Monthly Archives: June 2008

▲「ソウル・ブレンズ」2組ゲスト

▲Soul Blends Has Two Guests 【「ソウル・ブレンズ」2組ゲスト】 賑わい。 2008年6月29日(日)、『ソウル・ブレンズ』を含むインターFMスタジオは、大賑わい。『ソウル・ブレンズ』にマーチンこと鈴木雅之さんゲスト、さらに、山野のコーナーでビッグバンドの熱帯ジャズ楽団・主宰ボス、カルロス菅野さんがゲスト。さらに後の韓流番組に韓流系のゲストもあり、スタジオ外もにぎやかだ。 マーチンさんは6月25日『マティーニ・デュエット』をリリース、現在全国プロモーション展開実施中。今回、なぜ「可愛いいひとよ」をカヴァーしたのか、なぜデュエット・アルバムかなどを雄弁に語った。「(デュエットをやることで)19歳の子ともラヴストーリーを語れる」 マーチンさんは4時の時報をまたいでの出演だ。 前回インターに来たときには、現在のスタジオがまだ完成しておらず、テントで囲まれた仮設スタジオだったので、きれいになったスタジオに驚いていた。 「可愛いいひとよ」をレコーディングしていたとき、偶然、作曲家の大野さんと会った話など。そして、マネジャー、スタッフなどともに、「プロモーションで、ソウル・バー行きましょうよ~~」との声。しかし、ターリンのメール、長いよ! (笑) ちょうど、マーチンさんがスタジオを出て、カルロスさんが入るときに、顔合わせする。「どうもどうも」と言って握手、たぶん、初めてではない、という。 そして、4時半からカルロスさん。始まる前のほんのひととき、チーちゃんとカルロスさんは釣りの話しでひとしきりもりあがりだ。カルロスさんのゲストはちょうど一年前の新譜リリースのとき以来。今回は初めての全曲ヴォーカル・アルバムと、熱帯のオリジナル曲ばかりを集めたベストの2枚をひっさげての登場。ヴォーカル・アルバムは、50歳にして初のヴォーカル作品とのこと。ジャケットがセピア色でフランク・シナトラ風で実にかっこいい。 いつもやっている勝手にキャッチフレーズ、ご本人の前でやるのは照れるのだが、気に入っていただいたので記念にここにもアップしよう。 熱帯の暑い風が吹いてくる 熱帯の熱いビッグバンドが炸裂する 熱帯JAZZ楽団 12作目 オリジナル楽曲ばかりを 集めたベスト 『ジ・オリジナルズ』 そして、魅惑のとろけるビロードヴォイス、カルロス菅野  完全全曲ヴォーカル・アルバム 『シングス!』 2枚あわせて熱く、甘く、発売中 山野楽器へ直行 つっかからずに言えました。(笑) というわけで、大賑わいの『ソウル・ブレンズ』でありました。ゲストが多いと、あっという間に終わります。(笑) ENT>RADIO>SOUL BLENDS

Posted in ブログ | Comments Off

■深町純即興ピアノ・パーティー第90回

■Fukamachi Jun #90 : I Will Play Piano For Your Funeral  【深町純即興ピアノ・パーティー第90回】 葬式。 即興ピアニスト深町純・月例ピアノ・パーティー第90回。 深町さん語る。「即興演奏の練習はできない。1人で練習しようとしても、客がいないとすぐやめてしまう。即興演奏は、聴いてくれる人がいると、ちょっとやなことがあっても、少し我慢して演奏を続けられる。即興演奏の仕方を教えている学校があるらしいがそれは偽証です」 「最近ね、前のテレビがもう色がでなくなっちゃったんで、新しい37インチのテレビを購入した。そこで、ハイヴィジョンってなんてきれいなの、と思って。その画面の美しさに魅せられ、最近はもっぱらテレビ少年になっている。だが、たいていは音楽番組が気に入らない。あれは、きっと予算がかけられないんだろうね」 「ピアノを弾いていると、聴いている人たちがどんな状況で聴いているか、どれくらい聴いてくれているか、すごくよくわかる。あるとき、若くして突然死した友人のお葬式でピアノを弾いたことがあったが、そのとき、みんなが泣いているにもかかわらず、自分のピアノをすごくよく聴いてくれていることがわかった。後日その友人のお母さんから、深町さんのピアノはすごくよかった、あれを聴いてうちの娘も天国へ行けたんだと思う、という手紙をもらった。それは、そのお母さんを少しでも癒せたことになったと思って、けっこういいことをしたんだな、と思えた。バッハという作曲家は教会のオルガン弾きだったから、おそらく葬式と結婚式でたくさん弾いていると思う。それで、僕も葬式で弾くのもいいな、と思った」 「だから、ここに来ている人全員、葬式で演奏してあげよう。(笑)」 2001年1月から始まったこの会、今回で90回目。「最低、100回目までは続けますよ~~」100回目は2009年4月25日の予定だ。 ■ 過去記事 June 01, 2008 Fukamachi Jun #89: Keyboard Party http://blog.soulsearchin.com/archives/002550.html April 27, 2008 Fukamachi Jun #88: Jun Lose To Young … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

●ナタリー・コール満身創痍のステージ(part 1)

●Natalie Cole (Part 1) : Show Must Go On : Her Final Soul Searchin’  (ライヴの内容にふれます。これからごらんになる予定の方は、ご自身の判断でお読みください) 【ナタリー・コール満身創痍のステージ】 再び(Again)。 ショーが始まる前、超満員のブルーノートの店内は喧騒に包まれていた。ナタリー・コールの2004年5月末からのライヴ以来約4年ぶりの来日公演。いつも満員になるナタリー公演は4年ぶりということもあってか全14公演が売り切れになっていた。だが、初日(2008年6月22日)のステージにナタリーは、車椅子で登場したという情報が伝わっていた。さらには火曜日、木曜のセカンド・ショーがキャンセルになっていた。こんなことはブルーノート史上今までない。不安と心配を胸に金曜のファーストに。 4曲ピアノ・トリオのインストゥルメンタルが静かに演奏された。音がいつもより小さく聴こえる。およそ20分の演奏の後、MCが英語で「最近負った怪我のため、ミス・コールは車椅子でステージにあがることをお詫びします」というアナウンスをして、ナタリーがスタッフに車椅子を押されながら登場。ナタリーはご存知のように身長が175センチ以上ある。かなり大柄だ。だが、ステージに上がったその姿を見たとき、少し痩せたように思えた。そして、背が気持ちまるまっているためか、小さくも見えた。 そして、ベースの音にあわせて歌い始めた「フィーヴァー」。なかなか声が思うように出ない。喉がいがいがしているのか、ちょっと声ががさがさしている。バンドの音が聴こえにくいのか、音程もままならない。これを見た瞬間、火曜と木曜のセカンド・ショーをキャンセルしたことに納得した。きっとナタリーは満身創痍(まんしんそうい)なのだ。 「ホワット・ア・ディファレンス・ア・デイ・メイクス(恋は異なもの)」も、続く曲も、なかなか本調子になれない。たぶん、車椅子ゆえに思うように腹筋などにも力が入らないのだろう。僕は思った。なぜこうまでしてステージに上がらなければならないのだろうか。そんな無理しなくてもいいではないか。それがエンタテイナーの性か。その姿は痛々しかった。いつもの調子なら、こんなおそらく歌いこんだ曲など朝飯前で歌いこなすだろう。だが今、ステージの彼女は誰の助けを得ることも出来ずに、ただひたすら必死に歌い続ける。彼女のバックには7人のミュージシャン、シンガーがいるが、スポットライトが当たるのは彼女、ナタリー・コールだ。バックのミュージシャンたちは最大級のサポートをするが、ミュージシャンたちと一体化することもできずひとり孤独のステージを続ける。 時に水で喉を潤し、唇を拭き、マイクを離して咳払いをし、歌い続ける。カーメン・マクレイも歌った「コーヒー・タイム」を終えて、ナタリーは言った。「この一週間、ここブルーノートではinteresting week(興味深い一週間)を過ごさせてもらっています。3-4年ぶりにこのファンタスティックな東京ブルーノートに戻ってこられて本当に嬉しいです。ブルーノートのスタッフのみなさん、ありがとう。そして、ここに戻ってきたいと思います。また(Again, and again, and again and again…」 もちろん興味深い一週間は、2度のキャンセルでの混乱を指している。彼女はアゲイン(再び)と言う単語を4回も言った。そして、ナタリーは、アレサが歌ったヴァージョンが大好きと言って次の「アンティル・ザ・リアル・シングス・カムズ・アロング」を歌った。 ステージの彼女は、観客から拍手を受け、エネルギーを得て少しずつ気持ちよくなっているように見えた。そのせいか、他のセットより少し曲が増えていたようだ。ブルーノートのウェッブに発表された日曜のセットリストではファースト、セカンドともに11曲(ほかに3曲インスト)だったが、結局この日は13曲(ほかに4曲インスト)を歌った。 「アンフォーゲッタブル」では、ステージ中央と左右のテレビモニターを使って、すっかり定番となった亡き父ナット・キング・コールとのゴースト・デュエットを見せた。最初のワンワード「アンフォーゲッタブル~~」が歌われるだけで、観客が一斉に反応する。そして、最後、ナタリーは客席から見て一番右のモニターの父親に向かって左手を高く上げて伸ばした。モニターの父が右手で娘のナタリーのほうに手を差し向けているのだ。 今回歌われたセットリストのうち6曲は、今年の2月ころからレコーディングされ、2008年9月9日に全米で発売される最新作『スティル・アンフォーゲッタブル』収録予定曲だ。よって、この新作からの作品を日本の観客はどこよりも早く聴くことができた。おそらくこんごこれらの曲を生で聴くことはないだろう。 どんなによれよれになっても、最後までステージをやり遂げなければならないエンタテイナー。エンタテインメントの世界は、文字通りShow Must Go On(ショーは続かなければならない)の厳しい世界だ。 最後の「ラヴ」が終わり、車椅子でステージを去る彼女を見て、誰もアンコールはできないと思ったにちがいない。観客も満足したかはわからない。しかしパフォーマンスが満足いかないという事実は、本人が一番痛切に感じているのだ。思ったように高い声がでない、思ったように歌えない。彼女の体のどこが悪いのかはわからない。ただ僕は満身創痍で、ここまで体を張って命をかけて60分のステージをこなしたミス・コールに感謝の気持ちを伝えたかった。ちょうど楽屋に戻るときに僕の目の前を車椅子に乗った彼女が通ったので一言声をかけた。”Thank you for your … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

⊿タック&パティー・ライヴ~愛に包まれて

⊿Tuck & Patti Live : Pure & Simple, Real Music For Real Time 【タック&パティー・ライヴ~愛に包まれて】 融合。 ショッキング・ピンクのドレスに身を包んだパティー、そして、ベージュのスーツ姿のタック。まさに愛に包まれたおしどり夫婦デュオ、タック&パティーの2007年2月、2007年10月以来約7ヶ月ぶりの来日ライヴ。僕が彼らのライヴを見るのは2006年1月以来。それにしても、あのギターと歌だけで、これだけの世界を作れるというのは本当に素晴らしいことだ。 改めて思ったのが、パティーの声が低くて飽きが来ないということ。個人的にもこの声が好きだ。そして、ギターのタックとのコンビはヴォーカルとその伴奏ということではなく、まるで2人がひとつの生き物として息をしているかのようだ。それは例えば、パティーが右手でタックが左手で、一体になっているのと同じだ。僕はそれを魂(ソウル)の融合、もしくは魂(ソウル)の合体と呼びたい。2つの魂が合体し、そこから強力なオウラを放ち、観客を包み込む。 そして、いつも彼らのライヴを見るたびに感じるのが2人の間に横たわる普遍的な愛だ。タックがギター・ソロを見せるところがいつもショー中盤にあるが、距離が離れていても、2人の間には暖かい愛がある。こんなアーティストはほかに見たことがない。 タックのギターも、チョッパー風の弾き方は、まるでギターがパーカッションになったようで、実に独創的。 また、パティーの歌の解釈力もずば抜けている。僕はカヴァーを歌うのがもっともうまいシンガー・ベスト3として、アレサ・フランクリン、ルーサー・ヴァンドロスと並んでこのパティー・カスカートを選ぶ。歌の理解力がずば抜け、解釈力が見事、そしてどんな曲を歌っても自分のものにしてしまう。「タイム・アフター・タイム」など、もはや僕にとってはシンディー・ロウパーのものよりも、こちらのヴァージョンになじんでしまったほどだ。 やはり、彼らのライヴを見ると、日々積もる人生の垢が落とされる思いがする。彼らのピュアさが音楽を媒介に聴く者に伝わるのだ。言ってみれば彼らの音楽は人生の垢を落とす石鹸のようなものだ。彼らの音楽は真に本物で、偽装など一点もない。 若い頃のふたり。いまも変わらず愛がある ■ ベストアルバム http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005EIKU/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ■過去記事 January 09, 2006 Tuck & Patti Control Time & Space http://blog.soulsearchin.com/archives/000756.html 2003/05/14 (Wed) The … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

