Monthly Archives: October 2005

Mellow Ridaz Vol.3

【メロー・ライダーズ第三回】 三者三様。 今年の2月、7月と行われてきたソウルDJイヴェント、「メロー・ライダーズ」の第三回が、10月30日(日曜)横浜のソウルバー/クラブ「ルーサー」で行われた。DJオッシー、DJルイカ、そして、DJ吉岡の3人が2ローテーションまわした。御来店いただいたみなさま、ありがとうございました。 僕のテーマというか、方向性は、ファーストセットがスティーヴィーとルーサー、セカンドがジェームス・ブラウン系ファンクというもの。 ファーストは、もう少しスローっぽい曲をかけようと思っていたが、いざDJプレイが始まり、お客さんが踊っているのをみると、どうしても、スローにして、客を散らすことができない。(笑) 今回は、ファーストとセカンドのセットリストをけっこう、事前に決めておいて、それを軸に微調整はするという感じでやってみた。 スティーヴィーの新作からちょっと踊れそうな「マイ・ラヴ・イズ・オン・ファイアー」と「テル・ユア・ハート・アイ・ラヴ・ユー」をかけたら、ゆったりしたリズムだったが、なんとか踊れていた。想定では、ビヨンセ&スティーヴィーの「ソー・アメイジング」からルーサーの「ネヴァー・トゥ・マッチ」にもっていこうかと思ったが、スローがかけられなくなり、「サインド・シールド」の次に「ネヴァー・トゥ・マッチ」をかけてしまった。 セカンド、ボビー・バードの後にかけたオーサカ=モノレールは新作の2曲目から5曲目までをそのままかけてみた。そうしたら、ダンスフロアで輪ができて、踊りの上手な人がかなり派手にダンスを決めて、周囲から拍手喝采を浴びていた。 今日はスタックスの黒いTシャツを着て臨んだので、セカンドの最後はスタックスものでまとめてみました。 それにしても、今回「メロー・ライダーズ」の名の元に3人が好き勝手に選曲したのだが、三者三様でそれぞれ違ってておもしろかった。僕が比較的アーティスト主体的、セカンドは特に60年代風、ルイカ氏がメローでゆったりしたソウル、年代では70年代、そして、オッシーがダンクラの王道、80年代という感じだ。 Mellow Ridaz Vol.3Setlist: DJ by Yoshioka Masaharu 1st set started 22:1001. What’s Going On / David T. Walker02. My Love Is On Fire / Stevie Wonder03. Tell Your Heart I Love … Continue reading

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Who’s This Singer Who Sings “Georgia On My Mind”?

【このジャズシンガーは一体?】 誰?  トクの番組の収録が終わり、マネジャーのM氏をおくったところで、「ちょっと一杯だけやっていきましょうか」と近くのソウルバー、ミッドナイト・アワーへ。 久々に顔を出すと、ヒップホップ系のユニット、2バッカ(ツー・バッカ)のハマちゃんがいた。なんと、このほどメジャーとの契約が決まったという。おめでとう。来年春くらいに、まずミニアルバムを出すために、今、一生懸命曲を書きためているそうだ。2バッカのもうひとりのハマーくん(ハマとハマーは別人)は、最近はベニーKのトラックなども作って今かなり旬なので、このユニットの来年以降の動きは注目だ。 さて、いろいろ話をしているうちに、どこかで聞いたことがある曲が流れてきた。ジャジーな女性シンガーに歌われる・・・、それは、「ジョージア・オン・マイ・マインド」であった。なかなかいい雰囲気じゃない。でも、聞いたことないなあ。わからない。しばしいろいろ考えた。 だが、結局わからずがまんできずにお店のナルくんに聞いた。「これ、誰?」 すると「これ、かければ吉岡さん、ひっぱってこれると思いました(笑)」 「おっと、つかまれちゃったか、で、誰?」 ナルくん、ジャケットを渡してくれた。 エアブラシのイラストが描かれたジャケット、アーティスト名は? 「えええっ? Mieko Hirota???」 弘田三枝子 ? まじ~?? 何と昭和30年代から40年代にかけて一世を風靡した弘田三枝子 だった。おそらく、このアルバムは80年代に再発されたものだろう。 タイトルは、『ジャパニーズ・グラフィティー』、アナログ・アルバムのA面が洋楽ヒットの日本語カヴァー、B面が「ジョージア・・・」や、「マック・ザ・ナイフ」「オーヴァー・ザ・レインボウ」、「イッツ・ア・シン・トゥ・テル・ア・ライ」などスタンダードを英語で歌っている。これが、発音もしっかりしていれば、サウンドもなかなかのもので、びっくりした。うまいなあ。 ちょっと調べたら、ちなみに次のところで45秒程度なら試聴できます。 http://listen.jp/store/artalltracks.aspx?artistid=1148529 なんとか入手して、いつかどこかでかけます! 

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Leon Russell Will Do Both Acoustic Set And Band Set

【レオン・ラッセル来日】 尊敬。 アメリカのシンガー・ソングライター、レオン・ラッセルが11月に来日、アコースティック・バンドセットと、エレクトリックバンド・セットというふたつの違った編成でライヴを繰り広げる。それぞれで、かなり持ち味が変わるものと思われ、そのサウンドの違いが注目される。 レオン・ラッセルは1941年4月2日オクラホマ州ロウトン生まれ。セッション・ミュージシャンとして、プロデューサー、フィル・スペクターのレコーディング・セッションなどで頭角をあらわし、その後70年に自身のレーベル、シェルターを設立。自らシンガー・ソングライターとして多くの作品を出した。特に、独特の粘り気のヴォーカルが印象深く、ファンの支持を集めるだけでなく、ミュージシャン仲間からも尊敬を受けている。ジョー・コッカー、ジョージ・ハリソン、エリック・クラプトンらそうそうたるメンバーとセッションを行ったりライヴ活動をしたり、ロック界の重鎮として活躍。 ソングライターとして書いた「ア・ソング・フォー・ユー」は、カーペンターズによって歌われ大ヒット、その後、ダニー・ハザウェイなどによってもカヴァーされている。さらに「ディス・マスカレード」(ジョージ・ベンソンで大ヒット)、「スーパースター」(カーペンターズ、ルーサー・ヴァンドロスなどでヒット)などの曲を送り出し人気ソングライターとなった。 レオン・ラッセルは73年11月に来日している。 ■カンヴァセーション・ウェッブhttp://www.conversation.co.jp/schedule/leon_russell/index.html ■レオン・ラッセル来日コンサート 2005年11月21日(月曜)開場18時30分、開演19時場所 文化村・オーチャードホール 2005年11月24日(木曜)開場18時30分、開演19時場所 文化村・オーチャードホール 出演者 11.21 (Mon) バンド(アコースティック)+ ピアノ・ソロ11.24 (Thu) バンド(エレクトリック) バンドメンバーLeon Russell (vocals / keyboards)Jason Marion Speegle (guitar)John Charles Wessel (Bass / back vocals)Tina Rose Goodner (back vocals)Grand Murcus Whitman (percussion)William Cody Bailey (drums) 料 金 … Continue reading

