Monthly Archives: July 2008

△バーケイズ・ライヴ(パート1)~ファンク大爆発の夜

△Bar Kays (Part 1) : Funk Party Till Dawn, Too Hot To Stop 【バーケイズ・ライヴ(パート1)~ファンク大爆発の夜】 大増量。 暑すぎて、熱すぎてもう止まらない。メンフィス・ファンクの雄、ヴェテラン・ファンク・グループ、バーケイズの2006年10月以来、1年9ヶ月ぶりのライヴ。火曜セカンドは、最後ということもあってか、超大盛り上がりで、それまでの4日の中でもっともエネルギーが爆発したパフォーマンスになった。今回何回も見ているソウルメイト(複数)によると、この火曜セカンドが一番曲数も多く、時間を長くやったようだ。実際、僕が前回来日時に見たときよりも、かなり長くなっていた。(前回セットリストがアンコール含めて16曲だったのに比べ、今回はなんと27曲!)久々に「どファンク」のライヴをエンジョイした。 9時半になるかならないかで、バンドの6人がステージに立つ。(前回も1分前にはステージ入りしていたその律儀ぶりを書いていた) そして煽りのMCが「バーケイズ!!」とシャウトすると、オリジナル・ベース・メンバー、飛行機事故からのサヴァイヴァー(正確には事故機に乗らなかった唯一のバーケイズ・メンバー)ことジェームス・アレキサンダーと、1971年以降リード・シンガーとして、現在のバーケイズの顔となっているラリー・ドドソンがステージにかけあがる。こうして8人になったバーケイズはイントロから、そのファンク・エネルギーを大爆発。1曲目からもはや観客はほぼ総立ちだ。アップテンポで、怒涛のファンクに観客もひれ伏し狂態。いやあ、あいかわらずすごい。今回はギターとドラムスが前回メンバーと変わっていたが、そのファンク度合いは、まったく変わらず最高のままだ。しかもこの火曜セカンドは見所たくさんで、書ききれないほどだ。(でも、全部書く。のでパート2までいくと思います) イントロから7曲目までのノンストップ・メドレーで完全に観客を掌握。客は彼らのファンクの手玉にとられる。バーケイズはファンクのコントロール・タワーになった。そしてノンストップで、初のスロー・ジャム「アンティシペーション」。ちょっと箸休めでほっとするのもつかの間、今度はバック・ヴォーカルのひとりダレル・スタンリーが前に出て1曲披露。これがまた実にいい声の持ち主で、リヴァート(父・息子)を彷彿とさせるシンガー。なんと、彼は今回のドラマー、エマニュエル・コールの実兄だそう。歌うはオージェイズの大ヒット「レット・ミー・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」。 さらにマイクを次のコーラス担当アーチー・ラヴに手渡し、彼がレニー・ウィリアムスの「コーズ・アイ・ラヴ・ユー」を熱唱。まさにサザン・フィールたっぷりのディープ・ソウルの喉を聴かせた。このアーチーは、メンフィスのソウル・ヴォーカル・グループ、ソウル・チルドレンらと親交が深く、同グループのリード・シンガー、Jブラックフットのバック・コーラスとしても来日したことがあるという。 今回このレニー・ウィリアムスの楽曲を選んだのは、アーチー自身がレニーとJブラックフットのデュエット作品をプロデュースし、その2人でこの曲をレコーディングしたからだという。彼はその昔、ライト・チョイス、さらにメイン・アトラクションに在籍していたヴェテランだった。1990年ごろ、ライト・チョイスのメンバーとして、六本木の「ペペルモコ」という店の箱バンドとして3-4ヶ月来日していたこともある、という。 2曲の客演を終えて、再びバーケイズ・ファンクへ。「トラフィック・ジャマー」から、なんと今度来日する予定のスライの曲をメドレーで。そして、おなじみの「セックス・オー・マティック」さらに「ムーヴ・ユア・ボディ」。観客は休むことなく、腕を宙に上げ、振る。フロアは狂乱のダンス・フロアに。 そして、ギターのトニーGが、前にでて話始めた。「今日、僕の素晴らしい友達がここにきています。こんなドラマーは見たことがありません。たまたま彼とは同じ誕生日でね、9月9日」といってドラマーを招き入れた。彼はそのまま、ドラムスに。流れてきたイントロはおなじみの、いや、プリンスでおなじみの「パープル・レイン」だった。なぜ? Two Baaaaadest Drummers!! Double Dynamite: John(left) & Emanuel (right) (この項明日につづく) ■ 過去関連記事 バーケイズ October 19, 2006 Bar Kays: Funk … Continue reading

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▼ハイラム・ブロック52歳で死去

▼Hiram Bullock Dies At 52  【ハイラム・ブロック死去】 訃報。 ジャズ、フュージョン、ソウルなどでおなじみのニューヨークのギタリスト、ハイラム・ブロックが去る2008年7月25日、ニューヨークで死去した。52歳だった。正確な死因、死亡時刻、場所などは、依然発表されていないが、死去自体は7月28日月曜日のテレビ番組『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』の番組内で発表された。ハイラムは、同番組のハウス・バンドの一員としても活動していた。また親友でもあるミュージシャンのウィル・リーが彼のウェッブページで死去したことを7月26日に書き込んでいた。 死因に関しては、2008年3月の自身のブログの中で咽喉癌(いんこう がん)または食道癌にかかり、治療中であることを明かしている。また複数の情報源は、ハイラムにはドラッグに関するトラブルがあり、そのドラッグ関係のものではないかと推測しているものもある。 葬儀は来る8月5日(火曜日)午後6時からニューヨーク・マンハッタン15丁目のブディスト・センターで行われる。 Tuesday, August 5th, 2008 at 6:00 PM at: The Buddhist Center 7 East 15th St, New York ハイラム自身のブログ http://www.hirambullock.com/blog.html 3月29日付のブログでは、こう書き綴っている。「1月に口内に腫瘍があると診断されたが、心配はいらない。対処できるものだ。だがその処置はけっこうやっかいだ。癌を殺すために、僕に毒を盛り、そして(癌細胞を殺してから)僕を健康状態に戻すというわけだ。(もっとも最後に健康になるかならないかは僕自身にかかっているのだが) なにはともあれ、少し体重を落とさなくてはならない。病院で一番つらいことは、なによりも、本当に重い病気にかかり落ち込んでいる人々を見ることだ。(中略) 今後も状況を報告するが、現在最悪なことは、味覚がなくなっていること。(大好物の)ビーン・ブリトーさえ食べたいと思わないんだ。医者はすぐに(味覚は)戻ると言ってるが、それが待ちきれないよ」 ウィル・リーの書き込み http://www.willlee.com/home.php +++++ 大阪。 ハイラムは1955年9月11日、日本の大阪生まれ。両親が米軍に所属、日本に駐在していたため、日本生まれとなった。2歳でニューヨークに移り、後にバルティモアで育つ。最初はピアノを学び、6歳で初めて人前でリサイタルを開いた。その後、11歳でサックスを練習し始め、中学時代にベースをプレイするようになったが、その後「女の子にもてるために」16歳でギターに転向した。マイアミ・ミュージック・スクールで音楽を学び、同地を本拠に活動を開始。この時期に、後にセッションなどで共演するようになるパット・メセニー、ジャコ・パストリアスらと知り合う。 一時期マイアミを本拠としていたソウル・シンガー、フィリス・ハイマンのバックバンドになったことで、後にフィリスとともにニューヨークへ移り、その後、ニューヨークでライヴ・ミュージシャンとして頭角を現し、多くのセッション、ライヴ、レコーディングに参加した。 特に1980年代に入ってからの活躍は目覚しく、デイヴィッド・サンボーンと知り合い、さらにプロデューサーのフィル・ラモーンなどにも気に入られ、多くのアーティストのサポートを勤めた。また、マーカス・ミラー、デイヴィッド・サンボーンらもいたテレビ番組『デイヴィッド・レターマン・ショウ』のハウス・バンドの一員に、さらに同じくテレビ番組『サタデイ・ナイト・ライヴ』のハウス・バンドにもなり、サンボーンが中心となった音楽番組『ナイト・ミュージック』の音楽監督にも抜擢されている。1983年からソロ活動に重点を置き始め1986年、アトランティックから初の自己名義アルバム『フロム・オール・サイズ』をさらに、『ギヴ・イット・ホワット・ユー・ガット』をリリース、シーンに大きなインパクトを与えた。 また、盟友ウィル・リーらと組んだ24丁目バンドは、特に日本で人気が高くライヴも好評だった。さらに、日本独自のスマップのヒット曲をニューヨークのスタジオ・ミュージシャンがレコーディングしたスマッピーズのアルバムにも参加している。 日本にも何度も自身のバンド、他のアーティストのサポートメンバーとして来日している。最近では、2007年5月のブルーノートでのライヴ、さらに同年9月の東京ジャズで元気なところを見せていた。 ■ … Continue reading

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▽ミネアポリス最強ファンク軍団=ザ・トゥルース

▽The Truth Is Minneapolis Funk Connection 【ミネアポリス最強ファンク軍団=ザ・トゥルース】 強力。 先日のミント・コンディションのライヴで、彼らのマネージャーであるジェフさんから今自分がてがけているもうひとつのグループだといって、ザ・トゥルースというグループのCDを手渡された。 そういえば、うわさには聞いていたが、これが実に強力なメンバーが集まったグループだ。メンバーは次の通り。( )内にこれまでにいたグループ。 St. Paul Peterson (Lead Vocal, Keyboards) (The Time, The Family) Jellybean Johnson(Guitar, Vocal) (The Time, The Family) O’Dell(Guitar, Vocal) (Mint Condition) Donnie LaMarca (Keyboards) (St. Paul, Giorgia, Ann Nesby, Jonny … Continue reading

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☆深町純定例会第91回~夢と想い出

☆Fukamachi Jun #91: Dream And Memento 夢。 ピアノ即興演奏月例定例会、その91。100回まであと9回。今日は、「夢」と「想い出」の話と曲。 トーク小ネタ、回文。「しょきロココの心潔」「トマト」「旅からすは、すらかびた」 「そんな回文という遊びもありますが、音楽にも実はあります。頭から普通にその楽譜を弾く人(左の上から右へ、下へ)と、別の人が、その楽譜を上下ひっくり返して逆から同時に弾く、それでも曲としてちゃんと成り立つ、そんなのを昔の人は作っていたりしました。音楽の回文みたいなものですよね。昔はそういう遊びがあったんですね。お題拝借も、そんな遊びのひとつです」 「よくタクシーなんかに乗って、『お客さん、お仕事は?』なんて訊かれると『ミュージシャンです』って答えるんですね。そうすると、『うちの息子がミュージシャンになりたいって言ってるんですが、どうやったらミュージシャンになれるんでしょう』と訊かれる。でも、そんな道はない。(タクシーの)運転手ならまず免許を取ればいい。子供がミュージシャンになりたいと言うと、親は100パーセント心配する。たくさんの若者が僕のところにもミュージシャンになりたいと言ってやってきます。だが、僕にはそうした彼らに正しい助言を与えることもできない。言えるのは、『ラッキーなら、ミュージシャンになって巨万の富を得られるでしょう』、『ラッキーなら、世界のヒーローになれるかもしれない』 (誰もそうは)なれない、とは誰も言えない。なれるとも誰も言えない」 「それは夢というものに似ているかもしれない。夢というのは、叶うかどうかはどうでもいい。(夢は)見ることが大切だと僕は思います。それは人生の目標と同じだと思うんです。(客席に向かって) みんなはどういう人生が素晴らしい人生だと思う? 僕が信じていることはひとつです。死ぬ間際に、『僕の人生は素晴らしい人生だった』と思えれば、それが『素晴らしい人生だ』と思う。で、そのためにどうすればいいかというと、これがわからないんですけど、でも、ひとつ、そういう人生を歩むために何が必要か、というと僕にとってもっとも大切なことは、『夢をみること』です。(夢が)叶うこと、叶えることじゃない。(客席から拍手) 夢なんて叶わないんですよ。でも、ある目標、目的を持って生きることはとても大切です」 「で、そういう夢をみている若者のひとりなんでしょう。その彼がやってきて、『深町さん、1曲歌わせてください』と言ってきたので、『いいよ』と言った。彼はまだプロではなく、将来プロになりたいと思っている人なんだと思う。深町君のピアノで歌えるなんてめったにできないことだけど、彼が素晴らしいのは、『深町さんとやりたい』、そう言ってきたことです。僕はそういう人は受け入れることにしている。年寄の務めは、若い人が何かやりたいと言ってきたら、それをバックアップしてあげることだと思うので…。正哉くんです」 と言って、深町さんはアメリカ帰りの歌手志望の若者を紹介した。岡野正哉くんといい、父親の友人の知り合いが深町さんと知り合いで、先月ここに見に来て、深町さんに1曲歌わせてください、と直談判し、今月、楽譜を持ってやってきて歌うことになった。彼が歌ったのは、ビリー・ジョエルの「オネスティー」とイーグルスの「デスペラード」。なかなかはっきり聞き取れる大きな声の歌い手だ。ここでは2曲ポップスを歌ったが、後で話をしたら、一番好きなのはR&Bだそうで、後で自作自演のデモCDを聴いたら、今風R&Bだった。なかなかいい感じ。 想い出。 セカンドの最後で、楽譜を取り出しながら彼は話し始めた。「あんまりふだんは(この会では)歌わないんですが、今日はふと歌ってもいいかな、と思って(楽譜を)もって来ました。僕はその昔、10年くらい一緒に住んで付き合ってた彼女に、ある事件があって、振られたんですよ。で、その彼女になんとか戻ってきて欲しいと思って、どうすればいいか考えたんですが、歌を書いたら戻ってきてくれるかもしれないと思って、書いたんです。それがこれなんですが、でも、彼女は全然戻ってきてくれませんでした。残念ながら。(笑) でも、僕はこの曲は気に入っていて…。そんな想い出の曲です」 そう言って歌い始めた彼の名曲「誕生日」。今まで数回聴いた。直近ではこの会に毎回来ていたジェームスさんが亡くなったあとの回(2007年4月、その前は2006年5月にも)で、ジェームスさんへ捧げて歌ったのが記憶に新しい。今回は、せっかくなので、歌詞をご紹介したい。いい曲、いい詞です。 『誕生日』(作詞作曲・歌・深町純) 今日は誕生日 君の生まれた日 蒼い春風 吹くころ 君は目を覚ました 長い年月(としつき)が 僕たちを包む 初めて出会ったときから いつも君がいた さまざまな出来事が 過ぎ行くときに流れ 銀河を抱(だ)く 夜空の中で すべてがいとおしい 笑いあえる日を 僕は信じてる 大切な想い出を今 君にありがとう (間奏) 今日は誕生日 夢が生まれた日 愛をいっぱい 差し込む 君は手を伸ばした 雨が降る朝を 星光る夜も 変わらぬ想いは君へと いつもあふれてく 喜びや悲しみが 待ち伏せるだろう 明日も  優しさだけ 贈りたいけど 言葉じゃ足りないよ 周り道しても 幸せにしたい … Continue reading