△シック・トリビュート・ライヴ

△Chic Tribute @ Blues Alley 【シック・トリビュート・ライヴ】 にぎやか。 なんとあのシックの曲ばかりをやるシック・トリビュートをブルース・アレーがベース奏者の小松秀行さんと企画。ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人、パーカッション、それにホーン3人、ヴォーカル3人という総勢12人の大バンドをつくってのライヴ。にぎやか、にぎやか。 ヴォーカル陣は毎度おなじみブレンダ・ヴォーン、アージー・ファイン、そして、デイヴィッド・キング。まさに在日ブラック・シンガー・コーリションだ。この人数がブルース・アレーのステージに上ると、ステージは大賑わい、それだけでパーティーだ。 なによりよかったのが、選曲。リアル・シック(本物のシック)がやらないような珍しい楽曲を何曲か選んでいる。こういう曲が生で聴けるのは嬉しい。下記セットリストでファーストの4~7、セカンドの1~3など、シックもほとんどやらない。だから今までライヴで聞いたことはなかった。大のシック・フリークの友人Lは、この選曲に大喜び。彼は毎回ナイル・ロジャースのライヴを見に行くが、最近は選曲が当たり前すぎで若干飽き気味だったという。そんなところにこの企画、まさに渡りに船。(笑) これらのセットリストもいいが、まだ他にも「アイ・ウォント・ユア・ラヴ」「ハンギン」「マイ・フォービドゥン・ラヴァー」なども手付かず。それに、シックたちがやるようなシック・プロデュース楽曲(シスター・スレッジなど)もいくらでもある。それに、かのディーヴァ・グレイを呼んでもいいし。というわけで、ぜひ、この企画第二弾以降もやってほしいところ。ちなみにセットリストには、その楽曲の収録アルバムを調べて書き入れた。1枚目から3枚目までが爆発的に売れたシックの代表アルバムだ。 若干、セカンドセットはなじみが少ない曲が多かったせいか、また、メンバー紹介なども長かったせいか間延び感があったが、まあ、今後どんどんやっていく中でスリム化できるでしょう。小松さん、音源をみんなに送り、ホーンセクション以外、全曲の楽譜を書いた。「ま、基本的には(メンバーそれぞれの)自己責任で~~」ということなのだが、みんなちゃんとやってくれて、バンマスもやりやすいだろう。 ライヴ中のブレンダ ライヴ後もおしゃれなブレンダ ところで、この日歌ったブレンダ、なんと前日ちょっと体調不良で病院に行き、ステージは無理ではないかとメンバーに言ったらしいが、結局、この日は薬を飲んでパフォーマンスしたという。そんな雰囲気はまったく見せていなかった。まさにショウ・マスト・ゴー・オン。ちなみにこの日のケイリブは、キーボードに専念。このライヴ資料映像、ナイル・ロジャースに見せたいなあ。 ■メンバー 2008 Premium LIVE~Chic Tribute Dance, Dance, Dance~ (B)小松秀行 (Key)Kaleb James (Syn)ゴメス (G)林部直樹 (Ds)岸田容男(Per)坂井“Lambsy”秀彰 (Sax)竹上良成 (Tp)中野勇介 (Tb)鹿討奏(Vo/Cho)Brenda Vaughn、David King、Argie Phine-Martin ■セットリスト シック・トリビュート Setlist : Chic Tribute Dance, Dance, Dance @ Blues Alley, June … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

▼マーチン・新作リリース・パーティー

▼Martin’s Press Conference 【マーチン・新作リリース・パーティー】 デュエット いよいよ2008年6月25日、新作アルバム『Martini Duet(マティーニ・デュエット)』をリリースするマーチンこと鈴木雅之が、リリース前日の24日午後、東京銀座のレストラン・バー「マイ・ハンブル・ハウス・東京」で、ファンクラブ会員30名と媒体関係者を多数集めて記者会見、リリース・パーティーを行った。 サプライズ好きのマーチンだけに、豪華なゲストを用意。まず司会者がマーチンを呼び込み、ちょっと話をして、第一のゲスト、菊池桃子を呼び込み、最新デュエット「恋のフライトタイム~12pm~」を披露、さらに、ファンキーおねえちゃん鈴木聖美を呼び込み、「ロンリー・チャップリン」を歌う。ここで、銀座などでバーを経営するバーテンダーでもある北添氏がカクテルその名も「マティーニ・デュエット」を創作、出演者たちに振舞った。 そして、最後にコックことブラザー・コーン、ノッキーこと木梨憲武を呼んで、「可愛いいひとよ」を歌った。ノッキーは、なんと小さめのアフロヘアのウィッグにド派手なカザールのサングラス、3人ともおそろいの特注のコンポラ系スーツ、シャツ、ネクタイでばっちり決めた。 おもしろかったのは、3人が揃って振り付け・歌などを練習したのが、昨日のこと。なんせ昨日の今日なんで、一部バラバラなところもあったりして、そこも愛嬌。(笑)3人揃って「なんせ、昨日の今日なんで…」。この踊りは、ニック岡井さんのビデオを見ながら、独自のアレンジなども加味して3人で作ったそうだ。だが3人のうち1人が違う動きしたら、こっちなんか「あれっ」なんて思うんだが、その違う動きをしても、あまりに堂々としているから、こういうものだと強引に思わせられてしまう。そのあたりが、手練手管(てれんてくだ)、老獪(ろうかい)ファンキー、ちょい悪おやじたちだ。お見事。(笑) ノッキーのめがねがまるでミラクルズみたいに70年代風と思ったら、なんとこれはこういう派手系サングラスでは有名な「カザール」のサングラス。これはブラザー・コーンが懇意にしている大阪のショップで入手したそうだが、ブラザー・コーンはこの「カザール」のサングラスのコレクターでかなりの本数を持っているという。中には、プレミアムがついたものもある。 マーチンの新作『マティーニ・デュエット』は、過去四半世紀、彼がさまざまな人とデュエットしてきた作品を中心にいくつかの新録によるデュエットなど16曲をまとめたもの。マーチンはその原点を、子供のころおねえちゃん(聖美さん)と一緒にダイアナ・ロス&マーヴィン・ゲイのアルバムや、ルーファス・トーマス&カーラ・トーマスなんかを歌っていたころだと言う。デュエットとは、「5分間のショート・ストーリー」と断言するマーチン。こんどの新作には、おしゃれなショート・ストーリーが16本詰まっている。 ■ 『マティーニ・デュエット』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0018Q7HVK/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ■セットリスト マーチン新作リリース・パーティー Setlist 01. 恋のフライトタイム~12pm~ 02. ロンリー・チャップリン 03. 可愛いいひとよ (2008年6月24日火曜、銀座マイ・ハンブル・ハウス・東京=鈴木雅之新作リリース・パーティー) ENT>MUSIC>LIVE>Suzuki Masayuki 2008-108

Posted in ブログ | Comments Off

▽サックス奏者ナオ・ライヴ

▽Naoh @ Funk Floor 【サックス奏者ナオ・ライヴ】 サ~~ン。 このところコンスタントにライヴ活動を行っているファンキー系女性サックス奏者、ナオをリーダーとする「ナオ・アット・ファンク・フロア」が広島、大阪などからミニ・ツアーを敢行、6月17日に目黒のブルース・アレーでツアー最終ライヴを行った。編成は、ドラムス、ギター、ベース、キーボードにナオのサックス。このメンバーでかなりライヴの本数を重ねてきていて、サックスも含めたバンド・サウンドも固まりつつある。 この日はセカンドから見たが、1曲目の「ホワイト・ストーン」では、ファンキー・キーボード奏者、学史くんのヴォコーダーが炸裂。なんか、前聴いた音とちょっと違うなと思ったら、新しいのにしたそうで、きれいな音になった感じがした。前のほうがガサガサした感じで、ロジャーっぽいと思ったのだが。それを言うと「あ、そうなんですか。僕もまだよくわからないんです」とのこと。楽器はなんでも、慣れるまでに時間はかかる。黒く黒く。 「エイト・カウント…」では、リズムがブレイクするところで、1から8までをカウントするのだが、3のところで、「サ~~~ン」とメンバーがアホになる、というのをやるのだが、まだみんな照れてて、爆笑できない。(笑) ここだけ、世界のナベアツをゲストでいれたら、受けるだろうなあ。 セットリストは、グローヴァーに始まり、グローヴァーに終わるということで、それにしても、ファンクに徹底したサックスは気持ちいい。間違ってもケニーGみたいなのはやらんといてな。(関西弁風) 方向は、あくまで黒で、よろしく。(個人的な意見ですけど=(笑)) ■ ナオ・オフィシャル http://blog.naoh3.com/ ■メンバー NAOH@FUNK FLOOR (Sax)NAOH (Key)藤川学史 (G)上條頌 (B)滝元堅志 (Ds)岸田容男 ■ セットリスト Setlist : Naoh @ Funk Floor, Blues Alley Meguro, June 17th, 2008 First Set 01. Mr. Magic [Grover Washington Jr.] 02. … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

☆梶原順~JKトリオSE・ライヴ

☆Kajiwara Jun, JK Trio SE Live 【梶原順~JKトリオSE・ライヴ】 職人。 日本で活躍するヴェテラン・ギタリスト、梶原順さんの自由自在なトリオ「JKトリオ」(今回は、ドラムス鶴谷さん、ベース・バカボン鈴木さん)に、スペシャル・ゲストとしてキーボード松本圭司さんを含めたグループのライヴを月曜(2008年6月16日)に見た。 ライヴを見て思ったことは、一言みな「職人」。これに尽きる。ひたむきに、いい音、いいパフォーマンスを徹底追及し、それを成就できるだけの技量をもち、黙々といい演奏をしっかりと聞かせる、そんな感じだ。ファンキーでグルーヴある曲であれ、しっとり系であれ、なんでも。だから、目をつぶればまるでCDを聴いているかのようだ。 ファースト3曲目の「ウェイ・バック・ホーム」。なつかしいこの曲を、梶原さんはガッド・ギャングのヴァージョンで知った、という。これはもともと1970年に当時はジャズ・クルセイダーズと名乗っていたころのサックス奏者、ウィルトン・フェルダーが書いたインスト曲に、翌年モータウンのジョニー・ブリストルとグラディス・ナイトが詞をつけ、同じくモータウンのサックス奏者、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズが録音してヒットさせた曲。1970年代に、FENの何かの番組の後テーマになっていた記憶がある。後テーマだから毎日かかり気に入っていたのだが、今、何の番組だか思い出せない。 続く「熱帯夜」という曲を聴いて、ここまでポップなフュージョンがあるのかと思った。これを聴いていて、ふと新ジャンルを思いついた。「ファンク・ジャズ」ではなく、「歌謡ジャズ」あるいは「歌謡フュージョン」。腕のあるミュージシャンたちが、昔の歌謡曲を徹底してばかっぽくインストでやるのだ。 時間の関係で、ファーストしか見られなかったが、ファースト始まる前に松本さんらに「土曜日のシャンティよろしく」と大西さんとともにご挨拶した。セットリストはあとで最後までごらんになった大西さんからいただきました。ありがとうございます。 梶原順 公式ホームページ http://www.4creator.com/JunKajiwara/ 梶原さんは2007年12月、20数年のキャリアの中で初の自己のアルバム『エヴァー』をリリースしている。 また、下記セットリストで、セカンド・セット、4曲目と5曲目はギターも上手な松本さんが自分でデモを弾いて梶原さんに渡して出来た作品だそうで、タイトルは未定ながら次のアルバムに急遽収録が決定したとのこと。 ■ 梶原順 CD エヴァー http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000YNZ0E4/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ■ Member 梶原順g バカボン鈴木b 鶴谷智生dr 松本圭司key ■セットリスト JKトリオSE&松本圭司 Setlist : JK Trio with Matsumoto Keiji @ Blues Alley, June 16, 2008 First Set Show started … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