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Earth Wind & Fire Will Be Coming To Japan, Again

【アース、再来日】 11回目。 70年代から日本でも絶大な人気を誇るブラック・グループ、アース・ウィンド&ファイアーが、2006年1月、再び来日する。アースの来日は、2002年11月、2004年9月以来1年4ヶ月ぶり、通算11回目。前回来日したモーリス・ホワイトは今回は帯同しない予定。 大阪2回、東京2回、名古屋1回の計5回の公演が予定されている。新聞発表は11月2日から4日にかけて。優先電話予約は11月5日から、また一般のプレイガイドでの発売は11月12日からとなる。 アースは、9月に新作『イルミネーション』をリリースしたばかり。 ++記++ アース・ウィンド&ファイアー・ジャパン・ツアー2006 2006年1月14日(土) 大 阪 : フェスティバルホールOPEN 5:15PM /START 6:00PM2006年1月15日(日) 大 阪 : フェスティバルホールOPEN 4:15PM /START 5:00PM全席指定 9,500(税込)問)キョードー大阪:06-6233-8888 2006年1月18日(水) 東 京 : 日本武道館2006年1月19日(木) 東 京 : 日本武道館OPEN 6:00PM /START 7:00PM全席指定 10,000(税込)(問)ザックコーポレーション:03-5474-9999 2006年1月20日(金) 名古屋 : 愛知県芸術劇場 大ホールOPEN 6:30PM /START … Continue reading

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Jino Jam Live: Mr. Bass Man Is Sooo Funky

【ジーノ・ジャム・ライヴ】 グルーヴ。 日本一のファンキー・ソウル・ベース・マン、日本のルイス・ジョンソン、マーカス・ミラー・・・。形容詞はいろいろつけられるが、グルーヴを作らせたら今、彼の右に出るものはいないであろう日野賢二の自己のグループのライヴ。彼のベースは、特にチョッパーを見ていると、往年のルイス・ジョンソンを思わせる。ジャズ、フュージョンというより、ソウル、ファンクのバンドというか。ソウルマン・ジーノという感じだ。 今回は、ドラムス、キーボード2人、ベース(日野)、これにサックスが3人というひじょうにおおがかりな編成だ。しかも、サックスの3人がソウル・サーチンでもおなじみ太田剣、新進気鋭の小林香織、さらに日本語が達者な西海岸風サウンドのアンディー・ウルフと三者三様の色合いを見せる。 日野は一ベース奏者でありながら、全体的なサウンドプロデュースをかなり念入りに仕上げる。自分が好きなグルーヴ感のあるソウルフルなサウンドを追求するので、自然とそういうサウンドになっていく。この日のドラムは、ケイリブのところでも活躍のロレンゾ。このドラムとベースのコンビネーションなら東京ファンクお任せだ。 ファーストとセカンド、入れ替えにもかかわらず、曲のダブリはなし。それぞれほぼ一時間半たっぷりやってくれた。 第二部最後、ジャコ・パストリアスもやっているサム&デイヴの「カム・オン・カム・オーヴァー」では、ヴォーカルに日野さんがプロデュースをするイッペイ・ブラウン、ヒューマンビートボックスのモトくんという人が登場。かなりうまいビートを聞かせてくれた。アンコールの「チキン」(これもジャコ、オリジナルはジェームス・ブラウン)では、日野さんがチキンの踊り方を観客に教えて、みんながチキンのダンスを踊った。かなりテンポの早い「チキン」だった。 「『チキン』テンポ早かったねえ」というと、「え? やっぱり早かった? もう少し遅いほうがよかったかなあ。オリジナルはかなりテンポ遅いんだよね。だからあれより少し早くしようと思って」と日野さん。いや、あれくらい早くても、あれはあれでよかったが。 「リクエスト、思いついたんだ。こんど、ブラザース・ジョンソンの『ストンプ』か、クインシーの『愛のコリーダ』、やってよ」 「あああ~~、あれね、大好きよ。でも、ルイス・ジョンソンの、めちゃくちゃ難しいんだよ。ルイス、こんなに(といってベースをひっぱるジェスチャー)引っ張るんだよ。あんなことできない。ケイリブとか、ロビーとか、ブレンダとか、そういうすごくうまいシンガーと一緒にできるなら、やりたいね」とのお答。 ジーノのベースで、「ストンプ」の途中のソロを聞いてみたい。 ■メンバー JINO JAM + 3 Saxophones 日野賢二(b,vo)、小林香織(sax)、太田 剣(sax)、Andy Wulf(sax)、PENNY-K(key)、NOBU-K(key)、Lorenzo Brceful(ds) ■日野賢二・ウェッブhttp://homepage1.nifty.com/live/kenji/ Setlist: First show started 18:3101. Intro02. Moanin’03. Lonely Time04. City Living05. Rain06. Come TogetherEnc. Paster Tshow ended 20:00 Setlist; Second … Continue reading

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Vote Your Favorite Design

【ジャケットデザイン公募】 投票。 ヴォーカル・グループ、シンコペーションの唯一の日本人メンバー、阿部恒憲(あべ・つねのり)が、「つね」の名前でソロ・プロジェクトを始める。それに先立ち、ミニアルバムを出すが、そのジャケットデザインをどれにするか、公募している。ジャケットやデザインに興味ある方、投票されてみてはいかがだろうか。なお、下記サイトで試聴もできる。締切は10月13日。 下記サイトで、ジャケットデザイン4種が掲載されているので、どれかお気に入りがあれば、投票。抽選で1名様にアイポッドが当たる。 http://www.bothsides.jp/cd_tune/postmail/postmail.html 下記サイトは、阿部恒憲のサイト。ブログなどもある。 http://www.crazyharmony.com/ 「つね」のアルバムのタイトルは『石楠花(しゃくなげ)の花の咲く頃』。6曲入り。11月23日発売予定。 シンコペーションのライヴ評 July 28, 2005Syncopation: What They Need Now Is…http://blog.soulsearchin.com/archives/000413.html ENT>MUSIC>ALBUM>Tsune +++++++++++++ ■お知らせ 先日からホームページのサーヴァーを新しいものにするために、徐々に移行作業を進めています。このため、旧サーヴァーと新サーヴァーの移行時期に、若干、ウェッブ表示などが不安定な状況になることがありますが、最終的には元通りになりますので、ご理解ください。 ウェッブマスター +++++

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Dana Hanchard Live: PP=Perfect Performance

