” at Center Court ロバート・ブルッキンズを偲ぶ会~Night of Remembrance “Robert Brookins” at Center Court 2009年9月6日日曜 午後9時~午前2時 カリフォルニア州サクラメント市 センター・コート「C-Webs House」 3600 N Freeway Blvd, … Continue reading

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○マルは髪の毛を切り、心機一転成長してJZに登場

○【マルは髪の毛を切り、心機一転成長してJZに登場】 ヘアカット。 これまでにも何度もライヴを見てきた「日本のジル・スコット」、マルの1年半ぶりの完全ワンマン・ライヴ。最近はイヴェント形式で、何組かのアーティストとマルというスタイルでやってきていて、コンスタントに活動は続けているが、マルだけでライヴをやるのは本当に久々とのこと。何回か、そのイヴェントにスケジュールがあわず行けなかったが、久々に渋谷ジェイジー・ブラットに。僕自身が見たのが2007年11月のブルース・アレイ以来。かなり間があいた。 この日は『キャデラック・レコード』の試写を見てから向かったので、ライヴ自体はセカンドの途中からになってしまったが、入るなり、超満員のお客さんに度肝を抜かれた。通路がほとんど埋まっている。席数70ほどのジェイジーに120くらいははいっていたのではないだろうか。いつのまにか着実にファンを増やしているようだ。その立ち見の人たちを掻き分け中に入っていくと、な、な、なんとマルがトレードマークのアフロ、というか、大きなパーマをばっさり切って、ストレート・ヘアにしているではないか。 バックは、ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス2人という布陣。なんとキーボードはポチ(ジュジュ・ツアーで忙しい)から、若手のホープ、学史になっていた。 マルの歌声は相変わらず力強く、ソウルフルだが、この日はオリジナルが多かったせいかジル・ジョーンズ臭はなく、どちらかというと、ミーシャのようなJポップ・シンガーという感じがした。それにしても、迫力あり、うまい。 一番響いたのは、初めて聴いた「ビューティフル・ライフ」というバラード。途中でマルは感極まって、一部泣いてしまったが、曲の歌詞と実際の人生に重なる部分があったのだろう。アーティストや歌手というのは、大きな心の痛手を受けたりすると、いい作品やいいパフォーマンスを生み出すことができるのだ。極論すれば、マイケル・ジャクソンなんてあれだけ、苦しい人生を歩んだがゆえにあれほどの素晴らしい功績を残したとも言える。 ■マル過去関連記事 November 08, 2007 Maru First Full Show At Blues Alley: With Surprise Guest 【マル、ブルース・アレイ・デビュー】 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200711/2007_11_08.html September 13, 2007 Maru Will Write New Song With Each Live http://blog.soulsearchin.com/archives/002023.html (前回ライヴ評) May 15, 2007 Maru … Continue reading

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■ニック岡井バースデイ・ナイト、ダンステリアで9月29日に開催

■【ニック岡井バースデイ・ナイト、ダンステリアで9月29日に開催】 バースデイ。 2007年11月11日、60歳の若さで急死したダンス・クリエイター、ニック岡井さんの誕生日を祝ってイヴェントが行われる。会場は、ニックが最後までDJをしていた白金ダンステリア。日時は2009年9月29日、ニックの62歳の誕生日だ。 DJは、ミラクル川畑、つるがや、まさこ、ソウル・ナッツのケイコ、ダンステリアの有輝。ライヴがショウダイ。 ニックの誕生日イヴェントは2007年まで毎年9月29日に行われてきた。ニックがDJをし、友人たちがニックを祝ったが、2007年の急逝のあと、2008年は行われなかった。そこでまたこの定例の誕生会を復活させようということになった。 ニックの奥さん、佐和子さんはフライアーの中で「私とニックさんが初めて出会った場所、そしてニックさんがDJ人生の中で、もっとも長い時間を過ごしたダンステリアで、皆さんと一緒にニックさんのお誕生日をお祝いできるなんて、嬉しすぎです!」と言葉を寄せている。 「楽しいことが好きなニックなので、命日にやるのではなく、誕生日を祝うというところがポイントです」と佐和子さんは言う。 ■ ニック岡井バースデイ・ナイト 日時 2009年9月29日(火曜)18時~24時 料金 3000円(2ドリンク) 会場 白金ダンステリア 〒108-0072 東京都港区白金1-29-13 白金ビレッジB1 電話03-3444-0097 DJ Kawabata(Miracle), Tsurugaya, Masako, K-co (Soul Nuts), 有輝 ライヴ ショウダイ ■ニック岡井過去関連記事 (やはり、ニックについてはかなり書いています。葬儀の模様は読み返すと泣けてきます…) November 12, 2007 Nick Okai Dies At 60 【ダンス・クリエイター、ニック岡井氏60歳で死去】 http://blog.soulsearchin.com/archives/002142.html November 13, 2007 Nick Okai Tribute: “My Girl” … Continue reading