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○ミント・コンディション・ライヴ

○Mint Condition Live At Billboard 【ミント・コンディション・ライヴ】 爆発。 「さあ、ステージにお迎えください、ミネアポリスズ・オウン~~、ミント・コンディッション!!」 シャウトするのはマネージャー氏。さっそうとバンドメンバーがステージにあがり、少し遅れてリード・シンガー、ストークリー・ウィリアムスがジャンプしながら駆け上がった。 ミネアポリス=ジャム&ルイス・コネクションのミント・コンディションの2006年6月以来、約2年1ヶ月ぶりの来日公演。ミント・コンディションは、いわゆるセルフ・コンテインド・グループ(自給自足グループ。すべて自分たちで曲も書き、演奏もして、歌も歌うグループのこと)だ。彼らはかつてジャム&ルイスのプロデュースで華々しくデビューしたが、その後インディ・レーベルに移ったが、なんとインディでもアルバムを2-30万枚近く売るらしい。実際アルバム・チャートでも1位になっている。 それにしても、ブラック・エンタテインメント、ブラック・ミュージックの「核」となるグルーヴ感とは何か、それをそのまま如実にあらわすライヴだ。体のDNAからほとばしり出る黒いファンクネスを、彼らは当たり前のように、普通に醸し出す。ストークリーのバネのなんたる強さよ。そして、喉の強さ。うまいという以前に強い、強力、迫力に圧倒される。ソウル大爆発だ。 リードのストークリーは、前回も見せたが、ドラムスを上手に叩く。「いいドラマーはいいシンガー」の模範のような人物だ。途中でドラム・ソロを披露。「ドラムス出身のシンガーというと、ジェフリー・オズボーン、マーヴィン・ゲイなんかもいますよね」と同行松尾氏。「テディ・ペンダーグラスもドラマー出身ね」と僕。そういえば、あとで思い出したが、モーリス・ホワイトもそうだった。アンコールの「ブレイキン…」は最高に盛り上がる。途中のブレイクもやんやの喝采だ。松尾氏解説続く。「あのストークリーのストールね、あれね、アレクサンダー・マックイーンっていうブランドのものなんですよ。けっこうおしゃれさんですね」 ほおおっ。僕のまったく知らない豆知識豊富な松尾さん。 なお、前回パスポート切れが来日直前に判明して来日できなかった、ホーマーは今回はパスポートを用意していて、ちゃんと来日できた。 ライヴ後、ソウル、R&B系ライターとして大活躍の川口真紀さんを松尾さんにご紹介いただいた。川口さんはあちこちでR&B系の記事を書いておられるが、なんと学生時代にシンコー出版の今はなくなってしまった音楽誌のライター募集に、ミント・コンディション3枚目のアルバム評論を書いて応募し、それが認められ、この道に入ったという。だから、ミントにもかなり思い入れがあるそうだ。われわれのテーブルの手前に、広尾のレストラン・オウナー、シルヴァーノ氏と奥さんでシンガーのアンドレアさん、そしてその友達らがいて、ライヴ中大いに盛り上がっていた。その友達の中に、『フィリー・ソウル・イン・ギンザ』(2007年10月)で歌ってもらったポーラ・ジョンソンがいて、それ以来の再会。それから、ブレンダも来ていた。そしてもうひとり、ミント大好きというDJデイヴ・フロム氏も来ていた。久しぶりに会った。デイヴさんはいつものようにかなりよっぱらっていた。ごきげん。だが、何か(「フォーエヴァー・イン・ユア・アイズ」だったか)をなんでやらないんだ、と少しふきげん。前回来日時に会っていたマネージャー氏が僕のことを覚えていてくれ「ライヴ・レヴュー書いてくれたよね、ありがとう」といわれて、驚いた。 ミントのメンバーは終わった後、しっかりサイン会。 ■ 最新作 『Eライフ』 E-ライフ posted with amazlet at 08.07.27 ミント・コンディション アンソニー・ハミルトン フォン・オブ・リトル・ブラザー アリ・シャヒード・ムハマド Pヴァイン・レコード (2008-03-21) 売り上げランキング: 31215 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ 過去関連記事 June 24, 2006 Mint Condition Live: … Continue reading

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◎(速報)ハイラム・ブロック死去か?

◎(Bulletin) Hiram Bullock Dies At 52?? 【(速報)ハイラム・ブロック死去か?】 訃報。 ジャズ、フュージョン、ソウルなどでおなじみのニューヨークのギタリスト、ハイラム・ブロックが去る2008年7月25日頃、死去した模様。まだ、オフィシャルな確認が取れていないが、親友でもあるウィル・リーのサイトにもその旨が書き込まれているので、信憑性は高いと思われる。死去が事実であれば、1955年9月11日生まれだったので、52歳だった。3月に自身のブログで食道がんになり、治療中であることを告白していた。(詳細は確認取れ次第再度お送りします) http://www.hirambullock.com/blog.html http://www.willlee.com/home.php 昨日(26日)午後から、ハイラム死去のニュースがかけめぐっているのだが、まだ確認が取れない。なお、ウィキペディアの英語版には、2008年7月25日死去と書かれている。詳細情報が確認でき次第、改めてご紹介します。 ENT>OBITUARY

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◆ソウライヴ~ソウファンキー

◆Soulive Are Sofunky 【ソウライヴ~ソウファンキー】 炸裂。 「イクゼ~~、ブルーノート!!」の掛け声で、ステージに3人の勇者たちが上がる。彼らはジャム・ファンクの勇者、その名はソウライヴ。まずは3人(キーボード、ドラムス、ギター)だけのソウライヴ本体だけで演奏。そして、MCが入り、トランペット、サックス2人がステージに登場。以後6人で、のりのりのファンク・グルーヴを炸裂させる。(ジャム・ファンクは筆者が思いついた言葉) さすがにクラブ系で人気だけのことはある。観客層がこの日はいつもより圧倒的に若い。 さて、リズムは3人なのだが、キーボードのニール・エヴァンスが左手でベース・パートをキーボードで弾くために、実際は4人いるのと同じくらいの音圧になる。そして、2曲目「キャノンボール」以降はホーンが3人入るだけで、いきなり、メイシオ・パーカーあたりのファンク・ジャズへファンク・アップ~。アップテンポでこれでもかこれでもかとエネルギーが昇華。サックスの音がどこを聴いてもメイシオ・パーカーに聴こえてしまうのは、こちらの耳が偏りすぎか。(笑) このホーン・セクション、シェーディー・ホーンズというそうだ。3人のホーン・セクションはステージ向かって左から、ライアン、サム(帽子)、クリスチャン。 ドラムスのアラン、ギターのエリック、キーボード(とべース)のニールのリズム隊はアップテンポ作品で圧倒的。ハモンドのオルガンが流れてくると、一時代昔のファンク・ジャズが思い起こされる。 一番の圧巻はアンコール。「ジーザス…」からメドレーでアーチー・ベル&ザ・ドレルスの「タイトゥン・アップ」へ。歌というかナレーションというか、そんなMCをドラムスのアランが担う。ギター、ベース、オルガンとソロを回して、盛り上げる。このイントロから、客席は総立ち状態。 ずっと聴いていて、彼らの音楽を映画に使いたいなあ、と思った。それも思い切りB級のブラック・ムーヴィーだ。「コフィー」みたいなのの、現代版風のもの。 この日は、テレビの収録が入っていた。BSで放送しているブルーノートの番組『スピーク・イン・ミュージック』のようだ。確かに、これだけノリのいいライヴ・バンドだとアリーナの席を取っ払い、ブルーノートで単発のパーティーでかつてやったスタンディングのスタイルでもいいかもしれない。 ライヴが終わると、サックス奏者の太田剣さん、プロデューサーの松永さん、さらにシンガー、ユリさんと有坂美香さんらがいた。なんと、ユリ美香さんらは、サムかライアンだったかとアメリカのバークリーで同級生だったそうだ。 2004/04/03 (Sat) Soulive Has New Vocal, So Has New Dimension http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040403.html July 30, 2005 Soulive Live At Blitz Yokohama http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_30.html ■メンバー SOULIVE with special guest CHRISTIAN SCOTT & SAM … Continue reading

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★オーティス・クレイ9月に来日

★Otis Clay Will Be Coming To Japan September 【オーティス・クレイ9月に来日】 代打満塁本塁打。 日本でも人気の高い、ブルーズ、R&B系シンガー、オーティス・クレイが9月に来日、ビルボード東京と大阪で各1日ずつライヴを行う。オーティスの来日は、2006年7月以来2年2ヶ月ぶり。1978年4月の初来日以来9度目。 1978年4月の初来日は、元々は同じくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトの来日が急遽キャンセルになりそのピンチヒッターとして来日。ところが、そのライヴがあまりに素晴らしかったことから急遽ライヴ・レコーディングまで行われ、以来、オーティス・クレイは日本で人気のソウル・シンガーとなった。また、オーティス自身も自分のことを愛してくれる日本のファン、日本のことがことのほか気に入り、以後もコンスタントに来日を重ねるようになった。日本では、オーティス・クレイのレコードやライヴから、ソウル・ミュージックの素晴らしさを知ったという人も多かった。そのライヴ・アルバムは、当時のソウル・レコードとしては異例のセールスを記録した。 オーティスは、極東の地、日本などでまさか自分のレコードがリリースされ支持されているなどとは夢にも思わず、初来日のときの関係者の手厚いもてなしぶりと日本人観客の熱い反応に感激し、以後日本を「第二の故郷」と呼んだりする。大変義理人情に厚い人物で、それまでに受けた恩は決して忘れないそうだ。 オーティスは1983年の来日時、再度ライヴ・アルバムをレコーディング。ここにサザンオールスターズの「いとしのエリー」の英語ヴァージョンが録音された。レイ・チャールズが録音するよりも、先にレコーディングしていた。 思い返せば、このピンチヒッター(代打)は、日本のソウル・シーンに満塁ホームランを放ったことになる。 +++++ 義理人情。 最近、ソウル・イラストレーター江守藹氏と彼の単行本『黒く踊れ!(ストリート・ダンサー列伝)』(発行・銀河出版=2008年秋発売予定)をめぐっていろいろな話をしているときにも、オーティス・クレイについての話題が出た。 江守さんは1978年、赤坂に「ブーツィー」というレストラン・ディスコをオープンする。ちょうど『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』の影響でディスコが大ブームになり始めたころで、江守さんは他店と差別化するために「レストラン・ディスコ」というコンセプトを打ち出す。ちゃんとしたイタリアンを食べられて、いいソウルで踊れる、で、時には食事をしながらライヴを見て楽しめる大人のスペース、という店だ。いまなら、ブルーノートだ、ビルボードだといくらでも食事をしながらライヴを見せる店があるが、当時はほとんどなかった。 そこで、江守さんはこの「ブーツィー」の杮落としとして、オーティス・クレイのライヴをプロモーターから一日買い上げてやることにしたのだ。もちろん、キャパ(収容人数)と値段から考えて満員になっても赤字。だが、店を広める最初の宣伝費と割り切ってオーティス・クレイのディナー・ショウを行い、大成功を収めた。 この日は、オーティスを最初から熱心に支持しサポートしてきた桜井ユタカ氏も一番前の席を買い求め応援した。そんなわけで、オーティスは自分のレコードが出たか出ないかもわからない日本で、こんなディナー・ショウが開かれたこと自体に驚き、感動した、という。これ以来、江守さんはオーティス・クレイと親しくなっていく。 それから24年の月日が流れた2002年。江守さんが渋谷で行われたオーティス・クレイのライヴに足を運んだ。ステージで、オーティスは「今、自分がこうして日本の地に来られるのは2人の男のおかげだ。それは桜井ユタカと江守藹だ」と静かに語った。そんなところで、そんな風に名前を言われるとは思ってもみなかった江守さんが大いに感激したのは言うまでもない。 オーティスは義理人情に厚いのだ。 ■ オーティス・クレイ来日 2008年9月20日(土曜)ビルボード・ライヴ東京19時、21時半 2008年9月22日(月曜)ビルボード・ライヴ大阪19時、21時半 詳細はビルボード・ライヴへ http://www.billboard-live.com/index_h.html ■ オーティス・クレイ来日履歴 (他にありましたら・ebs@st.rim.or.jpまで お知らせください) 初来日 1978年4月11日、13日他、虎ノ門ホール 2回目 1979年3月9日他 虎ノ門久保講堂 3回目? 4回目 1983年10月、11月5日など 5回目 1991年4月15日他 川崎クラブチッタなど 6回目 1999年7月23日他 渋谷オンエアーなど (ジミー・ジョンソンらと) 7回目 2002年7月14日他 渋谷アックスなど (ビリー・ブランチ、デボラ・コールマンらと) 8回目 2006年7月23日他 ジャパン・ブルーズ&ソウル・カーニヴァル (複数アーティストとのライヴ) … Continue reading