【パーフェクト・パフォーマンス】 ファーストクラス。 なんと表現したらいいのか、うまい言葉が見つからない。あまりにいいライヴを見ると、どうしてもあれも書きたい、これも書きたい、こんなことを思った、などとどんどん書いてしまい、感想文が長くなるという大きな欠点がある。読むほうは短いがいいにきまってる。それはわかっているのだが、どうしても、あれもこれもとなってしまう。今日はちょっと長くなりそうなので、あらかじめ予告しておこう。 今、日本にいるアメリカのブラック系女性シンガーでダントツにすばらしい人だ。いや、このままニューヨークにもっていっても、堂々と人に紹介できる。もっとも、彼女はニューヨーク出身で、すでに向こうでも歌っているのだが。(苦笑) 9月にピアニンのフィーチャード・ヴォーカルで歌っていたデイナ・ハンチャードのライヴである。彼女が横浜モーションブルーで自己のグループでライヴをするというので相当な期待を持って出向いたが、想像以上のパフォーマンスだった。 彼女は、たとえば、ダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ディー・ディー・ブリッジウォーター、あるいは、タック&パティーのパティー、さらにもう少し広げるとロバータ・フラックあたりを彷彿させる音楽的教養があり素養の高いシンガーだ。そうしたビッグネームに匹敵するファーストクラスのシンガー・ソングライターだ。 まず歌の表現力がすばらしい。ミュージシャンが間奏を演奏している間でさえ、彼女は歌に身をゆだね、表現し続けている。パフォーマーだ。個々の単語、言葉の意味を完全に理解し、その言葉を聴く者にていねいに伝えようとする。しかも、超低音から、かなりの高音までなめらかに高さを上下する。歌が音階も寸分狂わず、見事に歌いきる。絶対音感を英語でパーフェクトピッチという。略してPP。彼女のパフォーマンスは、パーフェクト・パフォーマンスだ。略してPP。 そして、音楽の多様性が見事だ。ベースにクラシックとジャズがあり、さらに、ソウル、ラテン、ロックなどの要素さえ取り込む。なにより、音楽の理解度、吸収度が圧倒的で、それを自分の体内でろ過し、排出する様がすばらしい。 それらは、いくつかのいわゆるカヴァー曲に現れる。カヴァーなのでなんとなく聴いたことがあるメロディーなのだが、完璧にデイナ本人のものになっている。ポップなアソシエーションの曲をこれほど、ジャジーにするとは。おそらく、それらオリジナルを知らずに聴いたら、みなデイナの作品だと思うだろう。それくらいデイナ色に染まっている。カヴァー曲をどれだけ自分のものにするかで「音楽度」を測るとすれば、デイナの音楽度は異様に高い。 さらに、歌への集中力が本当にすばらしい。デイナが歌へ集中すればするほど、聴くこちら側もどんどん集中していく。ファーストセットが終わった時点でどっと疲れがでたほどだ。もちろん、気持ちのいい疲労感だ。 ファーストとセカンドは、入れ替えがないため、まったく違う曲を歌った。まず、ファーストの「フーズ・クレイジー」から「ニアネス・オブ・ユー」へつないで歌っていくところなど鳥肌が立った。一瞬、ピアニストがデイナを見ていたので、予定外なのかとさえ思ったほど。客席も半分程度の入りだが、このパフォーマンスと値段は、相当なヴァリュー(お値打ち)だ。 ファーストより、セカンドのほうがより集中度が高まり、パフォーマンスもより高度になっていく。セカンドではどれもすばらしいが、4曲目に歌われた「アイ・ケア・フォー・ユー」は見事。さらに、アカペラの一人歌いで始めた「ビューティフル・シティー」も圧巻。その歌う姿に見とれている子の表情が、本当に「うっとり」しているようだった。観客の何人かはデイナが現在音楽を教えている生徒さんだったという。音楽教師というと、ロバータ・フラックもそうだった。 ただひとつだけ、音楽的に僕個人の贅沢を言えば、バンド自体があまり黒さを持っていないので、もうちょっとだけ黒くなってグルーヴ感が出ると、さらによくなるのではないだろうか。まあ、これは好みの問題か。 たとえば、こんなラインアップで彼女の歌を聴いてみたい。ピアノにジョー・サンプル、アコースティック・ベースにクリス・ミン・ドーキー、ドラムスにジャズをやるときのリッキー・ロウソン、ギターにデイヴィッド・T・ウォーカー、曲によってトゥーツ・シールマンスのハーモニカといったメンバーの中にこのデイナをいれてみたい。どんな化学反応が起こるのだろう。想像しただけで興奮する。 モーションで月一定期的にやったらどうだろうか。都内でもいいけど。僕がブルース・ランドヴァール(ブルーノート社長)の携帯番号を持っていれば、すぐに電話する。そんな風に思った。アメリカには、こうしたクラスのシンガーがいくらでもいるんだろうな、とも思った。 確かに歌をちょっと目指す者がいて、彼女のパフォーマンスを見たら、歌をやめようと思うのもいたしかたない。 「どうやったら、あなたのように歌えるようになるのでしょう」ときくと、彼女は「ただ歌うのよ。ひたすら歌い続けることよ。そして、Listen to everybody(ありとあらゆる人を聴きなさい)」と答えた。 トイレに行ったら、小さなブラックの男の子が一生懸命手を洗っていた。人なつっこい笑顔をしていたので、ひょっとしてデイナの息子さんかと思い、「デイナの子供さん?」と尋ねると、「そうだ」と言う。「Your mother is so good!」というと、ひとこと「サンキュー」と答えた。彼の名前はバスク。11歳だそうだ。将来歌うようになるのだろうか。 彼女の声、あのリチャード・ボナの女ヴァージョンのようにも思えてきた。それにしても彼女の声は、イメージの広がる声だ。恐れ入った。 Setlist (all songs are Dana’s original except otherwise indicated) 1st set show started 18.3201. Divee Down02. … Continue reading

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Al Kooper Live

【アル・クーパー・ライヴ】 まったり。 アル・クーパーというと、ブラッド・スウェット&ティアーズとかそのあたりを思い浮かべるが、この日のライヴはさすがに年季の入ったロックファンが多数かけつけていた。普段のブラック系のライヴとも、ジャズ系のライヴともまったく違うタイプの人たちだ。こういう人たちはいつもは、どこにいるのだろうか。ジャズファンがジャズバーやジャズ喫茶にいるとすれば、彼らはロックバーにいるのだろうか。そんなこともないか。 一曲演奏した後、いきなりブッカーTの「グリーン・オニオン」がきた。マイク・ブルームフィールドとのライヴアルバムにも収録されていた曲だ。ブルース色の強い人だなあとは思っていたが、さすがの選曲。それにしても渋い。黒地にラメ入りのジャケットで、インカムをつけて、ハモンドオルガンを弾きながら歌う。時にはギターも。 「何年もにわたってたくさんの曲を書いてきて、どの曲が一番人気かと聞かれることがあるんだが、それは毎年、少しずつ違う。ところがある年に、ある曲が人気になった。『ジョリー』だ。何が起こったのかと思ったら、日本でテレビCMに使われたらしい。たくさんお金がはいってくれば、悪くない」といったようなことを言っていた。 客席に降りて、マイクをつけながら一周してみたり、観客の帽子をちょっと被って、ニ・三歩歩いて投げて返したり、あいてる席に座ってバンド演奏を聞いたり、まあ、かなりまったりした雰囲気のライヴであった。 ダニー・ハザウェイ他にカヴァーされて知られる「アイ・ラヴ・ユー・モア・ザン・ユー・エヴァー」、そして、さいごの曲「カミン・バック・イン・ア・キャデラック」を終えて、一度引っ込んだアル・クーパーは、拍手に答えて再登場。「客席の明かりを明るくしてくれ。女の子の顔をみたいんだ。今晩一緒に過ごしてくれる女の子を探すんだ。名前は~~」 そして、アンコール曲として「ジョリー」を歌った。 Setlist: Al Kooper Japanese TourOcotober 6, 2005 At Kokusai Forum Hall C show started 19:0801. Can’t Keep From Crying02. Green Onions03. My Hands Are Tied04. How My Ever Gonna Get Over You05. I … Continue reading