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◆(速報)ギターの神様、レス・ポール94歳で死去

(速報)ギターの神様、レス・ポール94歳で死去 訃報。 ギタリストであり、エレキ・ギター「レス・ポール」の生みの親、レス・ポールが2009年8月13日、ニューヨークの病院で肺炎で死去した。94歳だった。音楽史に残る歴史的人物のひとり。 レス・ポールは、本名、レスター・ウィリアム・ポルファス、1915年(大正4年)6月9日、ウィスコンシン州ワカシャー生まれ。子供の頃からハーモニカ、ギターを弾き始める。10代後半からプロとして活動、1930年代後期までにニューヨークに移住。ラジオ番組でもプレイするようになった。1941年、新しいエレキ・ギター「ザ・ログ」を開発。これが現代の固いボディーのエレキ・ギターの原型となった。 また、レス・ポールは単なるギター開発だけでなく、オーヴァーダビング、ディレイ(音をずらして録音する技術、エコーのように聞こえる)、テープ・ディレイ、多重録音などの技術も開発。そうした技術開発とともに、ギターの弾き方にも新しい手法を生み出し、後のブルーズ、ソウル、そして、ロックン・ロールのギタリスト、音楽サウンド全体に多大な影響を及ぼした。 1951年、妻であるメリー・フォードとのデュエット「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」が全米1位に。この頃、すでに多重録音という技術も開発していた。さらに翌1952年一度は断られたギブソン社からポールが開発したギター「レス・ポール・ゴールドトップ」が発売された。その後も「ブラック・ビューティー」「カスタム」「ジュニア」など次々とギター・モデルを発表。 また、アーティストとして、1976年、チェット・アトキンスと録音した「チェスター&レスター」でグラミー賞を獲得。 2007年ドキュメンタリー映画『レス・ポールの伝説』で、彼の生涯が描かれた。 彼は3人の息子、1人の娘、5人の孫、5人のひ孫らによって送られる。 ■ チェット・アトキンス&レス・ポール チェット・アトキンス&レス・ポール posted with amazlet at 09.08.14 チェット・アトキンス&レス・ポール レス・ポール チェット・アトキンス BMGビクター (1995-08-23) 売り上げランキング: 36196 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ DVD レス・ポールの伝説 コレクターズ・エディション [DVD] posted with amazlet at 09.08.14 ポニーキャニオン (2008-12-17) 売り上げランキング: 3030 … Continue reading

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●日比谷シティー「ダンス・クラシック2009」盛大に行われる

●【日比谷シティー「ダンス・クラシック2009」盛大に行われる】 谷間。 ビルの谷間が巨大ディスコに~~。今年で5回目を迎える日比谷シティーで行われている「ダンス・クラシック2009」のイヴェントが2009年8月12日(水曜)、日比谷シティー・ビルの屋外コート(約370坪)で行われ、千人近くの観客が集まり、夏の夜の野外ディスコを楽しんだ。売店も立ち並び、ステージではDJがダンス・クラシックを流す。観客層は種種雑多。 会場は、ちょうどビルの谷間の広場で、1階レベルから見ると、ダンス・フロアを見下ろす形になる。そこで上から、近くのサラリーマンたちがものめずらしそうに眺める姿も。入場は無料なので、誰でも立ち寄れる。今回は、全国ソウルバーの総帥、ミラクル川畑氏が音頭を取り、全国ソウルバーに声をかけて協力した。さすがにソウルバー関係者が多数来場している。 すごい観客数にびっくり 昨年までは2日間にわたって行われていたが、今年からは予算縮小で1日に。逆に1日になったことで、1回のイヴェントに集まった観客数は多くなったという。 マイケル鶴岡のダンス・レッスンの後、セルジオ・ムトウのジェームス・ブラウン・ショーがカラオケであり、観客を沸かせていた。ちょうどその頃、会場に着いた。大音量のライヴと、ダンス・クラシックのレコード。ビルの谷間のディスコティック。 「このイヴェントに来るとニックさんのことを思い出すんですよねえ」とニックさんビデオ(DVD)を出したカラーテックの風間さん。ニックは毎年ここでDJをやっていた。そして、カラーテック松澤さんには、マーヴィン・ゲイの自伝『マーヴィン・ゲイ物語』を販売していただいた。そのコーナーには、もちろんニックのDVD、江守さんの本も。司会の月忠・藤本さんがMCで「本、ご購入の方はサインします」と宣伝していただき、3冊ほど売れた。(笑) ありがとうございます。川畑さんに本を持って写真を撮らせてもらおうとしたら、「うちにも置いてよ」と言われ納品することになった。ありがとうございます。 □ その様子は「マーヴィン・ゲイ物語」ブログに掲載します http://ameblo.jp/divided-soul/ しかし、これだけ集客があるのだから、イヴェントとして来年も続けて欲しいと思う。ラストを飾ったDJは、まいどおなじみアトム。 まだあんまりよっぱらってなかったアトム。 イヴェントは10時まで。ラスト・ソングがかかった後、音が止まり、パーティーが終わった。その頃には、ビルの谷間に吹く風が涼しくなっていた。 最後の盛り上がり アフター・ザ・ダンス、撤収は早い… マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル (P‐Vine BOOKs) posted with amazlet at 09.08.13 デイヴィッド・リッツ ブルース・インターアクションズ 売り上げランキング: 42584 Amazon.co.jp で詳細を見る ENT>EVENT>Hibiya City Dance Classic 2009

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⊿「キング・オブ・ニュー・ジャック・スウィング」~ガイ・エネルギー炸裂