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▲ハーレム・ナイツ第7回始まる

▲Harlem Nights Vol.7 Has Just Started (ライヴ内容にふれます。これからごらんになる方はご自身の判断でお読みください) 【ハーレム・ナイツ第7回始まる】 ハーレム。 ニューヨーク・黒人ルネッサンスの地、ハーレム。そのハーレムの文化をそのまま横浜ランドマークに持ってこようという「ハーレム・ナイツ」も、1994年以来今年で7回目。(94年に第1回、第2回が2003年で以後毎年) 2003年以降は、毎回観客動員数を着実に増やし、横浜夏の定番イヴェントに見事に成長した。普段はあまりライヴなどに足を運ばないような客層がこのイヴェントということで、老若男女集まってくる。 昨年まで、ソウルフードやドリンクのテーブルがライヴ会場内にあったのが、今年はホワイエ(ライヴ会場の外)に移動、ライヴ会場はより観客席を多くしていた。400人近くが入っていて、週末になるにつれ予約はさらに増えている、という。オマー以外は、それほど有名なシンガー・アーティストが登場するわけではないので、まさにこの「ハーレム・ナイツ」という企画自体(広告宣伝も含めて)に観客が付いている、いわば「イヴェント企画の勝利」だ。 「Nights のNは♪です。左からオマー、レディー・ローラ、シンシア・スコット、ケントン・ロジャース」 今回はメインのシンガーが3人、そして、フィーチャリングにタップ・ダンスのもはや巨匠オマー・エドワーズ。オマーだけは毎年必ずやってくるので言ってみれば彼はこの「ハーレム・ナイツ」の顔。 最初のシンガー、ケントン・ロジャースはちょっとどこか俳優のフォーレスト・ウイッテッカーを若くしたような、シンガーで言うとデイヴィッド・ピーストン、ルーベン・スタッダードを少しこぶりにしたようなルックスのシンガー。ゴスペルをルーツにしているだけに、ゴスペル定番曲「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」(映画『天使にラヴソングを2(シスター・アクト2)』などでも有名)あたりはかなり観客の気をひきつける。 2番目のレディー・ローラは、最初、若いティナ・ターナーでもでてきたかと思ったほど、エネルギッシュなはちきれんばかりの動きで登場。だが、我らがブレンダ・ヴォーンのように背丈は小さい。ティナの曲を2曲歌うだけに、腰をフリフリのティナ・ダンスが思い切り炸裂する。元はダンサーか? 意外な選曲が「リアル・サッド・ストーリー」というブルージーな曲。知らなかったので、戻って調べてみると、なんとこれが南部のR&Bシンガー、デニース・ラサールの作品。デニースの歌でもヒットはしていないが、なぜこれが選ばれたのだろうか。実は隠れたヒットなのか。 その歌詞があった。↓ http://www.mississippiheat.net/lyrics2/glad/12.html そして、いよいよオマーの登場。オマーはさすがに毎年来ているためか、彼目当てのファンもいるようだ。相変わらず切れのいいタップを見せる。第一部では、オープニングに日本語で「これは戦争の音」、「これは苦しみの音」そして、「これは愛の音」と説明して、タップを踏んだ。 ボブ・マーレーのTシャツを着て、跳ねる、飛ぶ、叩くラスタ・ヘアのオマーは、映画監督スパイク・リー、さらにタップ・ダンスのセヴィアン・グローヴァー直系のダンサー。新しいこと、クリエイティヴなこと、革新的なことに貪欲だ。第一部を終え、第二部の始まりもオマーだったが、この出方がまた渋い。真っ暗にしたステージで、タップの音だけが聴こえてくる。だが暗転したステージでは何も見えない。そして、パ~ンとスポットが来ると、オマーがさっきとは違ったスーツで動いている。そして、「キャラヴァン」を終えた後、シューズを脱ぎ、はだしでタップを踊る。すると会場に響く音が違ってくる。 「怒りや愛などが体すべてから湧き上がるオマーのタップ~Tシャツのボブ・マーリーとヘアスタイル同じです」 彼のタップからは、怒り、喜び、うれしさ、悲しみ、苦しみ、そして愛と言ったものがすべて表出する。それが体全体から湧き出てくるところがすごいと思う。たかがタップ、されどタップ。 3番目のシンガー、シンシアはヴェテランのジャズ風クラブ系シンガーだった。サラ・ヴォーンあたりの影響が強いなあ、と思って聴いていたら、「私は、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレイ、ダイアン・ワシントン、リナ・ホーン、そして、ナンシー・ウィルソンなどの影響を受けています。そうしたシンガーたちへトリビュートする意味でこの曲を書きました」と言ってオリジナル曲「ザ・シンガー」という作品を歌った。また彼女は、かつてレイ・チャールズのバックコーラス、レイレッツのメンバーだったという。そこで、レイ作品を最後に3曲ほど歌った。 そして、ライヴ終了後は、出演者全員が会場出口付近でCD即売とサイン会。今まで見ていた老若男女が、その夜のスターを取り囲んだ。またライヴ終了後、係りの人が「本日のセットリストです~~」と言って希望者にそれを配っていた。大サーヴィス、至れり尽くせりのイヴェントだ。「夢はこの『ハーレム・ナイト』の地方公演です」と担当者が語った。この勢いだと、その可能性も見えてくる。 ■ 横浜ランドマークタワー公式ページ内イヴェント詳細 ライヴは、7月23日(水)から27日(日)まで毎日。詳細は下記ランドマーク・タワー・ウェッブへ 問い合わせ先 ランドマークホール:TEL 045-222-5050 (月~金 10:00~17:00) ランドマークプラザ:TEL 045-222-5015 (月~日 11:00~20:00) http://www.at-press.jp/event/hall/harlem08/index.html チケット入手方法など。 ■過去のハーレム・ナイツ関連記事 July 26, 2007 "Harlem Nights Vol.6" At … Continue reading

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■ソウル・ヒットで英語を学ぼう

■Gaba Natural English: Learn English With Soul Hits 【ソウル・ヒットで英語を学ぼう】 勉強。 毎週日曜日インターFMで放送している『ソウル・ブレンズ』(午後3時~5時)内の一コーナー「ガバ・ナチュラル・イングリッシュ」(午後3時15分ころから)では、毎回ソウルのヒット曲から、ふだん英会話などで使えるフレーズをピックアップしてご紹介している。これが最近、なかなかいい感じなので番組をあまりお聞きになられてない方のためにご案内。 例えば、2008年7月6日の放送では、You can’t deny it というフレーズ。直訳は、「あなたはそれを否定できない」。ただしこの場合は、その相手・対象物のことをあまり好きでないにせよ、その対象物に対する評価は否定できない、というニュアンスで使う。 例)You can’t deny that he is smart though. 「(彼のことは好きじゃないかもしれないけど)彼が頭が良いというのは否定できない」 そして、かける曲は、リサ・スタンスフィールドの「ユー・キャント・デナイ・イット」。DJマーヴィン・デンジャーフィールドが懇切丁寧にこのニュアンス、意味合いを説明してくれる。マーヴィンの説明はいつもわかりやすい。 あるいは7月13日オンエアー分。 例) Whatcha gonna do (for me)?” 「あなたは私に何をしてくれるの?」 “whatcha”は、“what”と“are you”を口語的に短縮したもの。かなりくだけた言い方なので、親しい友人との間で使われる。上司や目上の人に対しては使わないほうがいい、といったことを教えてくれる。そして、楽曲はシャカ・カーンの「ワッチャ・ゴナ・ドゥー・フォー・ミー」。 もうひとつ。7月20日分。 例) “Put it all … Continue reading

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●クインシー・ジョーンズ75歳誕生日セレブレーション

●More Report On Quincy Jones Celebration: 【クインシー・ジョーンズ75歳誕生日セレブレーション】 セレブレーション。 去る7月14日、スイス・レマン湖ほとりのストラヴィンスキー・オーディトリウムで行われたクインシー・ジョーンズ75歳アニヴァーサリー・セレブレーション。 帰国した松尾特派員に直接会って、いろいろおみやげ話とおみやげまでいただいたので、それらを含めてご紹介したい。また、当BBSに、Kさんという方から詳細なセットリストが投稿されたのでそれも改めてご紹介する。 モントルー・ジャズ・フェスが行われるこのエリアには、いくつかライヴが行われる会場があるが、ストラヴィンスキー・オーディトリウムは、その中でも最大のもの。収容人数は3000人弱くらいか。日本で言えば、オーチャード、あるいは中野サンプラザくらいの大きさ。雰囲気としては、基本的にはクラシック系のコンサートが多いようで、ステージを囲む感じはサントリー・ホールを思わせるところもある。 松尾特派員は、そのストラヴィンスキーの目の前のホテルに滞在したため、会場まで道を渡って30秒で着くという。会場の雰囲気は、華やかでセレブな感じだという。リズム・セクションはクインシーのレコーディングなどですっかりおなじみのメンバー。ドラムスに元ルーファスのジョン・ロビンソンが入っている。ルーファスの『マスター・ジャム』以降、クインシー・セッションには欠かせなくなった人物だ。 前日のゲネプロでは、例えば、パティー・オースティンが「ハウ・ドゥ・ユー・キープ・ザ・ミュージック・プレイン」を、オリジナルのレコード、ジェームス・イングラムとパティーとのデュエット風に、ジェームスの部分もひとりで真似をして歌ったりしていた、という。ジェームスの部分のところは、けっこう遊んでいるように歌ったが、本番ではきれいなパティー節でまとめた。 おおまかに言って、3部構成で第一部がこのモントルー・ジャズ・フェスのハウス・バンドともいえるビッグバンドの演奏。そして、第二部と第三部がクインシーとその関連友人が次から次へとステージに登場し、歌ったり演奏したりする。 下記セットリスト、23(If I Ever Lose This Heaven)、37(What’s Going On)、63(Stuff Like That)で歌っているシンガーは、おそらくレデシーではないだろうか。 セットリスト32(煙が目にしみる)でナナ・ムスクーリが登場したが、松尾さんによると、元々ギリシャ生まれのシンガー、ナナにアメリカに来るように勧めたのがクインシーで、クインシーがいたからこそ、アメリカ、イギリスでの「英語楽曲」での成功があったという。ナナは、1934年生まれで、クインシーよりひとつ年下。1962年におそらくクインシーがヨーロッパに拠点をおいていたときに知り合った。クインシーはナナにニューヨークに来るように勧め、ニューヨークでジャズ・スタンダード曲を英語で歌った作品をプロデュース、これが”The Girl From Greece Sings”というアルバムとしてアメリカでリリースされた。 クインシーのアルバム『ボディー・ヒート』(1974年)では、作者自身であるバーナード・アイグナーが歌った「エヴリシング・マスト・チェンジ」(セットリスト57)だが、今回はアリスタから1990年代に2枚のアルバムを出しているカーティス・スタイガースが歌った。カーティスは調べてみると、ここ10年くらいはすかり「ジャズ歌手」として活動をしている。これは知らなかった。アリスタでの2枚のブルーアイド・ソウル・アルバム以降、6枚ものジャズ・スタンダード・アルバムを出していた。彼自身のウェッブに行くと、音源が聴ける。 http://www.curtisstigers.com/ ぺトゥラ・クラークはアメリカでは「ダウンタウン」の大ヒットで知られるもともとはイギリスのシンガー。彼女がアメリカ・ツアーをするときに、フランスのミッシェル・コロンビエを音楽ディクレターに抜擢し、そのミッシェルをA&Mレコードに紹介した。1960年代中ごろのこと。ひょっとしたらA&Mつながりで、クインシーとの接点があったのかもしれない。もちろん、ペトゥラは大ヒットを持つシンガーなので、クインシーとどこで接点があったとしても不思議はないが。だがちょっと意外な組み合わせだったので興味を持った。 メンバー表は、松尾さんからいただいた。また小さな「モントルー・ジャズ・フェス」の公式パンフレットも。感謝。 ■ 過去関連記事 クインシー・リポート July 17, 2008 Quincy Jones … Continue reading

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⊿「エイス・オブ・スペーズ」の真実~O.V.ライトとメルヴィン・カーター

⊿The Truth Of “Ace Of Spades” 【「エイス・オブ・スペーズ」の真実~O.V.ライトとメルヴィン・カーター】 狢(むじな)。 昨日(2008年7月20日日曜)、東京FM系列で全国ネットされている山下達郎さんのオールディーズ専門番組『サンデイ・ソング・ブック』(略して『サンソン』=毎週日曜日午後2時~)を聴いていると、なんとR&Bシンガー、メルヴィン・カーターの「エイス・オブ・スペーズ」が解説付きでかかった。 達郎さんの解説を聞いていて、その昔、ソウル・ミュージック評論家の大御所、鈴木啓志(すずき・ひろし)さんがその話を書いていたことを思い出した。 このところ、『サンソン』はリクエストを中心に選曲されているが、この曲が選ばれたのもリスナーのリクエストから。これには複雑な経緯がある。 昨年12月、やはりおなじくディープ・ソウル・シンガー、O.V.ライトのボックスセット(5枚組み=Pヴァインから13000円)が発売され、そこにこのメルヴィン・カーター・ヴァージョンの「エイス…」が収録されている。O.V.のボックスが発売されるのは2度目なのだが、どうやらリスナーの方は、前回リリースのボックスはお持ちだが、今回のボックスは持っていないらしい。このメルヴィンのヴァージョンは、前回のボックスに収録されていなかった。そこで、これ1曲のために、13000円を払い買いなおすのはちょっと厳しいので、番組にリクエストを送ってきたのだ。 では、なぜ、O.V.ライトのアルバム集にこのメルヴィン・カーターなるシンガーの「エイス・オブ・スペーズ」が入っているのか。これがおもしろい。その経緯は2000年3月に発売された鈴木啓志著『ソウル・シティー・USA~無冠のソウル・スター列伝』(リトル・モア社から発売)、さらに今回の詳細なライナーノーツに書かれている。 「エイス・オブ・スペーズ」は、O.V.ライトの有名なヒット曲。1970年にヒットし、ソウル・チャートで11位を記録。これを収録したアルバム『ニックル・アンド・ア・ネイル・アンド・エイス・オブ・スペーズ(A Nickel & a Nail & Ace of Spades)』が翌年アメリカ・バックビート・レコードから発売された。そして、その日本盤がコロンビアからリリースされたが、そこに入っている「エイス・オブ・スペーズ」(LPではA面3曲目)が、なぜかO.V.のヴァージョンではなかったのだ。(ちなみに僕はそのバックビート盤を持っているが、日本盤は持っていなかった) それが、この曲のもともとの作者であるメルヴィン・カーターのヴァージョンだった。全体的なサウンドはよく似ている。日本用にマスター・テープをコピーするときに、なんらかの理由で間違えてしまったのかもしれない。もちろん、どうしてそれが紛れ込んだのか、本当の理由はわからない。 いずれにせよ、そんな経緯があり、今回のO.V.ライトのボックスには、最初日本盤がでたときに間違って収録されたメルヴィン・カーターのヴァージョンが丁寧にも収録された。詳しい経緯は、鈴木氏のライナーノーツに詳しいが、達郎さんはオンエアーで、「このライナーは力はいってます。久々にライナーを読むために(CDを)買ってもいいと思ったくらいの力作です」と絶賛した。 しかし、なんらかの理由でマスターを間違えてしまったレコード会社もレコード会社だが、その似たような作品の違いに気づき、それをちゃんとリサーチして記事にする鈴木さんもすごい。鈴木さんは1979年にO.V.が来日したときにこの件を尋ね、いろいろな事実を掘り起こした。O.V.は翌1980年11月16日41歳の若さで急死しているので、そのときのインタヴューは結果的には真実へのラストチャンスだったことになる。 ま、そんなことを調べる鈴木さんも、鈴木さん、それを知って達郎さんの番組にリクエストする人もする人、それを受けて解説をつけてかける達郎さんも達郎さん、おまけにそのことをブログに書く僕も、僕。みな同じ穴の狢(むじな)、ですかねえ。楽しいっ。(笑) (狢っていう字はむずかしいなあ) ■ボックスセットの内容(ただし売り切れ) http://diskunion.net/black/ct/detail/54C070930701 ENT>ARTIST>Wright, O.V. ENT>ARTIST>Carter, Melvin