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Steve Tyrell Talks

(昨日からのつづき) 【スティーヴ・タイレル語る】 歌好き。 それにしても、一曲が短い。だいたい3ー4分前後。これは気持ちいい。次から次へとほとんどMCもなく、曲が歌われる。それも、ほとんどなじみのスタンダードばかり。アメリカのクラブではバカ受けするだろう。 ドラムス、ギター、ベース、ピアノ、キーボード、そして、サックスという6人編成にスティーヴ本人。彼は実にエンタテイナーぶりを発揮する。それほど客数も多くないが、笑顔をふりまき、観客を指差し、コンタクトを欠かさない。 こういう言い方は若干失礼になるが、ロッドの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』をライヴで聞いているかのようだ。 16曲目の「イット・ハド・トゥ・ビー・ユー」が終わって一度舞台を降りたが、観客の拍手に迎えられてステージに戻ってきて彼はマイクを握った。「よく聞かれるんです。あなたがもっとも影響を受けたシンガーは誰ですか、と。その答えは簡単です。彼の音楽は、僕が初めて聴いた日からずっと僕のソウルに触れてきました。一言で、彼の声にやられました。幸運なことに、僕は彼と一緒に仕事をし、プロデュースする機会がありました。では、僕のフェヴァリット・アーティストの曲を歌いましょう」 一瞬、レイ・チャールズのことかと思ったが、彼がレイをプロデュースしたとはきいていなかったので、誰だろうと思ったら、流れてきた曲は「ジョージア・オン・マイ・マインド」だった。「おお、やっぱり!」 スティーヴの歌声の節々にやはり、レイの面影はあるのだ。なんといっても、CDでこれを聞いたときには、ほんとは黒人じゃないか、と思ったほどだったから。 それまでのスタンダードを歌うスティーヴとは明らかに違っていた。彼がレイをプロデュースした作品は、今月新譜として出るレイのデュエットアルバムの第二弾に収録されている。 ライヴが終わって、彼が客席にでてきたので、少し立話をした。50歳からのデビューということがあったので、「いつ頃から歌いはじめたのですか」と尋ねた。「ずっと、生涯歌ってるよ。たまたま、映画のオーディションのときに、僕のテープがよかったらしくて、実際に歌ってみればと言われて、歌ったら評判がよくなってね。それで、レコードデビューして、あとはご存知の通り」 「レパートリーは、そうだな、100曲、いやもっとあるなあ。自分がレコーディングした曲は全部歌えるし、たとえば、自分がプロデュースしたロッドのものなんかも、アレンジは僕がしてるので、使えるし、歌えるよ。セットリストも、よく変えてる。アメリカでは、ファーストセットにきた客がそのままセカンドにも残ってることが多いんだ。だから、そういうときは、全部曲を変えるよ」 「『スターダスト』は今日はファーストで歌いましたか? あなたのヴァージョンが大好きなんですよ」「あれには、トゥーツ(・シールマン)がはいってる! いや、あれはしばらく歌ってないな。歌ってほしければ歌えるよ」と言って、「and now the purple dusk of twilight time~」とさわりをその場で歌ってくれた。おおおっ。気さくでフレンドリーです。 「ロッドが第4集を作ったと聞いてるんですが」 「ああ、もうすぐ出る、あと2週間くらいでリリースされるんじゃないかな。3作目も今度のも僕がプロデュースしている。ロッドは、僕の1枚目を聞いて僕のファンになったんだ。それで、同じようなアルバムを作りたいと思って連絡してきた。だから、彼が僕のスタジオにやってきて、僕のミュージシャンたちを使わせてあげた。1作目はまあまあだと思うけど、3作目はとてもいいできだと思う。二人(ロッドとスティーヴ)にとって初のグラミーになったからね。自分の新作は、『シングス・フランク・シナトラ』だ。これは自分のアルバムの中でベストだよ。今年の初め、ハリウッドボウルで、クインシーの指揮でシナトラの曲を歌う機会があって、それが大評判だった。そうしたら、レコード会社がシナトラの曲ばかりのアルバムを作ってくれ、といってきた。それで録音したんだ。シナトラ・ファミリーの最大限のバックアップをもらえてね。ジュニアも奥さんもみんな知ってるんだ。フランク・シナトラ・ジュニアは、一曲僕と一緒に歌ってるんだよ。彼はうまいシンガーだよ。もうすぐアメリカででる」 「あなたの声は、ルー・ロウルズに似てると思うのですが」 「ああ、ルーもいい友達だ」と言って、ルーのヒット曲 You’ll never find another love like mine~とちょっと歌う。いやいやほんとに歌がお好きな人なんですね。ただしルーのヒットは、正式なレパートリーには入ってないそうだ。 ■日曜日の「ソウル・サーチン」でスティーヴ・タイレルをご紹介します ■スティーヴのライヴは、10月9日=日=、10日=月・祝日=、11日=火=と3日間ブルーノートであります。古き良きヴォーカルをお求めのかたは、ぜひ。 ■ブルーノートウェッブhttp://www.bluenote.co.jp/art/20051009.html (2005年10月4日火曜、横浜モーションブルー=スティーヴ・タイレル・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Tyrell, Steve

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Steve Tyrell Live: The Man Behind “Greatest Song Book”