(ライヴ内容でます。これからごらんになる方はご注意ください) 【ガイは「リメンバー・ザ・タイム」でマイケルに捧げる】 炸裂。 1988年から1990年頃にかけて全米のブラック・ミュージック・シーンを席巻した跳ねるリズムが特徴のいわゆる「ニュー・ジャック・スウィング」。その生みの親テディー・ライリーは、当時一躍「時代の寵児(ちょうじ)」となったが、そのテディーのグループ、ガイ(Guy)が久しぶりに来日。ガイとしての初来日は1989年10月なので、初来日からちょうど20周年でもある。テディー・ライリー自身の来日は2007年9月、2009年2月のブラックストリート以来。 バンドはキーボード3人、ドラムス、DJ、コーラス3人のバックにガイ3人。うち、テディーは4人目のキーボード奏者ともなる。例によってギター、ベースがいない。 オープニングからいきなり、1階席半分くらいスタンディングとなり、2-3曲進むころには総立ちの様相を呈した。黄色のスーツに黒のシャツ。最初から飛ばす飛ばす。ハイエナジーなリズム、「ニュー・ジャック・スウィング」全開だ。まさに「キング・オブ・ニュー・ジャック・スウィング」、面目躍如。 帽子を被ったテディーは、キーボードも弾きながら煽る煽る。徐々に、ダミアン、アーロンと上着を脱ぎ、アーロンはまもなく上半身裸になった。さらに11曲目あたりからは、アーロンは客席に降り、ファンにもみくちゃにされながら、客席を一周。2階席のテーブルの上に上り、そこで歌った。あそこで歌った歌手は初めて見た。まさにビルボード・ライヴを占拠した感じだ。 アーロン・ホール、2階テーブル席をステージにしてしまった男だ。あの甲高い声が印象的。そしてなによりけっこう細いので驚く。すぐに上半身を脱いだりするあたり、ケイシー&ジョジョを思わせる。 アンコールは、まさに「ニュー・ジャック・スウィング・メドレー」だ。そしてその4曲目に入る前にテディーは言った。「最高のエンタテイナーであり、最高の男だった人物。そして僕のベスト・フレンド。彼はかつても最高だった、今も最高、そして、将来も最高だ。(He was the best, he is the best, he will be the best) ピース・サインを彼に~。1-2-3 マイケル・ジャクソン!」 (ちなみにこの曲の途中にマイケルのかっこうをしたダンサーが登場したが、いまひとつだった。どうせいれるなら、ここはやはり、MJ-Spirit (blue-tree)くらい上手なダンサーをいれたい。これは急にテディーらにマイケルそっくりを集めてくれって頼まれたのかな。言ってくれれば、いつでも紹介します(笑))そして、テディーがプロデュースしたマイケル・ジャクソンの「リメンバー・ザ・タイム」。 真夏を真夏以上に熱くした男たち、ガイ3人組。満足度のひじょうに高いライヴだった。 ライヴ後テディーに「20年以上前に、日本人で一番最初にあなたにインタヴューした音楽ジャーナリストです」と言うと、えらく喜んで「何でも言ってくれ、何でもする」、「俺のカメラで一緒に写真を撮ろう」とスタッフに指示し、写真を撮られた。ので、僕も撮った。歓待ぶりにカンゲキ。会場にはものすごいサイン待ちのファンの列ができていた。 帰って調べてみると、テディーにインタヴューしたのは1988年7月25日、このときはニューヨークでジーン・グリフィンの話も聞いた。この時点ではまだガイのファーストは日本発売されていなかった。ジョニー・ケンプ、キース・スウェットがでていて、そこで注目し彼にインタヴューをオファーして実現したものだ。その後、1989年5月30日に、これはロスで。そして1989年10月14日、ガイ初来日のとき、全員。それでも20年も前。光陰矢のごとし。 (ガイのライヴは8月12日最終) ■ 過去テディー・ライリー関連記事 September 29, 2007 Teddy Riley’s Jam @ Billboard Live http://blog.soulsearchin.com/archives/2007_09_29.html ■ ガイ~いつのまにかベスト・アルバムが … Continue reading

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△ビヨンセが映画『キャデラック・レコード』で歌う3曲

△ビヨンセが映画『キャデラック・レコード』で歌う3曲 【『キャデラック・レコード』、8月15日から公開】 実生活。 シカゴのチェス・レコードを舞台にしたその創始者のひとり、レナード・チェスと、チェス所属のブルーズ・アーティストたち、マディー・ウォーターズ、リトル・ウォルター、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、そして、エタ・ジェームズ(エタ・ジェイムス)らの悲喜こもごものストーリーを描いた映画『キャデラック・レコード』。その一般試写会が2009年8月10日(月)、日比谷の東商ホールで行われた。いよいよ、この『キャデラック・レコード』が今週土曜日(2009年8月15日)から恵比寿ガーデン・シネマなどで公開される。ちょうど、サマソニ出演のため来日中のビヨンセが立ち寄るか、などという可能性もなくはなかったが、現れなかった。 映画についての評はすでに2009年6月9日付けソウル・サーチン・ブログに書いたので、そちらを参照されたい。 http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10277116605.html http://32970.diarynote.jp/?day=20090609 ところで、ここではビヨンセが映画『キャデラック・レコード』で歌う3曲についてちょっと紹介してみたい。 その3曲とは、「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」、「オール・アイ・クド・ドゥ・ワズ・クライ」、「アット・ラスト」だ。いすれも、エタ・ジェームズのヒット、持ち歌としても知られる。 「オール・アイ・クド・ドゥ・ワズ・クライ」はエタ本人の1960年5月からヒットし、ソウル・チャートで2位、ポップで33位を記録した作品。これはモータウンのソングライター、ビリー・デイヴィスとモータウン創始者ベリー・ゴーディーらが書いたもので、レナード・チェスと彼らは仲がよかったので、エタにこの曲を歌うように勧めた、という。チェスは、この頃、三角関係の曲、不倫の曲をエタが歌うといいというアイデアを持っていて、この曲に出会って、どんぴしゃだと感じた。エタが好きな男が他の女の元に行ってしまい、自分は泣くだけだ、というストーリーだ。 エタはこのころ、ドゥー・ワップ・グループ、ムーングロウズのベース・ヴォーカルでリーダーのハーヴィー・フークワとつきあっており、チェスは、エタとハーヴィーのデュオ・シングルも出している。だがこのハーヴィーは後にモータウン創始者ベリー・ゴーディーの姉、グエン・ゴーディーと親しくなり、結婚。エタを振る。後にエタがこの曲を歌うときには、そんな実生活のことも重なって重さを見せるようになった。 そして、それに続いて「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」。これは、「あなたが他の女といるところを見るくらいなら、盲目になったほうがましだ」という歌。1967年、エタ・ジェームズがヒットさせた「テル・ママ」という曲のシングルのB面に収められていた作品。他に盲目のソウル・シンガー、クラレンス・カーターのものが有名だ。映画の中でも実にいいシーンで歌われる。 そして、そうした苦労を乗り越え、ついに幸せが訪れる。「アット・ラスト」は、ついに不幸な私にも幸せが訪れた、と切々と歌う作品。これはもともと1942年にグレン・ミラーでヒットしたポップ曲をエタが1961年にカヴァーしたもの。ソウル・チャートで2位、ポップ・チャートで47位を記録している。 エタの人生は不幸なことが多かった。映画でも出てくるが、彼女がビリヤードをやっているシーンがある。そのうまさにレナード・チェスが感心する。エタがプレイする後ろの壁には伝説のビリヤード・プレイヤー、ミネソタ・ファッツの写真が飾られている。そして、「あれが父親、って言われてるわ」とエタっは言う。彼女はその父から愛されたいと思い、一度でいいので会いたいと熱望し、それが実現するが、父からは冷たくされ、どん底の悲しみを味わう。 歌手というものは、実生活で激しく悲しいことや寂しいことがあると、それを歌に託して心の外に解放することができる。そうして、自分の内なるストレスを発散できるのだ。そしてその外に出す悲しみやストレスが大きければ大きいほど、それを聴く者は感じるものが多い。エタの歌に宿るソウルの源は、そんな彼女の人生の一部だ。 (お知らせ) 2009年8月12日(水)東京FM(80.0mhz)『ワンダフル・ワールド』という番組の「シネマ80」というコーナー(16時35分~16時55分=生放送)に出て『キャデラック・レコード』の話をします。 ■ 映画予告編(映画は2009年8月15日から公開) ■ 映画オフィシャル・サイト http://www.sonypictures.jp/movies/cadillacrecords/ ■ エタ・ジェイムス、最新作はスタンダード・カヴァー集 (ライナーノーツ吉岡正晴)(エタが歌うオーティスの「愛しすぎて」「トライ・ア・リトル・テンダーネス」などぜひ聴いて欲しい) グレイテスト・アメリカン・ソングブック posted with amazlet at 09.08.11 エタ・ジェイムス BMG JAPAN Inc. (2009-08-26) 売り上げランキング: 336639 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ 『キャデラック・レコード』 (サントラはいくつかヴァージョンがありますが、このデラックス・ヴァージョンをお勧め) … Continue reading