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△一人芝居・高山広、8月に自信作発表

△Takayama Hiroshi Will Be At Akasaka Red Theater On August 【一人芝居・高山広、8月に自信作発表】 森羅万象。 「ソウル・サーチン」イヴェントでも独特のワンマン・プレイ(一人芝居)で、ソウル・アーティストを語ってきたアーティスト、高山広が、自身の自信作『ねずぶり』を2008年8月17日(日)に東京・赤坂のレッド・シアターで行う。 この『ねずぶり』は、1994年に初演し、その後何度も推敲を重ね、再演してきたもので、高山の通常の演劇スタイルとは異なり、全編に流れる迫力あふれるシンセサイザーの生演奏と高山の芝居が生み出す臨場感あふれるコラボ(セッション)も大きな見所のひとつ。もともとは3時間ほどあったものをブラッシュアップし、1時間55分にしぼりこんだ、という。 高山のコメント。「こればかりは世界中どこへ行っても観られないパフォーマンスのひとつであると自他共に、めずらしく(?)そう認める作品です! ボクの体とソウルを賭けて一生挑み続けるこの『ねずぶり』、どうか(観劇よりむしろ“観戦”に近いとよく言われます)体感しにいらしてくださいませ」 高山広は、1963年宮城県出身。1988年から芝居、演技を開始。1992年から、一人芝居をさまざまな会場で行うようになる。ショート・ストーリーを数本まとめたオムニバス形式のシリーズ『高山広のおキモチ大図鑑』では、高山は単に人間だけでなく、動物、昆虫、はては、花火、パチンコ玉、かさ、たばこ、信号機などありとあらゆる森羅万象の物格・人格になりきり、それを演じる。作品数はすでに600本に迫り、数分のショートものから、2時間を越える超大作まで多数。鋭い洞察力をもとにした人物の描き方、演じ方は他の追従を許さないものがある。 毎回一組のソウル・ジャイアントにスポットを当てて、そのアーティストの作品をライヴで見せ、そのアーティストについてのトークをするイヴェント『ソウル・サーチン』でも、ルーサーの回、アレサ・フランクリンの回で、それぞれルーサー、アレサを一人芝居で演じ満員の観客から喝采を浴びた。 会場の収容人数は170名程度なので、早めに予約したほうがいいかもしれない。『ソウル・サーチン』のルーサーなどで一人芝居の醍醐味を知ったかた、ぜひ、彼のオリジナルの世界に触れてみてはいかが。 ■ 概要 高山広・一人芝居 『ねずぶり』 ~果てしなく続くと思われた闘い。極限下に置かれた敵同士がたどりついた先は、ネズミとゴキブリの闘いを通して現代社会を映し出す衝撃と感動の一人芝居 作・演出・出演:高山広 音楽:只野展也 日時 2008年8月17日(日) 15時30分開場 16時開演 チケット 4000円自由席 会場 赤坂レッド・シアター  郵便番号107-0052 東京都港区赤坂3-10-9 赤坂グランベルホテルB2F 電話 03-5575-3474 チケット購入先 03-3352-1616 ジェイ・クリップ 他にチケットぴあなど。 http://www.j-clip.co.jp ◎    定期月例会 『高山広のおキモチ∞HANJOH(だいはんじょう)』  日時・2008年7月26日(土) 時間・19時開場、20時開演 会場・目黒ソウルバー「ミッドナイト・アワー」TEL 03-3444-2285 東京都品川区上大崎3丁目14-12 井上ビル1F チャージ・1500円 ENT>ANNOUNCEMENT>PLAY>Takayama, Hiroshi

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▼ナタリー・コールC型肝炎を明かす

▼Natalie Cole (Part 2): Canceled Another Show And Revealed Her Hepatitis C (2008年6月28日付け日記から続く) 【ナタリー・コールC型肝炎を明かす】 キャンセル。 ナタリー・コールが去る2008年7月9日、カリフォルニアで行われる予定だったコンサートをキャンセル、7月16日にパブリシスト(広報担当)が、ナタリーがC型肝炎にかかり、治療中であることを発表した。 C型肝炎は、輸血もしくは、注射針などから感染すると言われ、以前ナタリーが薬物中毒だったころの注射器使用が感染原因ではないかと推測されている。 「私は幸運なことに過去から多くのことを学べています。家族や友人からの多くの愛とサポートを得られていて、幸せです。この苦難に自身の信念を持って、立ち向かっていきます」と彼女はコメントを発表している。 ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院の担当医グラハム・ウールフ医師は、「投薬治療が効いており、現在肝炎の症状は薄くなっている。このため、治癒に向かう可能性が高い」と述べている。またその投薬治療の副作用として、倦怠感、筋肉の痛み、脱水症状などがあったが、現在は回復している、という。この薬の副作用では、個人差はあるが一般的に、躁鬱になったり、食欲がなくなったり、気力もなくなる。 ナタリーは、ダイエットでウェストが約10センチほど細くなったとしている。 7月9日のライヴではウイントン・マルサリスとともにライヴを見せる予定だったが、ナタリー・キャンセルで彼女の代わりに、ウィリー・ネルソンが舞台に立った。 +++++ ■ ナタリー関連記事 June 28, 2008 Natalie Cole (Part 1) : Show Must Go On : Her Final Soul … Continue reading

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▽木下航志、レ・フレール・ライヴ

▽Kishita Koushi & Les Freres Live (ライヴの内容が出ます。これからごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお読みください) 【木下航志、レ・フレール・ライヴ】 ブギウギ。 「ソウル・サーチン」でおなじみシンガー・ソングライター、木下航志と、このところ独特のピアノ・デュオで売り出し中のレ・フレールとのジョイント・ライヴ。木下航志はピアノ1人弾き語り。さらに、レ・フレールも同じピアノを2人だけで弾く。なんと観客は、レ・フレール・ファンなのか、女性のほうが8-2で多く、しかも年齢層がけっこう高い。オーチャード・ホール3階までがほぼ満席。集客力すごい。 まず第一部、航志くん、いつにも増して、おしゃれな感じ。ネクタイに帽子がきまっている。さすがに2000人の会場だと緊張するのか、観客との距離間がつかめないのか若干の戸惑いもあるように見えたが、ま、そこはいつもの航志節でパフォーマンスを繰り広げる。「蘇州夜曲(そしゅう・やきょく)」というのは初めて聴いた。調べると1940年(昭和15年)の服部良一作曲の歌曲だ。 初めて航志くんを見る人も多かったみたいだが、けっこう印象付けられていたようだ。また彼が演奏中、正面のスクリーンに何枚もの写真を映し出されたが、これは彼が世界中を旅して『航志くんが撮影した』写真だ。 航志君、今日(2008年7月18日=金)、NHK『スタジオ・パークからこんにちは』に出演する、という。「メス・アラウンド」を披露する。 この日は、ステージ中央にベーゼンドルファーのピアノが置かれている。どうやら通常88鍵より多い92鍵のモデルのようだ。(要確認=ベーゼンには他に97鍵盤のものがある) またカメラがピアニストの正面、左横、そして、真上から撮影し、それを正面のスクリーンに映し出す。やはり圧倒的に真上からの俯瞰の映像がピアニストの腕、手の動きがよくわかり素晴らしい。 レ・フレールは、兄・斎藤守也(さいとう・もりや)と弟・斎藤圭土(さいとう・けいと)の2人組み。ブギウギ・ピアノを得意とする。横須賀出身。 初めて見たが、兄弟で椅子に並んで座り連弾で弾く。基本はブギー・ウギで、かなりのりがいい。レ・フレールというフランス語で「フレンド(友達)」をあらわす言葉ゆえに、もっとヨーロッパ系の気取ったピアノを想像していたが、まったく違った。ニューオーリーンズあたりの酒場でやってそうな、かなりファンキーなサウンドで驚かされた。何よりも2人の兄弟が、仲良く、楽しそうに音楽をエンジョイして弾いているところがよかった。 また、曲間でのトークが、かなりシロートっぽく、かみあわないでぎこちなくおもしろい。しかし、真正直で好感が持てる。この素直なキャラは徐々に受けそう。 それにしても、目にも見えぬ早業で2人の両腕が交差し、ピアノを弾く様は、俯瞰の映像を見ていると、実にスリリング。これを見ていて、アメリカのニューヨークのカーネギー・ホールや、ニューオーリーンズのコンサート・ホールあたりで彼らのライヴを見てみたいと思った。きっとアメリカの観客はやんやの喝采を浴びせ、かなり受けそうな気がする。 そのときには、グループ名を例えばアメリカだったら、Cross Brothers とか Brother Cross とか、中国だったら、連弾兄弟とかにするとおもしろいかもしれない。ニューオーリーンズだったら、フランスの香りがあるから、そのままのレ・フレールでいいか。(笑) 彼らのライヴを見ていて、きっとCDを聴くよりも圧倒的にライヴを見たほうが彼らの音楽を楽しめ、理解できるにちがいないと感じた。まさにライヴ向きのアーティストだ。まあ、すでにここまでの集客力があると、ちいさなライヴハウスでのライヴは難しいところだろうが、ブルーノートのような小さな箱で見たいと思った。 本編が終わり、最後のアンコールで航志くんと3人でステージに再登場。3人で一台のピアノを弾き、航志くんの最新作に入った歌ありソウルフルな「メス・アラウンド」を演奏。いやあ、5-6本の腕が鍵盤の上を這うその様を見て思った。「鍵盤の上はラッシュ・アワーです」。 ライヴ後楽屋を訪れるチャンスがあり、どんなブギ・ウギ・ピアニストに影響を受けたのか尋ねたら、アルバート・アモンズ、ピート・ジョンソン、ビッグ・ジョー・ターナーなどの名前がすらすらと出てきた。行け、アメリカ進出、めざせ、カーネギー・ホールって感じだ。 [左から斉藤守也さん、木下航志くん、斉藤圭土さん] Enc4. Mess Around (レ・フレール+木下航志) Show ended 21:31 (2008年7月17日木曜、渋谷オーチャード・ホール=木下航志、レ・フレール・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, Kohshi / Les Freres … Continue reading

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☆クインシー・トリビュート5時間以上にわたる熱狂ライヴに

☆Quincy Jones Tribute Live Lasted 5 Hours 【クインシー・トリビュート5時間以上にわたる熱狂ライヴに】 5時間超。 スイスで行われている第42回モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで、去る2008年7月14日に行われた「クインシー・ジョーンズ・トリビュート・ライヴ」(ストラヴィンスキー・ホール)は多くのアーティストが入れ替わり、立ち代りステージで歌ったり演奏をしたりし、5時間を越す熱狂ライヴになった。外電などをまとめてみよう。 ステージは、ハービー・ハンコック、アル・ジャロウ、パティー・オースティンなどのヴェテラン勢から、レデシー、アンジェリック・キジョーら若手、ミック・ハックネル、ナナ・ムスクーリ、ぺトラ・クラーク、イギリス、ヨーロッパ勢まで多種多様なアーティストが参加した。 クインシーのゴッドドーター、パティー・オースティンは、最前列でライヴを鑑賞していたクインシー・ジョーンズに「メイキン・ウーピー」を歌い、さらに後半ではシャカ・カーンとともに、クインシーが音楽をてがけた映画『カラー・パープル』収録の「ミス・セリーズ・ブルーズ」を歌った。シャカは1996年のモントルーでのクインシーのライヴでも、同曲を歌っている。 他に、クインシーよりも8歳年上になるサックス奏者、ジェームス・ムーディー本人が「ムード・フォー・ラヴ」を演奏、この中にあっては若手のラサーン・パターソンが「レット・ザ・グッドタイムス・ロール」を、映画『夜の大走査線(In The Heat Of The Night)』(1967年)をミック・ハックネル(シンプリー・レッドのリードシンガー=1996年、やはり彼もこの曲を歌った)が、「スモーク・ゲッツ・イン・ユア・アイズ(煙が目に染みる)」をナナ・ムスクーリが歌い、最後に全員で「愛のコリーダ」を大合唱した。5時間超に及んだコンサートが終了したのは、午前2時近く。最後に、クインシーに75歳の誕生日(1933年3月14日生まれ=ライヴは4ヶ月遅れ)を祝う意味で、「ハッピー・バースデイ」を歌った。 クインシーは、このフェスティヴァルを「(数多くある)フェスティヴァルの中でも、ロールス・ロイスのフェスティヴァル」と評する。彼は前日に行われた記者会見で、「私は二度の動脈瘤を患った。だが、神にまだ向こう側に連れていかれなかったことを感謝したい。6ヶ月前に、飲酒を止めた。止めてなかったら、今日まで生きていなかっただろう」と語った。 クインシーは、この長い歴史を誇る『モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』の1991年から1993年までの3年間、創設者クロード・ノブスとともに共同プロデューサーとして名を連ねた。1991年7月、クインシーはここにジャズ・ジャイアント、マイルス・デイヴィスを呼ぶことに成功、マイルスはその年の暮れに亡くなった。 また、クインシーはまだまだリタイアは考えておらず、現在9本の映画、3枚のアルバム・プロジェクトが進行中だという。 そのうちの1枚は、クインシーが過去40年以上にわたって出したアルバムの作品を若手のリミキサーたちがリミックスしてものを集めるコンピレーションになる模様。その中の1曲は、デイヴィッド・バナーがリミックスを担当するジョージ・ベンソンの「ギヴ・ミー・ザ・ナイト」になる。バナーによれば、これにジェイミー・フォックスの歌を重ね、リミックスする。 ■ 世界一早かった松尾特派員のクインシー・ゲネ・プロ・リポート July 15, 2008 Montreux Jazz Festival: Celebrates Quincy Jones http://blog.soulsearchin.com/archives/002607.html ENT>MUSIC>ARTIST>Jones, Quincy