○シャンティ&松本圭司・デュオ

○Shanti & Matsumoto Keiji Live : Another Chemistry 【シャンティ&松本圭司・デュオ】 ケミストリー。 絵も描くアーティスト、シンガー・ソングライター、シャンティととろけるピアノの松本圭司のデュオ・ライヴ@マルターノ。シャンティは、2007年8月、マルターノのライヴハウスとしての「杮落とし(こけらおとし)」以来2度目の登場。ピアノの松本さんとは、これまでに青山・曼荼羅などで計4回程度やってきていて、直近だとモーション・ブルーでのライヴ以来。シャンティはこのところ、いくつかの種類のアコースティック・ライヴを行っているが、これはアコースティック・ピアノとのデュオ。 16曲のセットリスト、全体的にはしっとりとした落ち着いた作品が多かったのだが、満員・立ち見の観客がみな、真剣に集中して聴き入っていたところに驚かされた。普通ここまでスロー、しっとり曲が続くと聴く側もどこかでだれたりするものだが、聴き手の集中も切れない。おそらく、それは、松本ピアノとシャンティ・ヴォーカルの相性のよさがあり、そこから生まれる見事なケミストリー(化学反応)のせいなのだろう。ひょうひょうとした松本さんと、ナチュラル・自然派のシャンティのコンビネーションの妙か。 お客さんの声に、「シャンティの声がとにかく好きなんです」というのがあったが、その声の良さにマッチした楽曲を選んでいけばまちがいない。松本さんのピアノは、まさに聴くものをとろけさせる「とろけピアノ」。うまく表現できないが、シャンティの声を輝かせる何かがある。セカンドの1曲目で「1曲(ピアノだけで)やります」と言ったところ、「おおっ」と歓声があがり、それから彼が弾いたのはそこに虹でもほんわりと浮かびそうな「オーヴァー・ザ・レインボー」だった。 僕がシャンティにすごくあってるなと思った曲は、セカンド2曲目、今回初お披露目となった「アイ・ドント・ミス・ユー・アット・オール」。巨匠デューク・エリントンのピアノ曲にノラ・ジョーンズが歌詞をつけたもの。また、シャンティ自身もお気に入りのリズ・ライトが歌う「ノー・ワン・・・」も際立っていた。 昨年もライヴの日は雨だったが、雨で湿度が高いと、ピアノも歌もしっとりしていいようだ。(来場するお客さんは大変ですが) シャンティは、松本さんのピアノを「リボンをほどくようなピアノ」と評し、またこの日のPA(マイク、アンプ、スピーカーなどの音響)がすごくよくてやりやすかったと言った。 アンケートで、「選曲はどうだったか」という設問に、「よく知らない曲が多かったが、よかった」という回答がひじょうに多かった。これだけ知らない曲を聴かせて、ここまで観客をひっぱるのだから独自のシャンティ・ワールドを作ったということの証なのだろう。なんと来場の3分の1以上の人がシャンティのCDを購入、サインをしてもらっていた。ライヴを見るとCD欲しくなる、そんなライヴだった。 ■ シャンティ過去関連記事 April 20, 2008 Who Sings Caffe Latte Song? Shanti Sings http://blog.soulsearchin.com/archives/002476.html April 13, 2008 Shanti Live :“Bravo! Bravo!” Said Ambassador Of Tunisia … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

◎ザ・サウンド・オブ・イラデルフィア

◎The Sound Of Illadelphia 【ザ・サウンド・オブ・イラデルフィア】 フィリー。 「フィラデルフィア」の誤植ではなく、「イラデルフィア」。キーボードの柿崎さん、ドラムス宮田さん、ベースのヤナギマンさんらの、とある酒飲み場の話からなんとなく始まったこのプロジェクト。いわゆる「フィラデルフィア・サウンド」っぽいものをやりたいね、ということで、フィラデルフィアのスペルからPを抜いてイラデルフィアとなった。下記セットリストをごらんになればわかるように、基本フィラデルフィア・サウンドをカヴァーする感じ。 バンド編成は、ドラム、ギター、ベース、キーボード、パーカッションに、ストリングス4人、そして歌が2人という大所帯。ストリングスが入ると、かなり、フィリーの味というか、その名の通りの「ソフト・ソウル」の雰囲気がでる。僕は個人的にはバンドにストリングスというと、以前シックがストリングスをいれてやっていたバンド時代を思い浮かべる。ファンキーなベースとギターに流麗なストリングスというアンバランスなコンビネーションがいいのだ。バンド・メンバーはみなしっかりしていて、実に手堅いいいバンドだ。 さて、ファーストの「天国は待っている」はオリジナルで、ウィリアム・デヴォーンの「ビー・サンクフル…」を彷彿とさせるゆったりしたミディアム・テンポの佳曲。 セカンド途中から入ったシンガー、安良城紅(あらしの・べに)ちゃんがとっても可愛い。ベースのヤナギマンさんが、一緒にお仕事をしたことがあるということで誘ったら、二つ返事で来てくれた、とのこと。もっともっと人前でライヴをやるといい。 しかし、こうしたフィラデルフィア・サウンドをやったり、スライなどのファンクをやったり、今度は来週シック・トリビュート(6月25日ブルース・アレー)と、日本のミュージシャンがどんどんこうした洋楽のカヴァーをやっていくのを見るのは楽しい。 ■ 来週のシック・トリビュート 2008 Premium LIVE~Chic Tribute Dance, Dance, Dance~ 2008年6月25日水曜、午後7時半~ 会場 目黒ブルースアレー メンバー (B)小松秀行 (Key)Kaleb James (Syn)ゴメス (G)林部直樹 (Ds)岸田容男(Per)坂井“Lambsy”秀彰 (Sax)竹上良成 (Tp)中野勇介 (Tb)鹿打奏 (Vo/Cho)Brenda Vaughn、David King、Argie Phine-Martin ◆ 予約専用 TEL : 03-5740-6041 【電話予約受付時間】 月~土/12:00~20:00 上記時間外はインターネット予約が便利です (24時間受付) ※ 公演当日のお問合せ : 03-5496-4381 (店頭) http://www.bluesalley.co.jp/reservation/index.html #2 … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

◆レディーズ・ナイト~ニッキー、シャニース、ココ歌う

◆Nicci, Shanice, Coko Live At Billboard オムニバス。 1994年に「イフ・ユー・ラヴ・ミー」という名曲をヒットさせた女性3人組、ブラウンストーンのリーダー的存在でリード・シンガーだったニッキー・ギルバート、1986年に13歳でレコード会社と契約、いくつかのヒットを放ち、1991年「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」の大ヒットで一躍メジャーな存在になったシャニース、そして、やはり女性3人組SWVのリード・シンガーとして数々のヒットを放ったココの3人がその順番でステージにでて歌い、最後にアンコールでみんなで歌うという企画ライヴ。ライヴの世界にもオムニバスの時代が到来か。 ニッキーは、ショーケースでブラウンストーンとして1度来日、今回が2度目の来日。シャニースは、1987年11月のプロモーション来日、2000年2月都内ゼップなどでのライヴ、1995年4月のスーパー・プロデューサー・シリーズ「ナラダ・マイケル・ウォルデン」の回に続いて4回目の来日。ココは、90年代にSWVとして1度、ココのプロモーションで1度、2005年10月の大阪ブルーノートでSWV名義でのライヴ以来、4回目の来日。(来日履歴などに訂正があればebs@st.rim.or.jpまでお知らせください。) ニッキーは歌も見た目もなかなか迫力あり、最後の「イフ・ユー・ラヴ・ミー」では歓声があがる。シャニースは、なんとMCで「このところ休んでいたけど、2人の子育てしていたの」と告白。それは知らなかった。ココが一番落ち着いていたかな。パティー・ラベルのヒット「イフ・オンリー・ユー・ニュー」を熱唱したが、観客がパティー・ラベルを知らなかったためか、あまり反応はなかった。かなりよかったが。この部分だけでなく、全体的にこの日は観客の反応がスローで、歌手たちもあまり乗り切れなかった感じがした。 各シンガーもちょうど喉が温まったあたりでステージを降りてしまうので、不完全燃焼かもしれない。ただし、金曜のセカンドは超満員になっているというので、この日はかなり盛り上がりそうだ。 バックバンドは、3人に共通で、ドラムス、ギター、ベース、キーボードにコーラス3人。コーラスのうち、女性シンガーが印象に残った。3人それぞれ20分ほどの持ち時間で自慢のヒット曲を歌った。バンドの中でドラムがいまふたつくらいだなあ、と思っていたら、なんとココのだんなさんとのこと。じゃあ、しょうがない。(笑) ちなみに、シャニースとココが1973年生まれ、ニッキーが1970年生まれとのこと。シャニースなんか13歳で契約、14歳でデビューしているから、ちょっとしたヴェテランのように思えるが、まだまだ若い。 ■メンバー ココ/Coko(Vocals) ニッキー・ギルバート/Nicci Gilbert(Vocals) シャニース/Shanice(Vocals) ラ バンス・コリー/La Vance Colley(BGV) エリカ・スミス/Ericka smith(BGV) ディージェイ/(PARKER JAVON DAMON) DJ(BGV) アーサー・バディ・ストリングⅡ/Arthur"Buddy"Strong Ⅱ(Keyboards) ケンダル・ギルダー/Kendal Gilder(Guitar) エリック・イングラム/Eric Ingram(Bass) マイケル・クレモンズ/Michael Clemons(Drums) ■セットリスト Setlist : Lady … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

★スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日、ロング・ビーチはキャンセル~2007年夏ライヴの様子

★Sly & The Family Stone’s Live Review 2007 【スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日、ロング・ビーチはキャンセル~2007年夏ライヴの様子】 レポート。 スライの初来日が決定してからというもの、音楽ファン周辺は、スライの話題で持ちきりのようだ。さて昨日報告した2008年8月31日にロス郊外での「ロング・ビーチ・ブルース・フェスティヴァル」の告知にスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前があった点だが、筆者が主催者に問い合わせた結果返事が来た。 それによると、「先週スライのマネージメントから、今回の出演ができなくなった、と連絡があった。それに代わるアーティストをブッキング中。フリーペーパーの締め切りは早く、このキャンセル連絡が来たときにはすでに印刷されて出回っていたので、直しができなかった」とのこと。これでダブル・ブッキングはなくなった。ウェッブでは、すでにスライの名前はなくなっている。推測だが、当初はこの「ロング・ビーチ」の仕事を受けたが、その後、ブルーノート、東京ジャズのオファーがあり、その方が魅力的だったので、こちらに乗り換えたというあたりだろう。 さて、スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、昨年(2007年)夏、ヨーロッパ10都市でライヴ活動を再開。その模様がすでに伝わってきている。それらを簡単にまとめてみよう。ただし、このメンバーが今回の来日メンバーになるかは、まだ確定していない。ただ、これらのメンバーから来日メンバーが決まる可能性は高い。また、セットリストもヨーロッパでのものであり、東京でのライヴがどのようなセットリストになるかはまったく未知数だ。(ライヴ前にセットリストなどを見たくないという方はこれ以降ご注意ください) 昨年夏のメンバー。 Sly Stone (Lead Vocals, Synthesizer) (1943年生まれ) Vet Stone (Lead Vocals, Percussion) (スライの妹)(リトル・シスター名義で「ユーアー・ザ・ワン」のヒットを放つ。リトル・シスターは、スライがプロデュースした妹分的グループ)(1950年生まれ) Skyler Jett (Lead Vocals) (スライがいないときの、スライ部分のヴォーカル担当) Lisa Stone (Lead Vocals) (スライの妹ローズ・ストーン=1945年生まれ=の娘、スライの姪) Sylevette Phunne Robinson (Vocals) (ステージにいなかった可能性も。シンシア・ロビンソンとスライ・ストーンの間に生まれた娘) Cynthia Robinson (Trumpet) (オリジナル・メンバー)(1946年生まれ) Pat … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

▲スライがもしステージに上がったら

▲What If Sly Stone Would Show Up The Stage 【スライ・ストーンがもしステージに上がったら】 シミュレーション。 昨日の衝撃的な大ニュース、スライの初来日決定から一夜明けて、あちこちでこの話題でもちきりだ。ここでは、今後の来日まで、どんな紆余曲折が起こりうるのか、来日した場合どのようなステージになるか、シミュレーションしてみよう。 1番のベスト。無事入国来日、ステージにバンドメンバーと上がり60-70分のステージを無事執り行う。(ライヴの出来はともかく、万々歳) 2番目。ステージに30分程度いて、演奏なり歌なりを見せる。残りはバックバンドの演奏と歌。(まあ、伝説を見られたからよしとするか) 3番目。ステージに登場し、15分程度ステージにいる。残りはバンドの演奏と歌。(う~ん、もう少し何か見たいが、まあ、こんなものか) 4番目。ステージに5分程度、顔見世する。残りはバンドの演奏と歌。(う~ん、ちょっとチケット代返して~) 次が、来日が事前にキャンセル。この場合、チケットは通常のやりかたで払い戻しか。(別に文句はない) スライだけの来日がなく、バンド(ファミリー・ストーン)だけ来日。この場合、チケットはどうなるか。微妙。希望者には払い戻しか。(いろんな点で迷うところ) 当日キャンセル。これは、現場で払い戻しか。(ま、これも払い戻してもらえれば文句は言わないが…) さて、東京ジャズの出演と発表された8月31日、ロス郊外で行われる「ロング・ビーチ・ブルーズ・フェスティヴァル」の告知にスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前があるという。たしかにフリーペーパーの広告にはその名前がある。完璧に同じ日だ。だが、このロング・ビーチのオフィシャルなウェッブサイトに行くと、31日にはその名前がない。スライに代わりボビー・ウーマックの名前が出ている。スライが中止になり、ボビーに代わったのだろうか。フリーペーパーは情報締め切りが早いので、その時点ではスライだったが、その後なんらかの理由でこれが取りやめになり、ボビーに代わり、スライの東京ジャズへの出演が決まったのかもしれない。(このあたりは、鋭意確認中) また時差の関係で、東京31日昼ライヴ後移動→LA31日夜ライヴ→2日東京夜は、理論的には不可能ではないが、現実的とは思えない。 スライ関連では、スライの娘が「ベイビー・ストーン」というグループを結成、活動をしている。また、スライ・ストーンなしで創生メンバーの何人かがいる「ザ・ファミリー・ストーン」も活動をしている。今回の来日メンバーがこの「ザ・ファミリー・ストーン」になるかどうかはわからない。別のメンバーを揃えているかもしれないし、昨年ヨーロッパでやったメンバーかもしれない。 ヨーロッパ各地で行ったスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴでは、20分程度の登場だけだった回もあり、また、グラミーでの顔見世は2分程度だった。今回もライヴ・パフォーマンス自体はどうなるかまったく未知数だ。 だが、そうしたことを考えても、スライ・ストーンがあの髪の毛でステージに登場すれば、楽器などを弾こうが弾くまいが、歌を歌おうが歌うまいが、そんなことはまったく関係ないといった雰囲気で歓声が巻き起こることはまちがいない。つまり、彼の存在だけで、圧倒的なものを見せ付けるということだ。それはグラミーのときでも明らかだった。演奏が仮にどれだけよれよれでも、一目「動く伝説」が見られればいい、というニュアンスでライヴに足を運べばよいということになろう。ライヴの出来がどうであれ、仮に5分の伝説の登場に、ここまでのチケット代を払えるか、そこに価値観をどう持つかに尽きる。そして、しばらくスライ情報に翻弄される日が続きそうだ。(苦笑) (最新情報がわかり次第、アップしていきます) ■ スライ関連ウェッブ(英語) ◎スライ・ストーンのブックを書いているライターのページ http://www.slystonebook.com/index.php?option=com_content&;task=view&id=144&Itemid=2 ここに2008年6月2日付けニュースで、8月31日、ロング・ビーチでヘッドラインで登場と記されている。しかし、この後キャンセルされている可能性もあるが、同ウェッブでは今日現在これが最新更新ニュースだ。 ◎ロング・ビーチ・フェスティヴァルのオフィシャル・ウェッブ http://www.jazzandblues.org/events/lbbf/2008/microsite/ ここには、すでにスライ&ザ・ファミリー・ストーンの名前はない。 ◎オフィシャルと名乗るスライ関連のウェッブ http://www.phattadatta.com/ ここにはライヴ情報なし。 ■ スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン関連記事 June 17, … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

■スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日決定

■Sly & The Family Stone Will Coming To Japan August 【スライ&ザ・ファミリー・ストーン初来日決定】 来日。 1960年代後期、サンフランシスコを中心に世界的人気を博したファンク・グループ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの初来日公演が決まった。毎年8月末に行われている東京ジャズでの公演、また、ブルーノートでの1日公演が行われる。来日メンバーはまだ発表されていない。 東京ジャズの2008年8月31日(日)午後1時半からのロベン・フォード、サム・ムーアとの回に登場。出場順番は未定。また9月2日(火)、東京ブルーノートに登場。7時と9時半の回に登場が予定され、発表された。 ブルーノートのスライ&ザ・ファミリー・ストーンのライヴ音楽チャージは、¥15,750(税込)。ボックス席などは下記の通り。予約受付は2008年7月9日(水)から、ブルーノートの会員組織「ジャム・セッション」のメンバーは、7月2日(水)から先行予約。 http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/detail.php?id=200 通常チャージ自由席 ¥15,750(税込)。 センターボックス(4名席):1人¥18,900(税込) アリーナボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席 サイドボックス(2名席):1人¥17,850(税込)※2組相席 東京ジャズの公式ウェッブ。 http://www.tokyo-jazz.com/ 東京ジャズは、今年で7回目。NHKが中心となって、ジャズ・アーティストのライヴ興行を行い、その模様を収録しテレビ放送する。今年は8月29日(金)から31日(日)まで3日間、東京国際フォーラムで金曜夜、土曜昼、土曜夜、日曜昼、日曜夜の計5ステージが行われる。入場料金は各回、全席指定、税込みでS席が8500円、A席が6500円。30日と31日分には、昼と夜が見られる一日通し券が16000円で発売されているが、30日の分は売り切れ。 +++++ 実現。 スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、スライ・ストーン(本名・シルヴェスター・スチュワート1943年3月15日テキサス州生まれ)が兄弟、友人などを集めて1966年ごろサンフランシスコで結成したバンド。このころ起こり始めた黒人たちのファンク・サウンドと、サンフランシスコを中心に動きを見せ始めていたヒッピーたちが作るロック音楽の要素を巧みに混ぜ合わせた独特のサウンドを生み出し、人気を集めるようになった。ベース担当のラリー・グラハムは、いわゆるチョッパー・ベースの創始者として注目され、後に独立、多くのベース奏者に影響を与えた。もちろん、スライ&ザ・ファミリー・ストーンも、1970年代以降の多くのブラック・アーティスト、ロック・アーティストたちに多大な影響を与えた。 しかし、1970年代中期から、ドラッグなどの影響で行動が予想不能となり、ライヴなどにも穴をあけるようになり、自然と音楽業界から離れてしまった。1986年、ファンク・ギタリスト、ジェシー・ジョンソンがスライをひっぱりだし、「クレイジー」という曲で共演、これは同年ブラック・チャートで2位を記録。これが現在までのところ、スライの最後のヒットになっている。その後、ファミリー・ストーンのメンバーはスライなしでグループを結成、ときおりライヴ活動を行っている。 2006年2月、グラミー賞の席で「スライへのトリビュート」が行われ、スライ・ストーン本人が2分少々だけ、そのステージに登場し喝采を浴びた。その後2007年夏、ヨーロッパでのツアーが企画され、ライヴが行われたが、場所によっては本人は20分程度の出演でステージを下り、残りをバンド・メンバーが演奏して場をつないだ、といったニュースも伝えられている。 スライの来日、本当に本人は来るのか。本当に演奏はできるのか。数々の奇行でも知られるスライだけに、仮に、来日がキャンセルになったとしても驚くにはあたらない。しかし、スライ来日が実現し、彼がステージにあがれば、大きなニュースだ。 ■スライ・ストーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン過去関連記事 July 04, 2007 Sly & Family Stone Reunion: Hit The … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

●アリ・オリ・ライヴ@ケントス銀座

●Ali Ollie Woodson Live At Kentos (セットリストなどがあります。これからごらんになる方は、ご自身の判断でお読みください) 【アリ・オリ・ライヴ@ケントス銀座】 ごきげん やってきました、アリさま。昨年(2007年)11月以来、7ヶ月ぶり。今回はアリさまがシンガー4人を引き連れてのテンプテーションズ楽曲を歌うショーだ。正式なアーティスト表記は、「フィーチャリング・アリ・オリー・ウッドソン・フォーマー・リード・シンガー・オブ・ザ・テンプテーションズ・アンド・ヒズ・レヴュー」。な・が・い…。(苦笑) 銀座ケントスは、2007年12月に現在のところに引越したという。前のところは行ったことがあったが、ここは初めて。入って驚いた。2フロアをぶちぬき天井も高く、スペースが広い。200人近くはいるのではと思ったら、160坪、220席だという。これが超満員。スタイリスティックスのときは、通路にもかなりの立ち見がいたそうだ。 約65分のショー、全曲、テンプテーションズのおなじみのヒット曲ばかり。そして、どれも、みな振り付けがつけられ、歌って踊る。ただし振り付けは、テンプスのものを参考にはしているが、微妙に違う。少し4人のタイミングがずれたりするところも愛嬌か。(笑) 今回のこのグループ、ファルセット、ハイ・ヴォイス役がリオン・フランクリン(エディ・ケンドリックス役)、シースルがベース(?)担当(メルヴィン役)と聞いた。もちろん、アリ・オリは堂々デイヴィッド・ラッフィン役だ。各メンバーの紹介がなかったので、あとから聞いたのだがちょっとはっきりしない。 前回のグループがデニス・エドワーズのグループだったのに対して、このグループはアリのグループだけに、アリは、のびのび、自由に好きに歌っている、と言う感じ。コーラス、リード・ヴォーカルの妙を聴かせる5人組のヴォーカル・グループというより、むしろアリ・オリという強烈なシンガーのバックに4人のバック・コーラスがついた感じだ。だが、もちろんアリ・オリのソロ・ライヴとも違う雰囲気だ。ファルセットのリオンによれば、このメンバーのグループでここ4-5年、やっている、という。 アリの声は中音から高音、シャウトまでよくでている。次々ノンストップで繰り広げられるテンプス・ヒットは、ちょっとだけテンプスを見てる気にさせてくれた。アリは途中ファンの女性の名前を次々呼んだ。「シノ! マユミ! ユミ! ミチコ! ユミコ! サチコ!」 さすがレディーズ・マンだ。アリ・オリは、ごきげんだ。 バックバンドは、ケントスのハウスバンド。前回新宿で見たスタイリスティックスのバックをつけたバンド、ハイ・ジャックとは違うのかなあ。 ■ メンバー Ali Ollie Woodson, Larry Griffin, Leon Franklin, Dennie Ewell, Cecil Jones. ■ アリ・オリのライヴは、6月16日(月)が銀座、17日(火)が六本木、18日(水)、19日(木)が新宿。ほぼ売り切れていますが、立ち見は可能性があるようです。ライヴは1日2ショー、入れ替え制、ミュージック・チャージなど各店で異なるので、各店舗へお問い合わせください。 新宿ケントス 東京都新宿区新宿3-18-4 セノビル6階 TEL:03-3355-6477 銀座ケントス 東京都中央区銀座8-2-1 ニッタビル9階 TEL:03-3572-9161 六本木ケントス 東京都港区六本木5-3-1 第2レーヌビルB1 TEL:03-3401-5755 http://www.kentos-tokyo.jp/ ■ アリ・オリ関連過去記事 November … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

⊿ブラザー・コーン銀座のラウンジを熱狂させる

⊿Brother Korn Sings “Won’t Be Long” And Set House On Fire 【ブラザー・コーン銀座のラウンジを熱狂させる】 熱狂。 金曜夕方ソウル・メイト、ハセヤンから電話。「今夜、銀座の『砂漠の薔薇』でソウルのイヴェントがあって、コンちゃんが歌うらしいから行かない?」という誘い。12時半くらいに六ヒルに迎えに来てというので、迎えに行って、銀座に直行した。 「砂漠の薔薇」は、ディスコのようなクラブのような、ラウンジのようなちょっとおしゃれ系の店。昨年あたりオープンした。たしかオープニングに誘われたような気がするが、行くのは初めて。 「で、今日は何のイヴェントなの?」 「さあ、よくわかんないんだよ」 中に入るとものすごい人、人、人。「コンちゃんの楽屋はどこですか」と従業員風の女の子に聞くも、「あっちだと思います」とよくわかんない答え。人をかき分けていくうちに、なんとスキンヘッドのDJアライさんとばったし。「今日のこれはなんなんですか」 「あ、これ、僕のイヴェントなんですよ」 「へえ、すごいっすねえ」 煙いし、人は多くて中でなかなか進めないし、どうしたもんかと思っていると、DJアキラさんと遭遇。「今日のこのイヴェントは何なんですか」 「さあ、僕もよくわかんないんですよ、ただ呼ばれて~」 ついに奥の奥の部屋に進むとそこが楽屋で、その中にコンちゃんがいた。「ああ、どうもどうも」「おおっ、ハセヤン」「で、今日のこれって何なの、このすごい人は?」「なんか、僕もよくわかんないんだよ」とブラザー・コーン。なんだか、みんなよくわからないままだ。(苦笑) するとそこに近田春夫さんがいた。ハセヤンは学生時代「近田春夫とハルヲフォン」でドラムをやっており、なんと2人はおよそ30年ぶり以上の再会だった。「いやあ、ほんと久しぶりだね。いいねえ、こういう夜の場で、偶然再会するのって」と近田さんはハセヤンと旧交を温めた。ハセヤンが近田さんを紹介してくれ、名刺を渡すと「ああ、お名前は見たことあります。このような容貌でしたか」とちょっと驚かれた。(笑) 「確か、近田さん、慶応ですよね。高校からですか」 「いや、オレ、下から」 「すごいんだよ、彼(笑)」とハセヤン。それは知らなかった。びっくり。 まもなく、着替えを済ませたブラザー・コーンがほんの半畳ほどのお立ち台のようなところに上り、「ウォント・ビー・ロング」のイントロが流れ出した。すると、身動きのとれない超満員の観客たちは、腕、こぶしを天井に突き上げ、「オリオリオリオ~~」と叫ぶ。この熱狂はなんだ。「ヒット曲があるってことは、本当に強いねえ」と横にいたハセヤンに言うと「コンちゃん、かっこいいねえ」。たぶん、イグザイルなどのカヴァーもあって、この曲が圧倒的に浸透しているのだろう。去年の『ソウル・パワー・サミット』でもアンコールでマーチンさんに呼び出され、ブラザー・コーンが登場したときには随分と盛り上がった。こういうのを見ると、バブルガム・ブラザース復活の機運も徐々に高まっているなあ、と思う。 なんかよくわからないイヴェントだったが、コンちゃんの人気がすごいということがわかった金曜の夜であった。 ENT>MUSIC>LIVE>Brother Korn