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☆ウエスト・サイド・ストーリー、半世紀を越え、海を越え

☆【ウエスト・サイド・ストーリー、半世紀を越え、海を越え】 クラシック。 まさにクラシックと呼ぶにふさわしい出し物と言っていいだろう。1957年にニューヨーク・ブロードウェイで始まったミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』は、時を越え再演され、しかも、海を越え世界各地で演じられてきた。52年にもわたってこれほど支持されるということは、それだけでクラシックと呼べる。 オーケストラ・ピットにはフル・オーケストラ。そして観客層もまさに老若男女。ダンスをしていそうな若い男女から、昔からのミュージカル好きそうなロマンス・グレイの紳士・淑女まで。 ニューヨークから来たヴァージョンは2006年の来日以来とのこと。ちょうど、ショーが終わったところでキョードーの木下さんがいらしたので軽く立ち話をしたところ、「前回来日より、かなりヴァージョン・アップしてるようで、日に日にお客さんが増えてるんです。たぶん、リピーターの方が再度来てるんでしょう」とのこと。 今回来日したヴァージョンは2009年3月19日からブロードウェイでかかったアーサー・ロレンツ(オリジナルの台本作者)の意向を受けたジョーイ・マクニーリーの演出という点が前回と違っているらしい。 僕は前回を見ていないので比較などはできないが、それでも、このミュージカルが大変よく出来ている作品だというのは十分わかる。まずストーリーがシンプルでわかりやすい。そして、とにかく踊りがかっこいい。ニューヨーク・ウエスト・サイドのシャーク団とジェット団との戦いを、物語展開もダンスもテンポよく進む。 この『ウエスト・サイド・ストーリー』のオーディションは25歳以下限定だったという。それほどハードなダンスなのだ。しかも、僕が見た日(8月5日)は1日2ステージ。恐るべき体力。(主役のトニーとマリア役はダブル・キャスト) マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」のプロモーション・ビデオは、この「ウエスト・サイド・ストーリー」のアイデアを下敷きにしているのは有名だ。シャークスとジェッツのリーダーが、ステージ中央でナイフを片手にくるくる回るシーンなど名シーンで、生で見られて興奮する。しかも歌われる曲が、誰でも知っているような名曲ばかりというのだからこの作品の底力を感じる。 ただ僕は2階から見ていたのだが、両サイドの字幕の字が少し小さかったので、読みにくかった。もうちょっと大きくか、極太ゴシックにしてもらえるとありがたい。将来は劇場の入り口で特別のめがねをもらって、それをかけてみると、字幕がそのめがねを通してステージの下あたりに出たりするようになるのかなあ、などとふと思った。 ■ 名古屋、東京公演は終了、西宮公演が2009年8月13日から16日。詳細は下記に http://www.westsidestory.jp/ ■ ウエスト・サイド・ストーリー 最新録音盤 ウエスト・サイド・ストーリー-ニュー・ブロードウェイ・キャスト・レコーディング posted with amazlet at 09.08.10 演劇・ミュージカル SMJ (2009-07-22) 売り上げランキング: 3355 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ セットリスト・『ウエスト・サイド・ストーリー』2009.08.05 Act 1 · performance started 19:03 “Overture” (Instrumental) · “Prologue” … Continue reading

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◎マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート4)