【スティーヴ・タイレル・ライヴ~『グレイト・ソングブック』の影の仕掛け人】 渋声。 彼の声を初めて聞いたとき、あのソウル・シンガー、ルー・ロウルズによく似た渋い声だなあと思って、思わず聞き耳を立てた。黒人なのか、白人なのかちょっとわからなかった。マイケル・ボルトンよりは黒っぽいし、しかし、ルーほど黒くない。そして、知ったのがスティーヴ・タイレルだった。『スタンダード・タイム』(2002年)だった。この前に一枚『ニュー・スタンダード』(1999年)がでている。これらが、スタンダードばかりを歌った実にいいアルバムで、一時期よく聞いていた。一番のお気に入りは、「スターダスト」、そして、もう一曲「ジョージア・オン・マイ・マインド」。 しかし、日本ではまったくと言っていいほど知名度がない。アルバムの内容が、いいだけにもったいない。ロッド・スチュワートの一連の『グレイト・ソング・ブック』第1集から第3集までがこのところ大人気だが、まさにあれと同じ雰囲気を漂わせている。実際、第3集をプロデュースしたのは、このスティーヴ・タイレルなのだ。たぶん、CMなどに使われたらそこそこブレイクすることは間違いないのだが、まあ、タイミングというか、今、その波が来ていないということだけなのだろう。 で、いろいろ調べてみるとこの人のキャリアは実に多彩だ。テキサスに生まれ、ジョー・サンプルとは幼なじみ。99年のソロデビュー時に「50歳の遅咲きデビューと」宣伝されたので、1949年生まれではないかと書かれているが、実際はもう少し行っていると思う。64-65年くらいに19歳くらい、つまり1945-46年くらいではないだろうか。 ハイスクール時代にR&Bバンドに参加して歌っていた。テキサスのレコード・ディストリビューター(卸元)で働いているうちに、レコード会社の人間と知り合い、ニューヨークのインディ・レーベル、セプター・レコードに入社。ここで、レコード業界のイロハを教わる。当時はA&R(アーティスト&レパートリー=ひとことで言えば制作のディレクター)という言葉はなかったが、制作まわりの雑用をすべてやらされた。そのころのセプターは、バート・バカラックとディオンヌ・ワーウィックが手を組み大ヒットを次々に出していた頃。その後、BJトーマスの売出しにも成功。さらに、ロスにやってきて、テレビ関係、映画音楽関係の仕事を多数やるようになった。 ひょんなことから、映画『花嫁の父親』のなかでクラブシンガーの役で歌ったところ、これが大評判を得て、レコード・デビューすることに。裏方からいきなり表舞台にでることになった。アトランティックで1枚スタンダードばかりを収録したアルバムを出したところ、ジャズシーンで大ヒット。 これを聞いたロッド・スチュワートは、スティーヴに惚れ込み、自分も同じようなアルバムを作りたいと連絡してきた。そして、ロッドが録音したアルバムが『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』だった。ロッドはこの一部をスティーヴのスタジオでレコーディングしている。これを作っているときには、ロッドは10万枚も売れればいいだろう、と思っていたという。ところがリリースされると100万枚以上の大ヒットになり、第2集、さらにその続編とリリースされる。そして、第3集では、スティーヴ自身がプロデュースすることになった。この第3集は、3作のなかでも一番売れ、両者にグラミー賞をもたらした。 スティーヴのアルバムを聞いて、ロッドのあのアルバムを思い浮かべるのは自然なことなのだ。 そんなスティーヴが初来日。初日横浜モーション・ブルーでライヴを見た。バックはたった6人なのに、ビッグバンドのようなサウンドアレンジ。さすが、名アレンジャーだけある。そして、CDと同じ歌声を響かせた。いやあ、しびれた。 (この項明日へ続く) (スティーヴのライヴは、10月9日=日=、10日=月・祝日=、11日=火=と3日間ブルーノートであります。古き良きヴォーカルをお求めのかたは、ぜひ) ■ブルーノートウェッブhttp://www.bluenote.co.jp/art/20051009.html ■Setlist: Steve Tyrell @ Motion Blue, Second Set, October 4, 2005 show started 21:3301. Nevertheless I’m In Love With You02. You’d Be So Nice Come Home To03. … Continue reading

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A Chat With Eric Benet: Reveals Real Age

【エリック語る】 三昧(ざんまい)。 横浜レンガ倉庫にあるモーションブルーは、ブルーノートより少しだけ小さい。場所的に若干不便だが、エリック・ベネイはさすが超満員。日曜セカンドには、トクや日野賢二、ケイリブ・ジェームスなども来ていた。日野さん、一曲目始まるなり全開で「スライ、スライ!」と叫ぶ。もちろん、「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が始まれば、「プリンス! プリンス!」。やっぱりあのファルセットは、プリンスの影響強しだと思う。 エリックは、毎日ライヴが終わった後、サイン会をやっていた。この日もしていた。とりあえず『ハリケーン』にサインしてもらった後、少し話す機会があった。 エリックがステージで話す声を聴いていて、ずっと誰かの声に似ているなあ、と思っていたのだが、どうしてもそれが思い出せなかった。エリックと話始めてすぐに、それがわかった。あってるかどうかわからないのだが、つまり、似てないという人もいるかもしれないが、テニスプレイヤーのアガシの声、話し方に似ていると僕には思えたのだ。アガシがインタヴューなどで話している声と話し方、それとエリックがステージで話している時の声。僕にはとても似てるように感じた。木曜からずっと考えていて、やっとわかってほっとした。 「あなたの声やしゃべりかたが、ある人に似てると思ってたんです。アガシです」 「誰?」 「テニスプレイヤーのアガシ」 「え、僕の声がアガシに似てるの? 今まで言われたことないな。彼は歌うの?」 「いや、歌わないと思う」  「ところで、あなたの誕生日は、69年の10月15日であってますか?」と尋ねると、「いや、66年だよ。僕はオールドマンなんだ。(笑い)」 「ええ? じゃあ、69年というのは、間違ってる?」 「うん、間違ってるよ」 ということは来週の土曜日で39歳だ。公式のバイオグラフィーなどで2年サバを読むのはとても一般的なのだが、この場合3年。微妙におもしろい。 「スティーヴィー・ワンダーは好きですかDo you like Stevie Wonder?」と尋ねたら、どうも発音が悪くて「Do you write Stevie Wonder?(スティーヴィーに曲を書く?)」と取り違えられ「ノー、ノー」とびっくりされた。改めてゆっくり言うと、「おお、もちろん」との答え。「新作はきいた?」と聞くと「スティーヴィーが何曲か聞かせてくれたよ」と実際、会って聞かせてもらったということを話してくれた。まあ、スティーヴィーに曲を書くシンガー・ソングライターなんて、まず今はいない。 それにしても、エリックは次々並ぶファンに一枚一枚ていねいにサインをしていた。 モーションのライヴは、ブルーノート木曜セカンドより一曲少なかった。木曜の13曲目「ホエア・ダズ・ラヴ・ゴー」がカットされていた。また、ラテン調の「ホワイ・ユー・フォロー・ミー」を聞いているとき、この曲、ヒロミ・ゴーが歌ったら、日本でもヒットしそう、などと思った。 モーションを出た後、久々にソウルバー、シュガーシャックに行って「今、ベネイ帰りです」と言ったら、オウナー石川さんが、シンバッドのライヴイヴェントでデニース・ウィリアムスとエリック・ベネイがデュエットしている映像を見せてくれた。わお! サンクス! 二人は「ホエン・ユー・シンク・オブ・ミー」と、マーヴィン&タミー・テレルでおなじみの「エイント・ナッシング・ライク・ア・リアル・シング」を歌っていた。エリックは真っ白のスーツを着ていた。 この数日、エリック三昧なり。 Setlist : Eric Benet, 2005.10.2 @ Motion Blue (1)=1st album, (2)=2nd album, (3)=3rd album show started 20.3201. If You Want … Continue reading