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○オリト・トリビュート・ライヴ

○Orito Tribute Live@ Shibuya Duo 【オリト・トリビュート・ライヴ】 トリビュート。 2008年2月23日、43歳の若さで急逝したシンガー、オリトをしのぶトリビュート・ライヴ。オリトにゆかりあるアーティスト、なんらかの関係のあるアーティストたちが集まりオリトの作品、オリトがカヴァーしていた作品などを歌った。途中には、オリト本人のライヴ映像なども流れた。 3時間超のイヴェントは、会場の渋谷デュオも座席を作り満員。基本的には、オリトと縁のあった星川薫さんがリーダー的存在のバンド「ワイルド・ダンデ・ライオン」がハウス・バンド的に演奏し、それにあわせて各シンガー、ラッパーなどが歌ったりした。 ガッツは、「オリトさんがレコード発売のコンヴェンションをライヴハウスでやったときに、僕はたまたまそこで(まだミュージシャンとしては駆け出しで)ウエイターのバイトをしていました。そのとき、オリトさんと盛り上がり、なぜか打ち上げまで一緒に行ってカーティス・メイフィールドの話をしたことを覚えています。その後、ライヴなどでご一緒するようになりました。今日は、オリトさんも歌っていたこの曲を彼に送ります」とちょっとした思いで話をして、得意の「ピープル・ゲット・レディー」を熱唱した。さすがに歌いこんだだけのことはある。それをガッツはオリトに向けてソウルを込めて歌った。この曲の後半あたりから、かなり客席が熱くなり、ガッツはぐっと観客を惹きつけた。 この後、空気を熱くしたガッツに紹介されて村上てつやが登場した。何も語らずいきなり「エイメン!」とアカペラで歌い出した。観客を巻き込んだ「エイメン」を終えるといきなり、「1-2-3-4」のカウントで「レッツ・ステイ・トゥゲザー」へ突入。途中メロディーに載せてアドリブで「きっと、あっちで歌い続けているだろう、I know, you know… You send me、君の好きな歌だよ…」 ところどころの節回しにアル節だけでなく、ファルセット系、さらにサム・クック節まではさむ。「オリト~~」と歌い、観客にそれを歌わせる。見事なコール&レスポンス。 さらに語りで、「オレたちもメンフィスのロイヤル・レコーディング・スタジオに行って、(メンフィスの大御所プロデューサー)ウィリー・ミッチェルに会った。そのとき彼は言った。『オレのフェヴァリット・シンガーは…キ・ヨ・シ・ロー!』 そして、もう1人名前を言った。『オ・オ・オ・オ・オ・リ・ト~~』! うらやましかったぜ。悔しかったぜ」とやった。お見事。 ここまでソウルマンになりきるか、村上てつや。彼のソロ・ライヴでもここまでのソウルなりきりは見たことがなかった。やはり3時間超の密度の濃いライヴを年間50本以上はだてではない。ライヴ・シンガーとしてのミュージシャン力が圧倒的だ。この夜、一番長い拍手を得たパフォーマンスだった。なぜ、ゴスのライヴでこれがでない? (笑) おっと、「ソウル・パワー」で炸裂してくれるだろう。 また、オリトがビデオ・ライヴの中で、やはり音楽に載せて語りを聞かせていたところも興味深かった。 彼は、初めてメンフィスに行ったときに、ロイヤル・スタジオに出入りするギタリストと知り合い、そのギタリストにデモ・テープを聞かせたところ、「これはすごい、お前は絶対ウィリー・ミッチェルと契約できる。ぜひ、ここで録音しろ」と言われた。大喜びのオリト。「だがそのためには金が要る」と言われたので、オリトは1年か2年一生懸命働いて金を貯めた。その間も、オリトはギタリストにゴキゲンをとる手紙を送り続けた。130万か150万くらい貯まったところで、そのギタリストに送金した。ところが、その男が金を持ち逃げしてしまった。金もなくなり、レコーディングもできなくて、もう情けなくて、情けなくて、悔しくて、泣いた。音楽を止めようかとも思った。だが、そこで、一念発起、そんな事情を書いてウィリー・ミッチェルに手紙を送った。ウィリーは、「その男は知っている。首にした。だが、残念ながら(我々は)金は受け取っていない。でも、とりあえず、(メンフィスに)来い」と言ってきた。周りの友達はみんな、そんな話はやめておけ、危ないぞ、とメンフィス行きをとめた。でも、結局、オリトはメンフィスに行って、いま、こうしてここにいる…。 すごい話だ。こんなことがあったとは知らなかった。3時間のライヴの締めはオリト本人の「感謝の歌」をオリトの歌声と、さらに参加者全員で歌った。最後にふさわしい楽曲だった。そして、打ち上げはライヴ会場からすぐの、オリトをデビューさせた最初のディレクターだった森元さんがやっているソウル焼き鳥屋「モリゲン」だ。オリトも今夜は焼き鳥で乾杯か…。みなさん、おつかれさま。 ■ 出演者 ザ・ワイルド・ダンデ・ライオン 星川薫(ギター)、池間史規(ベース)、三浦晃嗣(ドラムス)、中道勝彦(キーボード)、トミカ(歌)、高橋篤(歌) シュガー・ピンプス、フリーファンク、チャカ、タイラヨオ、L.L.ブラザース、 青山陽一、シュウタロウ、DJ 刃頭、ガッツ、アイク、DJハセベ、シーダ、木村佳代子、高瀬順、村上てつや、ジェイディー、ミチコ、T・クラ ■セットリスト オリト・トリビュート・ライヴ2008イン東京 Setlist: Orito Tribute @ Shibuya Duo, July 15, 2008 Show … Continue reading

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◎第42回モントルー・ジャズ・フェス

◎Montreux Jazz Festival: Celebrates Quincy Jones 【第42回モントルー・ジャズ・フェス】 75 現在、ヨーロッパ・スイスのモントルーで第42回モントルー・ジャズ・フェスティヴァルが開かれている。会期は2008年7月4日から19日まで。30本以上のメジャー・アーティストのライヴが、いくつかの会場で行われる。4日のエリカ・バドゥー、N.E.R.Dを皮切りに、ジョー・ジャクソン、シェリル・クロウ、バディー・ガイ、ロバータ・フラック、タワー・オブ・パワー、ハービー・ハンコック、シャカ・カーン、レデシー、ラサーン・パターソンなど。 この中で今回の最大の目玉は7月14日に行われる、クインシー・ジョーンズの75歳を祝うオールスター・イヴェントだ。(誕生日は1933年3月14日) このステージに参加するのは、パティー・オースティン、ビリー・コブハム(コバーン)、ハービー・ハンコック、アル・ジャロウ、シャカ・カーン、ジェームス・ムーディー、ナチュラリー7、パトリース・ラッシェン、ジョー・サンプル、グレッグ・フィリンゲーンズ、ジョン・ロビンソンなど30人以上。このクインシー・セッションは、当日午後に行われる「ゲネ・プロ」(最終リハーサル)もチケットを買えば、一般の人も見られるようになっている。 さすがに本編のチケットは、160スイス・フラン(1フラン=約105円=約17000円)から380スイス・フラン(約4万円)と高いが、これだけのメンバーが集まるので、仕方ないところだろう。ちなみに、ゲネプロは60スイス・フラン(約6000円)。ただし、そのほかの会場でのライヴは60スイスフランくらいから、無料なものもある。 クインシーは、今から12年前の1996年、同じ『モントルー・ジャズ・フェス』にも登場。このときの模様はDVDになり発売されている。ちなみに日本盤のライナーノーツを書いた。 ■ ライヴDVD 『クインシー・ジョーンズ・ライヴ・アット・モントルー』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0012VU16E/soulsearchiho-22/ref=nosim/ +++++ 特派員。 実は、この『モントルー』、今年はソウル・サーチン盟友・松尾潔特派員が行って、クインシーのライヴを見ることになっている。前日に行われた記者会見にも参列し、このゲネプロも見て、さらに本編も見る。(本編は日本時間15日午前3時から) すでに経由地パリに着いた、クインシーの記者会見に出た、ゲネプロこれから見る、とか、逐一メールで報告が来ていて、日本で猛暑のなかうだうだしている僕をうらやましがらせている。さっきなんか、クインシーとレイ・チャールズにはさまれた松尾氏の写真なども送られてきた。「捏造ですが」と断り書きがついていたが。(笑) あれはどうやって作ったんだろう。ポスターの前ででも写真を撮ったのかなあ。しょうがない、しばし、この12年前のビデオ(DVD)でも見て気を紛らわそう。松尾さん、東京から、モントルー詳細レポートお待ちしてま~す。 と書いていたら、早速、最新情報が。松尾さん、記者会見用のプレスパスを入手。松尾特派員による報告は次の通り。 「公開ゲネプロは、グレッグ・フィリンゲーンズのMCでなんと4時間も行われ、サプライズ・ゲストでトゥーツ・シールマンスが登場。大喝采を浴びた。また、シャカ・カーン&パティー・オースティンのデュオは地上最強デュオの感あり。前夜シャカのゲストで出たラサーン・パターソン&レデシーの仲良しコンビが、この日のクインシーのステージにも登場。ゲネプロでは、『ホワッツ・ゴーイング・オン』を披露した。今日のライヴは1時間遅れ、現地時間午後9時(日本時間15日午前4時)から始まる予定。以上、涼しくすこぶる快適なレマン湖畔より松尾特派員でした」 [KC's PC](KCのプレスカード) [QJ, KC, RC、KC=パフューム・スタイル] [記者会見のクインシー=松尾特派員撮影] ENT>MUSIC>LIVE>Montreux Jazz Festival

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◆江守藹氏ダンサーにスポットを当てた著作を執筆

◆Illustrator Emori Ai’s Book Will Focus On Dancers In Japan 【江守藹氏ダンサーにスポットを当てた著作を執筆】 列伝。 ソウルフルなイラストですっかりおなじみのイラストレーター、江守藹氏が現在、自身のソウル歴と、自身がかかわってきたダンサーたちにスポットをあてた著作を執筆中だ。タイトルは、『黒く踊れ!(ストリート・ダンサー列伝)』(発行・銀河出版=2008年秋発売予定)。現在第一稿が書きあがり、今秋の発行をメドに準備が進んでいる。 その第一稿を読ませていただく機会を得た。約19万字におよぶ大作(ページ数・版型などは未定)は、著者が高校生時代の1960年代中期からディスコの前身である新宿の「踊り場」に出入りし、そこで多くのディスコ関係者、ソウル・ミュージック好き、ダンサー、アメリカ人ブラザーたちで出会い、自身が影響を受け、ソウルの世界、ダンスの世界、さらには黒人運動などに興味を持っていく様を描く。 江守さんは「基本的にはこの本は僕の生き様の中で出会ったダンサーとその時代のストーリー」と言う。江守さんはご存知の通り、日本のソウル・ミュージックの発展に大きく寄与した人物のひとり。そのイラストは数多くのソウル系レコードのジャケットを飾ったり、雑誌などに掲載された。黒人を描かせたら彼の右に出るものはいないとまで言われ、1970年代から80年代にかけては、ソウル系のアルバムやシングル・ジャケットを軒並み描いた。そこで、江守氏とソウル・ミュージシャンたちとの邂逅(かいこう)にはまた別のストーリーがあり、それは次の著作で明らかにされる。 現在、ダンスは若い人たちの間でも大変な人気で、多くのスター・ダンサーたちも登場している。日本でソウル系、R&B系ダンス、ヒップホップ系ダンス、およびそのダンサーたちが注目されるようになったのは、ここ30年。江守氏はその創世記から自らダンスをするダンサーとして、また指導者としてニック氏、勝本氏らとともにシーンを見つめてきた。そこには多くの出会い、別れ、確執、友情、愛などがうずまいた。 僕もいくつか感銘を受けるところがあった。例えば、主人公(江守氏)が初めてダンス・パーティーに出かけたシーン、初めて黒人の友達に連れられて基地内のプールに行ったときにあからさまに受けた人種差別体験、新宿のディスコに出入りするようになり、そこで知り合ったこわもての用心棒、踊りがめちゃくちゃうまいDJなど。前者は、ドン勝本氏、後者はニック岡井氏、ともに昨年(2007年)急逝した日本ソウル界に多くの足跡を残した人物だ。江守氏が1980年代に一時期九州に本拠をおいていたことがあるが、そのときの話もおもしろかった。 江守氏がこの本を書こうと思ったのは、随分前のことだったが、彼ら2人の急逝によって、背中を押された感じがある、と言う。 読書感想文は、それぞれがお持ちになることと思う。ただ、僕が個人的に感じたことは、江守さん、勝本さん、そして、ニックさんの3人の間に横たわる「ソウル」「ソウル・ミュージック」「ダンス」の名の下に結ばれる強烈な友情だ。時には喧嘩や言い争いをしたこともあったが、結局はいつも一緒にいた「仲間」「同志」だ。僕は、そんな仲間や同志、あるいは親友を持て、共に熱く生きてこられた江守さんの人生をうらやましく思った。 [この『黒く踊れ!(ストリート・ダンサー列伝)』(発行・銀河出版=2008年秋発売予定)については、また発売などが決まりましたら、江守氏インタヴューなどを含めて、改めてご紹介します] ENT>BOOK>Kuroku Odore!