Posted in ブログ | Comments Off

△アッシャー少し語る

△Usher Talks A Little 【アッシャー少し語る】 質疑応答。 去る2008年6月12日(木)渋谷・松涛ギャラリーでプロモーションで来日したアッシャーのプレス向け質疑応答会が行われた。ライヴ・パフォーマンスはなく、司会者といくつかの質問のやりとり、ウェッブで募集した一般の方からの質問も受けて、その後、シャンパーン・トースト。出席者全員にシャンパーンが振舞われた。 2004/04/15 (Thu) Usher Said He Is Philosopher Of R&B: Newest "Hardest Working Man In Show Business" http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/diary20040415.html 前回来日時のインタヴューの様子。↑ 今回の来日は4回目。しかも内3回がプロモーションってすごい。前回の来日が2004年4月で、4年2ヶ月ぶり。 質疑は、主として最新作5作目『ヒア・アイ・スタンド』について。ちょうど3週連続で全米アルバムチャート1位という大ヒットぶり。前作『コンフェッション』は日本でも30万枚以上のセールスを記録、レコード会社も、新作を同じくらい売るように本国から大プレッシャーをかけられているそうだ。本人も、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のようなクラシック・アルバムになってほしいと思っている。 今回はフジテレビ系『ミュージック・フェア21』(6月21日放送)に出演する。 さて、これは質疑ではでていなかったが、前作と今作との間の4年間でのアッシャー周辺の違いは何か。一番の大きな変化は、彼が彼の元スタイリストと結婚したこと。子供が生まれたこと。また、ブッキングなどを担当するタレント・エージェントを変えたこと、さらにもっとも大きいと思われるのがそれまで彼の母親がマネージャーとして動いていたが、母親をはずし、ベニー・メディーナという業界のヴェテランをマネージャーに迎えたこと、新しい弁護士を雇い入れたことなどがある。また新作は、彼のデビュー以来初めて、彼の育ての親であるLAリードがまったくかかわらずに作品が制作された。これも一大事件だ。 結婚して落ち着いた感じもするが、前回来日時もそういえば落ち着いていたことを思い出した。 ■ アッシャー最新作『ヒア・アイ・スタンド』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0016J839E/soulsearchiho-22/ref=nosim/ シャンパーン、グラスに半分くらいだが飲んだら、酔っ払った。 ENT>ARTIST>Usher

Posted in ブログ | Comments Off

▼ビル・コデイ死去

▼Soul Singer Bill Coday Dies At 66 【ビル・コデイ死去】 死去。 いわゆるサザン・ソウル・シンガーとして知られるビル・コデイが去る2008年6月7日(土)、テネシー州メンフィスのメソディスト大学病院で死去した。66歳。 ビル・コデイは、ミシシッピ州テイト・カウンティーのコールド・ウォーターという街に1942年5月10日生まれた。その後1961年シカゴに移り住み、ここですでに地元で活躍していた女性ソウル・シンガー、デニース・ラサールと知り合い、彼女に認められデニースのバック・シンガーとして活動。その後、自身のレコードも出すようになった。ビルはデニースがオウナーであるケイジョン・レコードから「シックスティー・ミニット・ティーザー」(1970年)、「ユーアー・ゴナ・ウォント・ミー」、「ゲット・ユア・ライ・ストレート」(1971年ソウル・チャート入り)などのローカル・ヒットを放つ。この時代の作品は、メンフィスのハイ・サウンド(ロイヤル・レコーディング・スタジオ)で、後にアル・グリーンで大当たりをとるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルのプロデュースで録音されており、日本のその筋でも人気が高い。 その後1973年メジャーのエピック・レコードと契約、1973年「アイム・バック・トゥ・コレクト」、1976年シングル「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と2枚をリリース。また後者は、後にリリースされるコンピレーション・アルバム『ロスト・ソウル』に収録され注目を集めた。1980年代からはメンフィスのエコー・レコードからレコードをリリース、1990年代にかけては、ツアーを多数行い、自身のレーベル、B&Jレコードをメンフィスに設立していた。デニースは妻。 彼のシンガーとしての魅力は、サザン・ソウル・シンガーとして深みのあるディープな唱法。メンフィスのスタジオで録音されたものは、日本ではヴィヴィッド・サウンドからリリースされた。また、2008年3月に日本発売されたソウル・コンピ『ザ・ロスト・ソウル・ジェム』に、エピック時代の2曲「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と「ア・マン・キャント・ビー・ア・マン」が収録されている。これは、1976年にシングル発売された両面。 基本的にはシングル主体のシンガーだったので、一般的知名度は獲得できなかったが、シングルを集めたアルバムなどもリリースされ、サザン・ソウル好きの人たちから熱い支持を集めた。 ご冥福をお祈りする。 ■ 『スニーキン・バック』(1995年) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000003H5W/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ENT>OBITUARY>Coday, Bill (May 10, 1942 — June 7, 2008 (66)

Posted in ブログ | Comments Off

▽シャカ(チャカ)・カーン来日履歴・調査中

▽Chaka Khan’s Record Of Visit To Japan (Part 1) 【シャカ・カーン来日履歴・調査中】 調査中。 2008年6月10日付けブログで一部紹介したシャカ・カーンの来日履歴。すでに何人かの読者の方からメール、情報提供をいただきました。ありがとうございます。それにしても、ぞくぞくと出てくる、というのが正直な感想。こんなに来日していたか、というところです。途中経過ですが、一度まとめてみます。引き続き情報などありましたら、おぼろげでもけっこうですので ebs@st.rim.or.jp までおよせください。来日日付が一日しかないものは、たぶん、その前後に日本全国のどこかでライヴをやっているものと思われます。 これをまとめるとソロで19回(ジャズ・フェスでのゲスト含める)、ルーファスで1回か2回、20回以上の来日となります。 ■シャカ・カーン来日履歴(2008年6月12日現在まで判明分) 1976年6月20日 東京音楽祭エントリー・中野サンプラザ(ルーファスで)(初来日) (ルーファス来日はもう一回くらいあったらしい。トニー・メイデンは2度来たような気がするとコメントしているようだ。それがルーファスとしてか、シャカのバックとしてかは不明) (以下はシャカ・カーン・ソロ、ジャズ・フェスのゲストも含む) 1982年3月15日~ 渋谷ライヴ・イン82(3月15日、16日、20日~22日) 1982年3月20日=大阪・バラード 1982年4月19日~ オーレックス・ジャズ・フェスティヴァル (スタンリー・クラーク・グループの一員。この年は3月、4月と2ヶ月のうちに2度来日した) 1983年 ??2年連続で来日??(未確認=ないかも) 1984年5月1日、2日 中野サンプラザ、 5月3日=大阪厚生年金 5月4日=名古屋勤労会館 (グローバル・エンタープライズ招聘?) 1985年6月 場所不明 1989年5月 人見記念ほか (神原音楽事務所・招聘?) 1990年11月11日~11月18日(12日を除く)横浜 本牧アポロシアター  1991年 民音招聘・チャカ・カーン(厚生年金??) 1992年5月18日~23日 ブルーノート東京 1992年11月25日,26日 新宿厚生年金  1993年8月21日、22日、マウント・フジ・ジャズ・フェス (自己名義デノショウ) 1993年10月9日 渋谷オンエアー  1993年 ?? 大阪ブルーノート?? どこかこの前後で大阪ブルーノート(年号日時わからず=1993年より以前と思われる。あるいは93年か) 1994年7月末~ 8月1日 新宿厚生年金  1997年5月17日 新宿厚生年金 1997年5月26日 新潟フェイズ ほか (上記と同一来日) (2000年3月21日~)ブルーノート東京で予定だったが急病で中止。代打でデイヴィッド・サンボーン。シャカの振り替えはなかった模様。 2000年12月31日 東京ビッグサイトNEW … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

☆アンドレア・ホプキンス@イル・ブッテロ

☆Funk Night : Andrea Hopkins At Il Buttero 【アンドレア・ホプキンス@イル・ブッテロ】 金曜夜。 広尾の瀟洒な一軒家レストラン「イル・ブッテロ」で、ソウルのライヴ演奏。ミュージック・チャージはなしで、以前、フィリップ・ウーのライヴでフィーチャード・シンガーとして歌ったアンドレア・ホプキンスのショウ。実はアンドレの夫であるシルヴァーノさんが持つのがこのレストラン。ふだんは、落ち着いた、しかしカジュアルなイタリアン・レストランだ。ここに簡易PAと照明を持ち込み、ステージを作った。 メンバーは、フィリップ・ウーを始め、ジェイ・スティックス、キース・ウィリアムソン、ハンコ屋さんの4人にコーラス2人(アンソニー・ベイリーとタイニース・ヒントン)という豪華版。シルヴァーノさんの趣味でたまにこうしたライヴを行っているという。 僕はセカンドから見たが、超満員。テーブルが大きいので、5-60人以上ははいっていたか。しかし、後ろのほうの席はステージは見えない。普通に食事をしている。ふだん、このお店に来ているお客さんが多かったようだ。さすがに音響は簡易だけにそれ相応だが、アップテンポの曲になると、お客さん、みな立ち上がって、リズムに体を揺らす。普通にそこにある音楽をエンジョイする。外人比率高し。みんなが知ってる曲をカヴァー・バンドがやって、金曜の夜を楽しむ、こういう気楽なパーティー・バンドもいいかもしれない。東京の夜を楽しむひとつの方法だ。 それにしても、選曲がベタで受ける。しかし、こんなところでセットリストをメモる僕って何? う~ん、セットリスト・マニアの悲しい性だあ。(苦笑)また半年に1回くらいの割りでやるそうなので、そのときはお知らせします。 ■    メンバー Funk Night @ Il Buttero Andrea Hopkins (vocal), Philip Woo (Keyboards), Keith Williamson (Bass), Jay Stixx (Drums), Nishiyama ‘Hank’ Fumio (Guitar), Anthony Bailey (Vocal), Tynice … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

○シャカ(チャカ)・カーンのステージにあがったユリさん

○Chaka Khan (Part 4) : Yuri On The Chaka Khan’s Stage  【シャカ(チャカ)・カーンのステージにあがったユリさん】 ご縁。 シャカは日曜日大阪に移動。月曜から3日間、ビルボード大阪で大旋風を巻き起こすことだろう。さて、土曜日セカンドでシャカのステージに上ったユリさん。(アーティスト表記はYURI) どういう経緯でステージに上がったのかきいた。 ユリさんは木曜日にシャカのライヴを見に行き、このとき幸運にも久保田さんとともに楽屋に行け、シャカ本人に会うことができた。世間話をしている中で、彼女も歌を歌うということがわかり、シャカに「じゃあ、ちょっと歌ってみてよ」と言われ、その場で「テル・ミー・サムシング・グッド」「ユー・ガット・ラヴ」の数フレーズをアカペラで歌った。するとそれを聴いたシャカが気に入って「今度(ライヴに)来る機会があったら、一緒に歌いましょう」と言ってくれたのだ。 半分は社交辞令かとも思いつつ、がぜん乗り気になった彼女は、だめもとで東京最終日、土曜日のセカンドに出向く。シャカのセキュリティーが厳しく、ライヴ前には本人には会えなかったが、いちおうそのセキュリティーにユリが来ていることを伝えた。彼女が座った席は1階のミュージシャンが通っていくあたり。 シャカがステージに進むときには、シャカは彼女に気がつかなかったが、セキュリティーが途中で「ユリが来ている」という紙をシャカに渡したところ、「ユー・ガット・ザ・ラヴ」のところで、ステージに上げられた、というわけだ。本人曰く、「意外とあがらなかった」とのこと。かなりの強心臓だ。 ユリさんは、神戸生まれ。ボストンのバークリー音楽院出身。その後アメリカ東海岸を本拠に約10年ほど音楽活動を続け、その頃、多くのアメリカ人ソウル系アーティストたちと知己を得た。2006年に本格的に活動の拠点を日本に移した。最近だと久保田利伸、AIのバックコーラスなどを担当。またさまざまなセッションなどにも参加している。今年公開された映画『アメリカン・ギャングスター』(デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウ主演)でも、歌が使われている。 僕は2006年、久保田利伸のバックバンドであるフィリップ・ウー&ニューヨーク・オールスターズの一員として彼女を初めて見た。その後2007年3月の『ソウル・サーチン:ザ・セッション』、木下航志の品川教会ライヴなどで歌ってもらった。また、2007年8月には本人名義として初のライヴを渋谷JZブラットで行っている。 1980年代のシャカ・カーンのツアー用バンドのドラマーは、日本人の沼澤尚さんだった。それを考えると、ユリさんがシャカのバックコーラスの一員になることも、まったく可能性がないわけではない。彼女はシャカから連絡先を聞かれたので、しっかり渡しておいたそうだ。これもご縁だ。なんか夢が広がるような話だ。 ■ お願い 来日履歴調査中 ところで、筆者は現在シャカ・カーンの来日履歴を調べております。なかなかコンプリートにならないのですが、どなたか情報お持ちの方いらっしゃいましたら ebs@st.rim.or.jp までおよせください。現在判明しているものは、次の通りです。 1976年 東京音楽祭エントリー(ルーファスで)(初来日) (ルーファス来日はもう一回くらいあったような気も、ただし確証なし) (以下はシャカ・カーン・ソロ) 1982年3月 ライヴ・イン82 1984年5月1日、2日 中野サンプラザ、そのほか 1989年5月 (人見記念)?? 1991年  横浜アポロシアター 1992年5月18日~ ブルーノート 1993年 ?? 1997年5月26日 新潟フェイズ ほか 2003年8月23日、24日 東京ジャズ 2003年10月10日 武道館 2008年6月2日~  ビルボード東京、ビルボード大阪 ■本人のブログ … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