◎マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート4) 【マイケル追悼本~どれがお勧め?(パート4)】 写真誌。 毎日一冊アマゾンから何かが届く…。(笑)いつ一段落するんだろう。今日届いたのは、写真誌ライフの特別号。 LIFE MICHAEL 1958-2009 ライフ誌特別編集 マイケル・ジャクソン追悼 posted with amazlet at 09.08.08 ライフ誌 ディスカヴァー・トゥエンティワン 売り上げランキング: 12 Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評) アメリカの老舗写真誌「ライフ」の追悼版の日本版が出た。ほぼA4版約80ページの写真集。さすがにライフ誌だけのことはあり、かなり写真を選びこんだ感じがある。写真は今まで見た中で一番充実しているかもしれない。特にライフだけの独占写真は見ごたえがある。ネヴァーランド内を2度取材した際の写真、1973年ビヴァリーヒルズで撮影された今回初公開のマイケルの写真などは、他誌にはない。テキストは数箇所細かいミスがあるが、文の大勢には影響ない。別にマイケルについて詳しい人物が書いたものではない。たぶん、アンカー(取材された資料を基に最後に文章を書くプロ)がこれまでの資料にあたって一挙に書き上げたテキストだろう。写真誌だから、テキストはいつも写真のキャプション程度のものにしかならないのは仕方がない。だが、これで1050円は買いといえそう。 お勧め度=★★★★ お勧め度を5段階で評価。 ★★★★★=お勧め。大変よい。 ★★★★=買って損なし。お勧め。 ★★★=まあまあ。値段による。 ★★=う~~ん、微妙。 ★=マイケルものを全部集める人だけ買えばよろしい。 ++++ まだ英語の雑誌、書籍がいくつか未読で残っている。さすがに英語のものはすぐには判断ができないので、追々やっていきます。 ENT>MUSIC>ARTIST>Jackson, Michael

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○ベイビーフェイスは、「ゴーン・トゥ・スーン」でマイケルに捧げる

(内容がでます。これからごらんになる方はご注意ください) 【ベイビーフェイスは、「ゴーン・トゥ・スーン」でマイケルに捧げる】 追悼。 ベイビーフェイスの9ヶ月ぶり、8回目の来日、6回目の来日公演。前回はアコースティック・セットだったが、今回はミュージシャン4人を従えたバンド仕様。 大人気メドレー(下記セットリストで7の部分)では、なんとベイビーフェイス本人がステージを降りて、客席の中に飛び込み、観客の女性に向けて熱唱した。ベイビーフェイス本人に目の前で「アイル・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」や「エンド・オブ・ザ・ロード」を熱唱されたら、一生ものだろう。 さて、もはやブラック系アーティスト恒例マイケル・ジャクソン・トリビュート。ベイビーフェイスは1997年の『アンプラグド』のアルバムで、1991年のマイケル・ジャクソンのアルバム『デンジャラス』収録の「ゴーン・トゥ・スーン」をレコーディングしている。 メドレーが終わってベイビーフェイスが語り始めた。「何年か前、僕は『アンプラグド』のアルバムを作り、ある曲を歌いました。そのときは、まさかこんなことになるとは思いませんでした。今日は、彼のためにこの曲を捧げて歌います。マイケル・ジャクソン。彼は本当に多くの人、多くのアーティストに感動を与えました。日本でものすごく人気があるのも知っています。彼も日本を愛していました。マイケルはいつも世界を癒していました。今夜のこの曲は、あなたのために」(大意) そして歌われた「ゴーン・トゥ・スーン」。追悼式では、アッシャーが歌っていた。 ベイビーフェイスにとっても、マイケルは特別な存在だ。彼とマイケルはどちらも1958年生まれの同じ年。(ベイビーフェイスは4月10日生まれ、マイケルは8月29日生まれ) ベイビーフェイスはこう言う。「僕が生涯見た中で、もっとも思い出に残っているショウは11歳頃に見たジャクソン・ファイヴのショウだった。生まれて初めて見たショウだった。あれが僕にもっとも影響を与えたんだ。彼らのショウを見て、『僕もこれをやりたい。何か音楽をやりたい』と思ったわけだからね」(下記「ベイビーフェイスを育んだもの」より) マイケルを見て、音楽をやりたいと思ったベイビーフェイスだけに、マイケルへの思いは人一倍だ。 ■ ベイビーフェイス 『アンプラグド』~「ゴーン・トゥ・スーン」が入ってます MTV アンプラグド : ベイビーフェイス posted with amazlet at 09.08.08 ベイビーフェイス スティービー・ワンダー エリック・クラプトン シャニース・ウィルソン ビバリー・クラウダー K-CI&JOJO メルビン・アンド・ケボン・エドモンズ ソニーレコード (1997-11-27) 売り上げランキング: 19504 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ 過去ベイビーフェイス関連記事 November 05, 2008 Babyface Live: … Continue reading

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◆マイケル・ブック=どれがお勧め? (パート3)

◆【マイケル・ブック=どれがお勧め? (パート3)】 続々。 3日連続になってしまったが、昨日、アマゾンからまた一冊届いたので早速ご紹介。あと発送通知が2件きたので、明日以降にも来るのだろう。 お勧め度を5段階で評価。★★★★★=お勧め。大変よい。 ★★★★=買って損なし。お勧め。 ★★★=まあまあ。値段による。★★=う~~ん、微妙。 ★=マイケルものを全部集める人だけ買えばよろしい。 ■ マイケル・ジャクソン ポップ・レジェンドに捧ぐ マイケル・ジャクソン・ビジュアル・ブック (ILM) 1680円 マイケル・ジャクソン★ポップ・レジェンドに捧ぐ posted with amazlet at 09.08.07 ILM インフォレスト 売り上げランキング: 58 Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評)A4で120ページ超。イギリスの出版社が出したものを緊急翻訳出版のようだ。原語のテキストがかなりやっつけで書いた感じで、正確さに欠ける。なにより時系列、事実関係がかなりいい加減で、あまりお勧めできない。それにともない、翻訳がおぼつかない。まさか機械翻訳ということはないだろうが、日本語が怪しいところがいくつか。校正も一度やったかくらいの感じか。写真集として見れば、まあまあか。それにしても、イギリスで出て、その翻訳本を一ヶ月以内に出すというそのスピードぶりに感銘を受ける。 お勧め度 ★★ ENT>ARTIST>Jackson, Michael

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■マイケル・ジャクソン関連本(パート2)(洋書の部)