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★オージェイズ・エッセンシャル8月にリリース

★O’Jays : The Essential Will Be Released On August 【オージェイズ・エッセンシャル8月にリリース】 総括。 フィラデルフィア・インターから出した「裏切り者のテーマ(Back Stabbers)」以降、次々と大ヒットを飛ばしたR&Bヴォーカル・グループ、オージェイズがフィラデルフィアに入る以前からの作品も含め、フィラデルフィア時代の代表曲、さらにフィラデルフィアを出た後のEMIなどに残した作品を網羅した「エッセンシャル」アルバムが2008年8月27日に日本でソニーからリリースされる。全米では6月10日に発売されたもの。 まさに、オージェイズを総括したようなアルバムだ。これまで、オージェイズの初期の作品は、インぺリアル・レーベル、ベル、ネプチューンなどに残されていた。その中から、「ロンリー・ドリフター」「アイル・ビー・スウィーター・トゥモロウ」「ワン・ナイト・アフェア」など7曲が今回収録。さらに、フィラデルフィア・インター以降ではEMI、その後インディになるが、この「エッセンシャル」にはEMIでの「エモーショナリー・ユアーズ」のゴスペル・ヴァージョンが収録される。 また、特別にジェラルド・リヴァートの1995年のアルバム『ファーザー・アンド・ソン』収録の「ウィンド・ベネス・マイ・ウイングス(愛は翼にのって)」が、エディー&ジェラルド・リヴァートのデュエット作品として収録される。 今回の作品は2008年デジタル・リマスターもの。 オージェイズのリード・シンガー、エディー・リヴァート。その最愛の息子、ジェラルドとショーンは相次いで他界している。しかし、父たちのグループはいまだ健在だ。 オージェイズで最近印象的だったのは、映画『ファイティング・テンプテーションズ』のバーバーショップの店員役で出ていたシーン。理容椅子の周りをメンバーがアカペラっぽく歌いながら、周るシーンが最高だった。 久しく来日の声も聴いていないので、そろそろ日本にやってこないだろうか。 ■ 『エッセンシャル』(ソニーEICP1040~1) トラックリスティング Disc 1 1. Lonely Drifter 2. Lipstick Traces (On a Cigarette) 3. Stand In For Love [Live] 4. … Continue reading

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▲ケヴィン・オウエンス

▲Kevin Owens : Lead Singer Of Ray, Goodman &Brown 【ケヴィン・オウエンス】 ファルセット。 レイ・グッドマン&ブラウンは、元々はモーメンツというソウル・ヴォーカル・グループだった。1979年、モーメンツはそれまで所属していたニュージャージーのシルヴィア・ロビンソンが持つスタング・レコードから、メジャーのポリドール・レコードに移籍する。ところがそのとき、シルヴィア側から、『モーメンツ』というグループ名の権利は、シルヴィア側にあるので、その名前を使ってはならないと言われた。そこで、彼らはグループ名変更を余儀なくされる。 新しいグループ名はメンバー3人のファミリー・ネームをつけた。ハリー・レイのレイ、アル・グッドマンのグッドマン、ビリー・ブラウンのブラウンだ。3人あわせて「レイ・グッドマン&ブラウン」。新規名前で出した記念すべき第一弾が、あの「スペシャル・レディー」だ。イントロのアカペラから始まる名曲だ。 レイ・グッドマン&ブラウンは、順調にアルバムをリリースしたが、1982年、彼らが3枚のアルバムを出した後、リード・シンガーのハリー・レイがソロに独立。ハリー・レイはモーメンツ時代の古巣スタング・レコードに戻り、ソロ・アルバムを出す。これを機にグループは、新たなリード・シンガーとして、ニューヨークなどで活躍していたシンガー、ケヴィン・オウエンスをいれて再出発を計った。 ところが、ハリー・レイのソロ活動は1982年11月にシングルの小ヒットが1曲でただけで、思うように成功せず、結局彼は再びレイ・グッドマン&ブラウンに復帰。その場合、ケヴィンが4人目のシンガーとして少し後ろに下がることになる。 1992年春にレイ・グッドマン&ブラウンは、横浜本牧にあったアポロ・シアターでライヴを行う。ここには若干元気がなかったが、ハリー・レイがいた。そして、その年の10月1日、ハリー・レイが急死。ハリーは45歳の若さだった。 こうして、それまでにもハリー・レイ役を演じていたことがあるケヴィン・オウエンスが改めて、「レイ」として、名実ともにリードを取るようになった。 ケヴィンは1980年代から1990年代にかけて、ニューヨークのスタジオ・セッション・シーンでの売れっ子シンガーであり、多くの有名シンガーのバックなどもつけていた。1970年代以降にアルバムをだしたニューヨークのヴォーカル・グループ、リヴレーションの2枚目以降に参加したりもしている。 バックの仕事の中でよく知られているのが、かのルーサー・ヴァンドロスのレコーディング、ライヴにおけるコーラスの仕事だ。1990年代にはいってのルーサーのライヴでは、メンバー紹介のところで、ルーサーに「レイ・グッドマン&ブラウンのリード・シンガーをやっているケヴィン・オウエンス!」と言って紹介され、1分ほどだが、ルーサーとケヴィンがモーメンツ時代のヒット「ラヴ・オン・ア・トゥ・ウェイ・ストリート」を歌うシーンがある。これはなかなかすばらしい。 ケヴィンは、ハリー・レイ役を演じたが、ルーサー・ヴァンドロスのバックコーラスの仕事があると、そちらに行ってしまうので、そのときのためにもうひとりのリード・シンガー、通称アイスことラリー・ウィンフリーが加入。ケヴィンがいるときは、ラリーはバックで、ケヴィンがいないときはラリーでリードのパートを担当という4人体制になった。 ケヴィン・オウエンスは、言ってみれば、ニューヨークのスタジオ・セッション・シーン、リヴレーション、ルーサー・ヴァンドロス、そして、レイ・グッドマン&ブラウンと、ファルセット・ヴォイスのシンガーとしては、かなり王道を歩んでいるということも言える。ケヴィンは1992年に唯一のソロアルバムを出すが、そこにはもちろんルーサーもバック・コーラスとして名を連ねている。 モーメンツ時代、レイ・グッドマン時代、ともに素晴らしい楽曲が多数あるので、ぜひケヴィンにはハリー・レイに勝るとも劣らぬ活躍を期待したい。 (2008年7月15日、ケヴィンとレイの部分について書き直しました。安井さんいつも貴重な情報をありがとうございます) ENT>ARTIST>Owens, Kevin

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■スーパースターズ・オブ・ジャズ・フュージョン

■Superstars Of Jazz Fusion (Part 3): Funkin’ For Aoyama (Tokyo) (ライヴの内容がでます) 【スーパースターズ・オブ・ジャズ・フュージョン】 芸達者。 ジャズ・フュージョンというと、静かに腕を組んで聴くものなんて思っている人も中にはいるかもしれないが、この「スーパースターズ・オブ・ジャズ・フュージョン」は、まったくそんなことがない。ドラムス、ベース、キーボードなどの各達人たちが、みなエンジョイして演奏を聴かせ、客を徹底して楽しませる。演奏はそれはそれは確か。みなうまい。一言ファンキン・フォー・アオヤマだ、そうアオヤマ・ファンク・ナイトだ。 それにしても、みな芸達者な、ある意味「ジャズ芸人」だ。もっともそれが端的に表れるのが20分近くになる「ナイト・イン・チュニジア」。ミュージシャン連中はみな、「ここぞ」とばかりに張り切る。サックスのレイ・ガスキンス、ドラムスのリー・ピアソン、ベースのドナルド・ニックスらの各人の濃厚なソロ・プレイ、そしてロイ・エアーズ、トム・ブラウン、レイの3人のバトルなど見所たくさん。 特に、ベースのドナルドは、ソロを取り始めてから、上の音から順に下の音をだしていくが、そのあたりのやりかたがコミック・バンドの一員かというくらいお茶目。一通り終わると、まわりのメンバーがみなよってきて、彼の汗を拭くわ、風を送るわで称える。そして、最後に一言日本語で「私はベースマンです」と言って大うけを取る。芸達者はベースだけでない。ドラマーのリーも、かなり激しいソロのあと、スティックを頭の上に載せてドラムを叩く。ドラマーの頭の軸がしっかりしていないとこれは落としてしまう。かと思えば、2本の手を背中かから回してドラムスを叩く。 バンマスのロイ・エアーズは、バンドをまとめることが多く、本人のプレイは自己のライヴのときほど多くないが、「サーチン」では一気に観客をもっていった。しかも、CDのセールスCMなど、こちらも楽しませる。しかし、一番もっていったのは、豹柄のウェイン・ヘンダーソン。まるで、アフリカの悪大統領みたいな風貌、だがキャラクターはコメディアン、しかし、プレイは確実で観客を手玉にとる。 「キープ・ザット・セイム・オールド・フィーリング」では観客にこのタイトルのサビ部分を歌わせる。観客も総立ちになって歌った。それにしても、トム・ブラウン、ウェイン・ヘンダーソン、レイ・ガスキンスの3管は超強力だ。「キープ…」の途中で、客にリトル・リチャードをやらせたり、ジェームス・ブラウンをやらせたりするところも実に楽しい。しかし、ここまで芸達者が揃うと、ほんとおもしろい音楽エンタテインメントになるものだ。 やはり、アメリカではジャズもフュージョンもファンクもR&Bもみな一緒くたなのだ。 (ライヴは日曜まで。かなり満員のようですが、ブルーノートにお問い合わせください) http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html ■過去記事 July 10, 2008 “Funkin’ Party For Blue Note”(Part 2) : Miki Howard Talks http://blog.soulsearchin.com/archives/002602.html July 09, 2008 “Funkin’ … Continue reading

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●松尾氏ミキ・ハワードと旧交を温めるの巻

●“Funkin’ Party For Blue Note”(Part 2) : Miki Howard Talks (昨日からの続き) 【松尾氏ミキ・ハワードと旧交を温めるの巻】 旧交。 「スーパースターズ・オブ・ジャズ・フュージョン」とは、うまいネーミングをしたものだ。ベタといえばベタだが、とてもわかりやすい。そんな中にミキ・ハワードの名前があり、これはぜひ見たいと思う。もちろん、ロイをみたいと思う人も、トム・ブラウンを見たい人もそれぞれいるだろう。みなそれぞれだ。 さて、メンバーがファースト終了後、サイン会に並んだ。そこで、松尾さんがお客さんの列もなくなるころに近づくと、ミキ・ハワードのほうから「あ~~ら、久しぶり、よく来てくれたわねえ」と喜び勇んで声をかけてきて、いきなりハグ。 松尾さんの記憶によると、ミキにインタヴューしたのは1993年12月のこと。このころ、彼女はジャイアント・レコードからビリー・ホリデイのカヴァー・アルバムをだし、そのプロモーションとブルーノート・ライヴがあった。また、スパイク・リーの映画『マルコムX』でもビリー・ホリデイ役ででていた。キャリアも絶好調のころだ。ライヴは、1993年12月27日から31日まで旧ブルーノート(骨董通りにあったお店)で行われ、ニューヨークのサックス奏者ナジーとの共演で、「ナジー・ウィズ・ミキ・ハワード」の名義だった。 ミキの記憶によると、来日したのは「アル・ジャロウで1回、プロモーションで1回、ハワード・ヒューイットで1回、そして、今回」という。そこで話をしたときは、このナジーのことがわからなかったので、4回目なのかと思ったが、さて。 ところで、ミキがステージで歌っていたときにバックで若いマイケル・ジャクソン似の好青年がバック・コーラスをつけていたが、それがなんとミキ・ハワードの自慢の息子ブランドン・ハワードだった。しかも、すっかり、アメリカR&B業界で出世していて、ジェヌインだ、ニーヨだ、ブルック・ヴァレンタインだ、マーカス・ヒューストンなどとまさに今旬のアーティストたちに作品を提供したり、プロデュースしていたりする。トラックも作って、プロデュースもする、曲も書き、しかも歌まで歌うという。これはびっくり。 彼のマイスペースで音を聴いたが、いかにも今の流行の歌でメインストリームな感じ。ひょっとして、ネクスト・ニーヨ、あるいは、ネクスト・ショーン・ギャレットか。 http://www.myspace.com/bhoward2 「ママみたいにシャウトしてソウルフルには歌えないけど、僕も歌えるよ」とニコニコしながら語る。話し方や声がマイケルみたいなので、とてもやさしい感じがする。「ママみたいなレジェンド(伝説)は、新しいプロデューサーやソングライターと組んでやらないと、今の音楽業界では相手にされないんだ。パティー・ラベルだって、そうだろ。マドンナだってみんな若い連中とやっている。だからママにもそうした人たちと組んでやりなよって言ってるんだ」 すでにアメリカ音楽業界で活躍するだけに、しっかりとしている。 すると、そこにママ・ハワードが「『レジェンド』って言葉は、『オールド』を表す別の言い方なのよ」と皮肉っぽく口を挟む。 ブランドン&ミキ 松尾さんの記憶によると、1993年にインタヴューしたときに、食事をしたり買い物につきあったりしたそうだ。「そうなの、彼はものすごくよくしてくれたのよ。本当に、私を探してくれてありがとう!」とミキはことの他嬉しそう。そのときミキは、まだ小さな息子を連れてきていた。それが、このブランドン君だった。そのあまりの成長振りに、松尾さんもびっくり。15年も前だから、それは子供も大人になる。寿司屋で、ブランドン君はちゃんとお寿司を食べていたそうだが、ミキは熱いご飯にしょうゆをかけて食べていたそうだ。それを松尾さんが言うと、ミキは大笑いしながら、「それ覚えている。今でもそうやって食べてるもん」と答えた。 両者は15年ぶりに会ったと言うのに、つい昨日のことのように昔話をしていた。すばらしい。まさにソウル・メイトか。それにしても、ミキの気取りのないキャラがとてもいい。 ミキ・ハワードの母はジョセフィン・ハワードといい、まさに伝説のゴスペル・グループ、キャラヴァンズのメンバー、また父も伝説のゴスペル・グループ、ピルグリム・ジュビリーズのクレイ・グラハムだ。血筋が違うのだ。そして、まだ15-6歳のころ、生まれ故郷のシカゴからロス・アンジェルスに移りそこで、オージー・ジョンソンという人物に認められる。このジョンソンは、ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループ、サイド・エフェクトの中心人物で、ミキはこのグループにリード・シンガーとして迎えられ、彼らは誰あろうクルセイダーズのウェイン・ヘンダーソンのプロデュースでデビューする。 そう、この日、ミキ・ハワードがステージに立ち、最後にウェインが出てきたが、ウェインはミキをこのショー・ビジネスの世界に引き入れ大きな扉を開いた張本人なのだ。サイド・エフェクトでの実績を背景に1980年代に入り、ソロ・シンガーとしてひとり立ち、多くのヒットを放ち、現在に至っている。 ところで、これも松尾さん情報。キーボードもやり、サックスも吹き、バック・コーラスもつけるひじょうに器用なレイ・ガスキンスは、アメリカ南部の出身で、あのエクスタシー・パッション&ペイン(「タッチ・ミー」などが有名)のリード・シンガー、バーバラ・ガスキンスの甥っ子だそうだ。そして、ジョスリン・ブラウンの従兄弟ということになる、という。 いろいろなつながりがあって、実におもしろい。この日の出演者全員と話しができたら、それこそ本一冊できるくらいのおもしろい話が聴けそうだ。 ■ ミキ・ハワード・オフィシャル・ウェッブ http://www.miki-howard.com/ ■ ミキ・ハワードCD ◎『ラヴ・コンフェッションズ』(1987年)(2作目) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002IM0/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ◎ミキ・ハワード 『ミキ・ハワード』(1989年)(3作目) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002IOL/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ◎ベスト・アルバム (2001年) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005LMXG/soulsearchiho-22/ref=nosim/ … Continue reading