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(速報) エボニーズ公演中止に

(速報) エボニーズ公演中止にEbonys Canceled Upcoming Japan Tour 11月末に予定されていたソウル・ヴォーカル・グループ、エボニーズの来日公演がメンバーの病気のため中止となった。メンバーのひとりが、風邪をこじらせ、感染症になり、冬場の長旅にドクターストップがかかったため。改めて来日公演へ向けてスケジュールを再度組みなおす。チョコレート・クリーム・プロダクションが3日、発表した。 問い合わせ先 チョコレート・クリーム・プロダクション電話 03-3487-4176 http://chocolatecream.co.jp/Eメール chococri@ceres.ocn.ne.jp ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Ebonys

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Eric Benet: A Man At Crossroad (Part 2 of 2 Parts)

(昨日のパート1からの続き) 【人生の交差点–Part 2】 灯火。 彼女はなにかがふっきれて、東京に戻ってきた。それを見た、彼女をいつも応援してくれていた女友達が一言つぶやいた。「ようやくわかったみたいね」 彼女にはすべて見えていたかのようだった。 2000年。そんな彼女がテレビで見た音楽ヴィデオの映像に目をとめ、そのアーティスト名をメモしていた。CDショップに行ったときに、そのメモを見ながらCDを探した。それがエリック・べネイのセカンドアルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』だった。 家に戻りCDをかけると、一曲目からノックアウトさせられた。もうやられっぱなしだった。それこそ擦り切れるほど聴いた。自分が音楽をやることをやめてから、やみくもにただ音楽を趣味として聴いていた彼女が再び、自分でも音楽を作りたいと思い出すようになった。こんな声で歌われたらたまらない。だが、自分でもこれだけ人の魂を揺さぶる曲が作れたらいいなあ、という思いが少しずつ湧き上がってきた。音楽を止める決意をしてから5年以上の月日が経っていた。 改めて曲作りをするようになると、10年前の自分がいかに似非(えせ)シンガー・ソングライターだったかが、痛いほどわかった。10年間の経験が彼女にさまざまなことを教え、人間に深みを与えていたのだ。 2005年、もちろん3作目も出たらすぐ買った。エリックのことをいろいろ読んだ。すると、エリックの苦労と挫折に感動し、その人生が妙に自分と重なってきてしまった。『ハリケーン』のいくつかの曲の歌詞を読めば読むほど、エリックの気持ちがわかってきた。 エリックは最初の妻と死別していた。次の奥さん、ハリウッドの大女優ハル・ベリーとも離婚していた。自分には子供はいなかったが、同棲していた彼氏と別れていた。 人に惑わされずもう一度自分自身になる決意を表明する「ビー・マイセルフ・アゲイン」、ハリケーンしか痛みを洗い流す方法がないときもあるという「ハリケーン」、僕は愛されたいと懇願する「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド」・・・。いずれも、エリックが過去15年で経験してきたさまざまな出来事が投影されてきた作品だ。最初の妻の死、その忘れ形見インディア、そのインディアへの愛、親権をめぐる争い、新たな恋と別れ。個々の出来事が、それぞれの曲から実際には見てもいないのに、映画のワンシーンのように、フラッシュバックしてきた。そして、自分の10年を振り返ると、音楽での成功を夢見て東京にでてきたこと、しかし、いろいろあって音楽を止めたこと、まったくおもいがけず不倫をして、しかしそこから生きる糸口を見つけたこと、溺れかかったときに「生きたい」と強く感じたこと、同棲していた彼氏との別れなど、さまざまなシーンがリアルによみがえった。 彼女にとって、エリックの音楽は、自分の人生の節目節目に見事に現れてきた。自分の人生に迷いがあったとき、エリックの歌と声が、彼女にとっての漆黒の海原を照らす一筋の光を灯す灯台さながらとなっていたのだ。 +++++ 直撃。 3作目『ハリケーン』を買ってからまもなくエリック・ベネイが来日することを知った。とるものもとりあえず予約した。最初土曜日を予約した。しかし、何日かして土曜日一日だけでは十分ではないのではないかと思い、初日も追加で予約した。 初日当日、最初はブルーノートには2時くらいに来るつもりだった。だが、ちょっと寝坊して、4時くらいになってしまった。予約番号は60番台だった。本当は一番前で見たいと思っていたが、一人だったのでなんとか前から数列目に座ることができた。9時過ぎに席に座り、ジントニックをオーダーした。テーブルにはハンカチを置き、準備万端にした。始まるまでの間、彼女は『ハリケーン』のCDの解説書と歌詞の日本語訳を読んでいた。歌詞を徹底的に頭の中にいれようと思っていたのだ。「その歌が歌われたとき、内容がストレートに私の中にはいってくるようにと思って」彼女は歌詞を丹念に読んでいた。彼女は、横に座っていた男がその姿を見て、心の中で「この彼女は本当にエリックが好きなんだな。ハンカチをテーブルに置いてるということは、本気で泣く気だな」などと推理していたとは夢にも知らなかった。 9時半スタートの予定がなかなか始まらず、彼女はちょっといらいらしてきた。だが、あこがれのエリックのライヴがまもなく始まると思うと、いらいらよりも、どきどきのほうが高まってきた。彼女の向かいの席はひとつ空いていたが、両隣にはカップルが座っていた。彼女の隣に座っていた女の子が男性に「エリックっていくつくらいなのかしら」と尋ねていた。彼が「う~んと、1969年か68年くらいの生まれじゃなかったかなあ。36か37かな」と言っていた。「へえ、けっこういってるんだ~。でもかっこいいよね~」 彼女の耳はダンボになっていた。「ブルーノートのホームページちゃんと予習したよ。そこにはエリックは1969年の10月15日生まれだって書いてあるよ~~。私と誕生日2日しか違わないんだから、ちゃんと覚えてるよ」と心の中でつぶやいていた。「68年じゃないよ~~。しかもまだ誕生日前だから、35だよ」 思わずとなりの会話に口を挟もうかと思ったが、さすがにやめた。 観客席のライトが落ち、ミュージシャンたちがステージにあがってきた。もう興奮は最高潮だ。彼らが音を出し、エリックが楽屋からでてきたら、気持ちは最大限に爆発していた。一曲目から立ちあがりたかったが、ちょっとだけ我慢して、椅子に座りながら踊った。無意識のうちに激しく体が反応していた。エリックの年を聞いていた隣の女の子には少し迷惑になったかもしれない。 一曲目からはやくも放心状態だった。通路を歩いてきたそのスーツ姿のエリックを見ただけで来てよかったと思った。そして、マイクを握り、歌い始めた瞬間卒倒しそうになった。「やっぱり、あの声なのよ。すべての苦労があの声に入ってるのよ。だから、私のソウルに直撃なの」 彼女はそう思った。「インディア」では体が凍りついた。「ハリケーン」には涙があふれた。 さいごのアンコール曲ではもう会場も立ちあがっていたので、自分も立ちあがって踊った。エリックが後ろ側の通路を通ってステージに向かった時、思わず、小走りにエリックに向かって、ちょっとだけ触ってしまった。 自分の過去10年と、エリックの過去10年。もちろん、その10年は場所も、スケールも、人生の中身もすべて違うものだったが、このエリックのライヴ空間に来たことで、まったく歩みの違ったふたつの人生が一瞬交わったような気がした。彼女と同じように、ベネイの音楽に影響を受けた人もたくさんいるだろう。ベネイのように自身の人生を歌に託すシンガー・ソングライターには、男でも女でも共感者が多い。エリック・ベネイは、彼自身人生のいくつもの交差点を通り過ぎてきた男だが、彼はまた、さまざまな他の人たちの人生の交差点にも立つ男だ。 ライヴが終わると力が抜けて、彼女は魂の抜けたぬけ殻になっていた。ソウルなきボディーだ。すると、となりに座っていた彼が声をかけてきた。「エリック、相当お好きなんですね」 その日、ひとりで行動していてほとんどしゃべっていなかった彼女は、水道管の蛇口をひねったように、いっきにしゃべり始めた。今見たライヴの感動を語り合いたかった彼女は、それだけでなく、自分が札幌から歌手を目指してでてきたこと、エリックの音楽との出会い、そして、エリックと自分のことについてずっと話し続けた。ふと気付くと店内のBGMは消え、満員だった席には彼女らしか残っていなかった・・・。 ENT>MUSIC>ESSAY>Benet, Eric