■【マイケル・ジャクソン関連本(パート2)(洋書の部)】 マイケル本。 マイケル関連本の続き。今回は洋書の部。しかし、「ズバリ評価」、やりだしたはいいが、キリがないことに気づいた…。 ■ ピープル特別号 2016円。People Tribute Remembering Michael 1958-2009 People Tribute: Remembering Michael 1958-2009 posted with amazlet at 09.08.06 Editors of People People 売り上げランキング: 26 Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評) まず、ピープル誌の特別版。2016円。写真集。写真にはほとんど珍しいものはない。若干1970年代のモータウン時代のものがある。ただ一点注目すべきは、82~83ページの見開きで紹介されている2003年10月撮影のマイケル・ジャクソンとそのファミリーの総勢100人近くがネヴァーランドに集まって撮影した写真。 お勧め度 ★★★ ■Michael Jackson King Of Pop 1958-2009: A Tribute To One Of … Continue reading

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●マイケル・ジャクソン関連本~どれを読むべきか、ずばり評価

【マイケル・ジャクソン関連本~大量にリリース】 関連本。 先日六本木のツタヤに行き、大量のマイケル関連本があり、目に付いたところを大人買いしてきた。まだ全部は読みきれていないが、さっとポイントをご紹介してみたい。なお、僕も9月末発売のワックスポエティックスでマイケル・ジャクソン特集記事をどーんと書きます。他では書かれないような、ワックスならではの視点で書き下ろしますのでご期待ください。 お勧め度を5段階で評価。★★★★★=お勧め。大変よい。 ★★★★=買って損なし。お勧め。 ★★★=まあまあ。値段による。★★=う~~ん、微妙。 ★=マイケルものを全部集める人だけ買えばよろしい。 他に、洋書を何冊か買ったのですが、さすがに英語のものはまだ読めてません。さらにまだ購入してないものもあり、そのあたりも入手しだいご紹介します。 ■ ローリング・ストーン増刊 増刊Rolling Stone(ローリング・ストーン)日本版9月号 永久保存版マイケル・ジャクソンインタヴューブック 2009年 09月号 [雑誌] posted with amazlet at 09.08.05 インターナショナル・ラグジュアリー・メディア Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評) これは今回ご紹介した雑誌の中では一番読み応えがある。ローリング・ストーン誌は、1970年代からジャクソン・ファイヴ、マイケル・ジャクソンを、熱心にとは言わずとも、そこそこ追いかけてきた。過去記事、1971年4月29日号、1982年のジェリー・ハーシーの記事(これは当時も読んだがいい記事だった)の再掲載も嬉しい。また、書き下ろしのトーレ(アフリカン・アメリカンの作家、ライター)の記事、なんとデイヴィッド・リッツ(『マーヴィン・ゲイ物語』著者)の書き下ろし記事もある。これらはどれもいい視点で書かれており、素晴らしい。勉強になる。やはり音楽を知ったちゃんとしたライターが書いていると違う。 お勧め度★★★★★(★5つが満点) ■マイケル・ジャクソン伝説の軌跡 マイケル・ジャクソン 伝説の軌跡 posted with amazlet at 09.08.05 マイケル・ヒートリー ベストセラーズ 売り上げランキング: 75 Amazon.co.jp で詳細を見る (一言評) ほぼ25センチ四方という大型ソフトカヴァーの写真集。日米同時発売とのことで、マイケル・ヒートリーという人物が原稿を書いている。なかなか内容があり、特に古い写真(モータウン時代のもの)などには珍しいものがある。原稿はデビュー前からレコードを中心にマイケルの歩みが書かれており、筆致もネガティヴなところはない。これを1週間で書いたとしたら、基本的に書くことが頭の中に整理されて入っていたということになる。(一箇所間違い発見。144ページ=1983年3月25日に放映された『モータウン25』は、この日にライヴ収録が行われ、放映は5月16日) たぶん前から準備していたものに、最後の部分を大急ぎで付けてリリースしたのだろう。 お勧め度★★★(★5つが満点)(写真を求める人には★★★★) … Continue reading

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⊿デリック・ヒューズ語る~彼はいかにしてロバータ・フラックのバックコーラスの仕事を手に入れたか