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⊿ミキ・ハワード、ロイ・エアーズ・ライヴ

⊿“Funkin’ Party For Blue Note” (Part 1) : Superstars Of Jazz Fusion Live (ライヴの内容に若干触れます。これからごらんになる方で事前に内容をお知りになりたくない場合はご注意ください) 【もりだくさん、ファンク・ジャズ・パーティー】 パーティー。 ロイ・エアーズが中心となり、ジャズ・フュージョンの世界で活躍するスーパースターを集めた一大ライヴ・イヴェント、それがこの「スーパースターズ・オブ・ジャズ・フュージョン」というライヴだ。アメリカでこのメンバーでツアーをしているそうで、それが日本初登場となった。登場アーティストの名前を見て彼らが一堂に会すると想像するだけで、どんなものになるか興奮してしまうが、その名に違わず盛りだくさんのライヴとなった。 ロイ・エアーズに始まり、トム・ブラウン、ウェイン・ヘンダーソン、ロニー・リストン・スミス、そして、ミキ・ハワードまでみな、ひとりで自分のソロ・ライヴを行える実力者たちばかり。それはそれは贅沢な一夜だ。 その昔、ミキ・ハワードがプロモーションで来日したときに、ミキとその息子と一緒にスシを食べたことがあるという松尾潔氏がスケジュールの関係でこの日しか見られないというので、一緒に初日ファーストに。 基本的には、ドラムス、ベース、キーボード3、サックス2、ヴィブラフォン、トランペット、ヴォーカル2といったメンバーたち総勢11人が入れ替わり立ち替わりステージにあがる。だいたいロイ・エアーズの最近のバンドメンバーが核となっている。リズム隊など、前回のロイの来日メンバーとほぼ同じ。 ショウは、まずロニー・リストン・スミスが2曲インスト曲をやり、そして、いきなりミキ・ハワード登場。自作アルバムから「アンティル・ユー・カンバック・トゥ・ミー」(スティーヴィー作、アレサ・フランクリンのヒット)、ビリー・ホリデイの「グッド・モーニング・ハートエーク」。特に前者での迫力あるヴォーカルはすごい。シャカ・カーンばりだ。ミキは、ソウル、R&Bとジャズの両岸を行ったり来たりするが、この2曲はそんな双方の魅力を見せた選曲だ。バックで、マイケル・ジャクソン風の若い男性がコーラスをつけているのが、気になる。 ミキが残り、トム・ブラウン登場。大ヒット「ファンキン・フォー・ジャマイカ」。そして、トムのファースト・アルバム『ブラウン・シュガー』からロバータ&ダニーの「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」へ。これを歌うジョンというシンガーも初めて見たが、なかなかいい味をだしていた。 リーダー、ロイがほぼ全員で「ナイト・イン・チュニジア」をやると宣言。これが途中に各ソロパートをいれ、じつにスリリングな展開となった。ベースマン、ドナルド・ニックスが大変ユーモアあふれるエンタテイナーぶりを発揮。大受けした。 観客は昔からのストレート・ジャズが好きな人が多いような印象で、R&B的な曲より、こうした「チュニジア」のようなジャズ曲のほうが受けていた。日本ではR&B、ソウルを聴く人と、ジャズ、フュージョン、あるいはジャズ・ファンクを聴く人があまりかぶらないから起こる現象なのだろう。一方で、「サーチン」などは、若いクラブなどに行く層も聴くので、それはそれで反応する。 そして、最後にど~~んと登場したのが、豹柄エプロンが超派手な元クルセイダーズのトロンボーン奏者、ウェイン・ヘンダーソンだ。クルセイダーズのヒットを2曲やり、盛り上げ、アンコールへ。 「豹柄エプロンでトロンボーン吹くのは世界で私だけです」(ウェイン・ヘンダーソン) 全員が超プロで、どんな曲にも対応する。特にステージ右でキーボードを弾きながらサックス、コーラスまでやってしまう器用な人物はレイ・ガスキンス。横から見た姿は、フレッド・ウェスリーを思わせる。 90分、まるで、ジャズ・ファンク・パーティーのオムニバスのような感じでなかなか楽しめた。ライヴ後サイン会があった。ウェイン、ロニー、ミキ、トム、ロイらが参加した。 (この項、ミキ・ハワードの話で続く予定) (ライヴは7月13日日曜まで連日、東京ブルーノートで) http://www.bluenote.co.jp/jp/index.html ■ 過去関連記事 October 25, 2007 Roy Ayers & Bilal … Continue reading

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△シャロン・ページは来ています~ハロルド・メルヴィンズ・ブルーノーツ

△Sharon Paige Is Here : Two R&B Vocal Groups Still Alive & Kickin (ライヴの内容に触れます。これからごらんになる方は、ご自身の判断でお読みください) 【シャロン・ページは来ています~ハロルド・メルヴィンズ・ブルーノーツ】 二組。 1970年代に大活躍した2組のソウル・ヴォーカル・グループ、ハロルド・メルヴィンズ・ブルーノーツとレイ・グッドマン&ブラウンが、ビルボード・ライヴでジョイント・ライヴ。前半がブルーノーツ、後半がレイ・グッドマンたち。そして、最後に両者全員が揃ってアンコール、という構成。バンドは、レイ・グッドマンたちのバンドを共有。ブルーノーツは、2006年2月以来、レイ・グッドマンたちは2002年1月以来の来日。 ブルーノーツは、リーダーのハロルド・メルヴィンも1997年3月に他界しており、もともとのリード・シンガー、テディ・ペンダグラスもいないのだが、名前をメンバーたちが引き継いでいる。言ってみれば「内山田洋とクール・ファイヴ」に内山田洋がいなくて、しかも、リード・シンガーの前川清もいない、みたいなもの。だが、この4人組は十分伝統的なR&Bヴォーカル・グループの粋を見せてくれた。 リード・シンガー、ダーネル・ガレスピーは、足を悪くしたのかスツールに座っての歌唱だったが、残る3人が実に激しく元気よく踊る。ダーネルの声はまさにテディペン系の迫力ヴォイス。 メンバー紹介がなかったが、最初の位置で向かって左からダーネル、ジョン、アンソニー、ルーファスの4人だ。(前回ライヴの記憶などによる) そして、ビルボードの告知にはなかったのだが、ちゃんとシャロン・ページが登場。前回来日ではしっかり告知されていたが、なんと今回も来ていて、18番の2曲を歌った。(セットリスト参照) やはりいい声だ。ちょっと小さくて、シャロンは魔法使いのように声を操る。これは、今からでも遅くないから、シャロン・ページの名前を告知などで出した方がいい。途中4人がマイクから離れてコーラスを聴かせるところがあり、なかなかヴォーカル・グループ・ファンとしてはスリリング。 そして、バンドはそのまま待機して、レイ・グッドマンたちを呼び込む。こちらは、今回は4人でのステージ。最初の立ち位置で向かって左がラリー、低音のアル・グッドマン、多くのリードを歌うファルセットがケヴィン・“レイ”・オウエンス、そして、もうひとりのオリジナル・ビリー・ブラウン。ケヴィンは、故ハリー・レイ役を担当。なかなかうまく味わいをだすが、もともとケヴィンはこのレイ・グッドマンのレコーディングやライヴで第4の男として影で歌っていたこともある。舞台の紹介でも、ルーサー・ヴァンドロスとともに27年間歌ってきた、と言われていた。古くは、リヴレーションというヴォーカル・グループのリードとしても活躍したことがある。隠れたファンを持つシンガーだ。 そして、レイ・グッドマンたちが表向きは3人で活動していたときも、ステージやレコーディングで第4の男がいたのだが、今回参加のラリーはまさにその第4の男役。 やはり、ベースのアルを含む4人でのアカペラから始まる「インサイド・オブ・ユー」などはぞくぞくする。そして、ヒット曲メドレーも、いいスイート・ソウル曲が多くて、懐かしい。しかし、ハリー・レイの代役はさすがのケヴィンにも若干の重荷。彼らはスローヒットが多いせいか、ブルーノーツほどは振り付けがないが、その分しっとりとした雰囲気をだした。 ■過去関連記事 February 27, 2006 Harold Melvin & The Blue Notes Live: The Legacy Still Continues http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200602/2006_02_27.html February … Continue reading

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▼エリック・ミヤシロとイルカ

▼Eric Miyashiro Talks About Maynard Ferguson 【エリック・ミヤシロとイルカ】 恩師。 『ソウル・ブレンズ』に、トク(TOKU)がライヴ告知のゲスト、さらに、「山野ミュージック・ジャム」のコーナーで、日系トランペット奏者、エリック・ミヤシロさんがゲスト。エリックさんは初めてお会いしたが、日本語も英語もどちらも流暢に話す文字通りバイリンガル。DJマーヴィンとは英語で、僕やチーちゃんとは日本語で話す。 彼の恩師がメイナード・ファーガソンというヴェテラン・トランペッターで、エリックさんの最新作『プレアデス』(ソロとして通算4作目)は、イルカの素敵な写真をジャケットにした自信作で、ファーガソンへのトリビュート作だ。 オンエアーでは流れなかったが、ファーガソンの代表曲である「ロッキーのテーマ」についてエリックさんはこんな話をしてくれた。一般的な人気曲とミュージシャンがやって好きな曲は微妙に違うという話だ。「ジャズ・ミュージシャンは自分の曲に、ガールフレンドや奥さんなどの名前をつけてはいけないんですよ。別れた後も、その曲をやらなければならなかったりするでしょう。そういう曲に限って人気がでたりします。ファーガソンも実は『ロッキー』を毎回やるのが嫌になっていたんです。お客さんはそれを期待するし、やると喜ぶんですけどね」 なるほど。エリックさんの「ロッキー」は、しっとりとしたスムース・ジャズ風に仕上がっている。彼はファーガソンが、人間として、またバンドマスターとしても、素晴らしい人徳やオウラを持っていたと語る。 今回のアルバム・ジャケットはイルカ。それにはこんなエピソードがある。彼が高校時代に仲間とサーフィン中、潮の流れのために沖に流され、10匹くらいのシュモクザメというサメに囲まれた。もうだめかと思ったとき、どこからともなく2匹のイルカがやってきて、そのサメを追いやったという。 ハワイでは、イルカと亀がそこに住む人たちの守り神として敬われているそうだ。そのときエリックさんは、本当にイルカに助けられたと思った。そして、今回のアルバムではそんなイルカをジャケットにしてみたかった、という。しかし、考えてみると、もしそこにハワイの守り神イルカが来なければ、エリックさんたちはサメに襲われてしまっていて、今日の活躍はなかったかもしれないから、まさにイルカさまさまだ。 「じゃあ、次のアルバムのジャケットは、亀ですか」と言うと、エリックさん「それはおもしろいですねえ」と笑った。 ■ エリック・ミヤシロ 『プレアデス』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00172RN5U/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ENT>MUSIC>ARTIST>Miyashiro, Eric

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▽ラベル再結成へ~32年ぶり新作9月に

▽LaBelle Reunion : Album Due September 【ラベル再結成へ~32年ぶり新作9月に】 再結成。 「レディー・マーマレード」の大ヒットで知られる女性3人組みグループ、ラベルが再結成された。去る2008年7月5日、ニュー・オーリーンズで行われた『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』でライヴ・パフォーマンスをみせたという。 グループ「ラベル」は、パティー・ラベル、ノーナ・ヘンドリックス、サラ・ダッシュの3人からなり、1960年代初期に結成され、1975年の「レディー・マーマレード」の大ヒットで一躍メジャーに躍り出た。その後、3人ともソロに転じたが、なかでも、パティー・ラベルはソロ・シンガーとしても次々と大ヒットを放ち人気を集めた。80年代以降はそれぞれ別個の活動が続いたが、彼女たち3人は、1991年、アポロ・シアターで再結成ライヴを敢行。またその後、パティー・ラベルのライヴに2人が参加したり、また、2005年にパティー・ラベル芸能生活45周年を記念したイヴェントでも同じステージにあがり、一時的な再結成が行われ、そのたびにグループとしての再結成とアルバムのレコーディングがうわさされた。 今回の『エッセンス』での再結成は、かなり本格的なようで、レコーディングおよび若干のツアーもあるようだ。アルバムは全米で9月23日、ヴァーヴ・レコードからリリースされる予定。これは、フィラデルフィアの名プロデューサー、ギャンブル&ハフとレニー・クラヴィッツがプロデュースするという。アルバム自体では1976年の『カメレオン』以来、32年ぶりの新作ということになる。 彼女たちの大ヒット「レディー・マーマレード」は、ニュー・オーリーンズの名プロデューサー、アラン・トゥーサンがプロデュースしたもの。そのゆかりの地での再結成ライヴは、大いに盛り上がったことだろう。 「レディー・マーマレード」は近年では、クリスティーナ・アギレラほかがミュージカル『ミューラン・ルージュ』の中で歌い大ヒットさせた。 パティー・ラベル、ノーナ・ヘンドリックスはそれぞれ各個人で来日したことがあるが、ラベルとしては来ていない。 ENT>ARTIST>LaBelle