◎木下航志・ブルース・アレー自己名義で初登場

◎Kishita Koushi First Live At Blues Alley 【木下航志・ブルース・アレー自己名義で初登場】 新社会人。 高校を卒業し、新社会人1年生になった木下航志くんの目黒ブルース・アレーライヴ。(航志くんは1989年5月8日生まれ、平成元年生まれの19歳) 彼がこのブルース・アレーのステージに初めて立ったのは、2005年6月26日のこと。『ソウル・サーチン』イヴェントのレイ・チャールズの回にゲストで登場した。それ以来、航志くんは『ソウル・サーチン』の「レギュラー・ゲスト」になり、マーヴィン・ゲイ、ルーサー・ヴァンドロス、アレサ・フランクリンと4回連続の出演となっている。また、ほかにフィリップ・ウーのライヴ、ブレンダ・ヴォーンのライヴでもゲストで登場している。そんな航志くんが自分名義のフル・ショウでブルース・アレーに初登場となった。そして立ち見もでるほどの超満員。ある意味、これもまた感無量だ。 今回のライヴのテーマは、『ドゥ・ザ・ソウル』。ソウル・ミュージックをやる、ということで、アンコール1曲以外すべてソウル系の作品になった。バックを支えるのは、最近の航志くんのピアノの先生、フィリップ・ウーが集めたバンド。メンバーは、ジェイ・スティックス(ドラムス)、キース・ウィリアムソン(ベース)、パット・プライアー(ギター)、そしてコーラスにブレンダ・ヴォーンとアンソニー・ベイリー。みなブラザーとシスター、まさにソウル・ショウにふさわしい強力なメンバーが集まっている。バックがみんなアフリカン・アメリカンなら、否が応でもソウルな雰囲気は伝わる。そして、披露される曲もこれまで彼自身のライヴやゲストで『ソウル・サーチン』などで歌い、着実にレパートリーとして増やしている作品が中心。 ところで、観客はやはり航志くんファンと見受けられる方々が多く、年齢層もけっこう高い。しかも女性ファンが多い。7割から8割が女性という感じがした。また、お子様連れもいらっしゃる。やはりNHK効果なのだろうか。で、そういう観客層を見ると、その人たちにこの「ソウル・ショウ」が伝わったのかというのがちょっと心配になった。 とはいっても、彼の誰にでも愛されるキャラクターは存分にでて、その魅力はMC(トーク)でかなりの観客の心をつかむ。やっぱり明るいからいいよね、彼は。 セカンド6曲目で、フィリップと一緒に書いたという新曲を初披露。また、唯一オリジナル日本語曲となったアンコールの「世界の果て」は、吉本100本映画の「キシタコウシ」のエンディング・テーマとなった作品だ。一般のお客さんは、彼がひとりで弾き語りで歌ったため、これに印象付けられた様子だ。 さてここまで来ると、そろそろ英語の発音・ディクションもさらに一歩高めなくてはならない時期に来ている感じがする。しかし、一方で裏声、高い声の歌い方が以前よりも力強くうまくなっているように感じた。また、彼がブレンダと一緒に歌うと、いつのまにか自然と航志くんのヴォーカルもソウルフルになる。たぶんブレンダが持つソウルのDNAが瞬時に航志くんにも乗り移るのだろう。「ワイルド・ホーセス」などの掛け合いでそうしたことが顕著だ。 「ワイルド・ホーセス」を終えて航志くんがおもしろいことを言った。「ブレンダは、本気を出すとほんとにすごいんです。これはライヴに来た人にしかわかりません。ブレンダとはなんかキャッチボールをしているような感じなんです」(笑) こうし&ブレンダ それにしても、オリジナルを除いて全曲、彼が生まれる前の作品をこうして歌ってしまうのだから、やはり強力な19歳だ。こんなセットリスト(曲目)で、しかも、バックはみなブラックで(フィリップはちがうが、魂・プレイはブラック=(笑))やれるシンガーはそうそういない。そうそう、後半のフィリップのハモンドのオルガン・ソロはもうのりのりで最高だった。航志くんもあらゆることにチャレンジして、どんどん前に進んでいってほしい。 なお、木下航志くんのブルース・アレーでのライヴ、次回は2008年9月11日(木)に決定、さらにその次も12月に行うことが決まっている。大体3ヶ月に一度にやっていくような感じだ。 ■ 過去記事 2004/04/30 (Fri) Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him “Little Koushi” http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html 最初の出会いなどについて。 August 30, 2007 Kishita Kohshi Live … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

◆シャカ・カーン旋風、東京を席巻

◆More Chaka Khan At Billboard 【シャカ・カーン旋風、東京を席巻】 旋風。 シャカ(チャカ)・カーンは1981年『エコーズ・オブ・アン・エラ』というジャズ・アルバムを出した。以来、彼女は徐々にジャズ志向を強め、ジャズ作品→ファンク・R&B作品→ジャズ→ファンクと、音楽的に行き来している。ここしばらくは、どちらかというとジャズ系のライヴが多かったが、今回のライヴは、新作『ファンク・ディス』で見られたようなファンク、R&B系でいくコンセプトだ。4年前の武道館ライヴも、基本は今回と同じ。昔のルーファスのヒット、シャカのヒットを中心に組んでいた。 さて、東京最終日、僕は足を運べなかったのだが、終わった頃から続々とメールや電話が。 まず、ソウルメイト・ハセヤンは、今、彼の会社で「女優ミラー」という商品を売り出し中。手鏡の両サイドに楽屋で使われるようなライトが点灯する優れもの。特にこうした暗いクラブやライヴハウスなどで、お化粧を直すときなど最適だ。すでに流行に敏感な女性たちの間では大評判を得ている。彼のもとにはマトメ買いする友人からのオーダーが殺到しているらしい。この日、その話題の「女優ミラー」をシャカに花束とともに手渡した。彼は今週一週間皆勤で5回ライヴを見た。もし、シャカの次のジャケットに「女優ミラー」が映っていたら、最高だね! さらに、驚いたのが、久保田利伸さん、AIのバックコーラスを担当し、『ソウル・サーチン・ザ・セッション』でも強烈な歌を聴かせてくれたソウルフルなシンガー、神野ゆりさんがステージにあげられて、シャカとともに「ユー・ガット・ザ・ラヴ」を少し歌ったこと。この日は、久保田さん、AIらもシャカのステージを観覧していたようだ。ゆりさん、久保田、AIの次はシャカのバック・コーラスか。(笑)どういう経緯でステージにあがったのか聴こうと思って電話したが、つながらなかった。(笑) 一週間、全ステージ(ファーストもセカンドも)10本を完全制覇(この後、大阪も帯同予定)したやはりソウルメイト、松浦さんにどれがいちばんよかったか、と尋ねると金曜のセカンドだったとのこと。 ライヴ後、近くのソウルバーに行っていたAIから電話がかかってきて「いやあ、ほんとヤバイっすね、ほんとすごいっす」とえらいテンションだった。 今回のバンド・マスターは、ベースのアンドリュー。ひときわ目立ったギタリストのトニー・メイデンは客演だ。僕はバンド自体はもっとシャカにあったリズムのしっかりした強力なファンク・バンドがいいと思うが、シャカ本人はひじょうに今回のツアーにごきげんらしく、「また、来年やってきたい」と言っているそうだ。 それと当初メンバー紹介をしなかった件だが、金曜あたりから少しずつしていて、土曜の最後には全員を紹介した。どうやら、最初のうち名前を全部は覚えていなかったため単純にできなかったらしい。(笑) メンバー紹介をしなかったのは、他意はなくただ自然にそうだっただけらしい。シャカはなんでも自然体だ。お願いとしては、来年来るときは、少しギャラ、経費、安くしてもらえないかなあ。(笑) 今回のシャカの来日は、これまでになく盛り上がった。今回見て感じたのが、往年のファンだけでなく、比較的若い20代と思われるファンもけっこういたこと。ルーファス時代をリアル・タイムで知らなくとも、「ソウル・レジェンド」としてシャカを知っている人が増えているということなのだろう。 ひとつだけ、セットリストについて。今回はファンクがコンセプトということで、R&Bセットに終始しているのだが、例えば、「ウィル・ユー・ラヴ・ミー」のところに、ジャズ曲1曲だけいれると、絶対いいと思う。ファンクの中にぽっと1曲そういうのが入ると、全体のセットリストがぐっとひきしまるはずだ。ファンク・セット、R&Bセットの「箸休め」だ。 最後におまけ情報。ルーファス・フィーチャリング・シャカ・カーンの名盤ライヴ『Live & Stompin’ At The Savoy サヴォイでストンプ』が2008年7月にワーナーから再発されるが、そのライナーノーツを書いた。ほんとだったら、先月末くらいの締め切りだったのだが、無理をお願いしてシャカのライヴを見てから原稿を書いた。もっとも、このライナーは、最初にアルバムが出た1983年、CD化された1992年と2度書いていて、今回が3回目。全面的に書き直した。25年前の作品のライナーノーツを書き直すというのも感無量だ。 ■シャカ・カーン、ライヴはこのあと大阪ビルボードで2008年6月9日月曜から11日水曜まで。 ■    関連記事 June 07, 2008 “Through The Fire” Is Chaka Khan’s Soul Searchin’ Song 【シャカ・カーン(チャカ・カーン)、多くの修羅場をくぐりぬけて】 http://blog.soulsearchin.com/archives/002556.html … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

★シャカ・カーン(チャカ・カーン)、多くの修羅場をくぐりぬけて

★“Through The Fire” Is Chaka Khan’s Soul Searchin’ Song 【シャカ・カーン(チャカ・カーン)、多くの修羅場をくぐりぬけて】 修羅場。 まさに旋風を巻き起こしている感のあるビルボード・ライヴでのシャカ・カーン(チャカ・カーン)のライヴだが、多くのおなじみのヒット曲の中でイントロが始まるととびきり歓声があがる曲がある。そう、「スルー・ザ・ファイアー」だ。メロディアスな日本人受けするデイヴィッド・フォスター作品だが、これを歌う前に、シャカは、一言二言コメントした。 「今まで、修羅場をくぐってきたことがある人、いる?」 たぶん、バックのバンドが少さく音を流しながら話したために、英語が聞き取れなかったのだろう。彼女の問いかけはあまり伝わらなかった感じはあった。「修羅場」は、もちろん意訳だ。直訳では「あなたは、今まで火の中を通ったことある?」だ。「私は随分と火をくぐりぬけてきた。(修羅場を通ってきたわ)。でも、神様はみんなのことを愛してるのよ」 そして、ギターのイントロへ。その瞬間、客席から大歓声。 シャカ・カーンの歴史は修羅場の連続だったのかもしれない。シカゴの男ばかりのファンク・バンド、ルーファスに入った。1970年代初期、男性バンドに女性1人というのは、珍しかった。シャカはまだ20歳にもなっていなかった。当然、メンバーからは軽くあしらわれ、とてもきちんとリスペクトされてはこなかった。意見を言えば、女のくせに、若いくせに、と言ったことでないがしろにされメンバーとはしばしばぶつかった。そのころ大体音楽業界に限らず、どこでも男性社会だった。 アレサが歌う「リスペクト」(少しは女性に対してリスペクトの念を見せなさいよ、という歌)が、多くの女性のアンセムになったが、シャカにとっても「リスペクト」は希望の星だった。 そんなシャカはリード・シンガーとしてどんどんと力をつけ、人気も高まる。すると今度はそれはそれで、彼女だけにスポットが当たることをメンバーが嫉妬しねたんだりするようになる。やっとの思いでソロ活動を始めるも、その成功にこんどはシャカが入ったほうがレコードが売れるということで、グループへの復帰を望まれる。グループ、ソロ、グループ、ソロと彼女の立ち位置はリヴォルヴィング・ドアのように回り人生は翻弄される。彼女の思うようにはならない。 そうしたことをさせるマネージメントとともうまくいかなかった。子供も設けたが、その父親ともうまくいかなかった。1980年代初期から後期はそんなこともあって、かなり荒れ、酒におぼれることもあった。彼女のライヴ・パフォーマンスは彼女のそのときの精神状態を如実に表すために、ライヴは良いときも、悪いときもあった。図らずも、ライヴは彼女の人生のその瞬間のバロメーターになった。 もちろん、1970年代から1980年代にかけて音楽的には素晴らしい作品を残してきた。アリフ・マーディン、クインシー・ジョーンズら素晴らしきプロデューサーたちの厳しいガイダンスのもと、質の高いアルバムや楽曲が作られた。ファンク・バンドの一シンガーがジャズにも挑戦し、それがまた高い評価を得た。 1990年代に入り、少し状況が変わった。新しいマネージメント、新しいボーイフレンド。一時期彼女は新しいボーイフレンドとともにドイツに移り住んだ。ぎすぎすしたアメリカとは違ったフレンドリーなヨーロッパの空気は彼女に新たな命を与えた。嬉しいニュースも生まれた。40代で「おばあちゃん」になったのだ。 だが皮肉なもので、私生活の安定した充実とは裏腹に、2000年代に入ると、彼女のレコード(CD)作品はメジャー・レーベルからリリースされなくなる。しかし、レコードが出なくとも、彼女はシンガーとしてそれまでになく尊敬され、多くの若手から慕われ、崇められるようになる。が、かつてのようなヒット曲は生まれなくなった。 2004年、再び事件は起きる。息子のダミアン・ホランドが銃で友人を誤って殺してしまいその損害賠償(約130万ドル=約1億3千万円=現在裁判中)の責任を負ってしまったのだ。(だから彼女はたくさん仕事をして、お金を稼がなくてはならないのかもしれない。だから、ギャラが高くて、チケット代が高いのかもしれない(笑)) 彼女は過去35年以上、「炎の中をかけぬけて(through the fire)」人生を生きてきたのだ。シャカは、多くの修羅場をくぐり抜け、嫌なこともたくさん我慢し、自身が成長し、なぜ自分にこんな不幸が起こるのか自問自答し、日々ソウル・サーチンし、今、今日の日を迎えている。 だから、彼女がこの「スルー・ザ・ファイアー」を歌うとき、そこに彼女が自身の人生を投影し、ありったけの魂を込めて歌ったとしてもなんらおかしくない。ときにはこれを歌いながら、自身の人生における修羅場の一場面が走馬灯して涙する瞬間もあるかもしれない。この曲が1984年にレコーディングされたときから、すでに24年が経っている。2008年ライヴで聴く「スルー・ザ・ファイアー」は、CDからわれわれが聞ける「スルー・ザ・ファイアー」よりも24年の重みが加わっているのだ。だから、シャカのかつてのオウラの何倍もの強力なオウラが今そこで見事な光を放つのである。そして、会場でこの強力なオウラに満ち溢れた「スルー・ザ・ファイアー」が歌われると、観客に歓喜にも似た涙が訳もなくあふれ出るわけだ。 彼女は「スルー・ザ・ファイアー」の後半で「ハレル~~ヤ」「アイ・サンキュー」と声を張り上げる。これもまさにゴスペルだ。 「限界の限界まで火をくぐりぬけて、 あなたとともに生きることに賭けるわ あらゆるリスクを負いましょう 何が起ころうと、何がどうなろうと あなたを愛するためなら、 どこまでも行くわ 最後の最後までどんな火の中でもかけ抜けていくわ」 (「スルー・ザ・ファイアー」) 火を駈け抜けて、素晴らしき人生を進め、シャカ・カーン! 火を駈け抜けて、素晴らしき人生を切り開け、シャカ・カーン! 火を駈け抜けて、素晴らしき人生に火を灯せ、シャカ・カーン! ■ 「スルー・ザ・ファイアー」収録の『フィール・フォー・ユー』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HGC1/soulsearchiho-22/ref=nosim/ … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