【デリック・ヒューズ語る~彼はいかにしてロバータ・フラックのバックコーラスの仕事を手に入れたか】 一番前。 ロバータ・フラックのバック・コーラスとして初来日したデリック・ヒューズ。彼と立ち話をする機会があった。 ライヴでは、ロバータの相手をして「トゥナイト・セレブレイト・マイ・ラヴ・フォー・ユー」や、「ホエア・イズ・ザ・ラヴ」などを歌う。いわば、ダニー・ハザウェイやピーボ・ブライソンの役だ。 デリックがロバータのバンドに入ったのは2008年11月のこと。1961年カリフォルニア・オークランド生まれ。兄タイロン、妹デイドレ・ディーディー。父はなんと1968年に「Send My Baby Back」(Wee 1006/Wand 1182)というヒットを放ったフレディー・ヒューズだという。(なお、いろいろ調べてみると、シカゴのヴィージェーからシングルを出しているフレッド・ヒューズとは同名別人らしい。ただし要確認) 地元で活動を続けていたが、元々はゴスペルを歌っていた。ライヴでも見せたその強力なヴォーカルは圧巻だ。ロバータ・バンドではキーボードのシェルトンもものすごい歌を聴かせるが、デリックもまたすごい。 「オークランドでロバータのライヴがあってね。チケットを買って、ライヴを一番前の席で見ていたんだ。こんな(ダニー風の)帽子を被ってね。そこで、ロバータが歌う曲に、何曲も目の前で声を出してコーラスを歌ったんだ。そうこうするうちに、ロバータが僕をちらちら見るようになってね。彼女も僕のコーラスが気になったんだろう。僕はロバータの大ファンだったから、彼女が歌う曲は全部知ってたんだよ。それでそのコーラス・ハーモニーもわかっていた。ライヴが終わって、僕のマネージャーのおかげで楽屋に入って会うことができた」 「彼女に会って、最初、『あのー、僕の誕生日、2月10日なんですよ!』っていうと、『なんですって~~』と驚いた。ロバータと同じなんだ。『付け加えると、僕の妻は10月1日生まれなんです』(ダニーの誕生日) またまた彼女が驚いた。それで連絡先を交換して、ロバータがオーディションをしてくれた。それで受かって、コーラスの仕事を手にすることができたんだよ」 デリックはまさにロバータと同じ誕生日、妻がダニーと同じ誕生日ということで、ロバータのコーラスに入るのが運命だったのだろう。デリックの分析は「ロバータは、ダニー・タイプのシンガーが大好きなんだと思う。もちろん(前任者の)トニー・テリーも素晴らしい、ワンダフルだ。でも僕のことも気に入ってくれた。今は他にどんな仕事があっても、ロバータから呼ばれたら必ず飛んで行くよ。僕の『ファースト・プライオリティー(の仕事)』なんだ」という。 それ以来、オーストラリアのオーケストラとのツアーや全米ツアーなどに帯同している。 「ロバータのライヴはセットリストがないでしょう? ちゃんとついていける?」と尋ねると、「ああ、なんとかね(笑)」と答える。「最初はこれくらい(と両手を広げて)ブック(楽譜のブック)をもらって、全部覚えた。何曲くらいあるのかなあ。数えたことはない。僕はコーラス、デュオの相手で、ロバータがひとりで弾き語りで歌うときは、歌わないから大丈夫だね」 デリックはもちろんダニーの歌も研究している。実際、ダニーの「I’ll Love You More Than You’ll Ever Know」を見事にカヴァーしている。その様子がユーチューブYoutubeにある。これだ↓ デリックは、プリンスのもとにもいたことがある、と言った。『エマンシペーション』の頃だという。レコードにはクレジットがないようなのだが、他にオークランドのタワー・オブ・パワーでもゲスト的に歌っている。「ソウル・ウィズ・キャピトルS」でリードを取っているそうだ。ただ、タワーでは来日はしていない。サンフランシスコでは売れっ子のシンガーだ。 地元のゴスペル・クワイアーなどにも参加、1983年ごろには一度、モータウンと契約したという。そのほかに、ノーマン・コナーズ、マイケル・ボルトンなどのコーラスもやってきた。自身のバンドでも歌っている。 しかし、彼のアイドルはダニー・ハザウェイ。そして、あこがれのダニーのパートナー、ロバータ・ライヴの一番前でずっと歌って仕事を取るなんて、すごい話しだ。 ENT>ARTIST>Hughes, Derick

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△マリーナ・ショウとドリーム・チームによるドリーミーな夜

(ライヴの内容がでます。これからごらんになる方はご注意ください) 【マリーナ・ショウとドリーム・チームによるドリーミーな夜~1974年産ワインを2009年に開栓】 熟成。 しかし、こんなことができるんだ。35年前にレコーディングされ、今では名盤の誉れ高いアルバムの作品を、ほぼそのメンバーによってライヴで再現する。みんな長生きをすればいいことがある。 1974年12月に録音されたマリーナ・ショウのアルバム『フー・イズ・ディス・ビッチ、エニウェイ?』を、再現するライヴ。アルバムに参加したギターのデイヴィッド・T・ウォーカー、ドラムスのハーヴィー・メイソン、ベースのチャック・レイニー、ピアノのラリー・ナッシュがマリーナのバックを支えて、この通称『ビッチ』アルバムをほぼ全曲、目の前でやった。レコードではセカンド・ギターにラリー・カールトンだが、もし彼も来れば完璧だ。 この日はビルボードも、まさにこの『ビッチ』を聴き込んだと思われるファンが詰め掛け、超満員。年齢層が高く、観客の音楽熱中度も高い。 暗転してドリーム・チームがステージに上がるとそれに続いて、杖をついたマリーナがステージへの段を少しよろよろしながら上がる。しかし、中央に進みマイクを握り、一声発っするや、そんなよろよろが嘘のようにしゃきっとする。ミュージシャンにしろ、シンガーにしろ、この年代の人たちは、ステージに上がるまではよろよろしてても、その楽器やマイクの前に来た瞬間、神のエネルギーでも補充されるのか、ぴーんとするからすごい。 『ビッチ』からのアルバムを全曲歌うが、レコードよりソロ・パートがふんだんにプレイされる。たとえば「ローズ・マリー」などではデイヴィッド・Tのソロが披露されるが、彼はそのとき立ち上がってプレイする。「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」のソロでもそうだ。それにしても、デイヴィッド・Tを始めミュージシャンたちは、よくシンガー(マリーナ)の歌を聴いている。まさに完璧な歌伴(歌の伴奏)だ。 マリーナが曲間でしゃべるとき、ラリー・ナッシュがぽろぽろと、BGMを弾くのもいい雰囲気だ。「ストリート・ウォーキング・ウーマン」でのイントロの男女の会話は、ここではマリーナとドラムスのハーヴィー・メイソンがやった。これもなかなか雰囲気をだしたナレーション。 「ユー・トート・ミー・ハウ・トゥ・スピーク・イン・ラヴ」を歌うとき、思い切って「いとしのエリー」とマッシュアップしてもおもしろかったかもしれない。日本なら受ける。 セットが終わった後の拍手が細かく、熱く、そして長い。まさにこれぞスタンディング・オヴェーションだ。こうなったら、曲順までアルバムそっくりそのままやるセットがあってもいいかもしれない。これは、彼らドリーム・チームのミュージシャンを揃えたビルボードの企画の勝利だ。 マリーナは1942年9月22日生まれの66歳、デイヴィッド・T・ウォーカー、1941年6月25日生まれの68歳。ハーヴィー・メイソン、1947年2月22日生まれの62歳、チャック・レイニー、1940年6月17日生まれの69歳、(ラリー・ナッシュだけ誕生日不明)、みんな35年前は30歳代だった。 デイヴィッド、ハーヴィー、チャック、ラリー、彼らとマリーナの間に横たわる35年。それはワインを十分に熟成させる期間だった。1974年カリフォルニア産マリーナ・ワインのボトルを2009年に開けて、今夜たっぷりと味わった。 サイン会には、デイヴィッド、チャック、マリーナも登場。長蛇の列が連なっていた。みな、その手には『ビッチ』のアルバムが。 (ライヴは今日2009年8月2日最終。) ■ 『フー・イズ・ジス・ビッチ、エニウェイ』マリーナ・ショウ名盤 フー・イズ・ジス・ビッチ・エニウェイ posted with amazlet at 09.08.03 マリーナ・ショウ EMIミュージック・ジャパン (1994-02-23) 売り上げランキング: 40388 Amazon.co.jp で詳細を見る ■マリーナ・ショウ過去記事 2003/12/08 (Mon) Marlena Shaw: Storyteller Tells Her Own Story … Continue reading