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Eric Benet: A Man At Crossroad (Part 1 of 2 Parts)

【人生の交差点】 期待。 ライヴが始まる前は、観客の期待感も徐々に高まっている。特に満員のセカンドセットとなれば、その温度もかなり熱くなっている。エリック・ベネイ初日、一人できていたその彼女はジントニックを係りの者にオーダーすると、おもむろにバックからハンカチを取り出し、テーブルに置き、さらに最新CD『ハリケーン』の解説書まで取り出した。そして、その解説文(ライナーノーツ)をさらりと読み、歌詞の日本語訳を熟読していた。まさに来るべきショウへの予習を熱心にしていたのだ。 約20分遅れで始まったショウ。バンドが音を出した瞬間から、その彼女はたったひとりで来ていたにもかかわらず、大爆発して座りながらも激しく体をゆすり踊り始めた。何人かグループで来て、盛り上がって踊り出す連中はよくいる。しかし、たったひとりできて、こののりは。いったいなぜ、彼女はこれほどエリック・ベネイの音楽に反応しているのか・・・。 +++++ 挫折。 1994年、札幌に住んでいた歌手志望の彼女は、真剣に歌手になる夢を求めていた。札幌時代にいくつかデモテープを作って売り込んだところ、とあるレコード会社が声をかけてくれ、レコード・デビューへの話が進み、とりあえず東京にやってきた。都内に部屋を借り、ちょっとアルバイトをしながら、ひたすら曲を作リ始めた。自分はいっぱしのシンガー・ソングライターだと思っていた。自分が他人よりも感性があることはうっすら気付いていた。自分が何かの出来事に感じる悲しみや喜びの度合いが他の人たちよりはるかに大きいのだ。だから嬉しいときはとても嬉しいが、悲しいときは相当落ち込む。その感情の起伏の激しさゆえに、なかなか友達も作り辛かった。 男2人と彼女でとりあえずユニットを作り、ライヴの準備も進めた。レコード会社の指導の元でレコーディングをしてみた。だが自分が作った作品について、ディレクターがあれこれ口出しをしてきた。もちろん、その曲をよくしようという建設的な意見なら、それもいいだろう。しかし、根本的な音楽的な違いからくる意見の相違は、なかなか受け入れることが難しかった。それでも、まだ何も音楽業界のことを知らない、10代のうぶな新人は、できるだけ、ディレクターや周囲の人に好かれようと、彼らの言う意見をどんどんとりいれた。 目指すサウンドは、スイングアウト・シスターズやシャーデーのようなちょっとおしゃれでクールな都会的サウンドだった。ところが、彼女は地があっけらかんとしていて、「がはは」と大きな声で笑うような豪快な女性だったから、目指す音とは少し違っていた。そして、周囲の意見に基づいて直して出来あがったデモ・テープの音は、彼女が最初に作ったものとは、似ても似つかぬものに変貌していた。ライヴも、MC(トーク)は、クールに行くようにといわれていたが、ひとたび話し始めるとオヤジギャグ満載でかなりファンキーになってしまった。観客からはバカ受けしたが、メンバーとスタッフは眉間にしわを寄せていた。 そして、次のライヴでは、自分を殺してクールにやってみた。しかし、自分で自分が自分じゃないように思えた。そんなこんなで、徐々に彼女にはストレスがたまっていった。曲も思うようにできなくなり、彼女は煮詰まって煮詰まって、部屋にこもるようになった。典型的な引きこもりだ。そして、悩みに悩んだ末、彼女は音楽をやめようと一大決心を固める。 収入も途絶え、なんとかわずかな蓄えとアルバイトでその日暮らしを続けたが、毎日がつまらなかった。大好きだった音楽を止めて、なにか自分の体から魂が抜けてしまったようだった。自分はせみのぬけがらのようだったと彼女は感じていた。挫折の日々だった。 自殺。 自分の顔を鏡で見ても、とても嫌な顔になっていた。そんなとき、アルバイト先のひとりの女性がいつも彼女のことを応援してくれいてた。なぜかはわからないが、落ち込み、元気のない彼女を「だいじょうよ、いいことが起こるから」と声をかけてくれた。もちろん、彼女にとっては少しは嬉しかったが、それほどの励ましにはならなかった。躁鬱(そううつ)のうつ状態がずっと続いた。自分が嫌いで、何度も自殺したいと思った。「でも、痛いのは怖いので、本当に自殺する勇気はないの。だから、何かの事故にでもあって死ねればいいのになんて本気で考えていた」 そんな彼女は、自分ではひじょうにまっとうに生きてきて、曲がったこと、道理にそぐわないことが大嫌いな性格だった。竹を割ったような性格で、白黒をはっきりさせるタイプだ。たとえば、男女関係で言えば、不倫などもってのほか、絶対に許せないことであり、自分が妻子持ちなどに興味を持つことなどありえなかった。彼女はそのころ、ミュージシャンの彼氏と同棲していた。 彼女のバイト先は飲食店だった。そこにはさまざまなタイプの客がやってきた。そんな中で彼女に積極的にアプローチしてくる男がいた。だが第一印象から、彼女はその男が大嫌いだった。自分の嫌いなタイプだったのだ。客なので、それほどそでにもできないが、彼女なりにかなり邪険に扱っていた。何度も顔を合わせるようになってしばらくしてから、店のスタッフとその客の男と何人かで飲みに行くことになった。宴が終わり、帰ることになると、その大嫌いな男と家の方向が同じだったので、その彼が彼女を送ることになった。彼女はかなり酔っていた。彼の家のまえで別れ際に、なんと彼女のほうから彼にキスを求めてしまったのだ。 「それがわからないのよ。なんでそうなったのか。よっぱらっていたからか。嫌いなはずなのに、しつこく、これでもかこれでもかってアプローチされて、だんだん惹かれていたのか。わからない」。そして、これを機に彼女は彼と会うようになり始める。 ところが、彼女が一番感じたのが、その彼に会うことによって、自分がうつから少しずつ抜け出せるような気がしてきたということだった。彼女はそれが信じられなかった。しかし、しかし、その彼には妻子がいることが発覚したのだ。絶対に不倫などしないと思っていた自分がよりによって気になり始めた男に妻子があったのだ。彼女は、またここで多いに葛藤する。 彼女は、いつも自分は死にたいと思っていた。そんな死にたいと思っていた95年1月、阪神大震災が起き、さらに2ヶ月後の3月には地下鉄サリン事件が起こる。魂の抜け殻の体で「ぼーっと」その映像をテレビで見ていて、彼女は思った。「私が、地震で死ねばよかったのに。私がサリンで死ねばよかったのに。死にたい私がこうして死ねないでいるのに、なんで死にたいなんてこれっぽっちも思っていない多くの人が死ななければならないの? これはおかしい。私は、神にひょっとして生かされているのかもしれない。私は生きていかなければならないのかもしれない」と。 生。 そんなあるとき、彼女は友人たちに屋久島へ数日間の旅を誘われる。うつ状態からも少しずつ抜け出し、しかし、不倫で悩んでいることもあり、悩みの状態は続いていた。心機一転する意味でこの旅行にでかけることにする。 屋久島はもちろん、彼女にとって初めてだった。ここで彼女は初のダイヴィングに挑戦することになった。初めてのダイヴィングは楽しかった。彼女はどんどん調子にのって沖に進んでいった。まったくの初心者だったので、自分では方向性がわからず、沖から岸に戻ろうとしているのに、実際は岸にはまったく近づいていなかった。ちょっと不安に思ったその瞬間、彼女の足がつった。そして、そこで彼女はおぼれかかったのだ。 足をばたばたさせると、水が口の中にはいってきた。苦しい。ダイヴィングの機材が急に重く感じられた。海底のほうから、何かが自分の足を引っ張るような感覚がした。しかし、おぼれ始めて、自分が何がどうなったのかわからなくなったその瞬間に、彼女は思ったのだ。「死にたくない!」 そして、思いの丈をこめ彼女は叫んだ。「助けて~~~!!!」 周囲の人たちがかけつけ、大事に至らずに彼女は助かった。このおぼれそうになった時感じた「死にたくない」という気持ちを、彼女は感慨深く考えていた。「私は、死にたくないんだ」 岸に引き上げられた彼女は、何度もその気持ちを反芻(はんすう)した。生への執着が生まれた瞬間だった。 (明日のパート2へ続く) ENT>MUSIC>ESSAY>Benet, Eric