▲ボ・ディドリー死去

▲Bo Diddley Dies At 79  【ロックン・ロール・オリジネイター、ボ・ディドリー死去】 ビート。 いわゆる「ロックン・ロール」のオリジネイターのひとりであるミュージシャン、ボ・ディドリーが2008年6月2日、フロリダ州アーチャーの自宅で心臓疾患で死去した。79歳だった。 ボ・ディドリーは1928年12月30日アメリカ南部ミシシッピー州マッコム生まれ。本名はエラ・オサ・ベイツ・マクダニエル。実の親ではなく、親類に育てられ、その親類家族と7歳で北部シカゴへ。ブルーズ・ギタリスト、ジョン・リー・フッカーを見て影響され、ブルーズ・ギタリスト、シンガーとしてシカゴのサウスサイドのライヴハウスなどで活動するようになる。その後リズムを強調したサウンドを作り出し、ロックン・ロールの原型となるサウンドを作り出し、多くの黒人、白人ミュージシャン、ロッカーに多大な影響を与えた。 1954年、ハーモニカ奏者、ドラマーらとともに、2曲のデモテープを制作。それが「アイム・ア・マン」と「ボ・ディドリー」という楽曲。シカゴの名門スタジオ、チェスでこれを再録音。1955年になって、R&Bチャートで1位を記録する大ヒットとなった。 「ボ・ディドリー」のサウンドは、当時「ボ・ディドリー・ビート」と呼ばれ、その特徴は、「ボンバ・・ボンバ・・」といったパーカッシヴなリズム・サウンド。そして、ほとんどワンコードで楽曲が作られ、そののりのよさはそうしたパーカッション的な音ゆえだった。また彼はカスタムメイドの独特の形をしたギターを持って演奏したことからも有名になった。 1955年11月、彼は『エド・サリヴァン・ショウ』(生放送)に出演するが、このとき、事前の打ち合わせではテネシー・アーニー・フォードの「16トンズ」を歌うように言われていたが、それを無視し、自身のヒット「ボ・ディドリー」を歌い、司会者エド・サリヴァンを激怒させた。以来、番組には出られなくなった。しかし、彼は次々とヒットを生み出し、珍しく白人からも支持を集める黒人アーティストとなった。 ロックン・ローラー、バディー・ホリーは「ノット・フェイド・アウェイ」で、ボ・ディドリーのリズムを借用するが、これは後にローリング・ストーンズが1964年にカヴァーし、彼らにとっての初ヒットとなる。 1980年代には映画に端役で出演したり、ナイキのCMに出演したりしていた。 1997年、楽曲「ボ・ディドリー」は、「グラミー・ホール・オブ・フェイム」入りし、また1998年グラミー賞ライフタイム・アチーヴメント賞を獲得。そのほかにも多数のアワードを獲得している。近年は、教会に通い、ゴスペル的な作品を録音するつもりだったらしい。 2007年5月12日のライヴ後、心臓発作に見舞われ翌13日入院。8月に再発。その後11月までに一時退院し、自宅療養していた。 6月2日午前1時45分頃、自宅には約35名の家族親類が集まり、ゴスペル曲「ウォーク・アラウンド・ザ・ヘヴン」が歌われたという。これを聴きながら、本人は「私はこれから天国へ行く」と言って旅立ったという。 彼には15人の孫、15人のひ孫、さらに3人の玄孫(やしゃご=ひ孫の子供)がいる。 ENT>OBITUARY>Bo Diddley / December 30, 1928 – June 2, 2008 (79)

Posted in ブログ | Comments Off

■吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト

■Yoshihiro Chizuko Gospel Night: Brenda & Company Rock The House 【吉弘知鶴子ゴスペル・ナイト~ブレンダ節炸裂】 スピリット。 かつてニューオーリンズで腕を鳴らしてきた女性キーボード奏者吉弘知鶴子さん名義としてはブルース・アレーで初のライヴ。それもゴスペル曲ばかりをやるという異色のライヴにいい感じの胸騒ぎ。しかも、オンステージ8人のうち日本人は吉弘さんだけ、残りは全員アフリカン・アメリカン。まあ、そのままブラック・ゴスペルが目黒ブルース・アレーを占拠したようなものだ。(笑)シンガー4人をまとめるのは、我らがブレンダ・ヴォーン、東京レディー・ソウル・ナンバー・ワンだ。ワキを固めるのは、フランク、ミーシャ、シモニークのブラザー&シスター軍団。 シャカ・カーン→シーシー・ワイナンズ→ブレンダ・ヴォーンと、まさに3連続ゴスペル系シンガーを見られる東京の夜って一体なんなんだろう。(笑) 冒頭2曲は演奏曲。ブルース・アレー、ピアノの上にカメラを設置し、上からの映像をスクリーンに映し出した。これ、なかなかいい。しばらく前に、上原ひろみ&チック・コーリアでも俯瞰の映像がひじょうによかったが、やはりピアノを真上から見る映像は楽しい。 3曲目以降ヴォーカルが入る。1人リードで3人コーラスでも、迫力がめいっぱいある。前日も、クワイアーも物量作戦は必要ないかもしれない、と思ったが、ここでの1+3も十分だ。これは、このライヴに限らないが、ゴスペル曲って初めて聴いても、すぐになじめる感じのものが多い。ヒップホップの新曲などだと、いちいち耳に残らないのだが、ゴスペル曲はなぜかすっと入ってくる。そもそもそういう作りなのかなあ。それとも、こちらが年を取ったせいか。(笑) しかし、こうしたゴスペルを歌うときのブレンダは本当にすごい。存分にブレンダ節を聴かせる。僕はシャカのライヴを見ているときに、ブレンダが思い浮かんだ。ブレンダはシャカ、シーシーなどと並んで歌っても、まったく遜色ない。たまたま彼女は日本をベースにして、ここで活躍しているだけで、彼女がずっとオークランドかロスで活躍して、それなりのプロデューサーなんかと出会っていたら、まちがいなくビッグな存在になっていたと思う。実力と知名度、ヒット曲のあるなしは関係ない。実力があっても、ヒットなしには知名度はでない。要は「ご縁」の問題なのだ。 この日は、全テーブルに演奏曲目が書かれた紙が置かれ、全員がこの曲目を知ることができた。しかも、それに加え吉弘さんが1曲ごとに丁寧に解説してから演奏に入った。こういうのもいい。たとえば、5曲目では、「これは元はこういう曲でした」といってピアノでそのメロディーを弾く。みんなが知っているメロディーだったので、観客が歌い始めた。「そして、それをブラック・ゴスペルでやるとこうなります」といってその曲に入った。 ヴォーカルもの4曲の中では、どれもよかったが、特に「スピリット」という曲が素晴らしかった。空気はブルース・アレー転じてゴスペル・アレーだ。シャカも当然ゴスペル・ルーツ、そして、シーシー・ワイナンズももろゴスペル、この日も完全ゴスペルということで、今週前半は、べったりゴスペル漬けになった。吉弘さんに「2ヶ月に1度くらいの割りでやったら、どうですか」と言ったら、「ほんと大変なんです。体力ないんで、(笑)半年に一度くらいでいいかなって。次は12月にはクリスマスも含めてやろうと思ってます」とのお答え。う~~ん、もったいない。 僕は第二部もかなり見たかったが、後ろ髪ひかれつつ次に移動。 ■ メンバー 吉弘知鶴子ゴスペルナイト (Pf/Org)吉弘知鶴子 (G)ザンドレ・ヤブロウ (B)グレッグ・リー (Ds)マーティー・ブレイシー (Vo)ブレンダ・ヴォーン、ミーシャ・ドナルド、シャモニーク・ジャクソン、フランク・レグリー ★Special Guest シスターリード(from CampZama) ■ セットリスト Setlist : Yoshihiro Chizuko Gospel Night @ Blues Alley Japan, June … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

●シーシー・ワイナンズ登場

●CeCe Winans Sings On “Tokyu World Music Special” 【シーシー・ワイナンズ登場、東急ワールドミュージックスペシャル】 光。 東急グループが定期的に行っているイヴェント『東急ワールド・ミュージック・スペシャル』、今回は数えて9回目。ひょんなことから、ここにゴスペル・シンガー、シーシー・ワイナンズがやってくると知り、見たいなあと思い、ネットからいろんな名前を使って応募したが、全部はずれた。(笑) シーシーは、一度1990年代初めに新宿のルミネ・ホールにビービー&シーシーで来日、ライヴを見た。また1997年5月、ホイットニー・ヒューストンの東京ドームでのライヴに彼女が飛び入りで1曲「カウント・オン・ミー」を歌ったことを記憶している。去年はヴァネッサ・ベル・アームストロングがひょいとやってきたり、カーク・ウェイラムとジョン・スタッダードが来日したり、今年はシーシーと、知らぬ間にいろんなゴスペル・アーティストが来ている。 シーシーは現在日本のレコード会社もないようで、前日まで鑑賞はあきらめていたところ、これまた当日午後になって急遽とあるご縁で見られることになり、ビービー&シーシーの来日時に彼のラジオのゲストにでてもらったという松尾潔氏とともに観戦。無料、抽選で、その倍率は10倍以上だったとか。じゃあ、3通くらい出したくらいじゃあ当たらない。(笑) 東急グループのサイト↓ http://www.tokyu.co.jp/group/twms2008/index.html プロフィール↓ http://www.tokyu.co.jp/group/twms2008/profil.html 無料イヴェントということもあり、会場は超満員。またテーマがゴスペルということで、ゴスペルを歌っている風の人たちも見受けられたが、多くは年齢層も幅広い一般の方々が集まっていた。入り口で、本日のプログラム(曲目が書いてある)、小さなLEDライトを渡され、最後の曲でお使いください、とご案内された。これが小さいがとてもきれいな色を発光する。入り口でシーシーの新作を売っていたので、松尾氏とそれぞれ一枚ずつご購入。もう一枚、ビービー&シーシーのベストもあったが、曲目をよく見ると、けっこう持っていたのでこちらはパス。 第一部のザ・ボーン・アゲイン・チャーチからは11名のシンガーたちが登場。そのうちの1名がオルガンを弾く。「アメージング・グレイス」から始まり、最後のほうで50名以上の日本人コーラスがバックに立った。 休憩をはさんで、シーシー登場。さすがに立派、歌の格が違う感じ。前日のシャカ・カーンが頭の先から声を出すのに比べて、このシーシーはおなかのおへそのあたりから、ガツーンと低い声をだしてくる。タイプが違うわけだが、シーシーの堂々としたふるまいはもはや中堅からヴェテランの域に達しているということか。 ドラムス、ギター、ベース、キーボード2人にコーラス4人という9人のバックというきちんとした編成。この4人のコーラスがまたけっこううまかった。この4人とシーシーの歌を聴いていると、その迫力は50人のクワイアーを凌駕。こういうのを見ると、ゴスペルも人数だけではないんだなあ、と感じる。もちろん人数がいればいたで、迫力なんですけどね。松尾氏この歌とコーラスを見て、「クワイアーいらずですねえ…」。 シーシーはセットリスト中7曲までが、2008年4月全米リリースの最新作『サイ・キンゴドム・カム』収録の曲だった。道理でなじみはなかったが、荘厳な雰囲気とのりのいいコンテンポラリー・ゴスペルの世界にたっぷり浸れた。 特に5曲目「ヒーズ・コンサーンド」では、シーシーは通訳を招き入れ、「あなたたちを、神様はみな気にかけています。愛しています」といったメッセージを説明、さらに歌に入るとアフリカのホームレスの子供たちの映像をスクリーンに映し出した。 最後アンコールで「オー・ハッピー・デイ」。第一部ででてきた人たちも含めて全員登場。ここで、先のLEDライトが登場。2000以上のこの小さなライトが暗い会場に一斉に光ると、ホタルみたいで実にきれいだ。「アメージング・グレイス」に始まり、「オー・ハッピー・デイ」に終わるゴスペル・イヴェント。最後はホタルの光…。 ■ 「東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9ゴスペルナイト」(シーシー・ワイナンズなど)会場 東急文化村 ■セットリスト 東急ワールドミュージックスペシャルin Bunkamura vol.9 ゴスペルナイト Setlist : Tokyu Bunkamura, Orchard Hall, June 3, 2008 … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