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☆日比谷シティー~ダンス・クラシック2009

☆日比谷シティー~ダンス・クラシック2009 【日比谷シティー~ダンス・クラシック・イヴェント】 入場無料。 日比谷の日比谷シティー(屋外)で来る2009年8月12日(水)に、ダンス・クラシックのイヴェントが行われる。お盆の時期で、毎年行われているもの。タイトルは、「ダンス・クラシックス2009」で、登場DJは、川畑、イナバ、アトム、マサコ、月忠藤本など。また、ミニ・ライヴでジェームス・ブラウンのパフォーマンスをコピーしているセルジオ・ムトウが登場する。 http://www.hibiyacity.com/index.html 会場は、日比谷シティーの370坪の屋外コートになり、入場は無料。時間は夕方5時から夜10時まで。ドリンク、フードなども250円から。 アフターパーティーは、六本木ナヴァーナ、青山モーメンツで行われる。 またいくつかのブースで物販が行われるが、江守藹氏の著作『黒く踊れ』や、『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』、ニック岡井のDVDなども販売される。 ■ 日比谷シティー ダンス・クラシックス2009 日時 2009年8月12日(水)17時~22時 会場 日比谷シティー 千代田区内幸町2-2-3 問い合わせ先 三菱地所ビルマネジメント内サマービアガーデン事務局 080-2126-9407 入場料 無料 出演 セルジオ・ムトウ DJ 川畑、イナバ、アトム、マサコ、月忠藤本 悪天候の場合、ナヴァーナでの開催になります。その際、「日比谷シティーから来た」でエントランス・フィー(入場料)が1000円になります。

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◎コン・ファンク・シャンもマイケル・ジャクソンへ捧げる

◎コン・ファンク・シャンもマイケル・ジャクソンへ捧げる 【コン・ファンク・シャンのマイケル・トリビュート】 黙祷(もくとう)。 ライヴを見るたびに書いているが、この日もコン・ファンク・シャンがショーの途中でマイケル・ジャクソン・トリビュートを行った。それにしても、ここ一ヶ月のブラック・アーティストたちのマイケルへの思いの熱さを、行くライヴごとに強く感じる。過去30年、ライヴに通い続けているが、これほど、ひとりのアーティストの逝去にともなったトリビュートをあらゆるアーティストが自発的にやっていることを見たことがない。本当に、それほどマイケル・ジャクソンというのはミュージシャンたちの間でも偉大な存在だったということをこうしたライヴを見るごとに強く強く感じていく。 リーダー格フェルトン・パイレートに尋ねると、「今日でこれをやり始めて4回目だ。誰からと言うことではなく、(マイケルのために)僕たちは何かをやらなければならないと思っていた。(We gotta do something)」と答えた。「ドント・ストップ」で盛り上げ、「ビート・イット」のイントロでは4人が少し斜めに倒れる感じのパフォーマンス、さらに、「ウォーキン・デイ・アンド・ナイト」でファンクを炸裂。そして、それが終わった後で、「黙祷を」といってしばしマイケルへ黙祷。黙祷まではさすがに初めてだった。しかし、黙祷が終わった瞬間、次に「ビリー・ジーン」でもやるかと思った。 フェルトンに「マイケルに会ったことがある?」と訊くと、「一度だけあるよ。5秒だけしゃべった(笑) セイ・ハローをして、マイケルがnice to meet you(マイケル風の声で)って言って、すぐに行ってしまった」と言う。 さて、オークランド最高のファンク・パーティー・バンド、コン・ファンク・シャンの約1年4ヶ月ぶりの来日公演。ホーン・セクションがホーンを吹き鳴らしながら、客席を通ってステージに上がっていく。もうここからパーティーの始まりだ。ハイエナジーなドラムス、バリバリのベース、キーボードにギター、パーカッション、そして、トランペット、サックス、トロンボーン、という強力な布陣。しかも、この日は観客も満員。まもなく、客席の、なぜか左半分が総立ちになる。最後は、右半分も総立ちになるが、のりのりで熱い。 途中のファンク・メドレーなども、楽しい。1曲目から派手で粋な振り付けを施したパフォーマンス。よく歌い、よく踊り、よく演奏する徹底したエンタテインメントにする。リード・ヴォーカルでもあり、ギターも弾くマイケル・クーパーは、随分と流暢に日本語を操る。 それにしても、見せるライヴは楽しい。とにかくよく動く。 ■ コットンのサイトでライヴの一部が見られます http://www.cottonclubjapan.co.jp/player/090731/ ■ 過去関連記事 March 25, 2008 Con Funk Shun Live At Cotton Club http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_25.html 前回ライヴ評。 January 11, 2007 Con Funk Shun Live:Band Is … Continue reading

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