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Ebonys Will Be Coming To Japan For The First Time

【フィリーの伝説的ヴォーカル・グループ、エボニーズ初来日】 初。 1971年フィラデルフィア・インターナショナル・レコードから「ユーアー・ザ・リーズン・ホワイ」をヒットさせ、注目を集めたR&Bヴォーカル・グループ、エボニーズが2005年11月に初来日する。11月27日(日)、28日(月)、渋谷デュオ、その後30日(水)福岡クロッシング・ホールでライヴを行う。名盤を残しつつも、活動状況が謎に包まれていただけに、来日はまさに奇跡かもしれない。今回の来日メンバーは、オリジナル・メンバーのデイヴィッド・ビーズレーを中心にローナ・グロス、デシー・スコット、スタンフォード・ルイスの4人。 エボニーズは、「ユーアー・・・」のほか「イッツ・フォーエヴァー」の名曲もあり、アルバム数は少ないがひじょうに人気の高いアーティスト。ヒット曲が続かなかったために、一時期自然解散。メンバーのひとり、ジェニー・ホルムスは後にクリーム・デ・ココアというグループに参加する。 エボニーズは、1968年頃、ニュージャージー州キャムデンで結成された4人組R&Bヴォーカル・グループ。メンバーは、ジェームス・テューテン、デイヴィッド・ビーズレー、クラレンス・ヴォーン、そして、紅一点のジェニー・ホルムス。一枚インディでシングルを出した後、71年、ケニー・ギャンブル&リオン・ハフが設立したばかりのフィラデルフィア・インターナショナル・レコードと契約、71年初頭に「ユーアー・ザ・リーズン・ホワイ」をリリース。これが、ソウルチャートで最高位10位を記録。華々しいスタートを飾った。時あたかもフィリー・ソウルが大爆発する直前で、後に来るフィラデルフィア・サウンドの大ブームの夜明け時期の傑作だった。 その後、73年に「イッツ・フォーエヴァー」の名曲を出し、これが14位を記録するが、その頃同様にフィラデルフィアから登場してきたレーベル・メイトのハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、オージェイズなどが次々と大ヒットを放つため、いまひとつ同レーベルでの「ファースト・プライオリティー(第一優先のアーティスト)」になりきれず、大ブレイクにはいたらなかった。 76年、ブッダ・レコードに移籍、アルバムを出すが、大ヒットにはなっていない。結局、グループとしてはフィラデルフィアでアルバム1枚、ブッダで1枚の計2枚で伝説のヴォーカル・グループとなった。しかし、デビュー作『エボニーズ』は、ソウル・ヴォーカル・グループの作品の中でも傑作と呼ばれるようになり、ソウル・クラシックの一枚として長く愛されつづけるようになった。このアルバムは、1974年2月16日にリリースされスマッシュヒットを記録。しかし、名盤ながら在庫流通が少なくアナログ盤には一時期ちょっとした高値がついたこともある。その後、93年に日本でもCD化された。さらに、2003年5月21日、ボーナス・トラック4曲を含めて改めてCD化。現在はこのヴァージョンが店頭に並んでいる。また、一昨年最新アルバム『ザッツ・フォーエヴァー』をインディから出している。 全体的には、ブルーノーツ、オージェイズ的な正統派ヴォーカル・グループで聴き応え十分だ。 +++++ THE EBONYS Japan Tour 2005*今年のソウル愛好会presentsは、あのエボニーズの奇跡の来日! 名作1stアルバム「THE EBONYS」もSONYより10/21に再発されます。 ・11月27日(日)&28日(月) 2日間共6時開場、7時開演 渋谷duo(O-EAST1階) 2ステージ入替無し(2日間とも) テーブル席1万円(限定250席/1日)、立見¥7,000  Info.:duo music exchange 03-5459-8711www.duomusicexchange.com チョコレートクリーム 03-3487-5442                 www.chocolatecream.co.jp ・11月30日(水) 7時開場、8時開演 西中洲 クロッシング・ホール(ホテル・イルパラッツォB1F) 自由席・立見共¥8,000 Info.:クロッシング・ホール 092-716-3333    GOODIE’S 092ー713-0295 THE EBONYSDavid Beasley/ Lorna Gross/ Desi Scott/ Standford Laws ■チョコレート・クリーム・ウェッブhttp://chocolatecream.co.jp/ +++++ ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Ebonys

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