⊿シャカ・カーン初日から全開

⊿Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance (これからライヴをごらんになる方は十分ご注意ください) 【シャカ・カーン初日から全開】 エネルギー全開。 2003年10月以来4年8ヶ月ぶりの現代のソウル・ディーヴァ、シャカ・カーン(チャカ・カーン)の来日公演。前回武道館、今回は小さなライヴ・ハウス、ビルボードということで、初日セカンド超満員。ほぼ空席なしだ。改めてシャカ人気を認識。 今回の最大のポイントは、ギターに1970年代に一緒に活動したファンク・グループ、ルーファスの名ギタリスト、トニー・メイデンが参加していること。30年来の友人だけに、お互いすべてを知り尽くしているパフォーマンスとなる。 シャカ・カーンは、1970年代にルーファスの一員として来日して以来、1980年代、1990年代とコンスタントに来日している。彼女の場合、ライヴには波があり、ものすごく良いときは誰もかなわないほど素晴らしく、逆に気分が乗らないときにはこんなことがあるのかというほどの醜態を見せる。ひどかったのは1980年代初期のもの。ワイン・グラスのみながらやるわ、もう酒でよっぱらうわ、音程ははずすわ、でどうしようもなかった。そのときのプロモーターの社長が激怒して、マネージャーとやりあったという。逆に僕がもっとも素晴らしいと思ったのは、1990年代に今はなき横浜・本牧にほんの一時期だけあった「マイカル本牧アポロ・シアター」で見たシャカ・カーンだった。どの曲も完璧で、本当に気持ちよさそうに歌い、「スルー・ザ・ファイアー」など、涙がでるほど感激し鳥肌が立った。おそらくそのときの彼女の精神状態によって、出来不出来がでるのだろう。 さて、まず初日を見なければならない。結論から言うとシャカの声は、よく出ていた。パフォーマンスもよかった。もういきなり全開である。声が若干キンキンしている部分はあったが、概ねよかった。セットリストも短いながらも、コンパクトにまとめ、ラインアップも悪くない。ルーファス時代の曲も、シャカ・ソロもいれていて、ソウル・シンガー・ショウという感じだ。若干バンドの音量が大きめでシャカの声が聞き取りにくいところがあったが、これはシャカの問題ではない。しいていえば、1曲だけでいいので、ジャズ風の曲をいれてもよかったかもしれない。例えば、「エンド・オブ・ラヴ・アフェア」とか、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」あたり。2曲はいらない、1曲でいい。 それにしても、あの声はどこからでてくるのか。頭のてっぺんから出てくるのではないかと思われるほどの声。声力、声圧、迫力、相当なものだ。例えば、多くのシンガーが目指すのがアレサ・フランクリンか、シャカ・カーンというのもうなずける。 セカンドでは、当初の予定では4曲目に「アイム・ア・ウーマン」をやる予定だったのを、急遽、「ステイ」のフル・ヴァージョンに変えて歌った。3曲目が終わった後、ベース奏者(ミュージカル・ディレクター)に耳打ちし、これにした。また、ファーストでは「スイート・シング」のあとにアンコールだったそうだが、セカンドでは「ホワッツ・ゴーイング・オン」を歌ってくれた。 アレサも、その場その場で気分次第で曲をどんどん変えていくというが、シャカも乗ってきて、なれてくると、どんどんと曲を変えていきそうな予感がする。 東京は休息日1日はさみ5日間計10回、さらにその後大阪3日6回。果たしてどうなるだろうか。さらに日が進むごとに、ライヴはよくなっていくか。 (イメージ絵) ■過去記事 2003/10/11 (Sat) Chaka Khan Live @ Budoukan: One & Only Voice Still Shines http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/diary20031011.html (前回来日ライヴ評) ■ メンバー シャカ・カーン/Chaka Khan(Vocals) アンドリュー・ガウチェ/Andrew … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

△伝統的R&Bヴォーカル・グループの真髄~マンハッタンズ・ライヴ

△Manhattans Live : Traditional Heritage Of Great Vocal Group 【伝統的R&Bヴォーカル・グループの真髄~マンハッタンズ・ライヴ】 真髄。 ソウル・ヴォーカル・グループ、マンハッタンズの2006年1月以来およそ2年5ヶ月ぶりの来日ライヴ。前回ライヴのときに、一番低音のウィンフレッド・ブルー・ラヴェットが杖をついていたのだが、今回は杖などなく、昔ながらに元気にステージ狭しと踊っていた。たぶん、前回は単にそのとき怪我をしていたということなのだろう。それを見ただけで、僕は嬉しくなった。直ってよかった、という感じだ。観客層もやはりかなり年齢が高い。 さて、9時1分前にはバンドがスタンバイ。9時ちょうどにライヴがスタート。きっちりしている。マンハッタンズの4人がMCに煽られてさっそうと登場。スーツとシャツはサーモン・ピンク、靴もピカピカのサーモン・ピンク、もちろんハンカチーフもシルクのサーモン・ピンク。きっちり決める。「エイント・ノー・ストッピン」でイケイケにしておいて、持ち歌「アイル・ネヴァー・・・」へ突入。4人での振り付けが、もう伝統的ソウル・ヴォーカル・グループのそれだ。テンプス、スタイリスティックス、そして、今マンハッタンズ。まさに王道。 1曲目から最後まで、ほとんど曲間なく、次々とテンポよく曲が歌われる。きっちりきっちり。このあたりのちょっとやってノンストップで次の曲へ行くスタイルは、ソウル・ヴォーカル・グループの真骨頂。ほんとに息つく間もなく楽しめる。スローバラードでは客席のカップルがチークを踊る姿も。いいですねえ、こういう雰囲気。 オリジナルのヒット曲にはちゃんと振り付けがついている。これらの多くはチョーリー・アトキンスという伝説の振り付け師が振付けたもの。(曲によっては、ブルーらメンバーも振り付ける) チョーリーは、元々モータウンで多くの振り付けの仕事をしていたが、その後、マンハッタンズやスタイリスティックス、スピナーズなどいわゆる多くのヴォーカル・グループの振り付けをした。 バックを支えるバンドは、ドラムス、ギター、ベースにキーボード2人の5人。「イースト・コースト・コネクション」という名前で、マンハッタンズのバックバンドとして10年以上活動を続けている。バンドもきっちりきっちり。 また、マンハッタンズの低音ブルー・ラヴェットとジェラルド以外のふたりのうち、デイヴィッド・タイソンはなんとテンプテーションズのロン・タイソンの弟だという。1994年以来、現在のマンハッタンズに参加している。デイヴィッドのウェッブサイトによれば、1959年9月14日生まれ。現在48歳。ブルーやジェラルドよりもかなり若い。スキンヘッドのトロイも1994年からの参加。2人も目立たないがうまい。 やはり、はりのあるジェラルドが歌い、ブルーがあの低音でコーラスをつけたりしゃべったりすると、もうそれだけできっちりマンハッタンズの世界になる。そして短めのMCが、曲のイントロにのって話されるので、まるでノンストップのラジオ・ショウを聴いているかのよう。 下記セットリスト13では、マンハッタンズの3人がステージを降りてジェラルドだけが残り、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を熱唱。サム・クックの影響を多大に受けているジェラルドならではの解釈で、存分にサム・クック節を聴かせ、ショウのハイライトのひとつになった。これは前の曲から「チェンジ」つながりになっている。生のサム・クックを見られない今日、こうしたサム・スクールのシンガーをじっくり聴こうとすると、こうしたジェラルドの歌声になるのだろう。もちろん、ボビー・ウーマックもいい。 スピナーズの「ラヴ・ドント・ラヴ・ノーバディー」からボーイズ・トゥ・メンの「アイル・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」をメドレーでやったが、グラディス・ナイトがこの並びでつないでいた。この前武道館で見たカラオケ・ヴァージョンの同曲(ボーイズ・トゥ・メンの歌)よりも、はるかによかった。やはり、振り付けのついたヴォーカル・グループのリアルなバンドとともに歌われるライヴ・パフォーマンスは楽しい。そして、彼らの曲が終わるときの直角に折れるおじぎが長くてすがすがしい。おじぎもきっちりだ。 もう一箇所圧倒的だったのが、これも前回来日で見せてくれたが、アンコールのオープニングの部分。4人アカペラで「ジョージア…」を歌う。別に彼らのヒットでもないのに、まるで彼らが何十年と歌ってきたかのようにさえ思える。歌手自身の解釈力を見せ付ける。 ほぼ無音部分なしの80分は、密度濃くあっという間。彼らにとっては「朝飯前」なんだろうが、やはり何度見ても嬉し楽し。同行ソウルメイト黒沢さんは、「いい声、いい音楽は本当に耳の栄養になります、いやあ、本当に来てよかった」といたく感激していた。ライヴ後はサイン会で、長い列ができていた。最後まできっちり仕事するなあ。 ■ 過去記事 January 08, 2006 Manhattans: Brings The Legacy Of Sam Cook, Ray Charles http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200601/2006_01_08.html (前回来日ライヴ評) ■ メンバー … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off

▼深町純、キーボード・パーティー89回

▼Fukamachi Jun #89: Keyboard Party 【深町純、キーボード・パーティー89回】 再発。 深町純、月例即興キーボード演奏会。この日は客足悪く、ほぼ常連さんばかりの観客。演者、あまりモチヴェーションがあがらないかもしれない。(笑) そんな中、深町さんの旧作がCD化されるトピックが登場。 かつて1970年代にリリースされたアルバムが、ユニバーサルから新装発売される。まず7月に出るのが『ゴールデン・ベスト』という作品。これは深町さんがキティー・レコードから出した複数のアルバムから各2曲程度ずつ選んだベストもの。選曲、ライナーも本人だという。キティーの作品の権利が今、ユニバーサルにあるので、ユニバーサルから発売されることになった。 もう一枚がこれがなかなかすごい。8月にリリースされる『トライアングル・セッション』。これはもともと1977年発売のアルバムで、このマルチ・トラックのマスター・テープが倉庫から発見され、新たにリミックスして再度リリースするというもの。これは、マイケルとランディー・ブレッカーをアメリカから呼んでレコーディングしたもので、本盤のギターは大村憲二さんだが、オルタナティヴ・テイクで高中正義さんが弾いているテイクがあり、それらを使用することも考えられている。リミックスには深町さんも立ち会う。 深町さんのアルファ時代の作品群はソニーに権利があり、何枚かは今年になって発売されている。 セットリスト第二部の5曲目は、彼の自作自演による歌。NHKのみんなの歌ように何曲か書き、半分くらいは採用されたが、これはボツになった曲のひとつだそうだ。歌い終えて、「僕は、歌が好きなんだよねえ」とぽつりと言った。 ■ 過去記事 April 27, 2008 Fukamachi Jun #88: Jun Lose To Young Energy http://blog.soulsearchin.com/archives/002483.html March 30, 2008 Fukamachi Jun #87 http://blog.soulsearchin.com/archives/2008_03_30.html March 27, 2008 Fukamachi Jun #86; Talks … Continue reading

Posted in ブログ | Comments Off