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☆スパム・メールよ、さようなら

☆Say Goodbye To Spam Mail 【スパム・メールよ、さようなら】 スパム撃退。 1ヶ月ほど前に、マルターノの大西さんから、「スパム・メール(ジャンク・メール)どうしてます」と言われ、「ひたすらフィルタリングの設定してます」と答えたら、「実は、ものすごいソフトがあるんですよ」と説明を受け、試しに使ってみることにした。彼の本業の会社インフォマニアがアメリカの会社と提携してリリースしたもの。使ってみたら、ここ1ヵ月、ひじょうに使い心地がいい。僕も毎日数十通のスパムが来るが、自分のフィルタリングとこのサーヴィスでかなりメインの受信箱がすっきりしてきた。月250円年間3000円で提供する。 説明によると、これはサンフランシスコにあるクラウドマーク社の製品で、業界1のスパム検知エンジンだとのこと。この会社は北米の大手ISP12社中11社、日本でもOCN、BIGLOBEなど大手10社中8社をクライアントに持ち、世界で6億メールアカウントのスパムチェックをしている、この業界で現在世界一の会社という。 ここまでスパムを振り分けられる秘密はメールを非常に小さな何点かの特長で識別する(フィンガープリント)という独自の技術と、世界6億のユーザー全てが誤検知と検知漏れを直ちにレポートし、それが45秒おきに反映される仕組みを持っているためだそうだ。 使い方は簡単で、自分のメールソフトの受信設定を変え、フィルタリングサーバー経由で受信するだけで、ウィルスとスパムをチェックする。現在1ヶ月の無料試用のキャンペーン中。メーラーの設定を簡単に変更するだけで試せる。 プレスリリースはこちら。 http://www.news-on.jp/info.php?type=press&id=P0000336&all=true そして、ホームページはこちら。ここで無料試用ができる。 http://www.answre.jp/ なにしろ、僕自身もあまりのスパム・メールの多さに負けてメール・アドレスを変更も考えたこともあったが、10年以上使ってきたメアドを変えるのはやはりかなり抵抗がある。仮に新しいメアドを作っても、結局新しいメアドにスパムは来る。ということは、このようなスパム撃退ソフトに頼らざるを得ない。コストも1日10円以下だとけっこういい。スパム・メールにお悩みの方、一度試されてはいかが? LIFESTYLE>IT

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○ソウルバー高速はしご

○More Soul Bars & “Kawaii Hitoyo” 【ソウルバー高速はしご】 10軒。 昨日のソウルバーめぐりは、なんと計10軒にいった。訪れた各店のみなさん、お相手したいただきありがとうございます。 コースはこうだ。出発点は、ダンステリア(白金)→ティアーズ(六本木)→アライバー→ヴィルトス→キング・ハーヴェスト(赤坂)→ミラクル(赤坂)→しずおかや(下北沢)→ストリート・カフェ(三軒茶屋)→海老重(西小山)→ソウル・ナッツ(三宿)。なんでこういう順番になったのかは、いまとなってはもうわからないが、一筆書き風に行きたいと思ったことは確か。でも、これは行き過ぎかも。(笑) まだまだ恵比寿、渋谷、銀座、新宿、中野、池袋、江東区方面その他の地域で都内だけでもたくさんのソウルバーがある。訪問できなかったバーのみなさん、すいません。改めておうかがいするかもしれませんので、そのときはよろしくお願いいたします。 キング・ハーヴェストはソウルバーというより、レストランでソウルやジャズがかかっている店。以前ソニー・レコードでマーチンの作品を担当していた平野さんが始めたお店。長丁場マラソンの給水所みたいな感じ(笑)で、ちょっと軽く食料補給に寄った。このあとミラクルへは徒歩で移動。六本木のティアーズ、アライバー、ヴィルトスもやはり徒歩圏内。六本木は、向こう側のワッツ・アップなどに時間の関係で行けなかった。すいません。 下北沢からは茶沢通りを抜けるが、その道すがらのアルゴンキンはなぜかお休み。そして、ストリート・カフェに行ったが、この近辺もラヴィング・パワーなどいくつかある。三茶・三宿エリアはソウルバー密度濃し。 最後マイケル&ケイコのソウル・ナッツで、キング・オブ・ソウルの「可愛いいひとよ」のライヴ映像を見せてもらった。今回はブラザー・コーンが、この踊りをかなり覚えていたので、それを元にコック・マック&ノッキーは踊っているのだが、けっこう近かった。 ま、本当にソウルバー高速はしごだ。しかし、都内全部はなかなか回りきれない。 ENT>SOULBARS

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◎「可愛いいひとよ」は定番

◎More “Kawaii Hito Yo” For Soul Bars 【「可愛いいひとよ」は定番】 ソウルバー。 マーチンさんオフィースから頼まれ、マーチンの新譜『マティーニ・デュエット』をニックさんゆかりのソウルバーにプロモーションしたいというので、おつきあいした。いやあ、久々に回ったソウルバー。(笑) まずは、白金ダンステリア。ちょうどユキちゃんが、ダンスのレッスンをしているところにおじゃまして、ご挨拶。やはり、かつてここにニックさんと勝本さんがいたことを思い出すと感慨深い。なんか、江守さんのイラストの壁画の前に、いまにも2人がでてきそうな気配さえする。ダンステリアは、1984年オープン。来年なんと25周年になる。「なんかいろいろ考えますよ、そのときは吉岡君も協力してください」とユキちゃん。もちろん。 そして、六本木ティアーズ。事前に1本電話をいれると、「はい、そのCDはもう買いました」と。ティアーズは1996年7月8日オープンで、今年12周年。えええっ、もうそんなに経ちますか。時の流れは速い。またまた光陰矢のごとし。(こればっかしだ) エマ・ママ、なんとその昔、シャネルズのおっかけだったことが発覚。昔のアルバムをひっぱりだし、しかも、そこには若きマーチンとエマさんのツーショットが!! エマさんはルイード時代からシャネルズを見ていた、という。そして、化粧品、スタイリストなどを経てソウルの道に入り、12年前に念願の店をオープン。ママは「可愛いいひとよ」も「ライダー・ブルース」も、のれば、ショータイムをやるほど大好きだ。もちろんニックもここでDJをしていた。 全国ソウルバー総本山、ミラクル。川畑さん、キッチンの中でお仕事。「店は8時からなんで、8時には(僕は)いますよ。ただ、コットンクラブでライヴ見たりしてくると、8時半とか9時になっちゃいますが(笑)」。同行秋場さんに「ここはね、全国のソウルバーの総本山なんですよ。だから全国のソウルバーからのみかじめ料が毎月上がってくるんですよ」と説明すると、「ホントですかあ」と驚嘆された。「もちろん、ウソですよ、ウソ!」 「ホントかと思いました(笑)」ミラクルも2003年オープンですでに5年。はや。川畑さんのソウルバー一号店は1979年だから、すでに29年余だ。 2003/05/09 (Fri) Miracle: Don’t show up with old name http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030509.html そして、マーチンが師と仰ぐ富田さんのいる下北沢エクセロ、現・しずおかや。途中から電話すると、11時まわっているのに満員とのこと。とりあえず、向かい、店に入るとカウンター席がちょっとだけあいていた。若者でいっぱいだ。下北沢ならではか。エクセロ自体は1974年スタートで、何度か引越しなどして、2005年4月からこの場所に。 January 26, 2006 Excello/Shizuoka Ya @ Shimokitazawa: Soul Oden Restaurant http://blog.soulsearchin.com/archives/000795.html 途中で別仕事をしていたマーチンから、励ましの電話入る。「いやあ、もうジンジャーエールでおなか、ガボガボです(笑)」というと、笑いながら、「じゃあ、たまにはアイス・ティーでも飲んでください」とのアドヴァイス。 ステップと言えば、ダンテリ、ティアーズと並んで御三家と言われる西小山の海老重。週末以外はしっとりとソウルを中心にいい音楽をかける。これからおうかがいします、と電話をいれると、またも「あ、もう買いましたよ」とのお返事。しかも、重厚な扉を開けるとマーチンの『ソウル・レジェンド』のアナログ・アルバムがわれわれを待ち受けていた。ちょうど「ミー&ミセス・ジョンーズ」がかかっていた。ここで海老沢さんから、「可愛いいひとよ」のヒップ・アップの7インチシングル、さらにローズマリーの7インチシングルを聴かせてもらう。これはどっちも知らなかった。 「可愛いいひとよ」は、オリジナルがクック・ニック&チャッキー。山瀬まみ、レイジー 、時東ぁみ、ホワッツ・ラヴ(What’s Love?)、「小夏・ひとみ・レイナ」などもカヴァーしている。そして、ニックを含むキング・オブ・ソウル(ほかにドン勝本、マイケル鶴岡との3人組)もカヴァーした。なんと、カラオケには、クック・ニックたちのヴァージョンはなく、山瀬まみのヴァージョンがあるそうだ。そして、それらに加えて、今回コック・マック&ノッキー・ヴァージョンが世に出た。海老重では、週末すでにヘヴィー・ローテーションで、オリジナルと一緒にかけたりしている、という。 … Continue reading

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◆横浜シュガー・シャック、FMで復活~松尾KC氏コラム復活

◆“Sugar Shack” Will Be Back On The Radio, KC Back On The Column 【横浜シュガー・シャック、FMで復活~松尾KC氏コラム復活】 復活。 2008年1月、惜しまれながら17年の歴史にピリオドを打った横浜の名ソウルバー、シュガー・シャック。現在、店の跡地は更地になった後、100円パーキングになった。一・二度閉店後、その前を通ったときには、まだ建物自体はあった。駐車場になってからまだ現場に足を運んでいないが、やはり、一抹の寂しさを覚える。 そんな「シュガー・シャック」がFM横浜のラジオ番組で復活する。今週金曜(初回放送は2008年7月4日金曜深夜24時30分~25時)から。シュガー・シャック・オウナー、石川さんとDJ鈴木さんがソウル・バー寄りな選曲で、ラジオのあるその部屋を瞬時にソウル・バーにしてしまう、という。また、石川さんは店舗の復活もひそかに計画中だとか。これも楽しみだ。 番組公式ウェッブ http://www.fmyokohama.co.jp/onair/program/SugarShack/index.html 番組ブログもスタート http://blog.fmyokohama.co.jp/sugar/ ■ シュガー・シャック過去関連記事 January 24, 2008 Sugar Shack Is Forever http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200801/2008_01_24.html January 25, 2008 Sugar Shack’s Mr. Ishikawa Talks http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_01_25.html … Continue reading

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★ワンダラーズ&ジミー・クール・ジュニア

★Wanderers (Han-derers) & Jimmy Cool Jr. Live @ Street Cafe 【ワンダラーズ&ジミー・クール・ジュニア】 小1 昼過ぎに4月に再オープンした三軒茶屋のソウルバー、ストリート・カフェの長野さんからメールがきた。今日ワンダラーズの小規模編成のハンダラーズのライヴをやるので、ぜひ来てください、この前の小1の勇也も何曲かやります、とのこと。しかもこの小1勇也くん、今日はギターを弾きながら歌うという。 この日のハンダラーズは、ギター2、ベース、パーカッション、ヴォーカル隊は4人。ごきげんなロックン・ロールとソウルのヒットを手馴れた調子で次々と披露。来月は銀座ケントスに出演だそうで。ケントスにはどんぴしゃだ。 そして中盤、小1勇也君登場。ギターは、子供用のミニ・ギター。いきなり、「ムスタング・サリー」かい。ほんと、いっちょうまえ。驚く。次々とやるのだが、詳しくはセットリストを。すべての曲を、耳で覚えるという。歌詞もギターのフレーズも。MCとのからみトークも、ほとんどからまず(笑)、ひたすらギターと歌。もちろん、歌とか、発音、音程などはずれてしまうところもあるのだが、やはり、こうした曲を6歳の子がやっている「絵」だけで、こちらとしては驚かされる。勇也君の後、(笑)MCのケンさんも「やりにくいよ~(苦笑)」。 長野さんによると、彼もこの勇也君がギターを弾くことはこの日の午後リハになるまで知らずに、そこでスモーキーの「ユーヴ・リリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」のイントロのギターのリフを弾いて聴かせたら、すぐにそのフレーズを真似て弾いて、驚いて僕にメールしてきた、という。 勇也君、芸名ができた。「ジミー・クール・ジュニア(Jimmy Cool Jr.)」だ。これはクールズ・ファンでミュージシャンのお父さんが「ジミー・クール」で、その息子さんだから、ジュニアというわけ。それにしても将来どうなっていくのだろうか。 勇也君6歳 April 12, 2008 James Fujiki & Friends @ Street Cafe http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_04_12.html ■ メンバー (ハンダラーズ) 和田ジョージ(ヴォーカル、ギター) 後藤ナオキ(ヴォーカル、ギター) 清水ケン(ヴォーカルMC)沼地K一郎(ヴォーカル) サブ(パーカッション) 鈴木勇也(ジミー・クール・ジュニア)(ヴォーカル、ギター) ■セットリスト ワンダラーズ Setlist : Han Derers(Half … Continue reading

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